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220 国民学校の教科書より(8)
女子向け軍事教材
2005年3月23日(水)


 山中さんは「初等科国語・六」(5年後期)から詩「姿なき入城」と散文「病院船(抄)」を書き出 しています。どちらも女子向けの軍事教材です。女子向け軍事教材は5年・6年に集中します。 このことを入江さんが「神の国」で次のように解説しています。
 皇国民の錬成をかかげた国民学校の目的が、君国のために命を捧げる兵士の錬成である以上、 教育は低学年から男子上位で進められ、忠義をつくすことができるのは軍人となれる男子だけ であるかの観があった。しかし女子もまた同一の教科書によって「忠君愛国」 の精神は十分 に刷り込まれている。むしろ「大きくなったら大将になる」といえない分だけ、疎外感を抱かさ れ、あるいは男尊女卑の封建的価値観をうけいれた女子もまた少なくなかった。
 しかし五学年になって、教科書は女子にも「すめろぎにつかえまつれと男子を生む母」に なることによって「お国の役にたつ」道を示してみせたのである。
 そろそろ初潮をむかえ、「生む性」としての役割を意識せざるをえない十一歳から十二歳 ―  五年後には、民法がさだめた結婚年齢に達する女子児童は、軍国の母の予備軍と目されて も不足ない年齢といえる。
 その女子教育は、第一に、男子を生み育て、軍人として天皇とその国家に捧げることを無上 の光栄とする母性の賛美から始まった。

   母こそは、命のいずみ。いとし子を胸にいだきて
   ほほ笑めり、若やかに。うるわしきかな 母の姿。
 母こそは、み国の力。おのこらをいくさの庭に
   遠くやり 心勇む。おおしきかな 母の姿。
(『初等科音楽三』「母の歌」)
 (中略)
 徴兵制度が憲法で定められていた当時、国家が教育すべき「日本の母」としての心得は、わが子を君 国に捧げた()にあったのである。

 すなわち「日本の母」は「わが子を君国に捧げた後」次のようでなければならなっかたのです。 (ちなみに引用文中の「母の歌」の作詞者は野上弥生子です。)

<姿なき入城>

いとし子よ、
ラングーンは落ちたり。
いざ、汝も
勇ましく入城せよ、
姿なく、
声なき汝なれども。

昭和十六年十二月、
ラングーン第一回の爆撃に、
汝は、別動隊編隊機長として、
近郊ミンガラドン飛行場にせまり、
敵スピットファイヤー二十数機と、
空中戦はなばなしく、
陸鷲は、その十六機をほふれり。
更にラングーンの上空に現れ、
巨弾を投じたる一瞬、
敵高射砲弾は、
汝が愛機の胴体を貫ぬきつ。

機は、たちまちほのほを吐き、
翼は、空中分解を始めぬ。
汝、にっこりとして天蓋を押し開き、
仁王立ちとなって僚機に別れを告げ、
「天皇陛下萬歳。」を奉唱、
若き血潮に、
大空の積乱雲をいろどりぬ。
それより七十六日、
汝は、母の心に生きて、
今日の入城を待てり。
今し、母は斎壇をしつらへ、
日の丸の小旗二もとをかかげつ。
一もとは、すでになき汝の部隊長機へ
一もとは、汝の愛機へ。
いざ、親鷲を先頭に、
続け、若鷲。
ラングーンに花と散りにし汝に、
見せばやと思ふ今日の御旗ぞ。

いとし子よ、
汝、ますらをなれば、
大君の御楯と起ちて、
たくましく、
ををしく生きぬ。
いざ、今日よりは
母のふところに帰りて、
安らかに眠れ、
幼かりし時
わが乳房にすがりて、
すやすやと眠りしごとく。


 この女子向け軍事教材の思想的背景を入江さんは、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の 思想と対比して解説しています。
 「君死にたまふことなかれ」と「神の国」からの引用文とを続けて掲載します。

  君死にたまふことなかれ
     旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
未に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。

あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを恩ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

 日露戦争のさなか、与謝野晶子は「君死に給うことなかれ」という魂の叫びを残した。人の 道、人の教えに視点をすえ、君と親とを、忠と孝とを鋭く対立させた。
 しかし日本の学校教育は「忠孝一本」という独自の思想を説いて、戦闘で人を殺し人に殺さ れることの是非はもとより、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」 という儒教的矛盾から児童を「解放」した。
 五期の指針をさだめた例の『国体の本義』では、この点を次のように述べている。
 「支那の如きも孝道を重んじて、孝は百行の本といい、又印度に於ても父母の恩を説いてい るが、その孝道は、国に連なり、国を基とするものではない。孝は東洋道徳の特色であるが、 それが更に忠と一つとなるところに、我が国の道徳の特色があり、世界にその類例を見ないも のとなっている。従ってこの根本の要点を失ったものは、我が国の孝道ではあり得ない」とし、 さらに「すめろぎにつかえまつれと我を生みし我が垂乳根(たらちね) は尊くありけり」の歌を引き、「孝 が忠に高められて、始めてまことの孝となることを示すもの」「まことに忠孝一本は、我が国 体の精華であって、国民道徳の要諦である」と断言する。
 端的にいえば、易姓革命を説く儒教では、孝は君主にたいする忠と矛盾する。孔子も、「親 は取り替えられないが、天子君主は取り替えられる」と教える。儒教のこの思想にたいし、天 照大神の神勅と称する口承を唯一無二の国是として、日本は神の血をうけた天皇が統治するこ と、君臣の身分は生まれながらに永遠に定まっていることを強調し、われわれは先祖代々大君 に忠義をつくしてきた、という仮定のもとに、その先祖の志をつぐのが子孫としての孝行であ るという「忠孝一本」という道徳を創出し、時代のキーワードとした。
 国民学校教育では、天子君主は人民の父母に等しいから、君に忠をつくすのは親に孝をつく すのに等しく、忠孝は根本的に矛盾しない、と説く。
 しかしこれはあくまでも論であって、戦時下においては戦場に駆り出される兵士の生命をめ ぐって君と親との間に葛藤が生じることは、与謝野晶子の詩をひくまでもなくむしろ当然とい わねばならない。この間題を親 ― とくに兵士を生み育てる母の問題としてとりあげたのが五 学年、六学年に集中する一連の女子向けの教材である。
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