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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
213 国民学校の教科書より(1)
巧妙な刷り込みの手口
2005年3月16日(水)


 私が教員をしている頃の卒業式はまだ日の丸も君が代もありませんでした。しかし私の勤務校の それは旧態然とした形式的なものでした。それを批判して私は次のような文を含む文書を書いて 同僚に配りました。

 「今の私たちの学校の儀式も褒められたものではない。「一同、礼」で始まり、「一同、礼」で終る。 首尾一貫して、ただただ緊張ばかりを強いる。新入生や卒業生が主人公とはたてまえばかりで、 半世紀前のままではないか。あと「君が代・日の丸」があればもうほとんど半世紀前と同じである。 形式ばかりの事大主義が得意顔で号令をしている。」(「第2回・2004年8月16日」にも掲載しました。)

 このあと数年で「日の丸・君が代」が強制されるようになり、半世紀前とほとんど変わらぬ 卒業式になってしまったのです。

 「心のノート」や音楽の教科書に「伝統文化の尊重、国民としての自覚」を刷り込むための 教材が盛り込まれて、教育現場を大手を振ってまかり通っています。「道徳を考えさせることや自然をめ でる歌を歌うことに何の問題があるの?」と思う人が、たぶん圧倒的多数でしょう。
 しかし私は上記の儀式に対して持ったと同じような懸念を教科書や副読本にも持っています。 「伝統文化の尊重」とか「国民としての自覚」とか「美しい日本語」とかを強調している連中は、 誰もが異議を挿しはさみそうもないものから始めて、そのあとに何を付け加えようとしているのでしょうか 。
明カルイ タノシイ 春ガ来マシタ。
日本ハ、春夏秋冬ノ ナガメノ美シイ國デス。
山ヤ川ヤ海ノ キレイナ國デス。
コノ ヨイ國ニ、私タチハ 生マレマシタ。
オトウサンモ、オカアサンモ、コノ國ニ オ生マレニナリマシタ。
オジイサンモ、オバアサンモ、コノ國ニ オ生マレニナリマシタ。

 季節・風物の賛美と、その地で連綿と営まれてきた家族のつながりと生活。とても幸せな気持ち になる文章じゃないか。なに文句があるの?
 自然は美しいばかりではない、地震や洪水やひでりで人に悲惨をもたらす事もある。それにどの家族に もいろいろと複雑な事情があり、そんなに幸せとは限るまい。なぞとまぜっ返してもせんかたありません。
 まだ白紙のような子どもの心には確実に肯定的な同意を刷り込むでしょう。そして上の文に唐突に次のような 詩もどきが続きます。子どもの心をさらっとさらっていきます。何処へ?
日本ヨイ國、キヨイ國。
世界ニ 一ッノ 神ノ國。
日本ヨイ國、強イ國。
世界ニ カガヤク エライ國。


 なお蛇足ながら、前半の「國」は「社会・国土・故郷」ですが、後半の「國」は「国家」である ことに注意したいと思います。

 杞憂に過ぎるでしょうか。しかし「つくる会」の教科書は戦前回帰を果たしていますし、 「心のノート」の徳目は戦前の「修身」とほとんど同じだということです。音楽の教科書について は「第208回~第211回」でみた通りです。国語の教科書についてはどうなのでしょうか。

 上記の引用文は国民学校2年生用修身の教科書「ヨイコドモ・下」からのものです。
 しばらく国民学校の教科書にこだわってみようと思います。参考資料は山中恒著「ボクラ少国民第2部・御民ワレ」(辺境社) と入江曜子著「日本が『神の国』だった時代」です。以後それぞれ「御民われ」「神の国」と略称 します。
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