FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
202. 再軍備はどのうに行われてきたのか(4)
保安隊から自衛隊へ
2005年3月4日(金)


 朝鮮戦争は1951年3月から38度線での一進一退の攻防戦となり、膠着状態になった。
 休戦会談は相互の駆け引きのため何度も休会・再開を繰り返し、停戦にこぎつけたのは1953年で あった。

  1953/07/27 朝鮮休戦協定に調印。22時に朝鮮停戦実施。

 東西冷戦は緊張緩和期を迎えた。この国際情勢に助けられて日本の再軍備 はゆっくりとしたペースで、しかし、情報秘匿とウソと憲法の詭弁解釈で国 民を欺きながら、確実に既成事実を積み上げていった。

 保安隊から自衛隊へと、名実ともに世界有数の軍隊になっていく経過を年 表にしてみる。

1953/06/09 保安庁長官木村篤太郎、記者団に警備5ヵ年計画案につき発言。
      1957年度に保安隊二十万人、艦船十数万トン、航空機千数百機の
      実現をめざす長期防衛計画、問題化。

1953/07/30 衆議院予算委員会で吉田茂首相と芦田元首相間に保安隊の自衛
      軍化をめぐり防衛論争おこる。吉田茂首相、国力の充実まで自
      衛軍を持たずと言明。

1953/09/27 吉田茂(自由党)・重光葵(改進党)会談。保安隊を自衛隊に
      切替え、直接侵略に備える長期防衛計画に意見一致。

1953/11/03 吉田茂首相、衆議院予算委員会で、「交戦権がない以上、保安
      隊は軍隊とはいえないが、しかし軍隊の定義いかんによっては
      戦力にいたらしめないという制限のもとに保安隊を軍隊という
      ことは自由であると思う」として「戦力なき軍隊」論提唱。

1954/02/01 保守3党防衛折衝で、自衛隊などの設置要綱につき意見一致。

1954/03/08 防衛庁設置法案・自衛隊法案を決定。

1954/03/11 防衛庁設置法案・自衛隊法案、衆議院提出。

1954/04/16 衆議院内閣・外務連合委員会で佐藤達夫法制局長官、
     「自衛隊の海外派兵はその任務が平和的仕事に従事するものである
      ならば、公務員の海外出張で憲法違反にあらず」と答弁。

1954/05/07 防衛庁設置法案・自衛隊法案、衆議院通過。

1954/06/02 防衛二法案(自衛隊法案、防衛庁設置法案)、84日間の審議のの
      ち、政府原案通り可決。

1954/06/09 防衛庁設置法・自衛隊法公布。保安隊を改組して陸・海・空の3軍
      方式とする。
      戦後初めて外敵への防衛任務を規定。自衛隊16万4,538名となる。

1954/07/01 防衛庁設置法・自衛隊法施行。総理府内に防衛庁設置。自衛隊発足。

1954/12/21 衆議院予算委員会で外交方針、自衛隊をめぐる憲法論議(-23)。

1954/12/22 木村篤太郎防衛庁長官、憲法第9条に対する政府の統一解釈発表。
      自衛隊保有は独立国の当然の権利であるが国際紛争解決のための武
      力行使とは本質的に異なるのであり、侵略への対処のための「軍隊」
      保有は違憲ではないとの内容。

1955/08/01 日本、防衛庁設置法・自衛隊法改正公布。自衛隊員19万5,810名となる。

 サンフランシスコ会議でグロムイコ・ソ連全権は、講和条約を強く批判するとともに 自衛のための日本の軍備の限度を数字で示し、保有を禁止する兵器をあげていたという。 福島氏は自衛隊の戦力がグロムイコの数字を越えていく年度を調べている。

(1)〔陸軍15万〕1955年に15万。56年16万となった。          (上記年表によると1954年16万、55年19万・・・仁平)    〔戦車200台〕 53年7月には340台であった。 (2)〔海軍2万5000人〕58年。    〔総トン数7万5000トン〕魚雷艇、揚陸艇などまで加えて57年。              主要艦種のみでは61年。 (3)〔空軍2万人〕 56年。    〔戦闘及び偵察機200機〕 57年。 (4) 保有禁止。    〔原子、細菌、化学兵器、射殺30キロをこえる大砲、人間魚雷〕      公表のかぎり未だにもっていないはずである。       (これは1977年ごろの記述です・・・仁平)    〔ミサイル〕グロムイコのいう範囲が明らかでないが、56年ごろ      から対戦車誘導弾の実験が進められ64年制式化し、地上用ロ      ケット弾は67年、艦対空ミサイルは65年から、対空ミサイル      ナイキは59年から訓練を始め、63年から装備した。      空対空ミサイルは57年末に供与を受けた。      IRBM(中距離弾道弾)以上はもっていない。

 福島氏は日本政府に再軍備を強要してきたアメリカの真の意図を次のように推測している。

 それでは日本の再軍備とは何であったのか。アメリカにはもし朝鮮休戦会談が決裂して戦争 再開となった場合には、出兵を求めて米韓地上軍の補強とする計画があったに違いない。それ には多分吉田が抵抗したであろう。だが、拒否しきれたかどうかは疑問である。前節で記した 政界の状況からすれば、吉田に代ってアメリカに協力する政治指導者をおしたてるクーデタを 計画することは容易だったと思われる。

 一般に吉田はアメリカ一辺倒だったという評価をされているが、一応はある程度の抵抗をしていた。 アメリカはいざという時はその吉田を廃して、いわゆる傀儡政権を樹立することも視野に入れ ていたというとか。保守政治家が虎視眈々と派閥抗争にうつつを抜かしていたのは事実だし、中には 歓んで傀儡政権の担当をしたがる者もいただろう。今のイラクのように。
スポンサーサイト