2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
294 日本の支配者は誰か(1)
国民は息がつまりそうに感じている
2005年6月7日(火)


 タイトルを変えましたが「民主主義とはなにか」の続編です。 前回までがいわばその理論的な解明で、今回からはその応用篇というつもりです。

 社会的経済的支配層(財界・各種産業・業種団体・資本家など)と政治的支配層(議会・政府 ・官僚・政党など)との縦横の結合・離反・闘争という相互関係、つまり今日における統治形態の実態を 現実に即して解明できるとよいのだが、マスコミが報道する情報は氷山の一角に過ぎず、私たちの ような一市民には水面下の動きを知るよしもない。また最近のマスコミの多くは、いろいろの人が 指摘しているが、大政翼賛化しており支配階層の統制下にあり、その情報は一面的に過ぎる。心ある ジャーナリストの仕事を期待したい。

 ところで、今日における統治形態の実態は当然歴史的な変遷経緯の結果としてある。一応戦後の 統治形態のスタートは敗戦後の占領軍・アメリカによる統治に規定されて始まった。一時的に追放 されはしたが大日本帝国時代の支配階層が生き残り、戦後においても隠然たる勢力を残した。これは アメリカの占領政策の結果ではあるが、日本人民は敗戦という 大きなチャンスを、真の意味での「主権在民」を獲得する大きなチャンスをものにすることが出来 なかった。その日本人民の敗北の連綿としたつながりの結果として今日がある。このものいいは敗北 主義ではない。私は厳然とした事実として言っている。

 過去を顧みることも現在を照射する有効な手段である。戦後の統治形態はどのように形成されてき たのか、戦後初期のころの実態を見てみたいと思う。
 手元の「『天皇制』論集」(三一書房)に「日本の支配者は誰か」という論文が収録されている。五人の報告 者の調査・研究をまとめたものある。「概括と執筆」を担当した方は堀江正規、報告者として、小倉 正一、木下半治、黒川俊雄、小池基之という五氏が名を連ねている。不勉強な私には始めて知る名 ばかりだし、どのような思想的立場の方々なのかも、もちろん、知らない。しかし、通読したところ 私の今のテーマにピッタリの内容であった。これを利用させていただく。論文の発表は「中央公論」1953年 4月号、敗戦後まだ8年たらずである。

 政治や社会の問題にほとんど関心を持たなかったノンポリの私の耳目にも、政財界・官僚たちのス キャンダルは絶えることなく入ってきていた。今にして思えばなんら驚くとことではない、ブルジョ ア民主主義の本性であり、その限界が露呈しているだけなのだ。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は、序言「われわれの課題」(副題<国民は息がつまりそうに感じ ている>)を当時の外相・岡崎の選挙違反というスキャンダルから書き始めている。事件の核心を 握っている出納責任者が逃走していて、この男がつかまらない限り、岡崎本人は結局選挙違反に 問われないですむだろうと書いている。もうこの頃から時には自殺者を出すこの種のスキャンダル は絶えることなくあったのだ。
 (出納責任者が)うまく逃げおわせれば、岡崎氏は結局選挙違反に問われないですむだろう。 その代り、岡崎氏への疑惑はいつまでも国民の胸から消えない。-
 だが本当のことをいうと、国民の疑惑はこんな三段論法から生れてくるわけでは ないであろう。国民は岡崎氏がとどのつまりは「時効」を獲得するにちがいないと 直感しているのであって、検察庁が「時効停止」をやっても取り立てて公正だと思 う気持にはなれない。岡崎氏を真剣に追及しえない何ものか が現存することを見てとって、積極的にせよ消極的にせよ、それの片棒をかついでいる すべてに対して、不正を感じているのである。この感じには都合のよい解決や 救いはあたえられないのだが、その内容は鋭いものである。これは - この種の叡智は、 国民が職場や街頭でつねに感じているチクリチクリと背後から電気で刺されるような圧迫 感によって呼びさまされるもので、いつでも不幸な予感をふくんでいる。不幸ではあるが現実 的であり、それゆえ正しいといわざるをえないものである。

 多くに国民が感じ取っているであろう「追及しえない何ものか」を明らかにすることがこの論文の テーマの一つであろう。
 だが現時点では「チクリチクリと背後から電気で刺されるような圧迫感」を日常的に感じている人は 一体どのくらいいるだろうか。街中で行き交う人たちからは、一見、圧迫感を受けていると思えるような背中を 見出すのはむづしい。自足している背中ばかりと見るのは私の僻目か。背中は自分には見えない。私の背中も同 じだろうか。真に満足しているなら芽出度いこと だが、一昨日、自殺者が7年連続で3万人を超えたとの報道があった。日に80~90人もの人が自ら命を絶っている。これは 大変は事態ではないだろうか。
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295 日本の支配者は誰か(2)
いつの世も、なぜ支配者は冷酷なのか
2005年6月8日(水)


 年間3万人を超す自死者も支配者どもにとっては、もちろん、ただの数でしかない。時には 破廉恥にも「人ひとりの命は地球よりの重い」などという心にもない歯の浮くような台詞をはくが、 彼らにとって、戦場の兵士と同様、自死者の命は鴻毛ほどの重さもない。彼らの頭の中には、あたかも、 どのようにして支配の永続化をはかるかという問題しかないようだ。

 時は45年の春、すでに硫黄島陥ち、沖縄も亡んで、本土決戦が叫ばれていたころのことである。 時局の収拾に大きな影響をあたえた重臣Aと新聞記者Bとの対談、彼らはほとんど定期的に情報の 交換をしていた。

B、食糧問題を考えても、もう敗け戦をつづける根拠は全くありませんね。昨日出あった政治家某も 考えているようでしたが、最後は、陛下にラジオ放送をやっていただくほかはない……

A、お上は御先祖に対して深く責任を感じておいでのようだな。しかし陸軍がいつ折れるという見透し がつきますか。国民は苦しくなっているだろうが、これは固まった政治力にはならないし、それを使 うことは問題にならんでしょう。(手帳をめくって)いまソ満国境でソ連が急速に兵力を充実させて いる。八月ごろには彼我の兵力比が多分三対一以上になるでしょう。(つまり戦争がはじまる公算が つよくなる)そのとき果して軍がどうでるか。そこでしょうねえ、問題は。

 遠山茂樹氏は戦争政治にあらわれた日本支配層の政治意識を分析して次のように書いた。

 深夜ひそかに訪い、遊びに事よせて集まり、互に腹の中をさぐり合いながら、さりげなく、婉曲に 意を通じあい、人から人へと同志を結びつけてゆくという終戦工作が、いつも戦争のテムポに立ちお くれてしまい、ついに原子爆弾の悲劇を招くに至ったことは、太平洋戦争史を読むものの心を痛まし めることである。(『改造』三月号)


 言ってみれば、そういうことである。(中略)その当時天皇制支配機構の最上層にあって 事態の収拾にあたった一指導者は、何百万、何千万の飢餓を黙殺しながら、凄惨なもう一つの機会の 到来を待ちうけていたのである。
 この言語に絶する冷酷さはどこから生れてくるのだろうか。現在の支配体制 は将来とも動く筈がないし、動かすべきでない、それをいかにして無傷で維持するかのみが関心事である、というおそろし くねじ曲った「信念」以外には、このような考えを裏づける根拠はないのである。


 支配体制維持のための冷酷さは、何も天皇制ファシズム下の為政者に限ったことではない。

 問題はどこにあるのだろうか。戦後の出発点においては ―― 国民はほとんどそれを信じな かったが、政治の方から、国民に対して国民との結びつきを強めようとする呼びかけがおこなわ れた。たとえ上からであろうが、外からであろうが、「民主化」とはそういうことでなくてはな らぬはずだった。もしそれができるならば、社会の矛盾を力ずくで押えつけるというやり方にか わって、矛盾を取り上げ、それを具体的に解決しようとする近代的な方法がわが国の政治生活に 取りいれられるわけであった。近代的な方法といっても、それは所詮社会的に対立している諸勢 力を将来の発展に適するような形で社会の表面に引き出してくるだけのことかもしれない。だが、 それは重要なことであり、またそれだけのことをするのにも、おそらく支配者の顔ぶれを取りか えるという問題がおこらざるをえないだろう。ところである意味ではたしかにその顔ぶれもかわる にはかわったが……たとえば、われわれは国会で公然とのべられた次の言葉を何ときけばよいのだ ろう?
 例の破壊活動防止法案の審議に際して、労働組合、民主団体、学界代表等が、戦争防止および人 権擁護の立場から猛然と反対したのに対し、吉田首相の答弁はこうだった。

「この法案に反対するものは、暴力団体を教唆し、煽動するものである」 (朝日 52/7/2)


 戦前と戦後とその政治のありようは、何が変わり何が変わらなかったのか。
 戦後の日本再生は、良かれ悪しかれ、敗戦国日本が受託したポツダム宣言規定のもとで行われる はずであった。ポツダム宣言には次のくだりがある。
 われわれは無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは平和、安全および正義の新秩序が生じ えないことを主張し、この理由で日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出るような過誤を犯させた者 の権力および勢力は永久に除かれねばならない。

 われわれは日本人を民族として奴隷化しようとし、または、国民として滅ぼそうとする意図はな いが、われわれの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える。日 本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなけれ ばならない。言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立しなければならない。

 以上のような事実を列挙した上で「日本の支配者は誰か」の筆者はいう。

 過ぎ去った七年間を顧みると、中身を失った単なる言葉の山うずたかい。口にと なえられる政策と実現される事実との間の背離は、戦後の「民主化」の過程におい ては、むしろ必然性であり、「原則」であったとさえいえるだろう。

(中略)

 今の政治が国民との間の緊密な結びつきを振りすてて、軍国主義やファシズムの 方へますます移行しつつあることは周知の事実である。それは国民の頭を次第に低 くたれさせ、言葉を失わせるような傾向をまねいている。だが、そのような傾向が、 日本資本主義のいかなる矛盾によって生み出され、またそれをいかに深めてゆくか、 つまり、それが日本社会の歴史的な運動をいかに発展させるかということは、まず 第一に、支配者の階級的な性格と、彼らのおかれている実際的な客観条件の特徴に 依るところが大きいのである。日本の支配者はだれか? 彼らはどうして反民族的 な反民主的なコースを選ばねはならなかったのか。われわれは権力の所在に対して 政治分析のためのラジオ・カーを次々に巡廻させてみたい。

 この論文の研究者たちは戦後7年目にしてすでに「軍国主義やファシズムの方へます ます移行しつつあることは周知の事実である」という認識を持っていた。
 建前と現実は、戦後7年たった当時、どのようにどの程度に背離するに至っていただろうか。 A級戦犯を問われた岸信介が総理大臣になるのは、この論文が発表された4年後であった。
 次回から、敗戦時から戦後7年当時までの政治状況、とくに統治形態の推移と実態を見ていくこ とになる。
296 日本の支配者は誰か(3)
占領体制は天皇と官僚を利用した
2005年6月9日(木)


 敗戦はたしかに天皇制官僚に大きな打撃をあたえた。とくに日本の天皇制は、軍 事警察的天皇制の異名があったくらいで、その厖大な官僚的=軍事警察機関に大き な特徴があったのだが、敗戦はともあれ、それらを一応は骨抜きにした。最後まで 象徴的な形で残されて、いかにも名残り惜しそうだった三千名の禁衛府部隊もつい には解散されたし、内務官僚は内務官僚で、特高陣はもとより大政翼賛会から武徳 会関係までが追放の憂目をみた。

 大日本帝国の圧制に抵抗していた人たちや圧制に苦しめられていた人たちが連合軍を解放軍だ と思い込んだことを、今なら甘い幻想に過ぎなかったと批判できるが、当時としては当然の受け止め方と 言ってよいだろう。
 その幻想は1947年の2・1ストの挫折と、その後に続くレッドパージではかなくも潰えていくが、 実はアメリカの占領政策は当初からその幻想とは遠いものであったのだ。
 だがそれにもかかわらず、打撃は部分的であり、一時的なものだったといえよう。今日、官僚は 税金と公債に基礎をおく寄生機構=弾圧機構として、またかなりの独自性をもった政治勢力として、 相対的に昔以上と思われるほどの権勢を示しているが、彼らが容易に打撃から立ち直りえた第一の原 因は、アメリカ占領軍がいわゆる「間接支配」の道具として彼らを使ったことにある。
 たとえば安本を中心とする統制官僚の一派は、現にダレスードッジのラインに沿って「民主化」の 推進力となり、自由主義の「体制」をまもるためと称して国民経済軍事化のお先棒をかついでいるが、 (戦前の)内閣資源局時代この方、彼らの歩んできた足どりをみると ―― 企画院 事件のように「赤」だといってしめ出されるという場合もあったことは事実だが ――  ほとんど一貫して軍部と提携し、国防国家体制の中心となり、いわゆる天皇制ファシズムの物質的 基礎の方を受けもってきたことは明白である。
(中略)
 アメリカが「間接支配」の道具として日本の官僚を使ったということは確かにそれだけのこと  ―― たとえば、虎の威をかる封建的小役人根性の温存に役立ったということをあらわすにす ぎないが、その官僚が、ただの官僚ではなく、日本資本主義の矛盾の特殊な産物である天皇制官 僚だったということは、問題を単なる技術や組織の問題とはちがった、もっと複雑な政治的連関 の下においているのである。

 アメリカによって「民主化」のコースに引きいれられ、米日両支配勢力間の媒介として働いた 官僚が日を経るにしたがって元の天皇制にたどりついてゆく必然性を、「日本の支配者は誰か」の 筆者は、当時の日本資本主義の状況から説明している。
 日本資本主義は、その内的矛盾の解決を、中国をはじめとするアジア諸地域への 侵略に求めたが、その結果は、競争相手である米英帝国主義に打ち敗られ、また社 会主義のソ同盟からは数十年にわたる植民地侵略の成果を、一挙に、かつ全面的に 「解放」させられた。しかも問題はそれだけではない。日本帝国主義の敗退は、同 時にアジアにおける帝国主義の植民地体制の崩壊過程を意味するものであり、とく に最も重要な市場である中国には新鮮な生活力をもった対立的な経済圏があらわれ た。これらの事実は、日本資本主義の存在条件として、「全般的危機の第二段階」 がいかに形成されていったかをあらわすものである。
 そこから日本資本主義の前途に提起された根本問題をあげてみると、
 第一、日本資本主義は前進的なアジアで旧世界にしがみついている孤児のような 存在になってきた。日本独占資本主義と半封建的土地所有との宿命的な結びつきを 打ちこわすことができない以上(敗戦はそのことを少しも解決しなかった。農地改 革については後にふれる)日本は天皇をバック・ポーンとする古い体制の復活へと もどってゆくほかはない。
 第二、日本資本主義は敗戦というだけではなく、「全般的危幾の第二段階」をさ まよってゆく孤児としても、アメリカの「援助」なしにはやってゆけないことを 「発見」した。独占資本と地主勢力とそれらのバック・ボーンたる官僚のブロック にとっては、アメリカの戦争体制への従属以外に生きのびる道は映ってこない。逆 にいえば、アメリカ帝国主義は、日本の古い体制とその軍国主義をまるごと抱えこ む以外には、自分の同盟者を見つけ出すことができなかったと言ってもよい。

 「天皇をバック・ポーンとする古い体制の復活へともどってゆくほか」はなかったが、 その現実過程は単純ではない。次回はその現実の発展過程を詳しく見ていくことになる。
297 日本の支配者は誰か(4)
「民主化」の実体は何か
2005年6月10日(金)


 前述のような条件の下で、復権をしていく官僚たちのさまざまな活動経緯はおよそ次 のようである。

 統制官僚はアメリカ帝国主義の資本輸出のパイプ(余剰物資の輸入と資本化、見返 資金等々)として、経済復興、半戦時体制を名とする独占資本の強奪的な蓄積の吸上げポンプ (重税とインフレ、物資の割当統制と補助金、物資の隠匿や払下げに関連したスキャンダル等々) として、戦時中にまさるとも劣らぬ「指導性」を発揮したが、官僚磯構の中枢神経である弾圧機 構もまた、比較的早くから復元されていた。この点は目立たぬようにおこなわれたが、重要である。 次の表は、全官僚機構の中で、平和的な行政機構や国営事業の従業員は次々に行政整理の名の下に 減員され、国警や予備隊(保安庁)、税務官吏などの特別職だけが、逆に年毎に拡大されてきたこ とを示している。

  一般会計(単位千人)
       46年  47年  48年  49年  50年  51年
  一般職   225   217   177   155   151   149
  特別職    149   217     205   280   269   356

  特別会計(単位千人)
  郵 電   487   436   443   405   406   412
  国 鉄   607   604   627   500   493   469
  専 売    33   36   41   38    41   40
  
   合  計  1619   1599   1677   1458   1539   1519

 47年を境に、一般職と特別職の増減は逆比例している。1947年は時の総理・吉田茂が年頭の 放送で、労働組合の左派指導者を「不逞の輩」と非難することで明けた。議会はまだ「帝国議会」 だった。2月には「2・1スト」の挫折。一方、憲法・教育基本法をはじめ、戦後の法整備が 一挙に進んだ年でもあった。いずれにしても、戦後の日本のありようを規定する大きな結節点と なった年だ。

 敗戦下の資本主義国という制約の下での施策だから当然、官僚的軍事警察機関 の復元にはさまざまな障害があったはずである。また、日米の支配階級の政策が、さし当りは矛 盾点よりも一致点を多くもっていたとみられるが、その日米関係においてもさまざまな齟齬・摩擦 があった。しかし、この時点でこの論文の筆者は「基本的な条件が天皇制の全面的な復帰に 向っているとすれば、すべての障害や抵抗にもかかわらず官僚の復位はいずれ貫徹 されるとみなければならない。少くともそういう方向で問題にしなければならない。」と当面の 予想と警告を書きしるしている。
 官僚勢力は、一時追放された場合でも、さまざまの外郭団体を根城にして温存された。たとえば、
 内務省関係でいえば中央・地方の教化団体、農林省でいえは農林・漁業関係の諸団体、大蔵省では 特銀をはじめ納税・酒造その他の諸団体、商工省は一時にくらべてアンチ・トラスト法その他で 凋落したことは争えないが、戦時中の統制諸団体がいろいろに姿をやつして存続していたのは事実で あって、このような温床に依存しつつ、官僚は自分たちの背後を固めることができたし、また追放者、 退職者などのいわゆるOB組はいつでも第一線に復帰できるような足場をつくっていたのである。

 このような隠然たる官僚勢力の復権の仕方のひとつとして、1952年10月の総選挙での官僚出身者の 目覚しい進出を取り上げている。
 出てきた顔ぶれをみると、警察機構の上に立っている内務官僚、徴税機構の上に立っている大蔵 官僚、農業団体の上に立っている農林官僚など、すべてが官庁の地方機構と密接に結びついたもの ばかりである。彼らは現役時代に売り込んだ「顔」を使っているだけではなく、官庁の下部機構を直 接選挙に動員する。そして首尾よく当選した場合には、国会における官僚の利益代弁者となる。 彼らはたとえば自由党員かもしれないが、その前に農林官僚だというわけである。

 ここで指摘されている票の集め方や議会構成の構図の中での官僚出身者の役割は、そのまま現在に 引き継がれていることは言うまでもないことだろう。
 ちなみにこのときの総選挙の結果を掲載する。

第25回衆議院議員総選挙。自由240、改進85、再建連盟1、右派社会57、左派社会54、労農4、協同2、 諸派4、無諸属19、共産党0、計466。投票率76.43%。

 投票率が76.43%とは、驚きだ。投票率100%で政治が変わるという期待を持っている人はこの結果から 何を読み取るだろうか。「まだ100%じゃない、100%になれば」とあいかわらず期待し続けるだろうか。

 官僚の政界進出は、もちろん官僚としての第一線復帰とは違う。しかし、官僚勢力の権力を 維持・伸長するためのおおきな源泉のひとつである。
 一度第一線を引いた官僚はいわゆる「現役」には戻れない。政界進出を選ばなかったものは、 これもいわゆる「天下り」をして、そのまま第一線に復帰したのと同じほどの権力の座に居座る。 彼らの役柄は、上は国会議員(政党幹部)、外郭団体の役員から、下は国警、特審のスパイにい たるまで、あらゆるところへ復活してゆくが、それらによって官僚の勢力と機関は補足され、完成 される。つまりこういう過程を通して、天皇制の全組織がふたたび日本社会を網の目の中につかまえ、 そのすべての気孔をふさいでしまう。そういう過程の一つがここに示されているとみたいのである。

 しかし、戦後のこうした官僚体制の復元は、すべてが全く元通りのところへ逆行しているわけでは、 もちろんない。戦前にはなかった明らかな変化があり、そこには小さいながらも希望の芽があった。 その芽は何であり、今はどうなっているだろうか。
298 日本の支配者は誰か(5)
労働組合運動と天皇の権威の低下
2005年6月11日(土)


 「戦前にはなかった明らかな変化と希望の芽」とは労働組合運動と天皇の権威の低下 である。

 官僚権力の復権に対しては、下級官僚を中心とする官公労の運動を対置することができるだろう。 当時の組合運動の状況は次のようであった。
 現在の段階において、もしも官僚の民主化がカッコなしでおこなわれ、そこに公僕意識のごとき ものが生れるとしたら、その現実的な基礎の一つは確かにここにあることが考えられる。過去何年 間かの経過をみると、いわゆる「官公労の闘争」は、二・一ストをピークとして衰退過程をたどり、 レッド・パージによってさらに追撃を喫した形になっている。労組運動の中にさえ官僚意識が残 っていて、それが「引き廻し」という表現をとることにより組合の団結をそこなったのが挫折の 原因の一つになっているが、むろんそればかりではない。官公労組の小ブル性とか、政府の統制 強化とかいうこともあわせて考えなければならぬであろう。しかしいずれにせよ、官庁の「民主化」 という問題との関係で現在の労組運動をみるとすれば、それの沈滞が、官僚の公僕意識の減退と符節 を合わしているというように、むしろ否定的なメルクマールとされる方がスワリが良いことは事実であ る。だからといって、労組運動がなければ逆コースがさらに激化されることはいうまでもない。


 現時点でも、闘う労組はわずかしかない。詳しい事情を知らないものの偏見を含んでいるかもし れないが、多くの労組はむしろ企業・官僚機構の御用組合に成り下がって労働者の統制管理に血道を あげているという認識を、私は持っている。これを「協調路線」と言うらしい。
 しかし、わずかではあっても闘う労組がなお健在であることは、希望の芽である。闘わない労組の中 にも希望の芽がある。多くの労組で、高邁な意識をもった組合員が労組の再生を目指していることと思う。 闘わない「都高教」の中にも、「日の丸君が代」の強制と闘っている教員が、闘うことで「ダラ幹」を 厳しく批判している。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況を「進歩は小さく後退は大きい、という感じがするわけ で、結局は軍国主義とファシズムの方向に結びつけられてしまうのであるが、さりとてこの小さい変化 は決して無視されてよいとはいえない。」と希望をつないでいる。そしてもう一つの「小さな変化」、 天皇と天皇制官僚のプレステイジ(権威)に対する国民意識の変化を表すものとして取り上げる。
 第一、戦前は、むろんハラの中では馬鹿にしていたという面はあるが、 やはり天皇と天皇制官僚に対して一種のプレステイジを感じていた。ところが戦後 になると、表面的には頭を下げるが、ハラの中では官僚について、自分達のエイジ ェントとまではいかなくても自分達の利益のために利用するという面がつよくなっ ている。官庁の汚職事件などにはこういう「親しさ」の反映とみられる点もある。

 第二、天皇についてのプレステイジは、今のところ、経済的な利害関係の薄いと ころや、とくに青少年の間では「老人達」をおどろかせるほどになっている。一つ の事例 ―― 先日天皇が護国寺にある秩父宮の墓に参拝したとき、あの辺の中学で学 生をならばせたが、むかしとちがって、今は「礼」をさせない。そこで学生の方は お辞儀をしないで見ているが、天皇の方はえらく愛想がよくて、しきりにお辞儀を したらしい。そうすると、高等学校二年生のある生徒が、「彼は参議院に立つのか しら」と言ったという。これは言った当人が見たままをしゃべったにすぎないとい うことで、かえって実に皮肉な指摘になっている。ここには、天皇の神格化という ようなことが自然の理法をねじまげたものであるだけに、いったん破れたとなると、 雲間から紺碧の空を仰いだような感じになることをあらわしている。国民の間に生 れ、ひろがっているこういう合理主義的な気分は、目立たないところで、非合理的 な天皇制の再興を絶えず引きとめる方向に作用するであろう。

 しかし、このような「変化」にもかかわらず、戦前とはその内実に違いはあっても、 天皇制官僚の全面的な復権への過程が積み重ねられてきて、現在に至っている。
その分掌上の理由から文部科学省が特に突出していが、全官僚勢力を挙げて天皇の権威 復元に懸命である。もちろん官僚だけではない。支配階層全体が、天皇を利用した国民の 支配統制の施策をむき出しに打ち出してきているといえる。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況をどう認識していたか。
 だがこのような「変化」にもかかわらず、基調は天皇制官僚の全面的な復位に向 っているといわねばならない。それは国民の「抵抗」が今のところ、まだ幼弱で、 部分的だということを反映しているのかもしれないが、それよりも、天皇制が支配 階級の支配体制だからそういうことになるのである。天皇制およびそれをささえる 官僚のプレステイジが、国民の目にますます馬鹿らしく見えるようになったことは 事実であっても、危機が深まれば、天皇制とその官僚的=軍事警察機関は、従属的 で、エセ民族主義的で、軍国主義的なその本質をますます前面に持ち出さざるをえ なくなる。国会の無能さとか、官僚、財閥の腐敗とかが、軍国主義とファシズムへ の導火線に使われやすいことは、過去にわれわれが経験したことと全く同じである。 だが新しい天皇制は軍国主義とファシズムのためにどんな構図を描きはじめている のか。それは政治体制の全部面にわたることであり、現在の客観情勢下における日 本社会の全領域に関係したことである。われわれの分析もこの辺で場面をかえてみ る必要があるようだ。

 次回から、本来のテーマである「統治形態」の実際を具体的に見ていくことになる。