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365 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(18)
九州王朝の形成(2)
2005年8月17日(水)


 「(A)(B)(C)の三説話は筑後討伐譚か、九州東・南部討伐譚か。」という問に対する 古田さんの答はこうだ。
 思うにこの答えは容易である。後者である。なぜなら、筑前を原点にして筑後を討伐する場合、 三者が「舟で迎える」必要はない。全陸路の討伐だ。これに対し、九州東・南部討伐譚の場合、 筑紫(「御笠-朝倉」を中心とする)から周防の娑麼までの行路は舟だ。海路なのであるから (九州東岸各地の転戦にも舟が用いられたことであろう)。
 (A)(C)とも、例の発進地「周芳の娑麼」に来て「天皇」を迎えている。(C)の「磯津 (しつ)山」は北九州市と京都郡との間の貫山(芝津山)か、とされる(岩波、日本古典文学大系 本)。(B)は「穴門の引嶋」(下関市彦島)だが、これも近辺だ。筑紫から周防の娑麼に向かう ときの、重要な中継地(関門海峡)なのである。――こうしてみると、筑紫の「Ⅹ天皇」の九州 東・南部討伐軍に、この三者が舟をもって集い、前途を祝したことを示しているのである。

 このように分析し、原型を復元してみると、「日本旧記」中においては同一事件の冒頭を飾っ ていたはずの一連の説話を二つに分解して、それぞれ景行紀と仲哀紀に分配し、配置したこの 『書紀』の編者の手ロ ― わたしはそのあまりのやり方にやりきれぬ〝憤り″さえも覚えたのだ った。いかに〝近畿天皇家の威光″を示すために恰好な道具立てとはいえ、こんなやり方が許さ れていいものだろうか。

 さて、ふたたび冷静にかえって分析の手をすすめよう。
 以上の説話復元作業によって、わたしはこの説話が考古学上の遺跡発掘の事実と対応する理由 を知ることができた。これは九州王朝発展史の中の重要な説話であり、筑紫で成立した説話であ った。そしてその説話はしっかりした歴史的事実を背景にもっていたのである。
 それは、九州北岸が「三種の神器」の共同祭祀圏に属していたこと、しかも各地方の部族ごと に、微妙に名称や祭祀形式(配置方式)を異にしてそれぞれの個性を保っていたことである。ま ことにシュリーマンの示したのと同じように、「筑前なる共同祭祀圏」の原存在という点、説話 内容と遺跡の発掘事実とは、見事な相応と一致を示していたのである。


 古田さんの理路は、当然、「初源の九州王朝」へと向かうことになる。

 まず、筑前と筑後の関係を考察している。筑前は相和した共同祭祀圏であるのに対し、筑後は 討伐の対象となっている。これは筑紫の王の本国は筑後ではなく筑前であることを示している。
 さらに古田さんは説話に現れる「熊」という語に注目する。

筑後の討伐の対象は「羽白熊鷲」で「熊」がついている。また、九州東・南部の討伐説話では 主たる討伐目標は九州南部(鹿児島県)の「襲(そ)の国」だった。そしてここが「熊襲」と 呼ばれていた。このような例から古田さんは、『異域、討伐の対象といった場合、これに「熊」 を付して呼んだようである』と推定している。
 ところで、筑前の岡県主が「熊鰐」と呼ばれている。同じ筑前の県主でも岡県主熊鰐と伊覩 (いと)国の五十迹手(いとて)とでは大きなちがいがあることになる。前者は「熊」つきであ り、後者はそれがないのだから。
 そこで古田さんは『伊覩国の五十迹手は、「Ⅹ天皇」(御笠-基山・朝倉)と、地理上、祭祀上、 血縁上においてもっとも親近した、古くからの連帯関係にあったのではないか、と思われるのだ。 すなわち、「博多湾岸とその周辺-糸島郡」原初連合国家の存在である。』と二国連合国家と いった形態を推定している。
 この二国連合の形態は、「景行の熊襲遠征説話」の中にも現れていると、次のくだりを引 用している。

 残賊なる者有り。一に鼻垂(はなたらし)と曰ひ、妄(みだ)りに名号を仮し、山谷に 響(おとな)ひ聚(あつま)りては菟狭(うさ)の川上に屯結(いわ)めり。 二に耳垂(みみたらし)と曰ふ。残賊貪婪、しばしば 人民を略す。是れ御木(みけ)の川上に居す。(景行紀12年9月)

 これについて、次のように論考を進めている。

 これは神夏磯媛が、景行天皇に報告する大分県内の四人の敵対勢力の中の、最初の二人だ。こ の「鼻垂」「耳垂」について、岩波、日本古典文学大系本は「はなたり」「みみたり」と読み、つ ぎのように註解を付している。「鼻垂は、大きく鼻が垂れる意か。次行の耳垂は、大きく耳の垂 れる意」と。しかし、「垂」は「たらし」あるいは「たりし」であり、たとえば、神功皇后の気 長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)の「タラシ」と同形であろう。
 さらに「鼻」は、実は「花」だ。つまり「花足らし」、この名は〝花のいっぱい咲き満ちた″ という意味の美称である(神夏磯媛と同じく、女王であるかもしれぬ)。その上、先にのべたよ うに、自立して「仮授権」を行使していたのである。それを「残賊」つまり敵対者であるため、 このような「卑字」で表現したものと思われる。
 同様に「耳垂」(みみたらし)の「耳」は「天忍穂耳尊」(アメオシホミミノミコト、天照大神の子) などと同じ尊称「ミミ」である。また『三国志』魂志倭人伝では、投馬国の長官を「弥弥(みみ)と曰 う」と記しているのである。
 すなわち、筑紫の王者の討伐をうける以前は、この「鼻垂」「耳垂」の両者は相結んでこの地 方に君臨していた主権者であった。そしてここにもやはり、「二国連合国家」の形態があらわれ ているのである。この時期の国家形態の、一つのタイプだったのではあるまいか。そして筑紫の 場合、「筑前二国連合」という中心地の上に立っていたのが、この「Ⅹ天皇」だったわけである。
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