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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
229 そのとき「大国民」たちは?(5)
レコード盤の受難
2005年4月1日(金)


 もちろん、迷妄の棍棒がうち振るわれたのは童謡や人形だけではありません。大国民の趣味・娯楽 も大弾圧を受けました。ダンスホールは既に開戦の前年1940年に内務省命令で永久閉鎖されてい ました。さらにレストランなど飲食店でも生演奏、レコード演奏を問わずダンス用音楽は一切禁止さ れました。
   しかし、これは営業関係ばかりではなかった。法令による対象ではなかったが、一般家庭でも、 その種のレコード鑑賞をしていることが外へもれたら、それこそ愛国派の老人に大喝叱正される か、通行人によって派出所へ密告され、巡査に踏みこまれて「時局に無関心な不心得者」として、 こってり説諭されてしまうのがおちであった。なにしろ現在のレコード・プレイヤーのように、 ヘッド・ホーンなどという便利な装置の無い時代のことであった。
 ここでも下層指導層が為政者の思わく以上の忠誠心を発揮して、相互監視・密告に励んでし まっています。

 1943年、戦争指導者たちはこの種の音楽禁止を強化するだけでは気がすまなくなり、遂にレコード 廃棄を要求してきました。山中さんは「週報」(328号=1月27日号)の記事を全文書き出していますが、 その冒頭部分だけを掲載します。
 「米英音楽の追放」
 大東亜戦争もいよいよ第二年を迎へ、今や国を挙げてその総力を米英撃滅の一点に集中し、是が非で もこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでな く、文化、思想その他の全面に亘るものであって、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思ひ ますと、文化の主要な一部門である音楽部門での米英色を断乎として一掃する必要のあることは申すま でもありません。

  一掃せよ、米英音楽
 情報局と内務省では、大東亜戦争の勃発直後に、米英音楽とその蓄音機レコードを指導し、取締るた め、当面の措置として音楽家に敵国作品の演奏をしないやうに方針を定め、また、これらのレコードの 発売にも厳重な指示を与へたのでありますが、それにも拘はらず、今だに軽眺浮薄、物質至上、末梢感 覚万能の国民性を露出した米英音楽レコードを演奏するものが跡を絶たない有様でありますので、今回 さらにこの趣旨の徹底を期すため、演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコードー覧表を作っ て、全国の関係者に配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進 することになりました。
 今回の措置の対象は、差当りカフェー、バー、飲食店等で、これらの場所での演奏を、内務省が地方 庁警察部を通じて取締ることになってゐますが、情報局、文部、内務両省が指導、監督に当ってゐる社 団法人日本蓄音機レコード文化協会では、今回の措置に全面的に協力し、右の一覧表に該当するレコー ドを、蓄音機レコードの販売店から引上げ、また一覧表を販売店に配布し、備へ付けさせて、一般の方 方の参考に供すると共に、進んで該当レコードを供出されようとする方に、斡旋の労をとることになっ てゐます。
 供出を受けた該当レコードは、昨今不足勝ちなレコード資材の再成に用ひられます。供出は献納の形 で無償で行ひ、各蓄音機レコード会社が払ふ代価を、陸海軍へ国防献金することになってゐます。
 続いて「週報」は「演奏不適当な主な曲」を列挙した上で、全部で1,126件という長大な「米英音楽作品蓄音機 レコード一覧表」を掲載しています。

 山中さんのコメントです。
 清沢例は『暗黒日記』の中で、戦争指導者たちの自己満足的、小児的言動に呆れはてて はいたが、アメリカ系軽音楽一切を「文化的にも少しの価値のないもの」と言い切る独断専行はすさま じいばかりである。こういうことに手を貸した音楽の専門家たちの意識構造はどうなっていたのか知り たいものである。音楽家である以前に、人間的な平衡感覚に狂いが生じていたのではなかろうか。
 とにかく、このようにして、〈クラシック〉〈ジャズ〉〈タンゴ〉〈ブルース〉〈ハワイアン〉〈フ オーク・ソング〉のメイド・イン・USA系の音楽はこれを機会に一切禁じられてしまう。確かに「ラ スト・ローズ・オブ・サンマー」と「ホーム・スヰート・ホーム」については「この標題のものが日本 語で歌はれてゐる場合は、これらの歌は学校でも歌はれ、長い間に日本的に消化され、国民生活の中に 融け入ってゐるものでありますし、日本吹込みの日本盤となりますので、今回の措置の範囲には入らな いことは申すまでもありません」(「演奏不適当な主な曲」のただし書き・・・仁平注)などと、一見、 ものわかりの良さそうなことを言っているが、これなどは前の論旨と著しく矛盾した御都合主義である。 前の論旨からすれば、その種の米英系音楽が、日本の国民生活に融け入っているなどというのは、それ こそ米英の謀略であり、由々しき一大事ということにはならないのだろうか。そう言い切れなかったと ころに、やはり後めたさがあったのだろうし、それ以上突っ込むと、陸海軍軍楽隊の歴史にまで文句を つけなければならなくなることを恐れたのであろう。
 しかし、実際には、その『庭の千草』も『埴生の宿』も歌えなくなってしまった。前者はメロディが センチメンタルであり、後者は米英的家庭主義に根差しているので、総力戦態勢下の国民生活感情にふ さわしくないというのである。
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