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333 「日本」とは何か(25)
ヤマト王権の出自(4)
2005年7月16日(土)


 「第330回」(7月13日)で紹介したように、梅原さんは記紀神話には 歴史的な投影があるという仮説のもとにヤマト王権の祖先を南九州から 大和に侵略してきた種族だと考えている。この問題をもう少し 追ってみる。

 久しぶりに本屋をのぞいたら「歴史としての天皇制」という本が眼にとま った。その中に書名と同じ「歴史としての天皇制」というテーマでの網野さん と吉本さんの対談が収録されている。川村湊さんが司会役ということで参加 しているが、むしろ鼎談といったほうがよいだろう。その鼎談がもたれたのは 1987年で、「対話・日本の原像」の一年後ということになる。
 その鼎談の中に次のような興味深い話がある。

吉本
 ぼくは高千穂というところに行ったことがあるんです。車で3時間も4時間 もかかる山のなかへ皇族というのが参拝に来ていて、記念の植樹とかあるん です。だけども、なんとなく、おおっぴらには参拝に来たことを、言えない みたいなところもあるんですね。
 なぜならば、おおっぴらに高千穂神社に参詣したと言っちゃえば、神話 のなかの、自分たちの出自はあそこらへんの縄文中期に栄えた山のなかの 村落にあったんだと認めたことになっちゃいますからね。天皇制がさ。つ まり神話のとおりに、自分たちの祖先は南九州の山のなかの縄文時代の村 落がたくさんある、そういうところが出自だとおおっぴらに認めることに なるわけでしょう、間接的に。
 だから、ぼくはなんとなく、これはひっそりと来ているなという感じを 持ったんです。それはとても面白かったですね。あれは、ひっそりと参詣 に来て、ちゃんと何々が来た、記念のなんとかと、ちゃんとあるからね。 だから、ひっそりとは、ちゃんと参詣しているんですね。
 それは神話にそう書いてあるから、なんか自分たちの祖先はあそこだと いうふうに、一応なっているんじゃないでしょうか。ひそかになっている んじゃないですか。でもそれをおおっぴらにしたら、別になんてことはな いじゃないか、おまえの祖先は田舎の山の奥の奥の縄文人だったんじゃな いかっていうことを認めたことになるわけでしょう。
 しかしみんな来てるなというのが、ぼくの印象で、とても面白かったで す。

川村
 「象徴天皇」のなかに出てますが、瓊瓊杵尊(ニニギ ノミコト)の陵なんてのもちゃんとあるらしいですね。

吉本
 みんなありますよ。ちゃんと対応関係は皆ありましたね。ちゃんと それは出来ているんですよ。

川村
 やっぱりほんとうに神話のなかの天皇なんですね。

吉本
 これまた考古学者の仕事なんでしょうけども、とにかく大規模な縄 文村落の発達したところですから、もちろん可能性だってあるわけだし、 出自だという象徴的必然はあるわけなんですよ。
 だけど、それをほんとうに認めたら、別になんていうことじゃない、こ の人たちは、ということにも、なってしまいます。
 つまり、畿内にきて初期王朝を築いたみたいなところにきちゃえば、 堂々たる中央の大きな王権のはじめなんだということを言えるんだけど、 しかし、もともとはあそこだったんだということを認めたら、それはどう ということはないわけです。
 ぼくの印象はひっそりと来てるなという感じです。
川村
 何とかの別荘に行くときには新聞に出るけれども、そういうときは 出ないですね。

吉本
 出たらおかしなことになりそうな気がしますね。別におかしかない んだけど、日本人の先入の印象とはぜんぜん違っちゃうみたいなことにな り、イメージダウンにつながります。


 この対話によれば、天皇家はまじめに(?)神話を歴史的事実と考えて いる、あるいは歴史的事実とみなしたがってる。ならばなおさら記紀神話を タブーにしてはいけない。梅原さんが言うように記紀の神話に歴史的な投影 があるのなら、それを徹底的に解明することは天皇制を相対化あるいは無化 する上で重要な課題だと思う。
 神話はヤマト王権のふるさとが高千穂の山の中の一集落だと語っている。 そしてどこから来たにせよ、畿内に侵略してきてうち立てたヤマト王権の初 期の大王もたかだか一地方の首長に過ぎないだろう。こういうことも検証できれば その意義は大きい。
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