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235 教師の戦争責任(5)
墨を塗りきれなかった教師
2005年4月7日(木)


 「墨を塗った教師」のその後の生き方は三つのタイプに分類できそうです。「A先生」と「おっか ない校長」の二つのタイプと、今回はその三つ目です。

 1975年8月15日の読売新聞の投書欄<気流>に「戦争と平和/この日に思う」という特集がありました。 その投書の中の一編を山中さんが「撃チテシ止マム」で取り上げています。
過ち犯した教育者に時効はない
30年ぶり、教え子の同級会に欠席   無職 百武福寿 59
 三十年ぶりで、教え子たちの同級会が開かれるので出席していただきたいという意味の招待状が来 た。涙の出るほどうれしく、今すぐにでも飛んで行きたい気持ちだったが、辞退の手紙を出した。もち ろん、別の口実である。
 なぜ、せっかくの招待を断ったかというと、あの時小学校の五年生だったこの子供たちの担任だった 私は、だれにも負けず、熱心に、軍国主義をやったからである。戦争に負けた時、責任を自分なりに感 じて教員を辞めようと思いつめながら、ついにそれさえも実行出来なかったこのおれが、いまさら、何 の面下げて「恩師でござい」と彼らの前に出られようか。過ちを犯した教育に「時効」はないと思う。 それにしても、他の友達の元教員は、喜々として参加し、ごく自然に楽しく振る舞って、みやげ話など をしているが、余程自信ある教育をしたのだろう。
 ああまた、あのいやな敗戦記念日がやって来る。絶望に髪をかきむしった日が……。(山梨県富士吉田 市)

 この投書に「深い感銘を受けた。」と、山中さんはその感銘の根拠を分析しています。そのポイント 部分を引用します。
 この僅か400字程度の短い文章にこめられた書き手の<思い>の深さ、重さといったものはなみなみな らぬものであろうと思われる。これは単なる自己批判を越えて、戦時下教師への鋭い告発となって  いる。
さらに当時の時代情況を俯瞰した上で次のように述べています。
 そうした情況から判断すれば、あの時期に「だれにも負けず、熱心に、軍国主義をやった……」こと は、ある意味では不可抗力であったともいえる。もちろん、投書者はそんな弁解などしていない。そし て敗戦の折に教職を辞そうと思いながら、それが出来なかった自分、つまり自分なりに責任をとれなか った点をあげ、更に「過ちを犯した教育に『時効』はない」と結論している。まさにその通りなのであ る。教育という営為は、特に初等教育は取りもどしがきかないのである。その意味で、当然、気楽に同 窓会に出席する教師たちに言及せざるを得なくなる。  この投書者は、教育というおとなの営為のもたらす恐しさを知っている。特に戦時下の教育が<教 育>と呼ぶには余りにも非教育的でおぞましいものであったこと、それに積極的に手をかしてしまった ことを「過ち」として主体的に把握しているのである。

 過去の自らの過ちに墨を塗っただけで済ますことができずに、その過ちと真摯に対峙している姿勢を 評価しています。そして山中さんは、この投書に対して<教え子の同級会>に出席する教師の側から反論や弁明 が出てくるであろうと予想していました。山中さんの「予想通り、四日後の8月19日の読売新聞に、神 奈川県藤沢市に在住の五一才の元教師の主婦による、つぎの投書が掲載」されました。
 軍国主義教育をした自責の念から、三十年ぶりの同級会に欠席したという元教員の「過ちに時効はな い」という投書を拝見して胸が痛みました。私も正にその一人だったからです。
 生徒と共に歴代天皇名を斉唱中、放送をきくようにとの紙片が回ってきて、歴史の授業を終えるや玉 音を聞きましたが、戻ってきたクラスで、まだ「百万人といえどもわれ行かん」と女だてらに意気まい てしまったのです。今考えれば、とても恥しく思いますが、しかし、あの当時の行為をだれが責め続け られるでしょうか。かえってそのような教育者の方が熱心に子供たちを導いていたのではないでしょう か。私も間もなく、自我に目覚めて、悔恨と共に真の意義を知り、教職から身を引きましたが、同窓会 の招待があれば、出来る限り出席しています。教え子たちにわびる機会でもあり、国家と個人とを考え るよい機会ともなるからです。
 こんなことから、より平和に対する認識を深め、より社会にも貢献しようと自覚し、励まし合えるか らです。いつまでも教師を責める教え子は一人だっていません。
 気持ちの転換はなかなか出来ないのは分かりますが、どうぞ識者や市井の声を糧とし、納得し、教え 子たちが失望しないようにお姿を見せてあげて下さい。今こそ教え子たちから教わる謙虚な気持ちで参 加して欲しいのです。

 山中さんは「皇国民の練成」という名の暴力教育をもろに受けた世代の一人です。それにもかかわらず 「ボクラ少国民」シリーズの論調には感情的になることを抑えて、できるだけ客観的に冷静に記述する 姿勢が窺えます。しかし上の投書に対しては、めずらしく感情をあらわにして怒りを爆発させています。 投書者の居直り・欺瞞・ウソを克明に分析しています。その居直り・欺瞞・ウソは「墨を塗った教師」の 第一のタイプの典型的な心性を表していると思われます。かなり長いのですがその部分の文章を全文引用し ます。「皇国民の練成」をもろに受けた人の怒り・無念を代弁する記述として、その怒り・無念を共有したいと 思います。
 正直なところ、こちらの投書を読んだときは、むかむかするほど腹が立ってきた。前の投書者の心情 を低い次元で捉えて、したり顔でお説教をぶったれている厚かましさに、文字通り唾棄したい気分にな った。「あの当時の行為をだれが責め続けられるでしょうか」などということを当事者本人の口から言い 出すに至っては、まさに笑止も甚しい。これはかなりたちの悪い居直りである。しかも、「かえってその ような教育者の方が熱心に子どもたちを導いたのではないでしょうか」に至っては、盗人たけだけしい 言い草である。
 あの<教育>というには、あまりにもおぞましい犯罪的営為を逆に高く評価しているの である。国民学校初等科一年生になったばかりの少女の防空頭巾がまがっているというだけで、一週間 もはれがひかないようなびんたをはった教師、他の学級ではやらないというのに其冬に上半身はだかに して町内一周のマラソンを毎日やらせた教師、奉安殿への最敬礼が粗略であると殴った上に足蹴にした 教師、授業中にポケットに手を入れたというので、用水桶の氷を割って、その中へ手をつっこませてお いた教師、こんな非人間的な例なら、それこそはいて捨てるほどある。
 はっきり言って、<ボクラ少国民>は彼等によって導かれたのではない。その恣意的暴力を伴う錬成 と称する体罰に怯えながら、唯唯諾諾と従わざるを得なかったのが本音である。それをなんの抵抗も なく「かえってそのような教育者の方が熱心に子どもたちを導いたのではないでしょうか」などと平気 で言える感覚には呆れてものが言えない。熱心にやりさえすれば、犯罪も許されるといったふうな論理 はなりたたない。だからこそ、前の投書者はその問題を「過ちを犯した教育に時効はないと思う」とこ だわり続けているのである。そうした本質的なところを見もせず、続けて「私も間もなく、自我に目覚 めて、悔恨と共に真の意義を知り、教職から身を引きましたが……」と述べているが、それすらも信じ 難くなってしまうのである。もしそれがこの文章の通りだとしたら、まちがっても前記のような言い草 が出て来るはずもない。
 そこまで疑ったら身も蓋もなくなるが、1945(昭和20)年8月15日は水曜日で、夏期錬成期間であり、 国民科国史は五年生以上の教科目であったが、当日はほとんどの学校で授業をしていなかった。一般 に高学年生は<田の草取り>とか<松根油採取>などといった勤労作業にかり出されていたはずである。
 それに、彼女は同窓会の招きには出来るだけ出席する、それは教え子たちにわびる機会でもある……と言っている が、そのことさえも悪意をこめて疑いたくなってしまうのである。仮にわびたとしても、酔っぱらいの 肩たたき的ななにわ節的なわび方でお茶をにごしたに相違あるまいなどと思ってしまうのである。「い つまでも教師を責める教え子は一人だっていません」などと、よくも言えたものである。一体、何を根 拠にこんなことを言い出すのだろう。 ぼく自身、満45歳になった今日でも、いまだに何かのはずみで、街のどこかでばったり顔を合わせる ようなことがあったら、実際に出来るかどうかは別として、ものも言わずに殴りつけてやりたいと思って いる教師がいる。
 それにしても、結びの文章のしたり顔のお説教には辟易させられる。「気持ちの転換はなかなか出来 ないのは分かりますが……」など親切ごかしに言っているが、実はこの人物、何もわかっていないから、 こんな後生楽が言えるのである。「今こそ教え子たちから教わる謙虚な気持ちで……」と、前の投書者に謙虚な気持ちがないかのよう な言い方をしている。こうした一見善意の倣岸不遜な押しつけには敵意以上のものを感じてしまう。
 ぼくがこの投書を読んで腹を立ててから数日後、<学童集団疎開>問題を追究し続けている佐々木直 剛から、この投書についての手紙をもらった。彼もまた、ぼくと同様に腹を立て、こうした人間がいる 限り、あの時期のことを刻明に記録し、告発すべきだと書いてきたが、まったく同感である。
 もちろん、ぼくは教え子たちの同級会に出席する教師たちをひとまとめにして非難しようなどとは思 ってもいない。ぼく自身、国民学校の同窓会に出席し、年老いたかつての恩師たちの涙を有難いと思っ た。教え子の肩をつかみ、何もいわずにぼろぼろ泣いていた恩師の姿は忘れられない。また、それを機会 になんどか個人的に恩師たちを訪問し、当時のことを取材させてもらった。個人的にはみんないい人た ちである。だがこういう人たちを、あの狂気の錬成にかり立てたものは何であったか、また何故に、それ をしてしまったのか……ぼくはその<過ち>は<過ち>として、明確にしておくべきだと思うのである。

 いまでも大方の教員は「個人的にはみんないい人たち」です。しかし「いい人」というだけでは 現在の危機的な状況に立ち向かえないでしょう。教師たちの過去の過ちから学ぶべきことは 多々あると思います。
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