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第729回 2007/02/15(木)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(1)


 私の手元にある滝村さんの著書の中には社会ファシズムについての 論稿がないので、吉本さんの『異端と正系』(現代思潮社)所収 「日本ファシストの原像」を教科書とする。

 農本ファシズムが国家社会主義の課題として、まがりなりにも 資本制の廃絶を掲げていたのに対して、社会ファシズムの掲げた 題目は初めから修正資本主義をスローガンとするブルジョワ独裁 の変種にすぎなかった。また、大衆の心情的なレベルへの浸透度 でも社会ファシズムは農本ファシズムに大きく遅れをとっていた。

 また戦争期において、近代的デスポティズム=天皇制と直結して イデオロギー上の主導的な役割を担ったのは農本ファシズムであった。 社会ファシズムは高々、独占資本制生産の合理化と金融産業資本の 満州への侵略的な投下をイデオロギー的に推進したにすぎなかった。

 従ってまた敗戦によって、近代的デスポティズムとしての天皇 制の終焉とともに農本ファシズムも絶滅したが、独占資本そのものと 社会ファシズムは生き残った。

 吉本さんは日本のファシズム、とりわけ社会ファシズムを論究する ことの意義を次のように述べている。


 敗戦は、天皇制の絶対主義的な性格と、天皇制の封建的な側面に 直結した農本ファシズムを絶滅させた。しかし、独占資本そのもの は、不変資本を破壊されはしたが、何人によっても打ち倒されはし なかったのである。

 労働者や農民は、天皇制の封建的な組椒化の下に統合されるか、 独占支配的な側面に組織化される以外に道はなかった。そして、 思想的には、そのいずれかのイデオロギーの影響下に立ったので ある。このような情況下における敗戦は、労働者や農民を天皇制 支配から解放したが、かれらが自主的に資本主義自体を打ち倒す 思想をもちうるだけの基盤を用意することはできなかったのであ る。敗戦後の日本が当面したあらゆる困難の社会的根拠はここに あった。

 このような特殊な事情によって、天皇制権力のイデオロギー的な 戦争責任の問題は、農本ファシズムと社会ファシズムのイデオロギ ー構造によって追及されねばならず、この解明によって戦時下と戦 後をつなぐ、農民運動と労働運動の問題点を摘出する作業がつづけ られなければならない。

 組織労働者や農民や兵士のイデオロギー的な責任は、大衆組織と しての労働運動や農民運動や軍隊が、組織そのものとして日本ファ シズム・イデオローグのイデオロギーにたいして相対的な自立性を もちえなかった点にもとめられなければならないとおもう。組織と してファシズム・イデオローグを揉みこなすだけの民主制と自主性 をもちえなかつたという責任は、大衆運動と軍隊の戦争責任として 最大の要点をなしている。

 したがって、戦争中、産報や農報のさん下にあった労働運動や農 民運動が、戦後、社会主義政党のさん下に転換したということで、 戦争責任と戦後の課題は解消するものではない。やはり、そこでも、 社会主義イデオローグのイデオロギーを、揉みこなすだけの組織の 民主制と自主性を確立すべき課題がのこされており、イデオローグ のイデオロギーを組織の存在自体によって批判しかえす課題を、 大衆運動は担っているといわなければならない。

 大衆運動の担っているこのような課題は、戦争中の社会ファシズ ムや農本ファシズムのイデオロギー構成が、戦後の大衆運動のなか で、どのように浸透しているかの追及と不可分のかたちをなしてい ることはいうまでもないことである。日本ファシズムの検討が戦時 下に支配イデオロギーの役割をはたした点と、戦後大衆運動にのこ した残像との二重性によって、いまなお、とりあげられなければな らない理由はここに存在している。


 吉本さんのこの問題提起は40年も前のものである。しかし、 『イデオローグのイデオロギーを、揉みこなすだけの組織の 民主制と自主性を確立すべき課題』を、果たして私たち大衆は よく自らのものとなし得てきただろうか。狆ゾウ・沈タロウの ような亜流社会ファシストのデカイ顔をつぶせないでいる昨今、 私たち大衆は再び総敗北の坂を転げ落ちているのではないかと の思いを禁じえない。
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第730回 2007/02/16(金)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(2)


 吉本さんは別の論文(「転向ファシストの詭弁」)で次のように 述べている。


 丸山真男や竹内好をはじめ、日本の進歩的な学者は、日本ファシ ズムの思想や行動を研究するばあいに、例外なく農本主義的なファ シズムだけを問題にしている。わたしは、絶対主義天皇制下のファ シズムの形態を農本的なファシズムにだけもとめるのは、一面的な 理解にすぎないとおもう。

 この農本的なファシズムは、厳密な意味では、ファシズムとはい いえないのであって、藤田省三のいうように、ある意味では変革の エネルギーが変態的に転化されたものと、いいえないことはない。 いわば、盲目的な無智であり、思想以前の問題にすぎない部分をも っている。

 しかし、丸山学派などがとりあげてこなかった日本ファシズムの 他の形態、すなわち、ソレルやベルンシュタイン流の擬制社会主義 的な言辞をろうして独占ブルジョワジイに奉仕するファシズムこそ 問題としなければならないはずである。


 農本ファシズムと社会ファシズムの違いをおさらいしておく。
 農本ファシズムは1935(昭和10)年前後から敗戦まで、変革を求める 民衆の良質な部分の心情に深い浸透力をもったイデオロギーである。 それは反資本主義の立場をとりながらも、前近代的な伝統意識につなが り、国家権力の天皇制支配の側面に結びついていった。
 一方社会ファシズムは、独占資本の戦時社会経済体制の内部矛盾 を、国家権力と一体化することによって打開しようとたもので、 危機に瀕した国家独占資本のイデオロギーにほかならない。


 日本で社会ファシズム的な政治運動を推進し、これに附随するかた ちで文化組織を小規模ながらもつくり出したのは、中野正剛一派の東 方会(1936年設立)ファシズムと、そこに寄生した文化ファシズムで あった。


 ここで言われている「文化ファシズム」とは東方会に参加して、 1940年に「文化再出発の会」(その機関紙が「文化組織」)を結 成した花田清輝、中野秀人、岡本潤らを指している。

 最近で「文化ファシズム」と呼ぶにふさわしいものとしてすぐ思い 当たるものに「日本を守る国民会議」というのがあった。この団体は 1997年に「日本を守る会」と合体していまは「日本会議」となっている。 その役員の出所は、財界人、元官僚、政治家、学者、文化人、宗教家 などほとんどの分野にわたっている。組織力・経済力ともに巨大な 勢力となっている。もちろん、あの「新しい教科書をつくる会」 もその傘下の団体である。

「日本会議」 という組織のあらましを客観的にまとめています。)


 戦争中、東方会ファシズム、文化ファシズムは、ブルジョワ・イデ オロギー的な必然と、天皇制の特殊な双面性によって支配的なカをも ちえなかった。そして主要な打撃をうけることなく戦争をくぐりぬけ ることができたのである。

 そのため、この擬近代的ファシズムが、どんなもっともらしい思想 を流布し、デマゴギーを一般化したかは、なお、検討すべき余地をの こしている。


 「天皇制の特殊な双面性」とはその「ブルジョワ地主的近代支配 と軍事的な封建支配」を指している。


 わたしの知見のはんいでは、東方会のイデオロギーは、終始、 中野正剛が昭和8年にかいた『国家改造計画綱領』をでるもので はない。ここに日本における社会ファシズムの問題は、集中 してあらわれている。

 この綱領は、軍部と民間の農本的なファシストたちによって企 てられた五・一五事件を直接の刺激として、満州事変以後の時代 的な転換を間接の契機としてかかれたものであった。いうまでも なく、当時、非合法的な形で流布されていた北一輝の<日本改造 法案>は、中野が原形として模倣したものである。

 中野は北にたいして独自な綱領を対立的に提出しようと試みた ものにほかならぬ。もともと、党人くずれのブルジョワ・イデオ ローグにすぎない中野と、本来的な土着の思想家であった北とは、 比肩しうべくもないが、中野の綱領と北の法案のあいだには、ブ ルジョワ・イデオローグが民族的な国家機構を至上化した場合 と、日本型の社会主義者が民族的な封鎖性に足をとられていった 場合とのあきらかなちがいを指摘することができる。


 以下、社会ファシズム(中野正剛)と農本ファシズム(北一輝)の 相違を論じている部分に重点を置いて読んでいくことにする。
第735回 2007/02/23(金)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(3)


 中野正剛が「国家改造計画綱領」を起草した時の時代背景を確認し ておこう。

1931(昭和6)年 柳条湖事件(満州事変)
           満州国建国宣言
1932(昭和7)年 5・15事件
1933(昭和8)年 日本、国際連盟脱退
1934(昭和9)年 満州帝政実施
1935 (昭和10)年 政府、国体明徴・天皇機関説排撃声明
1936 (昭和11)年 2・26事件
1937 (昭和12)年 盧溝橋事件・日中戦争始まる
           日独伊防共協定
           南京大虐殺
1938 (昭和13)年 国家総動員法公布
           日本軍、徐州占領
1939 (昭和14)年 ノモンハン事件
           国民徴用令公布
           米国、日米通商航海条約廃棄通告
1940 (昭和15)年 日本軍、北部仏印に進駐
           大政翼賛会発会
           大日本産業報国会創立
1941 (昭和17)年 予防拘禁制追加(改正治安維持法)
           東条内閣成立
           真珠湾奇襲攻撃・太平洋戦争始まる

 多くの人たちが、現在の日本の政治・社会状況を1930年代になぞ らえている。最近では1940年代に突入したと言う 人もいる。自民党が着々と積み重ねてきた反動的法整備は「共謀罪」 という「予防拘禁制」で完成する。憲法は既に「解釈改憲」されてい る。憲法の番人・最高裁さえ憲法違反のような判決を続々と打ち出して、 憲法遵守義務を放棄している。


 人の日常とは非日常の仮装である。日常が非日常を胚胎している のではない。おそらく逆であろう。人の非日常が日常という名の気 だるいジェリーを絶えず分泌し、それを皮膜として身にまとい、安 穏を装って災禍のもとを隠すのである。人はそうでもしなければ身 がもたないのだ。災禍のもとが日々にいつも露出しているのでは、 気の休まる暇がない。

 だから、無意識に「日常」を仮構する。「安穏」を捏造し、演出 する。その手助けをしてきたのは、いつの時代も国家に牛耳られた マスメディアであった。

 じつは「ごくありふれた普通の日」なんかないのである。あるの は、「ごくありふれた普通の日のように見える日」なのだ。昨日も そうであった。今日もそうだ。明日もまたそうであるにちがいない。 しっかりと目を凝らせば、安穏のジェリーに包まれた災厄の果実が、 ほら、もうはち切れそうなはどに膨らんでいるではないか。

 1930年代の世情に私はずっと興味を抱いてきた。より正確には、 1930年代という実時間における歴史認識について。つまり、その年代 に生きた人びとは危機を危機として感じていたのかどうかということ について。なぜなら、1931年こそが「十五年戦争」のスタートだった からである。

 満州事変、日中戦争、太平洋戦争の総称である十五年戦争とは、い うまでもなく、当時からそう呼ばれていたわけではない。戦後もだい ぶ経てからの痛苦に満ちた名称である。もしも発端の柳条湖事件で 日本の社会が十五年戦争を予感し必死で回避しようとしたならば、 十五年戦争はなかったか短縮されるかしたはずであろう。

 仮構された日常が、しかし、そうさせなかったのだ。今日は昨日 のつづき、明日は今日のつづきという「ごくありふれた普通の日」 の連なりに生きているという幻想が、途方もない楽観を生むのであ ろう。
  (辺見庸著『いま抗暴のときに』所収「日常という仮装」より)


 さて、「国家改造計画綱領 第一、非常時宣言」に曰く

『かくして、全国民は深甚切実なる不満と不安とに陥り、恐る べき社会的大動揺の兆候は歴然として眼前に顕はれて来た。かの 五・ー五事件の公判が開かるるや、都市と農村とを間はず、全国 民の熱烈なる同情は被告の志士的心事に注がれてゐるが如き、以 て人心の激変を語るものではないか。(中略)吾々は悲壮なる五・ 一五事件の被告の熱情に対し、建設的指導原理を提供し、天下に 向つて改造の指標を掲げねばならぬ』

 これを引用して、吉本さんは次のように解説している。


 軍部や農本ファシストたちに同情する擬態をしめしながら、かれら が天皇制の絶対主義的な側面に直結して、資本主義打倒を目的とする テロ行為に走ったのにたいし、中野は資本主義の無力を既成政党の 無力におきかえ、あたらしい国家統制によって、ブルジョワ独裁を 企図しようとするにほかならなかった。

 中野が<建設的指導原理>というとき、無智ながらも農本ファシ ストたちがしめした資本主義の打倒はおしとどめられ、資本主義の 国家統制による修正と永続化が目的とされた。五・一五事件の被告 のエネルギーに、建設的指導原理を提供すると称する中野の綱領は、 木に竹をつごうとするに、ひとしいものであった。そして、ある程 度意識的に、農本主義者、軍部下級将校たちがしめした行動力のエ ネルギーを、北一輝の法案の影響から、自らのブルジョワ独裁論の 方向に吸収しようと試みたということができる。

 東方会のこのような意図は、十五年戦争の会期を通じて実現され なかった。軍部や農本ファシストたちの行動力は、天皇制絶対権力 の錯綜した支配力を強化することに役立ち、中野正剛ら東方会ファ シストたちのブルジョワ独裁の企図は、ドイツ、イタリアのよう に実現せず、わずかに資本制軍需生産の合理化と金融産業資本の帝 国主義的な膨脹をたすけるだけにおわつた。この日本的ファシズム の二様の終末のなかに天皇制下の社会構成の特殊な性格が集中して あらわれたのである。



今日の話題

浅野史郎さんを都知事候補に!

 黒川紀章、沈タロウの友人を自認し、日本会議の会員らしいという いかがわしい人物が都知事候補としてしゃしゃり出てきました。私は 何よりも沈タロウの落選を願っていますが、沈タロウ以外なら誰でも というわけにはいきません。

 「出たい人より出したい人」
 いま都知事候補に「浅野史郎さんを」と立ち上がった人たちがい ます。私も賛同の署名をしました。以下に浅野さんの人となりと、 これまでの経過と次回の会合への参加呼びかけのメールを転載します。


●日時:2月18日(日)午後4時から5時半
場所:江東区東大島文化センター(03-3681-6331)
   「統一地方選挙」についての講演会 ゲスト 浅野史郎
主催:「市民の声江東の会」
アクセス:都営地下鉄新宿線東大島駅下車 徒歩 5分

●昨日の報告(渡辺みつ子より) たった二日間の呼びかけにお応え頂き、メールの転送、ご参加、 メッセージや電報などありがとうございました。今晩は参加で きなかった「気持ち応援団」にも感謝です。

手作りの横断幕やポスター、受付対応、名簿、要請文の作成など、 綿密に打ち合わせた訳でもないのに、皆がそれぞれにできることを やり遂げました。

16日午後7時から9時、都内のホテルで「浅野史郎さんを東京都 知事に出馬させる会」が開かれました。参加者200人、報道陣50人の 参加があり、150人の部屋にとても入りきれない状態でした。会場 は浅野コールの熱気で一杯。

目的はただひとつ 「浅野史郎さんのハートに火をつける」
呼びかけ人の五十嵐敬喜(弁護士、法政大学教授)、小川明雄 (元朝日新聞論説委員)、上原公子(国立市長)他から、趣旨 説明や呼びかけがあり、熊本からかけつけた細川加代子(元首相 夫人)さんも切々と呼びかけられました。川田龍平さんはじめ、 長野、沖縄、仙台からかけつけた人 (ネットの威力)、都議、 区議など会場からも次々リレーラブコール。

最後に出馬要請文を千代田区議の小枝すみ子さんが読み上げまし た。そして、手に手に浅野カラーの青い紙を掲げ、ブルーの波、 ブルーの風をパフォーマンスしました。

さあ、この風はどのくらい強くなるでしょう、この波はどこまで 広がっていくでしょうか。浅野さんの心をとりこにしてほしい。

(公開記者会見で確認したこと)
・政治と金、地方自治、都政の現状を憂える無党派市民のやむ にやまれぬ出馬要請であること
・浅野さんの、実力、功績、人柄にほれこんでの出馬要請である こと
・都民だけでなく全国からのラブコールであること
・選挙は勝手連方式をイメージしていること
・政党も、労組、教組、企業もひとつになって勝手連で後方支 援してほしいこと
・時間がないのだから、それぞれの方法で浅野さんにラブコール を送ること
・浅野さん以外への出馬要請は考えていないこと

●ラブコール企画予定 2月18日12時半から2時 新宿西口(地上)
           リレートーク、シール投票、都政クイズなど
           主催 東京。をプロヂュース2007 雨天中止

    ◎山手線の全駅で、同じ時間に浅野コールをおこそう!
      実施予定者・グループは返信メールで連絡してね。
    ◎鎌倉市前市長の竹内謙さんが「浅野史郎さんを勝手に 応援する鎌倉市民の会」をたちあげました。あなたのまちにも・・是非。
    ◎浅野さんが立候補を決意してくれた場合、
     3月9日夜、なかのZEROホールで1200人のイベントも 予定されています。

●浅野史郎さんに対する都知事選への出馬要請文
 私たちは本日ここに会合を持ち、東京の未来について話し合いま した。その結果、私たちはさまざまな立場や考えを持っていますが、 一つだけ一致点があるということがはっきりしました。それは、4 月8日に行われる東京都知事選挙での候補者としては、浅野史郎氏 の外にいない、ということです。

この熱い思いを私たちは共有し、ここに集まりました。どうか、 この選挙に立候補してください。

浅野さんは、宮城県知事を3期務め、地方分権の旗手の一人とし て全国的に知られる業績をあげられました。
 市民オンブズマン全国会議の情報公開ランキングでは、毎年日 本一。公金の不正使用禁止に、全力を挙げたことでも全国的に知ら れています。カラ出張や食糧費はもちろん、県警の報償費について は執行停止など、公正・透明な使途のために全力で闘いました。

 一般競争入札制度を導入し官製談合をなくして、落札率を70%台 に下げるなど、公共事業の透明性を高め、無駄な事業費を減らしま した。

 また、福祉分野では地域福祉の充実、知的障がい者の施設解体宣 言、インクルージョン教育などノーマライゼーション実践のさきが けとして、きめの細かい政策を進めたことでも知られています。

 選挙は100円カンパとボランティアの市民選挙でしがらみをつくり ませんでした。だから、議会とも是々非々の関係をつくることがで きました。

 浅野さんは、現在慶応義塾大学の教授ですが、まだ59歳で、 趣味のマラソンのせいか元気はつらつとしています。今度は首 都東京で、都知事になったならば、これまでの経験を思う存分発 揮し、都民の目線に立ち、一人ひとりの生活や人生を大切にする 大仕事を実行してくださると信じています。浅野さんの経歴や人 柄からそれは可能だと信じます。

 ぜひ、都知事選に立候補してください。私たちは勝手連的に立 ち上がりましたが、私たちの後ろには大勢の都民がいると強く確信 します。

 浅野さんは、今月3日のある新聞に書かれているではありませんか。 宮崎県知事選挙で東国原英夫知事が誕生してことについて、 「立候補する勇気が、有権者に選択肢を与え、選挙に関心を集める。 結果が伴えば、宮崎県のように、有権者も参画する政治改革につながっ ていく」と。

 重ねてお願いします。浅野さん、万難を排して都知事選に立候補 してください。

2007年(平成19年)2月16日
「浅野史郎さんを東京都知事に出馬させる会」一同



浅野史郎さんを都知事に

稲垣道子

皆さま
 去る2月16日夜は、急なお声がけにもかかわらず、ホテルル ポール麹町にご参集頂きありがとうございました。200人と 報道陣50人の参加がありました。

 「浅野史郎さんを東京都知事に立候補させる会」後、あちこちで 浅野コールが高まっています。東京、否日本の現状を変えるために、 59歳浅野さん、もうひとはたらきしてください。市民派、実力者は あなたしかいません。

(1)ブログを開設しました。開いて見て下さい。ワクワク情報満 載です。

浅野さんのハートに火をつけよう!

木村和穂さん(慶大FC卒、東大大学院生)担当

(2)呼びかけ人・賛同者を募っています。専用メールアドレス です。

専用メール

矢崎与志子さん(SAVE the 下北澤)担当

(3)ウェブ署名できます。アドレスはブログでご覧下さい。

(4)ラストチャンス?のプロポーズ・・・に大集合

  浅野史郎さん、ハートに火をつけて!
    -次の都知事はあなたですー

  2月25日(日)午後6時半~8時
  八重洲富士屋ホテル 2階 300人のホールです。
  チョコレートが入場券

  都民、有名人、宮城県代表など続々登場し浅野コール
  東京都の課題は? 勝利の秘策は?

  「浅野さんのハートに火をつける会」主催


第736回 2007/02/24(土)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(4)


「国家改造計画綱領 第二、政治機構の改革」
一、一切の既成政党政治と絶縁して、強力内閣を組織し、合法的 手段により、独裁的に非常時対策を断行すべし。

二、一定年限を限り、議会より非常時国策の遂行に必要なる独裁的 権限を内閣に委任せしむべし。

三、衆議院議員選挙法を改正し、職業代表に重心を置き、従来の 一般代表議員数を総議員数の一定割合に減ずべし。

四、行政機関の合理化を計り、中央各省及び地方府県の根本的廃合 を断行し、根本国策の遂行と行政事務の簡捷とを期すべし。



 もともとブルジョワ・イデオローグにすぎない中野正剛の政治方 策は、上からの行政権の掌握によるブルジョワ独裁政策の推進とい うことにつきている。これが変革論として<卓上理論>にすぎない ことは、行政権の掌握ということが、天皇制下の権力掌握とはまった く別問題であり、たんなる行政執行権を独裁化することによって、 ブルジョワ独裁化を推進する政策をおこなうというにすぎないこと でもあきらかである。

 日本型の革命思想家であった北一輝は、中野とちがって行政権を、 権力掌握と誤解するほどの愚かさはしめしていない。北は<日本改 造法案>のなかで、

「憲法停止。天皇ハ全日本国民卜共に国家改造ノ根基ヲ定メンガ為 ニ天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ラ解散シ全国二 戒厳令ヲ布ク」

とかいたのである。もちろん、北は、天皇制下の絶対主義革命によっ て、資本主義そのものを解消させるかのような幻想をいだいたため、 その行動的な結末は、天皇制そのものを強化するにおわつたが、 中野ははじめからブルジョワ独裁以外のものを構想しはしなかった のである。



「第三、統制経済機構の確立」

一、国民的生産力の組織的発展をもたらし、一般国民の福利を増進 する見地に立ちて、資本主義を矯正し、強力なる統制経済機構を確 立するを急務とする。

二、国家統制経済とは個々の経済企業の国営乃至国家社会主義化に 非ず。個々の企業経営は原則として民営を許し、国衆は須らく国民 的経済力の動向に就て、計画的指導を加ふべきである。

三、統制経済実現の為には、所謂経済参謀本部を設置し、特に次の 三種機関を以て之を構成すべし。
  イ、経済国策決定機関(経済国策審議会)
  ロ、調査、立案及監督機関
  ハ、顧問機関(顧問委員会)



 経済政策の構成において、中野ははっきりと修正資本主義的な本性 をあきらかにし、また、それが国家社会主義とちがう点を強調した。

 国民的生産力の組織的発展をもたらすためには資本主義を国家独 占的に<矯正> しようとする中野にしろ、ドイツ、イタリア的な 国家社会主義にしろ、それがブルジョワ独裁にしかゆきつかないの は必然である。しかし、中野正剛は、この統制経済機構の確立とい う一点において、北一輝の改造法案と自らの綱領が異なるものであ ることを誇示したかったにちがいない。

 この根からのブルジョワ・イデオローグは、北やその影響の下に 無智のエネルギーを発揮した農本的ファシストたちの土着のエネル ギーを、こういう上からの吸盤を強化する方策によって吸収しよう とこころみたのである。心情的には曲りなりにも下からの変革をこ ころざした農本ファシストと、上からの統制を意図した東方会ファ シストの相違がここにあらわれた。


「第四、金融の国家統制」

 北一輝が、個人的な資本限度を超える資本及び私有財産限度を超え る財産を没収して、新しく設定した銀行省に集中し、それによって金 融統制を行うべきであるとしたのにたいし、中野は日本銀行の機能を、 行政的な金融統制機関の規律に従属せしめる、という全面的な資本 独裁を企図している。そして国家融資をうけた産業資本は、その経営 及び利益処分について国家独占の監督に服しなければならないと論じ た。


「第五、商工業の国家統制」

 広域経済圏論が、国家資本独裁論とむすびつけられたのは、主と して産業資本論の面においてである。

 中野は、産業政策の方向を、アジア・ブロック建設の方向におい て統制すべきであることを論じた。

「我国がアジア・ブロックの指導国たる位置に鑑み、重工業、機械 工業、及び化学工業等の振興を促進すべし」

というのが、生産力増強と合理化を主張する根拠であった。


 さらに吉本さんは田中惣五郎著『北一輝』から次の一文を引用して 論を進めている。

「国家資本と私人資本。社会と民主。社会民主主義である。この公 と私の併立はファシズム的風潮が一応日本をつつみこんだ昭和13 年(1938年)4月1日(前年7月に日華事変がはじまる)に発せられた 『国家総動員法』をテコとして、さまざまの公社、公団の形で、 国家資本と私的資本の融合併立を見るにいたったことと若干対応す るものであろう」


 この意味では、中野のブロック経済論もまた、天皇制の下での資本 の国家独占化、帝国主義的な膨脹の過程での産業政策論の側面におい て、戦時下に実現されたことと対応するものであった。

 しかし、情勢が中野の企図通りに進行しなかったのは、天皇制の もっていた双面性にもとづくものであって、天皇制が中野的ブルジ ョワ独裁制を一面においては生みながら、それと対立する絶対主義 的な官僚軍事制を残留させることを、必須の条件としたからにはか ならないといえる。

 中野の綱領において、北とちがっていたところは、中間層的な政 策を加味することによって、独占資本下における、ブルジョワ独裁 の方法を把握していた点であり、いわば、戦後におけるマネージメ ント資本主義論者のブルジョワ独裁論と近似する政策を示したこと である。

 その極端なあらわれは、中野が重要産業に対して、産業種別に資 本家組合のようなものを組織し、生産と販売、原料の購入、資金の 調達、会計制度及び労働条件の標準化等の合理化統制を行わせると いう構想をたて、すすんで中小企業にたいしては合理化のほかに、 健全なる中産階級支持の見地を加味しなければならないことを論じ た点である。いわば、北の改造法案を聖典とする農本主義者たちの 行動に影響されて、急進化しようとする中間層にたいする独占資本 の側からするイデオロギー的な政策は、中野の綱領においてもっと も端的にあらわれたのである。

 ここには予言的に戦後独占によって行われようとしている政策が 記述されており、文化ファシストによって考えられているブルジョ ワ民主主義革命論の原型があきらかに存在しているということがで きる。

第737回 2007/02/25(日)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(5)


「国家改造計画綱領 第六、農業の国家統制」

 中野のブルジョワ・イデオローグとしての性格は、農業政策のなか に、さらに端的にあらわれている。

 中野の農業政策で、もっとも主要な問題点は、

「農村救済を以て、単に地主階級の救済に堕せざらしむるため、 特に耕作権の確立を急務とす」

とかいて、私有限度を超える土地と皇室の所有地を分割して、土地 をもたない農業者に給付するという、北の改造法案の条理に対応する 綱領をもうけている点である。

 この条項なしには中野の綱領はもともと軍部および農本ファシス トたちの行動的エネルギーを吸収できる代物ではないし、また、 ここに中野のブルジョワ・イデオローグとしての性格が封建的な 土地所有にたいして対立している要素があらわれているということ もできる。

 しかし、中野は、封建的な土地所有に代えるに米穀の資本独裁 的な<合理的生産計画化>を強調し、農業金融の整備を主張した にすぎなかった。

 それは、まがりなりにも皇室財産の国家下付、所有土地山林株券 の下付、皇室費の制限の問題に言及することによって、天皇制の物 質的な基礎を考慮の対象とした北一輝の改造法案とは比較すべくも なかった。それにもかかわらず、小作農に耕作権を与えるという幻 想的な綱領を提出することによって、北の法案に対抗せざるをえな かったところに、時代的な背景があらわれたのである。


「第七、財政政策の改革」

 中野の綱領がブルジョワ独裁的な本質をもつ、時代迎合的なビポ ウ策にすぎなかったのはあきらかである。一方で

「租税体系を根本的に変革し、貧者の負担軽減と、富者への重課を 断行し」

などとかきながら、当時の資本主義的危機の打開策として、

「現下の財政膨脹に応ずるため、非常時公債の増発を認むべきも、 その条件は努めて低利とすべし」

などとまったく矛盾したことをかかねはならなかった。

 北一輝が私有財産限度を壱百万円とし、超過額は無償で国家に納 付させる所以を、

「現時ノ大資本家大地主等ノ富ハ其実社会共同ノ進歩と共同ノ生産 ニヨル富ガ悪制度ノ為メ彼等少数者二停滞シ蓄積セラレタル旨二係 ハル」

としたのとは、雲泥の相違だというべきである。