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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
293 統治形態論・「民主主義」とは何か(5)
統治権力としての官僚
2005年6月6日(月)


 以上みてきたように、「議会」は、様々な産業・業種の 特殊利害とそれらを横断的に貫く特定企業 集団の特殊利害等を直接担ったブルジョアジーの政治的代 理人が、一般的「法律」の決定をめぐって 対立・抗争・妥協・調整を演じる舞台である。その対立・ 抗争・妥協・調整を通じて、実は、支配 階級としての政治的結集と統一的一元化が可能となる。 要するに「議会」とは政治的階級意志と世論 の形成=総資本的意志形成が、公然または自発的形態で 行なわれる唯一の公的機関に他ならない。 しかも、統治権力の主体をなす執行権力=政府-執行的諸 機関の活動は、ときには 大きな独自の能動性を示すとはいえ、少なくとも形式制度 上は、すべて「議会」裁可の一般的「法律」 を法的前提としている。従って「議会」が、ブルジョア ジーによる国家的支配(階級独裁)実現の、 最も確実かつ主要な政治的武器であることは、全く疑う余 地がない。この意味で「議会」は、ブル ジョア独裁を可能とするブルジョアジーの政治的権力構成 を公的制度として容認し保障 する特殊な歴史的性格をもっている。

 しかしこのようなブルジョア独裁は、統治形態レヴェル すなわち執行権カの統治権力としての独立 性との関連に即してみると、実は政府-執行的諸機関に よる政治的指揮・主導の下に形式上包 摂されている。なぜなら、政府-執行的諸機関中枢の指 揮・主導のもとに推進される内・外 政策がすべて、社会・経済政策における財政政策のように ブルジョア諸層の経済的特殊利害をたんに 機械的に反映するものばかりではないからである。
 具体的にいえば、政治的秩序維持に直接関わる軍事・ 外交・治安・文教政策などや、経済的秩序 維持に関わる経済政策のなかでも対外貿易政策や金融政策 のような政治的・観念的性格の濃い、第三 権力の本来的活動に関する領域においてそうである。そこで は実質上の総資本的見地とはいっても、 より観念的・国家的立場にもとづく政府-執行的諸機関中 枢の官僚層が、ブルジョアジーに代って 政治的に思考し立案するという、大きく見れば支配階級内 部における政治的分化と分業が成立している。
 このようなブルジョアジーに対する官僚層の統治階級と しての相対的分離・独立性発揮される 分野では、官僚層の純粋に観念的・国家的見地からする実質 上の総資本的意志の先取り的な形成と先導が 行われる。それらはブルジョアジーによる自生的現実的な 総資本的意志形成とはつねに乖離しているため、 両者の不和・敵対が深刻化する事態にたちいたることも決 して珍しくない。
 要するに、ブルジョアジーの意のままになる〈議会制民 主主義〉形態をとった典型的ブルジ ョア独裁といえども実はその内部構造は、ブルジョアジー とその政治的代理人を含む統治階 級との間の相対的に独自な分離、ときには深刻な不和・敵 対を招くような生き生きとした媒介的関 連を孕んでいることになる。

 「ファシズム的」統治形態をこの点からみれば、銃剣を もった「官僚」層が、自己の党派的・イ デオロギー的立場から純粋に観念的な国家的・政治的利害 を追究する統治階級として、たんに 被支配的諸階級・階層ばかりか支配階級としてのブルジョ アジーをも含めた一社会全体に対して 完全に独立化した特殊な国家体制に他ならない。
 それは、直接には、ブルジョアジーの議会における政治 的代理人(ブルジョア諸政党)間の 不和・抗争などの絶えざる政治的混乱により、政府-執行 的諸機関に対するブルジョアジーの 統一的かつ一元的支配が実質上不可能になった政治的危機 の到来を契機としている。大き くみれば、政府-執行的諸機関とその中枢を占拠した政治 党派が、統治階級として失格したあるい は未成熟であった支配階級=ブルジョアジーにとって代っ たものといえる。

 以上で滝村さんの「統治形態論」の要約を終わる。
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