2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

6. 石原が恋い焦がれている「国家」
 2004年8月20日




「われわれは、君が後へ引き返しょうもない点まで叩きのめしてやる。たとえ君が千年生きられたとしても、元の状態には戻れない程のことが君の身に起こる。君は二度と再び普通の人間らしい感情を持てなくなるだろう。君の心の中にあるものはすべて死滅してしまうだろう。君は二度と再び人を愛し、友情を温め、生きる喜びを味わうことも出来まい、笑ったり、好奇心を抱いたり、あるいは勇気を奮い起こしたり、誠実であろうとすることも出来まい。君は抜け殻になってしまうのだ。空っぽになるまで君を絞り上げてやる、それからわれわれを、その跡に充填するのだ」(ジョージ・オーウェル「1984年」より)


  
 同じことの繰り返しになるきらいがあるが、同じような口撃(変換ミスではありません。)が執拗に仕掛けられてくるのだから仕方ない。抑圧者らが仕掛けてくる口撃には一つ一つ反撃しておこう。

 またしても石原だ。「君が代日の丸強制」の意図を、石原は正直?に次のように述べている。

(記者の質問)処分を中心とした方針で、知事がいつも言う、例えば健全な愛国心を持つことなどが教職員の中に本来的な意味で浸透していくとお考えか

(石原の応答)  「やっぱり物事には形というのがあってね。つまりその形というものを極める、踏襲するということもですね、剣道だってそうじやないですか。やっぱり素振りを繰り返すことでね、その素振りが違う形の技になって生きてくるわけですからね。私はやっぱりそういう繰り返しというものは一つのフォームとして必要だと思いますね」
(6月8日付朝日新聞のコラム記事「石原知事発言録」から)

 ここでも得意顔で詭弁を弄している。
 まっとうな良心に苦痛を強いる(精神的な拷問だ)ための欺式(これも変換ミスではありません。)の形式と、剣道の身体修練のための形式と、まったく位相の違うものを同列に並べて論じる詭弁だ。こんな見え透いた詭弁に感心して説得されるのは、はなから抑圧者側に揉み手をしながらする寄っている連中だけだ。

 冒頭の引用は、国家への反抗者の身体や神経や脳に想像を絶するような残酷な拷問を仕掛けながら、拷問を取り仕切る政府高官が吐くセリフだ。これに石原のセリフを重ねるのは大げさすぎるだろうか。
 儀式を「欺式」にするためのお仕着せの形式(精神的な拷問)を押し付けて、それを繰り返し仕掛けて、何を企んでいるのか。石原は、教師や生徒の良心を空洞化した上でその跡に「健全な愛国心」を充填する、と言っているのだ。

 ところで、「健全な愛国心」てなんだ?中身を曖昧にしたまま、人々のさまざまな考えや思いを十把一からげして、言葉だけを一人歩きさせる。これも抑圧者がよく使う詐術だ。
 まず「国家」をどのように捉えるかが問題だ。その捉え方によって「健全」の意味もまったく違ってくる。

 天皇に靖国参拝を懇願している石原の「国家」は推して知るべしだ。ことあるごとに「北朝鮮」に憎悪や敵意や嘲笑を剥き出しにする石原の「国家」はなんともよく「北朝鮮」に似ているか。石原の「北朝鮮」への憎悪や敵意や嘲笑は、近親憎悪だ。要するに「目くそ鼻くそ」なのだ。どちらが「目くそ」で、どちらが「鼻くそ」かは詮索すまい。

 「国家」については項を改めて述べようと思う。

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