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227 そのとき「大国民」たちは?(3)
大真面目に狂気の投書2
2005年3月30日(水)


 「通風塔」への投書の紹介を続けます。
欲しがりません、どこまでも(343号=5月12日号)
 近頃、「欲しがりません、勝つまでは」の標語がよく見受けられます。決戦を戦ひ抜く私どもの心構 へとして、この標語を心から守り、賛沢を蹴とばして、戦ひ抜き、勝ち抜かねばなりません。
 しかし、この標語ではまだまだ足りません。もつともつと強く、「欲しがりません、どこまでも」と 改めたいと思ひます。
 米英を撃滅し去った後も、大東亜の建設戦はさらに続行されるのです。勝っても欲しがつてはいけな いと思ひます。欲しがるのは米英の思想です。
 私どもは大東亜十億の指導者として「どこまでも欲しがりません」。この気持、この心構へで進まう ではありませんか。(長崎 山下生)

「激戦中」銃後の我等(345号=5月26日号)
 アリューシャンでは皇軍将兵が上陸した敵兵と激戦中だといふのに、劇場、映画館は超満員を呈し、 飲食店の前は長蛇の列で賑はふ。
 余りにも国民は皇軍に頼り、戦果に狎れすぎてゐはしないだらうか。
 闘ふ将兵の心を心とする意味で、せめて「目下激戦中」といふやうに、明らかに前線将兵の労苦が偲 ばれる場合には、一定の期間、歌舞音曲の禁止は勿論、あらゆる消費面の一斉締め出しを提唱 したい。(東京 小池生)

 係より―お気持はよくわかります。前線将兵の労苦と一つ心で、自粛生活に徹してこそ、前線 と銃後のつながりは鉄石となり、皇軍の精強はいよいよその光を放つのですが、銃後の私どもとしては、 消極的に自粛するにとゞまらず、個人的な欲望や享楽を断ち切り、戦力増強のため、貯蓄に、生産に、 防空に、全力を尽して積極的に、前線の将兵の労苦に応へたいと思ひます。

アツツの英魂に誓ふ(347号=6月9日号)
 アッツの兵隊さん、あなた方は最後の一人になるまで、自分の血が一滴でも残ってゐる限り、憎い米 兵への鉄槌となって散っていかれました。
 どんなに苦しい時でも、たゞの一度も泣言や不平がましいことをいはず、一途に祖国を愛し、大君の 御馬前に生命を捧げる光栄に感泣し、死して悠久の大義に生きられました。
 悲壮、凄絶、何といふ崇高な精神でせう。
 御安心下さい。米兵への最後の大鉄槌は、遺憾なくその威力を発揮し、敵の主力部隊は大混乱に陥り ました。
 と同時に、私達銃後国民にも大きな鉄槌となって打ちおろされました。
 今こそ私達は、この有難い鉄槌を押し戴き、銃後の務めの完遂に驀進せねばなりません。
 ともすれば私達は物質の不足をかこってゐました。見苦しい行列買ひに先を争ってゐました。
 何の不足があるといへませうか。どこに不満があるといへませうか。勿体ないことです。
 今こそ私達の一人々々が、先づ強く真剣に自らを省みるべき時です。そしてお互が心を合せて、 隣組を固め、町会を通じ、銃後一丸となって、真に戦争生活に徹し、アッツの英魂に報いませう。(大阪 望月正子)

戦争に徹しよう(348号=6月16日号)
 先日私は町内の応召勇士を見送った。その直前、大本営発表を耳にし、悲憤の激情が全身に沸き立って ゐた。
 勇士の門出を祝して次ぎ次ぎ贈られる歓送の辞は、すべて言々火を吐く壮烈そのものであった。
 やがて隊伍を整へ氏神様へ向ったが、沿道すれ違ふ人々の中に、勇士に対して敬礼を欠く者があれ ば、私は容赦なく大喝叱咤した。
 皇国のため一身を捧げて今、難に赴かんとする勇士を眼前に見ながら、路傍の人に接するが如き無関 心でゐられるものは、もはや同胞ではない。分らぬものに対しては、かうすることが戦時下国民の責務 だと思ふ。(横浜市鶴見区 小林諭)

「……だから」で弛む心(350号=6月30日号)
 「お祭りだから、日曜だから、一日位は……」といふのは、私達勤人にあり勝ちな気持でせうが、 「だから」といふこの一言で、どれだけ勿体ない日を、そして時間を空費してゐることでせう。
 木の実、草の根を食とし、一滴の水さへ分け合って飲む戦場を、いつも思ひ浮かベませう。 「だから」の一言で仕事の能率を下げることかあったとしたら、銃後をあづかる私達として、どうし てお詫び出来ませうか。
 お互にぜいたくをやめ、「だから」といふだらけた気持ちにうちかって、一日でも一時間でも多く働 いて、この戦ひの最後の勝利の日まで頑張り抜かうではありませんか。(札幌市 福村節子)

もんぺ(ヽヽヽ)を見せる心(同前)
 警戒警報下にもんぺを着用する婦人の多くなつたことは甚だ結構なことだ。
 しかし街を歩いてゐる婦人の半分ぐらゐは、新しい綿とか、その他高級品で、わざわざ作ってゐるや うに見受けられる。それも一つではない。
 私の会社の某婦人は、今日は明日はと、次ぎから次ぎへと変ったのをはいて来る。そんな人に限って ハイヒールで通勤してゐるやうだ。
 新調するよりは、高級品でも間に合せることが結構だとは思ふが、何も数多く作る必要はないではな いか。こゝにまだまだ敵国思想がくすぶってゐる。猛省を望む。(大阪市旭区 平岡昇)

 投書の論調がアメリカ・イギリスへの憎悪や敵愾心から、相互監視的な叱咤激励に変わってきました。

 余談になりますが、私は1938年の早生まれなので大日本帝国の降伏の時は国民学校2年生でした。 幸か不幸か、私はおくてだったので国民学校でどんな教育をされたのかほとんど記憶がありません。しかし戦中に歌われた 戦意昂揚や皇国民育成のための歌や軍歌などはけっこうよく知っています。たぶん兄や姉がよく歌って いたので、それを聞き覚えたのかも知れません。例えば「トントントンがらりと隣組 格子を開ければ顔なじみ  まわしてちょうだい回覧板 助けられたり助けたり」というのも歌えます。

 この隣組がくせものなのです。
 お隣同士が料理のおすそ分けをしたり、調味料や道具の貸し借りをしたりするのは、当時ではごく自然 で当たり前のありようだったと思います。それが改めて町内会の末端組織の「隣組」として組織化される と、相互扶助は建前で、実体は相互監視の役割を担うことになります。前々回の山中さんの文を再度引用 しますと『隣組組織を通じて、勤労奉仕であるとか、戦時公債や弾丸切手の割当て購入などを繰返し押し つけられて、「赤誠表出」とよばれる協力度合をやたらに試され続け」ることになります。

 上記の投書文に続けて山中さんは次のように書いています。
 ここに列挙した投書は、当時の一般的な民心の反映の一部と見てよいだろう。「通風塔」に寄せられ る投書は、その後、戦局の推移とともに激越さを増し、更にファナティックな様相を帯び始める。婦人 の化粧は一切禁止せよだの、老人の隠居を許すな、買出し婦人は愧死すべきである、などと言い出す。 そして遂には「米はコメ、日本の国は瑞穂国の米どころで混同のおそれあり」として、区別するため に、アメリカの「米」には〈けものへん〉をつけ、「英も英霊の英、東条英機首相 の英」にまぎらわしいから、これにも〈けものへん〉をつけて新字とし、「(けものへんの 付いた米英)撃滅」とせよなどと、大まじめに言い出す。
 また『戦争に徹しょう』の投書者に見られるような、やたらに他人を大喝叱正したがる「張切り者」 が出現し始める。警防団の班長、隣組の防火班長など、やたらに「長」の肩書きのつく人種がふえ、そ れぞれが「長」をかさにきて、大喝叱正する。下っぱであればある程、それが激しい。大喝叱正をくわ される方は、女、子ども、学生が多い。多分、反撃される心配がなかったからだろう。そして、そうい うおとなの横暴は、「お国の為の赤誠から出た、やむにやまれぬ感情」からであり「お国の明日を憂う ること」として正当化されたのである。

 愛国婦人会のおばさんたちが銀座などの盛り場に繰り出してい き、贅沢な服装や華美な装飾を摘発したというような話が確か「ボクラ少国民」のなかにありました。 いま路上の喫煙者の摘発が行われている所がありますが、私にはその根っこの思想は同じに思えます。私はタバコの匂いが 苦手ですが、ああいう規制の仕方には反対です。
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