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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
326 「日本」とは何か(18)
天皇制の古層(6)
2005年7月9日(土)


 サンカの誰かが里に下りてきて、古事記あるいは日本書紀を読む機会をもった。その中の 「ヤクモタツ・・・」という歌を知り、自分流に解釈しなおしてサンカ社会に流布した、な んてとても考えられない。とすると「ヤクモタツ・・・」の歌は古事記の編者が伝え聞いた 伝承と同じ発祥のものを、古事記編纂の時代よりずっと古くから、古事記とは無関係に、 サンカの祖先の社会に伝承され、今日まで伝えられてきたと考えるのが自然だ。そういう点 からもサンカの人たちが解く解釈の方が確からしい。

 サンカの人たちは出雲族を誇示しているという。出雲族というのは歴史的な信憑性のある 種族だろうか。
 出雲神話はまったくの作り話だというのがこれまでの通説だが、梅原さんはこの通説にも疑問を 呈している。

 実はこの間、出雲にすばらしい銅剣がたくさん出たので見に行きました。銅剣が356本。 これは今まで日本全土で出ているより多い数です。それに銅鉾が16本、銅鐸が6個――ちょっ と日本の古代史を書き換えなくてはならない。われわれもそうですが、長いこと「出雲神話」は フィクションだと考えてきた、これは津田左右吉に影響された日本の古代史家が一様にもってき た考え方です。
 ところが、「出雲神話」の中心地である斐伊川の近くの、ほんの小さい丘からそれだけのもの が出てきて、国譲りの話をそのままあらわしているようなことになってきた。
 それから、和辻哲郎の銅鐸文化圏、銅剣・銅鉾文化国の対立で弥生文化を、近畿文化圏と北九 州文化圏の対立と考える図式もすでにおかしくなってきましたが、この荒神谷遺跡の出現でもう 一度大きく問い直されなければならなくなった。
 そこで、どうしてそんなものがそこに埋められていたか、いろんな説が出ていますが――最 初、銅鐸を使って地の祭をしていた。ところが今度は太陽を祀る宗教になったから、要らなく なって埋めたという説が有力のようですが、埋めたにしては数が多すぎる。それと同時に、地 の神から太陽の神へと、そんな簡単に信仰の対象が移るものかどうか。どうにもうまい説明が つかないんですね。私はこの遺跡がヤマトタケルと関係する記紀や『風土記』のタケルべの里 であることを考えて、やはり出雲権力の大和権力への降服儀式ではないかと思いますね。

 「発掘・日本の原像」がこの神庭荒神谷(かんばこうじんだに) 遺跡に関連した記述をを書き出してみる。

  島根県松江市に弥生時代の戦場跡らしい遺跡がある。田和山遺跡という。この田和山の西約 40kmに出雲大社、約17km西南西に神庭荒神谷と加茂岩倉の両遺跡がある。
 この田和山遺跡は標高46mの丘陵にあり、2100年あまり前の弥生時代前期後半につくられ、200 年ほど続いた不思議な遺跡だという。まるで砦か、聖地のようだという。人が住んでいた形跡はない。 こんな弥生遺跡はきわめて珍しい。見晴らしの良い丘陵に、倉庫にしてはあまりにも小規模、しか も厳重な防衛態勢をとって営まれた形跡が濃い。いったいどんな施設だったのだろうか。神庭 荒神谷遺跡はこうした周辺の遺跡とも関連して考えなければいけないだろう。

 神庭荒神谷遺跡から大量の銅剣、銅鉾、銅鐸が発掘されたのが1984年。梅原さんがそれに 注目して上記のような発言をしたのが1986年のこと。その後、1998年には吉野ヶ里遺跡 から九州初の銅鐸(高さ約26cm)が発見されている。さらに99年6月、これまで6種類以 上の鋳型が出土している大阪府茨木市東奈良遺跡から、朝鮮式小銅鐸と日本式銅鐸双方の特 徴をもち、「日本式が考案される過程でつくられた祖形のひとつで、絶滅してしまった型の 遺物」ともいわれる古い銅鐸(高さ14.2cm)が出土している。同じ年の9月には奈良県田原 本町の唐古・鍵遺跡で、類例のない文様の銅鐸鋳型が見つかった。このように近年、銅鐸関 係の新発見が続いている。しかし、鋳型が見つかった約35ヵ所のうち、30ヵ所を近畿地方が 占めている。

 このため、春成秀爾・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は「近畿に銅鐸の中心部があったこ とは依然、揺るがない」という。そして「高度で繊細な技術やデザインなどから見ても、銅鐸は 当時の地域集団にとって、格別なものだった。とても対価を支払って入手できるものではなく、 製作も限られていた。贈り主と贈られた相手の間には、半永久的に従わざるを得ないような関係 ができたに違いない」とし、社会統合の象徴とも考えている。

 銅鐸はこれまで、その用途や埋納目的に関心が向きがちだった。奈良国立文化財研究所は、加 茂岩倉銅鐸の原料産地などの科学分析を始めている。詳しい分布状態や製作推定地、兄弟関係な どから、銅鐸の「動き方」が解明されれば、ここからも弥生社会の実態が見えてくるだろう。

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