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225 そのとき「大国民」たちは?(1)
大真面目に狂気の請願
2005年3月28日(月)


 大日本帝国の大人の国民を「大国民」と呼ぶことにします。
 少国民たちは国定教科書によってしっかりと練成されました。一方、大国民たちの教科書は ラジオ・新聞などのマスコミです。大国民たちが狂気のイデオロギー(虚偽意識)に絡め取られていく 様相を、その末期症状の段階を診断することによって検証してみようと思います。現今のマスコミもほと んどが権力をまともに批判できない体たらくです。中には大政翼賛化して権力のちょうちん持ち に成り下がっているメディアもあります。よりソフトな手口ではありますが、現在の国民も巧みに 国家主義の方向に導かれつつある現在、そのイデオロギー(虚偽意識)に対する免疫をつくるためにも 「大国民」を振り返ることは意義あることと考えます。
 資料は山中恒著「ボクラ少国民第三部・撃チテシ止マム」です。

 大東亜戦争の開戦時には大国民はもうすでに心身ともにがっちりと国家権力の掌中に囚われていま した。その様子を山中さんは次のように記述しています。
 一般国民は開戦前の「国民精神総動員運働」以来、その末端まで戦時態勢を取らざるを得ないように 強力に統制されており、戦争への協力も、機会ある毎に、隣組組織を通じて、勤労奉仕であるとか、戦 時公債や弾丸切手の割当て購入などを繰返し押しつけられて、「赤誠表出」とよばれる協力度合をやた らに試され続けて来た。しかもなお生活必需物資の絶対量不足が、その生活の基盤を脅かしていた。そ の上になお、〈国内総力戦態勢強化〉が要請されたのだから、始末に悪かった。その追いつめられた意 識は、それぞれの生活の中の極めて僅かな〈ゆとり〉といったふうな間隙に向けて突出せざるを得なく なった。もちろん個々のキャパシティはたかが知れているから、それを潰してしまうと、当然のことな がら第三者の間隙を見つけだし、それを潰しにかかるという狂暴性を持った。そして、それらの狂気を 積極的に担ったのが、神官、僧侶、予備・退役軍人(在郷軍人)、町内会・青壮年団等各種報国団体役 員、そして比較的地域との接触の多い国民学校教師たちであった。

 開戦当初の相次ぐ捷報に湧き立ち興奮していた大国民のお祭り的な気分は、1942年6月のミッドウェー海 戦の大敗前後から陰湿な狂気じみたものへと変わっていきます。
 国内総力戦態勢強化のための戦意昂揚運動は開戦当初のお祭り気分にも似た陽気な熱 っぽさを失い、なんとなく陰湿な、戦争への協力度の相互点検、相互監視、相互告発といった雰囲気の 油断のならない様相を示し始めた。それは次第に、〈常在戦場〉のスローガンを前提に極めて狂信的な 〈敵性文化排撃・摘発・撲滅〉による〈敵愾心強化運動〉へと移行していった。

 「相互点検、相互監視、相互告発」は競って権力に媚びる「赤誠表出」を誘発します。 例として、山中さんは第81回帝国議会の会期中(1942年12月26日~1943年3月25日)に議会に提出され た請願書を書き出しています。中山さんは「これらの内容をいちいち読んでいくとうんざりしてくる。」 と述べていますが、人間の精神が正気のままで(ヽヽヽヽヽヽ) どこまで狂気になれるのかという観点から読むととても参考になります。私は興味深く読みました。
○国旗記念日制定二関スル請願  国旗の尊重を徹底せしめるために、国旗制定の日、即ち一月二七日を国旗記念日として国民精神の 作興に資せられたしという主旨。

○天祖肇国ノ祝祭日制定ノ請願  八紘一宇の天祖の聖徳を仰ぎ奉るべき祝祭日の制定未だ無きは遺憾である。よって天祖肇国祝祭日 を制定し皇道宣揚に資せられたし。

○古事記正解ノ研究機関設置ノ請願 古事記の本然を誤り神聖を冒涜するが如き学説の生ぜしは聖代 文教上の一大痛恨事、よって政府は政府による古事記正解の研究機関を設けて国体の本義を明徴にせ られたい。

○漢字復興二関スル請願  漢字を復興して以て日華提携に資するための方途を講ぜられたし。

○経度ノ改正二関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ大東亜共栄圏建設ノ基礎確立シ世界情勢三大変革 ノ行ハレントスルノ秋海洋発展二重要ナル関係ヲ有スル経度カ敵英国「グリニッチ」天文台ヲ通過スル 子午線ヲ起点トシテ測定セラルルハ適当ナラス且共栄圏内二於ケル日付算定上多大ノ不便アリ依テ速二 現行ノ経度測定方法ヲ廃棄シ東京中央天文台ヲ通過スル子午線ヲ起点トスル(後略)

○国字改善こ関スル請願 国字の簡素化により国民の知識生活を能率化し教学振興、国力充実に資する ため「昭和文字」の調査制定を国家事業とされたい。

○孝子祭制定並孝子追賞二関スル請願 忠孝は一本であり、孝道は臣道実践の原動力であり、綜合国 力の源泉、依て孝子条を制定、全国孝子を追賞、以て日本精神の作興と忠孝一本の大義の徹底を図ら れたし。

○日向帝室博物館設置こ関スル請願 皇祖発祥の聖地たる鹿児島、宮崎両県下に国体明徴のため速に 帝室博物館を設置せられたし。

○肝付兼重、楡井頼仲公の偉業を国定教科書に編纂の請願 両公は皇祖発祥の聖地大隅に於て南朝の ため悪戦苦闘忠節を全うせられたる大忠臣故に教科書教材に取入れ国民教育に資せられたい。

○和学復興こ関スル請願 八紘為字の大理想実現し、今次聖戦完遂のため和学の復興を図られたし。

○「ローマ字」表記法こ関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ国語ノ「ローマ」字綴方ハ昭和十二年 内閣訓令第三号ヲ以テ日本式二一定セラレタルモ民間ニハ未夕不合理ナル「ヘボン」式ヲ使用スル者 存スルハ洵二遺憾ナリ依テ政府ハ英語新聞及南方向キ諸雑誌等ニシテ「ヘボン」式ヲ使用スルモノヲ 厳二取締ラレタシ(後略)

○神代史蹟調査所設置二関スル請願

○書道振興こ関スル請願

○学徒禁酒令制定二関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ時局下青年学徒ノ酒害ヲ防除シ其ノ錬成ノ 実ヲ挙クルハ喫緊ノ要務ナリ依テ速二学徒禁酒令ヲ制定実施シ中等学校以上ノ学生、生徒ノ飲酒ヲ禁 止セラレタシト謂フニ在り(後略)

○国民教育二関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ従来ノ教育、宗教分離ノ方針ハ往々ニシテ物質 偏重ノ傾向ヲ助長シ教育ノ根本タルへキ徳育ヲ等閑視シタルカ為近時其ノ弊害著シキヲ見ルニ至レル ヲ以テ今ヤ時代ノ要求ハ徳育ニヨル人格ヲ望ムコト甚タ切ナリ而シテ徳育ハ幼少青年期二於テ本来具 有セル宗教心ヲ培養スルヲ要道トシ其ノ手段トシテ師範学校教育二於テ宗教ヲ組織的二会得セシメ国 民学校二於テ宗教教育ヲナサシムへキ素養ヲ与フルヲ緊要トス依テ政府ハ昭和十年十月附文部次官ノ 宗教教育二関スル通牒ヲ活用シ師範学校ノ教科目中二宗教概論ヲ加へテ師範学校生徒ノ宗教二対スル 関心ヲ高メ以テ国民学校教育ノ実施二資セラレタシト謂フニ在り(後略)

○文部省編纂「国体ノ本義」訂正ニ関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ曩ニ文部省ヨリ「国体ノ本 義」ヲ編纂刊行セラレタルモ其ノ叙述徒二多岐ニシテ晦渋ナルノミナラズ其ノ内容必スシモ適切ナラ サルモノアルハ遺憾二堪ヘス依テ速二前記「国体ノ本義」ニ適切ナル改訂ヲ加へラレタシト謂フニ在 り(後略)

○少国民ノ忠誠心涵養二関スル請願 (原文)右請願ノ趣旨ハ敬神崇祖祖先崇拝ハ我ガ国伝統ノ美風ナ レハ之ヲ維持涵養シテ国運ノ進展二寄与スヘキモノナリト信ス依テ春秋二季ノ皇霊祭ヲ期シテ全国民 学校二於テ祭式ヲ挙行シ校長ハ敬神崇祖忠臣孝子ニ関スル講話ヲナシ以ッテ少国民ノ涵養振作ニ資セ ラレタシト謂フニ在り(後略)

 国家権力のプロパガンダがもう既に狂気の沙汰でした。その狂気のプロパガンダ用語をキーワードに して空疎なイデオロギー(虚偽意識)に酔っています。つい吹き出してしまうようなものもありますが、 全体には読んでいるうちにゾゾッと寒気がしてきます。
 これは決して過去だけの問題ではありません。現在だって、例えば「君が代を声量豊かに歌わせることに関する請願」とか「国民の祝日において 日の丸の掲揚を義務付けることに関する請願」とかを大真面目に提出すような手合いはごまんといるので はないでしょうか。あるいはもうそのような請願が県や市町村レベルでは出されているかもしれま せん。
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226 そのとき「大国民」たちは?(2)
大真面目に狂気の投書1
2005年3月29日(火)


 山中さんは次に、意見を公開し社会にアピールすることを目的にした投書を取り上げます。
「政府のPR誌である週報の「通風塔」と名づけられた投書欄にあらわれた主張は、当時の一般状 況を如実に物語るものであり、戦争に対する一般の認識がどのあたりにあったかを知る手がかりにもな る。」と述べて、「週報」の1943年上半期分から目ぼしいものを拾い挙げています。たくさんの投書か ら選ばれて掲載されたものですから、国家権力の御意にかなった優等生の投書ということになりましょ うか。
 英語追放論(325号=1月6日号)
 街に、家に、われわれの周囲には、ローマ字、英字が氾濫してゐる。とくに看板や包装紙に甚だ しい。共栄圏の人達が日本を訪れた場合、彼等はこれを何んと感じ、何んと観るであらう。彼等と 同じやうに、米英「文化」に支配された日本と見、指導国日本に対する信頼の念を薄くすることが ないと、果して断言できようか。
 街から、家から、われわれの生活から、あつて益なきローマ字、英字を追放し、われく本来の文字 を以て街を、生活を充さうではないか。(一帰還兵)

 「敵性語追放」は既に権力側から強力に推し進められていた事でした。例えば、1940年には芸能人の 芸名から欧米風のものをー掃するように厳しい警告が出されています。山中さんは当時の朝日新聞(19 40年3月29日)の記事を要約しています。
 改名命令を受けた芸能人は、ミス・ワカナ(漫才)、平和ラッパ(新興演芸部)、ミス・コロンビ ア(歌手)、ディック・ミネ(歌手)、サワ・サッカ(日蓄)、エミ・石河(松竹)、南里コンパル(同) 、尼リリス(日活)、その他、エデカンタ、星へルタなどであった。
 同時にこれは不敬に亘るものとして、園御幸(宝塚)、御剣敬子(同)、熱田みや子(日活)、 吉野みゆき(新興)に改名命令が出された。
「みゆき」=行幸(天皇の出御)ということであり、「御剣」といえば三種の神器のひとつである 草薙剣に通じるといぅことであった。「熱田みや子」は「熱田神宮」をもじった疑いがあり、不敬であ るというのである。
 このほかに、改名命令の対象となったのは、歴史上の偉人の尊厳を著しく傷つけるということで 藤原釜足(東宝)、さらに風紀上芳しからずということで、稚乃宮匂子(宝塚)にも同様の措置が とられた。

 何度も同じ言葉でしか評しようがないのですが、本当に噴飯ものでもあるし、狂気の沙汰です。
 「通風塔」の投書記事の紹介を続けます。
 「ギャング」と「海賊」(327号=1月20日号)
 近時米英に対する敵愾心の昂揚がしきりに問題となってゐる。そして種々の会合において米英誹謗の 適当の言葉はないかとの声を聞く。「ヤンキー」「ジョンブル」の呼称は彼等にとつては相当に強く響 くらしいが、われわれ日本人からするとあまりにやさし過ぎる。そこで、米国を呼ぶに「ギャング」、 英国を表はすに「海賊」と呼称することが、彼等の本性をうがってゐると思ふ。富山文化協会では、差 当り今後この語によって敵愾心の昂場に邁進することに、元旦の祝賀式において申合わせた。(富山・加 藤宗厚)
 ただただあきれるばかりです。「富山文化協会」というのは自治体お声掛りの法人でしょうか。 「敵愾心の昂場に邁進する」とは全く文化のかけらもない野蛮な「文化協会」です。
 米英の呼称(334号=3月10日号) 「英機撃墜」はともかくとして、「米を大切に」とある新聞の 同じ紙面に、「米窮迫す」とあったり、まことに煩はしい限りである。  昔は知らず、彼等を敵として戦ひつゝある今日、彼等を遇するに美称を以てする必要がどこにあらう か。これは一見些事に似て事実は然らず。些事とするは、未だ敵を憎む心に徹せざるためと深く省みる べきである。(本郷洋八)

 我が方の損害(336号=3月24日号)
 大東亜戦争開始以来、皇軍将士の善戦勇戦に対しては、たゞたゞ感激、感激のほかはない。われわ れは、大本営発表の度に、遥かなる戦線に想ひを馳せ、銃後の敢闘を誓ってゐるのである。
 ところで、戦果と共に我が方の損害も発表されるが、これに対する新聞・雑誌の扱ひ方は、戦果には 大活字を用ひ、我が損害に対しては小活字を用ひてゐる。これは宜しく、反対または同等の活字を用 ひ、「この犠牲を忘れるな、この恨みを米英にたゝきつけろ」等の辞をもって米英に対する憎悪、敵 愾心の徹底を期して欲しい。(高知 石黒生)

「撃ちてし止まむ」の濫用(同前)
 過日の陸軍記念日を中心に「撃ちてし止まむ」の合言葉が全日本に、大東亜全域に力強く叫ばれ、い よいよ米英撃滅の信念を新たにしたことは、まことに結構である。
 しかし、その後の新聞、雑誌を見ると、ホルモン剤の広告とか、洋裁学院の改名募集にまで便乗的に 使用され、この厳粛なるべき合言葉を冒涜してゐるのは、言語道断と思ふ。
 大東亜戦争を戦ひ抜き、敵米英「撃ちてし止まむ」の一億民族の、十億東亜民族の、逞しき決意を示 す合言葉に、われわれは常に慎重な態度をもつて臨み、単なる流行語に終わらせることのないやうにした いものである。(茨城 北条生)

米英撃滅は子供から(337号=3月31日号  子供が何か遊戯をしてゐるのを見ると、案外無味乾燥なものの場合が多いやうだ。私達が子供の時は、 その時その時の時代思潮といったものを織り込んだ遊戯が流行したのを覚えてゐる。
 今日の子供は、遊戯に飢ゑてゐる。貧困を感じてゐる。そこで私は提唱したい。何かうまく米英撃滅 の思潮を織り込んだ遊戯を創作し、あちらの街でも、こちらの村でも、子供が唄って遊べるものを普及 したらよいと思ふ。(清水市 遊戯生)

米英色の実体(338号=4月7日号)

 過日の写真週報で「米英色一掃」を強調されたが、我等は心からこれに共鳴し、その成果の大ならん ことを祈ったのであった。
 しかし、その後の様子を見ると、依然として米英色に恋々として、敢へて反省しない者の多いこと は、まことに遺憾である。
 また一方、現時局を表面的に取り入れ、或ひは時局に便乗して、これまでの米英色を一擲したかのや うに見せかけてゐる者も少くないやうであるが、これに対しても当局の善処を切望したい。
 例へば最近流行の軽音楽の実体を何んとみるべきであらうか。或ひはまたカフェーニューヨークと か、ハリウッドとかいつたものが、大東亜会館とかカフェー興亜とかに改称したとしても、それが果し て真に日本的なものになり得る筈があらうか。
 我々は、形式や表現を尊重すると同時に、いや、それ以上に、その内容を、その精神を尊重したい。 即ち正しき精神の充実、顕現こそは、大東亜戦争を戦ひ抜く指導原理であると信ずる。従って米英色一 掃も、単に表面的なものに止まるべきではない。米英色ー掃に対する当局の方針がより一層厳ならんこ とを切望する所以である。(実体生)

 今回掲載した投書のほとんどがアメリカ・イギリスへの憎悪を焚き立て敵愾心を煽る類のものです。
 これらの投書をした人たちはどういう階層の人たちだったのでしょうか。
 「政府のPR誌」など読まないし、自分の考えを文章にすることもない圧倒的多数の一般的な大衆がこれほ ど狂っていたとは思えません。自らの無関心が凶暴な圧制を許し、その圧制に正面切った 抵抗はせず、首をすくめて嵐が通り過ぎるのを待つほか術をもたない人たちです。しかし、例えば「第 67回」(2004年10月20日)や「第78回」(2004年10月31日)で紹介したような生活思想がその一般的な 大衆の本音ではないでしょうか。この面従腹背への批判は今はおきます。ただし、私も大衆 の一人ですし、単純に非難・裁断すれば済む問題ではないとだけは言っておきたいと思います。
 ともあれ上記の投書者たちのように狂気を積極的に担った者の多くはやはり「神官、僧侶、予備・退役 軍人(在郷軍人)、町内会・青壮年団等各種報国団体役員・国民学校教師たち」だったのではないかと 推測します。そしてこれらの人たちがいわゆる知識人たちの言説の影響を受けて、それをさらに過激な 言説にして「忠誠競争」に奔走しているのだと思います。「大国民」の次には当時の「知識人」の言説を 検証する必要がありそうです。
227 そのとき「大国民」たちは?(3)
大真面目に狂気の投書2
2005年3月30日(水)


 「通風塔」への投書の紹介を続けます。
欲しがりません、どこまでも(343号=5月12日号)
 近頃、「欲しがりません、勝つまでは」の標語がよく見受けられます。決戦を戦ひ抜く私どもの心構 へとして、この標語を心から守り、賛沢を蹴とばして、戦ひ抜き、勝ち抜かねばなりません。
 しかし、この標語ではまだまだ足りません。もつともつと強く、「欲しがりません、どこまでも」と 改めたいと思ひます。
 米英を撃滅し去った後も、大東亜の建設戦はさらに続行されるのです。勝っても欲しがつてはいけな いと思ひます。欲しがるのは米英の思想です。
 私どもは大東亜十億の指導者として「どこまでも欲しがりません」。この気持、この心構へで進まう ではありませんか。(長崎 山下生)

「激戦中」銃後の我等(345号=5月26日号)
 アリューシャンでは皇軍将兵が上陸した敵兵と激戦中だといふのに、劇場、映画館は超満員を呈し、 飲食店の前は長蛇の列で賑はふ。
 余りにも国民は皇軍に頼り、戦果に狎れすぎてゐはしないだらうか。
 闘ふ将兵の心を心とする意味で、せめて「目下激戦中」といふやうに、明らかに前線将兵の労苦が偲 ばれる場合には、一定の期間、歌舞音曲の禁止は勿論、あらゆる消費面の一斉締め出しを提唱 したい。(東京 小池生)

 係より―お気持はよくわかります。前線将兵の労苦と一つ心で、自粛生活に徹してこそ、前線 と銃後のつながりは鉄石となり、皇軍の精強はいよいよその光を放つのですが、銃後の私どもとしては、 消極的に自粛するにとゞまらず、個人的な欲望や享楽を断ち切り、戦力増強のため、貯蓄に、生産に、 防空に、全力を尽して積極的に、前線の将兵の労苦に応へたいと思ひます。

アツツの英魂に誓ふ(347号=6月9日号)
 アッツの兵隊さん、あなた方は最後の一人になるまで、自分の血が一滴でも残ってゐる限り、憎い米 兵への鉄槌となって散っていかれました。
 どんなに苦しい時でも、たゞの一度も泣言や不平がましいことをいはず、一途に祖国を愛し、大君の 御馬前に生命を捧げる光栄に感泣し、死して悠久の大義に生きられました。
 悲壮、凄絶、何といふ崇高な精神でせう。
 御安心下さい。米兵への最後の大鉄槌は、遺憾なくその威力を発揮し、敵の主力部隊は大混乱に陥り ました。
 と同時に、私達銃後国民にも大きな鉄槌となって打ちおろされました。
 今こそ私達は、この有難い鉄槌を押し戴き、銃後の務めの完遂に驀進せねばなりません。
 ともすれば私達は物質の不足をかこってゐました。見苦しい行列買ひに先を争ってゐました。
 何の不足があるといへませうか。どこに不満があるといへませうか。勿体ないことです。
 今こそ私達の一人々々が、先づ強く真剣に自らを省みるべき時です。そしてお互が心を合せて、 隣組を固め、町会を通じ、銃後一丸となって、真に戦争生活に徹し、アッツの英魂に報いませう。(大阪 望月正子)

戦争に徹しよう(348号=6月16日号)
 先日私は町内の応召勇士を見送った。その直前、大本営発表を耳にし、悲憤の激情が全身に沸き立って ゐた。
 勇士の門出を祝して次ぎ次ぎ贈られる歓送の辞は、すべて言々火を吐く壮烈そのものであった。
 やがて隊伍を整へ氏神様へ向ったが、沿道すれ違ふ人々の中に、勇士に対して敬礼を欠く者があれ ば、私は容赦なく大喝叱咤した。
 皇国のため一身を捧げて今、難に赴かんとする勇士を眼前に見ながら、路傍の人に接するが如き無関 心でゐられるものは、もはや同胞ではない。分らぬものに対しては、かうすることが戦時下国民の責務 だと思ふ。(横浜市鶴見区 小林諭)

「……だから」で弛む心(350号=6月30日号)
 「お祭りだから、日曜だから、一日位は……」といふのは、私達勤人にあり勝ちな気持でせうが、 「だから」といふこの一言で、どれだけ勿体ない日を、そして時間を空費してゐることでせう。
 木の実、草の根を食とし、一滴の水さへ分け合って飲む戦場を、いつも思ひ浮かベませう。 「だから」の一言で仕事の能率を下げることかあったとしたら、銃後をあづかる私達として、どうし てお詫び出来ませうか。
 お互にぜいたくをやめ、「だから」といふだらけた気持ちにうちかって、一日でも一時間でも多く働 いて、この戦ひの最後の勝利の日まで頑張り抜かうではありませんか。(札幌市 福村節子)

もんぺ(ヽヽヽ)を見せる心(同前)
 警戒警報下にもんぺを着用する婦人の多くなつたことは甚だ結構なことだ。
 しかし街を歩いてゐる婦人の半分ぐらゐは、新しい綿とか、その他高級品で、わざわざ作ってゐるや うに見受けられる。それも一つではない。
 私の会社の某婦人は、今日は明日はと、次ぎから次ぎへと変ったのをはいて来る。そんな人に限って ハイヒールで通勤してゐるやうだ。
 新調するよりは、高級品でも間に合せることが結構だとは思ふが、何も数多く作る必要はないではな いか。こゝにまだまだ敵国思想がくすぶってゐる。猛省を望む。(大阪市旭区 平岡昇)

 投書の論調がアメリカ・イギリスへの憎悪や敵愾心から、相互監視的な叱咤激励に変わってきました。

 余談になりますが、私は1938年の早生まれなので大日本帝国の降伏の時は国民学校2年生でした。 幸か不幸か、私はおくてだったので国民学校でどんな教育をされたのかほとんど記憶がありません。しかし戦中に歌われた 戦意昂揚や皇国民育成のための歌や軍歌などはけっこうよく知っています。たぶん兄や姉がよく歌って いたので、それを聞き覚えたのかも知れません。例えば「トントントンがらりと隣組 格子を開ければ顔なじみ  まわしてちょうだい回覧板 助けられたり助けたり」というのも歌えます。

 この隣組がくせものなのです。
 お隣同士が料理のおすそ分けをしたり、調味料や道具の貸し借りをしたりするのは、当時ではごく自然 で当たり前のありようだったと思います。それが改めて町内会の末端組織の「隣組」として組織化される と、相互扶助は建前で、実体は相互監視の役割を担うことになります。前々回の山中さんの文を再度引用 しますと『隣組組織を通じて、勤労奉仕であるとか、戦時公債や弾丸切手の割当て購入などを繰返し押し つけられて、「赤誠表出」とよばれる協力度合をやたらに試され続け」ることになります。

 上記の投書文に続けて山中さんは次のように書いています。
 ここに列挙した投書は、当時の一般的な民心の反映の一部と見てよいだろう。「通風塔」に寄せられ る投書は、その後、戦局の推移とともに激越さを増し、更にファナティックな様相を帯び始める。婦人 の化粧は一切禁止せよだの、老人の隠居を許すな、買出し婦人は愧死すべきである、などと言い出す。 そして遂には「米はコメ、日本の国は瑞穂国の米どころで混同のおそれあり」として、区別するため に、アメリカの「米」には〈けものへん〉をつけ、「英も英霊の英、東条英機首相 の英」にまぎらわしいから、これにも〈けものへん〉をつけて新字とし、「(けものへんの 付いた米英)撃滅」とせよなどと、大まじめに言い出す。
 また『戦争に徹しょう』の投書者に見られるような、やたらに他人を大喝叱正したがる「張切り者」 が出現し始める。警防団の班長、隣組の防火班長など、やたらに「長」の肩書きのつく人種がふえ、そ れぞれが「長」をかさにきて、大喝叱正する。下っぱであればある程、それが激しい。大喝叱正をくわ される方は、女、子ども、学生が多い。多分、反撃される心配がなかったからだろう。そして、そうい うおとなの横暴は、「お国の為の赤誠から出た、やむにやまれぬ感情」からであり「お国の明日を憂う ること」として正当化されたのである。

 愛国婦人会のおばさんたちが銀座などの盛り場に繰り出してい き、贅沢な服装や華美な装飾を摘発したというような話が確か「ボクラ少国民」のなかにありました。 いま路上の喫煙者の摘発が行われている所がありますが、私にはその根っこの思想は同じに思えます。私はタバコの匂いが 苦手ですが、ああいう規制の仕方には反対です。
228 そのとき「大国民」たちは?(4)
「青い目の人形」の受難
2005年3月31日(木)


 一般大衆を統率し狂気へと導いていった者たちを、山中さんは三つの層に分けています。第一は戦争遂行の ための施策を直接企画立案した国家権力中枢の戦争指導者たち。第二はその戦争指導者の国内総力戦態勢強化の 呼びかけに応じて行政権力を振るったさまざまな機関・団体の官僚・役員と戦争遂行の生産経済を支え ていた資本家たち。これらの者を中間指導者と呼んでいます。そして第三は前回までに見てきたような 「戦意昂揚、敵愾心昂揚」運動を熱烈に支えた下級指導層です。

 あのバカバカしい狂気が全国を席巻していくようになるきっかけを、山中さんは戦争指導者たちが 苦々しく思っていた中間指導層の状況に有効な手を打てなかった点に求めて、次のように分析しています。


 中間指導層には時流便乗派が多く、戦争を明らかに喰い物にしていたということである。当時一般庶 民の間で話題にされた「軍需成金」というのは明らかに「戦争成金」であったし、「統制成金」という のは職権を利用し統制品の横流しや闇売買で産を成した連中のことであった。がしかし、こうした 「余録」がない限り、彼等のかかわる機関は円滑に機能しない矛盾を含んでいた。ということはどの ように国内総力戦態勢強化を呼びかけようと、基本的な部分で生産経済を支えていたのは、資本主義 経済構造であったからである。そこで国内総力戦態勢強化は、勢い基本的矛盾に触れることを回避し て、精神性的側面へ向けて突出せざるを得なかった。「戦意昂揚、敵愾心昂揚」運動はある意味で戦 争指導者たちのジレンマを代行するものであった。
(中略)
 現実に見えざる敵に対する心理的興奮をあおることは、何らかの儀式を必要とした。(中略)儀式 は〈敵性文化排撃・撲滅〉の形をとった。

 さて、野口雨情作詞・本居長世作曲の『赤い靴』と『青い眼の人形』は1921年に発表されて以来 一世を風靡しました。ラジオでもしばしば放送されていましたし、小学校の学芸会でもしばしば 登場していて子どもたちの愛唱歌でした。この童謡が、早くも1942年末の開戦当初から敵性思想 文化財として真っ先に槍玉にあげられ、抹殺されていました。
 『赤い靴』では

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった

 の「異人さん……」のくだりが拝米思想だとやられたのである。「異人さん」即「アメリカ人」という せっかちさも、尊皇攘夷思想からすれば、問題ではなかったのであろう。当時、このくだりを「毛唐 めにかっつぁらわれて 行っちやった」と歌ってはどうかなどと、家中で話題にした記憶がある。つい でに……というのもおかしいが、第三節めの歌詞も問題にされた。

今では 青い目に
なっちやって
異人さんの お国に
いるんだろう

 とあって、その「青い目に なっちやって」というのも、非科学的であるときめつけられた。もとも と童謡などというものは、科学的なものではない。その気になって難くせをつけるつもりなら、どうに でもなってしまう。そして、たとえ児童であろうとも「大和おみなえし」ならば「降るあめりかに袖は 濡らさじ」で、そうそう西洋人のままになるものではない、などということが大まじめに論じられたと いう。また『青い眼の人形』の方は

青い眼をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイド

 ということで、メイド・イン・USAの人形に皇国日本の少女がなじむということは、時局思潮に反 するというのが抹殺の理由であった。

 1927年2月にアメリカに本拠を置く世界児童親善協会が日本の子どもたちに、12,739体の人形をプレ ゼントしました。平和と友好のための人形使節団というわけです。
 この人形は船便で横浜に上陸し、青山会館(後の日本青年館)での文部省主催の歓迎会では『青い眼 の人形』の合唱で迎えられました。そこから全国の小学校、幼稚園に配られ、全国の子どもたちから もやはり『青い眼の人形』の合唱で迎えられました。
 これが『青い眼の人形』が童謡として一世を風靡するようになったきっかけだったといいます。

 さて、抹殺されたのは歌だけではありません。「平和と友好のための人形使節団」も抹殺されて しまったのです。
 1943年は、この可憐な人形たちにとっても受難の年であった。この人形使節は鬼畜米国の日本制覇の 野望を隠蔽し、日本を油断させるための深慮遠謀の偽装使節で、実は日本の少国民を懐柔せんがための 謀略戦の尖兵であったと判断されたのである。悪意を得て観ずれば萬象悪意に叶うのである。しかも、 国家的規模による悪意である。そのため、かつて全国の小学校、幼稚園で暖く歓迎された21,739体の 人形のうち、五指に残るか残らない程度の僅かな例外を除いて、そのほとんどが秘かに焚刑に処せられる か、あるいは敵愾心昂揚のために「撃ちてし止まむ」とばかりに、竹槍で突きこわされてしまったので ある。なんともひどい話である。やはり正気の沙汰とは思えない。これに対して、当時答礼として日本 からアメリカへ渡った日本人形は一体残らず健在であるという。

 なんと野蛮なことでしょう。人と人とが殺し合う野蛮とはまた質の違った陰湿な野蛮です。暗闇の中で 恐怖に駆られてやたらと棍棒を振るっている未開の迷妄とでも言えばよいでしょうか。大日本帝国は戦闘に 負けただけではなく、文化度においても完敗していたのです。この事実を知って、大日本帝国国民 の後裔の一人として顔が火照るほど恥ずかしいと思いました。大東亜戦争を肯定し、「美しい伝統」への 先祖がえりを声高に喧伝するものたちの、これがその「美しい伝統」の裏面なのです。
229 そのとき「大国民」たちは?(5)
レコード盤の受難
2005年4月1日(金)


 もちろん、迷妄の棍棒がうち振るわれたのは童謡や人形だけではありません。大国民の趣味・娯楽 も大弾圧を受けました。ダンスホールは既に開戦の前年1940年に内務省命令で永久閉鎖されてい ました。さらにレストランなど飲食店でも生演奏、レコード演奏を問わずダンス用音楽は一切禁止さ れました。
   しかし、これは営業関係ばかりではなかった。法令による対象ではなかったが、一般家庭でも、 その種のレコード鑑賞をしていることが外へもれたら、それこそ愛国派の老人に大喝叱正される か、通行人によって派出所へ密告され、巡査に踏みこまれて「時局に無関心な不心得者」として、 こってり説諭されてしまうのがおちであった。なにしろ現在のレコード・プレイヤーのように、 ヘッド・ホーンなどという便利な装置の無い時代のことであった。
 ここでも下層指導層が為政者の思わく以上の忠誠心を発揮して、相互監視・密告に励んでし まっています。

 1943年、戦争指導者たちはこの種の音楽禁止を強化するだけでは気がすまなくなり、遂にレコード 廃棄を要求してきました。山中さんは「週報」(328号=1月27日号)の記事を全文書き出していますが、 その冒頭部分だけを掲載します。
 「米英音楽の追放」
 大東亜戦争もいよいよ第二年を迎へ、今や国を挙げてその総力を米英撃滅の一点に集中し、是が非で もこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでな く、文化、思想その他の全面に亘るものであって、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思ひ ますと、文化の主要な一部門である音楽部門での米英色を断乎として一掃する必要のあることは申すま でもありません。

  一掃せよ、米英音楽
 情報局と内務省では、大東亜戦争の勃発直後に、米英音楽とその蓄音機レコードを指導し、取締るた め、当面の措置として音楽家に敵国作品の演奏をしないやうに方針を定め、また、これらのレコードの 発売にも厳重な指示を与へたのでありますが、それにも拘はらず、今だに軽眺浮薄、物質至上、末梢感 覚万能の国民性を露出した米英音楽レコードを演奏するものが跡を絶たない有様でありますので、今回 さらにこの趣旨の徹底を期すため、演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコードー覧表を作っ て、全国の関係者に配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進 することになりました。
 今回の措置の対象は、差当りカフェー、バー、飲食店等で、これらの場所での演奏を、内務省が地方 庁警察部を通じて取締ることになってゐますが、情報局、文部、内務両省が指導、監督に当ってゐる社 団法人日本蓄音機レコード文化協会では、今回の措置に全面的に協力し、右の一覧表に該当するレコー ドを、蓄音機レコードの販売店から引上げ、また一覧表を販売店に配布し、備へ付けさせて、一般の方 方の参考に供すると共に、進んで該当レコードを供出されようとする方に、斡旋の労をとることになっ てゐます。
 供出を受けた該当レコードは、昨今不足勝ちなレコード資材の再成に用ひられます。供出は献納の形 で無償で行ひ、各蓄音機レコード会社が払ふ代価を、陸海軍へ国防献金することになってゐます。
 続いて「週報」は「演奏不適当な主な曲」を列挙した上で、全部で1,126件という長大な「米英音楽作品蓄音機 レコード一覧表」を掲載しています。

 山中さんのコメントです。
 清沢例は『暗黒日記』の中で、戦争指導者たちの自己満足的、小児的言動に呆れはてて はいたが、アメリカ系軽音楽一切を「文化的にも少しの価値のないもの」と言い切る独断専行はすさま じいばかりである。こういうことに手を貸した音楽の専門家たちの意識構造はどうなっていたのか知り たいものである。音楽家である以前に、人間的な平衡感覚に狂いが生じていたのではなかろうか。
 とにかく、このようにして、〈クラシック〉〈ジャズ〉〈タンゴ〉〈ブルース〉〈ハワイアン〉〈フ オーク・ソング〉のメイド・イン・USA系の音楽はこれを機会に一切禁じられてしまう。確かに「ラ スト・ローズ・オブ・サンマー」と「ホーム・スヰート・ホーム」については「この標題のものが日本 語で歌はれてゐる場合は、これらの歌は学校でも歌はれ、長い間に日本的に消化され、国民生活の中に 融け入ってゐるものでありますし、日本吹込みの日本盤となりますので、今回の措置の範囲には入らな いことは申すまでもありません」(「演奏不適当な主な曲」のただし書き・・・仁平注)などと、一見、 ものわかりの良さそうなことを言っているが、これなどは前の論旨と著しく矛盾した御都合主義である。 前の論旨からすれば、その種の米英系音楽が、日本の国民生活に融け入っているなどというのは、それ こそ米英の謀略であり、由々しき一大事ということにはならないのだろうか。そう言い切れなかったと ころに、やはり後めたさがあったのだろうし、それ以上突っ込むと、陸海軍軍楽隊の歴史にまで文句を つけなければならなくなることを恐れたのであろう。
 しかし、実際には、その『庭の千草』も『埴生の宿』も歌えなくなってしまった。前者はメロディが センチメンタルであり、後者は米英的家庭主義に根差しているので、総力戦態勢下の国民生活感情にふ さわしくないというのである。