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第717回 2007/01/27(土)

《滝村国家論より》:国家社会主義(1)
国家社会主義とは何か


 教科書は『アジア的国家と革命』所収の「国家論におけるマルクス主義と国家社会主義 (2)」です。

 さて、柄谷さんが『 社会主義にはさまざまなタイプがあります。人々が知っている社会主義は、おお むね国家社会主義というべきものです。コミュニズムに関しても同じです。』と断じるのは、 現実に存在する(あるいは存在した)社会主義国家が国家を死滅(棄揚)せしめることができなかった し、理論的にも国家は死滅せしめ得ないという認識による。つまり、社会主義も共産主義も国家社会主義 あるいは国家共産主義としてしか存在し得ないと言っている。

 しかし、国家社会主義は「国家権力による収奪・再配分という交換様式によって 資本主義社会から社会主義(的)社会への移行をめざす」ような政治思想という意であり、 このような意に解した場合、「国家社会主義」という言葉では、実は既存の社会 主義国家をどう規定するかという問題以前に、いわゆるファッシズムが想定されている。 ナチスやイタリアのファッシズムや日本のファッシズムが国家社会主義 の範疇に入る。

 滝村さんは国家社会主義を、「国家社会主義」=「国家主義」+「社会主義」の 「国家主義」の方から、大きく二つに分けて考えている。つまりそれがどのような国家観に 立脚した社会主義なのかという観点から、「<共同体―内―国家>社会主義」と 「<共同体―即―国家>社会主義」の二つに分けている。

 言うまでもないことだが、ここで問題になっている国家は近代的国民国家であり、 従ってこの場合の「共同体」(国家を存立せしめている「最大かつ最高の協同社会性」) は、「国民」あるいは「民族」と呼ばれるレベルの共同体であることを確認しておく。

<共同体―内―国家>社会主義
 この場合の国家社会主義は、内部的な問題を重視する。つまり<国家権力>の強化・集 中化を最重要事とする。そしてその独裁的な<国家権力>によって<共同体-内-社会改 革>、つまり社会主義的な国内改革を断行することを図る。それにひきかえ、対外的な 問題とか国際的な地位の問題はどちらかというと副次的な問題とする。
 このタイプの国家社会主義はイタリア型(ムッソリーニ型)ファシズムを典型とする。 日本でいうと、吉本隆明さんが「社会ファシスト」と規定した人達、つまり高畠素之、中野 正剛、赤松克麿、石川準十郎などの思想はこの部類に入る。

<共同体―即―国家>社会主義
 この場合の国家社会主義は、先の場合とは全く逆に、共同体の内部的な問題よりは むしろ、共同体としての民族の自立性・独自性、あるいは国際的な地位というような問題を、 民族の死活にかかわる第一義的な問題として考える。そして民族的な自立性・独立性を実現 するために、国民的・民族的な強固な結集が不可欠であり、そのためには共同体 内部における徹底的な社会主義的改革を断行する必要があると説く。
 このタイプの国家社会主義はヒットラーのドイツ・ナチス型ファシズムを典型とする。 日本の場合でいえば、吉本さんが言う「農本主義ファシスト」がこれにあたる。具体的 には戦前の日本の右翼の大半、つまり北一輝、大川周明、権藤成卿、橘孝三郎などであり、 いわゆる<アジア主義>もこの部類に入る。
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第718回 2007/01/28(日)

《滝村国家論より》:国家社会主義(2)
社会ファシズムと農本ファシズム


 先に進む前に、吉本さんの日本ファッシズム論を紹介しておきます。

 神山茂夫(『天皇制に関する理論的諸問題』)は、5・15事件から2・26事件にいたる までの「クーデター」の思想的背景を『これらの事態の本質は、近代的ファシズムでは なく歴史的におくれた軍事的・封建的帝国主義特に軍部の反動支配の強化である』と分 析している。そして『この現象的な日本ファシズムを貫く特質』を6点挙げている。

(1)極度の天皇主義である。
(2)軍部の援助と使嗾のもとにその目的遂行のために行われたものである。
(3)極度の冒険主義と対外侵略性を特徴とする。
(4)統一的政綱と政策を欠く徒党的小集団であり、相互に対立し闘争している。
(5)労働者農民的政党および労農組合から分裂し発生した日本主義的「ファシスト」党  派および組合もほとんど直接軍部と結び、その手先きとしてのみ存在しうること。
(6)軍事ファシスト的様相をより明確に示すにいたったのは2・26である。

 これを受けて吉本さんは次のように述べている。


 この見解は、わたしの知っているかぎりでは、もっとも正確な日本ファシズムヘの理解 である。神山はここで5・15事件から、2・26事件にいたるまでの、民間右翼思想家と軍部 青年将校によるクーデターを、近代的なファシズムとは区別されるべき擬制的なファシズ ムであり、それがあきらかに天皇制の絶対主義官僚的な支配に直通するものであるとの 理解にたつしている。

 わたくしたちは、神山がここで規定しているファシズムをかりに農本的ファシズムと よべば、あきらかに、これに対立する意味で、天皇制のブルジョワ・地主的な側面に直 通する社会ファシズム(擬近代的ファシズム)を想定しなければならない。そして、こ の農本ファシズムと社会ファシズムとの対立と癒着との特質のなかで、はじめて日本フ ァシズムの本性をあきらかにすることができるのである。(『日本ファシストの原像』より)


 農本ファシズムの代表的な思想表出として、日本のナショナリズム でも引用した橘樸(たちばなしらき)の文章を再度掲載する。


一、
 民族組織の単純性(一君万民)を完成する傾向。この傾向を、仮りに超階級維持性の法則と名づけ よう。
二、
 全体と個体、すなわち統制と自由との調和の法則。ひとり日本または東洋ばかりでなく、西洋のデ モクラシーも常にかかる調和を求める強い傾向を持つのであるが、ただ西洋が、個人主義と社会主義とに 論なく、個体を基軸とするに対し、東洋は日本と大陸諸民族とを通じて全体を主調とするところに なお互に苟合(こうごう)することのできない間隙がある。
三、
 異民族との関係を規定するもので、仮りに民族協和、または通称にしたがって八紘一宇の法則と名 づけよう。西洋の対立を原則とするのに対し、東洋は融合を原則とする。満州建国の標語たる 「民族協和」は当事者の企図したところは全くこの原則の実現にあった。




 この橘の天皇の地位を超越的にして、支配階級を除去するという結論は、一種のアジア 協同体論にゆきつかざるをえないものであり、北一輝・大川周明らの農本主義ファシズム の結論と軌を一つにする、と吉本さんは述べている。

 社会ファシズムの思想の代表としては、吉本さんは陸羯南(くがかつなん) を引いている。


 たとえば、陸羯南では、蘇峰の折衷と調合(国権意識と民権意識の)はもっと尖鋭な形 であらわれ、多数進歩派の知識人の思想を代表している。羯南の「国家的社会主義」 (明治30年)は、つぎのようにのべている。

「国家的社会主義は「国家をして社会経済の弊を匡救せしむ』というにあり。国家の本分 はただ中外の治安を保つにあるのみ、社会経済はよろしくこれを個人に放任すべしという 者、これいわゆる自由論派なり。国家的社会主義はまさしくこれと相反す。藩閥政事家ら はこの主義より干渉的部分を抽き取りてもって国家主義と名づけ、その自由論派と対戦す るの武器となすや久し。すなわち社会経済に干渉するの一点を見れば、彼らのいわゆる 国家主義てふものは国家社会主義に類すといえども、干渉其事の目的は全く相反す。 藩閥党の『国家主義』は軍人官吏貴族富豪の利益を保護するために干渉を旨とするも、 わが輩がここに叙するところの「国家的社会主義」は、これに反して弱肉強食の状態を 匡済するにあり。云々。」

 羯南によって象徴される知識人の進歩的「ナショナリズム」は、すでに社会ファシズム 論の形を明確にもった。いいかえれば、蘇峰では抱合せであったものが、ここで大衆の 「ナショナリズム」とちがった、知識人の「ナショナリズム」思想としてはっきりと分 離せられたということができる。この意識は、人権思想と国権思想の分離的統一とも いうべき形で自覚された。この時期の大衆の「ナショナリズム」が、無自覚なままでは あるが、その裏面に付着して いるという形でもっていた現実社会のリアリズムとのちがいは、羯南のばあいはっきりとあらわれている。社会ファ シズム論は羯南から昭和の中野正剛にいたるまで支配層のイデオロギーとなりえたことはない。だが、大衆の「ナシ ョナリズム」(農本主義・天皇制イデオロギー)は、逆立ちした形で、支配層のイデオロギーになりえた。社会ファ シズム論は、あくまでも知識人「ナショナリズム」の形で終始せざるを得なかったのである。ナチス=ドイツやファ シズム=イタリアが支配イデオロギーとして、優にスターリン主義と括抗する力を、第二次大戦期の一時期にもちえ たにもかかわらず、日本の社会ファシズムが支配イデオロギーとなりえずして、天皇制イデオロギーに支配の形をゆ ずらざるをえなかったとすれば、それらが近代日本の資本制の成立過程を肯定しつつ、「天皇制」的(農本的)国家 機関をもって「社会経済の弊を匡救せしむ」ことを目ざした矛盾によっている。天皇制イデオロギーは支配層によっ て、もっぱら大衆の「ナショナリズム」の心情の一面を逆立ちした形で吸い上げながら、一面で「社会経済」的には、 大衆「ナショナリズム」の社会的な基盤(農村)を資本制によって現実的につき崩すという両面を行使したのである。 大衆の「ナショナリズム」は、ここでは、天皇制イデオロギーに自己のイデオロギーが鏡にうつされるような幻想を あたえられ、一方で自己の「ナショナリズム」の心情をつきくずすものが、資本制そのものであるかのように考える ことを仕向けられた。憎しみは資本制社会に、思想の幻想は天皇制に、というのが日本の大衆「ナショナサズム」が あたえられた陥穽であった。さればこそ、農本主義的ファシズムは、北一輝にその象徴を見出されるように、資本制 を排除して天皇制を生かす、というところにゆかざるを得なかったのである。 (『日本のナショナリズム』より)


 中野正剛は羯南の系列につながるとはいえ、そのイデオロギーは国家権力による統制に よって資本制を維持するというもので、国家社会主義というよりは国家資本主義と言った方が よさそうだ。

また、ナチスも国家社会主義ではなく国家資本主義だろう。ナチス (Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)を「国家社会主義ドイツ労働者 党」と訳しているが、ヒトラー自身はナチズムを「ドイツ的資本主義」とも称していたと いう。
第719回 2007/01/30(火)

《滝村国家論より》:国家社会主義(3)
マルクス主義による国家社会主義批判


 滝村論文(実は講演録)に戻る。

 この論文は発表されたのは 1972年で冷戦真っ只中の頃です。その頃の思想状況や政治状況からくる 制約を考慮したうえで読んでいきたい。現在からは一見切実でなと思 われる論点でも、本質論的には的は外れていないと思う。例えば 「マルクス主義」は一般には既に過去のものとされているようだが、 しぶとく生き残っていたり別の顔をもって再生したりするするだろ う。それは何も「マルクス主義」に限らない。今回のテーマの「国家 社会主義」や「ファシズム」もそうだ。だからこそいまさらながらに 取り上げる意味がある。いま思想的にも政治的にも日本を席巻して いる反動の嵐はファシズムだろうか。ファシズムとしたら、それは 戦前戦中のファシズムの再生なのかあるいは新種なのか。それを 見定めるための一つの手がかりを得られればと思っている。

 上で「マルクス主義」とかっこをつけて表記したのは、滝村さんが 『伝統的な〝マルクス主義″いわゆる〝マルクス主義″』と限定して いるのを受けてのことです。三浦つとむさんの言い方では「官許マル クス主義」ということになる。

 まず「マルクス主義」の国家論がどういうものであったかを確認し ておくと、それは、国家とは経済的に支配する階級が被支配階級を 弾圧・抑圧するための暴力装置である、というものだった。つまり 国家はもっぱら<共同体―内―国家>という<狭義の国家>であり、 しかも<政治的国家>という面だけからとらえられている。 さらにまた、その<政治的国家>には幻想(イデオロギー)論が 抜け落ちている。

 従ってマルクス主義によっては<共同体-内-国家>社会主義と <共同体-即-国家>社会主義の区別はなし得ないし、その国家 社会主義の批判は、<共同体―内―国家>社会主義に対してはある 程度有効であっても、<共同体―即―国家>社会主義に対しては全 くの見当はずれなものとならざるを得ない。


 最良の〝正統マルクス主義″のレヴェルを考えた場合に、論理的 に予想しうる批判は、こういうことではないのか。

 端的にいえば、<共同体-内-国家>死滅論というのを自分たち はもっている。そこのところで一つの優位ということをひきたたせ ることができるのではないのかということです。つまり<共同体- 内-国家>社会主義というやつは、いわゆる「暴力装置」としての 「国家」というものを、社会にとって絶対に不可欠のものとして永 遠化する、それどころかそれを集中強大化して、軍事的な「独裁」 体制というものを主張するけれども、これにひきかえて、マルクス 主義の方では、過渡期においてブルジョアジーに対するプロレタリ アートの独裁というふうなものを敢行するけれども、この「国家」 はプロレタリアート自身の武装を主体としているから、階級として のブルジョアジーの一掃後当然死滅する、つまりマルクス主義では、 「国家」という「弾圧装置」を死滅させることができるわけであ る。そしてそこにこそマルクス主義のえらさがある、そういう意味 での批判というのはある程度可能です。だから公平にみて、そこの ところに一分の利があるといえないことはない。

 けれども、最良の<共同体-即-国家>社会主義に対しては、全く お手上げである。その理由は、最良の<共同体-即-国家>社会主義 は、言葉として<共同体-内-国家>の<消滅>とはいいませんけれ ども、<無力化>というか、<無化>というか、それは一応考えてい るわけです。つまり単なる公的事務にたずさわる、共通利害を処理す る「苦情処理機関」みたいな、そういう意味での「国民の指導機関」 にしちゃうという点では、殆んど同じことを考えているわけです。 最良の<共同体-即-国家>社会主義というのは、内部的な国家機関 というものの<無力化>というふうなことについては、いわゆる〝マ ルクス主義者″と同じ程度、あるいはそれ以上に考えているわけで す。

 ただ彼らは<共同体-即-国家>、つまり<国家としての民族>だ けは、これは歴史的にいっても根源が古いし、これはもう唯一の根拠 にせざるを得ないんだ、つまりこのレヴェルだけでもって国家主義と いうものをとらえているわけであって、内部的な「国家」に対するか なり活発な国民的な参加であるとか、あるいは「指導機関化」である とか、あるいは「弾圧装置」としての「国家」の解除であるとか、 そういうことは完全に言うわけです。あとから具体的に話すことに なるかも知れませんが、権藤成卿だとか、北一輝なんていう人は、 そのくらいのことはとっくに考えているわけです。

 ただ「国民」というものは、そのまま「国家」である、このこと は<戦争>のための<徴兵制>などを考えれば明瞭なはずであって、 そういう意味での<国民-即-国家>、あるいは<社会-即-国家> 主義は断固として唱えますが、内部的な意味での「弾圧機関」なん ていうものは、これはむしろ徹底的に<無化>しちゃうんだという ような発想は、最良の<国家社会主義>者にはあるんだということ は、知っておかなければならない。

第720回 2007/01/31(水)

《滝村国家論より》:国家社会主義(4)
ソ連の国家社会主義化


 「マルクス主義」の理論では<共同体-内-国家>の<死滅>を謳い あげているが、現実はどうだったか。もう周知のように、そのための 構造的過程を解明することもなかったし、従って<死滅>させるための 具体的な方策を提出するという根本的なことは何一つ行われなかった。 その結果は、社会主義国家は<共同体-内-国家>社会主義国家へと 成り下がっていった。これが、普通「一国社会主義」といわれているものの 内実だった。

 さらに、その国家論に<共同体-即-国家>が欠落しているための 必然的致命的な帰結が続く。つまり、<共同体-即-国家>としてソビエット 連邦が、帝国主義諸国に対してばかりか、同胞国であるはずの他の社会 主義国に対しても強度の閉鎖性を持って対峙するようになっていった。 これは「大国主義」とか「社会帝国主義」とか言われているが、 いわば<社会主義世界体制-内-第三権力>としてソビエット連邦が 君臨したということだった。これは同時に、「一国社会主義」のあとに 想定されるべき「世界革命」の不可能性を意味していた。


 〝マルクス主義者″の方では、「世界革命」と<共同体-内-国家> としての・「弾圧装置」たる「国家」の<死滅>を、ただ言葉としてい っているだけで、理論的な解明は殆んどない。

 他方、<国家社会主義>の最良の部分というのは、<共同体-内- 国家>の<死滅>を、〝マルクス主義者″のいう意味では、つまり 「弾圧装置」としての「国家」の解体という意味では、充分に考えて いる。ただ、<共同体-即-国家>というものは解体できない、国家 としての民族だけは解体できない、ということを非常に素直にだして いる。

 〝マルクス主義者″の方では、そういうことを理論的に解明するの でもなければ、また、現実的に「社会主義国」をみますと、内部的な 意味での「暴力装置」も増大化し、巨大化するばかり、対外的には、 「社会主義共同体」という美名の下にいわば<社会主義世界体制-内 -第三権カ>として、ソヴェト連邦が君臨するというようなこと、 あるいは「大国主義」とか「社会帝国主義」といわれるような顕著な 傾向がある。これは普通「一国社会主義」といわれていますが、そう だとすればこれは陰微な<共同体-内-国家>社会主義ではないか、 そういう非常にきつい批判も可能だと思います。公然たる<共同体- 内-国家>社会主義者ではないにしても、やはりまともな国家論を 欠落させているということの懲罰はすさまじくて、彼らを隠然たる <共同体-内-国家>社会主義者にしてしまっているということなの です。

 いわゆる<国家社会主義者>を、<国家社会主義>というものを、 これはファシズムであるというふうに、あんまり調子よくいってくれ るな、というふうに思う。彼らだって実際には、隠然たる<共同体- 内-国家>社会主義著である、つまりそれは、<一国社会主義>であ るということは、そのことの別様の表現でしかないのではないか、 そういうきつい批判が可能であると思います。

 ただ、その場合、理論は理論、実際にやっていることとは別という 原則はやはり貫かなくてはいかんし、そうした場合には、唯一の救い はあるわけです。つまりあるというのはどういうことかというと、 少なくとも内部的な「国家」だけは「死滅」しなくちゃならん「消滅」 させなくてはいかん、あるいは「世界革命」というものは、どういう ことかわからないが、つまり理論的な能力がないからわからないが、 なんとかやらなくちゃいかん、つまり、そういう意味での主観的な、 大きな意味での思想的な方向性というものを、一応言葉だけになっ ちゃっているけれども、持っていることが唯一の救いである。それま でなくなっちゃったら、最良の<国家社会主義者>よりもっとダメな んじゃないかという、そういうところまできている、というのが、 今の〝マルクス主義″の現段階であると思います。これは、〝正統 派″だとか、〝異端″であるとかに全く関係なしに、いえることだ と思います。


 1972年の時点でこれだけのことを言っていることは、やはり、 「さすが」と言うべきだろう。
第721回 2007/02/01(木)

《滝村国家論より》:国家社会主義(5)
国家社会主義を克服する道


 これまで見てきたように、官許マルクス主義は、その国家論の 欠陥ゆえに、理論的に国家社会主義を克服することが絶対にでき ない。

 では「マルクスその人の根本精神と方法」を忠実に継承発展させて いるという意味での厳密なマルクス主義(仮に「本来的マルクス主義」 と呼ぶ。)からは国家社会主義を克服できるのだろうか。

 これもこれなまでの見てきたように、官許マルクス主義が、 実際にはなし得なかったとしても、理論的には<共同体-内-国家> の棄揚ということを主張していたが、そこで足踏みしたままだった。 それに対して、本来的マルクス主義は<共同体-即-国家>の棄揚ま でを視野に入れることになる。それが国家社会主義を克服する理論的 支柱となる。


 しかしこのはっきりしたことが、今まで誰のロからもいわれていな いんです。それでいて、<国家社会主義>に対するばかげたアレル ギーというものは、ずっとあるんです。しかし重要なことは、今ま での〝マルクス主義″の水準では、<国家社会主義>を絶対理論的に 克服できないということです。

 しかし、戦後の日本右翼には戦前のそれに比して優れた人が出てい ませんから、<国家社会主義>といってもこれまで非常にレヴェルが 低いところでもって再構成されているわけですけれども、例えばこれ が権藤成卿・北一輝であるとか、特に権藤成卿の国家観というものが、 正確に再構成されて〝マルクス主義者″に突きつけられた場合、これ はもう全くどうしようもない、いわゆる〝マルクス主義″は雪崩を うって崩壊するんではないか、これは人数的な問題ではなく、思想的 な、最も最良の部分において崩壊する、それは、実質的な崩壊といっ てよい。ただそういう卓越した<国家社会主義者>というものは、幸 か不幸か、戦後出ていないわけです。出てない、つまりこれは、ダ メな〝右翼″と同じくダメな〝マルクス主義者″というものとが、 見事に対応しているということだと思います。


 官許マルクス主義は<共同体-内-国家>の棄揚の具体的な構造論を 提出できずに、〝国家の死滅″をお題目として唱えることに始終して しまった。このことは<共同体-即-国家>の棄揚の場合にも危惧され ることだ。

 <共同体-即-国家>の棄揚(「世界革命」といってもよいだろう。) も、その過程的構造を解明・提出し得なければ、「世界革命」を お題目として唱えるだけであり、全く意味がない。

 周知のようにわが国でいえば〝新左翼″の場合には、単純な〝世 界資本主義論″に立脚した・いわば連鎖反応的な〝世界革命″論が 支配的であり、他方〝正統マルクス主義者″つまり〝一国社会主義 者″の場合にも、〝一国社会主義革命″の漸次的な積み重ねという ものが、そのまま自動的に〝世界革命″につながるというような、 一種の待機主義的世界革命論があって、<世界革命>という言葉で 語られる<理念>の内容には違いがありますが、みな一様に〝世界 革命″をいうわけです。

 しかしながら、国家社会主義者が傲然と居直った<共同体-即-国 家>というものは、今まで<死滅>したことは一度もない、<原始社 会>以来一度もないんですよ。これを一体<死滅>させることができ るのかという、大きな、最も根本的な疑問に答えることなくして、 <世界革命>という言葉は、やはり使うべきでない。使うとすれば、 少なくともそういう問題意識をもって、非常に地味な、理論的・学問 的な研鑽ということを積み重ねていかなければならない。そうでなけ れば、雪崩をうった思想的な崩壊ということは眼にみえているという ことなのです。


 『<共同体-即-国家>というものは、今まで<死滅>したこと は一度もない、<原始社会>以来一度もない』という認識は、柄谷 さんが「世界共和国へ」の中で「国家をその内部だけで考える見方」 の弊害を繰り返し述べていたことと重なる。そして、柄谷さんの 「世界革命」が「世界共和国へ」だったということになる。

 滝村さんはここではまだ「<共同体-即-国家>の棄揚の過程 的構造」を提出していない。「非常に地味な、理論的・学問的な研鑽と いうことを積み重ねていかなければならない。」という言葉は、誰に対 してよりもまず、ご自身に向けて発せられたものだろう。

 私の手元にある滝村さんの著述は全て20~30年以上も前のものだ。 その後の滝村さんの理論的発展を知る機会を、怠惰な私(あるいは 仕事のためと言い訳もしておこう。)は持とうとしなかった。でき たら挽回したいと思っている。