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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
天皇制問題(1)

 「今日の話題3」を中断して、しばらくの間「天皇制問題」を取り上げます。

 小室圭さんと秋篠宮家の真子さんとの結婚問題に明仁天皇の退位問題が重なって、このところ皇室報道が多くなってきていますが、その報道はどれも薄っぺら感が拭えません。月刊『創』の編集長の篠田博之さんが東京新聞(1月13日付)の「週刊誌を読む」でこの問題を『年明け各誌が皇室報道 天皇制 深い議論なく』と題して取り上げていますが、その後半部分を転載します。

天皇制 深い議論なく


  眞子さま報道が象徴的だが、見出しが派手な割に、いろいろ大事な問題に踏み込めていないという印象が、皇室報道全般に拭えない。
  それは報道の問題だけではないようで、『週刊朝日』1月18日号の「新天皇の7つの壁」という対談で元朝日新聞編集委員の岩井克己さんがこう指摘している。
「今回の退位に至るプロセスを見ても、象徴天皇というその姿、有りようについて、天皇が問題提起したにもかかわらず、その議論がなされないまま、官邸主導で特例法という変則的な形で着地させてしまった。代替わり儀式についても同じです。面倒だからと早々に前例踏襲を打ち出してしまう。問題が積み残しとなっているのに、議論をしましょう、という機運もない」

  『サンデー毎日』1月6・13日号の政治学者・白井聡さんの「象徴天皇制の行方」や、『週刊金曜日』1月11日号の特集「天皇制」など、問題提起を行っている記事ももちろんある。でも昭和天皇からの代替わりの時には、象徴天皇制や皇室問題について、もっと踏み込んだ社会的議論がなされたように思うのだが、どうだろうか。

  私は、『週刊金曜日』を購読していますので特集「天皇制」を読みました。その記事の中で天皇制が孕む問題を余すところなく見事にまとめている中嶋啓明(ジャーナリスト)さんによる論述『「平和天皇の内実』を私は高く評価しました。週刊金曜日の担当者はその論述を次の様に紹介しています。
『天皇制問題がはらむ矛盾や危険性はどにあるのか。天皇制と民主主義は矛盾すると考える筆者が具体的に指摘する。』

  この中嶋さんの論述を転載することにしましたが、私はこの方には初 めて出会ったので、どのような方なのかネットで調べてみることにしました。「中嶋啓明」で検索したところ、なんとトップに『共同通信社中嶋啓明氏の皇室批判記事に抗議する』という記事がけいさいされていました。私が高く評価した論説を批判する人がいるんだと興味を持ち読んでみることにしました。批評文を書いてるのは杉田謙一という方(もちろん私にとっては未知の人)ですが、なんとその批評文が書かれた日付が2009年5月7日でした。 当然中嶋さんの論説も10年前のものということになります。
  それでは、10年前に中嶋さんがどんな論説を書き、杉田さんがどのような批判をしているのか、読んでみましょう。(漢字の間違いや仮名と漢字がゴッチャになっている箇所がいくつかありましたが、すべて私の判断で訂正しています。)


共同通信社中嶋啓明氏の皇室批判記事に抗議する

    オベンチャラまみれで気持ちが悪いと題して中嶋なる人物が週刊金曜日五月一日号に記載している。以下転載。


  明仁が天皇になって二十年の今年は、皇后美智子との結婚から五十年にも当たるとしてオベンチャラまみれの皇室報道が氾濫している。四月十日の結婚記念日は、その最初のピークだった。何が『語らい重ね通じる心』(朝日新聞 同日朝刊)だ。気持ち悪い。
  『国民』挙げての奉祝機運醸成に奔走する皇室報道。だがそれらには皇太子妃雅子の体調不良を契機にした天皇家、皇室内部にあるらしいすれ違い、対立が常に色濃い影を落としている。雑誌メディアには、そんな対立話を語る『皇室関係者』らの証言であふれている。そして、右翼「論壇」からさえ上がる、わがままし放題の雅子とそれを抑えきれない皇太子徳仁への失望の声。メディア上で見る象徴天皇制は漂流しているように見える。そんな天皇制もこの間、少なくとも一つの武器の意義を再確認しているであろう事は間違いない。『公務』と呼ばれるものだ。「皇室外交」「地方行幸」各種行事、式典への出席等々・・・。明仁の負担軽減など、皇族間での分担だの、さも不可欠なことのように取りざたされた。だが、それらは本当に天皇、皇族がすべきものなのか。そもそも彼らに許されているのか。

  メディアは『私事』より『公務』を優先するとしてひたすら天皇、皇族を賞賛するのみ。挙句の果て『日の丸・君が代』の強制をたしなめたと、もろ手を上げ『格差・貧困』に心を痛めているとありがたがる。(その際、数千万円の税金を掛けオランダに「私的」静養に出かけることのできる一族であることに触れるメディアは一切ない。この欺瞞。こうしてメディアは事実上の政治機能の行使から眼を背け、彼らの影響力の拡大に手を貸し続ける。

      『天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』(憲法第四条)

  極限状況が極度に深化しているのは何も憲法九条をめぐってだけではない。
  憲法の理念を体現する明仁、美智子だって? 最大の欺瞞の源泉である天皇制を皇室報道が支えている。

                                                   共同通信社記者  中嶋啓明


   ひどい文ですよ、読んでください。友に言われて驚いた。付き合いのある共同通信社社員はこんな思想の持ち主ではない。早速名古屋の記者に聞いたが、直接週刊金曜日に問い合わせるよう言われた。

   何たる不敬なる表現。「最大の欺瞞の源泉である天皇制」なる表現を『共同通信社記者』を名乗り表現をする以上、社はこうした方針であると考えざるを得まい。明仁がとか、皇后美智子と、記載する不敬を許してはなるまい。

   憲法の規定に国事行為として記載されているのは第四条。しかし第一条から第八条は天皇条項。日本国民統合の象徴としての御存在である天皇は、象徴としての行為が当然あるはず。象徴であらせられる天皇御皇室に対して、敬語表現をなさない記者の感覚は許しがたい。
  さらに国事行為以外に天皇のなされることを限定するなどとする論はおかしい。象徴としての行為が当然ある。「象徴行為」として諸外国に行かれ、日本の国益に大いに寄与なされていることをどう考えているのか。これがプライベートであるはずもなかろう。

   こんな憲法であっても、こんな政治家、マスコミのていたらくがあっても、なお陛下は国家国民の範たるべきご努力を積み重ねていらっしゃる。

  日本のマスコミがこのレベルであっては日本の将来は危うい。

  諸外国に行かれ、「皇室外交」をなされることを禁じる判例でもあるのか。ぜひ伺いたいものである。
  誤解をあえてしたいようなら、改憲時に「象徴行為」として天皇のご行為をうたうほうがいいのかもしれないが、その必要もないだろう。

  陛下の象徴としてのご行為を国民は感謝していることを知っていてほしいものである。なんなら世論調査をされたらよかろう。

 さて、どのような感想をお持ちになられましたか。

 次回は今回の続きとして、中嶋啓明さんの論述『平和天皇の内実』を転載します。
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天皇制問題(2)

 前回の終わりに「次回は…中嶋啓明さんの論述『平和天皇の内実』を転載します。」と予告しましたが、その論述はかなり長く、ブログ用のデータとしての活字化に手間取っています。やっと半分ほど終わりました。
 ところが昨日、その論述の論旨を見事に纏めている舘崎正二((たてざきしょうじ)という方の論説『中島啓明がきびしい明仁天皇批判』 に出会いました。これを転載させていただくことにします。


中島啓明がきびしい明仁天皇批判
  週刊金曜日1月11日号で中島啓明が「平和天皇の内幕」として、きびしい明仁天皇批判を書いている。中島の論旨を紹介しておこう。

  2016年8月の「おことば」から生前退位に至る道程は、天皇の発議で法制度が変更されるという、あからさまな解釈改憲であるにもかかわらず、そうした事態に対する危機感は日本社会にはほとんど見られない。
  それどころか、天皇明仁を護憲・平和の担い手として追従・称賛する声が、左派やリベラル主導で垂れ流されている。

  新天皇の即位関連費用は総額166億円にのぼる。
  秋篠宮が大嘗祭への国費投入に懸念を示し、「内定費」による実施を訴えたことが公表された。あからさまな政治発言だが、これも左派・リベラルから歓迎の声が相次いだ。ウンザリだ。   多額の税金で生活を保障されているくせに、なぜ憲法にしばられないのか。秋篠宮は「大嘗祭は絶対にすべきもの」だと強調した。だが「内定費」自体、まぎれもない税金だ。

  明仁は植民地支配と裕仁の戦争責任を曖昧なまま清算することに終始力を注いできた。同時に裕仁の「遺訓」を継承することに躍起になってきた。「遺訓」とは対米従属である。対米従属は明仁の代になってより強化された。2001年9月の「同時多発テロ」で明仁は、駐日米大使に「弔意」を伝えた。 異例のことである。

  「対テロ」を掲げて行われたアフガニスタンへのアメリカの侵略戦争では、タリバンからの「解放」を歓迎した。2004年、訪日した米副大統領チェイニーとの会見では、 「自衛隊がイラクの人々の幸せに貢献することを願っている」と述べ、イラク派兵を追認した。

  日本の海外派兵は「平成」時代になって始まった。世界各地に派遣された自衛隊員を、明仁は毎年皇居に招いて慰労している。2018年12月の誕生日を前にした記者会見で明仁は、
   「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵している」と語った。
  だが、自衛隊が後方支援するアメリカの「対テロ戦争」は各地で殺戮を繰り返している。
  2005年のサイパン訪問以来、明仁は「慰霊の旅」と称して海外の戦跡地を巡った。そのたびに明仁は戦争をあたかも天災のごとく表現し、戦争犠牲者や遺族らを上から目線で慰撫して回った。そして、天皇制国家の加害の事実から目を背けさせ、日本の功績を強調して日本人のナショナリズムをくすぐり続けた。
  最近は特に政府の外交を権威づける「皇室外交」が露骨さを増している。
  ベトナム・フィリピン・インドなど、安倍政権が躍起になって繰り広げる対中包囲網の構築に併走し、それ追認している。 国内「巡行」も同様だ。
  その狙いは「遠隔の地」など国家から置き去りにされていると感じている地域の民衆に、改めて天皇制下の国民であると再認識させることだ。
  明仁は昨年3月、日本最西端の与那国島を訪問した。与那国入りしたのは、2年前に開設された陸上自衛隊与那国駐屯地の沿岸監視隊の編成記念日だった。   5か月後には北海道最北部の利尻島を訪れた。天皇制の版図を再確認するかのような地方「巡行」だった。
  災害被災地への訪問は国土開発の失政など人災の側面から目を背けさせ、復興政策に対する不満を回収し、被災者らの批判の矛先が国家に向かわないよう、耐えることを強いる効果を生み出す。
  2012年10月、明仁は福島県川内村の除染現場を視察に訪れた。 原発事故後全村避難した川内村では、同年1月、村長の帰村宣言で住民の意見が分かれ、除染の効果も疑問視されていた。 そんな中での訪問が、脱原発の世論を沈静化させたい政府のネライに沿った行動であるのは明らかだ。

  1910年の大逆事件の大量処刑は、明治から大正の代替わりを目前に、「非国民」を排除して体制を引き締め直すことが目的だった。昨年のオウム真理教への大量処刑も同様の意図があったのだろうか。
まつろわぬ民に対しては「非国民」として右翼をけしかけて排除する。それが「平成」天皇制国家の原理だ。

以上が中嶋の文章の論旨だ。私もこの間の天皇賛美報道を苦々しく思ってきた。よくぞ書いてくれたと思う。

 
天皇制問題(3)

  「天皇問題(1)」で杉田謙一(以後、Sさんと呼ぶことにします)という方が中嶋啓明さんの論説を批判しているブログ記事を紹介しました。
   その記事の終わりで、私は「さて、どのような感想をお持ちになられましたか。」と書きましたが、これはSさんの批評文に対する私の感想文を公表する前書きの意図も込めたものでした。
   今回はそれを取り上げることにします。

       Sさんの批評文を読んでいる時、私の頭にすぐに浮かんできたのは大東亜戦争当時に、欽定憲法(明治憲法)の下で「教育勅語」や「軍人勅諭」によってほとんどの国民が天皇を至上の存在とする天皇制を崇める思想を受け入れていたことです。
 『週刊金曜日』の特集「天皇制」の中に宇都宮健児さんが書かれた「明治時代につくられた天皇制イデオロギーの克服を」という論説がありますが、しばらくこれを利用させていただきます。その論説から今問題にしていることについて書かれている「明治の天皇制」を転載します。


明治の天皇制

   日本の天皇制には長い歴史があるが、直接的に現在につながる天皇制が形づくられたのは明治維新後である。
   江戸時代の末期の欧米諸国の力に対抗するため、明治維新では天皇を中心とする中央集権的な国家づくりが行なわれた。その際、天皇が権力を持っていた古代日本がモデルとされた。
   江戸時代は、天皇は京都の御所から出ることがなかったため、一般の庶民は天皇の存在をよく知らなかった。そこで一般の庶民に天皇の存在を知らせるキャンペ-ンが行なわれた。そのひとつが、「巡幸」と呼ばれる明治天皇一行の全国各地への訪問である。巡幸は、北海道から 九州まで97回にのぼった。

   さらに、天皇制を知らせ徹底させるものとして「軍人勅諭」と「教育勅語」があった。
   1882年(明治15年)に「軍人勅諭」が出される。明治政府は徴兵制による新しい軍隊をつくったが、兵士のほとんどは農民だった。「軍人勅諭」は、はじめの3分の1は国の歴史が書いてある。歴史教育でもあったのである。また.「軍人勅諭」では、上官の命令は天皇の命令だということが強調されている。すべての兵士が、「軍人勅諭」を暗誦させられた。
 1890年(明治23年)に出された「教育勅語」も、「軍人勅諭」と同じような役割を果たしている。「教育勅語」は小学校の教育から、天皇への忠誠心を植えつけることが大きな目的であった。「教育勅語」も小学校4年で暗誦させられた。

   Sさんが披歴している思想はまさにそのようにして天皇制に絡めとられた戦前の一般国民の思想そのものです。Sさんはもちろん戦前の教育を受けたほどのお年の方ではありませんが、その時代錯誤の思想は今でも根強く生き残っていて、多くの人をその思想に取り込む活動をしている組織があります。その代表的な組織が「日本会議」です。そして日本会議の核になって事務局を掌握しているのは、日本青年協議会(日青協)という小さな団体です。(日本会議につてはこのブログの『歴史隠蔽偽造主義者たち』で取り上げています。詳しく知りたい方はこれをお読みください。)
   日本会議や日青協から派生した会はいろいろあるようですが、Sさんはたぶんそのどれかに所属しているのではないでしょうか。

  以上のような明治憲法下の天皇制を規定しているものに「皇室典範」があります。現在の天皇制との違いを知るためにはこの「皇室典範」についても知って置いた方がよいでしょう。


明治憲法と天皇制

  1889年2月11日に大日本帝国憲法(明治憲法)が公布され、1890年11月29日から施行された。
  明治憲法の特徴は、国を治める権利は神が天皇家に与えたもので、祖先から受け継いでいるという「神権主義」によって天皇主権を謳っていることである。
  天皇は軍の統帥権があるだけでなく立法・行政・司法の三権についても基本的には、天皇が行なう形となっている。
  また、基本的人権は、天皇が恩恵として臣民に与える権利であり、法律の範囲内などの留保がついている。つまり新しく法律をつくれば基本的人権の制限が可能という立場をとっている。
  明治憲法のもう一つの特徴は天皇と皇室について定めた「皇室典範」は、憲法とは別の法体系と位置づけられ、憲法と同等の最高法規とされていたことである。

  明冶憲法の第74条には、皇室典範の改正は帝国議会の議決を経る必要はない(第1項)、皇室典範をもってこの憲法の条規を変更することはできない(第2項)、と定めている。「国法二元性」「国法二元主義」がとられていたわけである。この皇室典範では、元号を天皇一代にひとつと定めている。

  次回は戦後の天皇制とその成立までの経緯を追って、その問題点を再考することにします。
天皇制問題(4)

  前回に続けて、宇都宮さんの論説の次の項「戦後の天皇制」を読みます。

  敗戦国日本は主権を失い 「連合国軍総司令部」(GHQ:実質的にはアメリカ軍)の占領下におかれますが、連合国軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国など)の間では、天皇の戦争責任か取りざたされ、天皇制廃止の声もあがっていたということです。しかしGHQは、軍部の反乱を抑えて、日本の統治をうまくやるためには天皇制を残して利用した方が良いと考えました。 この方針は天皇制をなんとか残したいという日本の支配層の思惑と一致し、天皇制は残ることになりましたが、ご存知のように新しい憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、天皇は絶対的権力者から「象徴」に変わったのでした。
  そして、天皇が絶対的権力者から「象徴」に変わったことにあわせて、皇室典範の改正がGHQのもとで行なわれました。

   皇室典範どのように改正されたのでしょうか。
   それまでは皇室典範は明治憲法と並ぶ最高法規と位置づけられていましたが、新憲法のもとでは他の法律と同じ位置づけとされました。
   明治の皇室典範では、元号は天皇一代に一つの元号と定めていましたが、天皇の権威と深く結びついたものだったので元号制度はGHQの指示により規定が削除されました。    しかしその後、戦前の天皇制と深く結びついた制度が復活してきました。
   1966年 紀元節(神武天皇の即位日とされた日)の復活
        「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改悪で2月11日が「建国記念日」とされた。
   1979年 「元号法」制定
   1999年 「国旗国歌法」(「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法律)制定。

   なぜこのような反動的な動きが可能になってしまったのか。それは根本的には「天皇の戦争責任」を曖昧にしてしまった点に求められます。
   ここからは宇都宮さんの論説を直接転載することにします。


天皇の戦争責任

  戦前における日本の値民地支配や侵略戦争の責任を追及していくと、軍の統帥権を持ち、統治権を総攬し、立法・行政・司法三権の主権者である天皇の責任に行き着かざるをえない。
 しかしなから、アメリカは戦後の日本の統治をうまくやるために天皇制を残したほうがよいと判断し、天皇の貢任を追及しなかった。
  最高責任者の追及があいまいになり、結局「東京裁判」で戦犯として裁かれた人たちだけの責任になってしまった。
  戦後、国民か象徴天皇制を受け入れたことは、天皇の責任をあいまいにすることにつながり、結局は軍部や政府関係者など責任追及をあいまいにしてLまった面がある。

  この点、徹底して過去に向きあい、現在もナチスの戦犯の責任を追及し続けているドイツと大きな差が出てきている。
  岸信介は戦争中、東条内閣の閣僚の一人で、当初は戦犯として追及されたが、その後復活して内閣総理大臣になっている。
  ドイツでは、ナチスの閣僚だった人間が戦後首相や大統領になることは考えられないことである。


民主主義から考える

  日本国憲法は「基本的人権の享有」(第11条)「法の下の平等」(第14条1項)を保障している。
  しかしながら、天皇を含む皇室と、それ以外の国民とを区別する制度であり、悪法で定めた法の下の平等と矛盾する「差別」という問題を含んでいる。
  また一方で、天皇や皇族の基本的人権が保障されていないという問題もある。現状では天皇や皇族には参政権はないし、集会・結社・表現の自由、居住・移転・職業選択の自由など人権も侵害されている。
  国民主権の民主主義国家においては、憲法第1章には国民主権について規定するの当然のことと考えられる。ところが、日本は国民主権の民主主義国家であるにもかかわらず、現憲法では「天皇」が第1章となっている。
先般、秋篠宮が宮中祭祀の大嘗祭については、国費で賄うことに疑問を呈し、皇室の私的費用である内廷費で対応すべきではないかと発言し、話題を呼んだが、このような問題提起は国会や国民のほうから先に提起をして全国民的議論が行われるべきなのである。

  私は、今年5月韓国の光州・ソウルを、また6月にはスウェーデンを視察に行ってきた。
  韓国とスウェーデンに共通していたのは、市民・国民の側の強烈な主権者意識、主人公意識であった。両国では民主主義とは単なる多数決の制度ではなく「民」すなわち市民・国民が主人公になることだと、とらえられている。
  わか国の市民・国民の中で主権者意識、主人公意識が希薄であるのは、明治時代につくられた天皇制イデオロギーを戦後も十分に克服できていないことと関係があると思われる。

天皇制問題(5)

岡留安則さんを悼む
   本日(2月3日)の東京新聞に岡留安則さんの訃報記事が掲載されていました。

「噂の真相」元編集長

   岡留安則さん(おかどめ・やすのり=雑誌「噂の真相」元編集長)1月31日、肺がんのため死去、71歳。
  鹿児島県曽於市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。
  79年に反権力、反権威を掲げた雑誌「噂の真相」を創刊。虚偽の記事で推理作家和久峻三さんらの名誉を傷つけたとして、名誉毀損(きそん)の罪で95年に在宅起訴され、後に有罪が確定した。
  99年には当時の東京高検検事長の女性スキャンダルをスクープし、辞任のきっかけをつくった。
  04年3月に「噂の真相」を休刊し、那覇市に移住していた。


  岡留さんを稀にみる真のジャーリストとして尊敬している私にとって、何とも薄っぺらな情けない訃報記事です。
  2006年に「今日の話題」の一つとして岡留さんの紹介記事を書いていたことを思い出しました。それを再掲載します。
  念のため書き添えますが、そこでの政治・社会状況は13年前のものですす。


 右翼によるテロでは「浅沼稲次郎刺殺事件」「『風流夢譚』事件」「本島長崎市長銃撃事件」「朝日新聞阪神支局記者殺傷事件」最近では「加藤紘一議員宅放火事件」をすぐ思い出す。国家権力は右翼の暴力を本気になって取り締まろうとしない。まるで天皇制護持のためにそれを利用しているようだ。警察は外国からのテロ対策よりまず自国内のテロ対策をしっかりとせい! これでは日本は見せかけだけの法治国家じゃないか。北朝鮮をわらう資格はない。

 岡留さんは権力や権威のタブーに挑むジャーナリストという道を選んだとき、結婚して家族を持つことを断念している。(以下、引用文は『噂の討論外伝』より。)



マスゴミの中にて光る真のマスコミ(1)

 天皇制のタブーに触れるのであれば、そうしたテロの可能性がある‥ことを想定しなければならない。そのため、筆者自身も雑誌の編集長としての責任を全うするために、配偶者を持つという選択肢は最初から捨てる覚悟をした。家族を危険な目に遭わせてはいけないとの思いは、誰しも同じだ。筆者とて人の子、その危険性を察知すれば、 天皇制のタブーに触れること自体をやめようという日和見主義になりかねないからだ。ならば、その危険性をあらかじめ排除しておくほうが、これから言論戦を願うという自分の決意が揺らがなくていいだろうとの判断である。

 「噂の真相」でも、筆者が危惧した通り、創刊2年目(80年)には防共挺身隊を筆頭にした在京右翼の大手7団体から総攻撃を受け、印刷会社、広告主ともに取引全面中止の事態に追い込まれた。

 前述した「風流夢譚』事件の余波で、天皇制に対する批判的言説やパロディ表現がメディアから消えて、70年代に入って代わりに登場したのが奥月宴に代表されるアングラ出版による皇室風刺小説だった。そうしたアングラ出版のひとつだった小冊子の内容を紹介する形で、その小説に挿入されていた皇室ポルノ写真をカットとして「噂の真相」誌上に転載したことが右翼団体の逆鱗に触れたのである。「噂の真相」が書店で広く一般に売られている雑誌であることを思えば、当然、右翼団体の目にもとまるだろうし、実際に抗議を受けたことで、カットを掲載した筆者の最終判断に配慮不足があったことを認めざるを得なかった。結局、完全屈服とも傑作パロディとも言われた謝罪文を、天皇家と日本国民に宛てる形で「噂の真相」に載せることで和解した。

 その謝罪により、右翼団体による抗議行動はヤマ場を越えて、筆者の命まで狙われるような深刻な事態は収まったが、関係者に多大な迷惑をかけただけではなく、雑誌自体も潰れる寸前にまで追い込まれた。

 この事件により、筆者自身も天皇制タブーに触れることの重みをハッキリと実感さ せられることになった。戦後の民主主義下といえども、右翼の暴力に対しては、言論機関も警察権カもなす術がなかったのである。筆者が32歳の時だった。

 「結婚はすべきでない」という思いは、この事件により、覚悟するというレベルから一段と強い確信に変わった。

 『噂の真相』への右翼テロはさらに続きます。


マスゴミの中にて光る真のマスコミ(2)

 事件から再起した後も、雑誌的には皇室ものを扱わざるを得ない編集方針だったため、右翼団体による抗議は断続的に続いた。しかし、それらの抗議に関しては、事件の教訓とこちらの学習能力により、大事に至らずに話し合いでなんとか事を収めてきた。

 ところがこの事件から20年後の00年6月、「雅子妃を呼び捨てにした」という理由で広域暴力団住吉会系の右翼団体で全国一の組織力を誇る日本青年社の右翼構成員2人が編集室に乗り込み、突然大暴れするという事件に遭遇した。全治40日の大怪我を負った筆者の血で編集室は血だらけになり、止めに入った男性スタッフ4人も負傷した。構成員2人は現行犯逮捕され、共に懲役1年4ヵ月の実刑判決を受けた。

 この事件には、裁判の過程でも解明されなかった不透明部分もあったが、「雅子妃」とすべきところを「雅子」と記述したというこちらのミスが、右翼2人に大暴れする理由を与えてしまったということだけは認めざるを得なかった。普通ならば、謝罪することで笑って許されるというレベルのケアレスミスだが、それにすらイチャモンをつけて「休刊しろ!」と迫ってくるのだから、いくら出自が任侠系の右翼団体とはいえ、何事も話し合いをすれば打開の糸口が見つかるという筆者の信念が吹っ飛ぶ、あまりにも理不尽すぎる抗議だった。

 こうした右翼団体による威嚇的な抗議行動は、筆者のような一匹狼タイプであっても、スタッフ4人に被害が及ぶような事態になれば、動揺せざるを得ない。最初から筆者ひとりに危害が及ぶ分にはやむを得ないという覚悟はあったが、スタッフにまで危害が及ぶのは本意ではなかったし、予想外の出来事だったからだ。これが、大手メディアの場合には、より組織的な対応が迫られるために、事前に自主規制してしまうことが圧倒的に多くなる。『風流夢譚」事件以降、右翼団体のターゲットにされたのが、大手メディアではない、少部数のマイナー系雑誌ばかりだったということが、そのことを雄弁に物語っているのではないか。

 大手メディアの場合には、右翼だけでなく、宮内庁への〝配慮″もある。たとえば、かつて大手の女性週刊誌が、皇族の女性を表紙に起用した際、写真が裏焼き(左右反転の状態)になっていたことで、自主的に全部数を刷り直したことがあった。一般読者は気がつかないはずの裏焼きぐらいで、全面刷り直しというのは大げさだが、そもそも写真自体がお貸し下げ写真(宮内庁から借り受けた写真)という事情もあって、皇室や右翼団体に対する神経の使いようは尋常ではないのだ。これじゃ、メジャー誌においては宮内庁や右翼に配慮し て、皇室がタブーになるのは必然だろう。

 このような理不尽が大手を振ってまかり通る国家なのだ、日本は。天皇家がさかんに平和で慈しみにあふれた家族を装っていても、この理不尽が「天皇制」の正体だ。<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>という<アジア的>構図。

 このような理不尽な暴行者に対する刑が懲役1年4ヵ月とは甘い。出てくればハクがついたとさらに顔を醜悪にしてのさばることは目に見えている。言論封じを目的とした暴力に対してはもっと厳しく対処すべきだ。

 岡留さんは「任侠系」と言っているが、住吉会は「任侠」とは全く無縁だろう。国家権力に寄生して暴力を飯のタネにしている単なる暴力団だ。暴力団が右翼を偽装するのは、その集団がやはり<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>とから成り立っているからだ。もちろん、住吉会は狆ゾウにも寄生している。いや、持ちつ持たれつなのだろう。インターネットで検索すると「安倍晋三―工藤会―住吉会―救う会―統一協会―創価学会……」という金魚のウンコ的連鎖がわんさか出でくる。