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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
216 国民学校の教科書より(4)
肉弾三勇士
2005年3月19日(土)


「初等科国語・一」(3年前期)より
<支那の春>
 川ばたのやなぎが、すっかり青くなりました。つみ重ねたどなうの根もとにも、いつのまにか、 草がたくさん生えました。
 あたりは、うれしさうな小鳥の声でいっぱいです。
「もうすっかり春だなあ。」
「ここで、あんなにはげしい戦争をしたのも、うそのやうな気がするね。」
 どなうの上に腰かけて、川の流れを見つめながら、日本の兵たいさんが二人、話をしてゐます。 兵たいさんは、今日は銃を持ってゐません。てつかぶともかぶってゐせまん。二人とも、ほんたう に久しぶりのお休みで、村のはづれまでさんぽに来たところです。
「兵たいさん。」
「兵たいさん。」
 大きな声で呼びながら、支那の子どもたちが、六七人やって来ました。
「おうい。」
 兵たいさんがへんじをすると、みんな一度に走り出しました。子どもたちといっしよに、黒い ぶたや、ふとったひつじが二三匹走って来ます。
 兵たいさんのそばまで来ると、子どもたちは、いきなりどなうの上にかけあがらうとして、 ころげ落ちるものもあります。先にあがった子どもの足を引っばって、はねのけようとするも のもあります。
「けんくわをしてはいけない。」
「仲よくあがって来い。」
 大きな声で、兵たいさんがしかるやうにいひます。しかし、にこにこして、うれしさうな顔です。
 先にかけあがった子どもは、兵たいさんにしがみつきます。あとから来た子どもは、兵たいさん のけんにつかまったり、くつにとりついたりします。
「これは、たいへんだ。さあ、お菓子をあげよう。向かふで遊びたまへ。」
「氷砂糖をあげよう。橋の上で仲よく遊びたまへ。」
 兵たいさんたちは、ポケットから、キャラメルの箱や、氷砂糖のふくろを取り出しました。
「わあっ。」
と、子どもたちは大喜びです。ぶたもひつじも、いっしょになって大さわぎです。 お菓子をもらふと、子どもたちは、おとなしく川のふちに腰をおろしたり、ねそべったりしました。 さうして、お菓子をたべながら、歌を歌ひ始めました。まだ上手には歌へませんが、兵たいさんに 教へてもらった「愛国行進曲」です。
 川の水は、静かに流れてゐます。どっちから、どっちへ流れるのかわからないほど、静かに流れて ゐます。
 川の向かふは、見渡すかぎり、れんげ草の畠です。むらさきがかった赤いれんげ草が、はてもなくつづいてゐます。/どこからともなく、綿のやうに白い、やはらかなやなぎの花がとんで来 ます。さうして、兵たいさんのかたの上にも、子どもたちの頭の上にも、そっと止ります。
 寒い冬は、もうすっかり、どこかへ行ってしまひました。静かな、明かるい、支那の春です。

 イラクを圧制から解放したと言うブッシュのイラク侵略の正当化と二重写しになります。その父母兄弟姉妹 を虐殺しているかもしれない侵略先の子どもたちに「愛国行進曲」を歌わせる無神経さに気分が悪くなってき ます。

「初等科国語・ニ」(3年後期)より
<田道間守>
 垂仁天皇の仰せを受けた田道間守は、船に乗って、遠い、外国へ行きました。
 遠い外国に、たちばなといって、みかんに似た、たいそうかをりの高いくだものがあることを、 天皇は、お聞きになっていらっしやいました。田道間守は、それをさがしに行くことになつたのです。
 遠い外国といふだけで、それが、どこの国であるかは、わかりません。田道間守は、あの国この島と、 たづねてまはりました。
 いつのまにか、十年といふ長い月日が、たってしまひました。
 やっと、あるところで、美しいたちばなが生ってゐるのを見つけました。
 田道間守は、大喜びでそれを船に積みました。枝についたままで、たくさん船に積みました。 さうして、大急ぎで、日本をさして帰って来ました。
「さだめて、お待ちになっていらっしやるであらう。」
 さう思ふと田道間守には、風を帆にいっぱいはらんで走る船が、おそくておそくて、しかたがあり ませんでした。
 日本へ帰って見ますと、思ひがけなく、その前の年に、天皇は、おかくれになっていらっしゃいました。 田道間守は、持って帰ったたちばなの半分を、皇后にけん上しました。あとの半分を持って、 天皇のみささぎにお参りしました。枝についたままの、美しい、かをりの高いたちばなを、みささぎの前 に供へて、田道間守は、ひざまづきました。
「遠い、遠い国のたちばなを、仰せによって、持ってまゐりました。」
かう申しあげると、今まで、おさへにおさへてゐた悲しさが、一度にこみあげて、胸は、はりさける ばかりになりました。田道間守は、声をたてて泣きました。田道間守は、昔、朝鮮から日本へ渡って 来た人の子孫でした。しかし、だれにも負けない忠義の心を持ってゐました。
 泣いて泣いて、泣きとほした田道間守は、みささぎの前にひれふしたまま、いつのまにか、つめた くなってゐました。

 「朝鮮から日本へ渡って来た人の子孫でした。しかし、だれにも負けない忠義の心を持ってゐま した。」と、こっそりと朝鮮人の皇国民化の露払いをしています。

「初等科国語・ニ」(3年後期)よりもう一編。
<三勇士>
「ダーン、ダーン。」
 ものすごい大砲の音とともに、あたりの土が、高くはねあがります。機関銃の弾が、雨あられの やうに飛んで来ます。
 昭和七年二月二十二日の午前五時、廟巷(べうかう)の敵前、わづか 五十メートルといふ地点です。
 今、わが工兵は、三人づつ組になつて、長い破壊筒をかかへながら、敵の陣地を、にらんでゐま す。
 見れば、敵の陣地には、ぎっしりと、鉄条網が張りめぐらされてゐます。この鉄条網に破壊筒を投げ こんで、わが歩兵のために、突撃の道を作らうといふのです。しかもその突撃まで、時間は、 あと三十分といふせっぱつまった場合でありました。
 工兵は、今か今かと、命令のくだるのを待ってゐます。しかし、この時とばかり撃ち出す敵の弾には、 ほとんど、顔を向けることができません。すると、わが歩兵も、さかんに機関銃を撃ち出しました。 さうして、敵前一面に、もうもうと、煙幕を張りました。
「前進。」
の命令がくだりました。
 待ちに待った第一班の工兵は、勇んで鉄条網へ突進しました。
 十メートル進みました。二十メートル進みました。あと十四五メートルで鉄条網といふ時、頼みに する煙幕が、だんだんうすくなって来ました。
 一人倒れ、二人倒れ、三人、四人、五人と、次々に倒れて行きます。第一班は、残念にも、とうと う成功しないで終りました。
 第二班に、命令がくだりました。
 敵の弾は、ますますはげしく、突撃の時間は、いよいよせまって来ました。今となっては、破壊筒 を持って行って、鉄条網にさし入れてから、火をつけるといったやり方では、とてもまにあひません。 そこで班長は、まず破壊筒の火なはに、火をつけることを命じました。
 作江伊之助、江下武二、北川丞、三人の工兵は、火をつけた破壊筒をしっかりかかへ、鉄条網めがけ て突進しました。
 北川が先頭に立ち、江下、作江が、これにつづいて走ってゐます。
 すると、どうしたはずみか、北川が、はたと倒れました。つづく二人も、それにつれてよろめきまし たが、二人は、ぐつとふみこたへました。もちろん、三人のうち、だれ一人、破壊筒をはなしたものは ありません。ただその間にも、無心の火は、火なはを伝はって、ずんずんもえて行きました。
 北川は、決死の勇気をふるつて、すっくと立ちあがりました。江下、作江は、北川をはげますやう に、破壊筒に力を入れて、進めとばかり、あとから押して行きました。
 三人の心は、持った一本の破壊筒を通じて、一つになってゐました。しかも、数秒ののちには、 その破壊筒が、恐しい勢で爆発するのです。
 もう、死も生もありませんでした。三人は、一つの爆弾となって、まっしぐらに突進しました。
 めざす鉄条網に、破壊筒を投げこみました。爆音は、天をゆすり地をゆすって、ものすごくとどろき 渡りました。
 すかさず、わが歩兵の一隊は、突撃に移りました。
 班長も、部下を指図しながら進みました。そこに、作江が倒れてゐました。
「作江、よくやったな。いひ残すことはないか。」
 作江は答へました。
「何もありません。成功しましたか。」
 班長は、撃ち破られた鉄条網の方へ作江を向かせながら、
「そら、大隊は、おまへたちの破ったところから、突撃して行ってゐるぞ。」
とさけびました。
「天皇陛下萬歳。」
作江はかういって、静かに目をつぶりました。

 「肉弾三勇士」とか「爆弾三勇士」とか呼びならわされています。その時代背景を年表にして見ました。

1932/01/03   関東軍、錦州占領 
1932/01/07   陸軍、満州独立の方針を関東軍参謀板垣征四郎に指示 
1932/01/28   上海事変①勃発 
1932/02/05   関東軍、ハルピン占領 
1932/02/22   「肉弾3勇士」戦死報道 
1932/03/01   満州国建国宣言 
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