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366 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(19)
九州王朝の形成(3)
2005年8月18日(木)


 古田さんは、『記・紀』中に挿入された「日本旧記」の記事を解読することによって 九州王朝の初源の形を明らかにした。その「初源の形」は魏志倭人伝によっても確認する ことができる。

 わたしはその分析(魏魏志倭人伝の)によって、卑弥呼の国、邪馬壹国(やまいこく) が博多湾岸とその周辺に存在したことを知った。この博多湾岸とその周辺とは、御笠川 の流域(須玖遺跡、太宰府)および基山(きやま)および朝倉付近をふくんでいる。 今の問題は伊都国との関係である。

「(伊都国)世々王有り。皆女王国に統属す」

 ここで注目すべきは次の二点だ。

(一)
 女王国領域内で「王」有りとされるのは、この一国だけであること(「狗奴国王」は 女王の敵対者)。
(ニ)
 代々、博多湾岸なる女王国に「統属」してきている、として、両国の特殊関係を表記して  いること。


 ここで「統属」とはいったいどういう関係なのか、その意味を明らかにすることが 目下の問題の解明のポイントとなる。
 この語を通り一遍に「統合下に属する」と解しただけではその意味を十全に捉えたこと にはならない。ただこれだけの関係なら、女王国統治下の29ヶ国すべてがそうなのだから、 とくにこの伊都国だけのことではなくなってしまう。だが、伊都国は他の28国とちがって いた。「世々王有り。」なのだ。「王」が存在していて、女王国との関係が古来(三世紀 を「今」として)から継続してきている。いいかえれば、他の28国はより新しい段階で 次々と女王国の統治下に、討伐かあるいは帰服によって、編入されてきたことを示して いる。
 さらに、この「統属」の用語が実は『漢書』の次の用例を背景にしているという。

 属統(統ヲ属シ)、垂業 (業ヲ垂レ)、物鬼変化、天命之符、廃興何如(イカン)(『漢書』公孫弘伝)

 この「属統」は 〝トウヲツグ″ であり、〝血すじをうけつぐ″の意だ (諸橋轍次『大漢和辞典』)。「統、系なり」(正字通)、というように、「統」は 〝血すじ″の意味なのである。「血統」の「統」だ。
 つまり、伊都国は、他の28国とちがって、血すじの系列の上から、女王国につながってお り、そのため、みずから「王」の称号が許されているとともに、古えより代々女王国に所属 してきている、というのである。すなわち、ここには〝二国連合の伝統の古さ″が説かれて いるのである。このように、三世紀時点において、中国側の採取した「倭国の王朝史」、そ の史実は、先に「日本旧記」の物語るこの王朝の歴史的淵源の説話とピックリ一致して間隙 がないのであった。
 以上の分析から、九州王朝の歴史とその淵源が明らかとなってきた。筑前を本拠とし、 筑後を討伐してその傘下に収め、やがて九州一円に及んだのである。

 田油津媛(たぶらつひめ)の本拠、筑後山門は江戸時代、新井白石が邪馬台国の地に比定 してより、にわかに脚光をあびてくることとなった地である。しかし、田油津媛を討伐した のは、神功皇后ではない。九州王朝の神話時代の伝説的王者であった。
 したがってこの田油津媛の存在を卑弥呼の本拠地「山門」説と結びつけてイメージしてき た筑後山門論者は、大きな錯覚の中にいたのである。ここはいわば「被征服地」ではあって も、筑紫の王者の本拠地ではない。


  さて、この九州王朝の伝説的王者の事績が、『書紀』の編者によって「神功 皇后」の項に挿入されていた。なぜ「神功皇后」なのか。
 古田さんは言う。『この点からみると、この人物は「女王」だったのではないかと思わ れる。なぜなら、「卑弥呼・壱与」等の女王が神功皇后の項に挿入された、その第一の理 由もまた〝彼等が「女王」である″という一点にあったことは疑いないであろうから。』
 次はこの点を吟味することになる。
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