2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
198. 憲法第九条をめぐって(13)
賛成は反対、反対は賛成
2005年2月28日(月)


 国会での憲法審議において実は九条は修正されている。第二項の冒頭に「前項の目的を達する ため、」という文言入れる修正。
 解釈改憲は大変な無理・矛盾を押し通すことになるから、その論理は当然詭弁だらけである。 再軍備を正当化する論理に「前項の目的を達するため、」が持ち出さる。『第一項でいう「国際 平和」という目的を害さないのなら戦力保持は可能だ。』と。

 ちなみに、1949年南原繁は吉田茂が推し進めていた「単独講和」に反対し「全面講和」を唱え、 吉田茂から「曲学阿世の徒」という罵声を浴びせられている。
 この南原繁は後には護憲勢力の一翼を担うことになる。「南原のみならず、後年に護憲を唱 えた戦後知識人のなかには、当初は憲法に冷淡な姿勢をとっていた者が少なくなかった。」と言う。 小熊さんは例として竹内好と丸山眞男を取り上げている。そのうち1964年敗戦直後の丸山眞男の回想。
…‥民主主義万々歳の巷の叫びにおいそれと唱和する気になれない。それは政治的保守じゃないけれ どやはりー種の保守的な心情とくっついているんです。……だから、復員してから最初の講義のとき にすぐ思いついたのは、フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」だった。きのうまではプロシャの旧支配体 制に乗っかって甘い汁をすっていたのに、こんどナポレオンが来ると、きのうまでの支配者に、あた かも自分たちがはじめから反対していたかのように、たちまち香煙をささげる相手を変える、こうい う無恥なことをして平然たるのはドイツ国民だけであると、フィヒテはあそこで言っているんで すね。……
 ……同じ人間が世の中が変ったというだけでそう簡単にきのうときょうで変ってたまるかといっ た、ほとんど本能的な反発というか、意地っ張りの根性が、他方でのあふれ出るような解放感と 奇妙にないまぜになっていたように思うんです。

 ここで丸山が言う「保守的心情」を小熊さんは『「自分自身で考え、なっとくしたもの」でなけ れば了解できないという心情、すなわち「主体性」にほかならない。』と分析している。そして次の ように続けて言う。
 そして1950年代に護憲勢力の中核となったのは、こうした心情をもつ人びとだった。すなわち彼らは、 南原が議会で述べたように、「どう言う事情があったにせよ、日本政府が作り、又日本の帝国議会が 之に協賛したと致しますれば、其の責任が日本のものであり、日本の憲法として我々は何処迄も確立 しなければならぬ」という姿勢をとったのである。
 そして、こうした護憲論の背景にあったものの一つは、やはり戦死者の記憶であった。

 マクベスの冒頭、三人の魔女が合唱する。「きれいはきたない、きたないはきれい」

 当初九条を賛美していた保守政治家たちは、アメリカの占領政策が転換した1950年代以降今度は 憲法を批判し始める。九条を巡る賛否両論の担い手が入れ替わる。賛成は反対、反対は賛成。

 さて、小熊さんは次のようにこの章を結んでいる。
 占領軍から与えられた憲法が、「日本の憲法」となりうる可能性を支えていたのは、戦争体験 と戦死者の記憶であった。戦死者の死を無意味に終わらせないためには、敗北によってもたらされ た戦後改革が、有意義なものでなければならなかったのである。
 しかし日本政府は、冷戦の高まりとともに、秘密裏に第九条の規定を度外視しはじめていた。早 くも1947年9月13日、芦田均外相らが作成し、GHQのアイケルバーガー中将に手交した文書は、米ソ の対立が解けない場合、米軍の駐留による防衛を希望する旨を唱えていた。ほぼ同時期から、アメ リカ側も初期の武装解除政策から、日本を反共同盟国として育成する方針に転換しはじめる。……
 ……1946年においては、既成事実に順応する者と、憲法の理念を少しずつ体得しようとする者の 双方が、第九条を新しいナショナリズムの基盤として、戦後日本の再出発をはかろうとしていた。そ して当然ながら、その後に出現した状況は、この両者の共存状態が崩れてゆく過程だった。そして 憲法をめぐる抗争は、敗戦後に生まれた新しいナショナリズムを防衛しょうとする勢力と、それを 破壊しょうとする勢力との、対決の様相を呈してゆくことになるのである。
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197. 憲法第九条をめぐって(12)
九条への反対意見
2005年2月27日(日)


 天皇制を存続させた憲法に共産党は当然反対している。そして九条に対しても共産党は反対を している。
共産党の新憲法反対は、第九条にも向けられていた。1946年の憲法改正審議で、衆議院議員となってい た共産党の野坂参三は、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危くする危険がある」と第九条に 反対したのである。
 共産党が主張したのは、すべての戦争の放棄ではなく、人民のために行なわれる「解放戦争」と、 資本主義・帝国主義による「侵略戦争」を区別することであった。そのため憲法の審議においても、 「民主主義的国際平和機構に参加し、如何なる侵略戦争をも支持せず」という趣旨への変更が主張 された。

(中略)

 野坂参三は、戦争の放棄は「憲法の条文の中に一項目入れるだけに依って実現されるものではない」 と述べ、徳田球一は「戦争は実に資本主義の内部矛盾から起ったのでありますから、必然戦争を抛棄 するならば、資本主義をどうする」と迫った。さらに野坂は、戦争一般の放棄ではなく、侵略戦争へ の反対をうたうべきだと主張し、「首相は過去のあの戦争が侵略戦争ではないと考えられるかどうか、 之を此処ではっきりと言って戴きたい」と質問した。
 答弁に立った吉田首相は、「此の度の戦争の性格に付ては、徳田君の意見と私は同意が出来ない」 と述べ、「正当防衛権を認むることが遇々戦争を誘発する所以である」として、自衛戦争をふくめた 戦争一般の否定を主張した。この場面についていえば、第九条と戦争放棄は、資本主義擁護や侵略 責任のあいまい化と、一体にされていたのである。

 南原繁貴族議員が共産党と並んで九条に反対していた。南原の論点は「国家の自衛権の正当性」と 「国際貢献」であった。
 南原によれば、今後の日本のとるべき道は、「単に功利主義的な、便宜主義的な安全第一主義と云 うものの平和主義であってはならぬ」。そして日本は、侵略戦争という「我々の罪過」を償ったうえ で、「正義に基いた平和の確立」のために、積極的な国際貢献をするべきだというのである。
 こうした主張にあたり、南原が現実的な問題として挙げたのは、国際連合への加盟だった。 1932年に満州国承認問題で国際連盟を脱退した日本が、国際連合に加盟を認められるかどうかは、 当時の外交課題であった。そして国連憲章第四三条には、加盟国にたいし、国際平和維持活動への 兵力提供を義務づける規定があった。すなわち、日本が軍備を全廃すれば、国際連合への加盟に 障害をきたす可能性があったのである。
 南原は、1946年8月の貴族院での憲法改正審議で、こう述べている。
 尚国際連合に於きまする兵力の組織は、特別の独立の組織があると云うことでなしに、各加盟国 がそれぞれ之を提供すると云う義務を帯びて居るのであります。茲に御尋ね致したいのは、将来日 本が此の国際連合に加入を許される場合に、果して斯かる権利と義務をも抛棄されると云う御意思 であるのか。斯くの如く致しましては、日本は永久に唯他国の好意と信義に委ねて生き延びむとす る所の東洋的な諦め、諦念主義に陥る危険はないのか。寧ろ進んで人類の自由と正義を擁護するが 為に、互に血と汗の犠牲を払うことに依って相共に携えて世界恒久平和を確立すると云う積極的理 想は、却って其の意義を失われるのではないかと云うことを憂うるのであります。

(中略)

 吉田首相は南原の質問にたいし、「今日は日本と致しましては、先ず第一に国権を回復し、独立を 回復することが差迫っての間題であります」と述べ、「それ以上のことは御答え致すことは出来ない のであります」と突っぱねた。とりあえず憲法を占領下の暫定措置として受け容れるというのが、吉 田の考えであったと思われる。
 こうした吉田にたいして、南原はこう述べている。
 ……国民の一部には是は占領下の憲法であるから己むを得ない場合もあろう、従って或は又改正し ても宜いじゃないかと言う意見も相当な範囲にない訳じゃありませぬ。……けれどもそう言った真実 でない態度を持っては私は相成らぬと思う。苟もどう言う事情があったにせよ、日本政府が作り、又 日本の帝国議会が之に協賛したと致しますれば、其の責任が日本のものであり、日本の憲法として我 々は何処迄も確立しなければならぬのでありまして、此の点は特に政府に於きましては非常に大きな 責任が今後おありになると思います。

 制定過程にどういう事情があれ、ひとたび制定されたらそれは紛れもなく日本の憲法である。 それを「我々は何処迄も確立しなければならぬ」責任があるといっている。GHQの顔色をうかがい 既成事実に拝跪していく政府の政治姿勢を厳しく批判している。  その後、日本政府は一貫してアメリカの顔色をうかがいながら自衛隊と言う既成事実を大きくしてきた。 九条に反対していた南原繁の上記の批判が、そのまま現在の日本政府の政治姿勢への批判になって いる。皮肉なものだ。
196. 憲法第九条をめぐって(11)
打算と利害
2005年2月26日(土)


 「<民主>と<愛国>」に戻る。

 九条が受け入れられる素地として、前回の引用文ように、知識人たちの言論を紹介した後、小熊さんは 石原莞爾の「平和」と「道義」の主張を紹介している。私はとても興味深く読んだ。出処は「読売報知」で 日付は敗戦直後の1945年8月28日。
 ……戦いに敗けた以上はキッパリと潔く軍をして有終の美をなさしめて軍備を撤廃した上今度は世界の 輿論に吾こそ平和の先進国である位の誇りを以て対したい。将来国軍に向けた熱意に劣らぬものを科学、 文化、産業の向上に傾けて祖国の再建に勇往遇進したならば必ずや十年を出でずしてこの狭い国土に、 この超大な人口を抱きながら、世界の最優秀国に伍して絶対に劣らぬ文明国になりうると確信する。 世界はこの猫額大の島国が剛健優雅な民族精神を以て世界の平和と進運に寄与することになったらど んなにか驚くであろう。こんな美しい偉大な仕事はあるまい。かかる尊い大事業をなすことこそ所謂天 業恢弘であって神意に基づくものである。……天業民族に神様から与えられたこの国以外に領土をや たらに欲しがるに及ばない。真に充実した道義国家の完成こそ吾々の最高理想である。

 満州事変を引き起こした張本人で戦争のことしか頭にない軍人バカという、石原莞爾に対する私の 偏見とも言うべき先入観は揺らされた。「民族精神」とか「天業」とか「神意」とを持ち出さなけれ ば収まらない思考傾向にはうんざりするが、「ああ、こういうまともな事も考えられるのだなあ」 と変な感心をしている。

 身近に戦死者や戦災罹災者が満ち満ちていて、日々の生活と言えば、毎日すきっ腹を抱え、ただ生き ながらえることに精一杯だった庶民には当然戦争への呪詛の気持ちが強かっただろう。知識人や軍人 たちのような憂国の心情などとは無縁でも九条は歓迎されるべきものだったはずだ。

 支配階層の者たちにとってはまず天皇制維持が重大事だった。第2が共産主義に対する警戒心が 強かった。ほとんど恐怖心と言ってもよいほどのものではなかったか。
 GHQにはソ連を含む極東委員会への対策と言う事情があった。また、ポツダム宣言を受託した日本 政府にとっては「マッカーサー案」は拒みようがなかった。天皇への戦争責任追求が免れ、曲がり なりにも天皇制を温存できるなら、むしろ九条を歓迎せざるを得なかった。

 憲法草案発表直後、経済支配層(財界)の反応を朝日新聞は次のように報じているという。
 この儘では激流の真只中にどこまで押し流されるか判らない今日、天皇制護持資本主義存続といふ 点で大きな枠がはめられ、将来に対する一応の見透しがついたと同時に、共産党を先頭とする急進勢 力からの圧迫がこれによってある程度緩和されるのではないかと観測し、安堵とゝもに賛意を表明し てゐる。
 天皇周辺の動きはどうだったのか。
 渦中の昭和天皇は、GHQ側の原案を、「今となつては致方あるまい」と受容したとされている。 それでも昭和天皇は、皇室典範改正の発議権確保と、華族制度の存続を希望したが、これらは実現 不可能とみた日本政府が握りつぶした。そして1946年3月6日の草案要綱公表にあたっては、マッカ ーサーの声明とともに天皇の勅語が添えられ、「進んで戦争を抛棄して誼を万邦に修むるの決意」 をよびかけている。天皇制そのものが危機だったこの当時は、天皇が憲法への支持を訴える側だった のである。

 そして支配階層の思惑通り事は進んでいく。
急速に勢力を伸ばした共産党は、社会党との「人民戦線」の結成を模索していた。危機に追いこまれ た保守政治家たちにとって、思いきった改革案を提示する以外に、選択肢はなくなっていたのである。
 実際に新憲法草案の公表は、保守政権の危機を救うかたちとなった。3月6日の草案要綱の発表後、 この草案を支持する社会党と、天皇制打倒を唱えて草案に反対する共産党は、対立状態に陥ってしまう。 そして政府は草案要綱公表の四日後、四月に総選挙を行なうことを告示した。改革の機運を先取りした 保守政党は支持を集め、とくに吉田茂を中心とする自由党がこの選挙で躍進し、政権を獲得した。 新憲法は、たんにアメリカからの圧力で押しつけられたというより、保守政治家たちの生き残り策と して受容されたのである。
195. 憲法第九条をめぐって(10)
〈マッカーサー草案〉以前の言論から
2005年2月25日(金)


 1946年2月13日、日本政府関係者や保守派政治家たちは〈マッカーサー草案〉を驚愕と憂慮を 抱きながら受け取った。
 3月6日、その骨格のほとんどを変えぬまま成った〈憲法改正草案要綱〉を出した時点では 彼らの態度は一様に歓迎一色に変わった。
 この約3週間の間に何があったのか。「さまざまな打算や利害」のぶつかり合いを容易に 想像できる。
 しかし「さまざまな打算や利害」とは無縁なところで一般国民が純粋に「九条」を歓迎する 素地が形成されていたに違いない。「さまざまな打算や利害」を検証する前にそうした素地を 検証しておこう。

 敗戦直後(〈マッカーサー草案〉以前)から大部分の戦後知識人たちは、敗戦で荒廃した 日本を再建するための新しいナショナル・アイデンティティとして「文化国家」や「平和 国家」といったスローガンを掲げていた。
 たとえば評論家の河上徹太郎は、1945年10月に「政治、軍事、経済すべての面で手足をもが れたわが国の唯一のホープは文化である」と述べたし、京都学派の高坂正顕も8月20日の新聞 寄稿で「戦争に負けたということは総力の点において敗れてしまったということではない」と して「文化戦争に勝て」と唱えた。東久適首相も1945年8月の記者会見で、「一億総懺悔」とと もに、「この際心機一転わが民族の全智全能を人類の文化に傾注」することを唱えている。

 「『天皇制』論集」に高野岩三郎という方の「囚われる民衆」(「新生」1946年2月号)という論 文が掲載されている。この論文は主として天皇の処遇を論じている。東大教授の横田喜三郎が 「民主主義の確立と天皇制維持との妥協案」(天皇を「国民的儀礼的機関」とするというようなも ののようだ。象徴天皇制を先取りしている。)として発表していた案を批判して言う。
 現下の状勢においてすでに憲法の改正により主権在民の根本原則を容認せしむることができると 考うるならば、何が故に単に儀礼的機関に過ぎざる天皇制を存置するの要ありや、むしろただ一歩 を進めて紙一重の障害を撤去し、天皇制の維持を放棄するに躊躇せずして可なりとせずやとの点で ある。しかるにもかかわらずなおかつ天皇制に未練を残して純然たる民主主義の採用に猛進せざる は、依然として天皇制に対する若干の信頼と民主制に対する自信の念の薄弱とによるものではある まいか。もしはたしてしかりとするならば、このことはわが国における民主制の将来に対してすこ ぶる憂うべきことといわざるを得ない。今やわが国における新時代の発足にあたってはわれわれは いかなる困難もこれを突破し、幾多の荊棘(けいきよく)もこれを排除 して真に新しい途を開拓するに鋭意努力しなけれはならない、いやしくも過去の残存勢力に恋々と し、一種の仮空的迷信や、頼むべからざる偶像に依頼するの痕跡を留むべからずと信ずる。いわん や軍閥財閥の過去の勢力はすでに芟除(せんじよ)せられたるも、残存 の余燃はなお潜在し、再起の機会を狙いつつあるものと覚悟しなければなるまい。殊にわが国民は 由来自主独立の気象欠如し、とかく既存勢力に依頼する傾顕著なるをもって、五年十年の後連合軍の威圧力緩減し たる暁において、反動的分子が天皇を担ぎ上げて、再挙を計ることもけっして絶無なりとは断じ 難い。したがって私はこの際あっさりと天皇制を廃止して、主権在民の民主制を確立し、人心の一新 帰一に向って勇往邁進、国民の啓蒙に大々的努力を払うをもって得策とすと信ずる。天皇制の廃止論 は現下わが国においては共産党の独占に限らるる観あるも、社会党の内部にも、また冷静に民主政 治の理念を考察する有識者の間にありても、たとい私のごとき生立ち境遇よりして自由にこの問題を 考え得べきものでなくとも、またたとい天皇の個人に対しては愛敬の念禁じ難き場合にも、同様の 思想を抱くもの世間その人に乏しからずと認められる。これ私があえて私見を開陳して世人の参考 に資せんと欲する所以である。

 一民間人が天皇制廃止の意見を開陳している。そしてそれを「同様の思想を抱くもの世間その人に 乏しからず」と認識している。そして象徴天皇制という妥協案であろうと天皇制を残すことは 「わが国における民主制の将来に対してすこぶる憂うべきことといわざるを得ない。」と喝破している。 この憂慮がいま60年後に現実化しようとしている。

 私はいまは九条をテーマにしているのだが、岩田さんの論文には軍備についての意見はない。最後 に掲載している「改正憲法私案要綱」にも軍備に関する章がない。まだ確たる意見の集約ができなかったのか、 軍備を持たないことを既成の了解事項としていたのか、知るよしもないので今はそれは置く。

 岩田さんは論文を次の文章で結んでいる。
 終りに新時代における民衆の解放その民主主義化は政治および経済の方面以外さ らに文化方面においてもまた行なわれなければならない。それはすなわちわれわれ の各種生活方面における合理主義、科学主義の徹底的実行である。これより派生す るところの要求は科学の尊重その振興を始めとし、教育の平等男女の機会均等化、 文化的享楽の権利、休養の権利、文化的生活水準の享受、信教の自由等々となつて 現われるのである。  これを要するに現代の憲法なるものは広く民衆の政治・経済・文化の三方面にわ たりその生活の基準となるペき根本原則を規定すべきものであって、しかもそれは 現在および将来におけるわが民主政治の円満かつ円滑なる進展に資するものであら ねばならぬ。ここにおいてかわれわれ同志数人は事の重要性に鑑みて、さきに憲法 研究会を作り、数回会合を催おし意見を交換し機やや熟するを待ちこれを鈴木安蔵 君の手を煩わして一の成案に纏め、去る一月中旬政府に提出して参考に供すると同 時に、世に公けにしたる次第である。しかしながらこれよりさき私は別に一の私案 を作製して会員に示した。以下に掲ぐるところのものはすなわちそれである。畢竟 私自身多年憲法に関して抱懐せる所見を箇条書的に列挙しいささかこれに体系を与 えたるにとどまる、すこぶる蕪雑なる構想の羅列に過ぎずして不備欠点に充つるは 私自身のひそかに自覚するところである。研究会案は多くの智能の集積に成りかつ 巧みに鈴木君によって編整されたるが故に、終始一貫してその整然たる体制を備え たるに反し、私案はすこぶる雑駁なるの譏りを免かる能わずと思惟すれども、会員の 中にはかくのごとき試案を案じたるものもありしかと考え、多少の参考に供せらる る人士あらは、至幸とするところである。

 「去る一月中旬政府に提出して参考に供すると同時に、世に公けにしたる次第で ある。」とある。前のほうの文章に「(天皇制について)憲法研究会同人とも所見を 異にする。」とあるので、「憲法研究会」が「改正案」を政府に提出したと考えてよ いだろう。
 その同人であった岩田さんの論文から推測すると、相当進んだ「改正案」だったと思 われる。このような案が数においてどれほど発表されていたのか分からないが、ともかく「松本案」 の1ヶ月前にこのような進んだ案が民間で書かれていた。 GHQが「欽定憲法」の若干の手直しに過ぎ ない「松本案」を日本国民の意思を反映したものではないと判断したのは当然のことだったのではな いか。

 最後に岩田さんの「改正憲法私案要綱」の始めの2章を掲載して参考に供したい。


     根本原則
 天皇制ニ代エテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用

     第一主権オヨビ元首
 日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル
 日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トス
 大統領ノ任期ハ四年トシ再選ヲ妨ゲザルモ三選スルヲ得ズ
 大統領ハ国ノ内外ニ対シ国民ヲ代表ス
 立法権ハ議会ニ属ス
 議会ノ召集開会オヨビ閉会ハ議会ノ決議ニヨリ大統領コレニ当タル、
 大統領ハ議会ヲ解散スルヲ得ズ
 議会閉会中公益上緊急ノ必要アリト認ムルトキハ大統領ハ臨時議会ヲ召集ス
 大統領ハ行政権ヲ執行シ国務大臣ヲ任免ス
 条約ノ締結ハ議会ノ議決ヲ経テ大統領コレニ当タル
 爵位勲章ソノ他ノ栄典ハ一切廃止ス、ソノ効力ハ過去与ラフレタルモノニ及プ

     第二 国民の権利兼務
 国民ハ居住オヨビ移転ノ自由ヲ有ス
 国民ハ通信ノ自由ヲ有ス
 国民ハ公益ノ必要アル場合ノホカソノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
 国民ハ言論著作出版集会オヨビ結社ノ自由ヲ有ス
 国民ハ憲法ヲ遵守シ社会的協同生活ノ法則ヲ遵奉スルノ義務ヲ有ス
 国民ハ納税ノ義務ヲ有ス
 国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
 国民ハ生存ノ権利ヲ有ス
 国民ハ教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス
 国民ハ休養ノ権利ヲ有ス
 国民ハ文化的享楽ノ権利ヲ有ス
194. 憲法第九条をめぐって(9)
歓迎された第九条
2005年2月24日(木)


 まず、敗戦から憲法制定までの憲法関連年表を作ってみる。

1945年 8月15日 ポツダム宣言受諾
1945年10月   GHQ、ポツダム宣言に則り、(欽定)憲法の抜本的改正を勧告
1945年12月 8日 国務大臣松本烝治、衆議院で〈松本四原則〉を表明
1946年 2月 8日 〈松本四原則〉に基づいた〈憲法改正要綱・松本案〉をGHQに提出
1946年 2月13日 GHQ、〈松本案〉を拒否。
        〈マッカーサー草案〉を参考に憲法草案をつくるよう勧告。
1946年 2月26日 日本政府、新草案作成の作業に入る。
1946年 3月 2日 GHQからの数度の督促を受けて〈3月2日案〉を完成。
1946年 3月 4日 GHQに提出。
        GHQは,その場で〈最終案〉をつくるための共同研究会を提案。
1946年 3月 4日~ 5日 〈3月2日案〉が徹夜で検討され、 大幅に修正される。
1946年 3月 6日 〈最終案〉を〈憲法改正草案要綱〉とし、勅語、首相の談話とともに発表。
        マッカーサーは、この要綱を全面的に支持する声明を出す。
1964年 6月20日 「帝国憲法改正案」として帝国議会に提出
1946年10月 7日 衆議院・貴族院による修正を受けて成立。
1946年11月 3日 公布
1947年 5月 3日から施行

(以下断りがない限り引用文は、小熊英二著「<民主>と<愛国>」の第4章 「憲法愛国主義」からのものです。

 ポツダム宣言受諾より〈最終案〉成立までわずか7ヶ月であった。GHQにはソ連を含む連合国の極 東委員会の開催を控えて、早急に日本の戦後体制を決定したいという事情があった。

 「欽定憲法」の改正で済まそうとしていた〈松本案〉を拒否してGHQが日本政府につきつけた 〈マッカーサー草案〉は、GHQ民政局(GS)のメンバーたちがわずか九日間で起草した英文をもと に作成されたものだったと言われている。この案に対する日本政府の反応は
 GHQ側が提示した憲法案は、日本政府が準備していたものとは大幅に異なる内容であり、当初は 驚きをもって迎えられた。GHQ側の記録によれば、1946年2月13日に日本側要人にGHQ案が手交され たさい、「日本側の人々は、はっきりと、ぼう然たる表情を示した。特に吉田〔茂〕氏の顔は、 驚愕と憂慮の色を示した」という。

  しかし3月6日の政府案の発表の時には保守派も一様に歓迎を表明したという。
 憲法改正審議の国会で吉田首相などの発言。
 当時の吉田茂首相は、第九条について「高き理想を以て、平和愛好国の先頭に立ち、正義の大道を踏み 進んで行こうと云う固き決意を此の国の根本法に明示せんとするものであります」と述べている。議員 たちからも、「万国に先駆けて規定致しましたことは、洵に我々国民として誇りとする所であります」 「光は正に日本よりと申すべきであります」といった発言が数多く出された。
 さらにこの憲法改正審議で、吉田が「今日までの戦争は多くは自衛権の名に依って戦争を始められ た」と述べて、自衛権を明確に否定したことはよく知られる。また吉田とともに答弁に立った前首相 の幣原喜重郎も、核兵器が開発された現代においては、軍備による自衛で生き残ろうという思想のほ うが、「全く夢のような理想に子供らしい信頼を置くものでなくて何であろうか」と主張している。

 1947年 5月 3日憲法施行の折の各新聞社の社説。
 たとえば『日本経済新聞』は、「敗戦後の現在にあつて、われら国民が自信をもつて内外に示し得る ものが果していくつあるか。新憲法こそやゝもすれば目標を見失い勝ちな国民にはつきりと行先を教 え、世界に偽りもひけめも感ずることなしに示し得る最大のものであろう」と述べた。『読売新聞』 も、「原子力時代に一握りの軍備が何程の意味もなさぬ」と強調し、第九条は「決して単なる〝敗戦 の結果″ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」と唱えた。『毎日新聞』は憲法を評 して、「これからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理である」と述べている。

 「第187回」(2月16日)で紹介した辺見庸さんの文章の中に引用されていた「あたらしい憲法のはな し」が政府の教育政策の一つとして文部省から発行されたのが1947年8月だった。憲法九条は児童生徒た ちの中にも浸透していった。
 当時10歳だった大江健三郎さん回想。
 終戦直後の子供たちにとって《戦争放棄》という言葉がどのように輝かしい光をそなえた憲法の 言葉だったか。ぽくの記憶では、新制中学の社会科の教師が、現在の日本大国論風のムードにつな がる最初の声を発したのが、《戦争放棄》をめぐってであった。日本は戦いに敗れた、しかも封建 的なものや、非科学的なものの残りかすだらけで、いまや卑小な国である。しかし、と教師は、突 然に局面を逆転させるのだった。日本は戦争を放棄したところの、選ばれた国である。ぼくはいつ も、充分に活躍する最後の切札をもってトランプ・ゲームをやっているような気がした。このよう にして、《戦争放棄》は、ぼくのモラルのもっとも主要な支柱となった。

 以上のようは政治家、新聞社の筆者、教師、児童などの共通の心情を小熊さんは「第九条を基盤と したナショナリズム」あるいは「憲法愛国主義」と呼んでいる。
193. 憲法第九条をめぐって(8)
ナショナリズムとは何か
2005年2月23日(水)


 「アピールへのアピール」批判を書きながら、憲法制定の経緯とその当時の議論の理解の程度が現在の議論の質を 左右する大きな要因の一つだと感じた。「第188回」(2月17日)で「戦争が遺したもの」からの 引用文にそのことに触れる部分があったが、できるだけ正確な情報を求めようと思いたった。
 小熊英二著「<民主>と<愛国>」の第4章「憲法愛国主義」を読むことにする。

 まず第三章の前書きで小熊さんは次のように書いている。
 結論からいえば、憲法第九条はその制定当時においては、戦後の新しいナショナリズムの基盤とし て「歓迎」されていた。しかしその「歓迎」には、さまざまな打算や利害、そして後年の対立の芽が 含まれていたのである。

 「さまざまな打算や利害」がぶつかり合った当時の議論に「後年の対立の芽が含まれていた」ことは 当然のことと思える。現在の議論の論点はその当時の議論でも出尽くしているのではないかと私は 予想している。当時を振り返ってみようと思い立った所以でもある。

 ところで、第四章の表題「憲法愛国主義」を奇異に感じた人がいるかもしれない。私がそうだった。
 第四章には「第九条とナショナリズム」という副題がついている。この著書が「戦後ナショナ リズム」の研究書なのだから当然の副題だが、「ナショナリズム」という概念について触れておきたい。
 「ナショナリズム」という概念は使う人によってさまざまな意味合いが込められる。読む方もそれに 対して持っているそれぞれのイメージがあって、そのイメージの齟齬が議論を不毛にすることが懸念さ れる。
 私の中では、「ナショナリズム」とは国家権力が国民を統合支配するために打ち出してくる「共同 幻想」と言った意味合いの理解があり、否定的なものとして存在している。こうした「ナショナリズ ム」についての固定観念をひとまず取り払ってから「第九条とナショナリズム」を読もう思う。
 そこで本論に入る前に小熊さんの「ナショナリズム」についての論考に耳を傾けておこう。
 以下は最終章「結論」からの引用である。

 小熊さんは『心情の表現手段として「民族」や「国家」という言葉が採用された状況、』を「ナショナ リズム」と定義して次のように続ける。
その場合の心情はきわめて多様であり、権力志向や他者への悪意もあれば、反権力志向や他者への連帯 願望もある。そうした個々の文脈を無視して、一括して「ナショナリズム」という総称を与え、それを 肯定したり否定したりしても、どれほど意味があるのか疑問である。

 つまり「権力志向」も「反権力志向」も含めて「ナショナリズム」と呼んでいる。このような広義の 意で捉えた「ナショナリズム」の意をさらに広げる。
(戦後思想が抱えていた)欠陥と限界をふまえたうえで、戦後思想の「ナショナリズム」に読みなおし を施すことを考える。その場合に参考になるのが、近年の在日コリアンや沖縄の「ナショナリズム」で ある。
(中略)
 上野千鶴子は2001年に、ある「在日韓国人男性」から、「在日ナショナリズムと呼ばれるものは、その 実ナショナリズムではない(ヽ ヽ ヽ ヽ)」という発言を聞いたという。 上野によれば、「それは同化を強制する日本のナショナリズムには抗するが、だからといって韓国や朝鮮 のナショナリズムに同一化するわけではない」。そして「在日ナショナリズムは『領土なきナショナリズ ム』『ナショナリズムに抵抗するナショナリズム』、いまだ適切な表現が生まれていないためにまちが って『ナショナリズム』と呼ばれている」「『反権力と自由の思想』の別名」だという。

 上野千鶴子さんが紹介しているこの事例を受けて小熊さんは「政府・領土・言語・国籍などに回収さ れえない、ある種の共同性の希求」を肯定する。さらに『「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどう かは各人の自由としよう」と言うほうが、よりましな姿勢ではないだろうか。』と控えめな言い方ながら、それをも 「ナショナリズム」と呼ぶことを肯定している。
 上記引用文の少し前で、小熊さんは次のようにも述べている。
多くの戦後思想は、何らかの公的な共同性―それは「国民」「民族」「市民」「人間」などさまぎま な呼称で表現されたが―を追求していた。その場合、「国民」や「民族」はもちろん、六〇年安保闘 争やべ平連などで唱えられた「市民」や「人間」も、ナショナリズムを全否定するものではなかった。
 ここまで来ると『「ナショナリズム」とはある種の共同性を希求する心情を表現するもの』となり、 「市民ナショナリズム」とか「人間ナショナリズム」も可能となる。これはもう「ナショナリズム」 という言葉の本来の意味を大きく逸脱しており、別の用語を考えるべきだろうと私は思う。
 しかしそれは置いて、小熊さんの論説の先を追ってみる。
自己が自己であるという感触を得ながら、他者と共同している「名前のない」状態を、戦後知識人たち はあるいは「民族」と呼び、あるいは「国民」と呼んだ。それを「ナショナリズム」だったと批判す ることは、たやすいが無意味なことである。そして、それらの言葉で表現されていた心情は、たとえば 全共闘の「連帯を求めて孤立を恐れず」というスローガンや、べ平連が唱えた「ふつうの市民」という 言葉や、前述の「在日ナショナリズム」の言葉で表現されていたものと、それほど隔たっていたとは筆 者には思われない。
 すなわち、本書の結論は、以下のようになろう。新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思 想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しょうと試みてきた「名前のないも の」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえ を行なってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが 可能になる。

 ここまで来てやっと私は小熊さんの真意を理解した。
 小熊さんはこれまで「ナショナリズム」というレッテルで一緒くたにされてきた良質な戦後 の知的財産を、レッテルをはがして再検証することを提唱している。そして「ナショナリズム」という 言葉の言い換えに代えて、それをとりあえず「名前のないもの」と呼んでいる。
 最後に小熊さんは次のように述べて、この著書を終えている。
 
 そのとき、その「名前のないもの」に結果として与えられる、仮の名称がどのようなものになるのか は未知である。そして、「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどうかは各人の自由としよう」。いず れにせよわれわれは、この「名前のないもの」を、過去において求め、現在において求め、また未来に おいても求めているであろうことは、確かなのである。
192. 憲法第九条をめぐって(7)
「アピールへのアピール」批判(3)
2005年2月22日(火)


 さて、私は「国家権力」という言葉を使ったり自分のことを「国家に支配されている一人」と言った りしてきたが、それに対してあなたはどんな感想をお持ちだろうか。
 あなたの記事を読み進めていると、国家に対して相当な親和感を持っており、あなたの国家観に は「国家権力」という概念や「国家に支配されている一人」という認識は入り込む余地がなさそうだ。
 しかし、最後にあなたの国家に対する親和感は一転して、為政者に対する不信不満の述懐が、それま での文脈から見ると、これも唐突に出てくる。国家の代弁者から一庶民に変貌する。
 私たちが、本当に、平和を求める世界の人々と手をつなぐためには、この国を変えなければなりま せん。憲法の条文を守ることより、今、私たちに必要なのは、私たちの意志が正しく反映させられる 国家を作ることです。今の日本は、かつての高度経済成長の時代も終わり、国家的な衰退を迎えつつ あります。その中で、国を食い物にする官僚たち、そんな官僚の言うがままの政治家たちは、日本の 危機に正面から立ち向かうこともせず、悪政のツケをすべて一般の庶民に押し付けようとしています。

 政治家や官僚に対するあなたの不信不満には諸手を挙げて賛同する。しかしそれを「憲法の条文を 守ること」と絡める必然性は全くない。
 ここでもまた「国家的な衰退」とか「日本の危機」とかの言葉がその内実を明らかにされぬままに 一人歩きしている。
「衰退」の方はどうやら「経済的な衰退」のようだが、「危機」の方はどういう点がどうして危機な のか分からない。これも単なる「経済的危機」を指しているのだろうか。そのような「衰退」や「危 機」を克服することを「国を変える」と言っているのなら、それと「憲法の条文を守る」こととを二 者択一の問題とするのは、これも珍妙な論理だ。
 「衰退」や「危機」は置いて、前半の「私たちの意志が正しく反映させられる国家」に「国を変 える」という点だけに絞って考えてみる。
 「私たちの意志が正しく反映させられる国家」に「国を変える」指針はどのようなのもでどこに あるのか。その指針が憲法だ。憲法は国家が「私たちの意志が正しく反映させられる国家」となる ための規範なのだから、「国を変える」とは憲法から乖離してしまった国家を憲法によりよくマッチ したものに変えていくことになるだろう。「国を変える」ことと「憲法の条文を守る」ことを二者択 一の問題とするのはやはり珍妙だ。
 もちろんこの場合、現在の憲法が『国家が「私たちの意志が正しく反映させられる国家」となる ための』規範として満足なものかどうかという問題がある。そういう観点から見たとき、私は現憲 法には改正すべき点が少なからずあると思っている。その意味で私はいわゆる護憲派ではない。

 さて、「アピール」とあなたとの間に大きな相違点がもう一つある。あなたは言う。
 (「アピール」は)日本の国内問題に過ぎない憲法改正を「世界市民の意思」と結びつけ、矛盾に満ちた現実の固定 化をはかる。

 「矛盾に満ちた現実の固定化をはか」るとは、私の言語感覚では「既成事実に拝跪する」ということ と同意だ。はたして「矛盾に満ちた現実の固定化をはか」っているのはどっちだろうかと混ぜっ返した いが、このことはもう既に述べた。
 問題点は『憲法「改正」問題は「国内問題に過ぎない」』というあなたに対して「アピール」は 『「世界市民の意思」という概念を憲法に結び付けている』という点にある。
 どうやらあなたにとって「国内問題に過ぎない」憲法論議に「世界の市民」という言葉が結びつくの が理解しがいようだ。私の理解では、これは「アピール」で表明されている思想とあなたの思想の最も 重要な相違点だ。そしてその相違点のよってきる源泉は国家観の違いにある。

 「世界の市民」と憲法の結びつきからは私は直ちに憲法前文を思い出す。「アピール」を誰が起草 して誰と誰の検討を受けて成立したのか知る由もないが、この「アピール」の筆者が憲法前文の理念 を踏まえて書いていることは確かだと思う。そして前文の理念を正しく理解するためには正しい国家 論が必要だ。
 ここで私が「正しい」という意味は「現実と照らし合わせたときによりよく適合する」という意 味だ。そういう意味であなたは正しい国家論を欠いていると断じざるを得ない。そう断じる根拠とし て、「アピール」が「色濃い国家不信を払拭できないでいること」にあなたが幻滅していること、政 治家や官僚たちへの道義的な怒りはあっても国家そのものへの疑念や不信はないこと、記事の中で 「国家」と「国」という2種類の言葉をほとんど同じ意味に使っていることなどを、あげる事がで きる。

 「アピール」がいう「世界の市民」という言い方には「国家」と「市民社会」を峻別して世界を考 えるという前提があると私は思っているが、ここからは推測になってしまうので「アピール」の考え ではなく私の考えということになる。
 国家観に関してもう一つ重要なことは「国家」と「市民」(私は「人民」という)の関係を「支配-被 支配」あるいは「抑圧-被抑圧」という関係から捉えることである。この観点から世界を見れば、世界に はブッシュが言う様な「自由主義国家」対「ならず者国家」などという対立はなく、あるのは「支配 者・抑圧者」対「被支配者・被抑圧者」という対立があるばかりだという歴然とした事実が大きく浮 かび上がる。
 憲法前文は、この「支配者・抑圧者」対「被支配者・被抑圧者」という対立を克服するという課題の ための国家の役割を述べている。そしてこの課題は世界の全市民(人民)の共通の課題であるとも言っ ている。「アピール」が「世界の市民の意思」と言っているのはそういうことだ。この私の理解では 「アピール」の言説にこれぽっちも「矛盾」はない。

 憲法「改正」において大きく意見が分かれる論点の多くは、国家観の違いに由来する。あなたと 「アピール」、あるいはあなたと私の、憲法を巡る意見の相違も煎じ詰めれば国家観の違いと言う ことになると思う。
 乏しいながら私の知る範囲では、上述のような国家観を私は今のところ一番「正しい」と確信し ている。

 最後に私が上述の国家観を「正しい」と断ずる所以の援護として、「国家について」で引用した 文章を再録して終わることにしよう。このような国家観とあなたがお持ちであろう国家観とを、 どうか、現実と照らし合わせてることによって比較検討されんことを。
 「国家の経済的繁栄が、そのまま日本人民衆の繁栄であるかのような錯覚に満ちわたっている。  日本の民衆は、自分たちが民衆にすぎないということすら、自覚していないのだ。 かくては、毎日の生活と生活環境への順応、治安の維持(支配のための)のための道徳と法律、 その法律をつくるための議会、議会のための選挙、われわれの坐臥、二十四時間、三百六十五日、 この国家という権力機構の操作の外に出ることはできない。繁栄といわれている現在ほど民衆の 精神生活が、わが精神環境の外側に吸収されて飢餓に瀕したことはなく、逆に国家権力がこれほど安定し ていることもない。国家が民衆のものであるなどと、ぬけぬけとしたいい方があり、しかもなお 民衆がそれを疑惑することすらできない。」

 「われわれは国家というものが、大衆の意志などとまるでまったく無関 係な政府によって、政府をつくる政党によって、政府をバックアップする 階級によって、資本家によって、官僚によって、あるいは地主らの総合的 利益のためによって、つくられて運営されて、下級民衆にはそのための必 要によってのみ支配の手が緩急されるという事実をあまりにも痛 切に経験しつつある。(中略)

 国家、それは、社会主義を名乗ろうと王国であろうとデモクラシーの近代的国家であろうと、 その国家と民衆との関係は、圧制者と権力にしいたげられる奴隷との対立であることにかわりは ない、ということにつきる。」 (秋山清「反逆の信条」より)
191. 憲法第九条をめぐって(6)
「アピールへのアピール」批判(2)
2005年2月21日(月)


 さて、憲法九条を巡るあなたの主張そのものの検討に入ろう。
 まず、あなたの主張を侠雑物を取り去って要約する。次のように主張していると思う。

 「警察予備隊を保安隊、自衛隊と形を変えて、戦力を持たないことの規定をなし崩し的に変貌させ 、何年も前から世界でも有数の戦力を抱えた上に、最近では、その戦力組織を国際貢献の名の下に海 外にも派遣するといった行動を取るようにな」った現実と憲法九条という建前とのギャップは「日本 の病理」である。この「現実と憲法との乖離という不正常な状態を脱して、一人前の国家として世界 の中に日本の存在を示すべき」だ。

 それでは九条をどうすべきだと言っているのか。どこを探してもそのことを直裁に述べている箇所 がない。文脈から推し測るほかないが、少なくとも九条を撤廃するか改定すべしと言っていると思う。 要するに事実に合うように憲法を変えよということだ。
 また「一人前の国家として世界の中に日本の存在を示すべき」と主張しているが、その「一人前 の国家」というのがどういう国家なのか何も書かれていないからこれも文脈から推し測れば、 「一人前の国家」とは軍隊を持った国家であり、はっきりと自衛隊を軍隊と認めて「世界の中に日本 の存在を示すべき」だというのだろう。

   この主張には問題点が二つある。
 一つは既成事実に拝跪する思考だ。あなたが正しく認識しているように国家権力は「戦力を持た ないことの規定をなし崩し的に変貌させ」てきた。それはあなたのような「既成事実に拝跪する 思考」をあてこんでの事だ。あなたが国家権力を担う権力者の一人でなく、私と同じ国家に支配 されている一人の庶民ならば、まさにあなたは国家権力の思う壺にはまったことになる。
もう一つは、軍隊を持って「一人前の国家」であるというような耳目に入りやすい俗論をベース に国家のことを考えている点だ。

 ここで国家とは何かをかいつまんで書こうと思ったが、相当長くなってしまいそうで、かいつまめな いでいる。このホームページのバックナンバー「国家について」と「自由について」で代えたいと思う。 (興味と必要を感じたら読んでください。)
 ここでは、せめて『「国家」と「市民社会」』あるいは『「政治的国家」と「社会的国家」』あるい はまた『「国家」と「国」』さらに言えば『「国家」と「公共」』の違いぐらいはわきまえて議論すべ きだということを指摘するにとどめよう。

 さて、あなたは九条を撤廃するか改定すべしと言っているようだが、その理由を次のように述べて いる。

 「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にす べきではないという教訓」は、実は「戦争放棄と戦力を持たないこと を規定した九条を含む憲法」を持っていなくても可能です。それどこ ろか、ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九 条を含む憲法」などなくても、「国際紛争の解決のためであっても、武 力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を胸に刻み、国 際平和を希求しているのです。

 まず、過去や現在進行中の数え切れぬほどの戦争の事実についてあなたは何も知らないのだろうか、 と疑ってしまう。
 一歩譲って『ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」など なくても、「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという 教訓」を胸に刻み、国際平和を希求しているのです。』という認識を正しいとしよう。
 このことから導き出せる結論は、私の論理力だと『だから軍隊は不要だ』となる。しかしあなた の場合は『だから軍隊を持とう』となるらしい。私にはあなたの論理がとても珍妙に思える。

 またあなたはこうも言っている。
 「戦争放棄と戦力を持たないこと」というのは、日本一国が一方的 に行うことではなく、お互いの話し合いで決めるものではないでし ょうか。それがなければ、それは戦争放棄ではなく「話し合いの放 棄」ではないでしょうか。

 これも珍妙な論理だ。あらかじめ軍隊を持っていなければ話し合いには加われないといっている。
 もう一つ、これは後で詳しく論じることだが、あなたは別の箇所で憲法問題は「国内問題に過ぎな い」と言っている。それがここでは戦争放棄を「日本一国が一方的に行うことではなく、」国際的な 「話し合いで決めるもの」という。大変な矛盾だ。

 さて、現在進行中の憲法「改正」論議の中では憲法の文言そのもの以上に、憲法と国家の関係が 一つの大きな争点となっている。
 現憲法はその前文から明らかなように、憲法は国家のあり方やその進むべき方向を人民の側から 指し示すものと位置づけられている。
 一方「改正」論者たちの多くは憲法を、欽定憲法のように、国家が国民に生き方や国家への貢献 の仕方やを指し示すものとしたいらしい。だから前文の書き換えも改憲論者の俎上に上っている。

 私は現憲法の前文の理念を人類が共有すべき正しい理念だと思うし、九条は国家の在り方を指し示す ものとして世界に誇れるものだと認識している。
 また、九条と大きなギャップをなしている現実は自然にそうなったのではない。あなたも正しく認識 しているように、国家権力が「戦力を持たないことの規定」にも拘らず、意図的に「なし崩し的に変貌 させ」てきた結果である。従って現実と九条とのギャップの埋め方としては、あなたの言うように現実 に合わせて理想を捨てることに組するわけには行かない。現実をできるだけ理想に近づけるように現実 に働きかける方を私は選ぶ。その点で私は「九条の会」と立場を共にする。
 もっともあなたにとっては九条は理想なんてものではなく、今や「日本の病理の中心」なのだから、 現実を追認するほかないのだろう。
190. 憲法第九条をめぐって(5)
「アピールへのアピール」批判(1)
2005年2月20日(日)


189. 憲法第九条をめぐって(4)
2005年2月18日(金)



「九条の会」はその発足のときの記者会見で『「九条の会」アピール』という文書を公開した。

 「第22回」(2004年9月5日)で、私は「JANJAN」
というインターネット新聞を紹介した。その「JANJAN」に先ごろ柴田忠という方が『「九条の会」アピールへのアピール』という『「九条の会」アピール』に対する批判記事を書いた。この記事について筆者は
 僕の拙文である「『九条の会』アピールへのアピール」が「JANJAN」に掲載されてから、僕は「九条の会」参加のサイトを中心に、各方面に、この文章に関するご意見を募るメールを発送した。

と言っていっているのでこのホームページに掲載しても差し支えないだろう。

 ということで今回は「第九条」を考える資料の一つとして『「九条の会」アピール』と『「九条の会」アピールへのアピール』を紹介する。
「九条の会」アピール

 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
 二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日


井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)

「九条の会」アピールへのアピール 2005/02/08

 今、日本は大きな試練にさらされています。

 第二次世界大戦に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定、自国の軍隊を解体し、アメリカの占領政策に身を委ねました。それから60年、戦後の苦しい時代を経て、日本は高度経済成長を達成、急速な勢いで先進化を遂げ、今では、世界の中で経済大国としての重要な地位を得ています。

 アメリカの占領政策は、敗戦の直後から1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約調印で一区切りを迎えますが、その後も日本の軍備は、ほとんどが日米安全保障条約に受け継がれ、現在でも基本的には、いざという時はアメリカに守ってもらうという形での日米の同盟体制が継続されています。そして、それは、日本が憲法九条を順守するという立場を維持しているからに他なりません。

 しかし、現実には、日本は、サンフランシスコ平和条約調印直前に設けられた警察予備隊を保安隊、自衛隊と形を変えて、戦力を持たないことの規定をなし崩し的に変貌させ、何年も前から世界でも有数の戦力を抱えた上に、最近では、その戦力組織を国際貢献の名の下に海外にも派遣するといった行動を取るようになりました。

 憲法九条の問題とは、実は、この建前と現実のギャップに対して、当の日本人自体がどのような態度で臨むのかという、日本の国内問題に他なりません。占領下の日本では、日本が主体的な意志を示すことは不可能でした。占領体制が終わっても、時は東西冷戦の真っ只中にあり、日本は引き続きアメリカ等の顔色を見ながら行動することを余儀なくされました。

 しかしながら、戦後も60年を過ぎ、日本も経済大国として、一人前の国家として歩むべき時に、何ら自らの主体的な意志を示そうとしない日本、いつまで立っても建前と現実のギャップを埋めようともしない日本の存在こそが、日本の病理であり、その中心に憲法九条があるのではないでしょうか。

 ところが、さきに、いまの日本を代表する知識人と言われる人々が、日本国憲法を守るため「九条の会」を発足し、「『九条の会』アピール」というものを発表しました。しかるに、それは日本の多くの人々の心を動かすどころか、幻滅感を与える結果になりました。

 その理由の1つは、そのアピールが日本の一流の知識人の提案であるにもかかわらず、あまりにも意味不明な言葉で満ち満ちていたこと。もう1つは、そうした日本の一流の知識人が、戦後の日本に確固たる影響力を持ち、それぞれの活動を行ってきたにもかかわらず、今に至っても、色濃い国家不信を払拭できないでいることに対してでした。

 今こそ、日本が敗戦による負の遺産を解消し、また、現実と憲法との乖離という不正常な状態を脱して、一人前の国家として世界の中に日本の存在を示すべきです。ところが、そのアピール文の最大の罪は、日本国憲法の改憲問題を、単なる「個人の良心に対する踏み絵」としてしまったこと。それではないでしょうか。

 「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」は、実は「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」を持っていなくても可能です。それどころか、ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」などなくても、「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を胸に刻み、国際平和を希求しているのです。

 「戦争放棄と戦力を持たないこと」というのは、日本一国が一方的に行うことではなく、お互いの話し合いで決めるものではないでしょうか。それがなければ、それは戦争放棄ではなく「話し合いの放棄」ではないでしょうか。

 それを「護憲」=「戦争放棄」「戦争反対」と結びつけ、「改憲」=「戦争擁護」「軍事国家を目指すもの」として、「護憲」=「正義」、「改憲」=「悪」とし、改憲問題を「個人の良心に対する踏み絵」にする。さらには、日本の国内問題に過ぎない憲法改正を「世界市民の意思」と結びつけ、矛盾に満ちた現実の固定化をはかる。これが果たして、日本を代表する知識人の常識なのでしょうか。

 日本は、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」を改正した途端に、戦争を起こすような国ですか。もし、仮にそうであるなら、憲法を守る前に国を変えるべきでしょう。何故なら、現実は憲法があろうとも、日本は世界に有数の軍隊を持ち、それを海外に派遣しています。この現実と建前が異なる国が「戦争放棄」と言って誰が信じるでしょう。

 私たちが、本当に、平和を求める世界の人々と手をつなぐためには、この国を変えなければなりません。憲法の条文を守ることより、今、私たちに必要なのは、私たちの意志が正しく反映させられる国家を作ることです。今の日本は、かつての高度経済成長の時代も終わり、国家的な衰退を迎えつつあります。その中で、国を食い物にする官僚たち、そんな官僚の言うがままの政治家たちは、日本の危機に正面から立ち向かうこともせず、悪政のツケをすべて一般の庶民に押し付けようとしています。

 その中で、改憲論議とは、本来、有りうべき国家の姿を、国民すべてで語り合う絶好の機会ではないでしょうか。それを憲法九条にこだわり、それを単なる「個人の良心に対する踏み絵」にしてしまう「『九条の会』アピール」に、強い憤りを感じてしまいます。アピールの見直し・撤回を、ここに求めます。

(柴田忠)

『「九条の会」アピールへのアピール』(以後「アピールへのアピール」と略す。 『「九条の会」アピール』の方はただ単に「アピール」と略す。)を公開した柴田忠さん、 「九条の会」の錚々たるメンバーに挑戦状を突きつけた感でなかなかの心意気である。

 「アピールへのアピール」の批判を試みようと思う。柴田さんは「この文章に関するご意見を 募る」と言っているので、この文は柴田さんに送付するつもりだ。従って以後柴田さんを二人称 で呼ぶことにする。

 私は「九条の会」が発足したことは新聞の報道で知っていたが、『「九条の会」アピール』はす すんで読む気はなかった。なぜなら「九条の会」のメンバーから推測すれば書かれているであろう 主張はたぶん私の考えと多く重なるだろうと思われ、改めて読む必要を感じなかった。
 それが、あなたの記事を読んで、「アピール」はそんなに酷い内容なのかと思い直し改めて読ん でみた次第だ。そしてあなたの記事とつき合わせた結果、結論を先に言うとこうなる。

 あなたの心意気は買うが、その論旨はそうとう混乱していていただけない。また、一方的な決め付 けが目立ち、これもいただけない。

 まず私が「一方的決め付け」と裁断したことを三つ指摘する。
  ところが、さきに、いまの日本を代表する知識人と言われる人々が、日本国憲法を守るため 「九条の会」を発足し、「『九条の会』アピール」というものを発表しました。しかるに、それ は日本の多くの人々の心を動かすどころか、幻滅感を与える結果になりました。

 あなたはどういう方法でどれだけの人を調べた上で、などとは言うまい。一人で調査できるよう な事柄ではなし、行う必要もない。しかし、「日本の多くの人々の心を動かすどころか、幻滅感を 与える結果になりました。」と断定する根拠は何か、と問うことは不当ではないだろう。
もちろんあなた以外にもあなたと同じ幻滅感を与えられた人がいることは想像するにかたくはない し、あなたはあなたの考えを多数派だと認識しているのかもしれない。世論調査などから推測すれ ば、たぶんあなたのような考えは圧倒的多数派だろうと私も思う。そういう見極めがあるからこそ 改憲論が大手を振って登場してきた。
 しかし雲を掴むような不特定多数を見方とし論拠とするような議論は控えるべきだ。政治家が 「国民」をダシに自説を強弁するのとなんら変わらない。「私は幻滅を感じた」と、あくまでも 一人で受けて立つべきだろう。こういう論調はあなたの論文全体の信頼性を損ねる。
 しかし、まあこれは本筋からは瑣末なことで、どうでもよいと言われればどうでもよいことだ。

二つ目
  その理由の1つは、そのアピールが日本の一流の知識人の提案であ るにもかかわらず、あまりにも意味不明な言葉で満ち満ちていたこと。 もう1つは、そうした日本の一流の知識人が、戦後の日本に確固たる 影響力を持ち、それぞれの活動を行ってきたにもかかわらず、今に至 っても、色濃い国家不信を払拭できないでいることに対してでした。

 私が読んだ限りでは「あまりにも意味不明な言葉」は見当たらない。
 「あまりにも意味不明な言葉で満ち満ちていた」ら、まず相手の論旨がつかめまい。論旨がつ かめなければ、その論評もできないのが道理ではないか。そんな文章をなぜ論評する気になった のだろう。私にはげせない。
 「満ち満ちていた」という大げさなもの言いは、あるいは単なる言葉のあやなのかもしれない。 それならばあなたが「意味不明な言葉」と読んだ部分を具体的に指摘すべきだろう。往々にして 論文の「意味不明」な部分には論全体の核心に関わる問題があるものだ。「意味不明な言葉」を 見出せなかった私の方に誤読があるのかもしれない。
 証拠をあげずに一方的に決め付ける。こういう論調もあなたの論文全体の信頼性を損ねること になる。

あなたが「幻滅感を与え」られたというもう一つの理由は「今に至っても、色濃い国家不信を払 拭できないでいること」だ。これについては、いまは「何時になっても国家不信を払拭すること など不可能ですよ」と言っておこう。この問題は私のあなたへの批判の核の一つになるはずで、 いずれ詳しく述べるはずである。

 「一方的な決め付け」がもう一つある。
 そのアピール文の最大の罪は、日本国憲法の改憲問題を、単なる「個人の良心に対する踏み絵」 としてしまったこと。それではないでしょうか。

 それを「護憲」=「戦争放棄」「戦争反対」と結びつけ、「改憲」=「戦争擁護」「軍事国家を 目指すもの」として、「護憲」=「正義」、「改憲」=「悪」とし、改憲問題を「個人の良心に対 する踏み絵」 にする。

 それを憲法九条にこだわり、それを単なる「個人の良心に対する踏み絵」にしてしまう「『九 条の会』アピール」に、強い憤りを感じてしまいます。アピールの見直し・撤回を、ここに求めます。

 「個人の良心に対する踏み絵」という唐突な言葉が三回も出で来る。多分あなたが一番強調したいこ となのだろう。しかしどこをどう読めば「アピール」が「個人の良心に対する踏み絵」になっていると いう判断が出てくるのか。これも私にはさっぱり分からない。あなたの読解力には全く恐れ入るほかな い。

 「個人の良心に対する踏み絵」という言葉は本文の中で括弧付きで書きとめられているので、なにか 特別な意味を込めているのか、あるいは何かからの引用だろうか。
 「個人の良心に対する踏み絵」という言葉は、都教委の「日の丸君が代の強制」に対してそれと闘う人 たちの側から使われ、にわかに脚光を浴びるようになった言葉だが、あなたはそれを踏まて使っているの だろうか。だとしたらとんだ見当違いだ。
 「日の丸君が代の強制」に従わぬものを処分すると脅し、実際に不服従を貫いた教師たちを処分をし ている。これはまさに「個人の良心に対する踏み絵」という言い方がぴったりの暴挙である。
 しかし「アピール」の文言にはそのような「踏み絵」を強いるものは皆無だ。「アピール」に賛成す ることを強要したり反対するものは許さんとかいう意味の脅し文句はどこを探しても見当たらない。も しそんなものがあったとしても「アピール」の反対者を「九条の会」が探し出して処罰することなど全 くあり得ない。現にあなたは「アピール」批判を果敢に行っているが、そのことであなたの良心が蹂躙 されるようなことは起きていますまい。
「アピール」は憲法を巡る歴史的な経緯と現況に対する見解を述べているに過ぎない。「アピール」が 読者に直接語りかけた文章は最後の一文だけである。
日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを 阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。

 この文章からあなたは自分の良心が踏み絵を強いられたと感じたのだろうか。ただ単に『日本国憲法 を守るという一点』で賛同する者に、ともに闘うことを訴えているだけじゃないか。
 あなたは「アピール」の憲法を巡る歴史的な経緯と現況に対する見解に異論があるからあなたの異論 を記事として公開した。どちらにも何の不都合もない。なぜあなたが「アピール」の撤回を求めなけれ ばならないのか、あなたの意気込みにも拘らず、これも私には理解ができない。

 以上の三点は、「アピール」の主張の内容とは無関係な夾雑物であり、議論をいたずらに複雑にしかね ない。夾雑物を取り除く意味で敢えて指摘した。
188. 憲法第九条をめぐって(3)
2005年2月18日(金)


『「日の丸君が代」ホットライン2005』が開始されました。
本日より、トップページにリンクを貼り付けました。


 小熊英二さんと上野千鶴子さんが聞き手となり、鶴見俊輔さんの話を聞く企画がもたれ、 それが本になり昨年4月に出版された。書名は「戦争が遺したもの」。
 その中の「第九条について」の項は鶴見さんの九条に対する見解のほかに、憲法成立当 時の支配層の思惑や打算などを知る手がかりになる話題もあって面白い。ただし、会話の 面白さをそぐことになるかも知れないが、少々長いので九条に関わりのない部分や聞き手 の重複する質問などを省いて紹介する。

上野 次に、第九条についてお聞きしたいんです。
   小熊さんの『(民主)と〈愛国〉』によれば、憲法第九条を当時の
  文脈にさし戻してみると、理想主義でもなんでもなかったということ
  がわかる。アメリカは日本を武装解除して、国際連合つまり連合国で
  共同管理するつもりだった。また日本側からみれば、非武装化を受け
  入れれば天皇の訴追も免れるし、共産党の革命に先手を打って保守政
  権が生き残れる。それに、どうせ敗戦になって軍備が解体されるのは
  逃れようのない現実なんだから、それを理想だといって開き直ってし
  まったほうが得策だということですね。
   占領者による武装解除が、選択の余地のない現実だったということ
  ですから、非武装を恒久平和の理想主義と呼ぶのは、一種の粉飾決算
  だったわけですね。そこで鶴見さんが、占領者が押しっけた非武装化
  を、どういうふうに見ておられたかをお聞きしたいんです。

鶴見 あの当時、保守政治家や日本政府の側に、上野さんのいう粉飾決算
  があったことは確かだと思うし、彼らは信頼できません。私は政治家
  の家に育ったから、政治家というものがどういうふうに動いていくか
  をわりあいに知っている。信頼できる人っていうのは、ほとんどいな
  いんですよね。
   だけど保守政権が粉飾決算で憲法を歓迎していた時期は、アメリカ
  の方針が変わって逆コースになると、すぐ終わってしまう。そのあと
  の時代に、憲法を逆手にとって、アメリカと占領軍の再軍備圧力にあ
  る程度の抵抗を試みたのは、吉田茂ですね。「憲法があるし、国内の
  反対が強いから、再軍備は簡単にできない」と言ってアメリカと交渉
  して、再軍備を最低限に抑えようとした。
   当時から、私はそういう吉田の意図が、よくわかった。私が左翼と
  違う点の一つは、そういう吉田に対する評価だったんです。共産党は、
  吉田政権はアメリカに追従した売国政権だとか批判していたけれど、
  私にはそうは思えなかった。
   私は吉田に対しては、戦時中から信頼を持っていたんです。戦争中
  に、熱海から汽車に乗って大磯を通り過ぎるときに、吉田茂が化膿し
  た顔に包帯を巻いて、お供も連れずに立っていたのを見たんですね。
  当時の吉田は、留置場から出たばかりだった。その吉田の姿を見て、
  すばらしい人がいるなあっていう感じを持ったんです。だからその吉
  田が、戦後に憲法を逆手にとってアメリカに対抗しているのは、よく
  わかったね。

小熊 鶴見さんは一九五五年の「かるたの話」では、「平和憲法という嘘」
  はアメリカから強制された「まぎれもなく嘘」であるけれども、「こ
  の嘘から誠を出したいという運動を、私たちは支持する」と書かれて
  いますね。

上野 それは少し後の話ですね。第九条が一九四六年に出てきたときに、
  どう思われたのでしょう。

鶴見 それは、憲法全体に対してと同じです。まず、とてもいいと思いま
  した。それから、日本人がこれを守れるのかなっていう疑いを強く感
  じていました。でも、理想としてはたいへんいいと思いましたよ。

上野 そのたいへんいい理想を、支配者である占領軍が押しつけるという
  ことについては?しかも占領軍が日本に駐留しつづけるという前提の
  もとに。

鶴見 論理的にはパラドックスになります。私は当時から、戦争裁判に対
  しては、そういうパラドックスを感じていましたし、納得できないと
  思ったんです。だけど憲法については、そのパラドックスを、当時は
  感じませんでしたね。

上野 米軍の駐留をやめさせて、ほんとうに「非武装中立」するというオ
  プションはありうると思われましたか。

小熊 それは当時の政治的な文脈でいえば、米ソの対立という現象を予測
  できたかということに関係していたでしょうね。アメリカ側が憲法前
  文や第九条をつくった背景には、冷戦がまだ顕在化していなくて、世
  界の国際協調がある程度は存在することが前提になっていたわけです
  から。

上野 いや、そういう国際政治のパワーポリティックスとは独立に……。

小熊 当時の共産党は憲法に反対していましたね。天皇制も残っているし、
  資本主義も肯定しているし、非武装などということを言っている。非
  武装中立ではなくて、社会主義陣営に入ってプロレタリアのために戦
  うのが正しいのだ。そもそも非武装とか平和主義とか言っても、資本
  主義を変革しないかぎり一片の空論である、という論理でした。そう
  いう意見については、どう思われていたんですか。

鶴見 それほどよく考え抜いた説じゃないと思ったね。反対理由は、この
  憲法は小説だ、ロマンティックだって言うんでしょう。資本主義の止
  揚という科学的方針がない平和主義は、ロマンにすぎないと。
   それはロマンティックであることは、ある意味で言えることだよね。
  だけども、じやあ何が正しいかは全部、科学的社会主義とソヴィエト
  ・ロシアが決めることだというのは、かなわないというか、良くない
  でしょう。
   だいたい私は、懐疑主義だから、科学的に絶対に正しいものなんて
  信じられない。だからマルクス主義にもいかなかったんだ。

小熊 倫理的な「ねじれ」とか「欺瞞」とかいう問題をつきつめるという
  方向に、鶴見さんが向かわないのも、政治家の家系で育ったというリ
  アリズムと、「絶対に正しい純潔さ」というものを警戒する懐疑主義
  からでしょうか。

鶴見 そうも言えるかな。

小熊 和子さんはマルクス主義者だったとすると、当時の和子さんは憲法に
  対してどうおっしゃられていましたか。

鶴見 それは当時の彼女は、もっとソヴィエト流に変えていかなきゃいけな
  い、労働者の権利をもっと重視したものにしなきゃいけない、という意
  見でした。

小熊 まあ当時は、共産党だけじゃなくて、社会党もそういう意見でしたか
  らね。
   それでは、お父さんの鶴見祐輔さんは、憲法にどのような姿勢をとら
  れていたんですか。

鶴見 あの憲法草案が出たとき、ショックを受けていたね。それでその直後
  に、親父の事業所で私が聞いた見解というのは、「これはいい憲法だけ
  ど、いったい日本で通用するのか」ということだった。

上野 それは、鶴見さんご自身と共通したご意見のようですね。

鶴見 だけど、ちょっと見方がちがうんだ。親父は一番病だから、そこで教
  養を出すんだ。「カントも読んだこともないのに平和主義がわかるのか」
  って言うんだよ(笑)。あの憲法を受け入れるためには、カントの『恒
  久平和のために』を読んでなきゃいけないと思っているんだ。そこが私
  とちがう。

上野 あはは (笑)。

鶴見 それを聞いて、唖然としてしまってね。つまり親父は、自分みたいに
  一高や東京帝大を出て、教養のある人間が、指導者にならなきゃいけな
  いと思っているんだよ。だけど私のほうは、カントなんか読んだことも
  ない大衆の意見の方が大切だと思っているんだ。

上野 しかしお二人とも、いい憲法だけど、日本人にはふさわしくないくら
  い高い水準のものだと思われた。

鶴見 それも見方がちがうんだ。私が低く評価しているのは、日本の知識人
  とか政治家なんだ。とくに一高とか東京帝大を一番で出たような連中(笑)。
  こういう認識が私にとっての、戦争中の遺産の一つなんです。そういう
  連中にこの憲法はわからないと私は思っている。

上野 そういうことを、憲法草案が発表されたときにも思われたわけですね。

鶴見 そうです。この憲法をあの連中(知識人)が支えられるだろうか、と
  いうことです。

 「私が低く評価しているのは、日本の知識人とか政治家なんだ。」
 憲法成立当時の事とはいえ、はっきりとこう言い切れれる人はめったにいない。
 今大杉栄を少しずつ読んでいるが、大杉栄の特に労働者の味方づらをした知識人に対する 批判は辛らつだ。
 そういえば、都教委包囲首都圏ネット主催の「2/6総決起集会」で大内裕和さんが知識人への苛立 ちと不信感を声高になじっていた。「知識人や大学人はいったいどうしたんだ!!」(
187. 憲法第九条をめぐって(2)
2005年2月17日(木)


 「第174回」(2月6日)で、辺見庸さんの「抵抗論」所収「憲法、国家および自衛隊派兵 についてのノート」から憲法前文についての部分を引用したが、同じ論文から第九条に関わる 部分を引用する。
 まず吉本隆明さんの九条への思いに共感を寄せている。
 吉本隆明氏という人はかつて小沢一郎の『日本改造計画』をもちあげてみたり、消費資 本主義を肯定的に論じてみたり、「ちびまる子ちゃん」を面白がってみたり、私などには ときどきよくわかりかねる一面をおもちの人物だが、憲法第九条については、意外なほど 明快かつストレートである。たとえば、「第九条は戦後憲法の最大の取り柄だと、僕は信 じています。第九条の正しさについては、絶対に人に譲れない。この点、だれが何と言お うと頑固です」(『わが「転向」』)と、決然たるいいかたをしている。また、「僕は長 い間、理想的な国家に軍隊は要らないと考えてきました。社会主義がどんなに輝かしい正 義であるとしても、いったん国軍を持ったら、もはやその時点で正義は正義でなくなると 判断してきた。だから、ソ連も中国も、僕は決して理想化したことはありません。国軍を 持たないこと、そして国が開かれていること、いざとなれば国民が自由に政府をリコール できる法的装置が整い、国民にその実質的な力が備わっていること、これが僕の考える理 想国家の条件です」(同)と強調している。
 難解なものいいには佳味があり、平明なそれには価値がないというのは、ただの幻想に すぎない。私はこの平明にして率直な表現に、ほぼ全面的に同感する。そして、吉本氏の いう「理想国家の条件」も、やはり、国家というものの、まがまがしい宿命に逆らう、非 国家的なるものなのだなと得心するのである。この夢のような「理想国家」の非国家的条 件のいくつかを、日本国憲法は見事な成文として備えていたのだけれども、著しく欠いて いたのは、それを実現する民衆の意思と力だった。私はそう思う。

 そして憲法、とりわけ九条を踏みにじっていくコイズミの、イシハラといい勝負の、破廉恥 漢ぶりをあばく。そして憲法理念の実現の困難さに言い及んでいる。
 二〇〇四年一月十九日、いわゆる「イラク国会」の施政方針演説冒頭で小泉首相は孟子 ひき「天の(まさ)に大任をこの人に(くだ)さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨 を労せしむ」と〝託宣″した。首相は同じことを組閣後初の記者会見でも語っている。厳 密にいえば、孟子の引用の誤用らしいが、憲法の意識的誤用に較べればどうでもいいこと だ。それより、「天の将に大任をこの人に……」と平気で語る小泉という人物の非常識に 呆れる。「この人」とは、おそらく己のことという自意識が首相にはあるのであろう。自 衛隊派兵決定に際し、「国家としての意思」を語ったのと同根の専制的発想である。だれ に智慧をつけられたかわからないが、孟子の引用から判ぜられるのは、自意識を〝国家意 思〟につなげはじめたファシスト特有の甚だしい倒錯である。憲法理念の実現とは「護 憲」を紋切り型に叫ぶことではない。まずはこうした政権を退場させるための、かつてな い質の闘いを構想することしかない。

 そして次のようにこの論考を結ぶ。
 以下を改めてどう考えるか。一九四七年に当時の文部省が発行し、五二年三月まで中学 一年用の社会科教科書として使われた『新しい憲法のはなし』のなかの「六戦争の放棄」 の一節。

「みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いで しょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなか ったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょ う。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたく ないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。 何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではあり ませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だか ら、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。こ のまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ 考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではあ りませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのこ とをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのもの は、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もな いのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということで す。しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいこと を、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありま せん」
「みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこ さないようにいたしましょう」

 私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動の ヒントがあるといまでも信じている。

三組の引用文のかなめをつなげてみよう。

 『日本国憲法は見事な成文として備えていたのだけれども、著しく欠いていたのは、それを実 現する民衆の意思と力だった。』
 『憲法理念の実現とは「護憲」を紋切り型に叫ぶことではない。まずはこうした政権を退場さ せるための、かつてない質の闘いを構想することしかない。』
 『「世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」「みなさん、あのおそろしい戦争が、 二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう」
 私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動の ヒントがあるといまでも信じている。』

 私の心に浮かんでくる「かってない質の闘い」のイメージは、水田ふうさんが描いた潮が満ちて くるときの「海」の水溜りんのように広く大きくつながっていく「非暴力直接行動」の大規模なうね りなのだが・・・

「160. 非暴力直接行動(6)」(1月21日)の結びの言葉を繰り返そう。
 私たちには権力も経済力もない。「無数の水溜りと水溜りがプチップチッと くっいていくように大きな水溜りができる」よう、それぞれがそれぞれの闘い方で無数の水溜りを 創って行くほかはない。
186. 憲法第九条をめぐって(1)
2005年2月16日(水)


 憲法第九条についての見解を明解に言い切っている人なら、私はまず吉本隆明さんを挙げたい。
 吉本さんはそのさまざまな著書で繰り返し第九条の重要さに言及しているが、「超資本主義」の第2章 「政治の病理」の中の「読売憲法試案の批判」から引用する。まず第九条について次のように述べて いる。
 これほど明瞭な規定はない。戦争をするつもりはなく、また国際国家をこの条項に参加させたいと いう平和意志がはっきりしていれば、まったくどこも修正を要しない。そしてこの二つの条項を平和 意志とするためには、同時に武力による脅迫や武力の行使が、どんな国際国家によっておこなわれて も恐れもしなければ、認めもしない確かな態度をもちつづけることが、当然の前提になる。また他の どんな国際国家の交戦権も認めない毅然とした意志が必然の態度になるはずだ。
(中略)
 戦後憲法の第九条は、敗戦直後の焼野原と食べものそのほか生活必需品の欠乏、職なく家なく、 近親や縁者に誰もが戦争の死者をもつという情況をくぐり、戦争はもうたくさんだという国民大 衆の実感の現状認識によって心底から同感された条項だった。この憲法が占領軍政局の手で荒筋がつ くられ、当時の政府と老リベラリストの大知識人たちが肯定的な意見を添えたものかどうかは、研究 者に論議のあるところだが、わたしには第二義以下の意味しかないとおもえる。重要なのはこの第九 条が敗戦間もないころの国民大衆の実感に叶い、しかも国民大衆の百数十万の戦争死によってあがな われた唯一の戦利品だということだ。

 自民党を中心に現在検討進行中の改悪案では、九条については「読売試案」と同じようなものにな るのではないかと予想される。ここで現九条に替わる「読売試案」を知っておくのも無駄ではないだろう。 「読売試案」をそのまま掲載する。
第三章 安全保障(現行第二章戦争の放棄)
第十条(戦争の否認、大量殺傷兵器の禁止)① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を 誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する 手段としては、永久にこれを認めない。
② 日本国民は、非人道的な無差別大量殺傷兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこの ような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。
第十一条(自衛のための組織、文民統制、参加強制の否定)① 日本国は、自らの平和と独立を守 り、その安全を保つため、自衛のための組織を持つことができる。
② 自衛のための組織の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
③ 国民は、自衛のための組織に、参加を強制されない。

 これに対する吉本さんの批判は、まず「読売試案」の第十条と第十一条との間の矛盾を 指摘して次のように述べている。
 これほどはっきり武力による威嚇や武力の行使を否認しながら、どうして「自衛のための組織」 をもつことを、憲法が認める条項をもたなくてはならないのか、わたしには合点がいかない。はじ めから矛盾ではないか。
 現在国家「間」や国家「内」で紛争が起り、武力が行使される地域があるとすれば、東南アジアの 一部、西欧と東欧半島の一部と中近東、民族国家以前の部族的な国家がせめぎあうアフリカ的な段階 の地域にしかありえない。このいずれの地域にたいしても日本は自衛隊を派遣すべき名分も根拠もな い。またこの資源の乏しい日本列島に他国が軍事侵攻して、自衛隊を戦争に駆りだす場合など、空想 以外にはありえない。なぜ憲法を改悪して自衛隊を合憲化することで、米・ロのような軍事大国が大 きな発言力をもつふるい国際国家にまで後退しなければならないのか。戦後憲法第九条は現在の世界 の国際国家が、未来への通路を開くための唯一の突破口なのだ。わたしは読売試案は村山内閣の反動 制(ママ)と現野党の欠陥を寄せあつめた最低で最悪の改憲案だというほか ないとおもう。

 「村山内閣の反動制」とは時の首相・村山富市が「自衛隊合憲」を言明し、自衛隊を実質的な「国軍」と認めて しまったことを指す。村山は社会党を自民党に食いつぶされた上にこんなとんでもない大汚点を残した。 「トンちゃん」ではなく、とんでもない「トンマちゃん」だった。

 吉本さんの批判の眼目は現憲法の第二項を真っ向から否定している「試案第十一条」である。東京新聞 「点検」の「二項がどうなるかが重要で、それに着目する必要があるだろう。」という見解と相通ずる。

 さて吉本さんは「読売試案」の現九条に替わる上記条文を全て否定して、現憲法の第九条に次の ような第三項を加えることを提案している。

③ 前項①②の理念を達成するために、参加しているあらゆる国際機関を通じて、具体的な非武装・  非戦の提唱を積極的にすすめる。

 そしてその理由を次のように述べている。
この(3)項の新設は戦後憲法の第二章第九条の非武装・非戦の理念が、世界にさきが けた未来性をもち、しかも到達するのにいちばんの近道だということを宣明するために是非とも重要 だという理念にもとづいている。この戦後憲法(とくに第九条)は占領軍政当局によって草案がつく られ、押しもどすことができない敗戦の被占領下に政府、老リベラリストの大知識人の同意と、国民 大衆の屈辱感を伴った非戦感情の暗黙の同意のもとに成り立ったものだ。またたぶん日本国に二度と 戦争の能力や武装力をもたせまいとする占領軍政当局の意向と、もうひとつどうせのことに日本国に 戦争なき世界への理想を「押しつけたい」という軍政局の願望がこめられたものとみなされる。いま この初心の規定を放棄して、世界の三流国に成り下がって、米・ロをはじめとする軍事大国の意向で 動くほかない国連軍事介入の慣例に無名の師(ママ)を送るいわれはない。
185. 東京新聞「憲法遂条点検」(9)
「第二章 戦争の放棄」第九条・戦争放棄は“国際標準”
2005年2月15日(火)


第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを 認めない。

 「点検」の解説。
 憲法改正論議の最大の焦点となる九条。「戦争放棄」をうたう一項は、日本の平和主義の考えを集 約した最大の特徴として語られることが多い。しかし、「戦争放棄」は、必ずしも日本のオリジナル ではない。
 「戦争放棄」のルーツは、一九二八年に締結されたパリ不戦条約にある。同条約は「国際紛争解決 のための戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」と宣言。日本を含 む十五カ国が署名した。
 九条一項は内容をみても、この条約を下敷きにしていることが分かる。従って、これは日本だけで なく、フィリピン憲法には「国策遂行の手段としての戦争を放棄する」とあるし、イタリア、ハンガ リー、さらにはアゼルバイジャンにも似た表現がある。
 四五年に調印された国連憲章にも、「武力による威嚇又は武力の行使を慎む」と、不戦条約の精神 が生かされている。こうしてみると、九条一項の内容は、「国際標準」と言ってもいいのかもしれな い。
 ただ、「戦争放棄」を宣言した各国も、国防のための軍隊を常備している。「国際紛争解決のため の戦争」とは侵略戦争のことであり、自衛戦争は別と解釈しているからだ。武力紛争を繰り返してき たインド、パキスタンですら、憲法に「国際平和」を掲げている。
 その点、戦力の不保持に踏み込んだ九条二項は、国際的に見ても特徴的な内容と言える。戦後、政 府が拡大解釈を繰り返し、骨抜きになっているとはいえ、一切の軍備を禁じていると読めるこの項こ そ、平和主義の核であろう。
 国会の憲法調査会などでは、「現行憲法の平和主義を守るために一項は堅持し、二項を改正して自 衛軍保持を明記する」という主張をよく聞く。だが、「国際標準」とも言える一項を維持することで、 平和主義を守ったと言い切るのは無理がある。二項がどうなるかが重要で、それに着目する必要があ るだろう。
 また、九条の一、二項を堅持したうえで、自衛隊もしくは自衛軍の存在を三項として書き加えれば いいという主張もある。しかし、この場合でも、「前項の規定は自衛隊の設置を妨げるものではない」 などの表現にすれば、戦力不保持の「縛り」がかかるが、「前項の規定にかかわらず自衛隊を設置す る」とすれば、自衛隊の存在が九条の精神から独り歩きしていく可能性も出てくる。
 そうした意味でも、九条改正論議は、単に「自衛隊」などのキーワードだけでなく、前後の文脈に も細心の注意をはらうことが不可欠となる。 (西川裕二、三浦耕喜)

 とても質の高い解説だと思う。
 第一項は「国際標準」だという評価と、第二項が平和主義の核であるという認識は重要だ。

 イシハラは、前文や九条の平和主義に対して「他国の人間が見たら皆笑う」と、2000年11月30日の衆 院憲法調査会で発言している。笑われるのはこの無知で蒙昧な発言の方だろう。上記の解説によれば、 「平和主義」は「国際標準」なのだから。

 またイシハラは「醜悪」だと罵倒した憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏 から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」を論拠に次のように述べていると いう。

 「まさにこの一文にある”恐怖”にこそ今回のテロは抵触するのです。憲法の前文とはその法体系の 理念を表すものだ。(中略)前文の精神に対処しきれないような九条は当然変えなければならないとい う議論が出てくるはずです。」
(「正論」での発言。吉本隆明「超『戦争論』」からの孫引き)

 コイズミと同じく都合のよいところだけつまみ食いをし、しかも曲解して利用する詐術だ。戦争を したくてウズウズしているのだろう。自衛隊を名実ともに戦争ができる軍隊にしたいばかりになりふ りかまわず詭弁を弄する。それを恥とも思わぬ。たいした破廉恥漢だ。
 だいたいお前が東京の教育に対して行っている行政暴力は憲法前文の精神にも憲法の条文にも「対処しき れない」代物ではないか。
 ああそうか。だから憲法を「当然変えなければならないという議論が出てくるはずです。」となるの か。繰り返す。まったくの破廉恥漢だ。

 第九条は憲法改悪論者らの最大のターゲットだから、この機会にいろいろな人の意見を振り返ってみる ことにする。
184. 「憲法改正意見」のまとめ
2005年2月14日(月)


 「憲法」に戻ります。

 「憲法改正意見」の序文によると、「第三章」までの部分を発表したことになっているが、私が 利用している「『天皇制』論集」は「前文」と「第1章」の部分しか収録していない。
 ここまでの「意見」の改正案に従って改正した第一章の条文を並べてみる。
 ただし「意見」では前文については「日本国民」を「日本人民」とすると言っているが、 「日本」の付かない「国民」もすべて「人民」とした。
 また、第一章に「主権」についての条文を追加するといっているが「第一章 天皇」のなかに それがあるのはおかしいので、天皇条項の前に新たに「章」を設けることにする。

 日本国憲法

 日本人民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫の ために、全世界の人民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が人民 に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、人民の厳粛な信託によるもので あつて、その権威は人民に由来し、その権力は人民がこれを行使し、その福利は人民が これを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本人民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであ つて、平和を愛する全世界の人民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決 意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて ゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の人民が、ひとしく恐 怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、 政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等 関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本人民は、日本人民の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。

第一章 主権および国民の権利
 第一条 主権は日本人民にある。
 第二条 (権利条項が続く)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二章 天皇
 第?条 天皇は日本人民の儀章たるべきものである。
 第?条 皇位は世襲のものであって、法律の定めるところにより、国会の承認に基いて継承する。
 第?条 天皇は、国政に関する権限を有しない。ただ儀礼的行為のみを行うことができる。
(天皇に関してはこれで終わり)

 前文は「国民」を「人民」とするだけで全体の色合いがずいぶんと変わってくるように思う。 ただしいろいろと指摘されているおかしな点は相変わらずだ。
 先日の新聞の報道によると、案の定、憲法改悪側は「前文」の書き換えも企んでいるという事だ。 私も、現前文の理念をそのまま生かした極私的改正案を書いてみようかしらと、手に余りそうだけど、 考えている。(もしも出来上がったら掲載して、批判の目に晒すことにします。)

 天皇条項はすっきりした。しかし最初の条文がちょっとぎこちないと思う。
183. 詩をどうぞ(15)
2005年2月13日(日)



 教師論

陰湿な王族の歴史の中でまどろむ君の
支配者もどきの虚偽意識が
したり顔にうなづくたびに
流れない時間のよどみからはみでる君の生徒
の肢体が切断され
流れない時間のよどみの中で生きる君
の平穏無事な日常が保障される
他者の生の一回性を代償に
保障される君の日常とは何か
出生届と交換に与えられた
御墨つきのライフサイクル
それで君にどんな生きがいが残った?
ペラペラの人生予定書を海に捨てれば
難破船の破片のように
海底に堆積する切断された肢体の山
と山の間に宙づりになった平和の深部から
あぶり出される君
のライフサイクルの最後の一行
          
 <君は暖く緩慢な大量殺戮(ジェノサイド)の員数>
君の日常はおだやかな生かされ死

狂いうるものがいるかぎり
この世は生きるに値する
日常化された集団狂気の中で
狂うとは正常に醒めきること
君になお狂いうる孤立があるか
ライフサイクルの最後の一行を
<固有の死>に書き換えるために
まず狂うこと
他者を切断する快楽の共有を拒み
自ら切断される側に立て
君の肢体が切断されるとき
君は得心する
切断の痛苦は叛逆の支点 と
虚偽意識にもたれた君の胃に
痛苦の悲鳴を千回のみくだした後
君の支配者もどきは解体する
すると君の日常はいきなり
春から冬へと変貌する
君がのみくだした千回の苦しい沈黙は
入念に教え込まれた規範のことばを破って
正当にくるいざく
君の沈黙は凍ったことばの花ふぶき
流れない時間のよどみに
君の狂気が垂直につきささる
とおもむろに流れだす君の固有の時間
固有の死への君の道行が始まる
君の生徒
と 君と
同行
二人
182. 詩をどうぞ(14)
2005年2月12日(土)


 今日は時間がとても窮屈になりました。「憲法」は一休みします。 (東京新聞も「点検」は休載でした。)
 息抜きにならないような息抜きの詩です。


 ルネサンス1973      北村太郎

なぜまじめな顔するんだゆったりした服を着るんだ
ユーモアがへたなんだ大声でしゃべらねえんだ
パイプなぞふかしやがって玉の井なんか軽蔑してたくせに
人はだれの代弁もできねえんだ分っちゃいねえんだ

おめえたち四百年まえとちっとも変らねえってことが
残虐でオポチュニストで色情狂で偽善者でそれもいいが
すぐ「まさに」といって断定するんだ民衆の側に立つんだ
資料をそろえるんだたくさんの (注)をつけるんだ

静かに平和に暮らしたいと平然といい閉口させるんだ
罪ふかいことばってことも飲みこめねえんだ安全株を買うんだ
いんちき正義のロジックで時評をでっちあげるんだ
車裂きの刑や北爆よりひでえことしてると

ぜーんぜん気がつかねえんだそのくせルネサンスを謳歌して
マキアヴュッリを認めねえんだ権力分裂がいいとぬかすんだ
カトリーヌ・スフォルツァにも及ばねえんだレオナルドに目が眩むんだ
てめえの胸にあるのに見えねえんだ微笑しているときにもそれがあるのに

地獄がだよう! そしてジュスイコミュニストとかジュテ反体制とか何だとか
「まさに」公害な法外な無の無の善人づらしやがるんだそして
死ぬときは殉じてるつもりなんだばかめ! 玉の井の
心中よりずっと陰惨だよだから乱ちきランボーが腐った足を切断されて断末魔が

ひゆ一つと音を立てて訪れるのに魅力を覚える若者がいたって
文句はいえねえんだせいぜい当たらねえ経済分析でもやってりゃいいんだ
絶対するな価値判断をジレンマトリレンマが解けたって
一律背反も知らねえで大口たたくな死体の臘のなみだやろうめ!
「ユリイカ」1973年3月号より

 田村隆一が北村太郎の詩について的確な解説をしている。
 太郎は「不良少年の夜」という詩を連作しつづけてい た。つまり、白昼は、まじめで、よく勉強のできる商業 学校の生徒、(事実、彼は、全学年を通じてほとんど級長 をしていた)夜は、ゲタばきにジャンパーというスタイ ルで、浅草の六区、つまり、活動写実小屋や漫才、ドジ ョウすくいの演芸場が建ちならんでいるカイワイや、最 低の売春婦やオカマが出没する浅草公園をハイカイして は、ゴールデン・バットをふかしながらリリックを書い ていた。これが「不良少年の夜」。つまり、太郎は、少 年から青年にうつる、あの、肉体的にも情緒的にも、い ちばん不安定な時期に、昼と夜の、確固とした二つの世 界を所有していたことになる。ぼくなどは、いたって単 純だったから、いまだに、昼でも夜でもない、ノッペラ ボーの一つの世界しか持つことができない。北村太郎の 詩を読むものは、その根底に、昼と夜の世界が、同時併 存していることを、見きわめなければならぬ。
現代詩文庫「北村太郎詩集」所収・田村隆一「太郎意の昼と夜」より
181. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(8)
「第一章 天皇」第八条・皇室財産の集中防ぐ
2005年2月11日(金)

第八条「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決 に基かなければならない。」

 「点検」の解説。
 皇室は戦前まで、膨大な財産を持っていたが、今は憲法の八八条で、すべての皇室財産は、国に属す ることが決まっている。この八条ではさらに、皇室の財産の授受を国会のコントロールの下に置いた。
 国の財政が国会の議決に基づくことが八三条で定められているため、国に属する皇室財産も議決に 基づくのは、当然のことともいえる。そういう意味からいうと、皇室と一部の国民との間で、不透明 な財産のやりとりが生まれることを防ぐことに狙いもあるようだ。
 ただ、すべての財産移動に議決が必要なわけではない。皇室経済法では、私的経済行為、外国との 交際のための儀礼上の贈答など、少額の財産授受は議決を不要としている。このため、実際に議決が 行われることは、そう多くはない。
 最近では一九九三年、皇太子さまの結婚にあたり、皇室が、お祝いの物品を譲り受けることができる ようにするための議決が行われた。
 この条文に対する見直し論は、今のところほとんどない。しかし、衆院憲法調査会では、自民党の ベテラン議員から「天皇の尊厳にかかわることは(首相を議長とする)皇室会議に委ねるべきでは ないか」という指摘も出たことがある。
 ちなみに、王室の財産に関して憲法で規定しているのは、デンマーク、ベルギー、オランダなど。 タイ、カンボジアなどにはない。 (清水俊介)

 上の解説では「この条文に対する見直し論は、今のところほとんどない。」とあるが、天皇制を認める限りは なんら問題のない条文のようだが、「意見」はこの条文も全文削除を主張している。その理由は次の通りである。

 第八十八条によると、皇室の財産はすべて国に属することになっているが、 それには例外があって、純然たる皇室の私産は依然として国有とならない。そこで そのような皇室の私産についても、その移動について国会の議決を要するものとす るのが本条の趣旨であると通説は解している。
 しかし既に皇室財産国有の原則が定められた以上、明文によらないでその例外を 認めることは適当でない。従って憲法は皇室の私産を認めない趣旨と解すべきであり、 もし本来国有たるべき皇室財産の移動であれば、国会の議決に基くべきは当然である から、本来は全文削除すべきである。  なお皇室という法人格を有しないものが、財産権の主体となることは、現行法の建 前からいっても論理的でない。これを要するに、皇室に属する各員は、すべて国有の 財産物品を使用することを認められているたけで、自ら特有財産をもつことはできな いのである。

 第八十八条は次のような条文である。
 「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上し て国会の議決を経なければならない。」

 「法人格を有しないものが、財産権の主体となることは、現行法の建前からいっても 論理的でない。」というくだりを私はよく分からない。「法人格」と「財産権」という 法律用語が分からないのだから当然だ。
 法律は苦手だ。というより、法律がとことん被支配者の味方をするなんていう幻想は持って いないから、私は法律に対しては斜に構える傾向がある。自分から進んで法律を詳しく知ろう という意欲が今のところ湧かない。この問題は置くことにする。 (誰か解説してくれませんか。)

   皇室が所有している動産、特に「御物」と言われている歴史的文化遺産は当然国民共有の財産と 言うべきだろう。宮内庁が管理しているのだろうか。
 「意見」の主張だと個人が身につける宝石類とかさまざまな儀式に用いる衣装・小道具なども すべて国有の物でそれを「使用することを認められているたけ」ということだ。全部 税金であつらえているんだものな。
 「御用邸」とか「御用牧場」とかの不動産はもちろん国有だろう。

 それでは「純然たる皇室の私産は依然として国有とならない。」とあるが、国有になっていな い皇室の資産はどれほどあるのか。すべて闇の中である。
 何かの本でスイス銀行に莫大な資産が蓄えられていると読んだことがあるが、詳らかではない。
 また不動産の方では、明治維新のときにかなり多くの「入会地」が皇室の財産として収奪された と、これも何かの本で読んだ記憶があるが、これは多分国有財産になっているのだろう。あるいは元 の権利者たちに返されただろうか。これも詳らかではない。
180. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(7)
「第一章 天皇」第七条・首相の解散権に論争
2005年2月10日(木)

第七条の「点検」の解説。
 七条も、六条に続いて天皇の国事行為を具体的に書いている。いずれも三条で定めているように、 「内閣の助言と承認」に基づいて行われる。
 この中で、常に議論されてきたのが三番目の衆院解散。天皇の国事行為だが、内閣の助言と承認 が前提になるため、事実上は首相に「解散権」があるとされる。実際、多くの歴代首相が、自身の 政権にとって有利な時期を選択して「七条解散」を断行してきた。直近の二〇〇三年十一月の衆院 選も「七条解散」による。
 しかし憲法には、六九条に衆院で不信任決議案を可決された場合の解散の規定があるだけで、首相 に解散権を与える明文規定はない。
 このため、首相が一存で解散時期を決めることには疑問をはさむ声がしばしば出る。〇三年の解散 に先立ち、小泉首相と対立関係にあった野中広務・元自民党幹事長が「解散権の乱用は許されない」 とかみつき、当時の綿貫民輔衆院議長も「首相が好き勝手に解散するのは院の無視だ」と苦言を呈 した。
 一九七八年にも、福田内閣が解散を検討しているとの観測が流れたとき、当時の保利茂衆院議長が 七条解散の発動を制限しようとするメモを取りまとめたことがある。
 中曽根試案は、七条が定めた十項目の国事行為をほぼそのまま踏襲したが、衆院解散については 「解散詔書を発すること」と修正している。天皇が国政に関する権能を持たないことを、よりはっき りさせるのが狙いだ。 (竹内洋一)

 「天皇が国政に関する権能を持たないことを、よりはっきりさせるのが狙い」で 衆院解散については「解散詔書を発すること」と修正している、と中曽根試案を紹介しているが このような姑息な修正をしたところで事情は変わらない。こうした「国事行為」を行わせる限り、 前回私が述べたような懸念はなくならない。全て削除するにしくはない。

 第五条~第七条を全文削除を改正案とする「意見」はその理由を次のように述べている。

 儀章としての天皇にふさわしい行為は儀礼的行為だけであって、現行憲 法も既にその精神で規定されていることは疑をいれないところであるにも拘らず、 第三条乃至第七条の規定があいまいであって、あたかも実質的に国政に関する権能 をもっているかのように解されるおそれがあるから、この際、そのことを明らかに するために、以上のような改正をする。
 第四条第一項では、天皇が国政に関する権能を有しないという大原則を明記する ことを規定の中心とし、ただその行い得る行為は儀礼的行為に止まることを附記する。 第二項の委任代理は不要であり、第五条の法定代理即ち摂政も当然不要となる(摂政と いう文字が、第四条と矛盾していることは改めていうまでもない)。
 第六条の任命権及び第七条中のあるもの(例えば国会の召集、衆議院の解散など)は、 儀礼的行為でないから、誤解を避けるため、全文を削除したい。

 曖昧なところを残すのが「天皇制」という「ぬえ」が生き残るための常套手段なのだ。 全てを白か黒かで二分する思考は不毛であることを承知しているが、こと天皇制に関しては 曖昧なところを残してはいけない。
179. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(6)
「第一章 天皇」第五条・第六条
2005年2月9日(水)

 第五条「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する 行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

「点検」の解説。
天皇代行する『摂政』
天皇が幼少や病弱の時、天皇に代わって職務を代行する「摂政」。成人の天皇を補佐する 「関白」とともに、日本史の授業でよく耳にした官職だ。
 古くは六世紀末、推古天皇時代に聖徳太子が摂政についたことが有名。平安時代は、藤原 氏が独占した。
 歴史上の官職のイメージが強い摂政だが、今の憲法でも設置が定められている。
 摂政は、天皇の名で、国会召集や閣僚の認証などの国事行為を行う。
 どのような場合に摂政が置かれるかなどについては、皇室典範の一六-二一条で規定されて いる。それによると、摂政が置かれるのは、天皇が成年(十八歳)に達しない時か、心身の 疾患や重大な事故で自ら国事行為を行うことができず、皇室会議で摂政を置くことを決めた時。 摂政になれるのは(1)皇太子、皇太孫(2)親王・王(3)皇后(4)皇太后-など、成年 の皇族とされている。
 天皇の病気療養や外国訪問など、摂政を置く必要がない時は、憲法四条の規定により、国事 行為の臨時代行を適用する。
 今の憲法下で、摂政が置かれたことはないが、旧憲法下では、大正天皇の病状悪化に伴い、皇 太子だった昭和天皇が一九二一年から二六年の大正天皇崩御まで、摂政を務めた例がある。
 ちなみに、関白に関する規定は今の憲法にはない。 (西川裕二)

 「意見」の改正案ではこの五条は、もちろん全文削除だ。

第六条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
   2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」

「点検」の解説
拒否できない『指名』
この条と七条で、天皇が行う具体的な国事行為について書いている。
 首相や最高裁長官の任命というと、とても大きな権限を持っているように感じるが、国民主権 をうたう今の憲法では、天皇はあくまで象徴的な存在。それぞれ国会、内閣の指名に基づいて行 うと規定されているため、天皇が独断で任命することはできなくなっている。
 旧憲法では、首相任命に関する条文は特になかったが、天皇は「統治権ヲ総攬(そうらん)」 するとされていて、公務員の任命権も天皇に一本化されていた。これに基づいて、天皇が首相 候補を選んで命じる「大命降下(たいめいこうか)」を行ってきた。
 実際の人選は、天皇の相談役である元老らが推挙していたが、それでも今の天皇より大きな 権限があったのは間違いない。
 象徴天皇制が定着する今、天皇の権能を旧憲法時のように強化しようという意見はほとんどな い。中曽根試案でも、天皇の権能については現憲法通りになっている。
 ところで、「天皇は、首相任命の裁可を求められた際、拒否できないのか」という素朴な疑問 を持つ人もいるだろう。さらに言えば、国事行為を行う前提となる「内閣の助言と承認」に対し、 天皇は拒否権を持っているのだろうか。
 この件について、内閣法制局は衆院内閣委員会での国会答弁で(1)拒否権はない(2) (内閣に)質問はできる-という見解を示している。 (高山晶一)

 単なる形式上の任命に過ぎないとしても天皇が行政のトップや司法のトップを任命するとは 全くおかしなことだ。まさに、天皇はこの国の脆弱な民主主義を「象徴」しているというべきか。

 第七条は次のようになっている。

第七条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
   1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
   2.国会を召集すること。
   3.衆議院を解散すること。
   4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
   5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状 を認証すること。
   6.大赦、特赦、滅刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
   7.栄典を授与すること。
   8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
   9.外国の大使及び公使を接受すること。
   10.儀式を行ふこと。


 すべて形式上の「国事行為」に過ぎないが、要所要所でしゃしゃり出てきてはその 権威のほどを国民に再確認させる役割を果たしている。
 「意見」の改正案は第六条も第七条も、当然ながら全文削除である。
178. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(5)
「第一章 天皇」第四条・『公的行為』規定なし
2005年2月8日(火)

第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
    2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。」

 「点検」の解説。
 天皇の国事行為は具体的に、六、七条に列挙されている。ここでは、旧憲法下で天皇の統帥権を盾に 軍部が独走した戦前の教訓から、天皇のあらゆる行動が国政に対して影響を与えることがないよう規定し、 天皇の政治的影響力を排除した。天皇は国事行為以外に、私的な行為も当然行う。こちらも、国政に影響 を与えることはあってはならないとされている。
 ただ、実際のところ天皇は、外国公式訪問や国内の公式巡幸、国会開会式での「おことば」など、国事 行為ではなく私的行為とも言えないことを少なからず行っている。これらは「公的行為」と呼ばれていて、 国事行為と同じように内閣がその責任を負うが、憲法上の規定はない。
 憲法上の規定がないからといって、天皇が公的行為を行ってはならないという声は、今の国会にはほと んどない。
 逆に、今月三日の衆院憲法調査会の自由討議では、「内閣の助言と承認の下、公的行為をきちんと設 けるべきだ」(自民・船田元氏)と、憲法上の位置付けを明確にすべきだという意見も出た。
 国事行為の委任は、「国事行為の臨時代行に関する法律」に基づき、天皇が病気や外遊などで執務が できない場合に行われる。委任の判断は、内閣の助言と指導により、天皇自らが判断する。
 天皇が幼少や病弱だったりして、長期間にわたって国事行為が行えない場合は、「摂政」が置かれ るが、これは五条に規定されている。 (吉田昌平)

 第四条について「意見」は「第二項を削除し、第一項を次のように改める。」としている。

 「天皇は、国政に関する権限を有しない。ただ儀礼的行為のみを行うことができる」

 この改正案も単純明快である。一切の政治関与を禁じている。

 この第四条は「点検」で言われているように、第五~七条と合わせて一つの規定とみなすことができる。従って改正意見も 第四~七条をまとめて論じることになるので「意見」の上記改正案に対する「理由」は次回にまわす。
177. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(4)
「第一章 天皇」第三条・国民主権下の天皇
2005年2月7日(月)

昨日、都教委包囲首都圏ネット主催の「2/6総決起集会」に参加しました。
何度処分されても一歩も引かず諦めもせず悲愴にもならず、しかも明るく闘っている 人たちの精神力に感動しました。「私は正しいことを行っているのだ」というゆるぎない自信 に裏打ちされた強さでしょう。
 「anti-hkm」MLに掲載されていた主催者や発言者の報告を掲示板に転載しました。どうぞお読みください。
 私がその集会で頂いた事は「不定期便」でいずれ使わせてもらうことがあると思いま す。
 いま「不定期便」で連載していることに関連したことでは、三宅晶子さんが 憲法の天皇条項が第一章であることの問題点と「日本国民」という言い方で排除される人々の問題点を 指摘されていました。



 さて本題に入る。今日は第三条。

 第三条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を 負ふ。」

 「点検」の解説は次の通りである。
 天皇が行う「国事に関する行為」をめぐっては、内閣が決定することを定めているの が三条だ。天皇の行動を、議会制民主主義に基づく内閣の判断に委ねることで、天皇の 行う「国事行為」が国民の意思に沿うものになるよう規定している。
 間接的に、天皇も国民主権の下に置かれることを示したもので、一条で「国民の総意 に基く」と定めた天皇の地位を、内閣との関係で保障したと言える。
 天皇に主権があると定めた旧憲法では、「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ」と、 内閣側は各閣僚がそれぞれ天皇を補佐する立場にとどまっていた。そのため、戦前は天 皇の権威を盾にした軍部が、内閣の判断に従わない事態が起きた。
 GHQが憲法草案づくりの基本方針とした「マッカーサー・ノート」には、「天皇の 職務および権能は、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする」と、国民主 権下の天皇という考え方が示されている。その結果、内閣と天皇の関係は事実上、逆 転。天皇は、「国事行為」を自分の判断で行うことを禁じられ、内閣のコントロール下 に置かれることが明確にされた。
 ちなみに、GHQ草案の策定で天皇条項を担当したのは、当時二十六歳の海軍少尉 だったリチャード・プール氏。「昭和天皇と誕生日が同じ」ということを理由に、上 司から担当を指示されたというエピソードが伝えられている。 (三浦耕喜)

 この三条はかなりのくせものだ。天皇の「国事行為」の範囲に歯止めがない。従って これに対する「意見」の改正案は非常に単純明快だ。

 〔第三条〕 全文削除

 〔理由〕 象徴としての天皇は、その本質上、儀礼的行為以外には行うことができ ないはずであるから、第一に、国事に関する行為というような国政との区別の明ら かでない表現は適当でない。第二に、儀礼的行為については、内閣は、旧憲法で天 皇が、統治権を総攬していたときのように輔弼の責任を負う必要はなく、従って、 それを思わせるような「助言と承認」を行う必要がない。従って本条は全文削除す る。ことに助言と承認(advice and approval)は、アメリカ憲法で上院が大統領に 与える「助言と同意」(advice and consent)と紛わしく、表現としても不適当であ る。

 これに付け加える事は私にはない。
176. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(3)
「第一章 天皇」第二条・「女帝」是非記載なし
2005年2月6日(日)

 まず条文。

第二条「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する。

 「点検」は次のように解説している。
 最近、にわかに注目を集めている「女帝」容認論。皇位継承について書いてある二条 は、この問題に直結する。
 皇室典範一条では、「皇位は、皇統に属する男系の男子 が、これを継承する」と規定している。女性天皇を認めるには、この条文を改正しなけ ればならない。
 旧憲法では二条で、皇位は「皇男子孫之ヲ継承ス」と男系男子に限っていたが、現憲 法ではその部分が省かれた。現憲法策定に向けた国会審議で、政府はその理由について 「憲法の建前としては、男女の区別の問題は、法律問題として自由に考えてよい」と答 弁している。
 つまり、明治時代も今も「男系男子」は変わりないが、旧憲法下では憲法、今は 皇室典範で規定されていることになる。
 そのため、女帝容認は、憲法を改正しなくてもいいというのが政府の見解だ。だが、 天皇制の歴史的な転機となる問題だけに、改憲論議と並行して行うべきだという意見も ある。
 女性天皇は過去に、十代八人いる。今の国内世論は、多数が女性天皇を認めるのに賛 成している。
 ただ、①過去例がない「女系」の天皇、つまり父方に天皇を持たない天皇を認めるの か②継承を第一子優先とするのか、男子優先とするのか-など、クリアすべき問題も少 なくない。
 この間題については、首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・ 吉川弘之元東大学長)が議論を始めており、今秋にも結論が出る見通しだ。 (後藤孝好)

 「天皇制」そのものを認めないのだから、私には皇位継承の問題などどうでもよいし全く 関心はない。天皇を人民支配のための強力な武器にしたがっている支配層というるつぼの中での ドタバタ狂言だ。

 「意見」は次のような改正案を出している。
 条文を「皇位は世襲のものであって、法律の定めるところにより、国会の承認に基いて継承 する。」と改める。
 その理由。
 〔理由〕 世襲ということは、何人が天皇の位につくかについて、順位を固定させ てしまうことを意味しない。皇統に属するものの中から、日本人民の儀章となるに ふさわしい者を人民が決定するのは、人民主権の原則からいって穏当であると思わ れる。そのため少くとも国会がこれを承認するものとしたい。もちろん、ここに、 生前の退位をみとめ、女帝をみとめることは、この条文の主旨と矛盾するものでは なく、民主主義の原則からいって、それらの制度は採用さるべきである。憲法の本 文のうちに、これらを明記してもよいが、とくにこれを明記する必要はないほど当 然のことであろう。また「国会の議決した皇室典範」とあるが、皇室典範が国会の 議決を経るにもかかわらずこのような旧来からの固有名詞を用いることは特別の法 典であるかのような誤解を生ぜしめるので、皇室継承に関する法律も、その形式的 効力について他の法律となんら異らないものであることを明示する必要があり、そ のため、皇室典範という文字を削除する。
 点検で言われている「女帝容認は、憲法を改正しなくてもいいという」政府の見解 と同意だが、さらに突っ込んでいる。「皇室典範」に変わる法律を定め、「日本人民 の儀章となるにふさわしい者」なら「何人が天皇の位」についてもよい、と。
 仰々しい皇位継承規定はいたずらに天皇家の権威付けをするだけだ。「皇室典範とい う文字を削除する」だけでなく、「皇室典範」など廃棄すればいい。
175. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(2)
「第一章 天皇」第一条・象徴天皇は「元首」か
2005年2月5日(土)

 さて、今日からテーマは「第一章 天皇」条項に入る。

「意見」はまず第一章全体について基本的なスタンスを次のように述べている。

 第一章に天皇の章を設けているのは、人民主権を表明する憲法としては妥当では なく、別に人民主権を宣言する章を設けるか、或いは人民主権の宣言を含む基本的 人権の規定を第一章とすべきである。また民主主義の憲政というポツダム宣言の主 旨に従えは、天皇制の廃止による共和制とすべきことが理想であり、従って天皇の 章は理想案においては不要である。かような場合には、大統領制とすべきことはい うまでもないが、その場合の大統領制は米国のような政治的実権をもつものではな く、仏蘭西流の儀礼的な存在とすべきである。しかし、このような理想案はいま一 応将来のこととして、実現可能な改正案ということになれは、天皇制を承認した上 で人民主権を明確にすべきである。この観点から、天皇の儀礼的な存在たることを 明示すべきである。

 「天皇制の廃止による共和制とすべきことが理想であり、従って天皇の章は理想案 においては不要である。」
 第一章についてはもうこれにつきる。しかし「実現可能な改正案」も読んでおこう。

 まず第一条。
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権    の存する日本国民の総意に基く。」

 東京新聞「遂条点検」(以下単に「点検」と呼ぶ。)は次のように書いている。
 ハトが平和の象徴に、よく例えられる。象徴とは、目に見えない抽象的、観念的で形 のないものを、具体的な形のあるもので表現すること。つまり、天皇は日本という国 と、日本国民を表現する存在ということになる。
 憲法制定にあたり、最も注目されたのは天皇のあり方だった。
 旧憲法では、天皇を「統治権の総覧者」と規定し、天皇には絶大な権力が与えられて きた。だが、現行憲法は、天皇を「象徴」と表現し、国政に関する権限を持たず、国 事行為のみを行う存在とした。
 第二次世界大戦後、米国などの連合国では天皇制廃止を求める意見が強かった。しか し、日本の国内世論ば天皇制擁護論が圧倒的で、総司令官のマッカーサー元帥は天皇制 廃止は占領政策に不利と判断。天皇の強大な権力をなくしたうえで、天皇制を存続さ せた。
 今の国会の議論では、象徴天皇制を維持すべきだとの意見が大勢を占めているが、 「国民主権の憲法なのに、一条が天皇制の規定なのはいかがか」という指摘もある。
 では、象徴天皇は「元首」なのか。憲法制定以来、ずっとある議論だ。元首は、「行 政の長」「対外的に国家を代表する地位にある国家機関」を指すが、天皇はいずれにも 該当しない。その一方で、外国の大使・公使の接受を行うなど、国際的には元首と同 等の処遇を受けることが多い。
 このため、憲法改正の議論になると、「元首」と明記して天皇の位置付けをはっきり させるべきだ、という意見がしばしば出る。
 先月、中曽根康弘元首相が会長を務めるシンクタンク「世界平和研究所」が発表し た憲法改正試案では、天皇を「日本国の元首であり、国民統合の象徴である」とした。
 諸外国の例を見ると、スペイン憲法が「国王は国家元首であり、国の統一および永続 性の象徴である」と、中曽根試案に似た表現になっている。    (本田英寛)

 「象徴」という分かるようで分からない「鵺」のような言葉を用いている事が天皇の言動にま つわるさまざまな問題点の原因だ。もともと天皇の存在の仕方が「鵺」のようなものなのが、 「鵺」の2乗=「ぬえぬえ」というさらに気持ちの悪いものになってしまっている。

 「意見」の改正案は次の通りである。

 〔第一条〕「主権は日本人民にある」という条文を新たに加える。
 〔理由〕 現行の第一条のように天皇の法的性質を表現することに附随して、国民 主権を宣言しているのは妥当でない。別個の一条を設け、これを冠頭に掲ぐべきで ある。
 つまり天皇に関する条項は「国民主権」に付随するものに格下げせよといっている。
 そして現憲法の第一条を次のように改めて第二条としている。

 〔第ニ条〕「天皇は日本人民の儀章たるべきものである」

 「象徴」の代わりに「儀章」という言葉を造語している。その理由は
 〔理由〕 現行憲法の第一条にいう象徴という用語は神秘的要素をももち、その法 的性質が明らかではない。ある者は象徴たるものを主権者の地位にまで高める解釈 を行っている。象徴とは、本来、儀礼的存在を示すものとして用いられた言葉であ るから、これを一層明確にして、儀章とすべきである。儀章は旗章という概念にも 相当するもので、新造語であるが、天皇の儀礼的な存在をよく現わしているものと 思う。このため、現行憲法にいう「日本国民の統合」という文字も、天皇の地位が 「国民の総意に基く」という文字も削除すべきはいうまでもない。これらの用語は 天皇制を不当に強化する可能性をもつものだからである。

 「意見」の筆者が懸念していた通りに「ぬえぬえ」は「不当に強化」しつつ今日に 至っている。
174. 憲法前文について追記
2005年2月4日(金)

 書棚に娘が大学生のときに使っていた教科書(佐藤功著「日本国憲法概説」)を見つけたので 「人間相互の関係を支配する崇高な理想」についてどんなことを言っているのか調べてみた。

 前文の第一段および第三段において、この憲法が単にわが国にのみ適用される原理に基づくもので はなく、「人類普遍の原理」に基づくものであるとされている。「人類普遍の原理」とは、世界の人 類が終始その確立のために努力し来たり、今日の世界において人類共通の原理と認められるに至つた 原理を意味するといえよう。日本国憲法は、わが国がこのような原理に基づくことによつて、はじめ て国際的にも新たな地位を占めることができるとしているのである。
 「人類普遍の原理」に基づくとすることは、従来わが国にのみ固有のものであり世界に比類がないも のと考えられてきたところの原理、すなわち「国体」の原理を排除するところに特別の意味がある。
(下線は仁平)
 こりゃなんじゃいな?何も言ってないと等しいではないか。何か言わなければ沽券に関わるとでも思ったのか、 無理やり文章をこねくり出したというところか。むしろますます分かんなくなってくる。
 しかし「人類普遍の原理」を『「国体」の原理』のアンチテーゼと読む読み方は一つの識見と 言えよう。

 もう一つ。
 『「人間相互の関係を支配する崇高な理想」の意味がよく分からないということを、確か辺見庸さんも どこかで書いていた。』と書いたままで横着を決め込んでいたが、やはり気になるのでこれも調べた。

 ただ「わからない」と言っているだけでなく、ちゃんと独自の解釈をしていた。
 憲法前文第二パラグラフにある「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、いった いなんであろうか。私にはよくわからない。憲法制定時の日本国民がそれを「深く自覚」 していたようにも思えない。けれども、指し示すものが、国家の準則などではなく、人間 として将来にわたり希求すべき、「非国家的」ことがらであることは、前後の脈絡からし て明白なのではないか。これにつづく、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と 偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めた いと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生 存する権利を有することを確認する」の有名なくだりは、小泉が一再ならず米国の戦争政 策を支持したり、自衛隊派兵の論拠とした個所だが、いったいどこをどう読めば彼のよう な解釈が導かれるのだろう。第一段落における宣言と決意と相侯って、ここで押しだされ ているのは、絶対的なパスィフィズム(不戦・平和主義)以外のなにものでもないのであ り、さらにそれにとどまらず、貧困や差別、人権侵害、環境破壊などの、今日的表現でい えば「構造的暴力」に対しても、国際社会と平和的に連携してそれらの克服のために闘う という決意であろう、と私は考える。「人間相互の関係を支配する崇高な理想」を、私は 「よくわからない」と記したが、地球規模の構造的暴力(これは現在、グローバル化の必然的 結果でもある)をもわがこととして捉えて闘おうという発意ならば得心するのである。
(辺見庸著「抵抗論」所収「憲法、国家および自衛隊派兵についてのノート」より)

(下線は仁平)

 大筋において私の捉え方と同じだと思う。
173. 東京新聞「憲法遂条点検」と「憲法改正意見」(1)
憲法前文・「平和」「国民主権」をうたう
2005年2月3日(木)

 東京新聞の記事は前文の中の文章を8ヶ所取り上げて、その「背景と解釈」を記述している。
(太字は憲法の該当文章)

 私の言い分は思いつくままに勝手なことを書いていくことにする。妥当な言い分かどうかは とりあえず考えない。

まず第1段から
1
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し

 「政府の行為によって」は、「過去の戦争が政府によって行われた」という前提に立っている。同じ 過ちを繰り返さない決意を示すことで、平和主義の理念をうたっている。

2
主権が国民に存する

 主権とは、「国家の意思を最終的に決定する最高権力」と解釈されている。大日本帝国憲法下で は、主権は天皇にあった。今の憲法では、主権が国民に移ったことを明記した。

3
国政は、国民の厳粛な信託による

 国政は本来、国民のものであり、権力を行使する者、つまり政府や国会議員のものではないとい う趣旨。

4
これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 旧憲法を認めないというだけでなく、原理に反するような将来の憲法改正も許さないという意味 も含まれる。法令や詔勅も、過去、将来にかかわらず、日本国憲法の原理にそぐわないものはつく ってはいけない。

 理念と現実は月とスッポンほども違うことは改めて言うまい。
 このくだりでは「その権力は国民の代表者がこれを行使し」がいけない。前回の「意見」の改正案 では「国民の代表者」を「人民」にするとある。
 さらに私は国会議員を「国会における(国民の)代表者」だとする規定がよろしくないと思う。「代理人」 とすればいくらかはましか。
 もう一つ。「日本国憲法の原理にそぐわないものはつくってはいけない。」と解説しているが、 その「日本国憲法の原理」をキチンと定義しなければ意味がない。

第2段

 
5
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するの であつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと 決意した。

 軍事的手段以外で、自国の安全と生存を保持すると決意することで、「戦争放棄」「戦力の不保持」 の考えを示している。この考えは憲法九条で具体化されている。
 ただ、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」の意味は、必ずしも明確ではない。
 「諸国民の公正と信義に信頼して」のくだりも、日本語としておかしいとの指摘があるうえ、 戦争、紛争、テロなどが頻発する国際社会の現状の中でそぐわなくなっているとの意見もある。


6
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

 平和主義に徹することにより、「名誉ある地位」を占めたいとの意思を示している。政府が、 国際貢献をする際によく引用する一文。


 「人間相互の関係を支配する崇高な理想」の意味がよく分からないということを、確か辺見庸さんも どこかで書いていた。敢えて解釈をしてみようと思う。

 カギは「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと 努めてゐる国際社会」というくだりにある。
 この文はこの地上にはいまだ「専制と隷従、圧迫と偏狭」があり、「平和を維持」するのも難しい ことだという現実についてのまっとうな認識を前提としている。それは人類が落ち込んでしまった 陥穽「支配ー被支配」あるいは「抑圧ー被抑圧」のことと言い換えてもよいだろう。
 ではそれらを地上から永遠に除去しようと努めてゐる「国際社会」とは何を指しているのか。私は この地上の全人民のことと考えたい。国家という枠組み取り払った人民同志の直接の相互関係を指し ている。この後すぐに「全世界の国民が」とあるが、「国際社会」を言い換えたものであろう。
 だから「人間相互の関係」とは上述の意味での「国際社会」であり、「支配ー被支配」あるいは 「抑圧ー被抑圧」から人類全体を解放するという崇高な理想はその「国際社会」全体で共有すべき 理想と言うことになる。つまり「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはそう言うことだ。

 ちょっと苦しい解釈かな?でも今までに解釈しようとした人はいないらしいから、ひとまず これでいいとしよう。
 「諸国民の公正と信義に信頼して」が日本語としておかしいというのは助詞の使い方の間違い でしょ。私もおかしな日本語を使うことがあるから口はばったいけど、 よっぽど日本語をきちんと使えない日本人が翻訳したんだね。
  7
自国のことのみに専念して他国を無視してはならない

国際協調主義を掲げたくだり。利己的な国家主義を排除して、他国と対等の関係で協調していく必要性 を強調している。小泉純一郎首相が二〇〇三年十二月にイラクへの自衛隊派遣の基本計画を閣議決定し た際、この部分を引用。「憲法の理念に沿った活動が国際社会から求めらいる」と大義を強調し、論議 を呼んだ。
 また、平和主義と国際協調主義の理念に基づけば、現行憲法下でも「自衛隊を国連待機軍として国連 に提供し、海外で活動させることは可能」という主張も、一九九一年の湾岸戦争以降出ている。これは、 国連の指揮下での活動は、憲法九条が禁じた「国権の発動たる戦争」にあたらないとの解釈からだ。
 しかし、政府は国連指揮下での活動でも、九条で禁止された「武力による威嚇または武力の行使」は できないとの立場を取っている。


8
自国の主権

 ここでいう自国の主権は、「主権国家」「独立国家」の意味。


 第二段までの主語は「日本国民」と「全世界の国民」である。「意見」の「改正案」を取り入れれ ば「日本の人民」「全世界の人民」が主語ということだ。
 第三段で始めて「国家」という概念が登場し、「国家」が主語になる。 そして、二段までに述べた人間解放の理想を遂行すること を普遍的な「政治道徳の法則」と言い、それが「国家の責務」であると言っている。
 また「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のは「崇高な理想」が全世界の人民 の課題である以上当然のことである。

 先に述べたように「国際社会」とは国家間の相互関係ではなく、各国の人民同士のそれである。 ましてやコイズミの「国際社会」は「アメリカとその追従国」のことで全く話しにならない。
 また「憲法の理念に沿った活動」が人民の大量虐殺の援助では「崇高な理想」に対する侮辱である。

 前文の最後の一文も「国家の名誉にかけ」ではダメだ。「日本人民」とすべきだ。つまり
「日本人民は、日本人民の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。」
そして国家はその「崇高な思想」遂行のためのシステムに過ぎないことを明記すべきだろう。
 国家はでかい顔をして人民を抑圧するな!!
172. 「憲法改正意見」・憲法前文
2005年2月2日(水)

 「憲法改正意見」(以後単に「意見」と呼ぶ)の前書きでいう「ポツダム宣言の精神」とは、「宣言の十」の後半部分の「日本 國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、 宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」を指していることは明らかだろう。

 まず憲法前文を改めて読んでみる。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫の ために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が 国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託による ものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利 は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くもの である。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するの であつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと 決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと 努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、 ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであ つて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、 他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。

 「意見」は改正点を二点挙げている。
1. 前文及び本文に使用されている「日本国民」という言葉を「日本人民」に改める。
2. 前文中、「その権力は国民の代表者がこれを行使し」とあるのを「その権力  は人民がこれを行使し」と改める。

 その理由を次のように述べている。
 前文は日本国憲法の根本原則を示すもので、本文の基礎となっているも のであり、従って、憲法の改正手続によって軽々に、これを改むべきものではない、 ことに民主主義の根本原則は日本国憲法の鉄則ともいうべきもので、これを民主主 義に反する方向に改正することは許さるべきではないが、ただ、民主主義の原則を 深化・発展せしめるために改正を加えることは、前文にいう根本原則に反するもの ではない。従って、日本国民という曖昧な表現を明確にし、英文にあるように日本 人民Japanese people とすることは、本来の主旨を徹底させるものである。さら にまた、前文中に「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行 使し、その福利は国民がこれを享受する」と示されているのは、欧米のデモクラシ ーの原則としていわれるgovernment of the people,by the people, foe the people に相当するものであるが、このうち人民による政治にあたる部分は前文においては 「国民の代表者」とされ、間接民主政治をいみしている。しかるに、デモクラシー の原則としては直接民主政治を排すべき理由はなく、現に日本国憲法も直接民主政 治の諸制度を採用しているし、直接民主政治が建て前たるべきものである。従って、 民主主義の根本原則を示す場合には、あくまで直接民主政治を意味する「日本人 民」とすべきで、「代表者」という文字を削除する。

 まず、前文の「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」が私には気に入らない。
 私の行動を他者を通して行うとは一体どういうことなのか。私の行動規範の「自主自立」にまった く反する。何よりも現実の事実として「国会における代表者」に私たちの行動の範となるに足るものなどい ないではないか。(もしかすると何人かはいるのかな?)
実は、この私の議論はおかしいのだ。全文で言われている「行動」とは「政治的国家」の成員という 幻想上の「国民」としての「行動」であり、市民社会の成員・現実に生活している個々の市民の日 常的な「行動」を指しているのではあるまい。こうした誤解は、憲法前文がまともな国家論を 欠いているため起こる。

  「意見」は「日本国民」という言葉を「曖昧な表現」と言っている。これは漠然とではあるが、 「政治的国家」と「市民社会」(社会的国家)を区別し、その関係を踏まえようとしていると思われる。
 また「意見」は、「直接民主政治」が「建て前たるべき」であり「民主主義の根本原則を示す場合」は、 との保留つきながら、「日本人民」という言葉に「直接民主政治」という理念を込めている。
 この「人民」という言葉は上で私が使った「市民」と同意だろう。
 

 そういう意味で私も「日本国民」という言い方に異議がある。
 私たちは「国民」である前にまず「人民」である。理念としては、「人民」が合意によって「国家」を 形成し、そこで初めて私たちは「国民」となる。
 前文はあくまでも「人民」の立場から、「人民」が国家形成の主体であり「人民」が国家の在り方を 決めるのだということをもっと明確に宣言すべきだ。憲法は「人民」が「国家」に与える活動規準なの だという、改悪論者たちが最も忌み嫌っている部分を強化することになる。

    もう一つ、私は「前文」中の「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと 努めてゐる国際社会」に注目したい。このことについては「第26回」(2004年9月9日)で書いたことで はあるが、次回に繰り返すことになるかもしれない。

 ところで偶然にも今日から東京新聞(朝刊)が憲法全文を「遂条点検」する連載を始めた。その趣旨に いわく、
 最近、憲法改正をめぐる議論がマスコミをにぎわせています。「何とか止めな ければ」と思う人もいるでしょうし、「時代にそぐわないなら変えればいい」と いう声も聞きます。ただ、その理由を聞くと、「何となく」という人が案外多い ようです。そこで私たちは、百三条ある今の憲法を一条ずつ取り上げ、優れた 点や問題点を掘り下げることにしました。
 「憲法の記事を連日載せるのは改憲機運をあおるだけ」という批判もあるかも しれません。しかし、憲法をじっくり考えることは、護憲派、改憲派にかかわら ず、有意義なことだと考えました。
 なぜかというと、憲法は安全保障や天皇制の問題だけでなく、暮らしの中の森 羅万象にかかわっているからです。国会や各党の憲法論議では、脳死やIT(情 報技術)社会といった広範なテーマを議論しているのです。
 宮沢喜一元首相の背広には、いつも憲法の条文が入っているといわれます。  「私は学生時代、旧憲法はじっくり勉強して頭に入っているが、今の憲法は分 からないことがある。だから、持ち歩いて勉強しているのです」
 護憲派重鎮のこのひと言が、連載を始めるヒントになりました。長い連載にな りますが、ぜひお付き合いください。まずは「前文」の解釈からスタートしま す。   (金井辰樹)
 私は憲法をつまみ食いしかしておらず、全文を精読したことなどもちろんない。これを機会に 東京新聞に付き合ってみようと思う。私なりに記事を取捨選択し、「憲法改正意見」の残りの 部分(第1章・天皇条項の改正案)と私の意見も適時盛り込みながら紹介していく。
171. 「憲法改正意見」前書き
2005年2月1日(火)

 憲法が公布されたのは1946年11月3日。
 ちなみに「日本国憲法公布記念式典において賜わつた勅語」というのを掲載する。

本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、 自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争 を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人 権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自 由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
改憲大好きの天皇教信者たちはこのヒロヒトの決意をどう読むだろうか。占領軍に心にもないことを 無理やり言わせられて、おいたわしや、か。それとも、それごらんなさい、平和を愛する皇室でしょう、か。
 近頃の米長が引き出したアキヒトの「お言葉」同様、天皇の発言を「黄門様の印籠」にするような 言説は右左を問わず唾棄すべきだが、天皇教信者たちがこの「勅語」をどう糊塗するのか、興味がある。

 さて、本題に入る。
 紹介する「憲法改正意見」という論文は「『天皇制』論集」(三一書房)に収録されている。初出は 「法律時報(第20巻4号)」という雑誌で発表者は「公法研究会」とある。この研究サークルは今でも継続 しているのだろうか。早稲田大学に同名のサークルがあるが、同一のサークルだろうか。

 前書きから読んでいく。

  現行憲法が文字通りの意味でinterim constitutionであるかどうかは問題である が、少なくとも施行二年目までに日本人民の手で再検討が加えらるべきものである ことは、公布当時、極東委員会の見解として新聞紙上に伝えられたところである。 ところが遺憾ながら、今までのところでは日本人民の間から改正意見が活発に表明 されているとはいえない状態である。
 われわれ公法研究会の会員は、昨年春以来、憲法の研究に従事して来たが、その 際一番問題になったのは、現在広く行われている解釈の中に、ポツダム宜言の精神 に違反すると思われるもの、従って現在の日本の政治的構造の基本規定と認め難い ものが少なからず存在するということであった。われわれの研究の成果は何れ機を みて発表したいと考えるが、とりあえず、その一端として、われわれの問題にした ところを憲法改正意見として公にし、一方では右のように解釈上異論の起る余地を なからしめると共に、この二年間の日本人民の政治的成長に鑑みて、憲法を少しで もポツダム宣言の今日における意義に適するように改めたいと考えた。これが改正 意見の極めて簡単な要旨を、しかも憲法第三章までの部分だけを、取急いでここに 発表する理由である。これによって憲法を、自分自身の問題として絶えず真剣に考 えてゆくというわれわれ日本人民の権利が、正しく行使されることになるであろう。 各方面からの忌憚のない批判を期待したい。
 昭和二四年三月二〇日
(本文中*は現行憲法参照条文を示す)

 これによると「少なくとも施行二年目までに日本人民の手で再検討が加えらるべきもの」と されていたようである。
 憲法改悪論者は「押し付け憲法」だということを憲法改悪の理由の一つにしている。日本人民による 再検討の機会が設けられていたのなら、安易に「押し付け憲法」とは言えないのではないか。
 もっとも当時「押し付け憲法」に国体(自分たちの権力基盤)の危機を感じていた連中は 「押し付け憲法」を押し返すような「改正」案を出す勇気などなく、甲羅の中に閉じこもってじっと 隠れていたのであろう。

 ともあれ、「押し付け」か否かはたいした問題ではない。憲法が掲げる理念とその条文の内容そのもの が問題にされなければならない。

 上記の前書きによると、論者は「ポツダム宜言の精神」を規準に憲法を検討しようとしている。
 私は「ポツダム宣言」を丸ごと読んだ事がないので、ついでながら、この機会に読んでみることにする。
 そしてさらについでながら、「ポツダム宣言」に先立つ「カイロ宣言」も。

カイロ宣言(日本國に關する英、米、華三國宣言)
1943年11月27日 カイロで署名

「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」總理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」 ニ於テ會議ヲ終了シ左ノ一般的聲明ヲ發セラレタリ
各軍事使節ハ日本國ニ對スル將來ノ軍事行動ヲ協定セリ三大同盟國ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蠻ナル敵國ニ對シ 假借ナキ彈壓ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右彈壓ハ既ニ増大シツツアリ
三大同盟國ハ日本國ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ
右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋 ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華 民國ニ返還スルコトニ在リ
日本國ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本國ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ驅逐セラルヘシ
前記三大國ハ朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟國ハ同盟諸國中日本國ト交戰中ナル諸國ト協調シ日本國ノ無條件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大 且長期ノ行動ヲ續行スヘシ


「ポツダム」共同宣言(米、英、支三國宣言)

昭和20(1945)年7月26日 ポツダム(Potsdam,Germany)で署名
昭和20(1945)年8月14日 日本受諾


 吾等合衆國大統領、中華民國政府主席及「グレート、ブリテン」國總理大臣ハ吾等ノ數億ノ國民ヲ代表シ協議ノ上日本國 ニ對シ今次ノ戰爭ヲ終結スルノ機會ヲ與フルコトニ意見一致セリ

 合衆國、英帝國及中華民國ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自國ノ陸軍及空軍ニ依ル數倍ノ増強ヲ受ケ日本國ニ對シ最後 的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本國ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同國ニ對シ戰爭ヲ遂行スルノ一切ノ聯合國ノ決 意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ對スル「ドイツ」國ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本國國民ニ對スル先例ヲ極メテ 明白ニ示スモノナリ現在日本國ニ對シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ對シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」 國人民ノ土地産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廢ニ歸セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程度ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持 セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本國軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本國本土ノ完全ナ ル破滅ヲ意味スベシ

 無分別ナル打算ニ依リ日本帝國ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍國主義的助言者ニ依リ日本國ガ引續キ統御セラルベキカ又 ハ理性ノ經路ヲ日本國ガ履ムベキカヲ日本國ガ決定スベキ時期ハ到來セリ

 吾等ノ條件ハ左ノ如シ
吾等ハ右條件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル條件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

 吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐サラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノ ナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザル ベカラズ

 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本國ノ戰爭遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確證アルニ至ル迄ハ聯合國ノ指定スベキ日本 國領域内ノ諸地點ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

 「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラル ベシ

 日本國軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復歸シ平和的且生産的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ

 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ 虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的 傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
十一
 日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本國 ヲシテ戰爭ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ爲原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ區別ス) ヲ許可サルベシ日本國ハ將來世界貿易関係ヘノ參加ヲ許サルベシ
十二
 前記諸目的ガ達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ從いヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テ ハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ
十三
 吾等ハ日本國政府ガ直ニ全日本國軍隊ノ無條件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ對ノ誠意ニ付適當且充分ナル保障ヲ提 供センコトヲ同政府ニ對シ要求ス右以外ノ日本國ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス