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372 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(26)
「神代紀」の解読(3) ― 「大八州」はどこか
2005年8月25日(木)


 どこを「大八洲」(おおやしま)というのか。『書紀』には本文の 他に「一書」 による註が5通りある。これらと『古事記』の記載を合わせて実に7通り「大八洲」 説があることになる。次の表は古田さんがまとめたものである。

大八洲

 それらの地名の中で「不審な地名」として古田さんは「吉備子洲」と「越洲」 を取り上げている。この地名はそれぞれ「きびのこしま」「こしのしま」と読むのが 「定説」だ。しかし、これらは「島」ではなく、本土の一部分なのだ。学者たちを悩ま せてきた問題だ。
 表の中の第七、一書にある「対馬洲」は「定説」に従えば「ツシマノシマ」と おかしな読み方になってしまう。

 本居宣長はこれを非難し、「島島と重ねて云フ名はあるべきことかは」 (『古事記伝』五)といった。宣長はいつでも『古事記』(「津島」)を正しとし、 それを前提とした。『古事記』では、八つともハッキリ「 - 島」だ。そして 「島」と見えないもの(「吉備の児島」「越洲」)やいずこの島を指すか不明のもの (「大洲」)はアッサリ切り捨てられている。後代の整理整頓の結果である。
 しかるに、宣長はこれを〝本来の形〟とした。そしてその「読み」に立って『書 紀』をも読んだ。そして不可解の字面に見えた「対馬洲」をもって〝原文のあやま り〟としたのである。『古事記』を全面的に本来形なりとする自己の〝信仰″に立 って理路をすすめ、それに反する原文につきあたれば、その原文の方がまちがって いる、といい切る、――ここに宣長の方法上の武断があった。そして明治以後の研 究者もまた、その国学的方法を疑わず、今日に至ったのである。

 この問題を古田さんはしごくあっさりと解いてしまう。「洲」は「洲国」の略であ り、これを「シマ」と読むのではなく「クニ」と読むのが正しい。これですべてが 解決してしまう。

 「対馬洲」は「ツシマノクニ」。「シマ」が重複すると悩む必要はない。 「越洲」も「コシノク二」であり、「吉備子洲」も「キビノコクニ」である。 本土の一部であっても何の不都合もない。

 ここで「吉備子洲」を「キビノコクニ」と読む読み方が「大八洲」を解読する要 となる。その読解のルールとは

(一) 「洲」(クニ)は、限定された「一定領域」を指す言 葉である。
(ニ) 「AのB」という形は〝A国の中のB領域〟という 意味である。

第一、第九の「一書」にある「億岐の三子洲」をこのルールで読むと 〝億岐の国(A)の中の三子のクニ(B)″となる。実際、億岐は本島(島後)と 三小島(島前)との両者から成っている。
 古田さんは言う。
『以上は、わたしにはごく自然な解読だと思われる。なぜなら、本来これは 「島生み説話」ではなく「国生み説話」なのだから。』

 この読解のルールに従って残された地名を読むと次のようになる。

「伊予二名洲」=「伊予の二名(ふたな)のクニ」。つまり〝伊予の国の中の二 名の領域″となる。

では、伊予の国(愛媛県)の中に「二名」という地名があるだろうか。
 伊予市のそばに「双海(ふたみ)」がある。この海(み)が地形詞であること は当然だ(熱海-静岡県、鳴海-愛知県等がある)。固有名詞部分は双(ふた) なのである。すなわちここは「ふた」と呼ばれる領域であったことが知られる。
 一方、国生み神話の方は「二名(ふたな)」だ。この「名(な)」とはなんだろ う。この地の向かい(北岸)に宇品(うじな、広島湾内)があり、そばに芦品 (あじな)郡がある。いずれもわたしには子供のころからなじみ深い名だ。これらい ずれも「な」が地名接尾辞であることを示している。すなわちこの「ふ たな」の場合も、「な」は地名接尾辞で、固有名詞部分は「ふた」なのである。 このようにして、〝伊予の国の中の二名の地〟という、わたしの解読が不当でないこ とが判明する。

 この点も、宣長は難路に踏み迷うた。「二名」を〝二並(フタナラビ)″の意とし、 〝四国(全島)は東西南北いずれから見ても、二国相並んでいるから、「弥二並島」 (いやふたならぴのしま)という意味で、「伊予双名」といったのだ″という、一種 奇妙な解釈を提示している。「伊予二名島」を四国全体とした『古事記』(天武側 編者)の誤断を金科玉条としたため、苦しい解釈を強行せざるをえぬ袋小路に入った のである。


 次は「大洲」。宣長の訓読法に従う従来の読みは「オホシマ」。愛媛県の大島 (今治の東北方)や山口県の大島(今の屋代島)をこれにあてる見解があるとい う。
 しかし、この読み方はおかしい。わたしはそう思う。なぜなら、上の各大島は、 同じ島でも、壱岐・対馬・隠岐・佐渡とは比肩できぬ位の小島だ。その上、同名 もおびただしい。だから、それらを指すときには当然「伊予の大洲」とか「周防 の大洲」とか称されねばならぬ。それでなくては限定性がないのである。しかるに ここには「大洲」とだけある。「筑紫洲」なみの扱いだ。これはなぜだろう。

 今のわたしの方法に従えば、この読み方はハッキリしている。「洲」は「シマ」 でなく、「ク二」なのだから。これは「大ク二」なのである。「大国主神」 ―― そうだ。あの、出雲の有名な神。同じ出雲には「大国(ヽヽ) 御魂(みたま)神」(『古事記』)もある。ここが「大クニ」と呼ばれる古名をもって いたことは疑うことができない。この地域なのだ。

 考えてもみよう。『記・紀』神話でこの出雲の地が重要な一領域であることに異論は あるまい。それなのに、なぜ、国生み神話の「大八洲(オホヤクニ)」の中に出雲が 入っていないのだ?
 神話内容全体とのバランスがまるでとれていないではないか。西の筑紫はもとより、 すぐ真北の隠岐、東の越、佐渡まで出ているというのに、肝心の出雲を欠くとは!ここ でも従来の〝宣長読み″の欠陥はおおいがたい。さらにこれを削り去って〝スッキリさ せた″『古事記』編者(天武側)らの錯覚。それが明々白々とここに露呈しているので ある。


 古田さんは「『古事記』編者(天武側)らの錯覚」といっているが、かなり意図的な 「錯覚」なのではないかと私は疑っている。

 次は「筑紫洲」=「筑紫のクニ」。これまでは「筑紫のシマ」と読み九州全土と考え られていた。

 景行の熊襲遠征(「前つ君」の九州一円平定)の中で、「筑紫国」に対する「筑紫 後国」の称が用いられている。これは「日本旧記」の文面だから、同じ「日本旧記」 からの挿入である『書紀』神代巻を同じ概念で理解するのは当然だ。つまり、筑 前が筑紫国だったのである。
 今は、もっと突きつめてみよう。その中心が筑紫郡だ。今の博多駅から太宰府にか けての地帯である(現在の春日市をふくむ)。その南端、基山のそばには筑紫町もあ る(『延書式』に「筑前国御笠郡筑紫神社がある)。このような博多湾岸の東域(須 玖遺跡等を中心とする地域)こそ本来「筑紫洲」と呼ばれた原地域だったのである。  以上のように考察してくると、筑紫洲とは、意外に限定された地域である。すなわ ち、この国生み神話の本来の形(「日本旧記」)は、西日本一帯の先進地域、もしく は中心拠点である。しかも、それらはいずれも海に接した一地域・一地点なのである。
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