2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
170. 憲法改悪の真の狙い
2005年1月31日(月)

 憲法改悪に対して、私は「憲法擁護」とは言いたくない。もちろん天皇条項の故である。くだんの条項を 削除する改正なら諸手を挙げて賛成したい。憲法改悪反対の立場の人の多くが同じ思いではないかと 推測しているがどうだろうか。

 憲法改悪を企む側も反対する側も第9条を一番の争点と考えているようだが、私はそれにもまして前文の 改悪を懸念している。

 いま都教委が行っている教育支配のための施策の多くが憲法違反あるいは教育基本法違反であることは 明らかだ。教育基本法違反を詰問された都教委員の某かが「いずれ教育基本法が改正されて、私たちのや っている事が正しいことになる。」とうそぶいたという話を仄聞したが、そういうものいいがあっても 驚くに当たらない。違反承知でやっているのだ。
 イシハラは現憲法を認めないと公言している。イシハラの腰きんちゃくも親分に倣っていることになる。

 イシハラは現憲法を目の敵にしている。特にその前文がもっとも癇に障るらしい。「醜悪」だという。 日本語の表現として悪文だと批判している(それはそれで当たっている)のだが、イシハラの数々の言動から、彼が目の敵にしている 本命のターゲットは前文に盛り込まれた「理念」なのだ。
 自民党らの改悪案は、前文がそのままでは、多くの条項が前文と齟齬をきたすに違いない。 改悪遂行者らは、憲法は国家が決めて国民に従わせるもの、という憲法前文と真っ向から対立する 観点から改悪しようとしているのだから、前文を全く反対の理念で書き換えねばならない。私はこの前文の 改悪が憲法改悪の骨子だと考えている。

 憲法前文の理念と真っ向から対立する「醜悪」な例が昨年度発表された与党の「教育基本法改正協 議会・中間報告」のなかにある。

 現基本法第10条
 「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」

 改悪案
 「教育行政は、不当な支配に服することなく、国・地方公共団体の相互の役割分担と連携協力のもと に行われること。」

 これはブラックユーモアだろうか。いや大真面目なのだ。こんな噴飯ものの詐欺を平気で行う精神も なかなか「醜悪」だ。

 「日の丸・君が代の強制」に対するさまざまな訴訟では憲法が保障する「思想の自由」と基本法の 10条が眼目となる。なるほど、こんな条文に改悪されれば、都教委が「正しい」ことになる。

 ところで、いまここで問題にしている憲法前文と天皇条項についての改正意見を1947年に発表していた 人たちがいる。
 次回はそれを紹介する。
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169. 遺伝子について
2005年1月30日(日)

 科学者が必ずしも科学的・論理的な思考ができるとは限らない。科学者バカというのがいる。 専門分野での業績に慢心しているせいか、専門以外の事に全く蒙昧で非常識的な考えを開陳して恥じない。 その典型的な例が江崎玲於奈だ。「第8回」(2004年8月21日)で江崎の次のような発言を紹介し、批判した。
 人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。 これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容) せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。 その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。
 ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を 行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。
(斎藤貴男「機会不平等」より)
 これに対して私は、人間のあり方の事実に照らし合わせたごく当たり前な常識から批判した。しかし 遺伝子情報そのものについても、私が持っている科学的な常識に照らし合わせて、それが一個の人間の 人生にとって江崎が言うほどの絶対的の要因であるはずがなく、その面からの批判も必要と思ってい たが、手持ちの知識がなく果たせないでいた。

 ところで、「このサイトは革命だ!」という上田哲さんが主催しているサイトからの配信を 受けている。

”1億総記者”『世論力テレビ』

 その1月27日の配信の記事が「38億年の遺伝子の話」という表題で、その内容に遺伝子情報についての 科学的な知見が披露されている。それを紹介する。

 上田さんはその論文を紹介するに当たって次のように述べている。
 ・・・・国会の虚しさ。NHKがやった「憲法を考える」の特に各党討論会の虚しさ。 皇室典範議論の虚しさ・・・
 方向感覚を失ったマスコミが登場させる「識者」というまがい者を見るのさえ反吐が出る 気分だ。この社会の虚しさの中に誰もが立ちすくんでいる。

 ふと、いい論文を読んだ。
私にはとても理解しきれないし、まして訳知り気な解説など出来ない。ただ、とても 面白かった。だから筆者には失礼だが、この虚しさの“気晴らしに”ご紹介する。
丸ごと受け売りである。その紹介も間違っているかも知れない。乞!ご寛恕。

 私はそのまた一部の孫引きをするのでさらに間違うかもしれない。このことはやはり一言断って おきたい。
 また私が引用する部分以外にも面白い話を含んでいるので、興味をお持ちの方は上記サイトを訪ねられ たい。

 さて、論文の筆者は村上和雄という方で、国際科学振興財団バイオ研究所長とのこと。
 途中からの引用になる。

 人類がDNAの構造を発見したのは20世紀最大の発見だ。しかし、発見する前に法則は すでにあったのだ。
 じゃ、それを創ったのは誰だ?
 村上氏はそれをSomething Great(何か偉大なるもの)と名づけている。
わたしたちは、細胞一つ、基からは作れない。コピーはいくらでもできる。しかし、細胞は作れない。 細胞は一つで生命がある。まして60兆の細胞が自分の生命を生かしながら他の細胞を 助けている。見事な仕組みである。こんな仕組みが遺伝子にプログラムされているのは分かるが その先が分からない。Something Greatと言うしかない。

  江崎のように手垢にまみれた「神」を持ち出さないところがいい。
 私は村上氏が言う「Something Great」のことを「宇宙の摂理」と言いたい。私たち生命は 宇宙の一部であり、生命は「宇宙の摂理」と共鳴共感することができる。いわゆる宗教的な感応 がある。私は宗教的な心性は否定しないが、私の中に「神」はいない。私は宇宙と感応する私の宗教的な 心性を「ポエジー」と呼んでいる。

 私たちの体は、元素から成っていて、この元素は全部、地球の元素。地球の無機物を 植物が摂取して、動物が食べて、私たちが食べている。人間の元素は全部地球の元素だ。 地球の元素はどこから来たか。宇宙の元素だ。だから私たちの体は宇宙のひとかけらで 必ず宇宙に返さなければならない。
 大宇宙は一点から始まった。質量も重量もない世界でビッグバンと言う大爆発が起こ って、2分か3分後に水素原子ができた。その水素原子が人間の誰のなかにも残っている。 だから人間の体は宇宙生命150億歳だという。
   そこで村上氏は遺伝子に帰る。

 遺伝子の働きは変えられる

 遺伝子を遡っていくと38億年くらい前に行き着くが、その時にすでに遺伝子はあった わけだ。連綿として進化を続け今の私たちがある。
 村上氏は「あなたの思いで遺伝子の働きは変えられる」と仮説を立てる。嬉しいとか、 楽しいとかの思いだ。
 遺伝子情報は核の中に入っていて門外不出で遺伝子そのものは動かない。遺伝子が動く ためにはタンパク質とかホルモンとかを作る必要がある。嬉しさとか、楽しさが タンパク質とかホルモンとかを作る「オン!」で、それがないと「オフ」になると。

 村上氏はこんな例を言う。
 チベットのダライ・ラマに会った。
 小柴昌俊さんが「貴方はビンラディンを説得できますか」と問うた。
 「大変難しい。しかし、会ってみたい。彼の中にも仏心、慈悲の心はあります」
 「ヒトラーにも、スターリンにも仏性はあるんですか?」
 「あります」
 ダライ・ラマは、愛とか慈悲とかの宗教の教えに確信を揺るがさなかった。
 村上氏が問うた。
 「科学者に、仏典のこの箇所は科学的におかしいと指摘されたらどうしますか」
 仏心、仏性で一歩も退かなかったダライ・ラマがずばり言った。
 「仏典を変えます。仏典は人間が書いたものです。人間が書いたものには誤りがありま す」
 村上氏はここに感動する。Something Greatというところで科学者と宗教者は 対話ができるなと思ったと。
 嬉しい、楽しいの思いが、遺伝子にかかわるという仮題の鍵が見つかるかもの期待だ。

 生き甲斐

 人間個々の遺伝子の暗号にどれだけの違いがあるかと言うと、ノーベル賞受賞者と 普通のおじさんの遺伝子の暗号の差はせいぜい1千に一個くらいで、その1千に一個も ほとんど意味がなく、意味があるのは、1万に一個くらいしか差がないことが分かって きたそうだ。
 そうなると「人はそれぞれ、自分の花を咲かせる可能性を持って生まれている」と言う のが村上氏の到達したい結論らしい。

 遺伝子は変えられないが、遺伝子の働きは変えられると言っている。

 上田さんが紹介している論文を直接読みたいと思ったが、上田さんはその論文の出所を書かれてい ないので村上氏の著書を調べてみた。著書はたくさんあるが、上述の内容の関連から次の三冊に注目した。

「人生の暗号―あなたを変えるシグナルがある」(サンマーク出版、1999年3月31日 初版)
「生命(いのち)の暗号―あなたの遺伝子が目覚めるとき」(サンマーク出版、1997年7月10日 初版)
「生命のバカ力―人の遺伝子は97%眠っている」講談社プラスアルファ新書
168. 詩をどうぞ(13)
2005年1月29日(土)


 燦然たる滅びのための人類史   泉谷 明

昭和四六年五月一八日
集められたのは組合員の三人
たったの三人
象徴ですねえ
のどかな午後でした
無口な女がひとり
脱退しそびれたとしおれる四二才の男
最後ばかりに魅せられて生きてしまったぼくは三三才
こうして履歴書が赤くなっていくけれど非合法なのだろう
 か人間を考えることが
生き残りたいとおもいます
全ての終焉に立合いたい
まっすぐ渦中でせめてドスでも吐きかけたい
野次馬
それでもいい
身だしなみをキチンとやりゃいいのなら長い髪に六〇〇円
 のバイタリス一瓶まるごとぶっかけてやるご丁寧にも櫛
 目までつけてやる機動隊なみの用意はあるだけどなんだ
 いそりゃ
上司が二人
椅子が五個
まわりは木箱で
崖ではウグイス
のどかですねえ
こんな山の奥までやってくる
早いですねえ
笹を踏みわけ
花をたおして
偉大なる管理
尨大なる集権
あっぱれ
あっさりあたふたやってきて汗などぬぐう上司もやっばり
 偉大です
自己放棄の完成度において
あるいは狂躁
うらやましく尊敬します
山菜だお茶だとうろつく同僚もまた偉大
舌など出したらいけません
この際
ぼくらは出されたお茶を飲むしかないのです
ウグイス聞いて
ほのぼのと
あなたのことを考えるのです真昼角を曲っていても暗いとい
 うあなた深夜舗石に胸打ちつけねばならないあなたジャズ
 スポットから船出してしまった沢山のあなた
おかみから金貰っておかみにたてつくふとどきな奴が出てき
 たなんて単純なときに単純に死んでいった祖父
あなた
高く五月の空
遠いのは人間
深い混沌の冷気にかじかむ人間性の機構
ひっかかれた道にのばされるあたたかな血
あなた
ぼくはここまでやってきたあなたのこわがる視線を越えてねじ
 られる夢や涙とともに
正当なる理由
規範が国家なら
規範が人間なら
どうしても広がっていく?み合わないもののなかで国境を巨大
 に殺戮機器を大量に花の愚連隊や機動隊をおだてるだけです
 むことなのか
突如といえば突如です
鳥もあわてて飛びたとう
魂がゆっくりこぼれていきます
ああ愛
あなた
絶対出てってはならぬ国民の信頼を裏切ってはならない
ここのところですいいですか
そこんところですいいのです
わが魂は朝
空よ曇るな
全人類も聞け
国民の信頼を裏切ってはならないのだ
誰が
誰が
どこから派生してくることなのか己れ自身に刺してみることさえ
 しない精神的冷害
保身か
信従か
従属か
荒廃していくのは自然そのものじゃない
国家悪を根本から考えなおすときがきたのだ
民族主義という心情の小箱をぶちわらねばならない
解き放つのだ
フンドシや憤怒の締めひもを
裂け
あらゆる善良さを
幻想の如きものを
管理の倫理
過激派デモの破壊芸術その行為を語れるところまで侵入してみろ
世界を骨の髄まで明るみに出してみるのだ
死を正しく理解して
血は深い意味を生じるまで流さねばならぬ
ぼくらの達成したものは
より多くの悲鳴
より多くの裸体
縛られても走れる魂
世界で自由なのはぼく自身である人間へのあこがれを抱くぼく自身
 である
あなた
しかし
あなた
生命の風でありたいのだぼくは自由そのものでありたいのだ神よ垂直
 に落とされる敵意のなかでいま人間そのものでありたいのだ
父よ
まっとうに生きてきた父よ
あなたの息子はふるえています
涙がふるえていくのです
このささやかなぬくもりのなかで暗い道をおもいますぼくは間違って
 いたか
理性が要求する全てのものを嘲笑する断固たる拒否
自己破壊のために使えるわずかばかりの知恵よ知識よ
処分
ほざくんじゃねえ
うせろ
ぽくは一人だ
山へ放りこまれてたった一人だ
いずれにも属さぬ
いっしょに
やるなら
やれ
いやなら
やめろ

「ユリイカ」(1971年11月号)より
泉 谷 明(いずみや あきら)さん

 お名前を知る程度の方でしたが、この機会に略歴を調べた。
 青森という地域に根を下ろした詩人としてご活躍のようです。寺山修司と並び評されているよ うです。

1938 青森県生まれ 現在弘前市在住
1976 第17回 土井晩翠賞
1977 第4回 青森県芸術文化奨励賞
1979 日本ブリタニカ刊、遊びの百科全書、第10巻・「言語遊戯」に作品載録
1981 米国詩誌「ムーデー・ストリート・イレギュラース」に 中上哲夫とともに
      日本のビート詩人として紹介される「濡れて路上いつまでもしぶき」載録
1983 平凡社刊「日本の名詩」に作品載録
1986 大和書房刊「郷土の名詩」に作品載録
1993 ぎょうせい刊「ふるさと文学館・青森」に作品載録
その他 各地でのポエム・リーデング、ラジオ、テレビ番組
詩 集 
 1966  噴きあげる熱い桃色の鳥         津軽書房
 1968  ぼくら生存のひらひら           〃
 1972  泉谷明詩集・合本             〃
 1972  人間滅びてゆく血のありか         〃
 1976  濡れて路上いつまでもしぶき        〃
 1979  あなたのいる場所へ           沖積舎
 1981  泉谷明全詩集・             津軽書房
 1985  ぼくの持てるすべての抒情を吹きとばし  路上社
 1987  日は降る雪をのぼってきた         〃
 1990  魂の漂白として素足で           〃
 1996  雨の日だからポテトを食べて       亜土詩会
 1997  心配ですか               路上社
 2001  ひとひとり                〃
小 説
 1997  たびだち                路上杜

 日本とひとくくりにするのはよそう。各地でさまざまな人たちがそれぞれの地に根付いて 活躍、いや確かに生きている。
ここでも私は水田ふうさんの「海」のイメージを重ねてしまう。
167. 伝統とは何か
2005年1月28日(金)

 「伝統文化」「美しい日本語」「伝統的な身体感覚」「声に出して読みたい日本語」「心のノート」 ・・・

 このような空疎な言葉に出会うと、私の感覚はただちに胡散臭さを嗅ぎ取り、ニヤついた笑顔を精 一杯振りまきながら「さあ、皆さん、ご一緒に健全で明るいこころを養いましょう」 と呼びかけるおためごかしの猫なぜ声が聞こえてきてしまう。

 なぜ胡散臭いのか。そのことをキチンと掘り下げてみたいと思っていたが、私には荷が重く手をこ まねいていた。
 ところが今日、私の思いを代弁してくれているような文章に出会い、ぜひ紹介したいとおもった。

 松永伍一「わらべうた雑考」(「ユリイカ」1973年10月号所収)より。

 負けて口惜しいごんだら
 雪隠の板かじれ(山形)

 お多福たふぐ馬から落ぢで
 赤いぺべ(女陰)出した(青森)

 火事だ火事だと出てみれば
 八幡町の豚小屋だ
 豚んチンチンまっかっか(長崎)

 盆の牡丹餅や三日おきゃくさる
 おばばこれ見よ 毛が生えた(熊本)


 これらの野性味を「野卑」と評するなら「野卑」である。このエロティシズムを「猥雑」と呼ぶならば「猥雑」である。ゆえにここにあるわらぺうたの反逆性は反倫理の座標を占めている。もちろん芸術性云々を持ち込めはそういう尺度で処理も出来よう。しかし、「村の鎮守の神様の、今日はめでたいお祭り日、どんどんひゃららどんひゃらら……」の文部省唱歌における主体喪失にくらべ、右のわらべうたがいかに生命感にあふれ、大人の感性と敵対しているかがわかれは、「野卑」だの「猥雑」だのという非難が芸術性云々を楯にとっての倫理依拠の批判であることに人は気づくだろう。

芸術性を持つことと子どもの純真さをうたいあげることの統一を希う童謡詩人たちが、「子どもに美を、愛を、夢を与えよう」としたとき、既存の「野卑」や「猥雑」を否定し、それらを子どもたちの生活空間から一掃することを求めたのは、先にあげた明治初年の文部省の方針と類似していると共に、戦時中にブルースなどの退廃的?な歌謡曲を軍歌という武器で駆逐した国民感情(これも上からの指示に従属した結果だったが)の流れとも合致するし、さらに皮肉を言えば、戦前のナップの運動にみられた「ピオニール」(赤色少年隊)の「金持を憎む」「資本家を倒せ」などのスロ-ガン集約の背伸びした表現とも軌を一にする。

子どもが子どもの本来的な意志表示をもって、倫理の規制を受けずに奔放なうたを口ずさむという「無責任」と「自由」の関係からほとばしる花火は、私に言わしむればそれ自体が創造的であり、主体性の主張となっており、民衆の美学を形成していたということになる。そこにはわらべうたが持つ地域状況に応じた個性があり、風土の臭いが言葉の表面から漂よってきていたのである。

 そういう反大人・反倫理を秘めたわらべうたとその精神とがいま消滅しつつある。日本文化の伝統を守れ、と声高に叫んでいる阿呆鳥たちにとっても、わらべうたの根底に横たわる悪徳性に対しては寛容さを欠いているらしい。かれらはナショナルな視点を比較文化論の次元におし当て、古典・芸能・古美術・建築などの優秀性を再発見する方向から「伝統を守れ」と言っているのであり、そこにある啓蒙性は当然子どもたちの毒にみちたわらべうたの「野卑」や「猥雑」を切り落し、せいぜい「うさぎうさぎ、何見てはねる、十五夜お月さま見てはねる」をなつかしがるくらいにとどめ、

「お月さま桃色、誰が言うた、海女が言うた、海女のロを引きさけ」(高知)

における「お月さま」は排斥されるのである。土佐の月灘村の桃色珊瑚は世界一といわれているが、藩政時代には国禁で採取ができなかった。それを他国から密採に来るので海女たちに緘口令を布いていたのが、ばれてしまった。そこでおこる悲劇を怖れた民衆が政治権力を憎みつつうたったのが「お月さま桃色」という隠語のうたであった。たとえばこうしたもののなかにこそ、日本文化の伝統の根は歴史の重みの表象として生きているのであって、それを見落しての「伝統を守れ」はおそらく空念仏に堕すしかあるまい。

166. 『「非国民」手帖』を読む(31)
2005年1月27日(木)

前々回(1月25日)の続きです。

 この社会ではすべてが個別的で、私意と私欲を構成要素としているとすれば、どのような意 味でも普遍的な《正義》をうち立てることはできない。結局そんなものは私意のひとつに過ぎ ないからだ。
 普遍的《正義》をうち立てようとする者は、現実に根拠を持たない普遍性を求めていること において《信仰》を求める者であり、そして、個別的利害を普遍性に仮装して強制しようとい う点において、絶対的な《敵》である。普遍的《正義》が虚構であることをあらかじめ暴露し ているだけでも、資本主義は《愛》の対象になり得る。

 ある個別的利害を根拠に打ち出された正当性をその個別性の範囲を逸脱して主張したり強制 したりすれば、それは不当な主張、不当な行為といわなければならない。
 そして、剥き出しの私利・私欲を存立基盤にして成り立つ資本主義社会では個別的利害しか その現実的根拠はない。この社会で打ち出される普遍的《正義》は虚構としてしかありえない。
 私はイデオロギーに「虚偽意識」というルビを振っている。あるイデオロギーを普遍的正義と してかざすのものは、虚構の正義を普遍的正義と錯誤しているのだ。イデオロギーはまさに《信仰》 という「虚偽意識」の謂いである。
 「個別的利害を普遍性に仮装して強制しようと」する「絶対的な《敵》」とは、資本家であり、 国民のためを偽装する政治政党であり、イシハラであり、コイズミであり・・・ なんのこはない、敵だらけだ。

   では、個別的利害による個別的正義しか成り立たないこの社会に真の共同性を打ち立てる可能性は あるのか。真の人間解放は可能なのか。
 抑圧者には真の人間解放の契機はない。それは被抑圧者だけが担える課題だ。

  普遍的な《正義》が不在のこの《世界》で生きるためには、ささやかな《倫理》が個々に紡  がれ、その《共感》をゆるやかに広げていくしかない。《共感》の細い糸を浮かび上がらせるた  めに、《敵》をひとつひとつ撃っていくしかないのだ。

   ここで言われている「個々に紡がれた」《共感》を「ゆるやかに広げていく」というイメージは、 私の中では、水田ふうさんの「無数の水溜りと水溜りがプチップチッとくっいていく」(第160回・1月21日) という「潮が満ちてくる海」のイメージと重なる。

 そこで、だ。
成熟し、膨化する資本主義のもとで、進行する《個》への解体と共同性の希薄化に耐えられ ない者が出てくる。まさに《大義》を掲げて、共同体への郷愁を《国家》幻想を強化する言説 で支えようとすることは、言葉の真の意味での《反動》に過ぎない。やつらが永遠に《勝利》 を獲得することがあり得ないのは、はなから明らかなことである。この社会のあり方どころか、 好んで口にする《国家》も《歴史》も《伝統》もまともに考えたこともなく、その知識も誤謬 に満ちたものでしかない。
「進行する《個》への解体と共同性の希薄化に耐えられない者」がその矛先を、逼塞状況の根源である 「資本主義」に向けるのではなく、手前勝手な《国家》とか《歴史》とか《伝統》とかにす がりつく。その典型がイシハラであり、イシハラの腰ぎんちゃくであり、イシハラのポチども である。

 一方、資本主義社会においては、私意の解放や欲望の充足に過ぎないことを自覚もせずに要 求される《市民的自由》など、いかに《反体制》のポーズをとろうと、ロマンティックな幻影に 支えられた概念で終わるしかない。「自由な市場経済」なんてもの言いを思い浮かべればすぐ わかる。それは《個》の対立と社会的不平等を必然的にともなうものだからだ。国家の管理か らの解放にとどまらない《自由》への構想がなければ、《市民的自由》の要求が資本主義社会 のしたたかさの証明としてしか機能しないこともまた、確かなのである。
 《右》も《左》も現実に立脚しない空虚な言葉を垂れ流しているだけだ。ものを考え、ものを 書くことで生きていることになっているはずの、大学教師や売文業者たちの怠慢と不真面目は どうだ。それらは全て本書で明らかにされている。
 思想の風俗への迎合を《権威》と勘違いし、たぶらかされて舞い上がっている《大衆》とや らも、また耳ざわりのいい言葉と戯れることで現実から逃亡しているに過ぎない。
 遠くへ跳ぶための想像力と、それを語る言葉なんだよ。要請されているのは。
 もちろんここに収められた文章は時評であり、その時々の事件や現象を扱っている。しかし それだけにとどまらない射程は有しているはずだ。
 まだまだいける。おら。もう一撃かましてやれ。
 そう、特にマスコミをにぎわす言説は「《右》も《左》も・・・空虚な言葉」だらけだ。それ に対して『「非国民」手帖』は最後まで切れ味鋭い舌鋒で、私の期待を裏切らなかった。
 「解説」で宮崎哲哉さんが書いているように「豊かな教養と緻密な推考と潔い倫理に裏付けされ た批判」だ。私はすっかり「歪」さんのファンになってしまった。「歪」さんは今なお何処かで舌鋒を 振るっているのだろうか。正体を知らないが、是非再び出会いたいものだ。

 「歪」さん、隠れていないで、私たち《同志》(と言っても私はいまだ「保守反動ブタ」と如何ほども 違わない浅薄者だが)激しく鼓舞し、《敵》を正鵠に撃つために、出てきてくれないかなあ。
165. 詩をどうぞ(12)
2005年1月26日(水)

 天皇制または天皇を題材にした茨木のり子さんの詩をまた一つ発見した。
 毎度ながらまことに平易な言葉を矢にして、素材の奥底までを射抜く眼差しは諧謔と風刺 の余裕を研ぎこんで鋭利。実に美味です。

 系図  茨木のり子

子供の頃に
叩きこまれたのは
万世一系論
くりかえしくりかえし
一つの家の系図を暗誦
それがヒストリイであったので
いまごろになってヒステリカルにもなるだろう
一つの家の来歴がかくもはっきりしているのは
むしろ嘘多い証拠である
と こっくり胸に落ちるまで
長い歳月を要したのだ

何代か前 何十代か前
その先は杳として行方知れず
ふつうの家の先祖が もやもやと
靄靄と煙っているのこそ真実ではないか

父方の家は 川中島の戦いまでさかのぼれる
母方の家は 元禄時代までさかのぼれる
その先は霞の彼方へと消えさるのだ
けれど私の脈搏が 目下一分間七十の
正常値を数えているのは
伊達ではない

いま 生きて 動いているものは

()べて ひとすじに 来たるもの
ジャマイカで加排の豆 採るひとも
隣のちいちゃんも
昔のひとの袖の香を芬芬と散りしいて
いまをさかりの花橘も
きのう会った和智さんも
どういうわけだか夜毎 我が家の軒下に
うんちして去る どら猫も
ノートに影 くっきりと落し
瞬時に飛び去った一羽の雀も
気がつけば 身のまわり
万世一系だらけなのだ
「ユリイカ」(1973年5月号)より
164. 『「非国民」手帖』を読む(30)
2005年1月25日(火)

 『「非国民」手帖』は百二十数編の小論を収録している。そのうち約四分の一を読んできたこと になる。まだ四分の三を残しているが、シリーズとしてはひとまず閉じることにする。
 このページで今後どういう事柄を取り上げるか、いきあたりばったりで私には予定がない。今後取り上 げる論題と関わるものが『「非国民」手帖』の読み残しの中にあれば、その時はまた援用させて もらうことにする。

 さて、一応の締めとうことで「あとがき」を読むことにする。筆者は「歪」氏。
 
 本コラムは、資本主義に耽溺しながらも、けして満たされることのない淋しき《プロレタリ アート》の魂を抱えた《同志》にあてて書き継がれてきた。
 時評コラムに、いまさら総括でもない。足すべき言葉は、本来不要のはず。だが、まあ、せ っかく与えられた「あとがき」の場だ。もうひとコラムのつもりで付き合ってくれ。
 まずは、資本主義の愉楽をしゃぶりつくせ、ということだ。
 資本主義が《商品》とそれに対する《欲望》そのものをも同時的に生産しつつ、《欲望》の充 足を達成したのに対し、《左翼》はそれを超える《世界》像を提示し得なかった。
 《左翼》の想像力は資本主義の発達のスピードに遅れをとったのだ。
 ならば、資本主義のあり方にその身を根底から洗われ、深く沈潜させないことには、どんな 《思想》もはじまりはしないはずだ。

 私はここで言われている意味での《同志》と自認する。そして「資本主義の愉楽」をみみっちく 楽しんでもいる。いくらかの後ろめたさを覚えながら。
 「歪」氏はそんな私のみみっちさを蹴っ飛ばしている。後ろめたさなど覚えるからみみっちくなる、 後ろめたさなど不要だ。必要なのは「資本主義」の正体を透徹して見据えること。そのためにこそ 「しゃぶりつくせ」とアジっている。
 マルクスは『ユダヤ人問題によせて』でこう記している。「普遍的利害と私的利害との衝突」 即ち「政治的国家と市民社会との分裂」と(引用は岩波文庫版。傍点は原文)。
 本来なら、マルクスのご託宣をビリッと挿入しとけばそれだけのことだ。しかし、マルクス もとんと近頃は遠景に追いやられてることだし、ここはケーモー的にいこうか。
 つまりこうだ。

 『ユダヤ人問題によせて』について、「自由について(1)(2)」(2004年12月30日、31日)で私が 参考にした部分と同じくだりを「歪」氏も取り上げている。ただし私のは単なる要約に過ぎなかったが、 「歪」氏の論考は自分の言葉で噛み砕いているので分かりやすい。次のように論じている。
 近代では《国家》と《市民社会》は分裂している。あるいは《政治》と《経済》の分裂とい いかえてもよい。《国家》の成員という側面から人間を捉えた場合、それは共同的で普遍的な存 在といえる。政治的には、すべての国民は、同じ重さの一票を有し、平等の立場で共同体に参 加している。一方、《市民社会》の構成員という側面から見れば、バラバラな《個》が、全く不 平等な経済条件下で、個別的な利害を衝突させ、永遠に解消されない対立を展開している。  それが、人間は、《国家》という《幻想》上では共同性を有しつつ、現実の生活では相互に対 立する《個》でしかあり得ない、ということだ。 《国家》という共同性を疎外することで《個》に解体されるということ。それがまさに資本主 義社会における《自由》の由来だ。この社会では誰もが否応なしに《自由》であらざるを得な い。富裕があれば貧困もあり、栄光があれば悲惨もある。それが《自由》な社会ということだ。  制約や管理がない社会のことのはずだ、てか。それはもちろん《自由》だろうさ。そこでは 私意と私欲が剥き出しでぶつかり合っているはずだからな。

(次回に続く)
163. イシハラ・さらなる憲法無視の悪政
2005年1月24日(月)

 もう大方の人にとっては周知のことかもしれないが、私は1月10日の集会で知った。どうも情報に疎くていかん。
 チョッと遅きに失するが、イシハラの教育支配のための悪政の一つとして重要なことなので書き留めておく。

1  2004年12月3日、都高教組・都障労組・都校職組の3教職員組 合が日比谷野外音楽堂で「”日の丸・君が代”の命令・ 強制反対」の集会を開いた。主催者は学校の業務に支障がないよう配慮し 開催時間を午後5時30分~7時に設定している。勤務地が集会場から遠い教職員 でも1時間ほどの有給休暇をとれば参加できるようにとの配慮でもある。

 ところが都教委は、この集会を「争議行為」だといい、イシハラの腰ぎんちゃく ・横山教育長の名で全都立学校長に集会を妨害する指示を出した。

多数の教職員が職場を離脱して集会に参加することは正常な学校運営を妨げるものである。よって、集会に参加す ることを目的とした年次有休休暇の請求については、時季変更権を直ちに行使し、申請を認めないこと。


 これは何だ?
 有給休暇をとるのに理由など言う必要は毛頭ない。労働基準法第39条4項に「使用者は、有給休暇を労働者の請 求する時季に与えなければならない」とある。
 またその理由が上記集会への参加であっても、有給休暇をとっての参加に とやかく言われる筋合いはない。集会は学校の業務に支障がないように配慮した時間設定をしている。勤務時間中に職場放棄を するいわゆるストライキではない。断じて「争議行動」ではない。百歩譲って「争議行為」だとしても「正当な組合活動」だ。
 イシハラと都教委にとってはおおいに疎ましい集会だろうが、憲法第21条が保障している集会だ。この集会への嫌がらせ・妨害 は明らかに憲法違反である。

2
 2004年12月10日、都教育庁は「学校から児童・生徒及び保護者に配布する文書の取り扱いについて」という通達を 近藤精一都教育庁指導部長名で全都立学校長に出した。

配布物の制限について
配布物については、すべて校長が責任を負う。したがって、以下に例示するような、校長が決定又は承認をしていない文書は、 児童・生徒及び保護者に配布してはならない。
 (1)職員団体等学校及び東京都教育委員会以外の機関が作成した文書で、校長が配布することを許可していない文書
 (2)学級通信、行事の案内等教育活動に関する文書のうち、作成に当たって校長が決定又は承認をしていない文書
 (3)公務に関係のない私的な文書

 これは何だ?明らかに「検閲」だ。

 イシハラは現憲法を認めないと公言している。これ見よがしに次々と憲法の条文を狙い撃ちしている。今度のターゲットは 第21条だ。改めて第21条を掲載する。

第21条(集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密)
① 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。
② 検閲(けんえつ)は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。

 憲法論議をおいて、このような事がまかり通る教育現場を想像してみよう。「茶色の朝」という絵本が評判になっているが、 まさに「茶色の学校」だよ、こりゃ。

 「学級便り」は生徒との問題共有の手段と同時に保護者とのコミュニケーションの一つでもある。話題は必要に応じてほとんど なんでも取り上げる。じっくり考えた上で、自分の責任において社会問題や政治問題についての意見だって述べる。 生徒は授業とはまた違った観点からものを考える機会になるし、自分の教師がどんな人物かも知る。
 私の先輩教師に専門科目外の見識も広く、深い思索をされる方がいた。その方は授業中に授業とはまったく無関係の 思索を記したプリントを配布していた。生徒にはとっても評判がよかった。
 私も「学級便り」を時々発行したり、飲み屋での議論だけではもの足りず、同僚向けの駄文も時々書いた。 (こちらはうるさがる同僚もいたに違いない。)もちろん校長・教頭にも配布している。
 生徒たちも生徒会報や委員会便りやクラブの同人誌などさまざまなプリントを通して意見を述べたり、情報を交換する。  PTAや保護者会が発行する配布物も重要な役割をする。
 教育委員会と教育庁からの配布物だけは百害あって一利もなしだ。

 生徒と保護者と教師の相互のかかわり合いは授業や部活や職員会議や保護者会や飲み屋での議論だけでなく、種々さまざ まな配布物の往来によっても深くなっていく。この配布物がすべて校長の検閲を受けるだって?
 学校は茶色になるだけではなく、骨と皮だけになってしまうよ。もうほとんど死に体だな。

 それに気の毒なのは検閲をする校長。学級便りを毎日書く人もいるぜ。私は全授業をプリントで進めた。毎時間数枚、 多いときは10枚ぐらいを配布した。検閲作業だけで寝る時間もなくなるだろう。それに学校では実にさまざまな分野の プリントが行き交うが、それを全部検閲する力量あるの?

 この件についての「孔の穿ち方」。
 全員でプリントを出しまくれ。
162. 「公共の福祉」とはなにか。
2005年1月23日(日)

 私たちにとっては、現実の人間としての本来の生活(市民社会の生活)が目的であって、 公民としての共同幻想上の生活(政治的生活)はそのための一手段に過ぎない。従って 憲法をはじめ種々の法律がその目的である個人的人間の人権を侵害すれば、それはただちに破棄 されなければならない。理論上はこうだ。
 だが現実では逆転する。自由という人権が政治上の問題と矛盾すると、自由という人権が蹂躙される。 「手段」が「目的」となり、「目的」が「手段」となる。この逆転の根拠は、なんと 憲法が保障している。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利 については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の 上で、最大の尊重を必要とする。

 現今の民主主義国家の人権規定はフランス革命のときの憲法に範があるが、その当時から この「目的」と「手段」の逆転の問題が起こっていた。マルクスの「ユダヤ人問題によせて」に 次のような記述がある。
上記の記述も「ユダヤ人問題によせて」に負う。)

「出版の無制限な自由」が個人の自由という人権の帰結として保障されながら、出版の自由は 踏みにじられた。なぜなら、「出版の自由は、それが公共の自由を危うくする場合には、許され るべきではない。」(弟ロベスピエールの言葉)とされたからである。


 「公共の福祉に反しない限り」という、どうにでも拡大解釈ができる曖昧な文言を盾にとって、 権力は人権蹂躙をほしいままにする。つまり「公共の福祉」とは、なんのことはない、 「支配階級の都合」のことなのだ。

 さて、イシハラの人権無視はとうとう「集会の妨害」、「教師の配布物への検閲」を行うまで になった。(次回に続く)
161. 詩をどうぞ(11)
2005年1月22日(土)


 追う者  長谷川龍生

アメリカの家庭に
戻り住んでいるか
あの太平洋の島にいるか
おまえを、探しだしたいのだ。
あのとき、島の基地から
いつ飛び立ったか
おまえのネームは、何んというか
あい乗りしていた飛行士たちは
だれとだれとだれだったか
八月六日 朝の九時半だ
日本広島の上空から
第二号の原子爆撃をやりとげ
何十万の人間たちを一瞬にして
光の中に焼け爛れさし、殺し
巻雲をこえて、ゆうゆうと帰路についた。
おまえたちは祝杯をかざした。
つよい酒は溢れていたか、濁っていたか。
戦争だからと、すべてを打消し
大いなる戦果に酔い痴れていたか
せつに探しだしたいのだ
おまえたちはだれとだれだったか
なぜに魂をふるわす行動にでたのか
そうだ、おまえたちは命令という
だれが命令したのか、いかなる人物か
いかに命令が伝達されてきたのか。
その上官もいうだろう
絶対であり、服従しなければならぬと
飛行士たちと上官をつれて
その絶対者を探し究めよう
おまえを支配していた奴のネームは
その権力の手はだれとだれだったか
権力者をつれて探しだすのだ。
作戦本部がだれとだれとだれかと
さらに深く掘り下げて、追っていく
いっさいを操っていた上部機関は
だれとだれとだれだったか、そのネームは
長官もいる 将軍もいる 技術家もいる
背後にある資本家、戦争科学者のネームは
だれとだれとだれだったか。

おまえたちには
罪の意識すらなし
アメリカの各州には
幾万のチャーチがあり
原爆の跡にもチャーチが建ったが
おまえたちの暴力はさらにつよい
おまえたちは原子爆弾を
第二号、第三号、第四号と
つぎからつぎへと命令し
命令されたものが命令し
最後にえらばれた数名のサディストが
おまえたちの利潤、ひたすらな利潤のため
おまえたちの市場をひろげようと
機上の人となり、何十万の人間を殺す。

だが、おまえたちは
矛盾におちいっている。
人間を抹殺できない
俺たちを抹殺できない
俺たちとは、だれか
俺たちとは追う者、追いかける者だ。
おまえたちの犯した事実を血まつりにあげて
おまえたちの生涯を審判する者だ。

生きのこつた広島の人たちよ
いたずらに傷ぐちをみせて
嘆いてはだめだ。泣いて訴えるな
だれとだれとだれだったか
探しだし深く掘りさげて
人民の犯罪者を発見しよう
殺されても、八ツ裂きにされても
俺たちの追いかける歴史はつづく
歴史はつづきながら、だんだんと
追う者の数は大きくなり
鋭くなり、優れてくる
そして最後に審判する。

俺は追う者
俺たちは追いかける者
呪いの火を噴きかける者。

「現代詩文庫・長谷川龍生詩集」より

 前回の続きのつもり。

 私たちの頭上に落とされる不条理は、人を瞬時に無残に殺す爆弾だけとは限らない。  大杉栄が列挙していた。

 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸!   その他一切の社会的諸制度!!

 私たちの頭上にはそれらから発せられる弾圧・抑圧という爆弾が日常的に撃ち落とされている。 私たちは優しく緩慢に殺されるジェノサイドの員数なのだ。
 だがやはりこう言おう。

だが、おまえたちは
矛盾におちいっている。
人間を抹殺できない
俺たちを抹殺できない
俺たちとは、だれか
俺たちとは追う者、追いかける者だ。
おまえたちの犯した事実を血まつりにあげて
おまえたちの生涯を審判する者だ。

160. 非暴力直接行動(6)
個々バラバラの行動はいつ一つになるの?
2005年1月21日(金)

 もう一文、水田ふうさんの文章に付き合ってください。
 『「海」と坐り込み』という文。水田さんは
 長野の大鹿村に住んでるスマコが、こんどのN・Yテロ事件のことでのアメリカの報復戦争、日本の自 衛隊派遣に「じっとしとれん、一人でも国会の前にいってハンストする」っていうもんで、「ほな、わ たしもつきあうわ」いうて、行ってきた。


 と書き始め、二人だけの国会前座り込みの顛末を軽妙にいかにも楽しそうに書き記している。こういう 文を読んでいると、現在の逼塞状況に滅入りがちな私の気分に元気が戻ってくる。
 しかし、私がここで取り上げるのは後半の「海」の方。

 昨年11月6日「11・6教育基本法の改悪をとめよう!全国集会」に参加したとき、実行委員会の申し合 わせ事項に感心して、それを集会報告の文中に書き留めておいた。次のようだった。

1 教育基本法改悪反対の一点での幅広いネットワークを目指した運動である。
2 非暴力であること。
3 互いに誹謗、中傷、攻撃を行わない。
4 意見の相違を認め合い、一致点を大事にする。
5 組織、個人にかかわらず、互いに対等、平等である。

 「教育基本法改悪反対の一点で」一致するものが権力との闘いの仲間だといっている。

 また、つい先日参加した「変えよう!強制の教育 学校に自由の風を!」を主催した「学校に自由の 風を」ネットワークはそのコンセプトを次のように述べている。
 今学校に押し寄せているr強制」の波に抵抗しようとする市民のあつまりです。
 学校の保護者、教織員、ジャーナリスト、研究者、そのほかそれぞれの立場で、学校教育の現在と 未来に危機感を抱いている人々が個人として、あるいは団体として、特定の政治団体や宗教の枠を超 えてゆるやかにむすぴつき、議論し、行動を続けようと考えています。
 『今学校に押し寄せているr強制」の波に抵抗』するという一点で一致する全ての人に呼びかけている。

 前回の水田ふうさんの「非暴力直接行動」の立場を述べている部分を再録すると
テロを支持するか、せえへんのかの前に、自分は権力の側に立つのか、 それと闘う側にたつのかの問題としてあると思う。
 そやから、抑圧と闘うものであるかぎり、それが暴力闘争であろうとなかろうと支持するのがわた しの「非暴力直接行動」の立場や。
 「支持」というのは、自分もいっしょになって爆弾なげる(そんなことは決心だけでは簡単にできる ことやないけど)とか、いうこととはちがう。
 「支持」とは、自分の立場はどこにあるかいうことをはっきりさして、それをうちだしていく ことや。
 「抑圧と闘うものであるかぎり」仲間だといっている。
 「テロ」に対する支持についてはあるいは異論があるかもしれないが、その点を保留すれば、 三者とも同じことを訴えていると私は思う。

 このように『「抑圧と闘う」という一点で一致するもの』という観点から眺めると、全国いたると ころで多種多様な問題それぞれに対して闘っている仲間が大勢いる。「反ひのきみ」ML の配信を受けているが、私が全く知らなかった問題がたくさんあるのでびっくりする。 その問題の多種多様さにはまったくあきれる。支配権力は次から次へと人民抑圧の施策を次々と打ち 出している様子がよく分かる。

 上述の「11.6」では事前に1万人を超す団体・個人の連帯表明があり、当日は約5500人参加した。
 「1.10」集会では事前の賛同者は126団体、個人は約400名あり、当日は約1900名の参加者があった。

 「憲法改悪」「教育基本法改悪」「イシハラ教育行政による学校圧殺」。
 どれも今年が決戦の年だと言われている。
 権力は着々とその企図の実現に向かっている。
 上記のように、多数の団体・個人が抑圧との闘いに加わっているにも拘らず、 さて私たちの闘いは?

 ここで水田ふうさんの「海」を紹介することになる。

まだ沖縄が米軍の占領地(まあ今だってそうやけど)で、行くのにパスポートが要った時代の 1970年2月、わたしは沖縄に行くために一人船に乗った。その頃は各地で沖縄返還闘争のデモや 集会がいっぱいあった時やから、船中で出会った知り合いからそのためにいくの?(彼はもちろ んそのための渡航やった)って聞かれて返事につまってしまったけど、わたしが沖縄にいったの は、ぜんぜんちがうことでやった。

いきさつははしょるけど、神田先生と呼んでた、神道の断食の先生と知り合いになって、その神 田先生から沖縄の神がかりの巫女さんのはなしや、集団自決して死んだ人の骨がそのままになって るたくさんの鍾乳洞のはなしや、いろんな話を聞いたんやけど、わたしがいちばん惹かれたんはそ この海のはなしやった。

「さんご礁の海が引き潮になって、ずうーっと水平線まで潮がひいてくとその後には無数の水溜り ができるんや。その水溜りには逃げ遅れた魚がピチャピチャ跳ねてる。手でつかめるぞ。
それがこんどは、満ち潮になると、水平線まで引いてた潮が沖から浜にむかって満ちてくる……と 思うやろ。ところがちがうんや」
「満ち潮どきになると、あちこちで無数の水溜りと水溜りがピチッピチッとくっつきはじめるんや。 その無数の水溜りがどんどんどんどんあちこちで大きくなって、その大きくなった水溜りが、しまい に沖の潮を引っ張ってきて浜まで満ちてくるんや。」と神田先生は云うねん。

わたしはこの話がすごく気に入って、どうしても見に行きとなった。それで沖縄に行ったんや。
時期がわるかったんか、神田先生にきいた話の海をみることはでけへんかった。でも時間がたつと、 なんだか実際に見たような気になって、この話を思い出すんや。

スマコのように思って、何かやりたい人があちこちに、てんでにばらばらに勝手に行動を起こし始め たら、初めはそれぞれ何の連絡も繋がりもみえへんけど、引き潮の時の無数の水溜りのように、時期 がきたら、無数の水溜りと水溜りがプチップチッとくっいていくように大きな水溜りができるんや。 そして、いつか、きっと……潮が満ちてく……

これええ話やろ。好きやねん。

 うん、とてもいい話だ。
 私たちには権力も経済力もない。この「ええ話」が実現するよう、「無数の水溜りと水溜りがプチップチッと くっいていくように大きな水溜りができる」よう、それぞれがそれぞれの闘い方で無数の水溜りを 創って行くほかはない。
159. 非暴力直接行動(5)
「非暴力直接行動」と「テロ」
2005年1月20日(木)

 前回「中略」した水田ふうさんの文章に戻る。

 表題は『「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない』だった。
 「非暴力直接行動」を旨とするアナーキズムは「テロ」をどう考えるのか。

 くる日もくる日も、アフガン空爆のニュースをただただテレビで見させられるだけという情けない 状態のなかで、ほんまにひとびとの歴史は大昔からこんなふうにじっさい塵のようにあつかわれて きたんや、とつくづく思いしらされる。なにが進歩や。なにが民主主義や。いまも昔もちっとも 変わらん。いつだって「正義」や「大儀」を口にして、権力者のやりたい放題やんか。得意げな ブッシュの顔を見るたびにおもわず「おまえら地獄に落ちろ」と呪いをかけたくなる。

 神戸「救援ニュース」に暫定滑走路敷地内・天神峰で百姓している市東孝雄さんの話がのっていた。

 「ほんとうに歯がゆい気持で一杯です。くやしくてしょうがない。事情が許すなら、空港に突入して 思う存分暴れて、開港できなくさせてやりたい。」「……暫定滑走路建設のひどさについて、まだ まだ世の中に明らかになっていない。マスコミは公団の宣伝機関だし、公団も、自分たちがどれほ どの暴力をふるっているか自覚していない。ニューヨークの反米テロではないが、率直な気持を 言えば、公団にここまで一方的にやられるのなら旅客機の一機ぐらい撃ち落してやりたいくらいで すよ……」

 これと同じことをむかし戸村一作さんから聞いたことがある。

 「飛んでる旅客機をみると、機関銃で撃ち落してやりたい……」

 こういう思いを抱く人はこの国でもあちこちにいると思う。東北、北海道を奪われたアテルイの 子孫たち、占領米軍に貢物として差し出された沖縄のひとびと、ダム建設で村ごと家や土地をうば われたひとびと、原発で村を二分され追い出されたひとびと、海を埋めたてられ、くらしを奪われ たひとびと……そのやり方のえげつなさにどんな思いを胸にしまっているか……そして物言えぬどれ だけの鳥や虫や動物や魚や木や森や山やいきものたちが殺されていってるか……

 いま冤罪で刑務所にいれられてるOさんという人がおるんやけど、そのOさんが手紙に書いてきてた。 「ニュースの時間」にニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突っ込むのをみて、そのニュースを 見てた全員が「おーッ」と歓声を挙げた、というんや。

 塵のように扱われてきたひとたちの、これは本心や。
 至極真っ当な感性だと思う。

   私は第3回(8月17日)で「私は被支配者の一人であり、 被支配者の側に立ち続ける」と書いた。これが揺るがすことのできない 「私の立場」である。

 上述のような事例は、私の立場からは犯罪が野放しで行われている ことになる。私の中にも抑圧者どもへの呪詛の言葉が渦巻いているし、被抑圧者の名において 「おとしまえ」をつけさせたいという強い思いを禁じえない。

 そやけど、この日本という国でわたしは屋根のある家に住み、電気もガスもあってパソコンも使い、 三食昼寝つきの安閑としたくらしをしている。テロのまきぞえをくったとしても、決して自分を 「無辜の民」というわけにはいかん。それどころか、核爆弾とみまごうばかりの新型爆弾を毎日 アフガンのひとびとの上に落とすことを「毅然と支持」して「参戦」した小泉を大多数が支持して る国の住人やからな、「無辜の民」どころかいな。

 そうだ。私たちの手も真っ黒にあるいは真っ赤に汚れている。「無辜の民」という言葉を私もよく 使うが、もちろん、その中に自分が入るなどと意識したことは一度もない。

 12月11日の朝日新聞に、「9月11日のハイジャック犯に共感を覚えるか」――こうした質問をテロ 発生後、FBIは全米各地の警察にたいし、5,000人のイスラム教徒の外国人にするように求めた、 という記事がのってた。「共感を覚える」といったら逮捕、拘留されるんや。日本では逮捕・拘留 まではまだされへんのに、まず、「テロには反対です」いうことをいってからでないと、次が云わ れへんいうたいがいの論調や。

 で、日本の反戦運動は「テロにも戦争にも反対」ゆうてデモをした。そう云わんと人が集らん?

 こういう「時」と「場所」と「状況」やから、「おまえは『アメリカにつくかテロにつくか』 どっちや、はっきりせえ」と聞かれたら、わたしは「テロにつく」と答える。それがわたしの立場や。 わたしは、非暴力直接行動の立場から、テロを否定せえへん。やむにやまれぬものとして否定しない。 肯定する。
 これにも私は同感する。ましてや、今のイラクでの戦いでは、明らかにアメリカとその同調国家の 軍隊は「侵略軍」であり、イラク人の抵抗は正当な「レジスタンス」である。

 そのわたしの非暴力直接行動の立場をごく原理的にいうと――

 どんな手段であれ、抑圧と闘うことに対しては肯定する。やられてるものがやりかえすのは、 当り前や。
 やりかえす手段として、せっぱつまった、他に余地のないものとして出てきている暴力的手段 (テロも)は、第三者的立場にあるものにとって、よい、わるいとかの評価や批判をこえた、 どうしようもないもんや。

 暴力は結果として強い装備のものが勝ち、弱い者が負ける。勝った者は、その勝利を守るために、 いよいよ暴力的構造的にならざるをえない。革命の歴史はこの悪循環が、暴力によって断ち切れ ないことをおしえている。

 「弱者」にとって、自分が支持した強者の勝利は、決して自分の勝利とはならない。それは歴史 が充分おしえている。

 わたしが、たとえば今回のテロの側にたつ、という時、あくまで非暴力直接行動の立場からである。 非暴力を力とする以外に闘いはない。

 テロを支持するか、せえへんのかの前に、自分は権力の側に立つのか、 それと闘う側にたつのかの問題としてあると思う。
 そやから、抑圧と闘うものであるかぎり、それが暴力闘争であろうとなかろうと支持するのがわた しの「非暴力直接行動」の立場や。
 「支持」というのは、自分もいっしょになって爆弾なげる(そんなことは決心だけでは簡単にできる ことやないけど)とか、いうこととはちがう。
 「支持」とは、自分の立場はどこにあるかいうことをはっきりさして、それをうちだしていく ことや。


 それにしても、今回の「テロ」はすごかった。これほど世界中を震撼させた「テロ」はいままでの 「テロの歴史」のなかではなかったことや。それはたぶんに現代都市建築の構造上の問題 (東アジア反日武装戦線の三菱爆破で死傷者が出たのもビルのガラスというガラスが壊れて地上に 降注いだことが大きい。)やらが重なっての偶然やけど、アメリカとそれにつながる世界の体制、 経済そのものを揺るがすほどのものやった。そして世界中のひとびとがいままで知らんかったこと に目を向けさせられた。

 復讐としてのテロは成功してもそれで体制を転覆したりすることはでけへん。むしろ失敗のほうが 圧倒的におおいんや。難波大助にしても、和田久太郎にしても、伊藤博文を狙った安重根は成功し たけど、それで日本政府が揺らいだいうことはない。
 それに反して、その反動の方は確実に何十倍何百倍にもなってかえってくる。パレスチナの人々が どんなに歯軋りしても、抵抗としてのテロをやればやるほど、イスラエルはそれを口実にミサイル を打ち込む。戦車をくりだす。

 報復は報復を生む。憎みあう者は似る。テロでは実際どうにも収拾がつかんいうことをわたしらは、 以前にもまして思い知らされたことになった。
 それでも抑圧されるひとびとがおる限り、テロはなくならんやろ。この悪 循環を断ち切るのは、「非暴力直接行動」の「力」を力として見出す以外にない。

 遠いアフガンのひとたちが、まいにちまいにち、ミサイルや新型爆弾で塵のようにふきとばされて いるのをテレビで見ながら、結局ひとびとは塵のように死んでいくほかないものなんか、いうこと をつくづく思わされた。それでもなおひとびとは営々と生き続けている。その「力」はいったい 何や。

 それは、やっぱり、大昔からひとびとが共同してきた、そのくらし方そのものがもっている、非暴 力直接行動――生産、創造、遊戯、そのよろこびとおもしろさ――以外にはないんや。その「力」 を自覚すること、わたしらにはそれしかないんや、いうことをいままでにまして、強く思った。

 「第151回」(1月12日)で私は次のようになことを書いた。
 「日常の生活とは国家意思の反映であり、規範意識の馴致過程の謂いで」あり、私たちの意 識深く馴致され埋め込まれている規範意識は「我が内なる保守・反動」に他ならない、と。
 「内なる保守・反動」を抱えたままでは私は「私の立場」を堅持できないだろう。

 私たちは物心ついたときから、親兄弟・学校・マスコミなどを通して「支配者の思想」を 身につけさせられてきた。どんな進歩的なイデオロギーを持っているかなど、何の指標にも ならない。「内なる保守・反動」こそ問題だ。それを一枚ずつ引き剥がしていくことが自己 教育であり、たゆみない自己教育の結果はじめて「内なる保守・反動」を真に棄揚し得るだろう。

 そのとき、私はもっとアナーキズムに接近するように思われる。
158. 非暴力直接行動(4)
三里塚のこと
2005年1月19日(水)

 30年ほど前に、私は次のような詩のようなものを書いた。

母の沈黙 あるいは ふるさとのありか

地の中に眼がある
拒むこと以外に 死を
死に続けるすべをもたない移しい屍体の。
腐蝕し土と化した肢体の痛みを
一点に凝縮して腐蝕を拒み
あらゆるモニュメントを拒み
歴史へのいかなる記載をも拒み
数であることを拒み
大きく見ひらかれたまま
閉じることを拒み
無駄死を強い続ける卑小な生者のための
奈落への心やさしい道づくり。
数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
ふるさとの墳墓
あるいは忿怒は増殖する。

〈ふるさともとめて 花一匁〉

  〇 〇 〇 〇 〇 〇

戦闘宣言
 みなさま、今度はおらの地所と家がかかるで、
おらは一生けん命がんばります。公団や政府の
犬らが来たら、おらは墓所とともにブルドーザの
下になってでも、クソぶくろと亡夫が残して行った
刀で戦います。
 この前、北富士の人たちは、たった二十人でタ
イマツとガソリンぶっかけて戦っただから、ここで
三里塚反対同盟ががん張れねえってことはない。
ここでがん張らにゃ、飛行機が飛んじやつてしま
うだから。
 おら七つのとき、子守りにだされて、なにやるた
って、ひとりでやるには、ムガムチューだった。おも
しろいこと、ほがらかに暮したってことなかったね。
だから闘争が一番楽しかっただ。もう、おらの身は
おらの身であって、おらの身でねえだから、おら反
対同盟さ身預けてあるだから、六年間も同盟や支
援の人達と反対闘争やってきただから、だれが何
といっても、こぎつけるまでがん張ります。みなさ
んもー緒に最後まで戦いましょう。


一九七一年。小泉よね。六十三歳。
 よねさんは最下層の貧農に生れて、七つの時に
年貢代りに地主の家へ子守りに出され、年ごろに
なると料亭づとめに出た。だからほとんど字が読め
ない。敗戦直後、夫を病で失う。子供はいない。二
アールほどの田を耕し、近所の農家の手伝いをし
てほそぼそと暮してきた。おかずがなく、ご飯に塩
をかけて食べたこともあったという。
 成田空港反対闘争を通して、よねさんは得がたい
ものを得た。「貧者」へのあわれみと軽蔑でしか接し
てくれなかったこれまでの周囲の者にくらべ、新しい
仲間はまともにつき合ってくれた。六十余年の人生
でそれはおそらく初めての経験だった。九月初め、
よねさんの「戦闘宣言」が垣根の上に立てられた。
 人民の虐殺と共同幻想の操作とをセットにした巧
みな戦術が国家権力がその延命をはかるための常
套手段である。成田の第二強制執行は警察官三名
死亡、学生一名瀕死の重傷という犠牲を強いて完
遂された。日常を覆っている平和という幻想のべー
ルがひととき破れて、日常的なジェノサイドの進行が
露呈する。昭和の十五年戦争を中心とする〈自らの
ものでない死〉の列は今なお連綿と続いている。
 第二強制執行で残されたよねさんの家は、流血を
さけるためという名目で、予定を繰り上げて抜き打ち
的にとりこわされた。よねさんの家は土間と六畳一
間、押入れだけの掘立小屋のような母屋であった。
借地に住んでいたよねさんの補償金は八十万円た
らずだという。これはかけがえのない一人の全生涯
の掠奪である。欺瞞にみちた言葉しか持たない支配
者らの口もとに卑しいうすら笑いがうかんでいるのを、
そのときぼくは確かに見た。
(後略)

 水田ふうさんの文章を読んでいたら、小泉よねさんの養子になった方の消息を伝える文に出会った。 それで30年ほど前に書いた自分の文を思い出した次第だ。
 この文を書いた頃は、もちろん、「非暴力直接行動」という言葉もその理念も知らなかったが、 よねさんの闘いは文字通り「非暴力直接行動」なのだった。

「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない 水田ふう

 三里塚の小泉くんとみよちゃんが野菜を毎月送ってくれる。  「循環農場」いうて、農薬や科学肥料やビニールや輸入の種やをいっさい使わず、天の恵みの うちに土やいきものの循環する生命力でものをつくろうとしている現代まれなる百姓や。

 今月の野菜といっしょに入ってた「循環だより」に「ぼくたちの生活の本拠である東峰地区は 成田空港の暫定滑走路(2002年4月開港の予定)の真下にあたります。わが家の上空40mを、飛行 テストの飛行機が金属音をたてて襲来します。これは音の暴力です。力づくで空港をつくってきた ことを、深く反省したはずの政府のやることとは思えません。……」とあった。

 みよちゃんと小泉くんは、70年頃から三里塚にはいって、強制代執行でブルトーザーで土地を奪わ れた小泉よねさんの夫婦養子になってもう30年。ずっと百姓を続けてる。その「循環農場」は最後数 軒残った空港予定地や。

 2人にとって政治的な取り決めや、政府との談合や買収は無用な介在物や。妨害があろうとなかろ うと、世間から忘れさられようと、厳然と自分自身の手で自分のつくりたいものをつくる。それがそ のままで、くらしと密着した闘い――直接行動――なんや。
 そして最後の1軒になっても、再び機動隊やブルトーザーが襲いかかってきても、もくもくと耕作 の手を止めないやろう。

小泉くんの30年まえの詩にこんなのがある

すわりこむことは
ごみのひくさにちかづくことだ

(中略)

 三里塚で騒音やはりめぐらされた鉄条網や、機動隊の検問やらのなかで、30年も百姓を続けてきた 小泉くんたちの、そのやわらかなしかも不屈な意志と実力は非暴力直接行動の自覚こそにある、 とわたしは思ってるんや。(2人はこんな角張ったことばからはほど遠く、もっとふつうで、淡々 としてるんやけど)
 養子の小泉さんは、よねさんが貫いた「非暴力直接行動」をも引き継いでしなやかに生きている。 生きていることそのものが「非暴力直接行動」となっている。
157. 非暴力直接行動(3)
向井孝の「非暴力直接行動」論&三宅島の闘い
2005年1月18日(火)

 「第154回」(1月15日)の水田さんの文章の中の『(向井さんは)直接行動の本来的意味として、 生産・創造・遊戯・そのよろこびとおもしろさを挙げてる。それはまさに、人民のみがもつ 「暴ニ非ザル力」』という部分に注目したが、大杉榮がいう「僕等に残されたただ一つの力」が、この 「暴ニ非ザル力」に継承されていると思う。この「暴ニ非ザル力」をもう少し詳述している 文を紹介する。

向井さんへの追悼文の中で、水田さんは次のように書いている。

 「非暴力直接行動いうのは、なにも特別なことやない。それは生きるということと同じ意味や。 生きるために必要な食べ物を手に入れたり、そのためのいろんな創意工夫、人とのいろんな共同作業や 遊び。モノを創ったりする楽しみ。誰でもしてることや。その誰でもしてる、その誰でもがもってるそ の本来の力を自覚することや。そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、 邪魔したりしたら、どないする? 目にゴミが飛んできたら思わず手で払いのけるやろ。それと同じや。 自分らのくらしを妨害するものや邪魔するものがあったら抵抗するし闘うのが当然や。それが生きてる いうこっちゃ。それが非暴力直接行動や……」

 この日のどの場面だったかさだかではないけど、もうだいぶお酒がはいってたと思う。向井さんは、 ソウルの若者の質問に答えてこういったことだけなぜかよくおぼえてる。


 しごく真っ当なことが言われている。
 「そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、邪魔したりしたら、 どないする?」

 「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」=支配者階級に媚びたり慈悲を乞うたりするのが 奴隷根性である。奴隷根性は、自らを無力とする諦念の結果でもある。「誰もが持っている本来の力を自覚」 し、「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」には抵抗し闘うことを「非暴力直接行動」といい 、それは「生きる」ことと同義だという。

 選挙は頼りにならない。「非暴力直接行動」こそ最も有効な方法であり、それがまさしく「生きること」 と同義だった闘いの一つを書きとめておこう。

 選挙について(3)で、三宅村に居住していたときの体験を次のように書いた。

 以前三宅島に居住しているとき、アメリカ軍の「夜間発着訓練」の誘致問題が起こった。 そのときの選挙では反対派の村長と村議を応援し投票した。反対派の村長が当選し、議員構成も 逆転も逆転、反対派が圧倒的多数派になった。

 地縁・血縁の選挙で選ばれた各地区のボスが牛耳っていた村議会が一変した。
だが、その後の展開はどうだったのか。

 選挙では反対派が圧勝したわけだが、国家権力は一小村の民意などは眼中にない。

5・28(1986年) 防衛施設庁、阿古に現地連絡事務所を開設。
12・28 防衛予算復活折衝、基地調査費3億2200万円が復活折衝で認められる。
6・?(1987年)防衛施設庁の気象観測鉄柱設置計画を発表。

 と、どんどん既成事実を作っていく。

 村長選・村議選を制しても国家権力の意図を止めることは出来ないのだ。この国家権力の 横暴をとめたのは島のおばあたち(おばあちゃん、かあちゃんたち)の「非暴力直接行動」だった。
 村長を先頭とした村の行政機関の姿勢、村議会の活動、島外からのさまざまな支援など、 おばあたちの闘いの背後にはたくさんの支援があったが、国家権力を最もたじろがせたのは おばあたちの「非暴力直接行動」だった。

 私は昨年の『9/23労働者市民のつどい』の報告で、『「辺野古の闘いのフォト・レポート」の 闘うおばあちゃんについ涙を流してしま」ったことを白状したが、実はこの 三宅島のおばあたちの闘いがダブって私の涙腺は刺激されたのだった。

7・15 防衛施設庁が気象観測鉄柱設置を強行。島民の抵抗で一ヶ所(下錆)を阻止、七月末まで座 り込みが続く。
9・1 政府、機動隊導入により、観測鉄柱設置を強行。
12・25 防衛施設庁、航空測量を実施する。88年度の基地調査予算3億3000万円を計上。
3・8(1988年) 防衛施設庁、予定していた地質調査のためのボーリング計画を延期することを決定。
12・8~12 防衛施設庁高層気象観測通告。上京団、現地各々抗議行動。
12・13防衛施設庁高層気象観測断念を発表。

三宅島の闘い
 圧巻は9月1日の機動隊を導入しての「観測鉄柱設置強行」の阻止行動だった。送られてきた機動隊は8機(8機 が敗退した後「鬼の4機」と呼ばれている精鋭部隊が投入され、ものすごい暴力を振るった)。おばあたちは身体を張って一歩も退かない。
 9月1日の三宅島はまだ酷暑の時期だ。頭をそっくり覆うヘルメットまでかぶった完全装備の機動隊員 が何人も脱水症で倒れた。闘いの最中に、おばあたちは息子や孫のようなその青年隊士たちを介抱 している。

 なお、ついでながらその後のことを。
 雄山大噴火のため全島員が避難を余儀なくされて4年、ようやく帰島が始まろうとしている。島民の 艱難辛苦はまだ続く。なのに、政府はなお島を基地にする計画を断念していない。

 2000年の「防衛白書」より
 政府は、三宅島に代わりの訓練場を設置することが適当と考え、そのための努力を続けている。 しかしながら、三宅村当局を始め地元住民の間に、なお反対の意向が強く、実現 までには相当の期間を要すると見込まれる。
 一方、厚木飛行場周辺の騒音問題をこのまま放置しておくことができないため、日米間の協議によ り、三宅島に訓練場を設置するまでの暫定措置として、硫黄島を利用することとし、89(同元)年か ら艦載機着陸訓練に必要な施設の整備を進め、91(同3)年8月から米軍による訓練が開始された。 本年5月末までに、延べ24回の訓練が実施されている。 政府は、今後とも、暫定措置として硫黄島 での艦載機着陸訓練の実施に努めるとともに、三宅村当局及び地元住民の理解と協力が得られるよう 努力している。
156. 非暴力直接行動(2)
大杉榮の「直接行動論」
2005年1月17日(月)

 大杉榮が労働者向けの小雑誌に匿名で書いたという「僕等の主義」という小文がある。 まずそれを読んでみる。
 自分の事は自分でする。
 これが僕等の主義だ。僕等労働者の、日常生活の上から自然に出來た、處世學だ。
 僕等には、それで食つて行くと云ふ、親の財産はない。又齧るべき親の脛もない。僕等は小學 校を終へるか終へないうちから、自分で働いて自分で食つて來た。自分の身の廻りの一切の世話 も、親や兄姉の忙しい僕等の家庭では、子供の時から總て自分でやつて來た。
 自分で自分の事をするのはいい氣持だ。何事にでも我がままがきく。勝手でいい。威張られる 事もなし、恩に着る事もなし、餘計なおせつかいを云はれる事もない。
 少し大きくなつて、世間とのいろいろな交渉が出來始めてからも、やはり自分の事は大概自分 でしなければならなかつた。そして、やはり自分でやるのがいつも一番氣持がよかつた。自分の 事は自分が一番よく知つてゐる。自分の事は自分が一番熱心にやる。失敗すれば失敗するであきらめ もよくつき、又新しい方法の見當も直ぐにつく。人にやつて貰つたんでは、不足があつても、有 難うとお禮を云つて満足してゐなければならない。よし又うまくやつてくれたところで、自分で しなかつた事が僕等には不足になる。
 世間は益々複雑に且つ益々面倒になつた。敵と味方の區別すらもちょつとは分らない。人に頼 んでは馬鹿ばかり見る。殊に何か甘さうな事をやつてやらうと云ふ先生等にたのむと、いつも必 ず大馬鹿を見る。
  自分の事は人を頼る前にまず自分で行動を起こせ、特に「何か甘さうな事をやつてやらうと 云ふ先生等」は頼るなという。ここで言う先生とはもちろん「代議士先生」だ。

 アナーキズムとは何か。
 「自分の事は自分でする」。これまでの私の理解ではこれが第一のキーワードだと思う。

 大杉の論文に、ずばり「直接行動論」という題のものがある。こんどはこれを読んでみる。

 ことしはたちになる某と云ふ女が、茨城縣下の宿屋五六軒に奉公して、どこででも淫賣を強ひ られるつらさに堪えられなくなつて、とうたう府下大久保の慈愛館に泣きすがつて來た。慈愛館 と云ふのは、多くはさう云つたたちの女を救ふ、キリスト教の一設備である。
 此の慈愛館と多少の關係のある、矢島揖子女史を會長とする婦人矯風會では、此の事實を某と 云ふ女一人の問題ではなく、すべての職業婦人に關する問題だと見た。そして、これを機會に、 主人が女中を、上役が女工を手籠めにすると云ふやうな行爲に対する制裁の記録を、法律の上に 求めようとした。
 が、此の事件は、昨年の五月以來、水戸の地方裁判所から東京地方裁判所、次いで控訴訴院、 大審院へまでも訴へ出たのだが、どこででも遂に「軽微な問題として」取れあはれなかつた。そし て最近、矯風會本部では、おもなる會員が集まリ、「日本には處女の貞操を保護する法律がない」 ものと認めて、此の事実を全國の婦人に公表して輿論を喚起する事にきめた。同會幹事久布白落實 女史は、此の問題に就いて、新聞記者に語つて云ふ。
 「今までは裁判所にすがつて出來るだけ闘つて見た。が、其の結果は無効だつた。そして私達は 判然と自覺した。日本の幾百萬かの處女は,貞操に就いて法律の保護を受ける事が出來ない。自 分の貞操は自分で保護しなければならない。で、私達は此の事を社會に訴へて、女性の自覺を促 さうと思ふ。」

婦人矯風會が、果して此の直接行動論に徹底する事が出來るかは、疑はしい。現に彼等は、こ んどはそれを議會の問題にしょうとして、騒ぎ廻つてゐるらしい。が僕等は、ヤソの、お嬢さん やお婆さんたちにそれを責めるやうな野暮ではない。そこまで動いて、そしてうはベだけでも、 とにかくそこまで悟つて來たのは彼女等にしてはもう大出來なんだ。

 裁判が現在でも当てに出来ないしろものであることはもうたびたび思い知らされている。

ピアノ伴奏拒否事件(日野市立南平小学校)人事委審査→棄却裁決→東京地裁提訴→棄 却判決→東京高裁控訴→控訴棄却→最高裁に上告中

国立二小リボン着用事件 審査請求→棄却裁決→東京地方裁判所へ提訴

国立二小・強制移動事件 人事委審査請求→棄却裁決→東京地裁提訴

 良心の自由も表現の自由もまるで無視されているような裁決が続いている。 憲法が保障しても支配者どもは憲法を無視する。裁判官まで憲法を無視する。まともな裁判官いないのか。

 ところで、ここで大杉は労働者のゼネストに限定せず、「自分の貞操は自分で保護」するために当事者が立ち上がる ことも、「直接行動」と呼んでいる。

 けれども、僕が今特に此の問題をかかげてここまで書いて來たのは、それに就いて吾々労働者 がお互ひにもう少し考へて見たいと思ふ事があるからだ。
 矯風會のお嬢さんやお婆さんたちは、別に法律で保護されなくても、其の貞操を守る事が出來 る。彼女等は、結婚と云ふ一種の淫賣の外には、滅多に淫賣を強ひられる事はない。滅多に手籠 めに會ふ事はない。又そんな事があつた日にや大變だ。世間は忽ちに大騒ぎになる。女中や女工 の、勞働者の場合とはまるで違ふ。
 手籠めと云へば強姦だ。そして此の強姦には、確かに、それを制裁する法律がある筈だ。けれ ども、女中や女工の勞働者の場合には、恥しいとか世間ていとか云ふ事以外の理由から、それを 訴へ出る事の出來ないのが、どんなに多いだらう。法律があつたつて何んにもならないんだ。

 なぜだらう。
 一言で云へば、彼等には力があつて、吾々にはそれがないからだ。そして法律は此のカの味方 であるからだ。
 女中や女工だつて、淫賣を強ひられたり手籠めに會つたりする時には、直ちに其の本人たちが 騒ぎ出すがいい。大ぜいで騒ぎ出すと云ふ事は、弱いものの持つてゐるただ一つの力である。五 人でも六人でも、其の宿屋なり工場なりにゐる者が、皆んなして騒ぎ出せば、いくら主人でも上役 でも滅多に手を出せるものでない。
 斯うして、何によりも先づ本人が、自分で自分の力を確かめて行く。そして其の力で自分を守 り且つ育てて行く。それを、どこまでも自分が勝手に推しすすめて行ったのが彼等なんだ。  どこまでも自分勝手に推しすすめて行くんでは困る。僕等は彼等の其の眞似はしたくない。け れども、彼等のやうに法律があらうとあるまいと、勝手に自分を守り且つ育てて行く事が出來る やうになる爲めには、やはり彼等を眞似て、自分で自分の力を確めて行く外はあるまい。  そして、さうするには、前にも云つた僕等に残されたただ一つの力を、養ひあげて行く外に仕 方はない。 法律があつても、警察があつても、又裁判所があつても、力で處女の貞操を侵さうとするもの がある時には、やはり其の女自身の力のほかにはそれを防ぐ何ものもない。
 彼等(大杉の用語で言えば「紳士閥」)のように「自分勝手」なものではいけないが 「やはり彼等を眞似て、自分で自分の力を確めて行く外はあるまい。そして、さうするには、 前にも云つた僕等に残されたただ一つの力を、養ひあげて行く外に仕方はない。」という。
 「僕等に残されたただ一つの力」とは、言うまでもなく「自分のことは自分 でやる」自立した者たちが組むスクラムである。
155. 非暴力直接行動(1)
幸徳秋水の「直接行動」
2005年1月16日(日)

「第149回」(1月10日)を次のように締めくくった。

 筆者(『「非国民」手帳』の)は「政治的表現の方法はもっと豊かだ。」と言っている。 次回はその方法を探ることにもなるはずだ。

 問題を「政治的表現の方法」を「支配権力と対峙する方法」と読みかえると、まさしく「非暴力 直接行動」がその唯一有効な方法ではないだろうか。
 「日の丸・君が代の強制」に応ぜず、ピアノ伴奏や起立を拒んだ人たちの闘いはまさに 「非暴力直接行動」ではないか。「非暴力直接行動」の思想的内実を知ることは、私たちのこれから の闘いに何か資するところがあるのではないだろうか。

 「非暴力直接行動」を取り上げるのなら、向井さんの「現代暴力論ノート」を読んでからにす べきだが、とりあえずいま容易に入手できる資料を頼りにおおよそのところを知ろうと思う。

 日本において「直接行動」をはっきりと打ち出したのは幸徳秋水(1817~1944) をもって嚆矢とする。
 秋水は普通選挙実現を目指す「普通選挙期成同盟会」(1899)の幹部をやったり、社会民主党を結成(1901) したり(即日結社禁止の処分を受ける)している。理想の実現を議会を通しての活動に託していた。

 1905年に新聞紙条例違反で禁固5か月の刑を受け入獄し、獄中での読書でクロポトキンに出会いの 無政府主義思想に傾倒するようになる。

 出獄後渡米。サンフランシスコでロシア社会革命党のアナーキストのフリッチ夫人の影響を受ける。
 1906年帰国。日本社会党の歓迎会で「世界革命運動の潮流」と題する演説を行う。 それは政党活動の否定であった。政治活動を共にしていた同志たちにとっては青天の霹靂だった ことだろう。

 「世界革命運動の潮流《錦輝館に於ける演説の大要》」という文章が残っている。それから抜粋する。

 三百五十万の投票を有せる独逸社会党、九十人の議員を有せる独逸社会党、果して何事を為し たりや、依然として武断専制の国家に非ずや、依然として堕落罪悪の社会に非ずや、投票なる者 甚だ恃むに足らざるに非ずや、代議士なる者の効果何ぞ甚だ尠なきや、労働者の利益は労働者自 ら掴取(くわくしゆ)せざる可らず、労働者の革命は労働者自ら遂行せ ざる可らず、是れ近時欧米同志の叫声也。

(中略)

 選挙権は民政の屋根也、多数労働者自から進んで民政の基礎を建設し、其の結果として得たる 所の者にして、初めて効果あることを得可し、独逸の如きは然らず、唯だ足れ皇帝宰相の恩賜慈 恵に依て得たるのみ、民政の基礎の上に置かれずして、王冠の下に吊下れるのみ、専制の大風一 たび至らば、直ちに吹払ひ去られるのみ。
 所謂立憲的、平和的、合法的運動、投票の多数、議席の多数なる者は、今の王侯、 紳士閥が頤使(いし) せる金力、兵力、警察力の前には、何等の価値を有する能はず、是れ近時欧米同志の痛切に感ずる所也。


 もちろん、ドイツを引き合いに出して欽定憲法下の大日本帝国での「恩賜慈恵」の選挙権の無効性を 指摘している。
 そして日本人民は、戦争遂行のために「専制の大風一たび至」り、議会の機能など「直ちに吹払ひ去 られ」た過去を持っている。
 (「紳士閥」という用語は大杉榮も用いているが、ブルジョア階級という意だろう。)

 於是乎(こゝにおいてか)、欧米の同志は、 所謂議会政策以外に於て、社会的革命の手段方策を求めざる可らず、 而して此方策や、能く王侯、紳士閥の金力、兵力、警察力に抵抗し得る者ならざる可らず、少く も其鎮圧を免がれ得る者ならざる可らず、而して彼等は能く之を発見せり、何ぞや、爆弾か、匕首か、 竹槍か、蓆旗か。
 否な
是等は皆な十九世紀前半の遺物のみ、将来革命の手段として欧米同志の執らんとする所は、 (しか)く乱暴の物に非る也、唯だ労働者全体が手を拱して何事をも 為さゞること、数日若くば数週、若くば数月なれば即ち足れり、而して社会一切の生産交通機関の運転を停止せば 即ち足れり、換言すれば所謂総同盟罷工(ゼネラルストライキ) を行ふに在るのみ。

 秋水が提唱する「直接行動」は「ゼネスト」であり、暴力は「王侯、紳士閥の金力、兵力、警察力に抵抗し 得る者」ではないと否定している。すでに「非暴力(、、、) 直接行動」と言ってよいだろう。

 彼等欧米の同志は信ずらく、紳士閥は労働階級の為に、(たまた) ま少許の恩恵を施こすことあり、少許の慈善を行ふことあり、而も是等は遂に労働階級を 瞞着籠蓋(まんちゃくろうがい)するが為めに用ゆる一種の香餌に 過ぎず、両者の利害は到底一致し調和し得べき者に非ず、彼等の甘言に欺かるゝ勿れ、彼等の好 意を恃む勿れ、政府、議会、議員、投票を信ずること勿れ、労働者の革命は労働者自ら遂行せざ る可らずと。


 私たち被支配者に与えられた(獲得したとは言いがたいと思うのでこう言う)諸権利は 私たちを「瞞着籠蓋するが為めに用ゆる一種の香餌に過ぎ」ないのは今での同じだと、私は思う。
154. 選挙について(5)
2005年1月15日(土)

(水田ふうさんの論文の続き)

 普選施行以後、投票の意味をもっとはっきりさせてる例が敗戦後のアメリカ占領軍によって改正 された選挙法や。

 こんどは普選法以上にもっとひろげられて、国民の半分にあたる女が有権者になった。それで女 たちは一体どういうことになったんか。それから50年ほどたったけど、女たちはどれだけ自分らの 世界を獲得できたんやろ。「リブ」の五年十年の方がもっと大きいものを生み出したとわたしは思う。


 ちなみに、戦後の第一回衆議院選挙は1946年4月10日に行われた。女性当選者は全464名中39名(進歩党6、自由党5、 社会党8、共産党1、協同党0、諸会派10、無所属9)だった。


 そして無告窓の棄権ハガキ運動以来、反政党はもとより反選挙の声もきかん。それはもはや運動 にはならんのや。なにしろ投票を拒否するもんは非国民やもん。

*

 辺見庸さんが、「1999年問題」いうことをしきりに云うてはる。こんな事態になってんのに、 景気の心配ばかりでなんも運動がおこらん。自分もまわりの人もだんだんと年とって、運動する のにくたびれてしもた、ということもあるけど、これは、やっぱり、選挙制度にみんなからめと られてしまったせいやと私は思う。制度の枠の外に出ることなんか、てんから考えられんように されてるんや。

 そして「ガイドライン関連法」たら、「盗聴法」たら、「国旗・国歌法」たら、「改正住民基本 台帳」たらいうエライもんが、あれよあれよというまにわたしらの選んだという代表によって通って しまった。こんなもん、実際、だれが賛成しとるんや。

 つくづく選挙制度いうのは、国民という名のわたしらが責任をとらされるという制度や。

 無関心のおまえが悪い、投票したのはおまえたちやないかいうて。そやけど、投票しても何も変 らへん。たまたま一人とおってもどうにもならんという仕組みになってる。

 つまり投票は国民の権利というけど、ちょうど「刀狩」みたいなもんや。一枚の紙で全権委任さ せられ、国はそれを逆手にとって、なんでもしよる。文句言う奴は、合法的暴力――法律――で取 り締る。国民の権利どころか、権利を取り上げ、文句いわさん制度が選挙制度なんや。(*註4)

 まじめで、こころざしある人ほど、「みんな政治に無関心や」ゆうてなげく。そして、投票に行け、 と説教する。左翼も、筑紫哲也も、加藤典洋も同じや。誰ひとり、投票するな棄権せよいう人はおれ へん。

 けど、わたしは、投票率が低いのかて、もっともっと低くなったらええ。10%切ったらおもろいで、 と思ってるんや。

 私は選挙では「真面目人間」やっているが、内心バカバカしく思ってはいた。 時々友人たちに「投票率が 低ければ、政権の正当性があやしくなり面白いのでは」というようなことを言うが当然のこと 歯牙にもかけてくれない。でも投票率が10%をきるほど低くなれば、こりゃ、面白いなあ。

 今イラクで傀儡政権の正当性を虚構するための選挙が準備されているが、選挙の欺瞞性が露骨に 表れているいい見本だ。選挙の実行が難しい状況のようだが、行われたとして、投票率が極端に低け れば面白い。傀儡政権はどう対処するだろうか。注視したい。


*註4 「擬似非暴力体制」  「現代暴力論ノート――非暴力直接行動とは何か」(向井孝) に疑似非暴力体制ということがしきりに出てくる。

 今の体制は、改めて云うまでもなく専制国家ではない、軍事国家でもない、民主主義国民国家ということになってる。とは云うても、国家の本質である暴力性はなんも解消されていない。たしかに国の政治は選挙―投票によって、選ばれたわたしらの代表と呼ばれる人達によって行われている。そして、その人たちがとりきめた法律によって、裁判所も監獄も警察も軍隊も暴力装置にちがいないのに、いかにも非暴力の顔つきをして、合法的にわたしらを支配してる。

 けっして暴力による支配ではなく、自縄自縛のこの疑似非暴力体制。これが現代社会の国家の特質や。その疑似非暴力体制をなにより保証しているのが選挙制度なんや。



 かって革命とは、暴動・反乱・一揆にはじまるもんで、「暴力革命」の謂やった。暴力的でない「平和革命」は、空想的・非科学的社会主義としておとしめられるものやった。

 そのことにおいて、幸徳秋水が提起した、非政治的な「直接行動」の現代史的な意味は大きい。

 向井さんは、その「現代暴力論ノート」で直接行動の本来的意味 として、生産・創造・遊戯・そのよろこびとおもしろさを挙げてる。それはまさに、人民のみがもつ「暴ニ非ザル力」なんやけど、その直接の享受を妨げ疑似化して収奪するシステムが、現代の選挙投票に外ならんのや。
 ここで登場する向井(孝)さんは水田さんたちのグループの理論的支柱だったようだ。その著書 「現代暴力論ノート」は、戦後日本のアナーキズム運動における最高の理論的達成と評価されているとい う。がぜん興味をかきたてられた。いずれ読んでみようと思っている。なお向井さんは2003年8月6日に亡くなられている。

 選挙に対峙する行動として「直接行動」が挙げられている。水田さんたちは詳しくは「非暴力直接行動」 と言っている。項を改めて取り上げようと思う。




 アナなんてもんは、もうずっと時代おくれになって、バカにされ、ほんの一部のものずきの人にめず らしがられてるだけやけど、いまわたしらが手も足も出されんようなことになってるそのおおもとは、 直接行動というもんをそもそも「普選」にからめとられてしまったことにはじまるんやと、運動史を みてつくづく思う。

 アメと思ったものが実は、自分の首をやわらかく、じわじわと、自分で絞めるしびれ薬を染み込ませ た真綿やったんや。そのしびれ心地をアメと思いこんで、アナ以外の社会主義はそのはじめから運動し てきたんやった。

 先号で中島君が言ってる「過去からやってくる未来」ということでいえば、いまから百年のむかし、 自分らのことは自分らで決めようというあたりまえのことをあたりまえに云って普選と闘ったアナキ ストと呼ばれる普通の労働者たちがいた。
 そのことはまさに過去からやってきた未来――いまの問題ではないんか。

 人々の意識は、むかしは遅れてて、今のほうがずっと進んでるなんて思ってるけど、とんでもない。 直接行動という言葉の意味をはっきりと自覚して自分たちのもんにしてたのは、百年もむかしのひと やった。

 この後百年たってもまだ選挙制度なんてもんが残ってるかどうかしらんけど、まず政党という政党と 選挙制度をつぶさんかぎり、どうにもならん、と、わたしはいいたい。

153. 選挙について(4)
2005年1月14日(金)

(水田ふうさんの論文の続き)
 七、八年も前やったか、全国の「反原発」の市民グループが地方ブロックをつくって選挙にうって 出た時、何かの集まりで、ついうっかり「わたしは投票にはいかへんねん」というたら、「そういう のは非国民や」と、はげしい感情的反発が会場から出て、びっくりしたことがある。


 そのような場で「非国民」などという言葉が飛び出るとは、さぞびっくりしたことだろう。 自分(たち)は健全な国民という意識があるから「非国民」という非難が出てくる。この種の 市民運動の限界だな。真摯に本質的に闘うものを「過激派」と非難する心性と同じだろう。ともあれ 期せずして選挙の本質を暴露したことにもなると言うべきか。


 「あれはアナキストやから」という声も聞こえて「投票に反対するなら爆弾でもなげるんやな」とも 云われた。ほんまに爆弾でも投げたいわい。でもそれはいっとき、自分のきもちの解消にはなっても 事態はひとつも変わらん。もっとワルなるやろ。

 いま思ったら、たしかにその時は、一票でもほしかった反原発の運動仲間にとっては、「非国民」 よばわりしたいくらいに切羽詰った気持ちやったんやろ。

 それにしても、選挙のカラクリなんてミエミエやと思うのに、本気で自分たちの「代表」が選べるな んて必死になったり、そうかと思えば、あきらめながら、「次善」?にいれて、歯止めをかけようとす る真面目な人がおるから、みんなで選んだ国会とか政府なんてことにされるんや。わたしにはどうした って、選挙制度というのが諸悪の根源に思える。(*註・1)
 絶対反対してるのに、道路やダムや橋やゴルフ場や堤防や原発や飛行場や……みいんな選挙 のたんびにできてきたんとちがうか。



 そうだよなあ。選挙をやる度に状況は悪くなる。支配者どもは「民意を得た」などとほざいて、意のまま に事を運ぶ。私、いままでとっても「真面目な人」を演じてきたが、これからは心を入れかえて不真面目に なろうかな。

 以下、選挙制度の変遷とその問題点を論じている。選挙制度とアナーキズムの歴史の学習のつもりで読んでみる。 アナーキズムとは何なのかも分かってくるように思う。




*註・1「普選まで」
イ・明治22年の憲法発布、23年の国会開設で、明治専制政府は、
 一応近代国家の形をととのえる第一歩を踏み出す。とはいうも
 のの「年15円以上の国税を払う25才以上の男子のみ」が有権者
 で、つまり絶対多数の貧乏人は、「政治」のカヤの外で何も文
 句が云えんというかたちやから「貧乏人に参政権を!」という
 のは、自由党以後、明治社会主義に共通するスローガンやった
 ともいえる。

ロ・明治39年、出獄した幸徳秋水は、身動きもできぬ閉塞した状
 況のまま、むしろ脱出のおもいで海外の旅へと出た。しかし半
 年ほどの滞米だけで帰国、早々「帰国演説会」を開いた。それ
 が「世界革命運動の潮流」と題して運動の大転換をといて、内
 外へ大衝撃を与えた――「経済的同盟大罷工を主張する直接行
 動論」――やった。

それについて吉川守圀は、

「この演説にしばしば引用されたのは、350万の投票を有する独
逸社会党に始まる議会政策への批判であり、果然社会党としては
それこそ寝耳に水とも称すべき、全然予期せぬ一大波浪に見舞わ
れた形であった」―荊逆星霜史―

とかきのこしている。

ハ・この幸徳が主張する直接行動論に対し、堺・山川らは、幸徳
 寄りのやゝあいまいな中間的立場をとる一方、田添鉄二、片山
 潜らは専ら「普選」を掲げて、社会主義運動内に二つの流れが
 顕著にでてくる。

ニ・それが大正の中期になると「大杉らアナ派サンジカ派」と
「一応アナ寄りの中間派」それと「普選派・のちそれにまぎれ込
 んだボル派の政治運動派」という三区分になる。あっさりいう
 たら、「反選挙派」と「普選派」。


 2
 そして、長い間のすったもんだの運動のあげく、1915(大正14)年、3月~4月にかけて、 いわゆる「アメ」と「ムチ」の抱き合わせといわれて「普通選挙法」と「治安維持法」(以下 普選法と治維法と略)が公布実施されたんやった。(*註・2)

 「アメ」と「ムチ」というのは、第二次山本権兵衛内閣法相・平沼騏一郎(こいつ、幸徳秋水 大逆事件を指揮した検事上がりの曰く付のワルや)が、――犬養毅の要求する「普選」にたいし、 「それに同意してやるが、共産党などの結社を禁ずる法律を出すが賛成するか」ともちかけ、 同意を得た、――と近刊の岩波新書『思想検事』(萩野富士夫著)にも書いてある。

 冶維法はそんな経過で、「国体ヲ変革シ、マタハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結 社ヲ組織シ、マタハ情ヲ知ッテコレニ加入シタモノハ十年ノ懲役(これ、三年後には勅令で 「死刑」にかわる)、マタハ禁錮ニ処ス」という第一条だけでもあきらかなように、戦前昭和の 大狂気時代を現出する法律や。としたらそれと抱きあわせの普選法は、よっぽど甘いオイシイもん でなければならんワケになる。


*註2 「治維法第一号」 
 ちょっと脱線。「冶維法」の第一号適用は、大正15年1月の京
大学連事件とよばれる「社研」の活動禁止に始まるといわれてる。
ところが、岩波の『近代日本総合年表』には、冶維法施行まだ
一ヶ月そこそこの大正14年欄に「6月17日・警視庁、大阪の秘密結
社〈黒社〉(ブラック社)の幹部二人を、最初の治安維持法で検挙。」
と載ってるんや。これ多分、戦後の『平民新聞』編集をやってた
久保譲さんのことやろ。

 久保譲さんは、大正12年3月、明大を卒業して、実家の大阪に帰り、
『黒社』をつくって活動をはじめるんやけど、もちろん秘密結社とか、
幹部なんていうようなたいした組織やない。年表の出典や資料がわか
らんのでなんともいえんけど、大正12年12月16日、大阪でひらいた
大杉栄の追悼集会に、久保さんは発起人の一人になってる。開会の辞
を述べ、さらに『黒社』の代表として弔辞を読んだと記録されている。

 その時の弔辞が激越で、秩序を乱すとして岡部よし子、矢野準三郎
その他二人と共に中止を命じられてる。そんなことでずっと目をつけ
られて、無政府主義者やから、私有財産否定やろ、いうて早々まず狙
われた――のとちがうか。



 さて、その普選法の公布によって、三年のちにはいよいよ選挙が実施されるというんで (女子、小人、朝鮮人、台湾人をのぞいて)、貧乏人も投票できることになった、とい うんやから、アナ派以外の無産派の殆どの運動体は、普選派はもとより、どっちつかず の中間派も、皆にわかに政党をつくって選挙運動へといっせいに流れていった。つまり 猫も杓子も選挙に打って出て、世の中を変えよういうて、アメ?にとびついたわけや。 (平沼らのしかけにひっかかった。これ、ほんまはフセンやのうて冶維法を通すための 「伏線」やったんやな。)

 そして昭和3年2月に行われた第一回普通選挙の結果は?というたら、全国に「無産政党」 がいっぱいできて、数百人が立候補したあげく、当選したのはたったの八人!
 やっぱりそれまでどうりに、民政党・政友会が絶対多数をとって、政治はちっともなにも かわらんどころか、冶維法ばかりが横行するようになった。

 そんなら、当時のアナは何してたんか。

 わたしはこのところ向井さんの手伝いで「運動史」 をちょこっとかじってるんやけど、 そんな普選へ普選へとなびいていく流れに対して、例えば昭和2年6月「反政党運動」いう 新聞を江西一三、山本忠平(陀田勘助)らがつくったり、政党集会などへぶっこわしの殴 り込みをしかけたり演説会を開いたりするんや。(そこで云うてる中身はあたりまえのこ となんやで。自分らのことを、人にたのんだり、お願いしたりなんて、ひちめんどくさい ことせんと、自分らのことは、自分らで直接にやろういうことを云うてるんや。)(*註・3)

 それはすぐつぶされて、そのあとは冶維法の弾圧と軍国化の下で、力を殆ど失っていく。

*

 1967年に、アナキスト松村潔さん「無告窓」が、「棄権」を呼びかける五万枚のハガキを東京 都内にくばった。朝日新聞の命名では、「棄権勧誘事件」というのやけど、松村さんにしてみたら、 バクダンなげるような思いやったやろ。この頃ハガキ一枚なんぼやったか。一枚10円にしても50万円や。 (わたし、この年高校を卒業して就職して、月給1万2千円やった。)50万なんてごっつい金やで。 でも、こんな大金つこても、マスコミをちょっと騒がしただけで、運動としてはぜんぜんひろがらん かった。むしろバカにされたぐらいや。


*註3 「反政党運動」など 
 普選反対のためアナ派は、たとえば大正14年12月のボル系農民
労働者党の結党式にいっせいにおしかけ、会場占拠する。その共
同行動を契機に全国組織「黒色青年連盟」(黒連)が結成され、
さらに、15年5月に「全国労働組合自由連合会」(自連)がつくら
れる。

 その機関紙「黒色青年」や「自由連合」をみると、組織の中心
として印刷工組合は当然としても、アナならではの分野として
「関東自由労働者組合連合」「東京新聞労働連盟」(配達人)な
どの活動が目立つ。

 なかでも、関東自由の中心、江東自由労組の動きはめざましい。
「自連」紙十号までにあげられている人名だけでも、大沼、山本、
歌川、斎藤、高田、守下、時永、古江、横山、田中(玄)、宮崎、
鈴木、滝沢、窪田、武森、荒井、安西、平尾、牧野、大野、久保、
武田、彦坂、らと二十数名に及び、たまたまひらいた六号には
(復刻版60頁)「横死労働者鎖供養―検束20余名―」とか
「北海道、監獄部屋打破のための調査に派遣していた宮崎、
十月末帰京」の記事がみられる。

 そして昭和2年6月、この「江東自由―(アナ活動をする時は
「黒旗社」を名乗った)」の有志が中心となって刊行されたのが
「反政党運動」で、新聞型2頁、大衆啓蒙・宣伝紙として発刊された。

 執筆者は、山本忠平、横山煤太郎、難波正雄、江西一三(署名人)。
(江西さんは、70年ごろ、サルートンのアジトへきはった時、何度か
見かけた。たしかその時は、総評の中小企業争議対策部長で、そやか
ら生涯、労働運動ひとすじの人や。)

 「反政党運動」の発刊の趣意を一部抄出すると、

「…闘争手段として採用されつゝあるものに二様の手段がある。一つは
政治運動に依る…共産主義者及び改良主義諸政党であり、一つは非政治
的結束に依る…自主自治的…闘争手段とである。…

 代議政体は政党に原動力を置く。政党とは中央集権的絶対制組織である。
少数幹部の政権獲得闘争の集団である。…無産階級の国家、労働者独裁…
を宣伝している「ソビエト・ロシア」も実質的には、共産党の少数幹部
の絶対専制独裁である。…

 「労働者の解放は、労働者自らに依ってのみ達成される」われらはこの
自からの力を信ずる。…

 われらは現下の政治闘争による力の分散より、経済的分野における戦闘
力の集中をはからなくてはならぬ。分裂と攪乱以外に何もない政党運動を
廃し、経済的共同戦線による全国的総連合こそわれらは望む。それは反政
党的結束になる直接的経済行動によってのみ達成される。…」

 その第二号紙上に発表した支局は、東京十一、大阪六、その他茨城、
福岡、水戸、名古屋、横浜、静岡、旭川、等にあり、大阪では新世界、
東京では新宿、渋谷、銀座の街頭で辻売りが行われた。 その他東京帝
大仏教青年会館で演説会も開かれた。…(「反政党運動」なんて、
今ではちょっと考えられん積極的な提起やないか。)
(つづく)
152. 選挙について(3)
2005年1月13日(木)

 ときどき大杉榮の論文を拾い読みしている。
 すごい人だ。90年ほども前に書かれてたものだが、今の状況の中にひきつけて読んでたくさんの 示唆を受ける。いまだ賞味期限は切れていない。私の思想・感性ととてもよくフィットする。
 より陰湿で巧妙になってきているが「支配ー被支配」の構造は90年前と変わらない。大杉栄の 論文が今なお示唆に富むのは当然と言うべきか。
 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸!   その他一切の社会的諸制度!!
 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代の彼の智 識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組織的暴力と瞞着との協力 者となり補助者となっている。
 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会 の根本事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何物も、正当に 理解する事ほ許されない。
(大杉栄「征服の事実」より)

 がぜん、私のアナーキズムへの関心興味が高まった。現在のアナーキズム・アナーキストたちは その思想をどのように継承し、今どんな活動をしているのか知りたくなった。
とりあえずインターネット。こういうとき、インターネット、便利だなあ。

 【黒 La Nigreco】というサイト

【黒 La Nigreco】


にぶつかり、そこで次のような「選挙」についての 論文に出会った。関西弁のしゃべり言葉で、軽妙なタッチで論じている。しかし中身は 濃い。私はなんだか説得されてしまいそうだ。ちょっと長い論文だが全文を掲載しよう。



あーあ、「選挙」 水田 ふう<BR>

 二十歳になったとき、「選挙」のことでちょっと悩んだ。誰にいれてよいかわかれへん。 次善の人を選べというけど、「何」が次善かもわからん。で、投票にはいかんかった。

 そのあとは田舎をはなれてあちこち住所不定みたいやったから、選挙があっても無関係やし、 まるで関心がなかった。

 ひとつおぼえているのは、都知事選。労組や市民運動してるひとたちがずいぶん応援して、 美濃部さんが当選したんやけど、「革新派」の知事いうことになってるから、いままでより 文句をつけにくなって、かえってやりにくなったと都庁で組合に勤めてた友人がこぼしとった。

 これ、この「組合の友人」がおかしいんだ。「革新派」の知事であろうがイシハラであろうがつける 文句があるのなら、文句を言わなければならない。それが出来ないのなら、その労働組合の存在 理由がなくなったのだ。その人は失業することになるけど、労働組合は解散すればよい。


 ようするに、何でもかんでもすべてお任せしますいうて、そんなこと頼むつもりもないのにわ たしらの代表やいう議員を選ばされるのが選挙なんや。そんなんで(大阪に住むようになって から投票用紙がくるようになったけど)ついに一回も選挙にいったことがない。

 そやけど、市民運動のなかから立候補をたてたり、それを応援する運動がすぐそばにあったりした 時は、「反選挙」なんてよういわんかったし、なんやぐわい悪いここちでだまってた。
 六ヶ所村の村長選には、これは、落選まちがいなしやけど「核燃白紙撤回一本槍」いうんで一週間 泊まりがけで応援にいった。選挙にかかわった唯一の例外。



 私は「次善」が捨てきれず、時には三善四善のこともあるが、たぶん一度も棄権したことはない。 しかし私が選ぶ「・・善」はきまって落選する。
 私の選んだ候補が当選したのは次の二件ぐらいかな。

 以前三宅村に居住しているとき、アメリカ軍の「夜間発着訓練」の誘致問題が起こった。 そのときの選挙で、反対派の村長と村議を応援し、投票した。反対派の村長が当選し、議員構成も 逆転も逆転、反対派が圧倒的多数派になった。

 もう一つは最近の話。
 区議会議員の選挙で、友人の紹介で知った無党派の候補者に投票した。その方は当選し、今区 議会で孤軍奮闘している。

 都議選、国選と舞台が大きくなるに従って、私の支持する候補者はきまって落選する。<
151. 青木 悦さんの講演を聞いて
生徒への「強制」がまかり通る素地
2005年1月12日(水)

(「 」内の言葉は青木さんが用いた言葉ですが、他はあやしい記憶を頼りの私の要約 なので、誤解や間違いがあるかもしれません。もしそのような部分があったら、青木さん、 ごめんなさい。)

 青木さんは、多くの講演会で、たとえば「教育基本法の改悪」の話を始めると会場のそれまでの良い 雰囲気が「さーっと引いていく」のを感じているという。「日の丸・君が代の強制」「奉仕活動の必修化」 「教育基本法改定」などへの反対の声が思うように一般の大人たちの中に「広がらず」「染み込んでい かない」のは何故かと問いかける。これは子どもたちへのさまざまな「強制」が大きな抵抗もなく押 し付けられていく現在の状況を作っている要素でもあり、それを3つ挙げている。
 「無関心」と「無責任」と「支持する人たち」

 「無関心」は周りに学校に通う子供がいない大人たちの普通の反応である。
 「無責任」は事実を踏まえない言動、あるいは歪曲した事実を元にした言動がはびこっていること。
 例としてあるPTAの集まりで青木さんと前後して登壇した警察関係の人の講演を紹介した。その人 はまずまくらとして詳しい統計資料を用いて青少年の犯罪は減少していることを説明した。そして本題に入る と「さて皆さん、少年犯罪は増えてきています。」と言い出したという。関心を引くために事実を無視 して恥じない。(たぶん「青少年の犯罪は増加して」いなければ、その後の話、おそらく戦後民主主義や日 教組や教員を攻撃する主張とつじつまが合わないのだろう、とこれは私の推測)

 三つ目の「支持する人たち」の「支持」の理由は理論ではなく、多分に感情的なものである。 そのキーワードは「大人たちの不安」であり、私たちの中にもあるものだ。その不安が子どもたちへの 強制を「支持」する基盤になっている、と青木さんは指摘する。
 その不安は日常的に、例えば、次のような言動となって表われる。3つ例をあげた。

 一つは、高校生の子供を持つ知り合いの母親の話で「子どもが休みの日は朝からゴロンゴロン していて、それを見るだけでやになっちゃう。もっときびきびできないものかしら」とよく愚痴ると いう。この「ゴロンゴロン」が気になる母親にとっては「奉仕活動」はきっと魅力ある言葉なのだ。

 二つはある地域の青少年健全育成会の会長をしている人。「コンビニの中にたむろして、やがて店の 前に座り込んで周りをじろじろ眺めている。こういうのが一番困る。こういうのは軍隊にでも入れて鍛え なおさなきゃダメだ。」青木さんが「誰が困るのですか。」とたずねたが答えられなかったそうだ。

 三つ目はあるPTAの会長で企業の理事をやっている人。ニートと呼ばれている若者たちに対して 「ああいう無気力な者たちは嫌いだ。若者には働いてもらわなくては困る。」という。これにも青 木さんは「誰が困るのですか。」とたずねたが答えられなかったそうだ。
青木さんは続ける。

 ゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする青少年たちに 我慢できない、許せないと言うこころの中を、それはどういうことなのかを私たちはいま冷静に考え なければいけない。
 ゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする子どもたちをなぜ許せないのか。百歩譲って 許せないとして、それでは誰が許せるとか許せないとかを決めるのか。
 親として教員として、何に苛立ち何を不安がっているのか、それを問わなければいけないときが きていると思う。

 子どもを分かろうとしたり、理解しようとしたりしないほうが良いのではないか、もともと 子どもは未知なもの、理解しがたいもの、分からないものである。ゴロンゴロンしたり、たむろした り、無為に過ごしたりしながら考える力を身につけ、自分が何者であり、何がしたいのかを考え 自分を発見していく。そのように「人は人になっていく」のではないかと問いかけ、いまの教育は そういう考える時間をすっかり奪っている教育ではないか、と。
 そしてゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする子どもに苛立ち不安がり許せないと 思う大人たちが子どもにさらなる強制を押し付ける事態を招き寄せていると言う。

 青木さんが一番伝えたかったメッセージは「子どもたちの日常のあり方に苛立ち不安を感じ許せないと思う 私たちの心を検証しよう」ということだと私は捉えた。

 青木さんは「私たちの中に皆さん(当日の集会に参集した)を入れるつりもりありませんが」と、 一応集会参加者に敬意を表していたが、少なくとも私は「私たち」の中の一人だと自認した。
 私の中には「高校生の子供を持つ母親」や「青少年健全育成会の会長」や「PTAの会長で企業の 理事をやっている人」の感性や子どもたちに向ける負性の感情と同じようなものがあり、 その人たちをただ笑ったり、あげつらったりすることはできない。そのような感性や感情が自分の中 にもあるからだ。

 私はこれを「我が内なる保守・反動」と呼ぼう。

 私は先に「日常の生活とは国家意思の反映であり、規範意識の馴致過程の謂いである。」と書いたが、 私たちの意識深く馴致され埋め込まれている規範意識こそ「我が内なる保守・反動」だと、青木さんの講演を 聴きながら思った。
 かって、教員になって教育のさまざまな矛盾にぶつかって思った。「我が内なる保守・反動」を引 き剥がし、その呪縛を解いて本当の自分を見出すことが自分の第一の課題だと。本当の勉強、いや生きるとは そういうことだと。

 青木さんは、たぶん、その問題を問いかけていた。
150. 「変えよう!強制の教育 学校に自由の風を!」
に参加しました。
2005年1月11日(火)

 今日(10日)は日比谷公会堂での集会「変えよう!強制の教育 学校に自由の風を!」に参加した。 今回は会場で何人か友人と出会ってチョッとうれしかった。

「学校に自由の風を!」さんの活動は創意に溢れ、しなやかで大きく開かれており、草の根のように 広がっていく可能性を大いにはらんでいる。今日の集会は、おもっ苦しい話だけでなく、 李政美(イ ジョンミ)さんの心に染み入るような素敵な歌があり、 、扶桑社の教科書の馬鹿さ加減を風刺したおおいに笑える寸劇があり、実に楽しい集会だった。 これからの活動にも期待し、ささやかながら応援していきたいと思った。

 集会の後、所用があって帰宅は9時半。遅い夕食後、集会の報告をひねくり出そうかなとここまで書いて あとは明日にしようと、今朝できなかった習慣のインターネット巡りをはじめた。いつもの通りまず 「澤藤統一郎の事務局長日記」にアクセスした。驚いた。澤藤さん、この集会に一般参加者として参 加しており、もうその集会の報告を書いている。この早業には何度も驚かされる。
 澤藤さんは高橋哲弥さんの講演を要約していた。

 私は青木悦さんのお話を紹介しようと思う。この集会で一番重く心に落ちたお話だった。

 意識していろいろなしがらみを断ち切ってきたせいもあり、私の日常は半径1キロメートルほどの 小さな範囲内にあり、人脈も情報量も大変貧しい。恥ずかしながら、青木さんを存じ上げていなかった。 始めてお話をうかがって、なんと素敵な方だろうと思った。こういう方と出会うと、ともすると冷え込 みそうな心に暖が戻ってくる。

 集会のパンフの紹介文。
青木 悦 教育ジャーナリスト 演題「これ以上子どもたちを追いこまないで」
 佐世保の小学生殺害事件など「今」という時代を、子どもを取りまく具体的な現場から取材し、都内 小中学校をはじめ全国で講演活動を行なっている。著書「アスファルトのたんぽぽ」、「孤独な、な かよし」「泣いていいんだよ」など。
(ここまで10日夜に書いて、お休みなさい、でした。)

(ここから11日)
 昨年11月6日の5000人が参加した「11・6教育基本法の改悪をとめよう!全国集会」には全く知らぬ顔の はんべぇを決め込んでいた朝日新聞が、どういう風の吹き回しか、今回は前日に集会の予告記事を載せ、 今朝は集会の報告記事も載せていた。青木さんの講演のまとめは次のようになっていた。
 奉仕活動必修化などについて「大人の安心のために子どもに何かをさせると、それは強制になる。 子どもには自分の頭で考え、悩むゆとりが必要だ」と訴えた。

 お話の重点の捉え方が違うんだなあ。

 ということで、私が聞いた話を、私の考えも盛り込みながらまとめてみたいと思う。少し長くなりそうなので 、また明日。
149. 選挙について(2)=『「非国民」手帖』を読む(31)
投票率を憂う
2005年1月10日(月)

 選挙についての「冷徹な考え」の見本がやはり「撃」の中にあった。私は次のような 現実認識の方に大いに共感を覚える。



俎上の鯉:選挙の投票率についての政府官房長官の談話
料理人 :歪
料理記録日:96年12月号


 ちぇ。何だい。この衆院選投票率は。どうなってんだか、この国は。せっかく、参院選で は五割を切ったのに、また六割も行くか。
 もっとも、テレビや新聞では投票率の低さを嘆き、無関心層の増加を憂いている。その尻 馬にのっかって調子づく政治家もいる。
「投票に参加してくれた人が主役であり、投票をサボタージュした人を私は正当に評価した くない。」 (梶山静六官房長官 10/22朝日新聞)
 こちとら、個人の利害や欲望を国家を媒介して成就させようとする、投票者のいじましさ こそ、《正当》に評価したくないがね。
 政治評論屋や政治屋は、《政治》が《生活》を支えていると思っている。これは全く転倒し た発想である。なるほど彼らは政治を飯のタネにしているだろうが、それはてめえの方の都 合だ。《生活》があってはじめて《政治》が存在する。《生活》の方が《政治》よりも幅が広い のだ。《政治》なんぞに無関心でいても、投票に行かなくても、とやかく言われるいわれはな い。政権は、選挙こそが正当性の証しであるから、国民に投票を要求する。たとえ反対党に 投票したとしても、投票とは政権を認証する行為である。
 選挙を通じて国政に民意が反映する、という神話は、あるフィクションを前提としている。 それは、個々人が一票というかたちで平等な権利を有している、ということだ。
 しかし、政治的平等は市民社会における不平等に裏打ちされている。
対等な個々人の主体 的な判断によって、政治の動向が決せられるなんて全くのうそっばちだ。政治を左右してい るのは、企業献金の多寡であり、労組や宗教組織の動員数であることは明白だ。組織票より 浮動票の方が多いはずだ、てか。カネもヒトもなくてどうやって票を獲得するのか。社会的 不平等の中にこそ、《政治》の決定要因があるのだ。
 投票しなければ、《政治》に参加できないなんて、強制された錯誤に過ぎない。
政治的表現の方法はもっと豊かだ。

 筆者は「政治的表現の方法はもっと豊かだ。」と言っている。次回はその方法を探ることにもなる はずだ。
148. 選挙について(1)
2005年1月9日(日)


 朝日新聞(朝刊)が1月6日から「新年 日本の皆さま」と題するインタビュー記事の連載を始めた。 2006年を政治決戦の年と捉え「次の時代の政治に何が必要なのか。私たち はどこに目を凝らせばいいのか。」をテーマに、いわゆる識者に聞くという趣向だ。

 トップバッターが塩野七生さん。塩野さんの著書の基調にある人間に対する価値観は、「みずから おかれた状況を冷静に把握し、果たすべき役割を完璧に遂行」できる英雄的な人物が最も価値ある人 間というものだ。上記のインタビューでも「ストラテジー」を キーワードに次のように論じている。
 
 この英語の語源は、ギリシャ語でもラテン語でも「ストラテジア」ですが、この言葉は元々、 「困難な状況に直面した時に求められる能力」を意味していました。つまり「ストラテジア」とは、 軍事面に限った言語ではないということです。
(中略)
 これからの日本を決めるのは、今までのように「ストラテジー」を戦争用語と思いこんで拒否し 続けるか、それとも困難な状況を前にそれへの打開策と考えて重要視するかではないでしょうか。
 高度成長など夢になった今、これまでのように無駄をまき散らすことは、もはや我々には許されま せん。ならば、持てる力のすべてを活用するしかない。「ストラテジー」とは、現実を直視した冷 徹な考えとその実行でもあるのですから。

 この見解については、言うように「現実を直視した冷徹な考えとその実行」が軍事行動を意味する のではないのなら、異論はない。しかし「現実を直視した冷徹な考えとその実行」というときの 肝心の「現実」を見誤っていては話にならない。ブッシュの蛮行もコイズミの失政も「現実」を読み そこなったための愚行だろう。

 インタビューの応答は、この後政治のファクターを政治家とメディアと有権者の三者に分けて、 それぞれに対して注文をつけている。そのうちの有権者への注文はこうだ。

 -最後に有権者への注文を。
 政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることです ね。それよりも、民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識すべきです。政治の担当者を生か すも殺すも有権者しだいと思い、その権利を活用すべきです。
 そのための手段は何かと言うと、選挙、そしてスキャンダル。選挙については説明するまでもな いでしょうが、スキャンダルも有効な手段であることに変わりはありません。(後略)

 私には現実が見えていない者の虚妄の言論の見本のように思える。
 「民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識」すればするほど、現実の「民主政治や主権在民」が 虚妄である現実がいよいよ明らかになる。有権者に「政治の担当者」の生殺与奪の力などありはしない。 「選挙」そのものが虚妄なのだ。

 マッチョな人物への傾倒が塩野さんの目線を支配者の側に偏らせている。弱者への視線が乏しい。 「ストラテジー」も弱者への確かな目配りを欠けば単なる英雄崇拝主義でしかなく、危険極まりな い。イシハラのような時代錯誤の愚劣なヤツを担ぎ出してしまう。
 塩野さんが見ている現実は支配階層が企図し流布している虚構でしかない。なぜなら、私たちが 現在手にしている「民主主義」は社会的不平等の上に成立する政治的平等の制度でしかないのだから。

 昨日、「新年 日本の皆さま」の第三回が掲載された。矢作俊彦さん。
 矢作さんの次のような現実認識の方が、私には「冷徹な考え」だと思える。

  ただ最近、案外この国では個人も国家も自立してない方が心地よいのかも知れないと思うことが あるんです。自己責任なんて言葉もそうですが、あれは「非国民」や「売国奴」のような、今使う に使えない禁句の代用として国と国民、双方から選びとられたんですね。
 民主主義も、象徴天皇制なんて言葉も、何かの「お見立て」なんです。この国の近代では、すべ ての言葉が、何かの代用品だったのではないか。
147. 辺見庸さんの教育論議(3)
2005年1月8日(土)


建前でないリアリティが人の心を動かす
 ある付属の私立の女子中学に呼ばれたんです。
 そしたら20人くらい呼ばれているんですね。作家でしょ、弁護士、消防士、ボランティア、障害者 といろんな各層の人を呼んで、その人たちに話を聞きたいというのは先生が決めるんじゃなくて、 生徒が決めるんですよ。先生はいっさい介在しない。司会進行も生徒達がやる。
一時間ぐらい自分の仕事を語らせて、生徒達に質問攻めですよ。見事だと思いましたね。

 でもこんなことは考えてみればどこでもやっていいじゃないですか。いろんな他者、世代、いろん な境遇や経験をそこに持ってきてね。それを強制じゃなくて生徒の好奇心に預けている。仮にまとま りがなくてもかまわない。集まりの少ないところは3人ぐらいしか生徒は来ない。たいていの学校だと せっかく来ていただいたのに申し訳ないといって平均的にするじゃないですか。
 これはおもしろいですね。例えば刑事呼ぼうとか、自衛隊呼ぼうとかそういうふうになるわけで しょう。

 また、あらかじめ学校側が用意したつまらない質問もなかったのでなお良かった。「あんたいくらも らってるの」とか「浮気してないか」とか言うほうがよっぽど面白いじゃないですか。これはそのまま 公立校にも適用できるんじゃないですか。生徒は通常の授業で学ぶ何倍もの量の世界に対する好奇心と かを持つわけです。
 アフリカの子どもの話とかをすると、突然泣きだす子とかもいて……。すごいなと思いました。心の 共鳴板だなと。

 この学校の教師のように、制度とは関係なく子どもの心も精神も開放しようとしている人たちの営為 っていうのは素晴らしいと思いますね。
 それから、学校としては見事なことをやっているんだと。生徒達も生き生きしている。先生達も生き 生きしている。そういうところを見たいですよ。
 私立、公立問わずそういうのがポツポツ出てきて欲しいと思いますよね。

 ここで、「学校を開く」とは「孔を穿つ」と同意だと思い当たった。
「第9回」(2004年8月23日)で私は、辺見さんの言葉を借りて、教育現場を「孔だらけにしてしまえ」 とアジり教育現場での「孔の穿ち方」をいくつか挙げたが、このような外に向けて開く「孔」 をすっかり取りこぼしていた。

  有名人を呼んで講演会を開くと言うのはどこの学校でもやっているが、大抵はお仕着せで、生徒にとっては 窮屈で退屈だ。
 ここで紹介されているある中学校での事例は、それとは全く異なる。極めて有効な「孔の穿ち方」だ。
 どこの学校にも名を知られた卒業生が何人もいるだろう。卒業生に限るわけではないし、なによりも 生徒たちが主催すべきなのだが、卒業生ということだと生徒たちはより多くの興味や近親感を持つだろうから、 とっかかりとしては最適ではないか。
 こういう機会を多く持てると学校の風通しもよくなり、生徒たちも生き生きしてくる、先生たちも生き 生きしてくること請け合いだ。と、現役教員でもないのに、つい力が入り、楽しい光景を夢見てし まった。
146. 辺見庸さんの教育論議(2)
2005年1月7日(金)


学校の閉域性を打破すべき

 心の教育なんていうのも、国が言うことじゃないですね。個として生身の教師が自ら言うべきことで あって、国に言われてやるようなことではないと思うんですがね。
 自分の頭で考える、他と違うやり方を考えるというのが、この国では非常に弱くなっていると思うん です。不思議ですよね。誰も露骨な形で、物理的な力をもって何も規制はしてないんですよ。
 教育現場でもジャーナリズムでも多いのは自己規制ですよ。自ら無関心の沼みたいなものに入っていく というんですか。
 ただ教育現場っていうのは、マニュアルとしての教員資格しか取ってこなかったからだと思うんですね。 たとえば、途上国であるとか、伝えられていないような現場に身を置いたり、そこで葛藤を得た人たちは ちょっと違うと思うんです。大学なんて出ていなくたっていいですよ。本当の 人間的な資格を問いたい。しかし、国家はそういうことを許さないと思いますね。
 現在の教育現場は、特に東京の公立学校はイシハラが仕掛けた数々の悪法でがんじがらめのなってい る。とても難しい状況であることは承知しているが、それでも教員たちに期待したい。「自分の頭で 考える、他と違うやり方を考える」ことを放棄しないで欲しい。イシハラの教育行政がそういう良質 の教師の存在を一掃しようとしている意図が明らかであるだけに、一層「抗暴」の意志を堅くするべ きではないか。
 「抗暴」の意志を授業や特別活動に反映させることは「課題提起型教育」を推進することと同意である。 それが支配層の教育支配の意図と真っ向対立するのものであることは既に指摘した。だからそれなりの 覚悟は必要だが、だからといって支配層の教育支配の意図に唯々諾々と従っていたのでは、それでは 教師としては死体(しにたい)ではないか。
( 「課題提起型教育」については「第17回」(2004年8月31日)を参照してくだ さい。)

 学校というのは病院や監獄と同じで非常に閉ざされた空間なんです。 この閉域性を打破すべきですよ。 たとえば地域の人にもっと開放したり、地域の人を呼び込んだり。 外から見て歴然とわかるように。 先生達の顔、表情、生徒達の顔、表情、考え方なんかをもっとわかるような状態を人間的な交流のな かで作るべきです。
 逆に言えば、先生はもっと自由であるべきですよね。個性的で自由でもっと言いたいことを言うと。 はっきりいって不満を言うべきです。そういう表現力を無くしてますよ。
 総合的な学習なんていう前に、先生達がもっと教育現場の自分たちの 不満をちゃんとした表現で言えなきゃダメですよ。国に対して文部省に対して開くんじゃなくて、社会に、人間的な何かに対して門 を開くべきです。
 言い古されていることだが、生徒は人質で保護者は学校に対してものが言いがたい。 そういう意味で学校はズーッと閉じていた。その中で教員は安閑と惰眠をむさぼっていた。 そのツケを支払うときが今きたのだ、といったら言い過ぎだろうか。
 まずは生徒と保護者に対して開くべきだろう。今学校が追い込まれている苦境を共有し共闘するため の第一歩として。

   そしてさらに、「教育現場の自分たちの不満をちゃんとした表現で言」って欲しい、もっと現場の 酷い状況をを積極的に発信して欲しいと、これも繰り返し訴えてきた。一般の人に教育現場の声がほと んど伝わってこない。職員会議がどのように進められているのか、具体的な場面で校長や教頭がどんな 言動で教員や生徒に相対しているのか、授業のやり方や内容にどんな干渉を受けたか、など具体的な事 例をどんどん公開すべきだ。「国に対して文部省に対して開くんじゃなくて、社会に、人間的な何かに 対して門を開くべきです。」
145. 辺見庸さんの教育論議(1)
2005年1月6日(木)


 辺見庸さんの近況を求めてインターネット内をさまよい歩いていて、余禄を得た。
 
教育情報誌「みらい」のホームページ

が過去の記事を公開している。その中に1999年秋季号での辺見さんへのインタビュー記事があった。
 1999年。折りしも「ゆとり」をプロパガンダに、「総合学習」を目玉商品にして打ち出された新学習指導要領に 教員たちが振り回されていた。その「総合学習」についての特集で辺見さんが質問に応答している。 適時私の感想を入れながら、それを読むことにする。



お門違いな「総合的学習」論議

地下鉄サリン事件の時、偶然電車に乗りあわせた辺見庸氏は報道の偏りを指摘。
苦しんでいる人をまたいで、表情一つ変えずに会社に向かう人たち。
この異常な光景をメディアはほとんど映し出さなかったという。
人間を中心に視点を置く氏に、今回の学校教育の動きについて聞いてみた。



人間的な危機にさらされている現代
 私はあまり制度としての教育を額面通り信じていないところがあるんです。システムとして十把一 からげに語るときに、そのシステムがいいとか悪いとか言いますけど、それを適用したり、応用した り、援用したりする生身の先生がいらっしゃる。ですから子どもたちにとっては、とても良い先生に あたるときと、とんでもない先生にあたるときと、むしろそちらの方がよほど重要ではないか。

 元教員としては穴があったら入りたい思いがする指摘だ。しかし幸いなことに私は高校生相手だった。 高校生ほどになれば十分な批判力があるから、私が「とんでもない先生」だったとしても余り大きな悪影響 を生徒に与えることはなかっただろう。あるいは反面教師として役立ったかもしれない。

 小学生や中学生の場合は、教員の質は深刻な問題になりかねない。私の娘が小学生のときに 「とんでもない先生」がいた。
 「お前たちの頭はピーマンだ」(中身が空っぽだ、ということ)が口癖で、子どもたちを精神的 に傷つけることを平気で言ったりやったりした。母親たちが「私たちはピーマンを育てた覚えはあ りません」と抗議に行ったが、馬耳東風だった。
 毎日日記を書かせ、それに目を通しコメントを添えてくれるのだが、そのコメントがまたいただ けない。本人は一生懸命子どもに応えようとしているのだとは思うが・・・

『今日はお母さんと妹とコーヒーゼリーを作りました。とてもおいしかったです。』
コメント:私は、コーヒーゼリーは甘いので嫌いです。

『今日はお餅つきをやりました。つきたてのお餅でいろいろな形を作って食べました。』
コメント:私は食べ物で遊ぶのは好きではありません。

 こんな調子であった。

 最近先生に接する機会もあるんですが、初等教育から高等教育を含めて、教員の側が人間的な魅力 を著しく欠いている。これは、かつてない。戦後日本の中でも、これほど教員に魅力のない時代はな いんじゃないか。つまり制度上の危機ではなく人間的な危機にさらされているんですよ。
 しかし、先生達に人間的な責任を求めてもしょうがない。時代なんだろうなと思います。 個性とか、生身の臭いをこそぎ落とした人たちを、80年代から90年代に かけて一生懸命作ってきた。その人たちが今先生をやっているんですね。自分が生きてい ることに対して訴えるべき何物も持っていない。

 「教員に魅力のない」なんて言われると、またしても穴を探してしまう。しかしこう度々の懺悔は 見苦しいから、自分のことは棚に上げて進めよう。

 支配層はそれぞれの時代状況に応じた労働力育成という機能を教育に求める。支配層にとっての 教育とはそれに尽きると言ってよいかもしれない。
 労働力に「個性とか、生身の臭い」など必要はない。教育の主流は当然「銀行型教育」である。 ここでも「銀行型教育」の成果が現れていると言うべきか。
 「自分が生きていることに対して訴えるべき何物も持っていない」のなら、「日の丸・君 が代の強制」のような思想弾圧もすんなり受け入れてしまうだろう。
(「銀行型教育」については「第15回」(2004年8月29日)を参照してくだ さい。)
 本来は総合的な学習のマニュアルやガイドラインを作ってくれなんて言ってるより、そっちの方を なんとかしたほうがいい。そりゃ若い世代というのは我々と食ってるものから、生きてきた環境から すべて違うとはいえ、同じ人間である以上、懸命に魂に訴えかけようとする人間ていうのはわかるん ですよね。感応するっていうかね。

 ベテランの教員から物言わぬ若い教員についての愚痴を聞かされることがままある。 これの対処は、「個性とか、生身の臭い」や「自分が生きていることに対して訴えるべき」なにかを 持つ教員たちが、不断に働きかけるほかないないのだろう。

 だいたい「総合的な学習」とやらが導入されると、即その「マニュアルやガイドラインを作ってくれ」 なんてまったく情けない発想じゃないか。
 「心のノート」が配布さて「『心のノート』のマニュアルやガイドラインを作ってくれ」なんて 言ってるんだろうか。
144. さらば朝日新聞&辺見庸さんの近況
2005年1月5日(水)


  昨年末、辺見庸さんの「抗暴」の言説の対極にあるようなふにゃけて気持ちの悪い言説の見本に であった。朝日新聞(12月31日付)の「天声人語」の一節。
 行く年の最後の新聞に皇族の婚約内定が載っている。2度の延期を経ての会見を吾輩も見た。ゆ かしさとともに、どこか懐かしさも感じさせる紀宮さまと、きまじめさの奥にちゃめっ気がのぞく 黒田慶樹さん。久々に、ほっとした。

 「天声人語」も落ちたものだ。この尻尾の振りようの卑屈さ、いやらしさはどうだ。臆面もない 「さま」と「さん」の使い分け。こういうことになんの引っかかりも感じなくなった脆弱な言語感 覚と奴隷根性。へどだ。こういう手合いがマスコミでのさばっている。辺見さんがメディアの 「ペン部隊」化を嘆いていたが、ますます状況は悪化している。


 もちろん、これは「天声人語」の筆者だけの問題ではない。この日の朝日新聞の紙面は一面と社会 面と見開き2ページの特集と、あわせて約3ページほどを「皇族の婚約内定」に割いている。全く読む 気の起こらない、読む価値のない記事を3ページも。あきれると同時に、40年来購読してきたがほとほ と愛想が尽きた。


 さて、昨日来、久しぶりに辺見さんのことに触れて、その後の消息を知りたくインターネット 内をさまよい歩いてみた。ぶつかりました。2004年10月10日付の東京新聞の書評らんに 辺見さんの近況が報じられていた。


死にぞこないは書き続ける

講演中に脳出血で倒れ半年あまり。奇跡的に回復し、ひとりリハビリに励んでいる。

 「世界というものを制覇しつつある側が〈健常〉を僭称し、言いつのり、我々の多くも その幻想の中で生きているが、健常じゃないことの公正さってあるんだね。誰しもが次の 瞬間倒れるかもしれないんだから。健常幻想のもつ暴力は恐ろしいとつくづく思った。 〈健常〉はほとんど暴力と同義なことがある」

 初の小説集は倒れる前からの企画である。米英の非道に対し、時にはデモにも立った作家が、 紛うかたなき文芸の人だと分かる。書家石川九楊の作品を表紙に使った『銀糸の記憶』と 『闇に学ぶ』の静かな二冊。

 「年も年だし、『もの食う人びと』から十年という節目の年でもある。自分のこれまでの 乏しい実像と向き合おう、魂に触れる文芸の仕事を正視しようと思ったのです」

 芥川賞作品の『自動起床装置』、映画になった『赤い橋の下のぬるい水』など小説や幼い日々 を送った海辺、戦乱のアフガンを書いたエッセーなど七十五作を収録。

 ところで、懸案の長編はどうするのか。

 「残された人生はかなり短いと思う。人を殺すこと。個人が人を殺す、あるいは世界が人を殺す。 そんなテーマにますます興味がある。書いては消すというのを繰り返してきて、悔しくてしょうが ない。未完になるかもしれない。しかし、僕は死にぞこないだから、書きつづけるしかない」

 『辺見庸 掌編小説集』白版/黒版
   角川書店・各二六二五円。
            (中村信也)


 完全復帰を心から願っています。
143. 『「非国民」手帖』を読む(30)
より激しい《暴力》を
2005年1月4日(火)


俎上の鯉:《自由》な言論が決定的に不在しているメディア
料理人 :歪
料理記録日:04年2月号

 《自由》な言論は、それを展開する場が休止したからといって、消失してしまうわけではない。 場の性格によってのみ言論の《自由》が保障されているのではなく、言論は言論によっていつ でも《自由》を獲得し得るはずだ。にもかかわらず、おびただしく氾濫するメディアを見渡し ても、《自由》な言論が決定的に不在であるとしか映らないのはなぜか。
 政治的権力の弾圧や商業的論理による抑圧は常に、言論の《自由》の前に立ちはだかる。こ うした可視的に出現する敵対者を想定することは容易い。しかし、外的な強制力には《自由》 な言論を本質的な意味で葬り去ることはできない。むしろ、弾圧や抑圧が明確に立ち現れてく ることで、言論の闘いがより深まり、《自由》の輝きが増すということはままある。
   言論の《自由》がほんとうの意味で危機に直面するとしたら、それは必ず言論の内部から訪 れてくる。法や道徳や、習慣、宗教など、日常の生活の中で醸成される規範意識に馴致され、 言葉もその足伽に繋留されてしまう。そのような制約に絡めとられていくことこそが、言論の 《自由》を危機の淵に追いやるものなのだ。
 いま直面している言論の《自由》の危機とは、表現する側の内部が規範の制約に幽閉されて いることに無自覚であることなのだ。
 自由を問う姿勢だけが自由を保障する。
 《自由》な言論とは、出来合いの構図の中で《反体制》的位置取りができるかどうかというよ うなこととは無縁である。読む者を既成の枠組みから解放し、新しい思考を可能にすることこ そが、言論が《自由》であるということに他ならない。
 《自由》な言論は必然的に、規範に敵対し、秩序を攪乱し、法を犯す。だからこそ、いま《自 由》な言論が要請される。
 世界に暴力が充満し、日本という国家も軍隊を派遣することで、より暴力を昂進させようと している現在、こうした暴力に抗する、より激しい《暴力》を準備しなければならない。 政治的な暴力を政治的な暴力で根絶することはできない。既成の言語を、既成の思考を破壊する《暴 力》的な言論こそが、現実の、政治の暴力を粉砕する。

 04年4月号で「噂の真相」は休刊している。その休刊を意識した書き出しとなっている。
 これまで見てきたように「撃」の言論は、ますます悪辣であからさまになる政治的な暴力に、 真に抗するといえる《暴力》的な言論を展開していたのだ。

 もう一人、「真に抗するといえる《暴力》的な言論を展開していた」のが辺見庸だ。
 政治的な暴力に抗する暴力。辺見さんはこれを「抗暴」と言っている。

『抗暴』(カンパオ)・・・反動的暴力に抵抗し反撃する(中日辞典)

すでにして国家暴力は連鎖的に膨らみ、拡大し、移動し、拡散しつつある。 有事法案もまた国家暴力の典型である。イラク戦に刺激されたタカ派たちは 法案採択に向けてなりふり構わない動きにでている。この流れに従うか (あらが)うか。絶対暴力を黙認するのか、それに抵抗するのか。 これからは日常の何気ない風景のなかで大事な選択が迫られるだろう。だから、 「抗暴」(カンパオ)を私は意識する。この言葉は国家暴力に対する熾烈(しれつ )な抵抗の経験を欠くこの国の辞書にはない。単に心のなかで暴 力を忌み嫌うということではない。抗暴は意思的な抵抗であり、反撃である。
(中略)
 まさに歴史は(むご)いほど徹底的だ。この果てしなく長い ドラマにあっては、9・11は序幕、アフガン攻撃は第二幕、現在はせいぜいがまだ第三幕だ。 暴力はもっともっと吹き荒れるだろう。抗暴の意思と力がいよいよ問われる。」

 辺見さんがこのように書いたのはほぼ3年前である。そのとき以来「暴力はもっともっと 吹き荒れ」て、なおとどまることがない。しかも反撃の力はかぼそい。

 私はあまりにも悲観的過ぎるだろうか。
142. 詩をどうぞ(11)
2005年1月3日(月)


 前回のテーマを詩で読んでみる。もちろん、胸に《反対》の赤き烙印を押された漂泊の 詩人・金子光晴だ。「反対」と「おっとせい」


   反対

僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府も反対であり、
文壇画壇にも尻をむけている。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答えよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西にゆきたい思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で、
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。



  おつとせい

一
そのいきの臭えこと。
くちからむんと蒸れる。

そのせなかがぬれて、はか穴のふち
 のやうにぬらぬらしてること。
虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、
おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かつたるさ。
いん気な弾力。
かなしいゴム

そのこころのおもひあがつてること。
凡庸なこと。


菊面(あばた)。
おほきな陰嚢(ふぐり)。

鼻先があをくなるほどなまぐさい、
 やつらの群集におされつつ、いつも、
おいらは、反対の方角をおもつてゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画(フイルム)でみる、
アラスカのやうに淋しかつた。


二
そいつら。俗衆といふやつら。

ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー
 ・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。

バタビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしゃぺり)で
かきまはしてゐるのもやつらなのだ。

(くさめ)をするやつ。
 髯のあひだから歯くそをとばすやつ。
 かみころすあくび、きどつた身振り、
 しきたりをやぶつたものには、おそれ、
 ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)だ
 とさけんで、がやがやあつまるやつ。
 そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めうと)だ。
 権妻だ。やつらの根性まで相続(うけつ)
 ぐ忰どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。
 あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。
 そして、かぎりもしれぬむすびあひの、
 からだとからだの障壁が、海流をせきと
 めるやうにみえた。

おしながされた海に、霙のやうな陽が
 ふり濺いだ。
やつらのみあげるそらの無限にそうて
 いつも、金網(かなあみ)が
 あつた。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だつた。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船
 が氷をたたくのを
 きいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれと
 ひれとをすりあはせ、どうたい
 を樽のやうにころがしたり、その
 いやらしさ、空虚(むな)し
 さばつかりで雑閙しながらやつら
 は、みるまに放尿の(あわ)で、
 海水をにごしていつた。

たがひの体温でぬくめあふ、零落の
 むれをはなれる寒さをいとうて、
 やつらはいたはりあふめつきをも
 とめ、かぼそい声でよびかはした。

三
おお、やつらは、どいつも、こいつも、
 まよなかの街よりくらい、やつらを
 のせたこの氷塊が、たちまち、さけ
 びもなくわれ、深潭のうへをしづか
 に辷りはじめるのを、すこしも気づ
 かずにゐた。
 みだりがましい尾をひらいてよちよ
 ちと、やつらは氷上を匐ひまはり、
 ………文学などを語りあつた。

うらがなしい暮色よ!
凍傷(しもやけ)にたゞれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい影を曳き、
 みわたすかぎり頭をそろへて、
 拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、
 侮蔑しきつたそぶりで、ただひとり、
 反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おつとせいのきらひなおつとせい。
だが、やつぱりおつとせいはおつとせいで
ただ「むかうむきになつてる
おつとせい」
141. 『「非国民」手帖』を読む(29)
赤き烙印を受けた者たちへ
2005年1月2日(日)


俎上の鯉:いわゆる《大衆》すなわち私たちだ
料理人 :歪
料理記録日:04年4月号


 「なにしに生れてきたと問はるれば/躊躇なく答へよう。反対しにと」とうたった漂泊の詩人。 間違いなくその胸には《反対》の赤き烙印が押されていた。
 同様に赤い烙印を受けた者たちが、叫びを呑み込んだまま、互いを血族とも気づかずすれ違 いながら、彷徨している。ほら。疼きのなかで赤い文字が浮かび上がってくるのを感じないかい。
 そう。テーマはいつも《権力》をどうぷっ叩くかだ。
 攻撃力は、憎悪の深さとパンチを繰り出すリズム感が左右する。
 で、問題は結局《権力》って何だよ、ということに帰結する。
権力者と支配される無垢な大衆という三流《左翼》的な図式。あるいは、投票で選ばれた市 民の代表が政治を司るという能天気な《民主》的図式。こうした平面的な《権力》観とは訣別 しなければならない。
 下から権力が組織される上向の過程と、上から《権力》が支配する下向の過程を、統合 的に把握する必要がある。実体としての敵を求めるのは安易な方途だが、媒介的な関係として しか《権力》は存在していない。
 したがって。批判の対象としては常に回避され、隠蔽されているもの、ここまで射程を有さ なければ《権力》には届かないのだ。それは《権力》を支え、それにすりよることで、暗鬱な 欲望を満たそうとするものたち、つまり《大衆》だ。
 おまえの《敵》はおまえだ。だから、わたしの《敵》はわたしだ。坊主懺悔としてではなく、 外部と内部の《敵》を同時に撃つために、《闘争》は言語による批評という形態を必然的に招来 する。そして言語の《闘争》は《政治》の枠を超えて、《文化》へと拡大し、生活の中で全面化 する。
 赤き刻印を負った者たちよ、《闘争》は可視に、不可視にすぐそこで展開している。
 この《闘争》は永遠だ。何も終わってはいない。終わらせるためには、はじめなければなら ない。
何のためにか、つて。叫びを解き放つために、だよ。

十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
おまえの《敵》はおまえだ。だから、わたしの《敵》はわたしだ。外部と内部の《敵》を同時に 撃つために、《闘争》は言語による批評という形態を必然的に招来 する。そして言語の《闘争》は《政治》の枠を超えて、《文化》へと拡大し、生活の中で全面化 する。

  「121回」(12月13日)で書いたものを再録する。

 『日常の生活とは国家意思の反映であり、規範意識の馴致過程の謂いである。「空虚な泰平に埋没する」 とはその日常になんらのささくれだちも感じなくなることである。それは支配権力への服従へ 通じるネットワークに絡めとられたことを意味する。そして、日常生活において感じるささくれだちを 掘り下げていく営為を「懐疑の精神」と言っていると思う。』

 「下から権力が組織される上向の過程」とは規範意識に馴致された大衆の日常生活が権力を支える過程 であり、 「上から《権力》が支配する下向の過程」とは国家意思が日常の生活に浸透してくる過程である。
 したがって、日常生活の中で全面化されるような言語による闘いとは、日常の生活で法や規範や四角な しきたりを強いられたり、それに抗ったりするときに「感じるささくれだちを掘り下げていく営為」 にほかならない。