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221 国民学校の教科書より(9)
「ゆかしい心」が「御民われ」を育てる?
2005年3月24日(木)


 今回は「初等科国語・七」(6年前期)です。山中さんは軍事教材「ゆかしい心」と 国体観念教材「御民われ」を書き出しています。
<ゆかしい心>

  長唄
 第一線のある夜のことであった。  ラジオを敵の陣地へ放送する宣伝班員は、ざんがうの暗がりの中で、拡声器の点検をしてゐた。
 そのうち偶然にも、東京放送局からの電波がはいって来た。長唄の調べである。
 「フィリピンのざんがうの中で、日本の長唄を聞くなんて、うれしいことだね。」
と、みんなはにこにこしながら、長唄の音に耳を傾けてゐた。

  猫
 澄みきった大空のもとに、ナチブ山が青々とそびえてゐる。
 ナチブ山の項には敵の砲兵観測所があるが、山全体が熱帯の森林におほはれてゐるので、 飛行機からの偵察でもはっきりわからない。まして平原にある友軍陣地からは、それがどの 辺にあるか、ほとんど見当がつかない。
 バランガへ通じる白い道は、その観測所から手に取るやうに見えるので、わが軍の貨物自 動車は、一台一台正確な射撃にみまはれる。しかし、この道以外に部隊の進撃路はないので、 どうしてもこの難関を突破しなければならない。  トラックや戦車は、全部木かげにかくして、敵の砲撃の目標になることを避けてゐる。
 みかたの砲兵は、畠の中へずらりと放列をしいて、ナチブ山の頂をにらんでゐる。
 このはりつめた第一線の陣の中で、ふと猫の鳴き声を耳にした。こんなところに猫がゐるはず はないと思って、あたりを見まはすと、かたはらの貨物自動車の上に、三毛猫がうずくまってゐる。 兵隊さんが、どこからかつれて来て、かはいがってゐる猫であった。

  俳 句
 第一線に近い宿営に、待機してゐた時のことであった。すぐ隣りの宿営にゐた一人の兵隊さんが、 俳句を作ったから見てくれといって、夜中にやって来た。
 夜、灯火を用ひることは堅く禁じられてゐるので、窓から流れ込む空の明かるさで、兵隊さんの 顔もやっとわかるほどであった。兵隊さんがさし出す紙切れを手に取って、一字一字薄あかりにすか しながら読んだ。

 弾の下草もえ出づる土嚢かな
 密林をきり開いては進む雲の峯

といふ二句であった。  四十近いこの兵隊さんは、前線への出発を明日に控へながら、その前夜、自作の俳句を読んでくれ と、わざわざやって来たのである。「陣中新聞に発表してはどうですか。」とすすめると、  「いや、そんな気持はありません。」と答へた。
 「あなたの名前は。」とたづねても、だまったまま笑ってゐた。
 兵隊さんは、俳句を読んでもらった満足を感謝のことばに表して、部屋から出て行った。

 この教材は子どもたちにどんなメッセジーを届けようとしているのでしょうか。皇軍の兵隊は死と 隣り合わせの最前線でも心にゆとりがあり、それが皇軍の強さの秘密だとでも言いたいのでしょうか。 あるいは戦場の残虐さ・悲惨さ・飢えや死の恐怖などを隠蔽したまま、軍隊生活もけっこう 充実した楽しいものですよとでも言いたいのでしょうか。
<御民われ>

 御民われ生けるしるしあり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
 天地の栄えるこの大御代に生まれ合はせたのを思ふと、一臣民である自分も、しみじみと 生きがひを感じるとよんでゐます。その大きな、力強い調子に、古代のわが国民の素朴な喜 びがみなぎつてゐます。昭和の聖代に生をうけた私たちは、この歌を口ずさんで、更に新し い喜びを感じるのであります。

 ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらん
 のどかな春の日の光の中に、あわただしく散って行く桜の花をよんだ歌で、優美の極みで あります。平安時代の大宮人たちは、かうした心持を心ゆくまで味はって、都の春を楽しん だのでした。

 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ
 源実朝は、鎌倉時代のすぐれた歌人でありました。箱根山から伊豆山へ越えて行くと、向か ふの沖の初島に、白い波が打ち寄せてゐるのが見えるといふ、絵のやうな歌です。

 敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花
 さしのぼる朝日の光に輝いて、らんまんと咲きにほふ山桜の花は、いかにもわがやまと魂 をよく表してゐます。本居宣長は、江戸時代の有名な学者で、古事記伝を大成して、わが国 民精神の発揚につとめました。まことにこの人にふさわしい歌であります。

 ひとつもて君を祝はんひとつもて親を祝はんふたもとある松
 明治時代の学者であり、歌人であった落合直文が、元旦に門松をよんだ歌です。二本の門松 のうち、その一本を以て聖寿の萬歳を祝し奉り、その一本を以て親の長寿を祈らうといふ意味 で、新年に持つわれわれ日本人の心持が、すらすらと品よくよみ出されてゐます。私たちはこ の歌を声高く読んで、その何ともいへないほがらかな、つつましい心を味はひたいものです。

 なんとも平板で、しかも押し付けがましいつまらない解説です。特に最後の歌などは「声高 く読」む気になど全くなれないつまらない駄作です。
 最初の万葉集の歌は、山中さんがその初句を著書の題名に取っています。少国民たちは どのようなことに「生けるしるし」を感じとったのでしょうか。これは次回に触れること になります。
 また、この歌はメロディーが付けられて唱歌になっています。その楽譜がありますので、 座興に紹介します。

御民われ


 実朝の歌については、これも寄り道ですが、安西均さんの詩を紹介します。上記の歌と

大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

の二首を素材にしています。
 自らの運命までもが見えてしまう実朝の孤独で悲劇的な澄んだ心にまで思いをはせています。 私の好きな詩の一つです。


 実朝

その目は煙らない
その目は寂しい沖にとどく
遙かなる実存の小島へ
その目は ずい! と接近する
それから島のまわりで
波が音もなくよろめいているのを
その目はズームレンズのように見る
その目は鹹い永劫が
しなやかにうねり
割れ
砕け
裂け
散ってしまうところまで細かく見る
その目はいつも涙に磨かれている
その目はなんでも見えすぎるために憂愁の光がともる
だから その目は雪の階段にひそむ暗殺者の
後ろ手に隠した白刃まで見ていなければならなかった。
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