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327 「日本」とは何か(19)
天皇制の古層(7)
2005年7月10日(日)


  数学の授業をしていたとき、数学の歴史の話しをする機会がよくあった。ピタゴラスとか ユークリッドとかアポロニュウスとか特に古代ギリシャの数学者を話題にするとき、私は 必ずといってよいほど同時代のヤポネシアはまだ縄文時代だったことを指摘していた。こうし た知的な到達点の落差を、どちらかというと、自嘲的に語っていたように思う。いわゆる 進歩史観にとらわれた価値観を披瀝していたことになる。いや、このような心情も一種のナショナリズ ムと言えそうだ。
 次のような梅原さんの考え方に触発されて、このような本来のテーマとは関わりのないこと を思い出した。
、農耕があると富の蓄積がきくわけですね。狩猟社会というのは絶えず移動していますから、富 を一カ所に貯蔵することはなかなか困難ですね。だから例のオオクニヌシノミコトが袋を背負っ ていくというのは、狩猟民族の移動方法を示しているのではないかと私は思います。
 獲物があった場合でも食べられない分は腐ってしまいますから、自分だけ一人占めにすること はできないだろうし、部族の全部に分ける――そういう、非常に共産主義的な社会だったと思い ます。

 ところが農耕が発明されて、富の集中が可能になり、そしてそこから国ができる。国ができれ ば国家を統一する大宗教、世界宗教が出てくる。そして巨大な神殿ができてくる。それからそれ に対して必ず文字が出てくる――ということになると思うのですが、縄文文化というのは、そう いう意味でいうと、すでに世界の他の地区にそういう大文明が出現しているのに、一時代前の生 産方法のもとにかなり精神的に高い文化を発展させた特殊な文化であったと思いますよ。

 日本では農耕の成立が遅れ、巨大な国家の出現が遅れたために、富の集中する社会が出てくる のがたいへん遅かった。それから文字の出現も遅かったと思いますが、それはいいことではなか ったか、といま僕は考えているんですよ。

 国家のできるのが遅かったからよかったという考え方です。巨大国家が造られたときは富の集 中があって、階級社会ができて、うんと金持と貧乏人の差ができる。そういうところから生ずる 人間の心の歪みがたいへんきつい。そのきつい歪みを世界宗教が反映しているのではないかと、私 は思うんです。


 縄文文化は、巨大国家や大文明は生み出さなかったが、それはむしろよいことだったのだと言っ ている。大文明の代わりに「精神的に高い文化を発展させ」ていた。現代の人類が陥っている陥 穽から人類を救い出し人類の未来を開くための新しい思想あるいは倫理を創出する手懸りが、 縄文文化を発掘・考究することによって得られるのではないか。梅原さんと吉本さんの対話から、 こんな壮大なモチーフが浮かび上がってくる。

 さて、いきおい、お二人の話題は「日本国」ということになる。
 梅原さんの要請に従って、吉本さんが「共同幻想論」のモチーフと方法論を次のように語って いる。「第323」(7月6日)で一度話題になったことで重複するきらいがあるが、より詳しい論述 になっているので引用する。

吉本
 制度的というか、政治的というか、そういうところから考えると、日本人の歴史と、日本 国家、つまり初期の大和朝廷成立以降の国家らしい国家が農耕を基礎にしてできあがったことは 同じではありません。つまり日本国の歴史と日本人の歴史は違って日本人の歴史の方がずっと古 いわけです。それこそ縄文早期、あるいはもっと前から始まっているかもしれませんから。日本 人の歴史と日本国の歴史――もっといえば天皇家の歴史とを全部同じものとして見るのは不当で はないかという感じ方はあったのです。
 だから、天皇家の始まりが日本国の始まりというのはまだいいとしても、天皇家の始まりが日 本人の始まりだ、というのは少なくとも違うから、日本人の歴史というところを掘り起こしてい けば、天皇家を中心にしてできた日本国家の歴史のあり方を相対化することができるのではない かということが問題意識の一番初めにあったわけです。

 網野さんの厳密な定義に従えば、日本国成立以前には「日本人」はいなかったことになるが、 吉本さんが「日本国」と「日本人」とを使い分けている意図が網野さんの問題意識と同じであることは 言うまでもないだろう。吉本さんは「日本人」という語を「日本国の国制の下にある人間集団をさす言葉」 として用いているのではない。ヤポネシアを「日本列島」と呼ぶときと同じで、吉本さんがこの文脈で 「日本人」というときの「日本」は国名ではなく地名を表していると考えてよいだろう。
 不要な解説だったかもしれない。吉本さんの発言の引用を続ける。
 ですから初めの頃、熱心にやったのは、天皇家の即位の仕方とか宗教の作り方というもの――僕は主と してそれを琉球・沖縄をみて、沖縄にずっと後まで、十世紀以降まであった聞得大君 (キコエオオキミ)という女官の制度的な頂点にいる、宗教を司る女性たちの即位の仕方と比べ ると、たいへん似ているところがあるのではないか、そこを知ろうとしました。
 『共同幻想論』の中では何を考えたかというと、能登半島などの田の神が来訪してくるという田 の神の儀式と、大嘗祭の神事のやり方とがわりあい似ているのではないか。同じ型があるのでは ないか――それを調べて研究すると、日本人の歴史という問題と天皇家の成立以降の国家の歴史、 あるいは天皇家の祭儀や祭の中に残っている制度的な名残りなどを類型づけられるのではないか というふうに考えて、初めはそんなことばかりつつき回していたように思います。

 初期の天皇家が大和盆地に入ってきて、そこで地域国家らしきものを造っていくときの信仰の ありかたは、沖縄の聞得大君の即位のときの信仰のやり方と似ていて、いずれもはっきりいえば 一種の巨石信仰あるいは樹木信仰みたいなもので、その巨石や樹木、あるいは小高い丘の頂点か ら神が降りてくるという感じがあって、それは同じ類型づけができるのではないかと考えたんで す。
 それが、天皇家あるいはもっと普遍化して農耕民に特有な信仰だったのか、あるいはそれ以前 からあった信仰を継承したのか、そこがわからないから、初めは農耕民のいちばん古い祭の仕方 を、天皇家が大和盆地で継承して最初にやったのだと考えたのですけれども、後になるにつれて、 それは前からいた先住民の信仰ではないのかと思えるようになってきているんです。でも本当は、 そこがよくわからないんです。
 つまり初期の天皇をみていても、相続は少なくとも長子相続ではない。しかし婚姻になるとい つでも姉と妹がいて、入婿的で、女系的な匂いがするのは確かです。そうすると、そこのところ はどういうふうに理解したらいいか。つまり宗教的な為政と、現実に一族のあり方としてとって いる相続の形とがどうしても混合していて、よくわからないというのが問題です。

 これと異質なのは、縄文時代からの狩猟民的な祭式といわれる、諏訪湖のほとりの諏訪神社の 祭のあり方と相続の仕方です。あれは男系の子どもを連れてきて、何十日かその子どもを籠らせ たあと、岩盤みたいなものの上で相続の儀式をする。それは一種の生き神様の役割をさせるとい う形で、大和朝廷が近畿地方、大和盆地でやったやり方とちょっと違うんですね。

 それと、瀬戸内海の大三島神社の古くからの相続の仕方――河野氏の祖先でしょうけれども  ――あのやり方が、兄が生き神様を相続して、それは生涯結婚できず子孫を残すことかてきない ことになっていて、弟が支配するという形を強固に保ってきた――わずかにその二つぐらいが異 質だということがわかっていた。

 江上(波夫)さんのいうように、もし大陸からやってきたのが天皇家だというのならば、その とき大勢の原住民がいて宗教的な形態も決まっていた、そこに支配的な民族が土着の人たちより 少人数という形で入ってきた場合に、自分たちの宗教を押しつけるものなのか、あるいはそこに 元からあったものをうまく使うのか――僕は、そこのあたりの解明がとても重要ではないかとい う感じがします。

梅原
 記紀の記事を尊重すると、神武天皇の次に重要なのは崇神天皇でしょう。神武天皇も崇神 天皇も、どちらもハツクニシラススメラミコトといわれている。どうして二人に同じ名前をつけ たのかという問題が生じてくるけれども、政治支配は神武天皇から始まっている。記紀の記述に 従って南九州からやってきて、巨大な統治政権を固めたのが神武天皇だとすれば、それの宗教的 な基礎を固めたのが崇神天皇であるということになる。そういう意味で崇神天皇が神武天皇とと もにハツクニシラススメラミコトと呼ばれるのだと思います。

 崇神天皇の時代に疫病がはやってたいへん多くの人が死んだことがある。どうして疫病がはや るのか占ってみたら三輪の神様が崇っている。そこで三輪山の神様の子孫であるオオタタネコを 見つけ出して三輪山を祀らせたら、疫病はおさまって日本の政治はうまくいったという記事が 『古事記』にも『日本書紀』にも出ているんです。
 これは、神武天皇以後九代までの天皇が向こうからもってきた、近くは南九州、その前はおそ らく朝鮮半島からもってきた宗教で交配しようとしたけれどうまくいかない。そして世の中がい ろいろ乱れたので、結局、先住民が信仰していた宗教を祀ることによっておさまった、というこ とではないかと私は解釈するんです。三輪山の宗教が縄文時代までさかのぼるものか、それとも 弥生時代に始まるものか、これまた難しい問題ですが……。

 一応、日本の国を考えるときに、言語だの宗教だのはだいたい土着のものを基本にして、それ を継承したのではないか。そうしないと、少数の支配者が多数の被支配者をうまく治めることは できないだろうと、そう考えているんです。

 それでは先住民、縄文住民の宗教はどうであって、弥生初期にどう変って、再びいまの天皇家 の祖先が来たときにどう変ったかということはなおわからない。私は、いわゆる神様が山の峰に 天降って、それが現在の支配者の祖先だという考え方は、天皇家が大陸のほうからもってきた思 想ではないかと思っていました。ところがそれもやはり、それ以前の縄文時代の人たちがすでに もっていた考え方ではないか――沖縄やアイヌの例もあって――そういうふうに今は考えて おります。
 アイヌでもかれらの祖先が降った山が必ずあるところを見ると、天上から神が降臨すると いうのがアマツカミ渡来農耕民の考え方であるとはいえないようです。

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