2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(1)

対米従属、その内実の変遷(1)


 悲しいかな、敗戦でアメリカに占領されて以来今日まで、日本はずっとアメリカの属国だった。しかし、対米自立を目指していた時期もあった。時代と共にその内実は変化している。例えば、この4月に出版された白井聡著『戦後政治を終わらせる:永続敗戦の、その先へ』(以下では「戦後政治を終わらせる」と略記する)は、戦後の日本政治の対米従属70年を考察し、さらにその対米従属という「永続敗戦」からの脱却の道筋を描いている。この著書を主要教科書として学習をしていく予定だが、対米従属内実の変化のあらましを語っている記事に出会ったので、予備知識として、まずはそれを読んでおくことにする。

 その記事とは、前々回お世話になったサイト「内田樹の研究室」の記事『『日弁連での講演の「おまけ」部分』である。前々回は、その中から経済政策問題を語っている部分を引用したが、今回はその記事の中の対米従属を語っている部分を使わさせていだだく。

 対米従属のありようもどんどん時代とともに変わっていると思います。1945年から1972年の日中共同声明くらいまでの期間が「対米従属を通じて対米自立を獲得する」という戦後の国家戦略がそれなりの結果を出すことができた時期だと思います。米軍が出て行った後、安全保障についても、外交に関しても、エネルギーについても、一応国家戦略を自己決定できるような国になりたいという思いがあった。でも、72年の日中共同声明が結果的には日本政府が自立的に政策判断した最初で最後の機会になりました。それまでは「対米従属を通じての対米自立」戦略はそれなりに成功してきたわけです。

 1972年の日中共同声明とは、訪中した田中角栄首相と毛沢東主席がまとめた日中国交正常化をめざしたあの声明である。その後1976年、田中首相は贈収賄事件(ロッキード事件)で逮捕収監された。1992年12月に刑事被告人のまま75歳でなくなっている。ロッキード事件は、アメリカの頭ごなしに日中国交を進めた事に対するアメリカのやらせ訴訟だったと言われている。最近、田中角栄が見直されているようだ。

 45年から51年まで6年間にわたる徹底的な対米従属を通じてサンフランシスコ講和条約で形式的には国家主権を回復した。その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争でも、国際世論の非難を浴びながらアメリカの世界戦略をひたすら支持することによって、68年に小笠原、72年に沖縄の施政権が返還された。講和と沖縄返還で、日本人は「対米従属によって国家主権が回復し、国土が戻って来た」という成功体験を記憶したわけです。

 そのときに、田中角栄が出て来た。そして、主権国家としての第一歩を踏みだそうとして日中国交回復という事業に取り組んだ。もう十分に対米従属はした。その果実も手に入れた。そして、ホワイトハウスの許諾を得ないで中国との国交回復交渉を始めた。その前にニクソンの訪中があったわけですから、遠からずアメリカから日本政府に対して「中国と国交を回復するように」という指示が来ることは明らかだった。日中国交回復はアメリカの世界戦略の中の既定方針だったわけですから。そして、田中角栄は日中国交回復に踏み切った。

 これについてアメリカが激怒するというのは外交的には意味がわからないんです。だって、いずれアメリカが指示するはずのことを日本政府が先んじてやっただけなんですから。でも、このとき、キッシンジャー国務長官は激怒して「田中角栄を絶対に許さない」と言った。その後の顛末はご存じの通りです。だから、あのときに日本の政治家たちは思い知ったわけです。たとえアメリカの国益に資することであっても、アメリカの許諾を得ずに実行してはならない、と。

 対米自立を企てた最後の政治家は鳩山由起夫さんです。普天間基地の移転。あのときはすさまじい政官メディアのバッシングを喰らって、鳩山さんは総理大臣の地位を失った。理由は「アメリカを怒らせた」というだけ、それだけです。日本の総理大臣が日米で利害が相反することについて、日本の国益を優先するのは当然のことだと僕は思いますけれど、その当然のことをしたら、日本中が袋叩きにした。

 もうこの時点になると、対米従属だけが自己目的化して、対米自立ということを本気で考えている政治家も官僚も財界人もジャーナリストも政治学者もいなくなった。日本の指導層はアメリカのご意向を「忖度」する能力の高い人たちで占められている。その能力がないとキャリアが開けないんだから仕方がない。それぞれの持つしかるべき「チャンネル」から、アメリカはこういうことを望んでいるらしいということを聞き出してきて、それをしかるべき筋に注進して、それを物質化できる人間の前にしか今の日本では日本ではキャリアパスが開けない。そういうことです。

 ですから、これからあと、アメリカが宗主国としての「後見人」の役を下りた場合に、日本はいったいどうする気なのか。僕には想像がつきません。今の日本には自立的に国防構想や外交構想を立てられる人物がいない。政治家にもいないし、官僚にもいない。どうやってアメリカの意図を忖度するのか、その技術だけを競ってきたわけですから、日本の国益をどうやって最大化するか、そのためにはどういう外交的信頼関係をどこの国と築くべきか、どういうネットワークを構築すべきか、指南力のあるメッセージをどうやって国際社会に向けて発信するか、そういうことを真剣に考えている人間は今の日本の指導層には一人もいない。とりあえず、身体を張ってそういうことを口にして、広く国民に同意を求めるというリスクを冒している人間は一人もいません。

 この人たちのことをだらしがないとか言っても仕方がない。倫理的な批判をしても、彼らの「オレの出世が何より大切なんだ」というリアリズムには対抗できない。日本の国益って何だよ、と。そんなもののことは考えたことがない。アメリカに従属すれば自己利益が増大するということはわかる。だからそうやって生きている。そうやって財を築き、社会的地位を得て、人に羨まれるような生き方ができている、そのどこが悪いとすごまれると、なかなか反論できません。

 でも、本当に新聞の記事には「日本の国益」という言葉がもうほとんど出てこない。一日に一回も出てこない日もある。外交や基地問題や貿易問題とかを論じている記事の中に「国益」という言葉が出てこないんです。国益への配慮抜きで政策の適切性について論じられるって、すごいアクロバットですよね。でも、日本のジャーナリストたちはそういう記事を書く技術だけには長けているんです。国益については考えない、と。国益を声高に主張すると、対米従属の尖兵になっている連中に引きずり下ろされて、袋叩きになるということがわかっている。そういうどんよりした空気が充満しているんですよね。いったいどうなるんでしょう、これから。

  「いたいどうなるんでしょう、これから」に対する答えが『戦後政治を終わらせる』で語られていることを期待して、この著書を選んだ。

 ところで、内田さんは「対米従属内実の変遷」については、大まかに、1945年から51年(サンフランシスコ講和条約)まで6年間を「徹底的な対米従属」の時期、それから1972年(日中共同声明)くらいまでの期間が「対米従属を通じて対米自立」を目指した時期、その後が「対米従属が自己目的化」時期と区分している。これに対して白井さんは
占領期から安保闘争あたりまでを「確立の時代」
そこから冷戦終焉までを「安定の時代」
そしてその後を「自己目的化の時代」
という三つの時代区分を提示している。次回から「戦後政治を終わらせる」の第2章「対米従属の諸相」を読みながら、白井さんが提示した三つの時代の内実をたどっていくことにする。
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《米国の属国・日本》(2)

対米従属、その内実の変遷(2)


 白井さんは
「複雑な対米従属の構造の原点は、占領期にあります。そこにすでに複雑な構造が発生していました。GHQの占領方針が途中で転換したうえに、それに関連して内部が一枚岩ではなかったからです。」
と書いている。占領期の対米従属については、私はシリーズ「昭和の抵抗権行使運動」の中で、「アメリカ属国化路線を敷いた張本人」と題して、7回(2008年10月3日、4日、10日、13日~10月16日の記事)にわたって取り上げた。そこでは、属国化路線を敷いた張本人としての天皇ヒロヒトの言動とそれに対するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の対応を追った。これに対して、白井さんはGHQの占領方針の転換に焦点を当てている。

 GHQの中にはGS(民政局)とG2(参謀二部)という二つの有力な分局(セクション)があった。
GSは
 文民出身者によって構成されていた。社会民主主義的な思想を待ったニューディーラーが数多く所属し、民主主義改革について熱心な勢力であった。
G2は
 生粋の軍人によって構成されていた。パワー・ポリティクス的な論理によって、民主化よりもとにかく日本を冷戦構造の中でうまく利用することを重視した勢力であった。

 占領期初期の財閥解体、軍国主義の打破をはじめとする民主主義改革を意図した政策は、そのほとんどがGSが企画立案したもだった。つまり、占領初期においては、GSがGHQにおいて中心的な役割を果たしていたのだった。
 しかしGHQは、東西対立が激しくなると、民主化よりも反共主義の方が優先されるという政策転換が行なった。いわゆる「逆コース」である。朝鮮民主主義人民共和国の樹立(1948年)、続いて中華人民共和国の樹立(1949)、そして1950年には朝鮮戦争が勃発する。そうした中で、日本を民主化することよりも、冷戦構造下のアジアにおける米軍の拠点にしていくことの方が重要視されるようになってきた。

 GHQの政策転換を象徴する事項が1947年2月1日に実施を計画していた「2・1ゼネスト」に対するマッカーサーよる中止命令である。それまでは労働組合の結成や活動を民主化に資するものとして積極的に後押ししていたのが、「逆コース」をたどることになった。1949年立て続けに起こった国鉄三大謀略事件(7月6日下山事件、7月15日三鷹事件、8月17日松川事件)に代表されるように、労働組合、そしてその背後にいる日本共産党への圧力が高まっていった。そして1950年になると、レッドパージと公職追放解除が進行し、自衛隊の前身である警察予備隊が組織されて再武装が着手される。この一連の事件は、GSとG2の関係が逆転したことを表している。

 以上のようなGHQの政策転換に応じて対米従属の内実も変化していく。白井さんは「確立の時代」「安定の時代」「自己目的化の時代」という三つの時代区分を提示して、その変化を次のように解説している。

 「確立の時代」というのは、占領期から保守合同による55年体制の成立を経て、おおよそ60年の安保闘争あたりまでを指します。この時期が「確立の時代」だというのは、逆に言えば不安定な時期だったということでもあります。敗戦後の社会の根本的な不安定さの中で、支配層からすれば、何とかしてこの構造を確立させなければならなかった。またこの頃は、共産主義革命の可能性がまだリアルに感じられた時代です。それが、60年安保を支配権力の側か乗り切ったことで、何とか一定の安定に到達したわけです。

 そこから対米従属の「安定の時代」に入りました。この時代に日本は、「安定」を背景として驚異的な経済的成功を収めます。この状況を決定的に終わらせたのは冷戦構造の崩壊でした。ですから、「安定の時代」は冷戦終焉までということになります。

 冷戦が終わった時点で、日本が無条件的な対米従属をしている合理的な理由が無くなりました。なぜなら、「共産圏の脅威」があったからこそ、米軍の駐留を無限延長させ、アメリカを親分として仰いできたはずだからです。ところが、その後の25年間に何が起きたかというと、かつては依存と自立の志向が複雑に絡み合ったものであった対米従属構造が変質し、盲目的従属が深まっていくという摩詞不思議なことが起こったわけです。

 「確立の時代」と「安定の時代」においては、対米従属は、まずは強いられたものであったと同時に国を復興しなければならないという合理的な理由づけから始まり、共通の敵に一丸となって対峙するため、という理由づけがなされました。この二つの時代においては、対米従属を正当化することが可能だったわけです。

 ところが、90年代以降は、明らかに正当化が難しくなりました。その中で、日本の対米従属の特殊性、その歪んだあり方が際立ってきています。やめられないのはなぜか。それが「自己目的化」しているからです。明確な目的、国を復興させて、国民を豊かにしようという目的があり、そのための手段として対米従属があったはずが、いまや対米従属することそれ自体が目的になってしまった。

 こうして、90年以降から現在まで、55年体制から本当の意味で脱却することに失敗し続けた結果、今日の日本はまさに「永続敗戦レジーム」の名にふさわしい状況になってしまったわけです。

 ここで「永続敗戦」という概念が出てきた。白井さんは「序論」の中で、この概念の意味を次のように解説している。
「最も簡潔に言えば、負けたことをしっかり認めないので、ズルズルダラダラと負け続けることになる、という状態を意味します。」

 この概念の初出は白井さんの前著『永続敗戦論』である。そこでは加藤典洋著『敗戦「後」論』 を分析しながら、この概念に到達している。その部分を引用して置こう。

 話を加藤典洋の議論に戻す。そこにおいて問題とされるべきはむしろ、加藤が『敗戦「後」論』という枠組みで問題を提起していることである。右に述べてきたように、今日表面化してきたのは、「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態、すなわち「敗戦後」など実際は存在しないという事実にほかならない。それは、二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。

 安倍政権は得意げに「戦後レジームからの脱却」というスローガンを繰り返し述べ立て、同じように無知な支持者たちはが喝采をしている。私には、実際に行なっているあからさまな対米従属ぶりからは「戦後レジームの堅持」をしているとしか見えない。で、彼らが言う「戦後レジームからの脱却」とは何かというと、宗主国・アメリカが絶対認めるはずがない、いやまともな日本人が絶対認めるはずがない時代錯誤の大日本帝国の復活なのだ。上の引用文に続いて、白井さんがこうした問題を語っているので、少し長くなるが、その部分も引用して置こう。

 永続敗戦の構造は、「戦後」の根本レジームとなった。事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、「神洲不敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポッダム宣言受諾を否定し、東京裁判を否定し、サンフランシスコ講和条約をも否定することとなる(もう一度対米開戦せねばならない)。

 言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く ―それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。

 そして今日、このレジームはもはや維持不可能なものとなった。ひとつには、グローバル化のなかで「世界の工場」となって莫大な国力を蓄えつつある中国は、日本人のかかる「信念」が中国にとって看過できない害をなすのであれば、それを許容しはしないということ。そして第二には、1970年代以降衰退傾向を押しとどめることのできない米国は、冷戦構造の崩壊以後、日本を無条件的同盟者とみなす理由を持たない、という事情が挙げられる。そのとき、米国にとっての日本は、援助すべき同盟者というよりも収奪の対象として現れる。だが、こうした客観的情勢にもかかわらず、「侮辱の体制」はいまだ頑として聳え立っている。

《米国の属国・日本》(3)

対米従属、その内実の変遷(3)


 GHQの占領政策がGS的なものからG2的なものに変わって行ったが、それは、GHQの消滅後、日本の政治にどのように引き継がれていったのだろうか。白井さんは現在に至るまでの経緯を次のように論じている。

 90年代に『人間を幸福にしない日本というシステム』という本で官僚支配の続く日本社会を批判し、有名になったオランダ人ジヤーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンさんと対談をしたときに、「なるほど、オランダの人からはこう見えるのか」と興味深く聞いた話があります。

 ウォルフレンさんは、戦後の日本の社会党 ―いまは社民党ですが― の流れをとても批判的に見ています。自民党政権がこれだけおかしくなったのも、社会党がだらしがなかったからだというわけです。いわく、社会党は、結局現実路線を取ることができず、空理空論ばかり唱えていたからダメになってしまった、ヨーロッパにおける社会民主主義政党(マルクス主義の革命論を放棄した)のように変身を遂げることができなかった。だから、今日の日本の政治状況をつくり出した罪は社会党にもある、と。

 前章で社会党が戦後の現実に対応できなかったことを指摘しましたが、そこでも述べたとおり、ウォルフレンさんの主張には首肯できる点がある。しかし、ちょっと違うのではないか、と思うところもあります。どういうことかと言えば、いま述べてきたように、すでに占領期の段階で、GHQの内部で、GSとG2の間に激しい権力闘争があったわけです。両者の対立は、当初はGSが優勢でしたが、最終的には逆コースの中で関係が逆転する。当時起きた昭電疑獄事件(1948年)とか炭鉱国管疑獄問題(1947―48年)などの汚職系の政治スキャンダルの背景にも、実はGSとG2の対立があったと言われています。

 こうした暗闘の結果、GSが劣勢になり、G2は日本の保守勢力、とりわけ旧ファシスト勢力との結びつきを強めていくわけです。まさしく、「永続敗戦レジーム」の主役中の主役と呼ばれるべき勢力と結びついていく。

 サンフランシスコ講和条約締結によって占領期が終わると ―もちろん米軍は駐留し続けていますが― GHQによる直接的な政治支配はなくなります。では、その後、GS的な民主主義推進勢力はどうなったのでしょうか。

 ウォルフレンさんは、社会党のほかにも、作家の大江健三郎氏の政治的スタンスを強く批判していました。社会党や大江さんは、日本の保守政治を批判してきたけれども、言っていることはまるで非現実的で、GHQの言っていたこととほとんど変わらない、というのです。大東亜戦争を実行した軍国主義国家としての日本などいまでは存在しないのに敗戦直後の占領軍のような言説を千年一日のごとく繰り返しているのはおかしいではないか、と。彼が言ってることは、ある意味で的を射ています。社会党や大江健三郎的な保守政治批判というのは、確かに、占領期にGSが言っていたことを受け継ぐものです。

 つまり、次のように整理できるでしょう。GHQの消滅後、G2的なるものは戦前とのつながりを色濃く残す保守派へと受け継がれ、日本の国家権力と一体化する一方、GS的なるものは、占領軍という後盾を失った形で社会党などの左派へ受け継がれました。

 G2的なるものからすれば、GSによる改革の成果などどうでもよく、国家権力の行使に際して邪魔くさいものでしかない。だからいま、永続敗戦レジームの純粋形態としての安倍政権ならびに極右的政治家たちは、戦後民主主義改革の成果を次々に覆そうという意志を露にしています。自民党の新憲法草案は、その最も見やすい現れです。

 GSの遺産の守り手たちから見れば、この状況は「ほら、言わんこっちゃない」というものにほかなりません。戦後日本の民主主義は本当には定着していないという状況判断があったからこそ、彼らは、例えば憲法の問題にしても、「指一本触れてはならない」という立場を堅持してきました。

 ウォルフレンさんに言わせれば、現に自衛隊が存在し、海外派遣すらされているのだから、文字通りの護憲など欺瞞にすぎない、ということになる。しかし、このような欺瞞の中にとどまることが、国家権力を背景にできないGSの遺産の守り手たちにとって、永続敗戦レジームの地金が露出することを防ぐ唯一の手段であったのだとすれば、それは単なる空理空論だったとは言えない。「日本の保守支配層は、彼らの憧憬する戦前のレジームを隙あらば取り戻そうとする」という彼らが繰り返してきた批判は、実際に当たっていたのです。

 この状況は、ある意味で、占領期のGSとG2の暗闘が、役者を替えていまだにズルズル引き続いているようなものです。外から見れば、日本は先進自由民主主義国であるかのように見えるかもしれませんが、このような不毛な現実を内在させ続けてきたことは、事実なのです。

 こうしてGSとG2の流れは、明らかに戦後の保守と革新のそれぞれの系譜へと結びついていくわけですが、保守の側が方針としたのは、政治・経済的な次元での対米従属を通じた対米自立ということでした。他方、リベラルや左派の側は思想的次元で同様の軌跡を描いてきました。

 戦後の左派やリベラルが価値観として最も盛んに強調してきたものは、民主主義です。そもそも民主主義は、GHQが戦後改革の柱として強調したものであり、アメリカの国是でもあります。これを重視するということは、左派やリベラルは思想的な次元でアメリカに依存しているということになります。

 そして、アメリカに対する思想的な次元での依存を、今度はアメリカに対する批判の根拠にしていくことになるわけです。例えば、ベトナム戦争のごとき侵略戦争を行なっているアメリカには、本当の民主主義はないというような論理で、アメリカから受け取ったものをアメリカ批判の根拠にしていく。あるいは、憲法九条にしても、起源においてはアメリカの側から強制されたものなのですが、これを通じて、戦争ばかりしているアメリカと日本の間に一線を画そうとしていくわけです。こういう具合に、保守・リベラルともに、アメリカに対する依存と自立の志向が絡み合った非常に複雑な状況のもと、歴史は推移してきました。

 ところが、長いあいだ極めて複雑かつ、捻じれもはらんだものであったアメリカに対する関係は、現在では驚くほど単純になっています。例えば、2015年9月に成立した新安保法制の成立過程を見ても、その本質はとてもシンプルです。新安保法制は、衆議院の憲法審査会に招致した憲法学者三人全員から「違憲」との判断を下されました。自民党が呼んだ憲法学者まで、「違憲だ」と言ったのです。にもかかわらず、そんなことは政府の側は何にも気にしませんでした。なぜかといえば、それは、「アメリカ様がやれと言ってるから」、「アメリカ様にもう約束してしったから」という、きわめて単純な理屈です。

 先に述べたように、岸信介が60年安保で取り組んだゲームが複雑なものであったのとは対照的に、現在の安倍晋三首相のロジックは異様なまでにシンプルなものになっています。2015年の夏、戦後70年の談話を彼は発表しましたが、その中で、あの戦争における日本の過ちは「国際秩序への挑戦者となってしまった」ことだと述べています。この言い方は、あの大戦を総括するにあたって使われるものとしてはやや珍しい。

 この件が、現存する「国際秩序」の善悪如何を問わず、「現存の国際秩序に挑戦すること自体が悪いことなのだ」と言っているのだとすれば、そこには重大な含意があることになります。現代の国際秩序とは、不安定さを増しているとはいえ、アメリカ中心のそれであることは確かです。これが良いものであろうがなかろうが、それに挑戦すること自体が罪深いことである、ということになる。こうなるともはや、従属と自立をめぐる複雑なゲームをやる能力も意思もないらしいと判定せざるをえません。

 上の引用文中に出てきたウォルフレンという方も、その著書『人間を幸福にしない日本というシステム』も私は全く知らなかった。<注>には次のように紹介されている。

 この著書は当時30万部以上のベストセラーとなった。この中でウォルフレン氏は、日本の民主主義は常に「中味のない貝殻のようなもの」であり、「その殻のなかで実際に機能している権カシステム」を「官僚独裁主義」と名付けた。
 カレル・ヴァン・ウォルフレン著、篠原勝訳『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社、1994年。
 白井聡さんとカレル・ヴァン・ウォルフレンさんの対談本『偽りの戦後日本』KADOKAWA/角川学芸出版、2015年。

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 ウォルフレンさんの著書で翻訳出版されているのが外にもあるだろうかと、利用している図書館の蔵書を調べてみた。結構沢山あるので驚いた。また、その内容紹介を読むと全ての著書が今テーマにしている問題と重なっているので、すごく興味を引かれ、読んでみようかと思った。以下は私のためのメモなのだが、興味をお持ちの方もいるかと思い、ここに記録しておくことにした。出版年代順に紹介する。

『日本/権力構造の謎』(1990)
(内容紹介なし)

『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994)
 官僚批判の火付け役となった「日本/権力構造の謎」につづき、本書では「政治化された社会」等の新概念で日本のリアリティーにさらに深く斬り込む。

『なぜ日本人は日本を愛せないのか:この不幸な国の行方』(1998)
 ウソばかり聞かされてきたのだから、国を愛せなかったのも無理はない。日本の栄光の時代が終わった今こそ、真実に目を開こう。「人間を幸福にしない日本というシステム」に次ぐ渾身の論考。

『怒れ!日本の中流階級』(1999)
 「おとなしい中流」が「怒れるブルジョア」に変わるとき、この国のすべてが幸福な方向へ一変する。最高の日本分析家が心からの同情を込めて、21世紀ニッポンのただ一つの希望の道を説く。

『世界が日本を認める日:もうアメリカの「属国」でいる必要はない』(2005)
 高度経済成長達成から目標を見失ってしまった日本人。大国アメリカが壊れていくなか、日本は世界秩序の安定に貢献する存在となれるのか。未知なる危機に直面した国際社会のなかで、日本という国家が果たすべき役割を探る。

『もう一つの鎖国:日本は世界で孤立する』(2006)
 日中関係、日米関係、米中関係がシフトチェンジの時をむかえている今、日本はかつてない重要な選択を迫られている。40数年間にわたり日本の変化を見つめ続けてきた著者が、ニッポンの外交に警鐘を鳴らす。

『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』(2007)
 アメリカの覇権は終わり、すでに世界はアメリカ抜きで動き始めている。日本はいつまでアメリカに縋りつくのか?アメリカの不在が露わにしつつある政治・経済の新しい現実を、綿密な取材と緻密な分析で明らかにする。

『アメリカとともに沈みゆく自由世界』(2010)
 オバマ大統領の不作為によって、さらに危険な国家へと変質しつつあるアメリカ。この現実を見誤るとき、世界はかつてない混乱に巻き込まれる―。ポスト・アメリカの時代を政治・経済の両面から透徹した論理で分析し警告する。

『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』(2012)  漠然とした不満を驚くほど多くの日本人が感じているのはなぜか―。アメリカの庇護と官僚独裁主義に甘んじてきた日本社会の本質を喝破。政権交代、金融危機、東日本大震災等を経て、迷走を続ける日本へ新たな指針を示す。

『この国はまだ大丈夫か』(2012)
 日本はなぜ改革が進まないのか。小沢一郎はなぜ消されようとしているのか。アメリカはもはや盟友ではないのか。官僚の力はどうして削がれないのか。日本分析の第一人者による語りおろしを収録する。

『人物破壊:誰が小沢一郎を殺すのか?』(2012)
 「人物破壊」というキーワードから、政治家・小沢一郎を巡る騒動の背景に、国家を支配する非公式権力の姿が浮かび上がる。日本の権力構造を見つめ続けるオランダ人ジャーナリストが「画策者なき陰謀」の正体を喝破する。

『日本を追い込む5つの罠』(2012)  アジアを搾取しアメリカ経済すら破壊するTPP、「国家なき国」の犠牲となり続ける沖縄の基地問題…。震災後の日本を追い討ちする“本当の危機”を直視せよ! 世界の権力地図が塗り変わる今、指針を示す。 孫崎享共著『独立の思考』(2013)
 TPP、半島・尖閣有事、普天間問題…。日本人はいつまで騙され続けるのか? 外交から日本の問題を読み解いてきた孫崎享と、官僚を出発点に日本社会を論じてきたウォルフレンが、共に行き着いた対米追随という元凶を論じる。

『日本人だけが知らないアメリカ日本に巣喰う4つの“怪物”』(2014)
 保守化する日本と塗り替えられた世界“権力”地図。混迷極める欧州からの警告を直視せよ―。知日派ジャーナリストが、日本人の未来を閉ざし、民主国家を害するポリティカル・モンスターの正体を明らかにする。

『偽りの戦後日本』(2015)
 1945年の「敗戦」を認められない日本人は、「戦後70年」という巨大な欺瞞の構造をいつまで放置し続けるのか―。原発、基地問題から安倍政権の本質まで、独立なき「永続敗戦」の現実を直視する日欧の論客が語りあう。
《米国の属国・日本》(4)

二重の法体系とアメリカの二面性


 続いて白井さんは対米従属を考える上での大事な問題として「二重の法体系」と「アメリカの二面性」を取り上げている。前者について、私は《沖縄に学ぶ》の次の記事で詳しく取り上げている。
沖縄問題の本質(1):行政協定と地位協定(1)
沖縄問題の本質(2):行政協定と地位協定(2)
沖縄問題の本質(3):日米合同委員会(1)
沖縄問題の本質(4):日米合同委員会(2)
《沖縄に学ぶ》(28):沖縄問題の本質(5):日米原子力協定
沖縄問題の本質(6):爆音訴訟
沖縄問題の本質(7):米軍ヘリ墜落事故
沖縄問題の本質(8):日本には国境がない

 「二重の法体系」とは何か。白井さんは矢部宏冶著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を援用して論を進めているが、上の私の記事もその著書を利用している。上に提示した記事「沖縄問題の本質(4):日米合同委員会(2)」では「二重の法体系」のポイントを論じている矢部さんの論説を直接引用した。それを再掲載しておこう。

 深刻なのは、田中耕太郎が書いたこの最高裁判決の影響がおよぶのが、軍事の問題だけではないということです。最大のポイントは、この判決によって、
「アメリカ政府(上位)」>「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法な形で温存されていた権力構造が、
「アメリカとの条約群(上位)」>「憲法を含む日本の国内法(下位)」
という形で法的に確定してしまったことにあります。

 安保条約の条文は全部で10ヵ条しかありませんが、その下には在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。さらにその日米地位協定にもとづき、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は60年以上にわたって毎月、会議をしているわけです。それが「日米合同委員会」という名の組織なのですが、左ページの図(日米合同委員会組織図)のように、外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが毎月二回会議をしている。そこでいろいろな合意が生まれ、議事録に書きこまれていく。合意したが議事録には書かない、いわゆる「密約」もある。全体でひとつの国の法体系のような膨大な取り決めがあるわけです。しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。

 そうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は、憲法学者の長谷川正安・名古屋大学誉教授によって、「安保法体系」と名づけられています。その「安保法体系」が、砂川裁判の最高裁判決によって、日本の国内法よりも上位に位置することが確定してしまった。つまり裁判になったら、絶対にそちらが勝つ。すると官僚は当然、勝つほうにつくわけです。

 官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体型)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

 しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

 とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです。

 このように過去60年以上にわたって、安保法体系を協議するインナー・サークルに属した人間が、必ず日本の権力機構のトップにすわるという構造ができあかっている。ひとりの超エリート官僚がいたとして、彼の上司も、そのまた上司も、さらにその上司も、すべてこのサークルのメンバーです。逆らうことなどできるはずがない。だから鳩山さんの証言にあるように、日本国憲法によって選ばれた首相に対し、エリート官僚たちが徒党を組んで、真正面から反旗をひるがえすというようなことが起こるわけです。

 この章のはじめで、私が沖縄に行ったきっかけは、
「鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなのか」
「官僚たちが忠誠を誓っていた『首相以外のなにか』とは、いったいなんだったのか」
という疑問だったと言いましたが、この構造を知って、その疑問に答えが出ました。  彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っていたということだったのです

 二つ目の「アメリカの二面性」については白井さんの論考を直接引用する。

 戦後、アメリカは日本を直接的・間接的に支配してきた。支配とは、力を担保として行なわれるものです。力の一つは、いわゆるハードパワーです。人を支配する、言うことを聞かせたいときに、どうすればいいか。最も単純な手段が暴力です。しかし、暴力のみによって人に言うことを聞かせるのは不安定だし、効率が悪い。そこで、自発的に言うことを聞くように仕向けるのが上手いやり方です。そうした手段は、政治学的にはソフトパワーと呼ばれています。

 これは言い換えれば文化的な力です。すなわち日米関係で考えれば、日本人がアメリカを好きになることが、アメリカにとっての力になるということです。もちろんアメリカニズムの流入は戦前からありましたが、戦後になると、その物量がまったく変わってくる。アメリカン・ウェイ・オブ・ライフやアメリカン・カルチャーヘの憧れが駆り立てられるということが、かなり組織的に行なわれていったわけです。

 ですから、アメリカの二面性と言ったとき、戦後日本に流入してきた「アメリカ的なるもの」とは、一方では「暴力としてのアメリカ」であり、それは端的に占領軍です。しかし、暴力の力だけで支配するというのはアメリカにとっても決して望ましいことではなかった。日本人が反米感情にとらわれるようになったら、東側陣営に走りかねない危惧があったわけです。ゆえに、暴力をどこかで担保しつつも、「文化としてのアメリカ」を同時に入れていく。この二つをバランスさせてきたわけです。

 このアメリカの二面性は、敗戦直後の日本人にとっては、まだ皮膚感覚で実感できたものでした。まず実際に、占領軍が目の前にいる。占領軍兵士と地域住民の間で、様々な軋轢が起こる。米兵による暴行事件や性犯罪が数多く起こった。まさに、「暴力としてのアメリカ」です。しかし、本土の基地が徐々に削減されていくことによって、「暴力としてのアメリカは後景に退いていくことになります。では、その削減されたものはどこに行ったのか。言うまでもなく沖縄です。

 こうして、本土では暴力的な側面は脱色されて、どんどん見えなくなっていきます。では、アメリカの暴力性が本当になくなったのかというと、そんなことはまったくない。アメリカは第二次大戦後も、常に大中小の戦争をやり続けてきた国なのですから。しかし、日本の本土においては、「暴力としてのアメリカ」を見ないで済むようになり、「文化としてのアメリカ」だけを享受するという巧妙な装置がつくり上げられていったわけです。その結果、ほとんどの本土の人間にとっては、アメリカの暴力が再び日本に振り向けられるかもしれないということが想定外になってしまいました。先の戦争で日本を打ち負かしたところのあの暴力が、再びこちらに向けられることがあるかもしれないという可能性をまったく考えなくなってしまったのです。このことが、本土で永続敗戦レジームに対する抵抗がまだ本格化しないことの理由の一つです。

 要するに、戦後日本はアメリカに対して、「基地でも何でも提供しますから、暴れるなら外でやってください」という態度を取ることで、「暴力としてのアメリカ」の面を巧みにやり過ごすことに成功したわけです。そのなかで、沖縄だけが例外でした。沖縄だけがアメリカの暴力性にさらされ続け、いまなおさらされている。だからこそ、「暴力としてのアメリカ」を想定外とする本土に対して、いま、沖縄は根本的な抗議の声を上げるに至っているのです。

 沖縄は、永続敗戦レジームの外部に位置すると同時に、「暴力としてのアメリカ」の側面を一身に引き受けることによって、本土でこのレジームが成立するための不可欠の要素であったわけです。沖縄で現在起こっていることについては、終章で触れますが、沖縄の問題を考えることは、永続敗戦レジームの本質の一端を明らかにすることでもあります。

 《沖縄に学ぶ》で学習してきた事を振り返れば、白井さんの論説には全て納得できる。

 「暴力としてのアメリカ」を沖縄に押しつけて、そんなものは元々なかったのだとすまし顔で、日本の権力の中枢に群がるエリートたちはどのように「文化としてのアメリカ」に拝跪してきたのか。白井さんは「幻想と利権共同体」と題して、この問題を取り上げている。

 結局、「暴力としてのアメリカ」が不可視化され「文化としてのアメリカ」のみが前景化した結果、いわば慈悲深いアメリカ、恵みをもたらすアメリカというイメージが、抱かれるようになっていきます。それは大日本帝国において、天皇が果たしていた役割を代行するものでもありました。その意味では、まさに慈悲深いアメリカという幻想をつくり出すことこそが、「永続敗戦レジーム」の生命線であると言っても過言ではありません。

 しかし、その中核部の実体は、政官財学メディアといったあらゆる業界に張り巡らされた対米従属利権共同体にすぎません。利権共同体そのものはどこにでもあるつまらないものです。そして、日本社会の中のごく限られた一部の人間がアメリカとうまくやっていて、そこから様々な利権を引き出しているというのならば、話は非常にわかりやすい。しかし、この場合、その利権共同体は政官財学メディアなどあらゆる領域に広範囲に張り巡らされているし、そうやって広がれば当然利権は広く薄く分配されますから、利権を独占している存在を特定することは難しくなる。さらには、この利権共同体の最重要の機能が、慈悲深いアメリカという幻想をつくり出すことによってこのような構造を不可視にすることにほかならないわけです。

 学問の世界から一例を挙げると、国際政治学という学問があります。国際政治学者が書いた本を書店で手に取ると、われわれプロは、目次より何よりまず著者の学歴経歴を見ます。翻訳書の場合は訳者の学歴経歴です。学歴経歴を見るだけで、その本に書いてある内容の八割九割はわかってしまう。どうしてか。まず国際関係論とか国際政治学を専攻している学者の多くがアメリカ関係の研究をやっています。日米関係やアメリカ外交ですね。戦後の日米関係の重要性に鑑みれば、国際政治学の専門家の多くがアメリカに関する研究をすること自体は不自然ではありません。

 問題は、この人たちがどのような教育を受け、どのようにキャリア形成をするかということです。その人たちの多くは、アメリカに留学をし、場合によってはアメリカで学位を取る。

 アメリカにおける国際関係論とはどういう学問なのか。これは「アメリカの国益を最大化するためにはどうするべきかを考える学問である」と明快に定義されています。アメリカ人がそういった学問 ―これほど政治的目的を前面に出した学問を学問と呼ぶべきなのか微妙ですが― をやるのは勝手ですが、日本人がアメリカに行って、この分野で学位を取り、当地の人脈をつくり、そして帰国後に日本の大学や研究機関で職を得て、講義や教育、あるいは政府の政策に助言をしたりする。そのことの意味を、よく考える必要があります。

 なぜわれわれが、国際政治学者の本を見るとき、学歴経歴から見るのか、察しがつくでしょう。何年アメリカで学んだのか、そこで学位は取ったのか、帰国後の就職活動で苦労しているか ――こうした点を見れば、本の内容はおおよそ推測できます。つまり、ある国際政治学者のアメリカ滞在歴が長く、帰国後あっという間に良いポストに就職しているというような場合、その著書の主張は、「日米同盟は永遠に続くべきである」というものであると、見当がつくのです。そのような結論ありきで書かれた書物に、当然知的緊張はありません。

 日本の権力の中枢に群がるエリートたちにとってはアメリカ留学は大変な箔が付く勲章なのだ。ここで思い出したことがある。つい最近話題になった学歴詐称問題だ。その話題人物の中に安倍総理と麻生副総理がいた。それぞれの公式ホームページに次のような学歴が書かれていたそうだ
安倍の場合
 1977年3月 成蹊大学法学部政治学科卒業
続いて南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学
麻生の場合
 1963年 学習院大学政治学部卒業
続いてスタンフォード大学大学院に2年間留学
さらに2年間ロンドン大学政治経済学院へ留学

 その後、この留学という詐称学歴は削除されたそうだ。悲しいかな、ウソをついてまで勲章を欲しがる無知・無恥ぶりを発揮するような人物が総理・副総理にしてしまう国民も無知にして無恥と言わざるを得ない。
《米国の属国・日本》(5)

経済領域での対米従属(1):レーガノミックスの功罪


 第三章の表題は「対米従属の諸相(二)」となっている。そして、この章の目的を次のように述べてる。
「対米従属が自己目的化した時代における経済領域での対米従属について、簡潔に分析します。それによって、経済現象が政治からまったく独立などしていないことが理解できるはずです。そこから、政治における対米従属の本丸を見ていきます。政治権力はその本性上暴力にかかわります。つまり、軍事における対米従属に焦点を当てなければなりません。」

 白井さんは「経済領域での対米従属」について、まず、「マネー敗戦」からTPPに至る流れに着目する。…と、ここで早くも「?」。「マネー敗戦」という言葉に初めて出会った。まずこの言葉の意味から学習しよう。

 白井さんは「マネー敗戦」の説明を次のように初めている。
「マネー敗戦とは、アメリカのレーガン政権によるレーガノミクス政策をきっかけとして起こったものでした。」

 ここで思い出したことがある。レーガノミクスなら『「ミニ経済学史(20)」:新しい古典派の時代(3):フリードマン(2)』で取り上げた。そこからレーガノミクスについて解説している部分を再掲載しよう。

1980年代初頭にレーガンはフリードマンの提言を忠実に実行したという。その政策の結果インフレはある程度は収まったのに、その後、レーガンはソ連との対抗のために大軍拡を行い、財政支出を際限なく膨らませて全てを元の木阿弥としてしまった。教科書④は
「結局振り返ってみれば、フリードマンの言う通りに貫徹できたことと言えば、富裕層中心の減税と、福祉・医療・教育予算の大幅削減と、労働組合攻撃ぐらい」
と、手厳しい。ちなみに、「富裕層中心の減税」という項目が入っているが、フリードマンは累進課税反対論者である。累進課税は「税負担能力を基礎においた応能負担原則」によるものであり、私は公平な税制だと考えている。(『「財源=税」問題を考える』を参照してください。)

 次いで、レーガンが行った政策の詳しい内容を知りたくて、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』から関連部分を引用した。

 レーガンは中米やカリブ諸国に対して非道な行動を取っただけではない。自国の労働者階級や貧困層も踏みつけにした。軍隊の多くの部分を占め、緊急事態に真っ先に犠牲になるのは彼らである。しかし、〈現在の危機に関する委員会(CPD)〉のメンバーで公職に就いている人間のうち、50人以上がその事実を「良いこと」とみなしていた。

 1980年の選挙の直後、メルビン・レアード元国務長官はレーガンに対して「国防費を大幅に増やすことは、アメリカにとって最もあってはならないことだ」と警告を発している。レーガンはこの助言を聞くどころか、正反対のことをした。「アメリカの軍事力は弱体化しており、このままではソ連の攻撃に対抗できない」という作り話を根拠に、国防費増額を強く訴えたのだ。「今われわれは、真珠湾後の日々よりも大きな危険の中にいる。アメリカの軍隊はこのままでは無力で、この国をまったく守ることができない」とも言った。

 レーガンの脅しは功を奏した。国防費は、1985年にはなんと、1980年に比べ51パーセント増となったのである。それだけの費用を捻出するため、彼は自らの裁量で動かせる内政関連の政府支出を30パーセントも削減した。700億ドルもの大金を内政から軍事へと振り向けることに成功したわけだ。

 ハワード・M・メッツェンバウム上院議員は、行政管理予算局局長のデイヴィッド・ストックマンの予算削減手腕の見事さを称賛したが、同時にストックマンという人間に関し「冷酷で、非人道的で、不公正」とも言った。1983年には、48万人もの人が、児童扶養世帯扶助制度(AFDC)の支援を受けられる資格を失っている。また、給付金を減らされた人も29万9000人にのぼった。レーガンはさらに議会を促して、120億ドルだったフードスタンプ(食糧配給券)の予算を20億ドル減らし、35億ドルだった学校給食の予算も10億ドル減らした。その他、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、小児栄養、住宅補助、光熱費援助などの予算も削減し、都市支援の予算はほとんど半分まで減らした。レーガンは、こうして貧しい人間に厳しくする一方で、所得税の最高税率は引き下げた。70パーセントだった最高税率は、彼が大統領を退任するころには28パーセントになっていた。

 新兵器の開発、既存兵器の改良は積極的に進められた。費用が非常に高く、大幅に遅れていたMXミサイルの開発なども進んだ。これは、位置の特定を困難にし、ソ連の先制攻撃による破壊を避けるため、ループ状の地下坑道を移動する配備方式も検討されたミサイルである(訳注 のちの《ピースメーカー》ミサイルだが、結局、移動配備方式は採用されなかった)。レーガンは、ソ連の経済が停滞していることを知っており、おそらく追随することは難しいだろうと読んでいた。

 核兵器に向ける予算は飛躍的に増加した。1981年には、いわゆる「対ソ封じ込め政策」の提唱者であるジョージ・ケナンが、レーガン政権が無分別な核兵器の増強を続けていることを批判してこう発言している。
「われわれはこれまで、次々に武器を増やしてきた。ミサイルを次々に作り、破壊力をどこまでも高めてきた。やむを得ずそうしてきたのだ。催眠術にかかったように、半ば無意識に。夢の中にいる人のように。海に向かって行進するレミング(管理人注:集団自殺をする鼠の一種)のように」。

 レーガンが行なった愚かな政策は、なんと、今アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権がそっくり受け継いでいるではないか。ちなみにオリバー・ストーンはレーガンに対して
「レーガンは、歴代大統領の中でも、おそらく最も知的好奇心の乏しい人物であった。」
と、手厳しい人物評価をしている。その評価も安倍に当てはまる。『《沖縄に学ぶ》(43)』で、「安倍さんを表現するとき、私は、二つの『ムチ』に集約できると思うのです。ひとつはignorantの無知、もうひとつはshamelessの無恥です。」という安倍の恩師(加藤節名誉教授)による厳しい安倍批判を紹介した。ついでなので、レーガンを扱っている章の見出しから、アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権がやっていることを彷彿とさせるような項目を紹介しておこう。


 「想像を絶する」、レーガン大統領の知的レベル

 レーガン名物、「ほら話」

 大統領の無知・無関心につけ込む者たちの暗躍

 レーガン外交は「魔女の煮物」

 さまざまな思惑が交じり合い、何ができあがるのか誰にもわからない

 「人間の残虐さに鈍感な」アメリカ帝国

 「冷酷で、非人道的で、不公正な」国内政策

 児童扶養世帯扶助制度の改悪、メディケイドなどの予算削減
(管理人注:メディケイド=公的医療保険制度)

 停止していた核開発計画を再開

 さて、このレーガノミクスについて、白井さんは次のように解説している。

 当時のアメリカは「双子の赤字」と呼ばれる、貿易収支と経常収支の二重の赤字を抱えており、このままでは経済破綻しかねないと言われるほどの状況でした。その中でも、日米間での貿易不均衡、日本側の大幅な黒字が問題視されていました。これを解決する策として提示された経済政策がレーガノミクスでした。ちなみに「アベノミクス」の名前もここからとられています。

 レーガノミクスの面白いところは、国家が財政赤字に陥っているとき、普通なら増税を考えるところを、減税すべきだとしたところです。レーガン大統領は、減税すればするほど税収は増えるんだと、逆説的なことを言い出したわけです。

 レーガン大統領はイデオロギー色の強い人でもありました。反共産主義的な考え方から高負担高福祉の国家はソ連的であるとし、アメリカはアメリカらしくまったく違う考え方でいくべきだと主張します。そこで出てきたのが、税率を低くすれば低くするほどみんな一生懸命働くようになるので、かえって税収が増える、という魔法のような考えです。実際、この考えは当時「ブードゥー・エコノミー」と呼ばれ、眉唾ものであると見なされていました。この場合のブードゥーとは、「怪しい呪文を唱えているだけで意味がわからない」という意味です。

 レーガン政権は、具体的には、富裕層への減税を行ないました。というのは、そもそも貧困層への税率は低いため、富裕層に対する累進課税を緩和するほうが影響は大きいからです。

 では、レーガノミクスの結果、アメリカ経済は復活したのか。その答えは単純には言えません。短期的には、まさに「ブードゥー」だったと言えます。税率を下げたところで、生産性が上がったとはあまり言えず、税収もそれほど増えず、赤字は拡大していきました。とはいうものの、中期的にはアメリカに世界中のマネーが流れ込む仕組みをつくり、同国の覇権を延命させたと言えます。レーガン政権は、今日にまで続く世界的な新自由主義の流れを大いに促進することで、「偉大なアメリカ」を観念的に回復させたのです。

 しかし、長期的には、いわゆる経済のカジノ化をもたらし、それは2008年のリーマン・ショックでついに矛盾を露にします。明らかになった矛盾は、本質的にはいまも解決されてはいません。