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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

孔だらけにしてしまえ
 2004年8月23日


 「ペン部隊はもっと厳しく指弾されていい。私たちは私たちの心の内と外にいるペン部隊的なるものをこそ攻撃すべきである。だが、新しいペン部隊には、司令部も顔も人格も場所的中心もない。鵺のようなものなのだ。撃つべき急所というものがない。じつにうまくできているのだ。ならば、成員に内部からの反乱を呼びかけるしかない 。おおかたの成員はペン部隊成員である自覚もないから、いかにも心許ないけれど、
部隊からの脱走ないし反乱を、「私性」をまだ完全には摩滅させていない少数の部隊員に呼びかけるべきである。これは無駄な情熱というものかもしれない。でも、言うべきであろう。
 顔を取り戻せ、言葉を取り戻せ、文体を取り戻せ、恥を取り戻せ。反乱の勇気がないのなら、その場で静かに穿孔せよ。情報市場に細かな孔を開けてしまえ。帰属する組織にたくさんの私的な孔を穿て。深く密やかに穿孔せよ。まっとうな知の孔を開けよ。孔だらけにしてしまえ。そのように呼びかけるべきである。ひょっとしたら、呼応する者が幾人かいるかもしれない。」
(辺見庸×高橋哲哉「私たちはどのような時代に生きているのか」より)

 「ペン部隊」とは1938年に、国民の戦意高揚をはかるために戦地に派遣された作家・ジャーナリストを構成員とする大日本帝国の戦争遂行のための宣伝マンたちである。1942年には「皇国ノ伝統卜理想トヲ顕現スル日本ジャーナリズムヲ確立シ、皇道文化ノ宣揚二翼賛ス ル」ために「日本文学報国会」が創立され、ほとんどの文学者・ジャーナリストが
「尽忠報国」のための活動を極めて積極的に真面目に遂行するようになる。

 辺見氏は、絶望的な状況の中で真正面から権力と向きい、孤立無援の闘いを闘っている数少ないジャーナリストの一人である。
 現在のジャーナリズムの状況を、氏は「ペン部隊」と同じだと言う。
ジャーナリスト本来の役割を捨ててしまって、「尽忠報国」に奔走する姿勢が大勢となっている。とりわけマスコミの状況がひどい。
 孤立無援の闘いを闘っているもう一人のジャーナリスト・斎藤貴男氏
も著書「『非国民』のすすめ」で一章を割いている。政治評論家・森田実氏もそのホームページで再三再四その危険性を指摘している。

 辺見氏の憤りは激しく絶望は深い。それでも「ひょっとしたら、呼応する者が幾人かいるかもしれない」とわずかな希望を託して、上記のような呼びかけをしている。私には血を絞るような悲痛な叫びに聞こえる。
 
 「ペン部隊」を「権力に従順な教師や生徒たち」と置き換えて読んでみる。そこに「保護者たち」も入れていい。 もちろん、ジャーナリズムや教育の部外者でも、自分に引き就けて、自分への呼びかけと読めるはずだ。

 ボルテージの最も高い部分を教育現場への呼びかけに言い換えてみる。

  
顔を取り戻せ
言葉を取り戻せ
誇りを取り戻せ
恥を取り戻せ
反乱の勇気がないのなら
その場で静かに穿孔せよ
教育現場に細かな孔を開けてしまえ
帰属する学校にたくさんの私的な孔を穿て
深く密やかに穿孔せよ
まっとうな知の孔を開けよ  
孔だらけにしてしまえ


 抑圧者らへの批判や反論をしたり怒りをあらわにしているだけでは、
飲み屋での愚痴の言い合い,傷のなめ合いと何ら変わらない。教育現場を孔だらけにしてしまうための議論をしよう。

 ただこの種の議論では、現場の先生たちにとっては不愉快な意見も
多々述べる事になる。批判・反論を期待したい。

 
 私の生活圏が狭いために私の耳目に届かないだけで、すでに各職場でいろいろな試みが行われているのかもしれないが、教育現場で何事かがいろいろと始まってしかるべきだろう。

 まずは各職場で、不服従を貫いて闘っている人たちを孤立させない取り組みをすべきだろう。事あるごとに連帯を表明したり激励したりするだけでもよい。さらにそれぞれの職場の事情に応じて、連帯の仕方を創意工夫できるといい。

 一番有効なのは不服従の闘いに加わる教員が増えることだ。もし私が現役の教員だったとして、不服従を貫けるかどうか確信がないので、くちはばったい物言いになってしまうし、あまり現実的ではないことを承知で、先生たちがんばれ、と言いたい。

 不服従を貫き、処分され、いま訴訟で戦っている人は200名ほどという。200名も、と言う人もいるが、私はその数を知ったとき桁が違うと思って、少しがっかりした。

 こんな想像をしていた。
 「教員時代を思い起こすと、どこの職場にも不服従を貫きそうな人は
数名ぐらいはいたように思う。いま都立高校の数は約200校ぐらいか。
一校に五人の不服従者がいれば、計1000人になる。一人一人が自分の意思で決断した1000人。これは迫力がある。都教委には「たかが教員などに何が出来るか。」と教員を見くびっている節がある。1000人の抵抗という都教委にとってはおそらく予想外の事態に出会ったら、都教委はさぞかし慌てふためくだろう。どんな対処が出来るのか、見ものだ。」と。

 次回から、直接抵抗以外の「孔の穿ち方」をいろいろ考えてみる 


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