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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
162. 「公共の福祉」とはなにか。
2005年1月23日(日)

 私たちにとっては、現実の人間としての本来の生活(市民社会の生活)が目的であって、 公民としての共同幻想上の生活(政治的生活)はそのための一手段に過ぎない。従って 憲法をはじめ種々の法律がその目的である個人的人間の人権を侵害すれば、それはただちに破棄 されなければならない。理論上はこうだ。
 だが現実では逆転する。自由という人権が政治上の問題と矛盾すると、自由という人権が蹂躙される。 「手段」が「目的」となり、「目的」が「手段」となる。この逆転の根拠は、なんと 憲法が保障している。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利 については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の 上で、最大の尊重を必要とする。

 現今の民主主義国家の人権規定はフランス革命のときの憲法に範があるが、その当時から この「目的」と「手段」の逆転の問題が起こっていた。マルクスの「ユダヤ人問題によせて」に 次のような記述がある。
上記の記述も「ユダヤ人問題によせて」に負う。)

「出版の無制限な自由」が個人の自由という人権の帰結として保障されながら、出版の自由は 踏みにじられた。なぜなら、「出版の自由は、それが公共の自由を危うくする場合には、許され るべきではない。」(弟ロベスピエールの言葉)とされたからである。


 「公共の福祉に反しない限り」という、どうにでも拡大解釈ができる曖昧な文言を盾にとって、 権力は人権蹂躙をほしいままにする。つまり「公共の福祉」とは、なんのことはない、 「支配階級の都合」のことなのだ。

 さて、イシハラの人権無視はとうとう「集会の妨害」、「教師の配布物への検閲」を行うまで になった。(次回に続く)
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