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208 北村小夜さんの講演から(1)
体のノート
2005年3月11日(金)


 先週(3月5日)「板橋のつどい」という集会に参加した。その集会で北村小夜さんの『子どもた ちをとりまく目に見えぬ「強制」』という講演があった。そのお話しの中に2点紹介したい話題があった。 それを紹介しようと思う。
 お話しは当日配られた資料(北村さんの論文)にそって進められたので、その資料からの引用 という形で紹介する。資料は『逆らわない心・丈夫な体 改憲と教育基本法「改正」のめざすもの』 (以下「論文1」と呼ぶ。)と『危ない音楽教科書』(「論文2」と呼ぶ。)

 北村さんはご自身が軍国少女に仕立てられていった経験とつき合せて現在の状況を読み解いて いる。その現状認識にはとても説得力があると私は感じた。

 まず「心のノート」の徳目が戦前の修身の教科書のそれとほとんど同じことを指摘する。また、 修身の場合はほとんどが上から指図する説諭の形を取った教育方法であったが、「心のノート」は 徳目ごとに自己点検を強いるという方法でこころを改造しようとしている。その点では修身以上に 問題だと指摘している。そして、一方的な配布についても大問題だとして「論文2」」で次のように 言っている。
 文科省は02年4月、全国の小・中学生に「心のノート」を配った。〝我が国を愛しその発展を 願う〝国民を育てようというその内容は勿論であるが、手続きも不届き極まりない。
 いま、教育現場で子どもたちに教材を渡すのは生易しいことではない。教科書なら検定制度 があり合格しなければならない上、教育委員会に採択されなければならない。補助教材に してもさまざまな手続きが必要である。
 ところが「心のノート」は、現場の意向などに関わりなく送りつけ、使用を強制している。 このことについては国会でも問題になり、中川智子議員や神本美恵子議員などが質問し ているが、文科省は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(略して地教行法と呼ばれ ている)の中にある、文科大臣は地方公共団体に対して、教育行政にかかわって、必要な指 導・助言、援助を行うことができる権限に基づいたものである」といっている。
 しかし、地教行法48条は1項に「文科大臣は都道府県又は市町村に対し、都道府県委員会 は市町村に対し、都道府県又は市町村の教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な 指導、助言又は援助を行うものとする」と、権限を「教育に関する事務の適正な処理を図る」 に限定している。どう考えてもこの法で国定教材ともいうべき「心のノート」を作成し、配布 して使用を強制するのは無理である。

 こんな製作や配布や使用強制を許していたら次に何が現れるかわからないと憂慮されていたが、 現れたのが、「体のノート」ともいうべき「元気アップハンドプック」というしろものである。 発行文部科学省、製作協力(財)日本体育協会とある。文科省生涯教育課によれば、今年 (04年度)は小学校1、3、5年生に配った。次年度からもそうしていくという。文科省がそう いうのに、まだ受け取つていない該当学年の子がたくさんいるのは、教育委員会を含め、多く の現場が求めているものではない証拠である。

 「心のノート」ほど豪華ではないが、やはり低学年用・中学年用・高学年用がある。いまのと ころ中学生用は出ていないようであるが、かわりに幼児用がある。
 一見して戦時中の国民体力法に基づく体力手帳を彷彿とさせるが、その手法は全く違う。 「心のノート」同様、自己点検させ、自ら一国民として健康と体力アップをめざそうと思 い込ませるよう仕組まれているし、家庭に責任を持たせようという意図もみえる。特に低 学年はカレンダー方式で、365日保護者によるチェックを要求している。

 このところ学校の内外で、子どもの健康に関することがかしましい。

 学習指導要領では77年改訂以来、総則で、道徳教育と体育に関する指導を教育活動全体を 通して行うものとして、各教科にさきだって、徹底の必要を述べてきたが、98年改訂では、 その「体育に関する指導」を「体育・健康に関する指導」に改めている。すでに「健康は 国民の責務である」という健康増進法も施行されている。もう健康を保てない者は非 国民である。障害や病気を持つ人々が生きにくくなってきた。
 学校現場における栄養教諭の新設もきまった。間もなく、知育・徳育・体育の基礎となるべきも のとして食育基本法が成立する。

 「論文1」の冒頭は次のように始まっている。
心と体が国に奪われた。このところ「心のノート」と「健康増進法」による体制をこう呼ん できた。「体のノート」ともいうべき「元気アップハンドブック」も配られた。
 戦争をするには、国民の逆らわない心と丈夫な体が必要である。その育成は多く教育に 求められる。ほぼその仕組みは完成している。
 すなわち、憲法も教育基本法も「改正」された状況にある。

 自分の不明を白状すると、私は「健康増進法」とか「少子化社会対策基本法」とかに 全く関心を持たなかった。北村さんはこれらは戦時中の「国民体力法」とか「国民優性法」に 匹敵すると言う。
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209 北村小夜さんの講演から(2)
国家による健康管理
2005年3月12日(土)


 前回終わりに引用した北村さんの文は次のように続く。
 04年6月16日、与党の教育基本法改正協議会の中間報告(以下、与党案)がまとめられた。 これによると、第一条の教育の目的をむきだしで「教育は、人格の完成を目指し、心 身ともに健康な国民の育成を目的とすること」としてしまっている。教育の目的を国の法律 できめること自体いかがわしいことであるが、現行は、前文の「個人の尊厳を重んじ」、 一条の「個人の価値をたっとび」と、個人の尊厳と価値を強調し、「国民の育成」には 「平和的な国家及び社会の形成者としての」という限定をつけているが、与党案はここを削除 して、戦争をする国の求める「心身ともに健康な国民の育成」こそが教育の目的だと押し出している。

 憲法改悪と同様、教育基本法改悪も現実の方がそれを先取りして進行している。「心のノート」 で素直で実直な精神を養い、「元気アップハンドブック」で兵士となるための基礎体力の養成をはかる。 かくして「心身ともに健康な国民の育成」が遂行される。
 これは決して穿ちすぎではない。北村さんは「それが現状であることを認識しなければならない。そのことは、 かつて日本が戦争をするに当たって、国民の健康をどう管理してきたかを辿ってみるとよくわかる。」 と述べ、戦中の国家による国民の健康管理の諸施策を辿っている。

1928年 いまも続いているラジオ体操が始まる。     昭和天皇の大礼記念事業としてであった。

1930年 朝日新聞社主催の「日本一健康優良児」表彰制度がスタート。
 一新聞社の主催であったが、文部省の後援で、全国の小学校毎に六年生を対象に、体位・体力だけでなく、操行がよく学力の優れた児童男女一名ずつを推薦させ、地方長官を会長とした地方審査会を経て、中央審議会が最終決定するという国家的大事業であった。いまは目的を達したとして健康優良校表彰制度に変っているが、この事業は1978年まで続いた。

1938年 厚生省が発足。同じ年に制定された国家総動員法の「国家が必要とする時、すべての人・物的資源を統制運用できる」の人的資源の確保の役割を担ってのことである。
 健康・体力の強調は、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争と続くなか昂揚を続けていく。

1939年 「産めよ殖やせよ国の為」という標語が出現している。

1940年 国民体力法、国民優生法が制定される。  現在の健康増進法や少子化社会対策基本法に匹敵するものである。

 北村さんは続ける。
 健康が讃えられるとき、障害者や病人はナチスドイツの例をあげるまでもなく排除される。 戦時中、障害者は「ゴクツブシ」「非国民」といわれ息をひそめて生きていた。食糧の配 給が滞るなか、精神病院では餓死に等しい死亡者が多数でたことも忘れてはならない。

 これまでの言動が明らかにしている事だが、イシハラは弱者を極端に嫌う差別者だ。
210 北村小夜さんの講演から(3)
歌は旗とともに人の心を唆す
2005年3月13日(日)


 「つくる会」の教科書が教育教材面での反動の最先端を露払いしている。
 北村さんは言う。「新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書(扶桑社刊)が検定に合格した ということは、全ての教科書がつくる会的になってきたということである。」
 教育問題はいわゆる主要5教科(国社数理英)を中心に語られがちだが、北村さんは周辺教科といわれる 体育・家庭・図工・音楽にも問題が多いと指摘する。このことは私の中でも一つの盲点だったと気づか された。
 私の世代(国定教科書第三期の最後)は、体育はいうに及ばないが、図工といえば戦意昂揚のポ スターばかり描いていた。家庭科では銃後の守りをしっかり教え込まれた。
(中略)
 そして音楽。歌は旗とともに人の心を唆す。音楽(音楽に限らないが)は一つの目的手段に なった時、芸術ではなくなる。戦前、音楽は修身の手段であった。例えば「柴刈り縄なひ草鞋 をつくり、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲よく孝行つくす、手本は二宮金次郎」と調子よく 歌わせておいて、修身で「二宮金次郎は、家が大そうびんぼふであったので、小さい時から、 父母の手だすけをしました」と教えた。
 忠義の手本として広瀬武夫の勇気と部下思いを教え、「轟く砲音(つつおと)  飛く来る弾丸」と歌わせるといった具合である。

 「修身」と「音楽」がタイアップして国家意思の刷り込みが行われた。「修身」は首位教科と言われて、 全ての教科が「修身」を補完する役割をになった。
 いま学習指導要領の総則の冒頭には道徳教育が掲げられるようになっている。そして音楽の教科書も版を 重ねるにつれて「日本人としての自覚」が強調され、国家主義に基づく畏敬の念を育てようという意図 が露骨になってきているという。「心のノート」が「修身」の教科書なら、それとタイアップして 「音楽」を道徳教育の手段とする戦前の手法がよみがえってきたのだ。
 北村さんはまず学習指導要領で音楽に限って必ず載せなければならない共通教材が示されていることを 指摘する。
 小学校学習指導要領音楽は、1958年以来、必ず扱うべきものとして共通教材を示してきま した。1998年改訂(2002年実施)からは内容の三割削減に伴って、鑑賞教材については直接 曲名をあげることはなくなりましたが、歌唱教材については「日本のよき音楽文化を世 代を超えて歌い継ぐようにするため、現行と同様、長い間多くの人々に親しまれてきた文部省 唱歌や、各学年の指導内容として適切なものの中から選択して、これを示すことにする」とい う教育課程審議会の答申に従って、各学年4曲、計24曲をあげています。指導要領は、このう ち3曲を必ず載せるよう指示していますが、小学校音楽教科書を発行している3杜は24曲全 部を載せています。
 その24曲は次のようである。

 歌唱共通教材一覧

第一学年
うみ(文部省唱歌)1941
かたつむり(文部省唱歌)1911
日のまる(文部省唱歌)1911
ひらいたひらいた(わらべうた)1977

第ニ学年
かくれんぽ(文部省唱歌)1941
春がきた(文部省唱歌)1910
虫のこえ(文部省唱歌)1910
夕やけこやけ(中村雨紅作詞草川信作曲)1941

第三学年
うさぎ(日本古謡)1941
茶つみ(文部省唱歌)1912
春の小川(文部省唱歌)1912
ふじ山(文部省唱歌)1910

第四学年
さくらさくら(日本古謡)1941
とんび(葛原しげる作詞柴田貞作曲)1977
まきばの朝(文部省唱歌)1932
もみじ(文部省唱歌)1911

第五学年
こいのぽり(文部省唱歌)1913
子もり歌(日本古謡)1977
スキーの歌(文部省唱歌)1932
冬げしき(文部省唱歌)1911

第六学年
越天楽今様~歌詞は二節まで(日本古謡)1989
おぼろ月夜(文辞省唱歌)1914
ふるさと(文部省唱歌)1914
われは海の子~歌詞は三節まで(文部省唱歌)1910

※右の数字は、その歌が初めて国定教科書(戦後は検定教科書)に載った年です。
※日本で初めて音楽の国定教科書が作られたのは1911年です。

 これらの教材について、北村さんはそれぞれの歌が作られた時代背景を追っている。

1910~13年
 その大半が1910~13年に作られたものであることに驚きます。言文一致に対抗して「気品高い 唱歌を作ろう」という人々によって作られた初期の文部省唱歌の多くは、国民として身につける べき徳育と我が国の自然を誇る花鳥を主題にしていますが、明治末から大正にかかるこの時期です。 当然のこととして国民思想統一の任もしっかり担っていました。

1932年
 スキーの歌とまきばの朝が入っています。32年といえぱ満州事変の次の年で満州国が作られた 年です。次代を担う少年少女に対する期待が読めます。同じ頃文部省唱歌としては蛍や動物園 等とともに男子用に太平洋が女子用に月見草がつくられています。

1941年
 学校制度が変わり、小学校は国民学校になり、唱歌から芸能科音楽になりました。うみ、かく れんぽが作られ、タやけこやけとともに古謡としてうさぎとさくらさくらが採用され国粋主義が強 調されます。
うみについては、故山住正巳さんが「子どもの歌を語る(岩波新書)」で「どうして、あの戦時 体制下、このようなおだやかな歌が国定教科書に掲載されたのか。」といっておられますが、 太平洋戦争開戦直前です。そのころ海辺に立てば、「この真直向うが南洋諸島」などと指さし あって南進日本の先駆けのつもりでいた自分を考えても、充分侵略の意図が読みとれます。 飛行機の爆音などをきき分ける音感教育も始まっていました。

 1977年改訂された指導要領は「君が代」を国歌扱いにしました。とんびとわらべうたひらい たひらいたと古謡として子もり歌を入れ、ますます日本の伝統文化を強調します。
 そして89改訂ですが、「君が代」の強制と相俟って「日本の音楽」がさらに強調されます。 越天楽もそれです。今様ですから歌詞は子ども向きではありません。
 われは海の子は戦後一旦途絶えていましたが、この改訂で復活しました。それは社会科の 近現代史を、日本は日清日露の戦争に勝利して今日の繁栄の基礎を築いたと押え、東郷平八郎を 登場させたことに連動しています。日本の子どもが海に親しみ体を鍛えておくのは六節のような ことを恐れず、七節のように世界の富を得、国を護るためです。その意図を当面隠すため歌 詞は三節までとしています。

 その大部分が天皇制教育確立の時期につくられた文部省唱歌である。歌わせ、聴かせながら マインドコントロールすることの有効さを活用する施策だ。

 「われは海の子」の六節と七節を掲載する。私は知らなかった。

六.浪にただよう氷山も
  来らば来れ 恐れんや 
  海まき上ぐるたつまきも
  起こらば起れ 驚かじ

七.いで、大船を乗出して
  我は拾わん 海の富 
  いで、軍艦に乗組みて 
  我は護らん 海の国
211 北村小夜さんの講演から(4 最終回)
教科書会社の変節
2005年3月14日(月)


 教育委員会委員の選挙選出から任命制への移行。教科書の広域採択制への移行。学校票(現場教員の意見) の形骸化。かくして教科書は国家権力の意向を忠実に履行する教育委員会の恣意的な採択を可能にした。これ も周到に準備されてきた教育支配のための施策だった。

 このことがさらに教科書の国定化を促進する役割を果たしている。北村さんは、それまでは比較的まし だった教育芸術社刊の小学生の音楽教科書の変節振りを取り上げている。
 新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書が教科書検定を通るということは、全ての教科書 が、つくる会教科書的になったということです。来年度から使用される三社の音楽教科書を見ると、 国定道徳教材といわれる「心のノート」に似ていることに驚きます。産経新聞が絶賛しています が('04・4・28)、共通教材に加え、日本の伝統文化の重視という指導要領の趣旨 を一層尊重し、「懐かしい歌」を加え、「こころのうた」「につぽんのうた」「みんなのうた」 などと強調し、「心のノート」と共通する日本の自然や風習の写真や絵をふんだ んに使っています。

 (教科書に掲載されている)この写真は、2002年埼玉スタジアムで行われたサッカー試合で 日本チームを応援する人々です。 ざっと数えて400ほどの「日の丸」が来年度から使われる教育芸術社刊「小学生の音楽」六年生 用の扉を飾っています。教育芸術社の音楽教科書は「あおげばとうとし」も「ほたるの光」もなく、 まだましな教科書と言われてきました。
 ところが来年度から使われる改訂版では、すっかり様相が変わっています。「あおげばとうと し」も「ほたるの光」も共通教材ではありませんから載せる必要はないのですが、この写真とと もに、六年生用に「あおげばとうとし」が、五年生用には「ほたるの光」が載っています。 それだけではありません。共通教材のすベてに”こころのうた”というリードをつけた他、 「夕日(ぎんぎんぎらぎら)」「七つの子」「背くらべ」「海(松原遠く)」「浜千鳥」など、 産経新聞などがいう懐かしい歌を増やしています。さし絵や背景の写真も、今までは子どもの曲 のイメージ作りを妨げないように配慮してか、色彩も淡く控えめでしたが、改訂されたものは 強烈なものが多く、概念規定をしようとしているように見えます。山や桜や日本的行事もあり、 一見して「心のノート」を思わせます。

 なぜ、こんなことになったのでしょうか。

(中略)

 この変わり様は、この間の政治的な動きに呼応したもので、どの教科書にも共通することですが、 「わが国の伝統文化の尊重」を深読みして、関わる記述を増やしています。変わった理由の一つは そのような一連の動きに対応したものでしょうが、もう一つは、教科書の採択が教育現場の意向を 無視して教育委員会が強権的に行うようになったからです。すなわち採択に力を持つ教育委員会向 きに作られるようになつたということです。
 教科書検定に合格しなければ教科書になりませんが、教科書になれば商品ですから売れなけれ ばなりません。売れるということは採択されることです。

(中略)

 仮に(教育委員会に教科書採択の)権限があるにしても、管下の教職員や学習主体である子ども、 保護者の意向を尊重してこそ権限は全うされるのですが、現場排除が横行しています。なかでも強 硬なのが、「つくる会教科書」採択でわかるように東京都教育委員会です。すでに2003年4月に横山 教育長が、学校票を無視するようにという通達を出しています。学校票が無視され、採択の実権が 全面的に教育委員会に移れば、売るためにはその意向に媚びます。教育委員会の視点が「伝統文化 の尊重、国民としての自覚」ですから反映されるのは当然です。2003年4月の都の教育委員会では 「卒業式に『仰げば尊し』を歌わない学校を調べろ」「歌わせない教員は自信がないのだ」という 委員もいました。

 私は教員をしている時、卒業生の「仰げば尊し」を聞くときには、やはり忸怩たる思いを 禁じえなかった。自信がないといわれればその通りだ。しかし、「私は『仰げば尊し』を歌って もらうに値する教師だ」なんて思っている教員がいるとしたら、とんでもなく鼻持ちならぬ奴だ。

 「仰げば尊し」や「蛍の光」がなぜ問題なのか。北村さんは次のように解説している。
 「仰げば尊し」の歌詞はニ節が立身出世をめざすものとして省略され、教科書には一節と三節しか 載っていませんが、もともとこのようなものです。


  あおげば尊し

一、あおげばとうとし わが師の恩
  教の庭にも はやいくとせ
  おもえばいととし このとし月
  今こそ 別れめ いざさらば

二、互いむつみし 日ごろの恩
  別るる 後にもやよ 忘るな
  身を立て名をあげ やよはげめよ
  今こそ 別れめ いざさらば

三、朝夕なれにし まなびの窓
  ほたるのともし火 つむ白雪
  忘るるまぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば
 「小学唱歌集」1884年(明治17年)


 「ほたるの光」は教科書にはニ節までしか載っていませんが、三節を見れば、あきらかに国を 守る「防人」を送り出す妻の歌であることがわかります。四節は戦争中、千島・沖縄が樺太・台湾 と歌われました。戦局が進んでアリューシャン・サイパンとも歌われました。
 二つとも作詞者は明らかにきれていませんが、いずれも1879年(明治12)の「教学聖旨」(文明 開化に向けて教育が進むなか、日本の教育は仁義忠孝が基本だという天皇名の方針)が出されてか ら教育勅語発布(1890)の間、すなわち天皇制教育確立の時期に作られたものであることを考える とその意図は明らかです。


  ほたるの光

一、ほたるのひかり まどのゆき
  書よむつき日 かさねつつ
  いつしか年も すぎのとを
  あけてぞけさは わかれゆく

二、とまるもゆくも かぎりとて
  かたみにおもう ちよろずの
  こころのはしを ひとことに
  さきくとばかり うたうなり

三、つくしのきわみ みちのおく
  うみやま とおく へだつとも
  そのまごころは へだてなく
  ひとつにつくせ くにのため

四、千島のおくも おきなわも
  やしまのうちの まもりなり
  いたらんくにに いさおしく
  つとめよ わがせ つつがなく
 「小学唱歌集」 1881年(明治14年)
212 文部省唱歌事始
2005年3月15日(火)


 前回の北村さんのお話に「いずれも(「仰げば尊し」と「蛍の光」)1879年(明治12)の 「教学聖旨」(文明開化に向けて教育が進むなか、日本の教育は仁義忠孝が基本だという天皇名の方針)が出されてか ら教育勅語発布(1890)の間、すなわち天皇制教育確立の時期に作られたものであることを考える とその意図は明らかです。」というくだりがあった。

 私の蔵書に、復刻版だが、1881年(明治14年)文部省出版の「小學 唱歌集 初篇」という小冊子が ある。ちょうど上記の時期と同じ時期のものだ。北村さんの論文を読んでいるうちにそれを思い出して取り出 してみた。話題提供の意味で、その序文と内容のいくつかを書きとめてみる。 (原文は毛筆なので読み取りがたいところがある。読み間違いがあるかもしれない。あしからず。 また、句読点なしのノッペラボー文章で読みにくいので一文ごとに行替えをした。)
  緒言

凡ソ教育ノ要ハ徳育智育體育ノ三者ニ在リ
而シテ小學ニ在リテハ最モ宜ク徳性ヲ涵養スルヲ以テ要トスヘシ
今夫レ音樂ノ物タル性情ニ基ツキ人心ヲ正シ風化ヲ助クルノ妙用アリ
故ニ古ヨリ明君賢相特ニ之ヲ振興シ之ヲ家國ニ播サント欲セシ者和漢歐米ノ史冊歴々徴スヘシ
曩ニ我政府ニ始テ學制ヲ頒ツニ方リテヤ已ニ唱歌を普通學科中ニ掲ゲテ一般必須ノ科タルヲ示シ其教則 綱領ヲ 定ムルニ至テハ亦之ヲ小學各等科ニ加へテ其必ス學ハサル可ラサルヲ示セリ
然シテ之ヲ学校ニ實施スルニ及ンテハ必ス歌曲其當ヲ得聲音其正ヲ得テ能ク教育ノ真理ニ悖ラサルヲ要スレハ 此レ其事タル固ヨリ容易ニ擧行スベキニ非ス
我省此ニ見ル所アリ客年特ニ音楽取調掛ヲ設ケ充ルニ本邦ノ學士音樂家等ヲ以テシ且ツ遠ク米国有名ノ音楽 教師ヲ聘シ百方討究論悉シ本邦固有の音律ニ基ツキ彼長ヲ取リ我短ヲ補ヒ以テ我學校ニ適用スヘキ者ヲ撰定 セシム
爾後諸員ノ協力ニ頼リ稍ヤク數曲ヲ得
之ヲ東京師範學校及東京女子師範學校生徒并両校附属小學生徒ニ施シテ其適否ヲ試ミ更ニ取捨選擇シ得ル所 ニ随テ之ヲ録シ遂ニ歌曲數十ノ多キニ至レリ
爰ニ之ヲ剞?(厥の右にリットウがつく字)ニ付シ名ケテ小学學歌集ト云
是レ固ヨリ草創ニ属スルヲ以テ或ハ未タ完全ナラサル者アラント雖モ庶幾クハ亦我教育ノ一助ニ資スル ニ足ラント云爾

明治十四年十一月 音楽取調掛長 伊澤修二 謹識

 日本の音楽教育はその発祥のときから芸術教育ではなかった。「音樂ノ物タル性情ニ基ツキ人心ヲ正シ風化ヲ助クル ノ妙用」を利用した「徳性ヲ涵養スル」ための手段としてスタートした。
 「本邦ノ學士音樂家等」が「米国有名ノ音楽教師」の教えを受け、ほとんど無の状態から 「本邦固有の音律ニ基ツキ彼長ヲ取リ我短ヲ補ヒ」唱歌を創造していった、その苦労のほどは 並大抵ではなかっただろう。やがてそれなりに洗練されていき、その良し悪し・功罪は別として、 ともかく「徳性ヲ涵養スル」ための唱歌は学校教育を通して大衆の中に浸透していった。

 では上記の最初の「唱歌集」に収録された歌の中で後まで歌い継がれた歌はどれほどあった だろうか。全部で33編収録されている。題名を並べると次のようになる。

1.かをれ 2.春山 3.あがれ 4.いわへ 5.千代に 6.和歌の浦 7.春は花見 8.鶯 9.野邊に  10.春風 11.桜紅葉 12.花さく春 13.見わたせば 14.松の木蔭 15.春のやよい 16.わが日の本  17.てふてふ 18.うつくしき 19.閨の板戸 20.蛍 21.若紫 22.ねむれよ子 23.君が代  24.思ひいづれば 25.薫りにしらるる 26.隅田川 27.富士の山 28.おぼろに 29.雨露  30.玉の宮居 31.大和撫子 32.五常の歌 33.五倫の歌

 四季の風物を主題にした、いわゆる「にっぽんのうた」の要件を満たす歌が多い。ほとんど 春の歌だ。しかし歌詞の中にこっそりと道徳や忠君愛国を忍ばせているものがある。
 メロディーの方は外国の既成の曲に日本語の歌詞を割り振ったものが多いのではないか。

 今に歌い継がれているのは(私が知っているのは)15.と17.と20.。
 15.は「越天楽」と歌詞もメロディーも同じで、北村さんの話にあったように、最近復活した。
 17.は現かなづかいで書くと「ちょうちょ」
 20.は「蛍の光」で、もちろん4番まで揃っている。

 16.の一番は「わがひのもとの あさぼらけ かすめる日かげ あふぎみて もろこし人とも  高麗びとも 春たつけふをば しりぬべし」とある。つまらぬ事で中国や朝鮮への優越感を 吐露している。「日いずるところの天子 日没するところの天子に書をいたす つつがなきや」 を下敷きにした歌詞か。

 18.は3番まである。それぞれ「うつくしき我が子やいずこ」と歌い始めて、上の子・中の子・末の子 と次々に弓・太刀・矛を取って「君のみもとにいさみたち」「わかれゆくなり」というすさまじい内 容だ。

 23.の「君が代」は、メロディーは現在のものとは全く違うもので、歌詞は2番まであり、次のよ うに余分な文句が付いている。

1 君が代は ちよにやちよに さざれいしの巌となりて こけのむすまで うごきなく 常盤かきはに  かぎりもあらじ
2 君が代は 千尋の底の さざれいしの 鵜のいる磯と あらわるるまで かぎりなき みよの栄を  ほぎたてまつる

 いよいよバカバカしい歌詞だ。

終わりの二つは儒教道徳のお題目の歌で「教育勅語」の先取りのようなしろものだ。
 32.の「五常」とは「仁・義・禮・智・信」のこと。 33.の歌詞は「父子親あり 君臣義あり  夫婦別あり 長幼序あり 朋友信あり」で、ただ徳目を 並べただけの味も素っ気もないものだ。