2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
78. 「哲学について」
2004年10月31日


 天本英世著「日本人への遺言」より。

 『哲学とは、難しい学問ではない。
 人間とは何だ、自分とは何だ、自分は何のために生きているのだと考えることが哲学で ある。
(中略)
    哲学というのは、勉強して学ぶものでは決してない。
 どんな環境に生まれようが、どんな職業に就こうが、本を読もうが読むまいが、つまり、 自分で考えない人間には哲学がないのだ。
 自分を知り、自分の足元を見て、自分で考えて生きている人間には、哲学がある。
 どんな職業の人間であろうが、立派な哲学を持った人間はいるし、出世のことしか考え ていないような大学教授などには哲学がない。
(中略)
 日本人には哲学がなくなってしまったのである。
 日本人に哲学がなくなった証拠として、宗教団体の蔓延がある。
 日本人は、オウム真理教の信者のことを、あんな簡単に洗脳されてバカだなと笑ってい る。あんなくだらない宗教に若者が簡単に洗脳されて、高学歴の人間までが洗脳されて殺 人を犯したことに呆れ、戦いている。
 しかし、日本人には、彼らのことを笑う資格はない。
 戦争中の日本人は、天皇のために死ねといわれ、自分の頭で考えることを禁止された。  日本人が生きているのは、天皇のためであると洗脳された。
 戦争のことを知らない日本人に、いくら話しても理解してもらえないが、あの戦争中の 日本は、日本人全体が、天皇を中心としたオウム真理教の恐怖政治の中にいたようなもの だといえば理解してもらえるであろうか。
 戦争中は、日本教に一億の人間が洗脳されきっていたのだ。オウム真理教と全く同じで ある。
 しかし、戦争が終わって、洗脳から解かれたはずの日本人は、またしても同じことを繰 り返している。平和になって何も考えなくなると、そして考えて不安になると、すぐに宗 教団体に入るのだ。
 なぜ日本人が簡単に宗教団体に入るのか。それは、精神的にラクだからである。団体の 中に入っていればラクなのだ。軍隊もラク、宗教もラク。団体の中に入れば、命令で動い ていればいい。人から訓練してもらえばいい。人にいわれたことを実践していればいい。  個人の哲学のなさが、日本にかくも宗教を蔓延させた原因だ。
 日本人は考えなくなったのだ。』


 オウム真理教に最も深く取り込まれていったのは高学歴の者たちだった。彼らは 高学歴だが、自分で考えるすべを持たなかった。銀行型教育の優等生の典型だ。

 天本さんは「戦争中は、日本教に一億の人間が洗脳されきっていたのだ。」と書いているが、 大人たちは案外に信じた振りをしていただけの者が多かったのではないか。高学歴で半端な 知識人ほど真面目に洗脳されていたようだ。
 私は「68.非国民について(2)」で「天皇教に最も洗脳されやすいのは教師ではないかと、 私は思っています。そして洗脳された教師が最も忠実な布教者になります。」と書いた。
 教育界への度重なる弾圧(そのうち取り上げてみたい。)の影響が大ではあるが、真っ先に 洗脳されたのは教師たちではなかったか。
 その教師たちの体罰と威嚇によって天皇に対する畏怖(と言うより、むしろ恐怖)の心を植えつけられ た「少国民」たちが、最も純粋な天皇教信者であった。まさに「天皇のために死ねといわれ、自分の 頭で考えることを禁止された。日本人が生きているのは、天皇のためであると」心から信じ込まされ ていた。

 上記のことに関連して、中山恒「ボクラ少国民」よりエピソードを三つ。

 『「礼法要項」に「新聞・雑誌に謹掲された皇室に関する御写真はその 取扱に注意し、不敬に捗ることのないようにする」というのがあり、新聞の天皇の写真で生徒は、喩 え直接自分自身の責任でないにもかかわらずしばしば教師から懲罰をくわされた。
(中略)
 やはりそのころ、天皇の写真のついた新聞紙に弁当をくるんでいき、教師に注意され、家 へ戻ってそのことをいうと、彼の父親はそれを裁ち鉄で切取り、「便所へ入れちめえ!  チンカクシっていうぐれえだ」と駄洒落てみせたそうだ。もちろん、そんなことが公にな ったら、どえらいことになる。しかし、この話のおかしさは戦後派にはわからないかも知れない。

 また、近衛兵の間では、天皇陛下を「ヘソ」という陰語で呼んでいたという。「ヘソ番」など というのが公然といわれていたということである。「へソ」というのは謎かけの解で、その心は 「あってもなくてもいい」もしくは「キン上へイ下」というのだそうである。

 やはりその頃、百姓のおやじが学校帰りのぼくらをつかまえて
「チン思ウニ屁ヲタレタ爾臣民クサカロウ国家ノタメダガマンシロ鼻ヲツマンデ御名御璽」
とやって、ぼくはど胆を抜かれたことがあった。

 こうしてみると、どうやら、ぼくら子どもたちだけが、ひたすら天皇陛下を敬い奉るように 厳しく躾けられ、おとなたちはそのばかばかしさを見抜いていながらも、それをぼくらにだけ 押しつけたらしい。その意味でも、<ボクラ少国民>は最大の被害を蒙ったことになる。』
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77. 米長の憂鬱
2004年10月30日


 実は昨日は、朝日新聞朝刊に報道された宮内庁主催の園遊会の記事を取り上げようと思った。新聞の次に インターネットの「お気に入り」に目を通すのが私の朝の習慣になっているが、私が新聞を読み終わったと きには(これも習慣で私は朝寝坊している)、例によって既に「澤藤統一郎の事務局長日記」が ちゃんとそのことを取り上げていた。

 しかし、私のホームページにもその記事を記録したいので、私なりの視点から取り上げることにする。
 まず記事の取り上げたい部分。

『 天皇陛下は園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から 「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけ られた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうご ざいました」と答えた。』


 石原の腰ぎんちゃくの6バカ都教委の代表として、よくバカさ加減を露呈してくれた。
 米長の発言は、その意図するところを私が翻訳すると、
 「私は陛下の忠実な臣下です。私の仕事は御意に沿ったものと確信いたします。このように 忠勤いたしております。」
となる。おべんちゃらを言って、激励かお褒めの「お言葉」でもいただけると思っていたのか。

 それに対する天皇の発言について、澤藤さんは「天皇が政治的な発言をしたことに ある。国旗国歌問題について、天皇がものを言う資格など全くないのだ。自ら望んだ 会話ではないものの、出過ぎた発言である。」と釘を刺してる。法的にもっともな指摘である。

 しかし私は、天皇の衣を剥ぎ取った明仁という一人の人間としての意見なら、 帝王学で育てられたにも拘らず、ごく常識的な感性の持ち主で、ごく当たり前の常識的な意見を述べており、 なんら問題はないと思う。
 また、明仁を天皇の衣をまとった存在としか見ることができない天皇教の信者たちにとっては、水を浴びせ られるような発言で、バカどもの頭を冷さす効果が少しはあるかもしれないと思っている。

 一方、次のようにも思う。
 明仁は本人の意志に関わらず、社会的には天皇の衣をまとった者としてしか在り得ない。 とすると、「強制になるということではないことが望ましい」という発言は、自発的な日の丸 掲揚・君が代斉唱を期待している意味に取れ、明仁は「君が代」の意味が指し示す当事者なのだから、 まさに厚かましい発言だ。
 強制であろうと自発的であろうと、私は君が代を歌わない。(過去にブギ調君が代を歌ってしまった 前科があるけど)
 いずれにしても、天皇がこの程度の事さえ自由に発言できない境遇にあるとすれば、その人と しての在りようを実に気の毒に思うほかない。けだし、日本不自由・不平等国家の象徴としてふさ わしいと言うべきか。

 天皇の言葉に対する米長の応答がまた振るっている。得意満面で伝えた自分の仕事がやんわりとたし なめられたというところだが、それでも感激をしている。天皇教の信者にとっては、天皇の言葉はどん な言葉でも「本当に素晴らしいお言葉」なってしまうのだろう。あるいは単なるおためごかしか。
 「もうもちろんそう」という天皇の言葉に対する慌てふためいた相槌を、米長がどう始末するのか 見ものだ。あるいは全く意に介していなく、舌を出しているだけかもしれない。

今日は朝から仕事。今朝はさらに寝坊をして、ここまで書いて日課を果たさず 仕事に出かけた。
 仕事を終えて帰り、新聞とメールを覗いたら、この話題について、言いわけ・取り繕い・批判・ 論評の花盛り。
 「反ひのきみネット」MLに、私の感情的な罵詈雑言と違って、冷静できちんとした論理的な論考が一つ あった。それを「メールの輪」で紹介する。
 しかし、私の感情的な罵詈雑言もこの問題の一面を抉っていると思うので、一つだけ追加して、 そのままアップロードすることにした。


「反ひのきみネット」MLに、天皇と米長のやり取りの詳細が報じられていた。

 天皇:教育委員会としては、本当にご苦労様です。
 米長:はい、一生懸命頑張っております。
 天皇:どうですか。
 米長:日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます。
 天皇:ああそうですか。
 米長:今頑張っております。
 天皇:やはりあの・・・、その、強制になるということでないことがね
 米長:ああ、もう、もちろんそうです。
 天皇:望ましいと
 米長:ほんとにもう、すばらしいお言葉をいただきましてありがとうございました。
 天皇:どうぞ元気で。
 米長:はい、ありがとうございます。

 天皇のとまどいと、米長の慌て振りがよく伝わってくる。つい噴き出してしまう。 今朝書いたことを訂正する必要はないようだ。


 ところで「園遊会」って、何だ?
 なぜ税金を使ってこんなことをやるのだ?
 もう既に支配階級にどっぷり浸かっている者にとっては大親分へのさらなる服従を確認する仁義の場 だし、一心に支配階級ににじり寄ろうとしている者にとっては親分子分の固めの杯に一歩近づく ための面通しの儀式だ。
 天皇の名において出す叙勲・勲章はさしずめ固めの杯というところか。
76. 「平等について」
2004年10月29日


 天本英世さんの「日本人への遺言」から。

 『人間は、平等である。
子供でも知っていることだ。
小学生が、
「先生、人間はみんな平等ですか」
と、聞いたら、先生は、
「そうだよ」
と、答えるであろう。
「先生、では天皇陛下は一体何なのですか」
と、聞いたら、先生は言葉に窮してしまうだろう。
これはおかしなことである。
小学生でもわかる論理が、いい加減なままになっているのである。
人間は平等だと子供に教えている先生が、そして大人が、子供のこの簡単な質問に答え られないのだ。こんな国家は例がない。』



 もちろん人間は生まれながらにして、個的に不平等である。身体的・精神的・知的能力において 不平等である。
 だからこそ、それぞれの力を出し合って共生することが、全人類の重要な課題となる。 その課題は、だれもが抑圧せず抑圧されずに、自分の人生を十全に生きる権利を持つという理念に 由来する。その権利を持つ点において人間は平等である。だがその権利はいまだに充足されていない。 いないどころか、いまは、その権利はますます削り取られようとしている。

 もちろん人間は生まれながらにして、社会的に不平等である。有り余る財産と両親の手厚い保護 を受けながら支配階級を世襲する者から、生まれたときから財産も両親もなく、裸一貫で人生のス タートラインに立たなければならない者までいる。
 スタートラインは不平等であっても、自由が保障される点において平等であるべきだ。「自由」 は資本主義社会のトレードマークではなかったか。
 しかし現実は社会的地位や財産を持たないものの自由がますます侵害される方向に進んでいる。
 物質的な豊かさの面でも、持てるものと持たざるものの格差はますます広がっている。資本家 優遇の小泉ニセ改革がそれに拍車をかけている。

 憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。犯罪に因る処の場合を除いては、その意に 反する苦役に服されない。」

   いま多くの労働者は、毎日の糧を得るために、奴隷的な処遇を甘受しなければならない状況に 立たされている。
 「日の丸・君が代の強制」は、教師にとって精神上の奴隷的苦役だ。

 日本は世界に冠たる不平等・不自由国家である。その頂点に天皇がいる。
73. 『君が代問題について』(3)
2004年10月26日


 『数年前、私はこの母校に講演に行った。
 講演の前日に北九州へ帰り、その晩、校長と会った。
 私の講演は、『スペイン人と日本人』というタイトルだったので、スペインに行ったこ とがあるという先生と、教頭をやっていた私の同級生もやってきて、四人で食事をしなが ら打ち合わせをした。
 私は、講演で、天皇や君が代問題についても話すつもりだと、一応校長に事前にいった。
 校長は、なかなか面白い人物であった。
「大丈夫です、何でも話して下さい」
 彼は、こういったのである。
 翌日は高校の文化祭であった。私は体育館で、全校生徒と先生と父兄を前に、『スペイ ン人と日本人』 という講演をした。その中で、「君が代なんか決して歌うなよ」と生徒た ちにいったのである。
 先生たちは、君が代問題については敏感になっていたと思うが、次の日、校長はこうい っていた。
「天本さんがね、君が代なんか決して歌うなっていった途端にね、全校の先生が、私の顔 をぴ一っと見ましてね……」
 校長は笑っていた。
 君が代をロックにするとかジャズにするとか、そんなことの先駈けをやったのが私の母 校であったということは、私にとっては大変誇るべきことである。
 今でも、君が代反対のデモがあるなら、私は参加したいと思っている。
 先日、舞台俳優たちでつくる日本劇団協議会 (例の私の先輩・瓜生正美氏が会長) なる ものが、君が代反対の声明文を出した。千百数十人かの声明文だった。日本劇団協議会が 各劇団にファックスを送り、新劇やアングラ劇団などの劇団単位で賛同して出したらしい。
 私みたいに劇団に入っていない俳優には声がかからなかったのだが、もし私にも声をか けてくれれば、喜んで賛同したのに残念である。デモをやるという情報もなかなか入って こない。』


 この文に登場する校長を、私は面白い校長とはちっとも思わない。どちらかと言うとずるい人物だ。 「君が代なんか決して歌うなよ」というようなことを自分では言えず、教師や生徒には君が代斉唱を 強制する。
 しかし、学校にとっての部外者に対してはわけ知り顔に度量の程をひけらかす。

 校長が校長としてどんな実績を上げようとも、「日の丸・君が代の強制」に服従したのであれば、 その実績は全て無効だと思う。「日の丸・君が代の強制」の問題はそれほどの重大事なのだ。

 思い出話を一つ。
 君が代をジャズ風やロック風にアレンジする以前に、「ブギ調」君が代と言うのがあった。
 私が大学生の頃だから、もう四十数年も前になる。私の同期生に学生運動をするために入学して きとうそぶく面白いヤツがいた。授業には全く出ず、在籍可能なぎりぎりまで学生運動をすると言って、 その通りしたらしい。そいつから教わったのだと思う。
 教師になって何年目だったか、親睦のための教職員旅行の宴会で、新米教師を歓迎するとともに 幾分かいびるニュアンスがあるが、何か芸をやれと指名された。(こういう強制があるから私は宴会が嫌 いだ。)無芸の私は困ってしまった。何か出来ることがないかと思い巡らせて、「ブギ調」君が代に思い 至った。
 「では君が代を歌います。正座してください。」と私が言うと、なんと全員素直に正座をした。これにはびっく りした。
 私が歌った歌は「ブギ調」君が代。私は結構酔っていて、 目をつぶっていなければ恥ずかしくて歌えないので、目をつぶって歌い、歌っているうちにさらに酔いが 回って、そのとき宴席の皆さんがどんな顔をしたのか、全く記憶にない。
 私が歌った歌は、笠置シズコの「東京ブキウキ」調で歌う。こんな具合だ。

 きみがよおおは ちよにやちよに さざれいいしがごろごろ おどれおどれてんちゃん  こ・け・の・む・す・ま・で ヘイ!
74. 『君が代問題について』(4)
2004年10月27日


 『君が代問題というのは、本当に大変なことなのである。
 政治家たちは、自分たちが大変なことをやっているという意識が全然ない。
 日本を、戦争中の日本に引き戻そうとしているとしか思えない。
 今の日本人にはエネルギーがないが、エネルギーを取り戻して、闘うべきである。
「それなら俺は非国民になるぞ」とか、「君が代なんか絶対歌うもんか」とか、そんな元 気を出してほしい。
 私にとって君が代というのは、忌わしい歌なのだ。
 あの戦争は正しかったといえるのか。
 もし、君が代なんて決して歌わないという日本人と、君が代を歌いましょうという愛国 者を気取った日本人とが、真っ二つに分かれたら、これは民族紛争へと発展する大問題な のだ。
 朝鮮戦争やベトナム戦争やスペイン市民戦争みたいなことになりかねないのである。
 しかし、政治家たちは、日本人にそんなエネルギーがあるわけないとたかをくくって、 決してそんなことになるなどとは夢にも思ってはいないだろう。
 日本人はかくもなめられているのだ。バカにされているのだ。
 君が代問題は、戦後の日本の最大の問題である。これからもずっと日本人の上にのしか かってくる問題である。
 ここで日本人が目を覚まさないと、日本は永遠に呆け民族のままであろう。』
(この項終わり)

 「民族紛争」と、不用意な言葉を使っているが、「内乱」と言う意味だろう。
 「君が代なんて決して歌わないという日本人と、君が代を歌いましょうという愛国 者を気取った日本人とが、真っ二つに分かれ」、思想戦という意味での内乱状況になっている。
 支配者対被支配者・抑圧者対被抑圧者の思想戦は今に始まったことではないが、今回の「日の丸・君が代の強制」 の問題は「日本の最大の問題」であると、私も思う。最もよく闘っている人たちは04年~05年を「決戦」の時 と呼んでいる。

 前回、私は『校長が校長としてどんな実績を上げようとも、「日の丸・君が代の強制」に服従したので あれば、その実績は全て無効だと思う。「日の丸・君が代の強制」の問題はそれほどの重大事なのだ。』 と書いた。
 「日の丸・君が代の強制」問題で×点だと全て×点だなんて、とても乱暴な論理だ。誰かがそんなことを 言ったら、私はくってかかるだろう。それを承知で、それほど重要な問題なのだという比喩として言っ ている。
 ところが敵は、その乱暴な論理を本気で実行しようとしている。「普段どんなによい教育・よい授業を して、どんなに生徒や父母に慕われていても、そんなことは関係ない。都教委や校長に逆らえば、 異動・昇給延伸の対象者だ。」というようなことを言っているヤツが何人もいるという。

 これではほんとうに文字通りの「内乱」しか、対抗策がなくなるのではないか。

 上記の下線部分について。
 日常的に教職員の言動を細かく記録し、その記録によって、特に明確な処分としてではなく、自動的に 「昇給延伸」をするという新たな制度が、9月7日に都教委から全校長に通知されている。そこには教師 同士がチクリ合うことを期待するような意図も見られる。
72. 『君が代問題について』(2)
2004年10月25日


 昨日参加した集会について、主催者からの報告メールが早くも今朝届いていた。それを「メールの輪」 に掲載し、私の報告の荷は下すことにした。
 (今回から「反ひのきみネット」MLからの紹介メールは「メールの輪」に掲載します。今日は上記の メールのほかにもう一つかなり重要な紹介メールがあります。是非ご覧ください。)

 本題に戻り、「団体や組織のいかがわしさ」について続ける。

  「日の丸・君が代の強制」では、音楽の教師も一層苦しい立場に置かれていると思われる。 「日の丸君が代処分」(高文研)に音楽の教師・佐藤秀彦さんが一文 (「私がピアノを弾けば、生徒に歌うことを強制する」)を寄せている。 その中に「官製」研究会のいかがわしさを如実に表しているエピソードが記載されている。
 佐藤さんは卒業式でのピアノ伴奏をめぐって、毎日のように悩み、校長とのやり取りを繰り返していた。

   『そんなある日、東京都高等学校音楽研究会(都高音研)の会長名で「入学式、卒業式に おける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」という文書が届きました。卒業式をあと一 カ月足らずに控えている二月一六日付でした。そこに書かれたあった文面を読んで、私は 呆然としました。少し長くなりますが、その一部を紹介します。

 《……現在、我が国では、国歌についてさまぎまな立場からの意見があります。先生 方お一人一人も、国歌に対してさまざまな思いがあることでしょう。また、音楽科教諭 のみなさまは、国歌を指導し、ピアノ伴奏をする当事者として、他の教科の先生方とは 比較にならない緊張を強いられる立場であることもまた事実であります。高音研会長と して、いかに各先生方を支え援助してゆくか、真剣に考えているところです。
 万一、各都立高等学校における入学式、卒業式等において、式進行の要となる音楽科 教諭が、個人的な思いにより、学校長による職務命令を逸脱した行動を取り、厳粛であ るべき式の流れを妨げるようなことがあれば、参列者の期待を裏切り、都民に対する都 立高等学校教育の信用を失墜させるばかりか、これまで、全日音研高等学校部会を牽引 してきた都高音研の成果は瓦解し、その結果、将来の都立高等学校の音楽教育の地位そ のものを危うくする行為となるでしょう。こうした混乱が、これまで営々と築いてきた 都立高等学校の音楽教育の汚点となることは、高音研会長としてまことに慙愧に耐えま せん。
 高音研の会員たる音楽科教諭のみなさま、高音研の会則第二条には、会の目的として、 「東京都高等学校音楽教育の向上発展に寄与する」とあります。この文書が、真にこの 目的にかなうものであるかどうかについては異論のあるところでしょう。しかし、こう した文書を出さざるを得ない、音楽科を取り巻く困難な状況をぜひご理解ください。そ して、小異を捨てて大同に就いていただきたいと切に願います。…以下略》

「我が国では、国歌についてさまざまな意見がある。教師だってさまざまな思いがある だろう。会長として、そのような先生方をどう享え援助してゆくか真剣に考えている」と 言いながら、その一方で、「音楽科教師が個人的な思いにより、職務命令を逸脱すること は許されない」「小異を捨てて大同に就け」というのです。なんという矛盾、なんという 混乱でしょう。私はこの文章を読んで一瞬、言葉を失いました。思えば芸術とは「個人の 思い」を最も大切にするものではないでしょうか。「個人的な思い」を音楽で、絵画で、 そして文学で表現するのが芸術だと思うのですが。 』


 なんとも恥知らずな支離滅裂のうろたえ振りだ。こっちにもいい顔を見せ、あっちにもいい 顔を見せ、「まあまあ」と言いながら、最後は結局あっちに尾を振っている。
 個人があって団体が成り立つことが逆転して、団体のために個人が奉仕することになってしまう。 大抵の団体・組織は、「国家のために国民が在る」という支配者の思想をそっくりなぞるもの に変貌してしまう。

 関連することなので、昨日の集会で聞いた話をひとつ紹介する。
 私もかって加入していた都立高校の教員の組合(「都教高」と略称している)の幹部の中に、 君が代斉唱時の不起立者たちに対して、「自爆テロ」だとか「打ち上げ花火」とか「自己責任だ」 とかの暴言を吐いたものがいたと言う。組合を闘えない組合にしてしまっている自分たちのダラ幹 ぶりにほほかぶりをして、なんと言う恥知らずな連中だ。

 組織を温存することが最重要課題になってしまい、最重要課題を担って立ち上がった組合員を 切り捨てる。それほどまでにして、なぜ組織を温存しなければならないのか。知れている。幹部 たちの保身のためだ。
 しかし、今年度の都教高大会では、一般組合員の突き上げがあり、42本の修正案が全て可決さ れて、組合も被処分者への支援に立ち上がることになったと言う。都教高、まだいけるぞ、と思った。
71. 『君が代問題について』(1)
2004年10月24日


『 九九年夏、君が代をパンクで歌った忌野清志郎という歌手のCDが、発売前に急遽、発 売中止になった。これがニュースになった途端、なんと、小渕首相と野中官房長官が揃っ て、そのCDは発売しても大丈夫だと保証した。一体、何が大丈夫なのか。
 戦争が終わって半世紀以上経ったというのに、だんだん世の中の雲行きがおかしくなっ てきている。
 ところで、君が代の変形バージョンの先駈けをやったのは、実は私の母校である北九州 の若松高校 (旧制若松中学校) なのである。
 今から二十年ほど前に、ここで有名な事件が起こった。
 若松高校の音楽の先生が、卒業式で君が代をジャズに編曲してピアノ伴奏したのだ。  先生も生徒も、まさかこれが大事件になるとは思っていなかった。
 しかし、まず、右翼が、「君が代をジャズにするなど国家への冒涜だ」といって学校へ 押し掛けてきた。スピーカーでガンガンがなり立てる右翼に対して、今度は、「君が代を ジャズにしたっていいじゃないか」と、左翼が押し掛けてきた。
 右翼がビラを撒く、左翼がビラを撒く。スピーカーでがなりたてる、マスコミもやって くる。若松高校の周辺は、大変な騒ぎになってしまったのである。
 その当時の若松高校の同窓会の会長が、東京の同窓会に来た時にこういっていた。
「いやあ、左翼がいっぱいきてビラを撒いて大変だったよ。でも私たち同窓会の幹部が、 左翼の連中を追っ払ったんだけどね」
 彼は得意気に話していた。私たち東京の仲間は、君が代をジャズにしたっていいじゃな いか、それが何なのと笑っていたのだが……。』


 私には団体や組織に対する深い不信感がある。小さいものではPTAとか同窓会とか町内会。 大きなものでは「国民・・・会議」とか「日本・・・会議」のように「国民」や「日本」を 騙る団体。教育関係ではいわゆる「官製」の研究会。大多数の労働組合にも不信感を持って いる。
 「国民・・・」や「日本・・・」という団体は、支配階級の肝いりの団体か揉み手をしながら 支配階級にすり寄る団体と見てまず間違いがない。とても分かりやすくて見まがうことがない。
 PTAとか同窓会とか町内会とか官製研究会とかは、「まあまあと、みなさん仲良くやりま しょう」団体と私は呼んでいる。こういう種類の団体が一番始末が悪い。ラジカルな問題に直面す るとその本性を表す。必ずといってよいぐらい大勢に順応し権力べったりになる。「左翼を追っ払 って」自慢する同窓会長はいても、右翼を追っ払える同窓会はない。
 もっとも、若松高校の事件への反応の仕方では、右翼と左翼は同じメダルの裏表で、私はどちらも まったくダメだと思う。

ここまで書いて、

『「日の丸・君が代」強制と処分を許さない10・24討論集会』

に参加するため中断した。

 その集会で数年ぶりに、むかしM高校で親しくしていたSさんにであった。まだ現役の教師で、 予防訴訟の原告団にも参加しているという。
 集会の後、久しぶりに一杯やりながら、都立高校の現状などいろいろお話を伺った。その中で、上記の 若松高校のことを私が話題に出すと、Sさんはその時の当事者の小弥さんを支援する会に加入していて、 その会はいまだに活動しているということを伺った。『小弥「君が代」処分を考える会』というそうだ。 その長い闘いに胸を打たれると同時に、今始まったばかりの私たちの闘いも長期戦を覚悟し、不退転の決 意をすべきと、思いを新たにした。

 集会に出かける前は、団体や組織のいかがわしさと、参加した集会の報告を書くつもりだったが、 一杯やってしまった。明日から、少しずつ、責めを埋めよう。お休みなさい。
70. 辺野古の闘い
2004年10月23日



「反ひのきみネットML」より、辺野古の命を賭けた闘いの様子を伝えるメールを 紹介します。

<台風直前に届いた(本土)学生からの報告です。>

 遅くなりましたが、第2ラウンドに入って以降の辺野古の闘いを報告します。
 辺野古は今、防衛施設局のリーフ内強攻突入に対し、カヌーを軸とした激しい接近戦 を闘っています。そしてこの闘いが作業を遅らせ、一日一日施設局を基地建設断念の道 に追い込んでいます。

 先にもお伝えしたように、施設局は先月29日以降、リーフ内の潜水調査に突っ込 んできました。調査は、ボーリングの際に設置するというやぐらの足場チェックです 【施設局は"ボーリングが海草藻場や珊瑚に与える影響を最小限に抑えるために定期的 に実施する比較調査"だと言っています。しかし調査で異常が出たら途中でボーリング をやめるということではない。"基地建設はあくまで進めるが、環境には配慮していま す"というペテンです】。ダイバーを乗せた作業船2隻と警戒船2隻の船団が、毎日リ ーフ内にやって来ます。そしてボーリングポイントにダイバーを潜らせ、海底に塩ビパ イプの格子(4×4)を作り、各升目ごとの海底状況を写真に撮りまくるということをやっ ています。これに対し、こちらは阻止船3~5隻、カヌー9~11隻を出し、阻止行動を 展開しています。潜水できる人は潜水しています。

 ぼくの覚え書きからある日の闘いを例にとって紹介します。

■10月13日。座り込み177日目。今日はリーフ内でおそらく2勝1敗。一進一 退の攻防で着実に調査を遅らせた。

 今日はまず、新しい試み。朝9時。大浦湾から施設局員やダイバーを乗せてくる作 業船・警戒船に対し、阻止船3隻、カヌー9隻をロープで繋いでキャンプ・シュワブ 浜-長島間を結ぶ海上ピケを張る。波が荒く、沖へと回り込めない作業船団を1時間 近く足止めした。船団は立ち往生をくらったあげく、ピケのさらに沿岸=浅瀬を強攻 に突っ切る。
 阻止船と阻止船に曳航されたカヌー隊はただちに船団を追いかけ、彼らが停まった おそらく1-2ポイント(中間点辺りの最浅ポイント)で決戦。
 相手はいつもと違う船団。「愛華丸」という切り込み隊のような船がいる。見たま んまヤクザの海人(?)と若い施設局員がカヌー隊に口汚くののしりの言葉を浴びせ、 突進してくる。「おいこらババァ!」「近づくんじゃねえ~!」。正面にいたカヌー にぶつかり、船の辺先がカヌー隊の体に覆い被さる危険な状態。ほとんど"スト破り" のような襲撃。しかし数に勝るカヌー隊はひるまず、次々とポイントに入っていく。
 すでにダイバーは飛び込んでいる。しかしカヌー隊は、間もなくいつものようにその 海上を席巻。遠巻きに「作業の邪魔をしないでください!」「危険です。ダイバーか ら離れてください!」と叫ぶしかない施設局員(だったら作業を中止しろ!突っ込ん でくる警戒船こそ"本当に危険")。すかさず阻止船やカヌー隊から数倍の声が飛ぶ。
 「調査はただちにやめてください!」「人殺しの基地をつくらないで!」「この海は 命を育む海です。海を破壊する人は出ていってください」「8割が辺野古移設に反対 しています。県民の声を聞いてください」「住民と話し合ってください」「調査は違 法(=環境アセス法違反)です。ただちに中止してください」。
 相手のダイバーは3人だったが、浅瀬のため、上にいるカヌーが相当嫌なようで、 道具をすぐに引き上げる。このポイントはおそらく作業させなかっただろう。

 次は近くのポイントで別の船団と決戦。今回はいつもの船団。作業船がダイバーを 潜らせる。風邪が強く、ポイントのダイバーやダイバーが設置した水中ブイの上に陣 取るのがきつい。一瞬で数メートル風下へと流され、ポイントを見失う。必死でこぎ 続ける。また、こちらも潜水できる人が"ダイバー"として潜る。これを受けて相手の ダイバーはいったん作業船に戻り、上と相談したが、「強行しろ」と言われたのか再 び潜水。「かなり強引に作業を強行した」(平良夏芽氏談)。

 午後。カヌー隊は波が高いこともあり、東で全隻待機。西のおそらく1-14ポイ ントで船だけの阻止行動。しかし阻止船には急きょ名護のダイバーショップから2人 のプロダイバーが応援に駆けつけ、こちらの"ダイバー"は4人に。相手のダイバー は、こちらが2人飛び込んだ時点でお手上げ。いったん上と相談しに戻ったあと、再 び海底に来たダイバーは、こちらの"ダイバー"と40分間にらめっこをして諦めたよ うだ。完全阻止!

 まとめ。こちらは毎日ダイバーを出すことはできないが、出たときは強い。それか ら、とりわけ浅いところではカヌー隊が相当嫌がられている=威力があることもわ かってきた。今日の午後の闘いの感想ということで夏芽さんが言っていたが、カヌー 隊がいないと心細いし、警戒船も頭上に突っ込んでくるとのこと。10隻のカヌー隊 が作り出す制圧力はすさまじいものがあるのだろう。また、ときには休んだり、とき には交代しながら、体力的にも考えながら、長期決戦的闘い方がだんだんできるよう になっていると思う。(以上メモ)

 海上での阻止決戦は、以前の"海上の座り込み"にもましてすごい闘いになっていま す。まず何より、リーフ内突入、カヌーに船をぶつけてくるというような激しさに一 歩も引かずに果敢に立ち向かっていること。そして、そうした姿、直接に交わる言葉 や行為の数々が、施設局側の不正義性と阻止側の正義性を満天下に描き出しているこ と。さらに、こうした真っ正面からの闘いが実際に調査をとめ、遅らせ、基地を追い 詰めていること。本当にすごい闘いが始まっています【これについては『辺野古の闘 いの記録No.4』をぜひ見てほしいと思います。必要ならばこちらから郵送します】。

 すごいのは海上だけではありません。この間、この闘いを伝え、全県的闘いをよび かける新しい行動がスタートしました。カヌー隊が中心となった有志が、施設局の来 ない土日を使って、名護市内(西海岸)での宣伝を始めたのです。街宣カーも写真パネ ルもない中での出発となりましたが、歩きながら「辺野古から来ました」と訴える と、圧倒的注目! 用意していた350枚のビラは瞬く間になくなる。沿道からは握 手を求めてくる。建物からは人が出てくるという注目ぶり。スーパーの前で行ったり 来たりしながら訴えを聞いていた母子は、涙を流しながら聞いていたそうです。ビラ を受け取った中のひとりは、即日ビラを手に辺野古に駆けつけました。

 傷だらけになりながら基地反対の声を上げた97年の名護市民投票。以来、市や政 府の大どんでん返し=基地押しつけ政策に長く苦しめられてきた名護市民が、再び 「基地はいらない!」と声を上げ始めています。この声を解き放つよびかけが、つい に辺野古発"名護行動"として始まったのです。

 また、座り込みに来ていた若いグループが、那覇や北谷(いずれも若い人が集まる 場所)などで辺野古のことを訴えるという"那覇行動""北谷行動"も始まっています。
 こうした街頭宣伝は、まさに全県的情勢をつくり、阻止行動と一体で基地を追い詰 めていく闘いです。決定的な闘いが始まったと思います。

 明日辺野古は台風で休戦です。今回の台風は日本列島をすっぽり覆いつくすような 超ど級だとか。ぼくらも台風に負けない超ど級の闘い<11・7>で小泉内閣を吹き飛 ばしましょう!



 沖縄の辺野古海上ヘリ基地建設阻止に、カヌーや阻止船で身体を張った必 死の阻止行動が続けられています。阻止行動には阻止船のガソリン代だけで も一日1万円以上の経費が掛かるとのこと、現地に応援に行けないまでも、 せめてカンパで支援してくださいますよう、お願いいたします。

郵便振替口座番号:01700-7-66142
  加入者名:ヘリ基地反対協議会
69. はなしあおうじやないかとゆう声がした
2004年10月22日


 今日の朝刊に詩人・川崎洋さんの訃報が掲載されていました。享年74歳。
 若い頃その作品を読んで、川崎さんの繊細な優しさにひと時の慰藉を戴いたことを思い出しました。 息苦しい時代になり、毎日息苦しいことを取り上げざるを得ないこのページですが、今日は一呼吸置いて 、心をほぐすことにします。川崎さんを追悼して、川崎さんの詩を三編選んでみました。


  にじ

はなしあおうじやないか
 と ゆう声
     がした

うすいみどりいろのこえだった

 すると

もうひとつの空のほうから

はなしあおうじやないか
と ゆう声
    がした

ぽっかりあかいこえだった
 むらさきやら

たまごいろやら

 おりおり
わらいさざめいたりしながら

あさぎり に ぬれている
新墾地の ことなんぞを

 風が吹くたんび
話題をかえたりしながら

 それはそれは
  ほんとうにたのしそうに

 空のこちらから
むこういっぱいにかけて
はなしあっていたことだった


  こもりうた

あかんぼは
うすめをあけて
うわめづかいなど
するもんじゃない
ねむりなさい
ここはおやじとおふくろに
いっさいまかせて
わるいやつがきたら
とうさんとかあさんが
ちゃんとしまつをつけてやるから
ねむりなさい
すこしぐらいいびきかいたって
やっときこえるぐらいの
いびきなんだから
えんりょするこたない
ねむりなさい


  五月

夜になると大きな星が流れましたね
実に大きな星なので
その星の舟や木が
燃えながら
星と一緒にまわっているのが
まざまざとみえる程でした

それらにまじって
時折
眼をつむった操縦士を乗せて
戦闘機が落ちてきましたね
僕たちはといえば毎日
蛇の子供のことや
こするとよい匂いのする風防ガラスの
かけらのやりとりに夢中でした
あの舟足の速かった僕たちの船
すてきに漕ぎよかった褐色の櫂
今でもそれは
あの海岸の砂の上に転がっているのですか
僕たちが漕ぐと
いつのまにか船が船から抜け出して
船の抜けがらだけが
千の波を激しくめくりながら
海をかすめて飛ぶような感じでしたね

飛行服のまま
君の家に一寸立寄った君の兄さんが
見えない弦が張られている
牛の角のたわみを両手で握りしめ
その色つやのよい牝牛の身体ごしに
五月の海を見ていたのが
昨日のことのように思い出されます
いい人が沢山死んでしまったのだ

68. 「非国民について」(2)
2004年10月21日


 『天皇を神とは思わないという、いたって普通のことを考えていた人たちが、天皇を神だ と信じていた狂気の日本人たちによって殺された。これはどこかオウム真理教の事件と似 ていないか。
 私は、戦争中に非国民だといわれていた人々こそが、本当の日本人であったと思ってい る。
(中略)
 ものを見抜いていた人間と、洗脳されていた人間、どっちが本当の愛国者であったとい うのか?
 日本人は非常に怖い民族である。洗脳されやすいのだ。
 今の日本人の内面は、戦争中の日本人とほとんど変わっていないと私は見ている。また 何かのきっかけで、うわ一っと団体で走っていく可能性のある民族だと思っている。絶え ず狂気を抱えているのだ。
 非国民であると公言することは、非常に勇気のいることである。
(中略)
 私の住んでいる国では、戦後半世紀以上経った今でも、人と違う意見を持つものは非国 民と見なされる。物事を自分だけの目で見抜こうとするものは排除される。これは、戦争 中の日本と何ら変わらない。
 このような国の中で、正常な感覚を保っていくには、非国民として生きるしかない。  非国民でいなければ、真実を見抜く目を持ち続けることは不可能なのである。』


 天皇教に最も洗脳されやすいのは教師ではないかと、私は思っています。そして洗脳された教師が 最も忠実な布教者になります。『良心的・・・』に次のような文があります。

 『 数年前、「国歌斉唱」時にはいつも大声で歌う同年代の教頭が、「私は誤った戦後民主 主義教育を受けてきたことを悔やんでいる」と言ったことにショックを受けた記憶があ りますが、戦後半世紀以上経ってこんなことになろうとは……』(筆者・伊藤千恵さん)

 こういう手合いの教師は、いまは大真面目で天皇教の布教という使命感に燃えているのでしょう。 そして情勢が変われば、都教委の命令で仕方なかった言い訳をして、またころっと民主的教員面を して恥じません。敗戦時の多くの教師がそうでした。
 生徒より多少知識が余分にあるだけなのに教師面する教師、それを切り売りしてきただけの教師、 いつも上ばかりを見ているヒラメ教師、読むものと言ったらスポーツ新聞だけの教師、つまりは 「真実を見抜く目」を培うための営為(「自己の内部の世界を現実とぶつけ、検討し、理論化してゆ く過程」-吉本隆明)など全く無縁の教師たち・・・

 42回で、( )内の吉本隆明の文を引用して、私は次のように書きました。
 「優性遺伝を引きずったままの庶民的内部世界をそのまま放置していては、どんな進歩的・革新的思想 をつぎ木しても、その思想は、ラジカルな問題に出会ったとき簡単に転向し、無効となります。」
 教師たちはいま、今までの自らの生き方とその思想が試されるような「ラジカルな問題」を突きつけ られているのです。(勿論、教師だけの問題ではありません。私も問題を共有しています。)
 引用文中の教頭のような転向者が多数派になっていくのではないかと危惧しています。誤っていたのは 「民主主義教育」ではなく、それまでの自分自身の生き方なのですが、彼らがそのことに気づくことはまず ないでしょう。情けないことです。
67. 「非国民について」(1)
2004年10月20日


 今回から上の表題は天本さんの本の中での表題をそのまま使っています。

 前々回に引用した文の続きです。

 『戦争中の日本人は、「天皇陛下のために死ね」といわれ、「皇国不滅」とか、「鬼畜米英 に負けるな」などといって戦っていた。「一億一心」という言葉も生まれた。日本国民一 丸となって、天皇陛下のために戦えという意味である。
 この皇国の人々は、天皇は神であるから、絶対に戦争には負けるはずがないと思ってい た。神風が吹き、奇跡が起こり、日本は世界を制覇すると思っていたのだ。恐ろしいこと である。今の子供でもそんなことは考えない。
 この時、きちんと戦局を見抜き、正常な判断力を持っていた人たちは、非国民と呼ばれ た。日本国民ではないといわれたのだ。
 この戦争は間違っていると考えたり、この戦争には反対だと発言した人たちは、非国民 と呼ばれ、監獄に入れられた。監獄の中で特高警察に拷問され、たくさんの人たちが拷問 によって殺された。
 戦争中は、愛国者たちが非国民を警察に密告していたのである。ウチの隣の家の男が、 この戦争は負けるといっている、彼は非国民です、と、警察に密告する。すぐに警察が来 て、男は連れていかれ、監獄に入れられた。  日本人が、日本人を売り、殺していたのだ。』


 大日本帝国時代に最も猛威を奮ったのは「不敬罪」でしょう。山中恒さんの 『ボクラ少国民』に「特高月報」に記録されている「不敬罪」の事例が三例挙げられています。 次の事例は明らかに密告によるものでしょう。

庁府県名 石川
種  別 不敬不穏言辞
氏 名 金沢市池田町一番地二、荒木勇次郎・六二
概 要 被疑者は昭和十七年四月以来居町会庶務部長として現在に及びたるが本年八月末頃同町会の席上に於て町会役員数名に対し
 天皇陛下は宮殿下に羽二重を御下賜になったと新聞に出て居るが天皇陛下からになると羽二重が自由に手に這入るから結構なものや、衣料切符はどんなになって居るのかな云々
 と不敬の言辞を弄したる外七、八月頃の役員会席上に於ても時局に関し人心を惑乱すべき言辞を弄す。
措 置 九月三十日検挙取調の上本月十二日不敬罪及言論出版集会結社臨時取締法違反として送局


 密告だけではありません。電車や映画館には、不敬罪を摘発すべく虎視眈々と獲物を狙う私服刑事 (移動警官と言うらしい)がうろちょろしていたのです。次の二事例は移動警官による摘発です。

庁府県名 長崎
種  別 不敬言辞
氏名年齢 横須賀海軍工員宿舎・志佐甚平・三二、同・井上七太郎・二七
       (前)
概  要 上記両名は四月十三日公休日を利用し郷里に赴き其の帰途列車中に於て
 志佐/オイ皇太子殿下に会って来たか(子どもの意)
 井上/皇太子殿下には会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)
 志佐/やって来たか、シゲ(シテの意)帰ったっじゃもん
 と不敬会話を為し居たるを同乗の移動警官に於て検挙す
措  置 本件は徴用工員の事犯なるを以て憲兵隊に引継き取調中

庁府県名 徳島
種  別 不敬言辞
行為者 本籍・徳島県美馬郡脇町字猪尻二二七、住所・徳島市中佐古町一四、郵便集配人・高 木幸盛・当二十年
概 要 六月二十七日徳島市内東宝両国館に於て映画(日本ニュース)観覧中
 皇后陛下別嬪デナイデナイカ云々
 と不敬言辞を弄す
措  置 不敬罪として検挙


 たわいのない日常会話まで監視されていたのです。全く狂気の沙汰としか言いようがありません。 石原のイデオロギー(虚偽意識)など、この狂気と五十歩百歩でしょう。しかし、狂気だから怖いのです。
 前回に触れた「共謀罪」が成立すると、喫茶店や飲み屋に移動警官が出没することになるのでしょうか。
66. 今はどういう時代なのか。
2004年10月19日


 改めて今はどういう時代なのか、確認します。
 このページで私も書いてきましたが、1930年代の時代状況との類似から今は緊迫した戦前だと 多くの人が指摘しています。いや、イラクに自衛隊が派遣されたときからもう戦中であると言う 人もいます。いずれも杞憂に過ぎなければそれにこしたことはないのですが、状況はますますお かしくなっています。昨日触れた「共謀罪」などは大日本帝国時代の「治安維持法」よりすさま じい人民弾圧法です。マスコミは全く知らん顔を決め込んでいます。

 天本さんも現在の状況を強く懸念しておいででした。今回は、天本さんの自己紹介を兼ねて、 略歴、基本的な時代認識、この本を執筆するに至った動機などを述べている序文を読みます。

 『想えば、1926年、ガウディがパルセローナで路面電車と接触事故を起こして死んで いったその年(大正15年)に私は生まれ、少年時代・青年時代を送ったのは、天皇を頂点に 戴く日本国家が超国家主義的な狂気の思想に依ってアジア征服・世界征服へと突き進む破壊の 道のちょうど真っ只中となった。私にとっては、尋常小学校時代・旧制中学校時代・旧制高校 時代にあたった。
 その旧制高校、鹿児島の七高造士館(現在の鹿児島大学)の文科乙類(ドイツ語)二年生の5月 (昭和20年)に、動員先の熊本健軍の三菱重工業熊本航空機製作所で赤紙の電報を受けて、本籍地 ・佐賀県鳥栖に近い久留米の野砲隊に私が入隊させられたのは、ちょうど20歳。この国の文部省が 軍部に媚びて、もうこの国に文科の学生など要らぬと私たちを軍部に売り渡した結果の最後の学徒 兵であった。

 狂気の国家の下では、人間の運命などは木の葉の如くに風に舞い、その生と死との差は まさに紙一重となる。
 その断末魔の戦争末期を生き延びた私も、敗戦後も色々のことどもが尾を引き、学生・ 学問の徒としては東大法学部政治学科なるものに入学したそこまで。その後空白の数年間 を経て、人生を捨てたつもりで、まさに乞食になるのと同じで俳優になった。そして、俳 優になったことに悔いはなく、その後、数十年を経て私は今や74歳となる。実に紀元2000年 を迎えることになった。

 私は世界数十ヵ国を歩いた。船で地球一周をして、パナマ運河もスエズ運河も抜け、イ ースター島やキューバやモロッコやエルサレムなど、地の果てまでも行った。とりわけス ペインにはそのフラメンコと栄光の「スペイン市民戦争」に魅せられて1973年以来、 実にちょうど二十回も行ってしまった。そのスペインの地からこの自分の国、日本国家と いうものを見つめてきたのである。
 かつて、私はこの自分の国、日本が好きであった。この国の美しい山や河も、この国の 人々のやさしさや人懐っこさも、はじらいやはかなさも、私は好きであった。だが、今の この国の人々はどうであろうか? あのやさしさや人懐っこさやはじらいやはかなさは、 一体どうなったのであろうか?
 私は74歳となるが、今やあの怖ろしい戦争中のこの国を知っている数少ない日本人 となり、かつ、この国の俳優としても戦争を知る数少ない俳優(私より年上の俳優は本当 に男優10人ぐらい、女優10人ぐらいではあるまいか?)のひとりとなった。
 というわけで、すでにいつ死んでもおかしくない私は、随分と前々から、かつては好き であったこの国の人たちへの遺書みたいなものを綴ってみたいと考えてきた。私が20回 も訪れたスペインという国のそのスペイン人たちの生き方と比較し、日本人たちがどうし てこういう風になってしまったかを考えながら、およそ戦争と平和とか、愛国者と非国民 とか、呆けと鋭さとか、長生きとはかなさとか、職業上の麻痺とか……そんなことどもを 書き残したかった。』


 私は1938年生まれで、敗戦の年にはまだ国民学校(小学校)二年生でした。戦中がどんな 時代だったのか、語るほどの記憶はほとんどありません。「あの怖ろしい戦争中のこの国を 知っている」日本人はますます少なくなっていきます。天本さん世代が書き残してくれるこ とどもが最後の貴重な証言でしょうか。
 大日本帝国時代をよく知る天本さんが、現在の状況を、私たちと同様に、次のように認識 しています。

   『それが、最近になって何を血迷ったか、あの自自公の政治家たちが一緒になって、突然、 「ガイドライン法案」、「盗聴法案」、そして「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案」を 国民の同意なしに勝手に決めてしまった。
 およそ、ひとつの国が危険な方向に、恐怖政治の方向に走り出そうとする時には必ずそ の直前に慌てていくつもの危険な法案を可決してしまうものである。それは、私の生い立 った大正末期から昭和の初期に「治安維持法」などの怖ろしい法案をいくつも決めてしま ったのと酷似する。
 私は、こういう本を何年も前から出したいと計画していたのだが、本当に出そうと決心 したのは99年8月9日、それは七高の理科同級生15人を影も形もなく消した長崎の原爆の日で あり、私が出演したTBSの終戦特別ドラマ「あさき夢見し・・・」(向田邦子原作、久世光彦 演出)が放映された日であり、「日の丸・君が代法案」が可決されたその日であった。  これはかつて私が好きであったこの国、この国の人たちへの、つまり「日本人への遺書」 である。』
65. 私も非国民です。
2004年10月18日


 4年ほど前に、俳優の天本英世さんが「日本人への遺言」(徳間書店)という本を 出しました。(天本さんは昨年3月に亡くなられました。合掌)
 たいへん分かりやすい文章で、反権力・反権威の真骨頂を示すような主張が 単純明快(時には単純すぎて、これはチョッと思う見解もありますが)に述べられていて 小気味よい本です。その中の「非国民について」という文章を

 『私は常々、「私は非国民である」と公言している。
 「非国民」。
 これは戦争中の言葉である。
 愛国者という言葉の反対の意味に使われる言葉である。
 今の日本で、非国民という言葉を使っているのは私だけかもしれない。
「非国民」=「国民に非ず」
 私は、日本国民をやめたいとさえ思っているのである。日本国民であることが恥ずかし いからである。』


と書き始めています。

 今年の4月、本屋の店頭で立て続けに「非国民」を表題に含む本に2冊出会いました。

   斎藤貴男著『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)
 「噂の真相」のコラム「撃」をまとめた『「非国民」手帖』(情報センター出版部)

の2冊です。即購入しました。どうやら私は「非国民」に大変共感しているようです。 国家権力の支配・抑圧を保護と勘違いし、その奴隷状況を甘受するものを国民と呼ぶなら、 私も非国民のひとりと自認しようと思います。

 我が内なる「非国民」を再確認・強化するために、まず天本英世著「日本人への遺言」の中の「第4章  非国民と愛国者」を再読することにします。お付き合いください。
64. 集会・デモに行ってきました。
2004年10月17日


 「10.17Million Worker March 国際連帯・東京行動」という集会に参加してきました。ここでも交通 整理の制服警官の他に、私服が結構いたようです。

 小さな組合と市民団体と個人参加者の集会ですが、闘わない・闘えない組合を突き上げるよ うな集会でした。闘える組合はプロ野球の選手会だけではありません。参加者は皆さん、 組合の数合わせの動員ではなく、一人一人の意思で参加しているように見受けました。
 もともと今日の集会は、アメリカの闘う組合の「10.17Million Worker March」に連帯する集会で、 11.6と11.7の日比谷音楽堂の集会の前哨戦のような集まりです。韓国の闘う組合とも連携しているよう です。
 挨拶にたった人たちは、アメリカからの代表、沖縄の辺野古闘争の代表、都の 「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちの代表、 郵政民営化と闘う人たちの代表、千葉動労の代表などでした。

 デモは渋谷宮下公園から、近辺をぐるっと一周するコースで1時間ほどでした。 ボンゴでしょうか、打楽器を賑やかに打ち鳴らしながら、若者たちが威勢のいいラップ風の シュプレヒコールで先導をしていました。

私は市民団体の列にくっついて歩きました。「100万人署名運動」の各地の支部の旗がほとんどでしたが、 その中に「全学連」の旗を発見しました。まだ健在だったんだあ、と感慨もひとしおでした。
 本日の参集者は約600名と言うことです。最後に主催者の代表が04~05決戦のために、11.6と11.7の集会 ではその10倍の結集を推し進めようと訴えていました。
63. 都立高校の現況
2004年10月16日


 「日の丸・君が代の強制」の現場での実際とその後の処分の様子を知りたいものと、 「良心的・・・」を読んできました。私も何度か言ってきたことですが、「日の丸・君が代 の強制」問題だけを切り離しては問題の本質は見えないと言う指摘がありました。石原は、 「日の丸・君が代の強制」を突破口にして都立高校の教育を支配しようとしているわけですが、 その目論見はどこまで進んでいるのでしょうか。都立高校は現在どんな情況なっているでしょ うか。今回はそのことに触れている文章を読んでいきます。
 現場では都教委の意を忠実に実行する校長の姿勢に、石原の教育支配の実態が現れます。 「職務命令」で教員を屈服させて以来、独裁的になってきます。

『 99年8月、国会で「国旗・国歌」法が成立した翌年3月卒業生の、私は担任であっ た。連日の深夜までの職員会議と校長交渉の末迎えた卒業式はフロアの対面式、「日の 丸」は三脚に立てる。「君が代」は教頭により「内心の自由を侵すものではない」と表 明され、生徒の起立者は数名という状況であった。それでも私の中には大きな敗北感が 残り、以後一年間の入学式、卒業式は「出席拒否」で過ごした。
 校長が数人の教員を不当に勤務評定し、特別昇給をはずし貸金の上でも差別した。 私たちが職員会議でその説明を求めたとき、彼はそれを拒否したのである。 その後三ケ月ほど、校長や教頭は説明責任を果たさなかった。あたかも 「仕事が減ってイイ具合」といった態度であった。しかも校長は学校現場のことには サラサラ関心もなく、週に三、四日の出張を繰り返し、出張旅費稼ぎかと思われるほどだった。 それでも平気の平左でとても付き合いきれない人物だった。今時の校長は残念ながら、 大体こんなものである。教育者としての人格など皆無である。こんな管理職を相手にすると、 職員会議の発言はすべて「唇寒し」となるために沈黙しがちであるが、その状況はまた、 大変危険なことなので、私は発言し続けた。しかしこの時の閉塞感は相当なものであった。
 その後三年間の東京都の教育現場は、徐々に正に一歩一歩、閉塞感を強めてきた。 「主任」制に失敗した都教委は、人事考課制度の実施を背景に昨年度から「主幹」制を 導入した。いわゆる中間管理職である。教員同士を競争させようというわけだ。この制 度は、教育現場で日々奮闘するまともな教員の、教育にたいする情熱を奪い、それは生 徒にとっても決して良いことではない。良心的な教員は、それを生徒に転化しないよう に、自分だけで受け止めるのに必死であるが、個々の抵抗にも限度があり、全体として 学校は日々生気を失うことになるだろう。都教委の使命は、個性の尊重と人間らしい教 育にあるにもかかわらず、やっていることは全く逆で、教育の破壊そのものである。残 念ながら彼らにはその自覚もない。最低、最悪である。』
(P221~P.222 筆者・西 川随一さん)

 私が現役だった頃は、「特別昇給」は勤務評定とは関係なく割り当てられていました。今ではそれが 校長の強力な武器になっているのですね。
 権力が用いる支配貫徹のための手段の一つは「分断」です。「主任」制導入のときは組合がまだ闘う 姿勢を持っていて、導入はされましたが骨抜きにしました。そのころ権力側の最終目標は「5段階賃金体制」 と言われていたと記憶しています。「主幹」制は「5段階賃金体系」の完成を意味しているようです。 「校長・教頭(今は副校長と言うようです。これも権威付けのための言葉操作です)主幹・主任・平教員」の5段階です。「主幹」制は「主任」制以上の大問題だと思います が、何の抵抗もなく導入を許してしまったのでしょうか。組合はもう腑抜けなのでしょうか。

 権力が用いる支配貫徹のための手段の他の一つは「人事権」です。異動は希望または合意に基づいて 行われていましたが、これも校長の独断を許す制度になってしまったようです。

『、都教育委員の米長邦雄氏は「最も大きかったのは、教職員の異動要綱の見直 しをおこなったことだ。驚くべきことは変わるチャンスをつかみたいと願ってきたのは 教師自身だったということだ。来年4月1日の異動が戦国時代最後の戦いになる……戦国時代に戦った 敵は元禄時代には必ず味方になる」と発言している(「都政新報」4月16日)。 意見を異にし、異議申し立てをしたものを「敵」とみなし、排除しようというのだろうか。 これでは民主主義の否定であり、恐怖政治の始まりだ。』(P.179 筆者高橋正樹さん)

 校長は自分のやり方に従わなかったり、批判したりする教師を勝手に異動の対象者にしてしまう ようです。どういう教員構成が生徒にとって望ましいのかと言うような観点、つまり教育的な配慮は 皆無で、見せしめ人事をやっているのです。

 『私は三月まで一学年担任でしたが四月から遠方の学校へ異動させられました。本人に 異動希望がなく、異動年限にも達しないのに、担任が途中で異動させられるのは異例で す。「人事考課制度の自己申告書が不提出だから」と校長が言いましたが、「君が代」伴 奏拒否の影響も感じました。他校の音楽教員でも「異動ヒアリングの前に『君が代』伴 奏するかどうか返事をするよう」と校長から言われたり、「本校に残るからには『君が 代』伴奏するのだな」と校長に念を押された人たちがいました。
 三月未、生徒の指導要録を書くことがこれほどつらかったことは初めてでした。一人 ひとりの資料を事務的に書くだけのはずなのに、生徒の姿、表情がその氏名から浮かん できて、様々な思いを止めることができませんでした。無理な異動命令は、ある意味で 「処分」以上に教員のエネルギーを奪う、形を変えた立派な「処分」であると実感しま した。』
(P.148 筆者・池田幹子さん)

 都立高校ではずっと職員会議が最高議決機関でした。それが今や、校長の独裁がまかり通り、 職員会議は形骸化してしまったようです。

「良心的・・・」の読書会は今回で終わります。
62. 「10・23通達」から処分まで(5)
2004年10月15日


 最後に処分が言い渡されます。まず榊さんの文からです。

『3月の末日、私は技術教育センターに呼び出された。水道橋駅を降りると人だかりが できている一角があった。外堀通りには灰色の警察車両がとまっていた。私が中に入ろ うとするとガードマンに敷地に入るなと制せられた、来いと言うから来たんじゃないか と穏やかに抗議した。エレベーターで上がってしばらく待たされた。被処分者が大勢い るので処分発令通知書がいくつかの教室で同時に渡されている。私の番がきて端の教室 に入った。役人が読み上げて両手で儀式的に渡そうとした通知書を片手で受け取った。 見とがめれば予定の時間が遅れるだけだから役人も何も言わない。抗議の意志を現す被 処分者もいるが、時間がかかると後の人の迷惑になると思い素直に受け取った。ベルト コンベア一式である。校長が一緒に付いてきたが何の役割もない。何のために出張族費 を使っているのだろうか。
 降りてくると人だかりの中で弁護士がテレビのインタビューに答えて、処分の不当性、 手続きの違法性、警察を導入しなければ通知書一枚渡せない異常性を訴えていた。私は 人だかりを抜けて四谷の弁護士事務所に行き、人事委員会に審査請求するための委任状 に印鑑を押した。同じように通知書を持って被処分者が水道橋から四谷に次々にやって くる。どんな無理をしても入学式前に処分しようとする都教委に対して間髪を入れず不 服従の姿勢を示そうというのだ。事務所の窓から神田川沿いに咲く桜が見える。いつも の春なのにいつもと違った事をしている私がいる。裁判、口頭弁論、記者会見、どれも 今までの私の生活には無縁のものだった。現実感がないが、「まあこれはこれで面白い のかも」しれない。』
(P.91~P.92)

   卒業式での不服従者は約200名ですが、「ベルトコンベアー式」の処分とはふさげたやり方です。 「戒告」といえば一人一人にとって重い処分です。それぞれにいろいろと深い思いがあるでしょう。 一方的で不当な処分をしておいて、最後まで礼を失しています。もっとも馬鹿丁寧にやられては かえって片腹痛いことになりますね。
 周年行事での不服従者は個別に呼びつけられます。

 『もう一つは、処分当日のことです。都庁で、腕章をつけた職員と応援に来てくれた市 民の方々の物々しい中をくぐりぬけ、奥の部屋で処分を受けたのですが、処分内容が、 地公法32条と同法33条と二つ付け加えられていたのです。33条は「全体の奉仕者 たるにふさわしくない行為であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の 不名誉となるものである」とあります。不起立だったことが、なぜ職の信用を傷つけ、 不名誉になるのか、いまもって疑問なのですが、 その時もそのことに対して質問をしたところ「議論する場ではない」と拒否されました。 一方的な立場で、かつ議論することさえも許されないようなことは、民主教育の場では あってはならないことです。しかしこの一連の出来事で、私はより一層、不起立の確信を 深めていくことができました。』(P.139~P140)

 嘱託を不採用(実質的な馘首です)になった方では学校で言い渡されているケースも あります。

 『そんな新宿山吹高校に退職後も再任用として勤める意欲と目標があった。しかし、一年前に都 教委に対しておかしいと思ったことを「おかしい」と言って衝突したためか、その報復人事に遭い、 あえなく不採用となってしまった。
 そして、嘱託を希望したところ、学校事務職での採用ということであったが、その配属発令が 遅いと思っていたら、3月30日、都教委からの、国旗・国歌の職務命令違反に対する 「戒告発令通知書」とその「処分説明書」、そして「再雇用(嘱託)合格の取り消し通知」 (これには学校事務ではなく教育職員と記されてあった)を校長室で渡された。私は、「この ようなことをおかしいと思いませんか?」と、声を少し強く出して、この決定に異議を申し立 て不承知であることを都教委の代行者二名に伝えた。発令を読み上げる二人の手が震えていたのは なぜだろうか? 二人とも頭を下げてうつむいていたのは……?
 翌日、同じ都教委から3月31日付けの「…職務に精励し…多年にわたり…貢献するところ大で あり…」という内容の「感謝状」が届けられた。もちろん、それも戒告発令通知などと一緒に 都教委へ突き返した。これから、長い戦いが始まる。』
(P.77~P78 筆者・近藤光男さん)
61. 「10・23通達」から処分まで(4)
2004年10月14日


 次にやってくるのが事情聴取です。榊さんの文章からです。

 『卒業式から10日余り経った日に私は補佐人として、都庁第二庁舎で告知聴聞に弁護 士の立会いを求めるためのやりとりを記録していた。都教委の役人が状況を理解せず、 いたずらに時間を長引かせていたので、私自身の聴聞の時間が迫ってきた。やむなくメ モを取ることを中断して都庁の第一庁舎へ急いだ。告知聴聞の場所はあちこちに分散し ていた。そういう訳で私は一人で会議室に入っていった。何階なのか窓の外には隣の高 層ビルが見えていた。都教委の役人二人を前にすでに校長が座っていた。その横の席に 腰をかけて挨拶した。弁護士はこの場所が分かるだろうか、来なければ一人で対応する 他はない。しばらくして背後のドアーが開いて担当弁護士の姿が見えたので、私は「や あ、お見えになりましたか、さあどうぞ中へ入ってください」と、部屋の中に導き入れ ようとした。あわてた都教委の役人は入っては困ると言って廊下に押し出した。こうな ると弁護士の立会を認める認めないの押し問答となる。これは不利益処分を前提として いる告知聴聞の機会であるから、法の適正手続きの観点から当然弁護士の立会が認めら れるべきだというのがこちらの主張である。都教委側は国際標準の手続きを無視して、 理由はないが弁護士の立会は認めないというまったく論になっていないことを言い張る。 こんなことで告知聴聞に予定された一時間が過ぎてゆく。  私も補佐人として二回弁論を聞いて論理の展開を覚えてしまったから時々役人に優し く言いきかせてあげるのだけれども、穏やかに言っても険悪にしても結局は同じことで 法の適正手続きを踏もうとしない。これは裁判段階ではとうてい許されることではな い。』(P90~P91)

 「告知聴聞」などという聞いたこともない言葉が出てきました。事情聴取のことのようですが、 法律用語でしょうか。手元の「小六法」の索引を調べましたがありません。
 前回で、式の直後に不起立を確認をすることを手先やスパイたちは「現認」と言っていましたが、 これもいかにも役人的ないやらしい言葉です。都教委の連中は腐れ文学者・石原のばかばかしい 言葉のセンスを身に付けたのでしょう。
 事情聴取が二つあるようです。一つは校長が都教委に提出する「服務事故報告書」を作成する ために不起立者を個別に校長室に呼んで行うものです。もう一つは、校長の報告に基づいて、 都教委が不起立者を都庁などに呼び出して行うもので、それを「告知聴聞」というようです。
 前者の例と後者の例を一つずつ引用します。

 『卒業式後、教頭はすぐ私の後を追って職員室についてきました。事情聴取の呼び出し です。都教委のマニュアルにそう書いてあるのでしょう。疑わしき人物とされているで あろう私からひとときたりとも目を離さない密着ぶりでした。少し頭に来た私は逃げ回 りはじめました。教頭は必死で、もう鬼ごっこ状態。職員室の中をあっちへぐるぐる こっちへぐるぐる、机をはさんで行ったり来たり、途中でトイレに行って小用をしてい る間も、すぐ横で私が逃げ出さないように徹底的に見張っているありさま。教頭は普段 はけっして悪い人間ではないのですが、教育行政の末端を担わされ命令体系の中に位置 づけられると自分を見失い、自身がやっていることの意味がわからなくなってしまった のでしょう。
 そうこうするうちに、本校同窓会員のHさんが職員室のほうへやって来ました。Hさ んは前日、学校に対し「『日の丸・君が代』の強制をするな、処分をするな」という申 し入れ書を送ったそうです。その彼が、教頭が私を追っかけているところを目撃して、 「人間としてやってはいけないことだぞ」「監視するな」と言うと、教頭は「監視ではな い」と答え、すかさずHさんが「嫌がる人間を追いかけることを日本では監視と言うの だ」と応じたのでした。
 その後、私が事情聴取に呼び出された部屋にもHさんは強く抗議に来てくださいまし た。彼が校長室との境のドアを開けたとき、その隙間から都教委から派遣された監視役 が待機しているのが見えたのです。私は「ああ、これは本当にあってはならないことが 起きているんだな」と思いました。これはまさに悪が具現しているかのようでした。市 民社会の中で、地域の学枚の中でこのような事態がひそかに進行していることの恐ろし さをまざまざと思い知らされたのです。』
(P.210~P.211)


 『1月○日、渋谷区にある人事部の分室で、校長同伴で事情聴取が行われた。校長に文書 がほしいといったら、校長名による「服務事故に関する事情聴取」と書いた出張命令が出さ れた。私は同僚とともに行ったが、校長は建物の前で待っていて、同僚が一緒に中に入る のはとんでもない、と制止された。やむなく同僚は建物の外で待つことになった。
 私は録音テープを持参して、管理主事と、録音をとること、それがだめならメモをとる こと、また外に出て相談することについて数分間やり取りを行った。しかし、一切認めら れないので部屋を出ようとしたが、「あなた自身で判断してください」と強い言葉で言わ れ、やむなく事情聴取に応じることにした。管理主事の言い分はあらまし以下である。
 服務事項は守秘義務があります。表に出てしまったらプライバシーが守られません。 皆さんのいろんな人権を侵害することになります。
 以下は、直後のメモにもとづく要点である。
管理主事「職務命令書の中で、起立して国歌を斉唱することは理解されてましたね」
立川 「はい」
 管理主事「自分の意思で立たなかった、座ったということですね」
 立川「はい」
 管理主事「あなたの行為は、職務命令違反に該当します。このことについて何らかの処 分または措置が決められます。このことについて何かありますか」
立川「思いはありますが、ここでは話しません」
管理主事「処分にしたがっていただけるのですか」
立川「処分が決定されたら、従わざるを得ませんが、不服がある場合はまた、考えます」
管理主事「地方公務員法32条に上司の命令に従わなければならないとありますが、知っ ていますか。老婆心ながら言いますが、地方公務員として上司の命令に従わないと重い処 分になりますよ」
立川「弁明はありません」
事情聴取の記録文書を確認する。私は押印を拒否した。
管理主事「本人が拒否したと記録します」
校長が立会人として、署名、押印する。
管理主事「一回だけなら服務事故ですが、職務命令違反を何回も行うと、分限ということ に変わってきます。公務員としての資質能力を欠くという問題になってきます」
(『日の丸・君が代処分』より P30~P30 筆者・ 立川秀円さん)
60. 「10・23通達」から処分まで(3)
2004年10月13日


 今回は卒業式(または周年行事)当日の「君が代斉唱」のときの様子です。まずは 榊さんの文章から入ります。

 『卒業式当日、教員席に座ろうとすると、教頭が「そこではない、あそこに座れ」と言 う。個々に座席指定がなされているようだ。「君が代」斉唱が始まると、私は腰をおろ した。それは短く、あっという間に終わってしまい、一分とかからなかった。教頭が 「先生立ってください」と声をかけてきた。自動車教習所で踏切の安全確認をするよう にわざとらしい。これで彼の役割を果たしたことになるのだろう。周りの教員に隠れて 生徒からも保護者からも私の姿は見えない。ほとんど影響力のない行為である。
 これで戒告になった。たった一分足らずの行為のために私は戒告されたのだ。まった く不条理このうえない。卒業式の終わる頃になると教員席には人がいなくなってしまっ た。それでも私はそこに座っていろと言われた席に座り続けた。別に特段の高揚感があ るわけではない。「まあこんなものかな」というところである。
卒業式の後で教頭が改めて相談室に来いと言ってきた。校長と教頭が事情を聞くと言 うのだが立会人も記録も認めずとうてい適正な手続とはいえない。これでは勝手な報告 を都教委にされたところで何の反証もできない。校長は事実確認をしつこく求めてきた。 私はそのような質問は思想・信条の自由を犯すものであるから不当であると答えた。校 長はこれは単なる事実確認に過ぎない、なぜ答えられないのかと繰り返した。恐らくは 都教委のマニュアルどおりなのだろう。何としても本人から不起立の言質を取ろうとす る。そうすれば訴訟になったとき都教委は立証責任を免れる。そこでそのことがいかに も重要でないことのように、単なる事実確認と繰り返す。校長の頭には憲法も教育原理 もない、それが良いか悪いか考えもせず都教委の言われるままに動く機械に成り下がっ ている。このような者が教育の場に存在してはならない。間違ったことをしているにも かかわらず校長は自分の目論みがうまくいかないと、苛立って怒り出した。若い指導主 事が入ってきて現認したと言った。私が彼の目をじっとにらみつけると、彼は下を向い た。こんなやつを指導主事にしておいてどうするのだ、そんな金があるなら現場の教師 の数を増やせばよいではないか。』


 「若い指導主事が入ってきて現認したと言った。」とありますが、教育庁からスパイと して派遣されていた都職員です。なんと各校に数名ずつ派遣されたと言うことです。

『校長から職務命令が出されましたが、記念式典において国歌斉唱時には着席しました。 教育委員会からは八名が派遣され、二名は来賓として壇上に上がり、あとの六名の指導主事 は教職員を監視できるように一番後ろの座席になっていました。しかし、三人の指導主事は 決められた座席には座らず、二人は二階の生徒の席に、もう一人は会場の外にいたことが確 認されています。私が着席した直後、教頭はかなり大きな声で「立川先生、起立してくださ い」と叫びました。式典が終わったあとすぐ舞台裏の小部屋で、校長及び教頭とともに着席 したことの確認を求められ、私はそれを認めました。』(P.93 立川秀円さん)

『式典当日は教育庁から来賓として名簿に載っていた二名の外に監視役として四名、合 計六名が来た。私は式典開始の起立号令で起ち、国歌斉唱ときたので着席、続く校歌斉 唱の後、式場を出て受付を続けた(職務命令書によればPTAにまかせて式場に着席してい なければならなかった)。式典の第一部終了後10分の休憩の際に、教頭が来て校長が話 があるので来るように言われ、楽屋裏の衝立の陰に連れて行かれた。教育庁の一人、校 長、教頭の三名立会いで校長から着席の確認をされた。「着席しました」と応えたら「今 は時間がないので確認のみ。話はいずれ後で」と言われた。教育庁の監視役四名はその 日、建物の外や式場・会場を出たり入ったりして終了後も五時過ぎまでずっと居続け た。』(P.98 菅谷敬子さん)

『 卒業式場の教職員の座席には校長があらかじめ番号札を貼り、座席を「指定」していた。 職員が着席する式開始時間の10分以上前から、教職員の「監視」のために派遣されてきた 都教委職員三名のうち二名の指導主事が職員席の後ろに立ち、職員の着席状況に目を 光らせていた。来賓入場では校長がPTA、同窓会の役員と共に、都教委の「幹部職員」 を案内して会場に入って来た。前列の右端がその「幹部職員」の席で、次に校長、教頭、事務長、 卒業学年担任の順に、後列の両端が指導主事(監視役)の席である。私の席は後列のほぼ中央であった。
 ほどなくして、生徒が入場し式が始まった。開式の辞の後、いったん着席し「国歌斉 唱。一同起立」と司会が発声した。起立した教職員もそれぞれが抗議の意思を身体で表し、 時間差でゆっくりとイヤイヤの態度で起立した。その瞬間、教頭と指導主事二名は教職員の 動きを把握しょうと、きょろきょろあたりを見回していたが、遅れて立つ教職員が多数な ので一瞬驚きと動揺の表情を浮かべたように見えた。「整然と式をおこなう」との校長 の口癖にもかかわらず、斉唱開始から15秒ほどたってから、教頭が席を離れ、 「現認」のため「不起立」の教員の後ろに移動し、トントンと肩をたたき、「〇○先生お 立ち願いますか」と小声で言って回った。勇敢にも前列の担任の席で起立しなかった教 員には、教頭は日立つので前にも行けず、当惑の表情を浮かべながらしばらくじつと見 つめていた。斉唱終了の直前教頭は席に戻った。』
(P127~P128 近藤徹さん)

 『開式の言葉に続いて「国歌斉唱」、その時は頭の中が空白になり、気がつくと、いつ の間にか私は着席していました。その直後、私の前に小声で「起立」を促す教頭が立っ ていました。その様子を職員席の中で「監視」している都教委職員の視線を背後から感 じながら、今年の卒業式の異常さを身にしみて感じました。「職務命令」を出した校長も、 「起立」を促す教頭も、「監視」している都教委職員さえも、どこまで本心で行動し ているのだろうか。この得体の知れない「強制力」は一体何だ! やっぱり、私は立て ない。このわずか40秒のでき事が、半月後「全体の奉仕者たるにふさわしくない行為 であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるもの」である という理由で「戒告処分」となったのです。』(P161~P162 筆者・堀公博さん)

 この堀さんの記述の中の『「職務命令」を出した校長も、「起立」を促す教頭も、「監視」している都教委職員さえも、 どこまで本心で行動しているのだろうか。この得体の知れない「強制力」は一体何だ!』という感歎に、 私は強い共感を覚えます。『得体の知れない「強制力」』とはいったい何なのかを分析したい欲求が湧 きますが、今は私の力に余るようです。この国の国民性に関わる重要な問題が含まれていると直感し ていますが、いずれ挑戦しようと思っています。
 ただ今は、次のことを指摘しておきたいと思います。
 私は「44. 頼もしい保護者たち(2)」で、パスカルの有名な言葉をもじって「人間は一本の葦に過ぎない。 しかも風にそよぐ葦である。」と書きました。被支配者にも拘らず、常に支配者の動向になびく葦。 願わくば一人でも多く、「考える葦」であって欲しいと思います。
59. 「10・23通達」から処分まで(2)
2004年10月12日


 もうずいぶん以前のことですが、全国一斉に学校給食をカレーライスにする日を 作ろうというまるで冗談のような企画がありました。全国の小中学生が全員一斉に カレーライスを食べるなんて、あまりにも気味の悪いことです。当然立ち消えになりました。
 全校が全く同じ卒業式をやるなんていうのも、私には「一斉カレーライス」と同じく気味の悪いこと です。こちらは立ち消えになりません。石原が知事をやっている限り、ますますえげつなくなるでしょう。

   さて、「10・23通達」に基づいて、仰々しくも次のような「職務命令書」が全教職員に 出されます。


職務命令書

 平成16年 月 日に実施する卒業式については、平成15年10月23日付15教指企569号 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」及び地 方公務員法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)に基づき、下記のと おり命令します。

1 当日、教職員は全員勤務し、「平成15年度東京都立  高等学校卒業式実施要項」による 役割分担に従い、職務を適切に遂行すること。
2 式の実施に際して妨害行為・発言をしないこと。また、各自の役割業務を遂行し、式の遂行 が円滑に行われるように協力すること。
3 式会場において、会場の指定された席で国旗に向かつて起立して国家を斉唱すること。着席の指示があるまで起立していること。
4 式中は、会場に留まり、生徒を指導すること。
5 本校の施設及び敷地内及び周辺において、私文書のビラ配り等式の円滑な進行を妨げる 行為をしないこと。
6 服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式にふさわしいものとすること。
7  時 分までに指定された席に着くこと。
以上



 校長はこの職務命令書を必死になって徹底させようとします。(引用文は全て『良心的・・・』から)

 『私の身辺での様子を語ろうとする時、最も印象深く思い返されるのは、我々の上に立 つ者のロボットぶり、とでも言ったらよいだろうか。まず、校長は、式の数日前から当 日の朝に到るまでひたすら職務命令を読み上げたり、職員にそれを手渡ししたりするこ とにのみ必死であり、様々な観点からの教職員の意見に対しても「これは職務命令で す」「私も職務命令を受けています」「今年は状況がちがいます」といった台詞を「もう 一度言いますよ」と前置きしながら繰り返すだけであった』(P.234)

『校長から、個人宛てに職務命令書を出すので校長室に受領に来るようにと言われたが、 勤務時間を過ぎていたためほとんどの職員は当日は受け取りに行かなかった。翌六日、 昼休み、校長室に受け取りに行くよう再度教頭に言われたが、行かずにいると五時限が 始まって間もなく校長・教頭の二人が図書館司書室に職務命令書を持ってやってきた。
 「かつて教員の両親を『戦争に反対をしなかった』と非難した私はこのような理不尽 な命令に従うことができないので、当日は国歌斉唱時に着席します」と通告をして職務 命令書を受け取った。「話は聞いたが私としては起立をお願いするだけだ」と校長は 言った。』
(P.97 筆者・菅谷敬子さん)

『 3月5日の職員会議で、校長は「卒業式実施要項・会場設営図」を担当する分掌をあ らかじめ示すこともなく、一方的に提示した。教職員多数からその不当性が追及された が、「細部は改めて示す」とした。更に、「卒業式予行で生徒に内心の自由を説明させ よ」との多数意見には「その必要はない」とかたくなに拒み、「それは都教委の指導か」 との追及には「私が答える中味ではない」といつもの官僚答弁で職員の失笑と抗議を 誘っただけであった。そして、突如「職務命令書」の読み上げを始め、多数が抗議する 声の中全く聞き取れず、「また改めて職務命令を出す」と校長も譲歩したのであった。
 卒業式を二日後に控えた3月10目早朝、当日の「後期入試」の全員打ち合わせでの 最中、校長はまた「職務命令読み上げ」を始めたが、多数の抗議で「読み上げ」を断念 せざるを得なかった。ところが、午後、校長は入試の採点・得点入力作業を中断し、再 び「職員打ち合わせ」を招集し、「職務命令の読み上げ」を始め、「適正な入試の作業を 中断するな」の激しい抗議の中、校長は「大変なことになる」という恫喝ともとれる発 言をした。これによりほぼ全員の教員があきれて退席してしまった。校長は慌てて職員 室や、各担当教員の退避した教科準備室に出向き、「卒業式は生徒の卒業を祝う場だ。 『日の丸・君が代』のためにあるのではない。職務命令は納得できない」と私たちが抗 議する中、個々の教員に向かって「職務命令書」を読み上げ、なかば強制的に手渡した のであった(その場で職務命令書を破った人、机に置いたままにした人等様々であった)。』
(P.126~P.127 筆者・近藤徹さん)


 職務命令を出さなかった校長は数名いたそうです。


『 今回、通達を発した都教委、卒業式の監視役の都職員、職務命令しか発することができなかった校長、全員に「良心のカケラもない」とは思わないが、辛うじて職務命令を出 さなかったのは数名の校長のみで、叛旗をひるがえした人はほとんどいなかった。』(P.223 筆者・西川随一さん)
58. 「10・23通達」から処分まで(1)
2004年10月11日


 今回から、主に『良心的・・・』に掲載されている 榊 明夫 という方が書かれた「いつもの春の風景が少しだけ ちがって見えた」を読みながら、処分がどのような手続きを経て、どのように行われていったのかを 追ってみようと思います。いつ何時どんな難癖をつけられるか分かりません。あらかじめ敵の手の内 を知っておくのも必要かと思います。
 今日はまず、「10・23通達」と言われている悪名高い都教委の通達を紹介します。学校関係者 以外の方はその全貌を知る機会が少ないと思いますのであえて全文を掲載します。


平成15年10月23日
都立高等学校長・都立盲・ろう・養護学校長殿     東京都教育委員会委員長 横山洋吉

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)

 東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊 重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校 を指導してきた。  これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国 旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施様態には様々な課題がある。このため、各学校 は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。
 ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施す るよう通達する。なお、「入学式、卒業式等における国旗掲揚および国歌斉唱の指導について」(平 成11年10月19日付)ならびに「入学式、卒業式等などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹 底について」(平成10年11月20付)は、平成15年10月22日限り廃止する。


 通達 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」

 l 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
 2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び 国歌斉唱に関する実施指針」のとおりおこなうものとすること。
 3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わ ない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

別紙 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」

1 国旗の掲揚について
 入学式、卒業式における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 国旗は式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
 (2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、 都旗にあっては右に掲揚する。
 (3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等 、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者、その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
  (4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

2 国歌の斉唱
 入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
 (2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
 (3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
 (4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等によりおこなう。

3 会場設営等について
 入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
 (1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
 (2) 卒業式をその他の会場でおこなう場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。
 (3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。
 (4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は厳粛かつ清新な雰囲気の中でおこなわれる式典 にふさわしいものとする。


 読んでいるうちに気分が悪くなってきます。誇張ではなく本当に気分が悪くなりました。なんという 醜悪で愚劣な思想・精神。こんな時代錯誤なものを得意になって取り決める連中が都知事であり 都の教育委員です。教育を語る資格など一片ももない連中が学校を牛耳っています。
57. 『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(3)
2004年10月10日


 都教委と校長はこれを警察沙汰にします。

 『3月16日、校長は直ちに板橋署に赴いた。25日の終業式の翌日、警視庁は捜査員10人 以上動員し私が立ち寄ったとされる三年教室を中心とした実況検分や三年担任 への三時間前後に及ぶ事情聴取を朝9時から夕刻までおこなった。その後、校長は、都 教委、学校連名の被害届を提出した。以降、五回余にわたる捜査、職員室、印刷室、体 育館等の実況検分・事情聴取がおこなわれた。
 三年教室で私が以前に教えていた卒業生に挨拶に行って「しっかりやれよ」と声をか けたことから教室の実況検分に及んだらしい。私がそこで何を言ったかが、問題にされ ているという。私が何を教え子に語ろうと自由ではないか。そこで以前、担任をしてい たときの生徒の妹がいたので、二人で写真を撮ったということを付け加えておこう。
 なぜ、このようなことになったのか。「内心の自由」を仕方なく認めながら、都教委 にとっては九割もの卒業生が不起立を選択したことが許し難い行為なのだ。
 一年以上も前から横山教育長らが「東京から日本を変える」と息巻いて完壁な制圧を もくろんだ三月の卒業式。この三月でこの間題に決着をつけたかったのだろう。「校長 さん、死なないでくださいよ」(校長会での発言)と釘を刺してまで臨んだ今回の卒業式 で「予測せざる事態」にもくろみは根底からくつがえされた。だからこそ激しい怒りを 覚えたのだろう。
 卒業生は18歳だ。教員の言うことなど聞かない年頃だ。しかしそんなことはお構いなし。 「誰が教唆したのか。あおったのは誰だ。見つけ出して徹底的に処罰しろ」。頭に 血が上った土屋都議や横山東京都教育長の狂乱が始まった。挙げ句の果ては「起立しな い生徒が多いクラスの担任を処分する」とまで言い出した。これでは「教育長ではなく、 脅迫長」だ。
 5月21日朝、7時55分、突如自宅のドアがノックされた。「どなたですか」…… 「警視庁!」。いきなりの家宅捜索だった。10時15分まで二時間余にわたって、二階 の洋服ダンスの服一つ一つまで捜索がおこなわれた。あっても「任意出頭」呼び出しと 思っていただけに、驚いた。掲示板のアドレスを書いた紙片(ハガキ大)一枚、組合大会 のビラ一枚、記念にとっておいた私の過去の組合役員選挙立候補の公報、選挙ビラ等の つづり40枚一組。そして何と、明石書店編集部(『良心的・・・』の出版社-仁平注)から のハガキ一枚を押収していった。』


 今日の「澤藤統一郎の事務局長日記」に「板橋高校事件」が取り上げられていました。 共同通信の配信記事が紹介されています。その記事によると、罪状は「威力業務妨害」と「建造物侵入」 とありました。「建造物侵入」は朝日新聞にはなかったので初めて知りました。改めてあきれています。 教え子たちの教室に立ち寄ったことが「建造物侵入」だというのです。
 また「校長さん、死なないでくださいよ」とは恐れ入りました。教育者としての矜持を持っている 校長にとってとてもつらいことだと承知で、校長を石原クーデターの先兵とみなしているのです。 校長さんたち、腹立ちませんか。情けないと思いませんか。やはり不服従を貫くべきですよ。

 最後のくだりを掲載します。

 『「呼び出し状」は、5月31日10時とあった。いきなりの家宅捜索という無法・屈 辱を受けてなぜに呼び出しに応じられようか。弁護士の方六名が板橋署に行き、抗議し た。6月1日に再度、6月9日の「呼び出し状」(二回目)が配達証明で郵送されてき た。弁護団は、東京地裁へ準抗告したが棄却され、現在最高裁へ抗告中だ(6月13日 現在)。地裁の決定書を見ると、「抵抗し」「会場を喧喚状態にした」とねつ造されてい る。簡裁の捜索令状には、「招待状を詐取」とあった。どこまでも、追い込みたいとの 執念からか、恐ろしいことだ。
 憲法が「思想及び良心の自由」を保障している以上、不起立は犯罪ではないのだ。誇 るべき国、社会をつくれば、人は自分たちが選んだ歌を高らかに歌うだろう。愛国心を 強要しなければならないのは、その国が歪んでいる証拠ではないのか。
 作家(だった)としてもっとも心の自由を尊ぶべき人間が権力の座について人心を操 ることに快感を覚えている、この皮肉をどう見たらいいのか。ついに首相にはなれな かった悔しさからか、都知事として大統領になったかのように振る舞う。本当にみっと もないと思わないのか。
 私はTBSニュース23のインタビューに名前と顔を出して応じる決心をした(6月8日放映)。 そして仕方なくその前日、勤務していたガードマンの会社に退職を伝えた。
 若く輝いている卒業生に管理職と都議が怒鳴っている姿は、光放つ蛍の群れに警察官 が「灯を消せ」と叫んでいる戦争中の狂気と重なって見えてならない。』


 藤田さんがこの文を書いた段階では2回の呼び出しがあったとのことですが、その後もしつこく 呼び出しがあって、「澤藤統一郎の事務局長日記」によると呼び出しは5回もあったそうです。
 「澤藤統一郎の事務局長日記」は、垂れ流し記事でお茶を濁すだけで事実に切り込まないマスコミの 報道姿勢を厳しく叱責しています。また弁護士さんならではの文章があります。とても参考になります。 ぜひ読んでみてください。

「澤藤統一郎の事務局長日記」
56. 石原一派の真のねらい(5)
『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(2)
2004年10月9日


 青木さんは次のように文章を締めくくっています。

『2004年卒業式・入学式における「日の丸・君が代」の強制に見られる「都教委の 暴走」は教職員や生徒・保護者の「思想・良心の自由」にかかわる問題で、憲法の保障 する基本的人権の重要問題であることはまちがいない。 しかし、それのみに限定するとするならば事態の一端しか見ていないと言わざるをえない。
 このことは東京都の教育委員会を突破口にしておこなわれようとしている、権力によ る全面的な教育支配であり、教育基本法に代表される戦後の民主的な教育体制の存続い かんにかかわる重大問題である。近代国家と教育の問題、教育など文化現象と国家権力 との関係の問題、教育権の問題、戦後の教育論争の重要な論点が再度捉え返されなけれ ばならないし、それらの論理的な深化がなければ運動の深化もないであろう。 いつのまにか雲散霧消してしまった「国民の教育権」論の再構築が焦眉の課題である。 』


 「日の丸・君が代の強制」の職務命令が『権力による全面的な教育支配』の始まりなのです。以来 ほとんどの都立高校で、都教委の出先機関にしか過ぎなくなった校長の独裁的な学校運営がまかり通る ようになっているのではないかと推測しています。実態を知りたいと思います。
「日の丸・君が代の強制」の問題を『「思想・良心の自由」にかかわる問題』とだけに限定することは 出来ないし、 同時に「日の丸・君が代の強制」の問題を放置しておいては、教育や学校の「自由・自主・自立」は 奪い返すことも護ることも出来ないのです。

 次は『つくられた「板橋高校卒業式事件」』からの引用です。当日の藤田さんの言動が 「卒業式を妨害」したと歪曲されていく過程が述べられています。

 『翌朝、産経新聞は、「元教員、卒業式攪乱」という見出しの大きな記事を出した。「教 職員の制止にもかかわらず、事情聴取」とあたかも式の間中騒動があったかとしか思え ない内容の記事だった。
 3月16日の教育長答弁ではこうなる。
 「校長などの制止にかかわらず元教員が週刊誌の記事のコピーを保護者に配布して、 この卒業式は異常であるなどと大声で叫んだことは、卒業式に対する重大な業務妨害行 為でございまして、『法的措置』をとります。」
 これは式後、卒業生に対する発言を問題視された教頭、さらには、気付かず配布され、 説明されたことに責任を感じた、校長、指導主事らによる虚偽の報告をもとにした教育 長答弁である。この虚偽報告に都教委、都議らがかんでいた可能性も捨てきれない。
 前述したように卒業生入場から最後の歌、退場までの間、式を妨害、撹乱した、など という事実は何もない。では、いったい何があったのか。
 卒業式では先に保護者が着席し、卒業生の入場を待つ。二年前に板橋高校を定年退職 し、当日来賓として呼ばれた私は、この三月のあまりにも尋常とはいえない卒業式のあ り方について保護者に説明しておく必要があると考えた。そこで開式30分ほど前から 15分間ほどの空き時間での出来事である。私は保護者席で『サンデー毎日』(3月7日号) の2ページ分の記事を配った。多くの保護者の方が横の席にまわしてくださった。 配り終えたところで誰に制止されることもなく、私は、教職員は起立しないと処分され るということを説明した。最後に「……できたら着席お願いします」と呼びかけた録音 から、TBSの「報道特集」(3月28日)は始まっている。ちょうど話し終わったとこ ろに教頭がやってきて「やめろ」と言うので「もう終わった」と言ったところ、彼は苦 笑いしていた。直後に校長がやってきていきなり「退去しろ」と怒鳴ったのだ。
 今は民間の勤め先にいてようやく休暇を取って遠路参列した私はこの程度のことでと あきれかつ憤慨し、抗議しつつも無抵抗で退去したのである。ただそれだけだ。この時、 「なぜ来賓を追い出すんだ。……私は、卒業生が一年のときの生活指導担当だ!」と退 去時に抗議した言葉を、「『異常な卒業式だ!』と大きな声で騒いだ」(教育長答弁)とす りかえている。
 土屋氏は、直後のインタビューでこう答えている。
 「立派な卒業式だった。これは校長のおかげである。(生徒が起立しなかったことは)教 員が仕組んだものである」
 「国歌」斉唱よりも写メール(携帯電話付帯のカメラ画像機能)で証拠写真を撮ること ばかり考えていた土屋氏は、直後からこのことを問題にし、元教員、教員に制裁を加え るべく動き始めた。産経新聞に連絡を取り「卒業式攪乱」という記事を書かせ、都教委 中枢と協議して質問と答弁をつくりあげ、都議会予算特別委員会に臨んだ。こうして事 件はつくられていったのだ。
 この手法は土屋氏の常套手段だ。彼は前々から独断と偏見をもって、左翼的だと彼が 思う教職員には徹底的に個人攻撃をかけてきた。北千住駅頭で足立区のある中学校社会 科教員をさして「偏向教育だ、問題教員だ」と騒いだ挙句、二年半にわたって研修所に 送ったりするように、政治目的のためには個人攻撃をも平気でしてしまうという人物だ。  今回も「国歌」斉唱の最中にカシャカシャ写真を撮りまくり、産経新聞を使って「事 件」を捏造した。』
55. 石原一派の真のねらい(4)
『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(1)
2004年10月8日


『良心的・・・』の青木さんの文章の続きです。

 『3月11日の都立板橋高校での「事件」の直後に、同日付で都教委が高校教育指導課 長名で学校長宛てに出した文書には「校長や教員は、関係の法令や上司の命令に従って 教育指導をおこなわなければならないという職務上の責務を負う」とある。つまり「法 令や上司の命令」によって教育内容の管理・統制をおこなおうとすることが、今回の卒 業式・入学式における「国旗・国歌」の強制の真の目的であることを如実に物語っている。
 石原教育行政の東京における今回の〝クーデター″の目的は、戟前・戦中の勅令主義 (勅令によって教育内容を決定すること)を部分的に復活させようとすることにほかなら ないのである。ことは東京における学校教育全般にかかわってくる問題である。「学校 経営上の最重要課題」ということはそのような意味である。現に次なる標的にされて いるのが「性教育」と「ジェンダーフリー」である。その次はおそらく平和教育で、沖 縄修学旅行なども槍玉にあげられるかもしれない。2003年7月の七生養護学校にお ける「事件」と今回の「卒業式・入学式」がまったく同様な経過をたどっていることか らもそれは明らかである。』


 上記引用文中の『都立板橋高校での「事件」』については、卒業式での校長・教頭・都議の 無様な様子についてだけ、前に少し触れました。
 ところで、本日の朝日新聞朝刊に板橋高校の元教師が「威力業務妨害」とかの罪状で 書類送検されたという記事が掲載されました。卒業式を妨害したというのがその理由です。 これが『都立板橋高校での「事件」』です。書類送検された方は藤田勝久さんという方で、 『良心的・・・』に、文を寄せて、卒業式のときに行ったことと、その後の事件 でっち上げの経緯を書いています。
 石原一派にかかると、いつだれがどのような罪状を押し付けられるか、知れたものでは ない。後々のためにも全文紹介します。今日はまず、前半の卒業式の様子を述べているくだりを 掲載します。

 『つくられた「板橋高校卒業式事件」  藤田 勝久

 都立板橋高校は、地下鉄有楽町線で、池袋駅から二つ目の千川駅を降りて五分ほど歩 いたところにある。正門前の道路には見事な桜並木があるが、ある日その門の前の縁石 にお年寄りが座っていた。
 「おばあさん、お年は?」
 「大正五年生まれだよ(なんと88歳)。ここは昔川が流れていて蛍がいっぱいいたよ」
 満州事変のときに15歳、敗戦のときに29歳ということになる。
 「警官が、その蛍にどなっていたんだよ」
 「え、蛍に?」
 「そう、蛍に。『灯火管制中、灯を消せ!』って」
 いやはや、88歳の経歴には脱帽するしかない。
 今は桜に包まれている板橋高校のこの3月11日の卒業式での出来事が大きなニュー スになり、事件になっている。私は卒業式が始まる前に会場から締め出されてしまったが、 式は次のように進行したと聞いている。
 板橋高校では、全国のほとんどの高校で卒業生全員が起立して「国歌」を斉唱する形 式が定着しつつある中で、何と九割をこえる卒業生が潮が引くように着席してしまった のだ。卒業生270人のうち、起立したままの生徒は10~20人くらいだった。
 卒業生入場のあと、「開会の辞をおこないますので全員ご起立ください」の声ととも に教頭が「国旗」と「都旗」を背に壇上に上って開式を宣言して降壇。ここで司会の 「国歌斉唱」の声がかかる。そこで「予測せざる事態」(横山教育長、3月16日都議会予 算委員会発言)が起きた。会場にいた校長、教頭、指導主事、教職員、来賓ら、誰もが あっけにとられる事態の発生だった。
 驚愕した校長は必死に叫ぶ。「立って、歌いなさい!」五、六回は叫んでいただろう か。教頭も叫ぶ。あげくの果ては来賓としてきていた土屋敬之都議(民主党)までが 「立ちなさい」と大声を張り上げはじめた。この間、わずか一分ほどだっただろうか。
 起立した卒業生の一人が「思想・信条の自由はどうなんだ」と発言した声に教頭が応 じた。「思想・信条を持って座っているもの以外は立ちなさい」。
 この発言ほど矛盾、滑稽、馬鹿馬鹿しさを象徴している言葉はない。
 一方で内心の自由はあると言い、他方で起立して歌えと言えばこうなる他にない。し かし信念を持って起立していた少数の卒業生にとっては、この上なく迷惑で失礼な言い 方ではないか。だが、私は教頭にひどく同情している。あのような状況下では結局あの ようにしか答えようがないではないか。
 やがて全体が落ち着いたところでピアノが鳴り始め「国歌斉唱」が始まった。管理職、 指導主事、来賓、保護者、一部教職員と生徒によって式次第の「国歌斉唱」は無事終了 した。以降、「全員着席」「校歌斉唱」「卒業証書授与」と式は整然と進行。私語もなく 厳粛な雰囲気の中、最後に卒業生の選曲による「旅立ちの日に」の合唱が続く。
 中学のときに歌ったことがあるせいか、前日ほとんど練習していないのに見事なハー モニーだ。高音、低音、各自が好きなパートを歌って感動的な合唱になった。今の若者 の音楽のセンスの良さに改めて感嘆する。伴奏は視覚障害者のⅠちゃんが弾いた。三年 間彼女を助けてくれた仲間へのお礼の気持ちもこもっていたのだろう。さらに一層の感 動を呼んだ。かくして卒業式は無事に終わった。
 土屋都議も直後のTBSのインタビューに答え「立派な卒業式だった」と語っている。  しかし、式中の問題点がいくつかあった。
 その最大のものは、司会の「国歌斉唱」発声後の50代と思われる大人三人の罵声で ある。特に来賓の土屋都議は学校にとっては部外者に過ぎない。あまつさえ彼の携帯電話 の使用は問題だ。日頃から「『君が代』を大切にしろ」「心を込めて歌え」と言ってい た土屋氏本人が斉唱の最中に携帯電話を取り出して写真を撮っていたのはどういうつも りなのか。開式前に司会が「携帯電話の電源をお切りください」と言っていたにもかか わらず。
 このことは式の直後に参列者の口の端に上り、大勢の顰蹙を買うこととなった。当然 のことながら「何であんな男を呼んだのか」と都教委や校長の責任を問う声も強い。』
54. 石原一派の真のねらい(3)
2004年10月7日


 次の引用文は『良心的・・・』の青木さんの文章です。

 『2003年の「10・23通達」はその仕上げであると同時に、戦後の教育体制の根幹に 対する新たなそして根底的な挑戦の始まりである。それは石原都知事と六人の教育委員、 一部の教育行政担当者及び一部の右派都議会議員などによって企てられている一種の ″クーデター″の始まりであるといっても過言ではない。「10・23通達」が従来のものと 質的に違うことは、①会場設営を含めて「式」の内容にまで詳細に立ち入っていること、 ②「処分」という恫喝により全教職員に対し直接に実施を迫っていること、である。つ まり、式典の内容を行政権力が一括管理し始めたのである。「日の丸・君が代」強制の 「法的根拠」は現在までのところ「学習指導要領」のみであり、「指導要領」は過去の判 例において、あるいは行政解釈においてすら「大綱的基準」の域を出ていない。都教委 は、それを大きく踏み越え、「学習指導要領」を口実にして教育課程の内容にまで深く 立ち入ろうとしているのである。式場の配置や教職員の具体的な行動にまでいちいち 細かく干渉してくることは、そのことのまさに象徴であり、これを突破口に教育の内容 にまで深く行政権力が介入してこようとしているのである。これは決して看過すること のできない重大な問題である。』

 次の引用文は『ボクラ少国民』からの孫引きです。

 『日本の首相の教育に関する最近の言動は、短期的には、この夏に予定されている参議院選挙向けの、  (多分みずからの失政をおおいかくす性格をもっての)争点づくりという意味をもっていよう。しか し長期的には、そこにはなんの気まぐれ性もなく、教育の局面に、戦前のナショナリズムの復活をめ ざす強烈な意志がつらぬかれている。戦後の文部行政が、多く戦前の内務官僚たちによって、内務行 政的な感覚ですすめられてきた事実を思いみるだけでも、そのことは明らかである。
 ただちがいは、戦前のナショナリズム教育が、当時の日本の資本の劣弱性ゆえに、ごく早熟的に 強行されなければならなかったのにたいし、現在のそれは、肥大した資本の対外進出をまさに完成 させるためのものとして要請されている点、目下のところではまだ、教育勅語あるいほ「御真影」 といった至上のシンボルを欠いている点のみである。
 それだけに、教育における戦前的な体制への復帰が焦眉の急としてもとめられているといってよい。 サンフランシスコ講和条約以後の文教政策は、教科書検定の強化、教育委員の任命制への切りかえ、 勤務評定の強行、道徳教育の復活等々、戦前の国家主義的画一的な教育の再建を、 外郭からうずめるかたちで、着々とすすめてきたが、日の丸と君が代の法制化は天皇制イデオロギーの 直接の復活につながるものとして、いわば”画竜点睛”の意味を持つ。
 わたくしはそのとき、かつての抵抗者たちのことを思い出す。明治中期に、天皇制の国家主義 教育をもっともするどく攻撃したのは、主としてキリスト教徒たちであったが、その一人である 植村正久は、「帝室を基礎とし、日本てふ国家を中心として人類の道徳を養成せん」とする教育を、 「私造せる紙弊を誇示」するにひとしいとのべて、教育勅語を批判した (「日本の宗教的観察」、1891年)。
 内村鑑三は、「愛国心養成の途は唯一なり、自由の拡張是なり」といい(「モンテスキヤの言」、 1899年)、また「『君が代』は国歌ではない、是は天子の徳を讃へるための歌である、国歌とは 其平民の心を歌ふたものでなくてはならない」とした(「歌に就て」、1902年)。』


 この文はいつごろ書かれた文だと思いますか。
 1974年5月7日付読売新聞夕刊に掲載された「ナショナリズムと教育」と題した鹿野政直氏の論文です。 この頃の読売新聞はこのような権力批判の論文も掲載していたんですね。
 鹿野氏も<ボクラ少国民>世代です。この引用文の後で中山氏は「こういう見方に対しては、 神経質過ぎるという見解があるかも知れない。しかし、<ボクラ少国民>世代は、このことを観 念論ではなく、肉体的な痛みを伴う肉声として言えるのである。」と述べています。

 国家権力は、この論文が書かれたときから30年後に悲願を達成したことになります。私 たち被支配者側からは、ついに最後の砦を落とされたということです。あるいは、30年間よく 阻止してきたというべきでしょうか。
 このような明らかな危機的状況になっても、「日の丸・君が代の強制」に強い危機感を持っている 私たちに対して、問題の本質を見ようとはせずに「神経質すぎる」とやり過ごしてしまう生活保守主 義者たちや、国家権力に取り込まれてしまったイデオロギー的偏見で冷笑する擬似インテリたちが相 変わらず多数派です。あるいは、これら多数派の人たちは自分たちの子どもや孫に、大日本帝国時代と同じような 教育を望んでいるのでしょうか。あるいは、徴兵制には喜んで応じるのでしょうか。
53. 石原一派の真のねらい(2)
2004年10月6日


 「教育勅語」を読めましたか。どういうわけか、私は「よくちゅうによくこうに」あたりまでは空 で言えます。小学校5・6年生の頃だと思いますが、家のどこからか、振り仮名つきの「教育勅語」が 出てきました。旧仮名遣いが面白くて、弟と振り仮名通りの音で読んで遊んだ記憶がありますから、 そのとき覚えたのでしょう。振り仮名通りだと、たしか次のようになります。「ちんおもふにわがくわうそくわ うそくにをはじむることくわうえんに」
 閑話休題。
 鼻水をずるずるすすりながら「礼法にのっとり、頭をさげて拝聴」しているのは、小学生ですよ。 何がなんだか分からないお経のようなものを聞かせて無駄なことをしてるなあと思われますが、 小学生の頃からの度重なる儀式で天皇や国家に対する畏怖というよりむしろ恐怖の念が 植えつけられます。教師がそれに拍車をかける役割を担います。

 教育勅語とセットで猛威を振るったものに「奉安殿」があります。ご存知ですか。「御真影」 と称される天皇・皇后の写真と「教育ニ関スル勅語」の謄本などが格納されていました。
 再び「ボクラ少国民」(中山恒)から引用します。

 『この奉安殿はぼくらにとって容易ならざる存在であった。如何なる理由があるにせよ、その前を通 過する際、欠礼は許されなかった。きちんと停止し、奉安殿正面に向って直立不動の姿勢をとり、最 敬礼しなければならなかった。例えば喧嘩して逃げたり追いかけたりしているときでも、奉安殿の前 を通過するときは最敬礼をしなければならなかった。一見無関係な顔つきで奉安殿に向って最敬礼し ていたふたりの生徒がそこを離れたとたん、猛烈なとっ組み合いをやらかすなどというのも、 珍しいことではなかった。ぼくもー且登校して忘れ物を取りに戻るとき、確かに最敬礼した筈なのに、 ものかげで見張っていたらしい教師に呼び戻されて、最敬礼のやり直しをくったことがあった。 恐らくそのとき、ぼくの表情に不服の色があったのだろう。心がこもっていないとか、 頭をあげるのが早や過ぎるとか、実に執拗なやり直しをさせた。時刻は迫るし、なんともせつなかった。 それでも、ぼくの場合、単純なやり直しだけで済んだが、そのことで既に何人もの生徒が、 この教師から手ひどい体罰をくわされていた。最敬礼がぞんざいであるということは 「恐れ多くも天皇陛下に対し奉り不敬の心がある」ということになるのである。 これはまさに最大級の反逆罪なのである。

 もし、現代の子どもにいきなりそんなことを強制したら、まともに相手にされないだろうし、へた すると気違い扱いされるだろう。だが、この皇室に対する気違いじみた畏怖は理屈ではなかった。論 理的ではないから、これは若い世代に伝えようもない。伝えようにも、論理として第三者を納得させ がたいのである。』


 中山さんは「現代の子どもにいきなりそんなことを強制したら、まともに相手にされないだろう」と 書いておいでですが、いま現代の子どもたちは「日の丸・君が代」でほとんど同じ無理難題を押し付けられ 、それがまかり通っています。

   青木さんの文章に戻ります。

    『戦後になって、学校行事は国家権力の直轄支配から解き放たれた。「学習指導要領」 での扱いは、学校行事は特別活動として教育課程の一環であり、内容は学校の専管事項 とされた。都教委は「学習指導要領」をもって「日の丸・君が代」強制の根拠として いるが、それは「指導要領」の本来の趣旨に対するまったくの無理解あるいは曲解以外 の何物でもないのである。教育課程を学校が編成すべきことは「学習指導要領」そのも のが書いていることである。戦後の日本の学校教育の体制は、大きな対立点があったに せよ大筋おいては、(少なくとも建前においては)憲法・教育基本法のもと、教育行政 は条件整備に主眼を置き、教育の内的事項に関しては、あくまでも「学習指導要領」を 介して「指導」という体裁がとり繕われてきた。
 「心の東京革命」で始まった石原教育行政は2001年には東京都の教育目標から 「憲法及び教育基本法に基づき」の文言を削り、2002年には法規外の制度である 「主幹制」を導入するなど「教育改革」の名のもとに教育制度の反動化を進めてきた。』


   東京都の教育目標というのをすっかり失念していました。これまではそれをことさら思い出す 必要もないほど穏当な理念が述べられていたからでしょう。「憲法及び教育基本法に基づき」 の文言を削っていたとは、知りませんでした。
 日頃から、現憲法を認めないといってはばからない石原が首都の知事を務め、「日の丸・ 君が代の強制」とその処分が教育基本法に違反するのではという指摘に「どうせまもな く改正(私たちから見れば、もちろん改悪)されるさ」とうそぶくやつが都の教育委員を 務めている醜悪さ。そのくせえこと、くせえこと。

 「主幹制」がどういう制度で、実際に現場にどういう影響を与えているのか、私には分かりません。 どなたか、教えてくださいませんか。
52. 石原一派の真のねらい(1)
 2004年10月5日


 『いま都立高校を襲っている「日の丸・君が代の強制」という暴挙は、ただ単に日の丸 を掲揚させ、君が代を無理やりに歌わせるという問題にとどまらない。その真のねらいを 把握して、息の長い闘いを考えなければならない。』というようなことを、私はこのホームページで 何度か訴えてきました。
 石原一派の真のねらいを分析している文章を『良心的・・・』から引用します。筆者は 都立高校教員で予防訴訟原告のお一人の青木茂雄さんです。

 『都教委(東京都教育委員会)に言わせると、卒業式・入学式における「国旗・国歌」 (なぜか「日の丸・君が代」と決して言わない)の問題が「学校経営上の最重要課題」なの だそうだ。この言葉は、今回の卒業式・入学式における都教委の真のねらいを明白に物語っている。
 戦前・戦中の学校数育においては、たとえば教育勅語の奉読に端的に見られるように、 学枚行事は支配的な天皇制イデオロギー注入のまさに中心的な役割を果たしていた。そ して儀式の内容は細部にわたり決められていて、それを逸脱することはたとえば校長に とっては死を引き換えにするほどの重大なものと考えられていたのである。儀式的な学 校行事を仲立ちとして、国家権力が教育の内容にまで深く介入し、心の奥底までを支配 してきていたのである。』


 教育勅語に関連して、「ボクラ少国民」(中山恒)から引用します。

 『とにかく式典には必らず『教育二関スル勅語』が奉読され、その間にぼくら生徒は、礼法にのっと り、頭をさげて拝聴しなければならなかった。式場のあちらこちらからおこる、ズルズルという鼻水 をすする音を伴奏に、校長はいわゆる<勅語節>とよばれる一種独特な調子で読みあげる。

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億 兆心一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父 母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能 ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公 奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先 ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実二我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二遵守スヘキ所之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ 中外二施シテ悖ラス朕爾臣民卜倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
 明治二十三年十月三十日     御名御璽

 いつ果てるともなくずるずる鼻水をすする音が続き、最後の<御名御璽>が終って、もう一度敬礼 したあと、元の姿勢にもどると、一斉に鼻水をすすりあげる音が、まさにシンフォニィのごとく式場 である講堂を圧したのを思い出す。特に紀元節(二月十一日)のころは寒いし、かぜひきも多いので、 それがことさら激しかった。
 そういえば、ぼくらの子ども期には、かなり高学年になってからも二本ばなをたらしているのが多かった。うす着と栄養不足のせいだったかも知れない。みんな服の袖口で、はなをひっこするので、 袖口はナメクジのあるいたあとみたいに、びかびか光っていた。
 ある儀式のとき、たまたま校長が不在で、教頭がこの教育勅語の奉読をやった 。普段気さくで、話がうまく、ぼくら生徒のあいだに人気があった教頭は、緊張のために、顔まで別人の如くで、まるで 中風になったみたいにかたかたふるえ、声もかん高く上ずっていた。式のあとで、ぼくらは校長の勅語 語奉読と比較し、読み方の速度がどうの、ふるえて泣いているみたいだったなどと感想を述べ合い、 当時既に「カンロクノチガイ」という言葉を使用して批評し合った。しかし、ピンチヒッターとして の当人にしてみれば、教育勅語の扱いは最高に神経を消耗するものであったろう。うっかり読み違い や、読みとばしなどしたら、始末書とか減俸とかいったペナルティがあったのではないかとさえ思わ れる。


 さて、皆さんはどんな感想をお持ちになりましたか。
51. なんとすばらしい都知事!
2004年10月4日

「反ひのきみネットML」より、三つ
 根津公子さんの石川中裁判&多摩中裁判が同日(10月5日午後)に東京高裁&地裁で初公判となりま す。
 石川中裁判のほうは高裁初公判、多摩中裁判のほうは地裁初公判です(今までは人事委員会)。 ぜひ多くの方、傍聴に来てください。

多摩中裁判 ・第1回裁判は10/5(火)13:10地裁710
石川中裁判 ・第1回裁判は10/5(火)14:30高裁806

 石川中裁判は傍聴券配布法廷になり、2時に傍聴券配布。実質審理に入らせる ように多くの方の傍聴をお願いします。石川中の元生徒の証言の機会を作りましょう。

(どちらも霞ヶ関の同じ建物です)
 地下鉄霞ヶ関駅下車(丸の内線ならすぐ上です)


すでに9月27日、「君が代起立 指導を職務命令」(朝日)という見出しで新聞報道されましたが、 本日(10月2日)、都立深川高校創立80周年記念式典が「ティアラこうとう」というところで、 午後1時より行われました。

これに対し、「都教委包囲首都圏ネットワーク」では、本日11時30分より、会場前で、

「『日の丸・君が代』の強制は憲法違反です
 『日の丸・君が代』は戦争のシンボルです
 あなたにも、わたしにも 立たない、歌わない自由があります」

という見出しのビラをまきました。
このビラまきには14人が駆けつけてくれました。
「おはようございます。創立記念日おめでとうございます」と言いながらピンクのビラ(A4版)をまくと、 多くの生徒・教職員・同窓生たちが、ビラを受け取って行きました。
この様子を(とくに生徒たちが受け取る様子を)、二つのテレビ局が写していましたが、 果たして流れるかどうかは分かりません。
 生徒の3分の2くらいは、受け取ったと思います。そしてビラの裏には新聞記事を付けて おきましたので、会場が開く前に、お互いに話あっている生徒たちもいました。
 全部で、ビラは800枚以上入りました。なかには、保護者の方で、わざわざ私たちのところに来て、 「他の保護者にもまきたいので、ビラを下さい。」と言い、ビラを持って行った人もいました。 また、ある生徒たちは、マスコミにインタビューされ、ビラにある「あなたにも、わたしにも 立たない、歌わない自由があります」というところについてどう思いますか、と質問され、 「私たちもそう思います」と答えていたそうです。
 さらに、同窓生という大学教授に私たちの仲間が「君が代斉唱の時、どうされますか」と聞くと、 「そんな質問は愚問だ。自分は立たない」とはっきり述べたそうです。

 都教委の通達に忠実に従った校長から、「君が代起立・斉唱」の生徒指導の職務命令が出 された初めての創立記念式典でしたが、 そして、まだ式典の様子は分かっていませんが、私たちは、この機会を捉えて逆に、「都教委の暴走を広く暴露する新たな第一歩」 を踏み出すことができたと思います。
生徒たちも、今後ビラについてお互い同士話し合う機会をもつでしょう。また家庭にも持ち帰り、保護者とも話しあうでしょう。 そして、今後行われるあちこちの創立記念式典に向けて市民レベルでの宣伝活動も強化されるでしょう。

なお、首都圏ネットワークでは、今後の東京における闘いを進めていくため、以下の取り組みを計画しています。

<「日の丸・君が代」強制と処分を許さない10・24討論集会>
 ・日時 10月24日(日)13時30分~
 ・場所 文京区民センター(JR水道橋駅下車、徒歩10分)
 ・内容 都教委の暴走をいかに止めるか

お集まり下さい。


「反ひのきみネットML」から送られてくるメールは実に多彩です。 私が全く知る機会がなかった闘いがたくさん闘われているとこを教えてくれますが、 このページでは「日の丸・君が代の強制」関係に絞って紹介しています。しかし今回はその原則を はずして、もう一つ紹介します。石原に突きつけたい言葉があります。


 7月24日に開催した「枝川朝鮮学校支援都民集会in江東」ではお世話になりました。
 その枝川の歴史と現在、これからを記録した「増補新版 東京のコリアン・タウン  枝川物語」がこの5日にできあがります。
 枝川で生きた在日一世の聞き書き、これからを生きていく二世、三世のざっくばらんな 座談会、枝川地区の形成史、関連年表、資料紹介など盛りだくさんの内 容になっています。増補にあたり、2003年に東京都が提訴した裁判資料(訴状、 弁護側準備書面)なども収録しました。枝川に関心をお持ちのかた、民族 教育権に関心をお持ちのかた、そしてなによりも教育について考えているみなさんに ぜひ手にとっていただきたく思います。

以下のページで内容を紹介しています。

http://homepage3.nifty.com/kinohana/newedagawa.html

最後に本書に収録されている、上記「弁護側準備書面」で引用されていた東京都知事 の文章を紹介します。

 「仮に通達と法律とが矛盾しあうならば、法律に従うべきであり、法律と憲法が矛盾し ている時は、憲法に従うべきであるというのが私の行政官としての判断 である。」

 1968年、国の文部事務次官通達のため手続きがたなざらしになっていた朝鮮大学校の 認可決定を行った美濃部亮吉知事のことばです。いやぁ、今の都知事 にはとてもいえな いことばですね。
50. 起立した人、しなかった人、ともどもの苦悩(2)
2004年10月3日


 青戸さんは4年前の卒業式を振り返っています。   『昭和天皇が死去したころから「日の丸」を掲揚しようとする動きが強まり、1999年 夏、多くの反対の声を押し切って「国旗・国歌法」が成立した。東京都教育委員会は秋に 通達を出した。
 3月に入り、各学校での卒業式の様子が新聞などに報道され、「日の丸」「君が代」に反 対する教職員や生徒の活動が紹介された。これに危機感を待った管理職は「式の中で内心 の自由について発言は認めない」「『国歌斉唱』の発声とテープ操作は教員がやる」という 提案をしてきた。校長は「職務命令を出してもいいんだ」と自分の考えを押し通そうとし たが、何回も話し合い、最終的には式の始まる前に「内心の自由」について話すことがで き、発声やテープは管理職が行うことになった。
 教頭の「国歌斉唱」という声とともに「君が代」の音楽が流れたが、教職員・生徒・保 護者はだれも起立しなかったし、歌わなかった。管理職の歌声だけがむなしく響いていた。 私は司会担当だったので、式の話し合いから式が終わるまで胃の痛くなる毎日だった。式 が終わった時、肩の力が抜けていった。
 式の後、事務室に行った時、校長に会った。開口いちばん、校長は私に、「なぜだれも 立たないんだ。おまえら何かやっただろう」と怒鳴った。突然のことで驚いたが、 私も言い返した。興奮していたので、何を言ったかよく覚えていない。後になって気がついたの は、校長は自分の立場だけを考えているということだった。学校が都の言いなりになり、 管理職がその先頭に立つという図式がよく理解できた出来事だった。』


 昨年の「10・23通達」が従来の卒業式を破壊します。

『「通達」 について校長は、「こうなりました。この通りやります」 という説明しかしなかっ た。「内心の自由」については、「もう何年も話しあってきたこと。もう話すことはない」。 保護者への説明は 「必要があればやる」という姿勢で、教職員や保護者に説明し、納得し てもらおう(納得させられないだろうが)という姿勢は全く見られなかった。 問答無用! それが今回の通達の特徴であった。
(中略)
 (卒業式で)指定された席に座ることが強制され、(「国歌斉唱」という)司会の声とともに 教頭が近づいてくる。後ろでは指導主事がチェックしている。私は歌わなかったが、座ることはで きなかった。座ることが職場にどのような混乱を起こすかわからなかったし、職場や保護 者から支持されるかどうかもわからなかった。それは、自分自身の弱さでもあった。教職 員の中にも「おかしい」と思っている人はいたが、どうすればよいかをきちんと明らかに することができなかった。日頃の職場での活動が弱かったということである。
 教員が自由に発言して教育活動ができ、集団で教育に当たるとき、生徒が自由にのびの びと成長できるのである。おかしいことを「おかしい」と言えない状況ではよい教育を行 うことはできない。今回の「通達」は、教職員にとっても生徒にとっても苦痛を与えるも のでしかなかった。卒業式で起立しなかった方の話を聞く機会があった。その方は、「自 分の思いで起立しなかったが、くり返すと子どもや職場から切り離されてしまう。入学式 ではやらないと答えるしかなかった」と話していた。
 教職員をこのような思いにさせ、強制する人たちに、本当に怒りを覚える。教職員だけ でなく、保護者や市民からも反対の運動が始まっている。憲法にも反する 「通達」に反対 し、処分撤回などの運動にも関わっていきたいと思っている。』


 「職場や保護者から支持されるかどうかもわからなかった。」「くり返すと子どもや職場 から切り離されてしまう。」
 起立した人もしなかった人も、ともどもに苦悩しています。
 一人でも多くの人が、「日の丸・君が代の強制」と闘う教師たちを支持することを表明し、そのための 行動を起こすことが不可欠な情況になっています。
49. 起立した人、しなかった人、ともどもの苦悩(1)
2004年10月2日


   (「日の丸・君が代」処分」(高文研)からの引用を続けます。筆者は東京都立養護学校 教員・青戸正矢さんです。)

   『 私にとっての「日の丸」「君が代」の原点は中学時代にあったと思っている。今から30年以上 も前のことである。当時、私が通っていた地方の中学校では、毎朝「君が代」が 流され、「日の丸」が掲揚されていた。「君が代」の音楽が流れている間は、学校のどこに いても「気をつけ」の姿勢で直立不動でなければならなかった。しかし、このことに違和 感を持つことはなかった。そうするのが当然だと思っていたからである。
 ひとつだけ覚えているのは、皇太子(今の天皇)が近くの施設に見学に来た時のことで ある。生徒全員で皇太子の車に旗を振ろうという担任の話に、私はなぜか反対した。 そのことに深い意味はなかったが、担任や先生方にひどく怒られた。そして教室に戻り、泣い ていた。いま考えてみると、「日の丸」「君が代」に反発を覚えるのはこの出来事があった からだと信じている。』

 私は『4.「君が代日の丸」が「考えるな、服従せよ」と恫喝する(2004年8月18日)』で 『日常的に校庭の「日の丸」に敬礼し、どこで何をしていようと、直立不動で「君が代」の放送を聞 くことを強いている小学校が既にあると言う。』と書きました。自民党が「教育正常化」 (私から見ると「教育異常化」)運動を協力に推し進めていた頃(たぶん1975年前後)の記憶で、 少し自信がなかったのですが、やはりそういう学校はあったのです。今はどうなのでしょうか。
 小学校・中学校でこのように教育されてきた人たちが各分野の第一線で活躍するようになった のだなあと、感慨を新たにしています。上記の文の筆者のように、心の奥底に持っていた疑念を 現実と照らし合わせて意識化する機会を持った人は「日の丸・君が代」教育の呪縛を解くことが できますが、日常にただ流されて過ごしてきた人たちは「日の丸・君が代」に何の違和感も持た ず、支配を甘受するのでしょう。そういう人が多数派を構成するようになったのですね。

 30年も前から、いや敗戦後ずっと相も変わらず教師は生徒に旗を持たせて、旗振りの先頭に 立っていたのです。もちろん反対する教師はいるのですが、いつも少数派です。今に始まった 問題ではないのだと改めて思います。「歴史の総括をきちんとしない」でやり過ごしてきたツケです。 ちょっと滅入りますね。
 思い出したことがあります。私が三宅高校に勤めていたとき、昭和天皇が観光で来島したことが ありました。天皇の車が通過するほんの数秒足らずのために、小中学校では児童・生徒に日の丸を持た せて沿道に駆り出しました。私の娘が小学生だったのですが、母親が「私の娘には旗を持たせない で欲しい」と抗議して、私の娘は旗振りはしませんでした。もちろん娘にはその理由は話しました。
 私が勤めていた高校では、私は沿道で出迎えることは無用と主張しましたが、 生徒個々の判断を尊重しようということになって、その時だけ授業を中断して、 生徒の自由に任せました。興味本位で校門まで出て行った生徒が多少いたようです。 もちろん日の丸などは用意はしませんでした。
48. 頼もしい保護者たち(5)
2004年10月1日


 特派員協会での記者会見のあと、「ジャパンタイムズ」、AP通信、イギリスの「ガ ーディアン」、教育誌、「サウスチャイナモーニングポスト」、オランダの新聞等に 記事が掲載されたと言うことです。「ジャパンタイムズ」のくじの内容が掲載されていますが 割愛します。

 『3月30日に発表された処分は、嘱託教員の不採用をはじめ、減給、戒告など176 人への処分で、私たちの要請・陳情をあざ笑うかのような異常なものでした。
 私たちは急きょ、「学校に自由の風を!」と題し、4月29日に保護者、教職員、市民 で緊急集会を開きました。当日は300人の会場に520人という参加者で会場はあふれ ました。高校生、在日の学生、教員、保護者、ジャーナリストなどがそれぞれの思いをリ レートークで語りつなぎ、弁護士、学者が全体状況を語りました。
 「来てよかった」「元気が出た」「まとめて話を聞くことで、バラバラだった事実がつな がり、よくわかった」等の感想が寄せられ、人数的にも内容的にも大成功でした。
 ところが一方、都教委は5月25曰、「10・23通達」を踏み越えるさらに野蛮な処分を しました。3月18曰、都議会での土屋たかゆき都議の質問で、横山教育長が、「『君が代』 斉唱時に起立しなかった生徒が多い学校を調査し、教員を処分する」と答えたためです、 この曰、土屋氏の質問が終わると30人ほどの集団が一斉に退室、すると土屋氏も廊下に 出て来てこの人びとに深々とお辞儀。”密接な関係”を感じました。土屋氏の質問には完 璧に応じ、6000筆の署名に込められた都民の声は無視する都教委。都政が民主主義で なく独裁主義に近づいていると感じました。
 この動きに対し、6月12日、保護者、市民、教員、労働者、都庁の教育庁支部に働く 方々の賛同までも得て、集会を開き、1200人の会場が、1300人の方々でいっぱいに なりました。
 この取り組みを通じ、思いを同じくする方がたくさんおり、つながりあうことが元気と 力を生むことを知りました。たいへんでもたくさんの人と出会える楽しさも知リました。 実は、都教委の足もとも揺らいでいることを知りました。
 私たちの子どもたちは都教委の人質でも、人的資源でもありません。民主主義のシステ ムも監視を怠れば独裁となり、私たちの無関心とあきらめがこれを許してきたと思いました。 それには普通の市民があきらめず、東京の教育について発言し、行動し、議員の選択にも市民 の声を活かすための努力をしていかなくては、していけば可能性はある、そう信じて努力して いこうと思います。』


   土屋と横山のやり取りは明らかにヤラセだし、土屋が頭を下げた30人ほどの集団は、 たぶん交通費や弁当代付きで動員された者たちでしょう。

 最近いただいたメールに次のような指摘がありました。
 『歴史の総括をきちんとしないから、自国が崩壊していくのを、皆手をこまねいているのだと 思います。』

 そのとおりだと思います。この問題をいずれ取り上げてみたいと思います。