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292 統治形態論・「民主主義」とは何か(4)
議会制民主主義とブルジョア独裁の仕組み
2005年6月5日(日)


 ブルジョア革命は封建社会から人間を解放した。ただし それは人間の全的な開放ではなく、封建制という 政治的なくびきからの開放にとどまり、封建社会の基礎を なしていた社会構成員としての利己的な人間 のあり方の政治からの分離でしかなかった。つまり近代国 民国家は、ブルジョア革命による政治的国家と 市民社会の分離の必然的な結果として成立した。人間は政 治的に解放されたが(平等な一票を得たが)、 市民社会の成員としては大きな社会的不平等のもとで、む き出しのエゴとエゴの抗争を強いられることと なった。『人間は宗教から解放されたのではなく宗教の自 由を得たのである。人間は所有から解放され たのではない。所有の自由を得たのである。人間は営業の 利己主義から解放されたのではなく、営業の 自由を得たのである。』(マルクス「ユダヤ人問題に寄せて」より)

 社会的不平等が近代国民国家存立を可能としている土台 である。 「議会制民主主義」は「国家というシステムが人民に奉仕 するために編み出された」ものではなく、 国家というシステムがブルジョア階級に奉仕するために編 み出された。この「議会制民主主義」の 歴史的成立事情は現在の成熟した国民国家においても変わ らない。
 統治形態論の次の課題は「議会制民主主義」と「ブルジ ョア独裁」の構造的連関を解明すること にある。つまり、議会と政府-執行的諸機関とが、社会的諸 階級・階層とくに経済的支配階級として のブルジョアジーの階級的特殊利害にもとづく意志・要求 と、どのように結びついているか、あるい は敵対しているのかを分析することとなる。

 国家意志の一般的形態である「法律」の決定権は、立法 権として「議会」にある。もちろん、 執行権をもつ政府-執行的諸機関は、たんに議会が裁可し た一般的「法律」の執行にのみ限定されている わけではない。一般的「法律」を実際に「生きた法律」と しての実践・連用していくための政令・通 達など下級法規範という国家意志の裁可・決定権を政府 -執行的諸機関は掌握している。 従って、政府-執行諸機関の執行権力は、「議会」で裁可 された一般的「法律」にそって実際の国内政 策あるいは対外政策を遂行する際には、その一般的「法 律」に関連した個別的諸法や政令・通達等を 自在に駆使し運用するとともに、その運用の過程で新たな 関連個別的諸法や政令・通達等を裁定して 、逆に一般的「法律」を実質的に先導することもある。 そういう意味で政府-執行諸機関の執行権力 は大きな能動性と独立性をもっていることになる。
 もちろんこれは、「議会制民主主義」を前提とした典型 的な近代的統治形態のー般性なありかたである。 歴史的・現実的には、第三権カの専制的統治権力としての独 立性が肥大化する大陸法圏(独・仏中心) と、民主主義的伝統の強い英米法圏とではかなりの相異が ある。大陸法圏では、政府-執行 的諸機関の統治権カとしての独立化の傾向が強いが、それ に対して、英米法圏では議院内閣制をとるか 大統領-共和制をとるかにかかわらず、司法機関と共に 「議会」が鋭い監視の眼を光らせることに よって、少なくとも形式上は「議会」は統治権力の中枢 の一翼を担っている。

 では、社会的支配階級であるブルジョアジーはどのよう にして政治的支配をも掌中におさめるのか。 つまり、議会や政府-執行的諸機関とブルジョアジーとの 関係如何を問うことになる。
 ブルジョアジーによる国家的支配といっても、国家意志 の形成過程 とその実践的な支配過程とでは、その規定の仕方は異な っている。
 まず国家意志の形成過程つまり主として議会を舞台と した一般的諸法及び特定政策のための関連個別 的諸法で構成される一般的「法律」の形成・確定過程に おいては、ブルジョアジーの階級的意志は、 様々な内部的対立・抗争・軋轢等を孕みつつも、外部的に は大きく統一された階級的意志・総意として、 つまりは集成された総資本的意志という形態で押し出され る。
 この場合の総資木的意志形成に際しては、他の社会的 諸階級・階層とくに被支配階級に対する 支配階級の共通的な一般的利害(いうまでもなくこれは、 ブルジョアジーの生存諸条件としての 資本制的生産様式によって、構造的に基礎づけられている) が問題である。従って個別資本の 地域的・業種的特殊利害にもとづく不断の相互対立・抗争 は、支配階級としての統一され一般 化された観念的「共通利害」の立場から、内部的に調整さ れ制御される。
 もちろんこのような支配階級内部での調整と制御がうまく いかないで行き詰まることがある。 その場合には、有力政治家(議員)や所轄高級官僚(政府 -執行的諸機関)を直接巻き込んで、 ときにはかなり強引な個別資本やその関連グループの特殊 利害の圧殺等が断行される。

 このようにして形成された総資本的意志が、一般的「法 律」として形成されていく道筋は、大きくみて 二つある。
 一つは総資本的意志が、直接の政治的代理人である有力 議員層の手を通じて、政府-官僚機構 へ強引に押しつけることにより、政府法案ないし官僚の手 を借りた議員立法という形で押し出され る場合である。
 いま一つは、未だ明確に確定できていない総資本的意志 を、政府-執行機関が、より観念的かつ 国家的見地から先取りしてすくい上げてその能動性を発揮 する場合である。この場合は「国家百年 の大計」などといった意気込んだ言質をともなって官僚 層が「法律」を立案することとなる。これは 総資本による実質的な意志ではなく観念的かつ国家的 な意志であり、総資本のより現実的 かつ直接的な意志との落差を生み、ときには深刻な敵対的 性格をもつこともある(とくに対外 経済政策や独禁法を想起するとよい)。もちろんそのと きには、有力政治家を使ったブルジョアジー の執拗な妨害・抵抗によって、法案の成立自体が難しく なる。また、他の諸階級や 世論の支持を背景としてかりに成立したところで、多く の場合、政策遂行レヴエルにおいて実質上 骨抜きにされてしまう。
 かくしていずれの形態にあっても、議会における国家意 志を一般的「法律」として策定し、かつその 内容を根本的に規定しているのは、ブルジョアジーの総資 本的意志であることに変りはない。

 これにひきかえ、裁可された一般的「法律」を実践する 支配・執行過程では、一般的「法律」として の国家意志の確定にむけて総資本的意志を形成するために 隠しもたれたブルジョアジー内部における 様々な特殊的利害が全面的にぶつかり合う。すなわち、 公共事業をめぐる予算のぶんどりや補助金獲得、 また各種許認可権等をめぐる支配階級内部の対立・抗争が、 赤裸々な形態で現出してくることになる。

 このようにしてブルジョアジーは、一般的「法律」とし ての国家意志形成過程では、統一的な支配階級 として、何よりも「議会」と大きく構造的に結合して現わ れ、政府-執行的諸機関を主体とした政策遂行 レヴェルでは、自由経済原理にもとづく個別資本相互の不 断の対立・抗争を、そのまま「中央-地方的」 官僚機構を軸とした利権争奪をめぐる対立・抗争という形 態で再現することになる。そこで はブルジョアジーと、とくに政府-執行的諸機関との結合は 、もっぱら直接的個別的であり、隠微な 黒い癒着形態をとらざるをえない。個別資本(及びその関 連グループ)と、個々の有力政治家 (グループ)を介した個々の高級官僚(グループ)という 具合に。
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