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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
307 「日本」とは何か(1)
しりとり式迷走談論のはじまり
2005年6月20日(月)


 日本の支配階層とそのちょうちん持ちたちが推し進めている「共同幻想」面での戦略を一言で 言えば『「日本の伝統」や「日本の文化」を強く押し出し、正しい「日本の歴史」=「皇国史観」 を復活させ、「日本人としての自覚」=「愛国心」を励起し、非国民を排除する。』となろう。 (一言にしては、ちょっと言葉が多すぎたかな。)
 かれらが「国民の歴史」を僭称するなら、私たちは「非国民の歴史」を掘り下げることによって 「日本」という「共同幻想」をその根源から批判し、「国民の歴史」という虚偽と詐術の基盤を打ち崩す ほかはない。
 と考え、ためらいながら表題に『「日本」とは何か』と書いた。ためらうのは問題が大きすぎるから である。今までと同じくいろいろな人の「言葉」を借りて考えていくしか私には方法がないのだが、 今度はまるで構想が立てられないでいる。取り上げたい事柄は多岐にわたる。いま手元に集めた本は8冊。 進行に従ってまだ増えるかもしれない。そこでやぶれかぶれの見切り発車をすることにした。構想が立て られないのなら「しりとり式」に、その都度思いつくままにあっちいったりこっちいったり、気ままに 進んでみよう。どのくらい続くか分からない。もしかすると何度も中断するかもしれない。 あるいは2,3回で行き詰るかもしれない。
 言い訳はこのくらいにして、早速はじめよう。

 私は「第253 日本のナショナリズム(6)」(4月25日)で次のように書いた。

 『吉本論文は、唱歌を素材にしている関係上、明治末期から説き起こしている。それに対して色川論 文はまず国家成立以前にまでさかのぼって風土的・歴史的条件によって培われてきた日本人の自然思 想や生活思想の特性を俯瞰する。その上で幕末期の知識人のナショナリズム、維新期・明治初期の支 配者のナショナリズムを論考し、次いで自由民権運動期の大衆ナショナリズムへと論を進めている。
 江戸時代の知識人のナショナリズムがどのように維新期・明治期に継承され、近代日本国家の形成に どのように関わり浸透していったかという問題は日本のナショナリズムを解明する上で一つの重要な 与件だが今はそれは割愛し、吉本論文と重なる論考部分を読んでいきたい。』

 「日本と何か」を、この割愛した部分から始めたい。
 日本は四面環海の島国である。しかもユーラシア大陸の絶東にあり、モンスーン・アジアの温暖な気候 にめぐまれ、日照と降雨に富み、農作物はゆたかにみのり、港の幸・山の幸にかこまれ、その中だけで 十分に自給自足できるという文字通り〝豊穣の島″であった。しかも、他からの侵略の恐れがほとんどな いという稀なる孤島であった。
 大陸の各地から、沿海の北から南から、ながい人種戦争ときびしい自然の中での生活に疲れ、至福の大 地を求めてここに終着し、定住した人びとは、どんなにこの和やかな楽園を愛し、神々に感謝したことで あろう。(北方寒冷地や中央アジアの乾燥地帯に住んだ人びとの眼には、この大和こそ 天地(あめつち)のさきわう国、理想の地として映ったことであろう。) そうした移住民の喜びと賛歌とオプティミズムとが『古事記』の神代の巻などには溢れている。
 この島では階級間の争いはあれ、生命の連続が根こそぎ断ち切られるということはない。(種族み な殺しになるような異民族の侵入は、13世紀のモンゴルの来襲の例外をのぞいて、ただの一回もない。) 〝時″は命の勢いそのままに永遠につづくものであって、この島の民はついに絶対否定の外的契機を 知らない。産霊(むすび)の神はたえず生産をくりかえし、人びとはそれを 産土(うぶすな)(やしろ)にまつり、共同体 をつくって祖霊とともに永劫にこの大地で栄えようとねがった。来世も死も彼岸の外来観念も人びとを 虚無的にはしなかった。命は永遠で、永遠はこの今にあると思惟されてきた。その「歴史的オプティミ ズム」ともいえる信念は固有信仰となって、2000余年、いくたの世界宗教と習合しながらもヤドカリの ように一貫して生きつづけ、日本人の自然思想や生活思想の根を培ってきた。吉本隆明のいう土着的な 大衆「ナショナリズム」の原基も、歴史を遡ればじっにここにまで到るのである。

 問題点を二つあげることができる。一つは「日本は四面環海の島国」であるのは確かだが、「稀なる孤島」 だったのだろうか。
 二つ目は「産霊(むすび)の神はたえず生産をくりかえし、 人びとはそれを産土(うぶすな)(やしろ)に まつり、共同体をつくって祖霊とともに永劫にこの大地で栄えようとねがった」という記述から浮かび 上がるイメージは「その中だけで十分に自給自足できるという文字通り〝豊穣の島″」いわゆる 「瑞穂の国」=「農業国」だが、「日本人の自然思想や生活思想の根」は、はたして農業だろうか。
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