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331 「日本」とは何か(23)
国家神道
2005年7月14日(木)


 話題は再度、精神文化とくに信仰や祭祀の問題が取り上げられる。まず神道について梅原さんが自論 を展開している。その根源を縄文時代までさかのぼれる宗教としてとらえている。
 日本の土着宗教は二度、国家による大きな変化を受けた。一度は律令時代、もう一度は明治以後。 ふつうわれわれが神道と考えるのは律令神道で、これも当時としては大変新しいものだったのではな いだろうか。国家を造っていく場合に、「要らないやつは祓ってしまおう。そして、心の悪いやつを 改心させよう」という、祓い禊の神道ですが、これもそれほど古いものではないと思うんです。あの時 代、7,8世紀に、むしろ道教などの影響を受けながら作られたものだと思います。

 ちょうど明治以後の国家神道が、ヨーロッパの国家主義を伝統宗教で受け止めようとして生ま れたように、律令神道も律令国家建設という大きな歴史的課題のもとで、道教を神道の伝統と結 ぴつけてつくりだされたものだと、僕は考えるのですね。


 この観点から、政治家たちが政治的に利用して日本の伝統と妄言している「靖国神社」について、 次のように述べている。
 靖国神社にしても、あれは日本の国のために死んだ人だけ祀っているんでしょう。ところが、 日本の神道の本来はそうじゃないですよ。自分たちがやっつけたほうを祀っている。それのほう が恨んでいるわけですから、それの鎮魂をする知恵なんです。だから敵を味方にする知恵ですね (笑)。自分のほうだけ祀るのでは、昔の敵はいよいよ恨みを深める。これは、日本民族の知恵と 反対のやり方だ。だから僕は、明治の国家神道は、ほとんど外来のものだと思うんですよ。

 では国家による作為を受ける以前の土着宗教はどんなものだったのだろうか。
 日本の土着宗教の最も基本的な哲学は、やはり霊の循環という考え方じゃないかと、この頃思う んです。人間の生まれてくるのは、霊が肉体に宿ることから始まりますが、その霊がやがて肉体を 離れて天に帰って行く。すぐには天に行けないから山にゆき、そこで清められてから天に行く。そ して天に何十年、何百年いて、またこの世に還ってくる……。これは人類が自分の住んでいる世界 を考える場合、すべてそういう循環の理に従っていると考える。太陽が朝昇って夜没する。そして 次の朝また出てくる。太陽も生きて、死んで、また復活してくる。月が満月になったり欠けたりす るのもそうだ。植物も春夏秋冬と生死のリズムを繰り返す。昆虫も同じである。そういう循環する 世界を見ていたら、人間の霊魂も、一度天に昇って、また還ってくると考えるのは、きわめて自然 でしょうね。
 その霊魂が人間・動物・植物みんな共通で、そういう生死の輪廻を無限に繰り返しているとい う世界観は、旧石器時代の人類に共通したもので、とくに狩猟採集文化が後代まで続いた日本で は非常に色濃く残っているのじゃないか、といまは考えているんです。

 神道の本質は基本的にはそういう思想にあるんじゃないかと、この頃考えているんです。で、僕は そういう考え方がだんだん好きになってきたな。死んで地獄へは行きたくないけれども、極楽へもあ んまり行きたくはない(笑)。極楽を考えるのは、よっぽどこの世で恵まれてない人間ですよ。向こ うへ行ったら、今度は腹いっぱい食べて女にもてたいと思っている。死後の地獄極楽という考えの中 には、この世はどうにもならない悪の里だという考えがある。(笑)
 ところがキリスト教のようになってくると、イエスが再臨して、最後の審判がある。そこで良 いものと悪いものが二分され、裁判される。これはニーチェのいうように復讐心の末世への投影 である。仏教は少しちがうが、やはり地獄極楽に分かれる。キリスト教や仏教の世界観は、厳し い階級社会から生まれてきたもので、どうも日本人の本来もっている世界観のそれとは違う。死 んでも、ときどきはお盆やお彼岸には孫の顔を見に還ってきて、あんまり邪魔しないで三日ほど で帰っていって、何十年、何百年、天に留まって、また子孫に生まれかわってこの世に還ってく る……。こういう世界観が、だんだん好きになってきました。

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