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310 「日本」とは何か(4)
「日本」という呼称について(3)
2005年6月23日(木)


 今回は、国号として「倭」や「やまと」ではなくなぜ「日本」が選ばれたのか、という問題 を取り上げよう。

 この問に対して誰もがすぐに思いつくのは7世紀初頭に遣隋使が持参した倭王の国書に書かれて いた次の文言だろう。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」
 今国書に対して、時の皇帝・煬帝(ようだい)は機嫌を損ねている。
「蛮夷の書、無礼なる者有り、復た以って聞する勿れ」
と言ったと伝えられている。(隋書倭国伝)

 これについて、網野さんは次のように解説している。
しかしこの国号は、西郷信綱氏や吉田孝氏の指摘する通り、太陽神信仰、東の方向をよしとする 志向を背景としており、中国大陸の大帝国を強烈に意識した国号であることは間違いない。 「日本」は「日の本」、東の日の出るところ「日出づる処」を意味しているが、いうまでもなく それは西の中国大陸に対してのことであり、ハワイから見れば日本列島は「日没する処」に当るこ とになる。

 これに次いで、この国号について過去に行われてきたいろいろな議論が紹介がされている。 私には初めて知ることばかりで、大変興味深く読んだ。少し長いがそのくだりを全文掲載する。
この国号については、平安時代から疑問が発せられており、承平6(936)年の『日本書紀』の 講義(『日本書紀私記』)において、参議紀淑光(さんぎきのよしみつ) が「倭国」を「日本」といった理由を質問したのに対し、講師は『隋書』東夷伝の「日出づる処の 天子」を引いて、日の出るところの意と「日本」の説明をしたところ、淑光はふたたび質問し、 たしかに「倭国」は大唐の東にあり、日の出る方角にあるが、この国にいて見ると、太陽は国の中 からは出ないではないか、それなのになぜ「日出づる国」というのかと尋ねている。これに対し講師 は、唐から見て日の出る東の方角だから「日本」というのだと答えているが、岩橋小弥太氏も 「よほど頭の善い人だった」と評しているように、この淑光の質問はみごとにこの国号の本質を衝い ているといってよい。

 このように、この国号は「日本」という文字に則してみれば、けっして特定の地名でも、王朝の創 始者の姓でもなく、東の方向をさす意味であり、しかも中国大陸に視点を置いた国名であることは間 違いない。そこに中国大陸の大帝国を強く意識しつつ、自らを小帝国として対抗しようとしたヤマト の支配者の姿勢をよくうかがうことができるが、反面、それは唐帝国にとらわれた国号であり、真の 意味で自らの足で立った自立とはいい難いともいうことができる。

 それゆえ、穏健なナショナリストである岩橋小弥太氏は、この解釈をとると、自分が左の人からは 右さん、右の人からは左さんといわれることになり、「分裂症」的になるとして、ヤマトの枕詞に 「日の本」とある点に着目、そこに国号の淵源を求めている。しかし吉田孝氏のいうように、『万葉 集』の中で「日の本」がヤマトの枕詞となったのは一例しかなく、しかもそれは「日本」という国号 の決ったのちであり、岩橋小弥太氏の説は成り立ち得ないであろう。

 この国号はまさしく「分裂症」的であり、中国大陸から見た国名であった。紀淑光の疑問はその点 を的確についたのであるが、それより前、延喜4(904)年の講義のさいにも、「いま日本といって いるのは、唐朝が名づけたのか、わが国が自ら称したのか」という質問が出たのに対し、その時の講 師は「唐から名づけたのだ」と明言している(『釈日本紀』)。実際『史記正義』という大陸側の書に は、則天武后が「倭国を改めて日本国」としたとあり、そうした見方も早くからあったのである。

 もとよりこれは『旧唐書』の記事などから見て明白な誤りであるとはいえ、平安時代中期、すでに こうした誤解が学者の中にも生れている点に注意すべきで、それは「日本」という国号自体の持つ問 題であったといわなくてはならない。それゆえこれ以後、岩橋小弥太氏が「皆てんでんに勝手なこと を主張していたようにも思われる」と慨歎したように、国号をめぐる議論は錯綜をきわめている。

 その中で江戸時代後期、この国号を「大嫌い」といった国家神道家が現われた。幕末、尊王攘夷論 によって知られた水戸学者東湖の父藤田幽谷の書簡に、「日本国号」について近ごろさかんに議論 があることにふれた一通があり、その中に「一種の国家神道を張」る「会津士人佐藤忠満」の「一奇 談」として「日本の号ハ唐人より呼候を、其まゝ此方にて唐人へ対候て称する所のみ」と主張する 佐藤が「国号を申候事、大嫌之様子」と記されている。幽谷はこれに対し、佐藤のいう通りだが、 唐人から呼ぶなら「日(×)」というだろうが、 「日(×)」の字を用いた点に「倭人」らしさが見えるから、 この国号は「此方」で建てたことは間違いないと答えたが、これは佐藤の方が筋が通っており、幽谷 の答えはこじつけといえよう(この書簡については長山靖生氏に教えていただいた)。

 最後に次のように、「日本大好き」右翼を皮肉っている。
 このように、後年の「国粋主義」につながる人が「日本」という国名を「大嫌い」といっており、 それはそれなりに筋が通っている。1996年、NHKの人間大学で「日本史再考」というテーマで 放送したとき、かつて一部の支配者がきめたこの国号は、われわれ国民の総意で変えることができる とのべたところ、「日本が嫌いなら日本からでてゆけ」という警告のはがき、手紙をいただいた。し かしこうした立場に立つ人々こそ、さきの「国家神道家」の「筋の通った」主張を継承し、「日本」 を「大嫌い」というべきであろうし、中国大陸側に視点を置いたこの国号など、ただちに変更すべし という運動をおこされるのが当然だと思う。私自身は、本書のように、千三百年続いたこの 「日本」の徹底的総括を不可欠の課題と考えているので、もとよりそうした運動にただちに与する つもりはなが。
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