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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

<4点セット>は不可分なもの
 2004年8月16日


 「<日の丸・君が代・教育勅語・靖国神社>は天皇制ファシストたちによって パックされた一連の理念の象徴であると同時に、一切の民主主義、社会主義、自 由主義などの否定の上に成立する「臣民の道」として、天皇制ファシズム下の日 本帝国臣民であるならば、何人といえども外れることの許されない関門であった ことは、既に歴史的な事実なのである。
 その民主主義等の否定の上にしか成立しないはずのものであるにも拘らず、そ うしたものを国家の名に於いて、ひとつひとつ復権し、権力の裏付けで国民に 押し付けようと目論む者が、民主主義を標榜する国の権力中枢に在るということ 自体、甚だ奇怪なことといわざるを得ない。」
(中山 恒「ボクラ少国民」より)


 (十数年前、学習指導要領に「君が代・日の丸」の義務付けが盛り込まれたと き、次のような文を書いて、職場で配った。)
 スイスやアメリカの学校では始業式はなく、ただちにその日から授業が始ま る。そして年度の始業の日は、「いろとりどりの個性が開花へ向かう営みの始 まり」にふさわしい行事、「知や情を刺激し」これからの学校生活への期待と 希望をふくらませるような行事が工夫されているという。生徒も教師もさまざま な個性・感性を持った人間としてふるまえる始まりである。

 それにひきかえ、半世紀ほど前のわが国民学校の教育は次のように始まった。 かっての少国民・山中氏は述懐する。「入学して私達1年生が最初に教えられた ことは・・・敬礼だった。最敬礼だった。まず門をくぐったら、まっさきに奉 安殿にむかって最敬礼することだった。そして次に、日の丸に対して、直立不 動の姿勢をとってから、赤心こめて敬礼することであった。」
 少国民錬成が入学と同時に始まるのだ。国家の忠実な一員、忠良なる臣民に なるための心身の修養の開始なのだった。
 今の私たちの学校の儀式も褒められたものではない。「一同、礼」で始ま り、「一同、礼」で終る。首尾一貫して、ただただ緊張ばかりを強いる。新入 生や卒業生が主人公とはたてまえばかりで、半世紀前のままではないか。あと 「君が代・日の丸」があればもうほとんど半世紀前と同じである。形式ばかり の事大主義が得意顔で号令をしている。
 <日の丸・君が代・教育勅語・靖国神社>は不可分の4点セット。教育勅語が 昔のまま復活することはないとしても、その思想はすでに教育基本法に敵対し て、大きい顔をしている。「君が代はよくないが日の丸はよいのではないの」な んていう人がいるが、そんな考えは誰よりも天皇教推進派が認めない。4点揃わ なければ意味がないのだ。
 ところでこんなつまらぬ人権抑圧的儀式の形はいつごろできたのだろ うか。
 学校教育での儀式ははじめは天皇家の祝祭日だけであった。始業式や入学式 は、もともとは式ではなく、単なる授業はじめであり学校開きであった。卒業 式もただの卒業証書授与であった。天皇制国家の下、臣民教育を秩序だてるた めに新しい「礼法」「礼式」が必要と、その形をつくり始めたのは森有礼。 1889年に、「生徒児童の徳を強化」する目的で礼式のための「訓令案」をつく る。礼の仕方まで事細かに規定している。これがそのまま学校生徒礼式として 採用される。明治の終り頃には学校教育の中の儀式が完全に定着する。
 いま広く無自覚に継承されいる卒業式の式次第や恭しく証書を受け取る形 式は、日清戦争以後1894・5年頃に確立し、祝祭日の儀式と並び最大の式とな る。
 学校行事の式次第や礼の仕方、はては参列者の並び方までを行政権力が こと細かに決めるなど、古今東西例があるまい。


 これを書いたとき、「君が代・日の丸」強制の締め付けはより過酷になって くるだろうと予想はしいたが、まさか再び「式次第や礼の仕方、はては参列者 の並び方までを行政権力がこと細かに決める」ような時代錯誤な愚行が行われ るとは思っていなかった。
 実際に行われた卒業式の場ではさらにおまけがある。教頭が教師たちの後ろ で本当に歌っているかどうか監視したとか、来賓として参列していた都会議員 が起立しない生徒たちに大声で「立ちなさい」と恫喝したとか。

 都教育委員会の通達の内容を知ったとき激しい憤りとともに、まず出てきた 感想は「恥知らずなバカどもだ」だった。

 噴飯ものの詭弁、権力を笠に着た傲慢な強弁、片頬を歪めてシニカルに冷笑 している差別意識。それを恬として恥じない醜く歪んだ自分の心の形にまるで 気づかず、自分を偉い人間だと思い込んでいるらしい者を、私はバカと呼ぶ。 権力や財力が大きくなるほどにバカになるようだ。

 イラクに大量破壊兵器はなかったことが判明すると「見つからないからと言 って、フセインがいないとは言えない」とか、独善的で憲法違反の通達を一方 的に出しておいて「先生には、国が決めたことを順守して、それを教育の一つ の事例として子供に伝える責任があるわけでしょう」とか、選手会が話し合い たいと言うと「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選 手が」とか。まるで「三バカ大将」だ。 
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