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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
246 おそまきながら「九条実現」報告
2005年4月18日(月)


 先週の日曜日(4月10日)「九条実現」という集会に参加した。「くじょうさねみ」という お公家さんを支援する会だと思って行ったが、あにはからんや鶴見俊輔、澤地久枝、小田実の 話を聞く会だった。飛び入りで、なだいなだまで登場した。各氏の話の内容は主催者の「市民意見30の会」 が機関紙「市民意見30の会・東京ニュース」に集約するということなので詳しくはそれを待つことにし、 ここでは特に印象に残ったことだけを書きとめておく。もう一週間以上もたっていて、ただでさえ いい加減な記憶がさらにいい加減になっていてはなはだ心もとないのだが。

 鶴見さんはこの国はもうだめだという。最後のぎりぎりのところで座り込みで抵抗する。逮捕され て投獄されたら日米の監獄比較論を書くと、冗談めかして言っていた。周知の通り、鶴見さんは日米 開戦のときにアメリカで投獄されている。
 先週ちょうど戸井昌造さんの「戦争案内」を読んでいた。そのあとがきで戸井さんの次のような 現状認識に出会っていたので、鶴見さんの現状認識をそれと重ねて聞いていた。
 私は敗戦後、今日まで五十数年間の人生を「人間として生きる」ということを、体の奥 底に据えて生きてきたつもりである。社会的行動としては反戦平和を貫き、少しでも戦争 に近づくようなことに対して抵抗し続けてきたつもりである。いちいち振り返る余裕は今 ないが、つきつめて言うならば、非人間、非民主主義的思考の元兇は天皇制であり、政治 的社会的諸悪の根源は日米安保条約にあるということ、これが基本である。
 六〇年安保闘争に私たちが負けたことが、今日の日本にずーっと尾をひいている。その 安保が今、さらに、いわゆる「新ガイドライン法案」で徹底的に日本人に禍いをもたらす 方向で強化されようとしている。そのほか、俗に言う「盗聴法」とか「日の丸・君が代法 制化」とか、おぞましい悪法がどんどん国会を通っていく、あるいは通っていこうとして いる、この不気味さはなんだ。
 私は初版本のあとがきに「戦前に対する反省が大事」というようにも書いた。私は機会 あるごとにそのことについて話したり、書いたりしてきた。つい一年ぐらい前までは「今 の日本は私のこどもだった昭和二、三年ごろとよく似ている」と言ってきたのだが、今は 一挙に数年間飛んで昭和六、七年ごろ、つまり軍国日本が公然と(もちろん謀略的方法を もって)中国大陸侵略を始めたころに立ち至ったと思わざるを得ない。
 しかもあのときは「お国のため」とか「東洋平和のため」とか「東亜新秩序のため」と か、欺瞞にしても日本国中の愚民を頷かせるスローガンがあった。そしてすべての国策の 頂上に天皇がいた。だから私たち皇民は反対できなかった。そういう点では、今は天皇の かわりに安保である。そしてさらにひどいことに、新ガイドラインでアメリカの世界戦略 の子分にしたてあげられようとしている。このような由々しき事態に国民の圧倒的多数は 無関心であり、巷には愚劣と頽廃と兇悪が横行している。大人たちは不況と失業の不安に おびえながらなにもできないでいる。これはもう昭和十三年の国家総動員法体制の前夜で はないか。世界に誇れる「日本国憲法」は一体どこへ行ってしまったのか。

 飛び入りのなだいなださんが「鶴見さんのような弱気になってはいけない、諦めずにがんばろう。」 と言う。
 小田さんは「だめになっているのは国家であり、国家などだめになっても無くなっても一向に差し支 えない。国家が無くなったところからまた始め直せばよい。」と言う。
 澤地さんは「現在の子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちにどのような社会を残してあげら れるのか。私たちの責任だ。そのためにやれることをしっかりやろう。」と言う。

 大変厳しい状況だが、うん、まだまだこれからだ。

 さて、澤地さんは現在の反動的な時代状況を許している原因一つとして戦争体験の引継ぎの希薄化を 挙げて、 「まだの人は大岡昇平の『レイテ戦記』をぜひ読んでほしい、そして若者たちに薦めてほしい」と言って いた。戦争を直接体験した人が、戦争体験を語る人が少なくなってしまったのだ。

 私は「レイテ戦記」を読んでいない。澤地さんは「『レイテ戦記』が長すぎると言うのなら『野火』を 」とも言っていたので「レイテ戦記」は相当な長編らしい。
 そこで私としてはつい先日読み終わったばかりの戸井昌造著「戦争案内」(平凡社ライブラリー) を推薦したい。第一次学徒出陣で徴兵され、兵隊に仕立て上げられ、占領地・中国に送られた体験を、 シビアに、時にはユーモラスに描いていて読みやすく一気に読める。戦争や軍隊の非人間性・不条理・残 虐性などが余すところなく伝わって来る。

 それにしても、鶴見俊輔83歳(1922年生まれ)、澤地久枝75歳(1930年生まれ)、 小田実73歳(1932年生まれ)、なだいなだ76歳(1929年生まれ)、皆さん声が若く元気でその衰えぬ 精神力・記憶力に驚嘆した。私たちわかい者?がへこたれてどうする!!
 そして戸井昌造もべ平連に名を連ねた人だ。「昭和18年(1943年)12月1日、ぼくは 兵隊になった。第二早稲田高等学院の二年生で、ちょうど二十歳になったばかりだった。」と 「戦争案内」を書き始めている。 鶴見俊輔と同い年のようだ。「戦争案内」の平凡社ライブラリー版のあとがきの日付は1999年7月、 その翌年2000年4月18日に亡くなられた。合掌。
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