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378 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(32)
「神代紀」の解読(9) ― 「大国」と「空国」
2005年8月31日(水)


 天孫降臨時のニニギのせりふの新しい解読方法から二つのオマケが付け加え られる。

 その一
 その見事な解読を可能にした重要な要素の一つは、従来「ミサキ」と読んで きた「御前」を「ミマエ」と読むことだった。古田さんはこの読みが妥当であ ることをもう一つ例をあげて示している。

故、大国主神、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(ま)す時、波の 穂より天の羅摩船(かかみぶね)に乗りて、鵝の皮を内剥(うつはぎ)に剥 ぎて衣服(きもの)にして、歸(よ)り来(く)る神ありき。(古事記)

 海上からスクナヒコナがやって来る場面だ。「御大の御前」を従来は「ミ ホのミサキ」と読んでいる。出雲国の東北端(島根郡)の「美保埼」のこと だ、と解してのことである。
 この読みについて古田さんは『この読み方の一番の難点、それは「御大」を 「ミホ」と読む点だ。』と指摘している。

 『古事記』では「ホ」の表記は普通「富」「番」「穂」の類だ。

       意富美和(オホミワ)、番登(ホト)、高千穂(タカチホ)

 これら頻出字音を無視してここだけ「ホ」の表記は「大」という字を使った と見るのはいかにも無理だ。これは「御大の御前」を無理やり現存地名(岬の 名)と一致させようとして、第一音の共通する「美保埼」を見つけ、しゃにむ にこれと結びつけたものだ。強引としかいいようがない。


 そして今までどおり『古事記』の表記様式に従って「大」を固有の地名 とし「オホ」と読み直して(詳しい論証部分は省く)、次のように述べている。
 後代(7、8世紀)は石見国に属した邇摩郡(島根県)の「大国」がこれに 当るのではないだろうか。この地域には、「大田市、大原川、大平、大屋、 大国、大森、大浦、大崎ケ鼻」と「大」字のつく地名、すなわち「大」 を固有名詞部分とする地名が〝叢立している″といっていい。ここが「大 洲(オホクニ)」の名の発祥の地ではないだろうか。

出雲

 「出雲」がこの地域(島根県)の汎称(大地域名)だったとき、「出雲の (御)大」と呼ばれたのではないだろうか。すなわち、ここは「大国主神」の 本拠地だった。だから、この神が〝この地域の「前」(海岸部)にいた″こと は当然である。もし、これが「美保関」だったとしよう。ここは、出雲の一番 の東北端の突出部だ。ここへ少名毘古那神が着いた、というなら、一体どこか ら来たのだろう。越の国の方からだろうか。
 しかし、この神は「神産巣日神( かみむすひのかみ)の御子」とされてい る。これは筑紫(「日本旧記」の成立地)で始祖神とされた神ではないか。そ れが西の筑紫から来ずに、なぜ東から来るのだろう(西から来たのなら、出雲 の主要領域を通り過ぎてきたこととなる)。その上、日本海流は〝西から東へ″ であって〝東から西へ〟ではない。
 ところが、今、新しい解読に立ってみよう。「大国」は出雲の西南だ。筑紫 の方角から出雲めざしてやって来て、この地に着くのはきわめて自然なのであ る。


その二
 宣長は「韓(カラ)国」を「空国」=「荒れてやせた不毛の地」と解した が、次の例(天孫降臨後の二二ギの行程)によれば「空国」は明らかに「カ ラ国」ではない。「ムナ国」だ。(岩波古典文学大系は「むな国」と読んで いる。)

(1)膂宍(そしし)の空国を頓丘(ひたを)から国覓(ま)ぎ行去(とほ) りて、吾田の長屋の笠狭碕に到ります。 (神代紀、第九段、本文)
(2)膂宍の胸副(むなそう)国を、頓丘から国覓ぎ行去りて……。  (神代紀、第九段、第二、一書)

 「空国」は「荒れてやせた不毛の地」というような抽象的な普通名詞ではなく 地名だ。
 (2)の「むなそふ国」について、岩波古典文学大系は「ムナソフクニとある 理由未詳」と註を付している。しかし、古田さんの読みに従えば「未詳」では ない。「空(国)」は一定の地名領域だから、「むなそふ国」とは〝空国にそ い並ぶ国(々)″の意となる。

 では、「空国」とはどこだろう。その解答は、今は容易だ。有名な「宗像 (むなかた)」だ。この「むなかた」の「かた」は、「直方(のうがた)」 (直方市)、「野方」(福岡市西辺)というように、やはり地名接尾辞だ。 固有の地名部分は「むな」なのである。「空国」とは、ズバリ、ここ以外に ない(「空」「宗」は表記漢字の相違)。
 天孫降臨の地を宮崎県あたりへ、笠沙の地を鹿児島県へと、もっていってい た従来の立場では、思いもよらなかった。しかし、今は明白である。
 ことに決定的なのは、この「空国」と「笠沙」と天孫降臨の「クシフル 山」との位置関係だ。ニニギは「クシフル山」から「空国」へ向かって行く 途中で「笠沙」の地を通る。そしてそこは海岸だ(神代紀、第九段、第二、 一書に「海浜に遊幸す」の語がある)。つまり、海岸沿いに「クシフル山 →笠沙→空国」となっていなければならぬ。その通りだ。「高祖山(前原) →御笠(博多)→宗像」は、海岸沿いに、まさにこの順序に並んでいる のだ。
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