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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
298 日本の支配者は誰か(5)
労働組合運動と天皇の権威の低下
2005年6月11日(土)


 「戦前にはなかった明らかな変化と希望の芽」とは労働組合運動と天皇の権威の低下 である。

 官僚権力の復権に対しては、下級官僚を中心とする官公労の運動を対置することができるだろう。 当時の組合運動の状況は次のようであった。
 現在の段階において、もしも官僚の民主化がカッコなしでおこなわれ、そこに公僕意識のごとき ものが生れるとしたら、その現実的な基礎の一つは確かにここにあることが考えられる。過去何年 間かの経過をみると、いわゆる「官公労の闘争」は、二・一ストをピークとして衰退過程をたどり、 レッド・パージによってさらに追撃を喫した形になっている。労組運動の中にさえ官僚意識が残 っていて、それが「引き廻し」という表現をとることにより組合の団結をそこなったのが挫折の 原因の一つになっているが、むろんそればかりではない。官公労組の小ブル性とか、政府の統制 強化とかいうこともあわせて考えなければならぬであろう。しかしいずれにせよ、官庁の「民主化」 という問題との関係で現在の労組運動をみるとすれば、それの沈滞が、官僚の公僕意識の減退と符節 を合わしているというように、むしろ否定的なメルクマールとされる方がスワリが良いことは事実であ る。だからといって、労組運動がなければ逆コースがさらに激化されることはいうまでもない。


 現時点でも、闘う労組はわずかしかない。詳しい事情を知らないものの偏見を含んでいるかもし れないが、多くの労組はむしろ企業・官僚機構の御用組合に成り下がって労働者の統制管理に血道を あげているという認識を、私は持っている。これを「協調路線」と言うらしい。
 しかし、わずかではあっても闘う労組がなお健在であることは、希望の芽である。闘わない労組の中 にも希望の芽がある。多くの労組で、高邁な意識をもった組合員が労組の再生を目指していることと思う。 闘わない「都高教」の中にも、「日の丸君が代」の強制と闘っている教員が、闘うことで「ダラ幹」を 厳しく批判している。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況を「進歩は小さく後退は大きい、という感じがするわけ で、結局は軍国主義とファシズムの方向に結びつけられてしまうのであるが、さりとてこの小さい変化 は決して無視されてよいとはいえない。」と希望をつないでいる。そしてもう一つの「小さな変化」、 天皇と天皇制官僚のプレステイジ(権威)に対する国民意識の変化を表すものとして取り上げる。
 第一、戦前は、むろんハラの中では馬鹿にしていたという面はあるが、 やはり天皇と天皇制官僚に対して一種のプレステイジを感じていた。ところが戦後 になると、表面的には頭を下げるが、ハラの中では官僚について、自分達のエイジ ェントとまではいかなくても自分達の利益のために利用するという面がつよくなっ ている。官庁の汚職事件などにはこういう「親しさ」の反映とみられる点もある。

 第二、天皇についてのプレステイジは、今のところ、経済的な利害関係の薄いと ころや、とくに青少年の間では「老人達」をおどろかせるほどになっている。一つ の事例 ―― 先日天皇が護国寺にある秩父宮の墓に参拝したとき、あの辺の中学で学 生をならばせたが、むかしとちがって、今は「礼」をさせない。そこで学生の方は お辞儀をしないで見ているが、天皇の方はえらく愛想がよくて、しきりにお辞儀を したらしい。そうすると、高等学校二年生のある生徒が、「彼は参議院に立つのか しら」と言ったという。これは言った当人が見たままをしゃべったにすぎないとい うことで、かえって実に皮肉な指摘になっている。ここには、天皇の神格化という ようなことが自然の理法をねじまげたものであるだけに、いったん破れたとなると、 雲間から紺碧の空を仰いだような感じになることをあらわしている。国民の間に生 れ、ひろがっているこういう合理主義的な気分は、目立たないところで、非合理的 な天皇制の再興を絶えず引きとめる方向に作用するであろう。

 しかし、このような「変化」にもかかわらず、戦前とはその内実に違いはあっても、 天皇制官僚の全面的な復権への過程が積み重ねられてきて、現在に至っている。
その分掌上の理由から文部科学省が特に突出していが、全官僚勢力を挙げて天皇の権威 復元に懸命である。もちろん官僚だけではない。支配階層全体が、天皇を利用した国民の 支配統制の施策をむき出しに打ち出してきているといえる。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況をどう認識していたか。
 だがこのような「変化」にもかかわらず、基調は天皇制官僚の全面的な復位に向 っているといわねばならない。それは国民の「抵抗」が今のところ、まだ幼弱で、 部分的だということを反映しているのかもしれないが、それよりも、天皇制が支配 階級の支配体制だからそういうことになるのである。天皇制およびそれをささえる 官僚のプレステイジが、国民の目にますます馬鹿らしく見えるようになったことは 事実であっても、危機が深まれば、天皇制とその官僚的=軍事警察機関は、従属的 で、エセ民族主義的で、軍国主義的なその本質をますます前面に持ち出さざるをえ なくなる。国会の無能さとか、官僚、財閥の腐敗とかが、軍国主義とファシズムへ の導火線に使われやすいことは、過去にわれわれが経験したことと全く同じである。 だが新しい天皇制は軍国主義とファシズムのためにどんな構図を描きはじめている のか。それは政治体制の全部面にわたることであり、現在の客観情勢下における日 本社会の全領域に関係したことである。われわれの分析もこの辺で場面をかえてみ る必要があるようだ。

 次回から、本来のテーマである「統治形態」の実際を具体的に見ていくことになる。
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