2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
155. 非暴力直接行動(1)
幸徳秋水の「直接行動」
2005年1月16日(日)

「第149回」(1月10日)を次のように締めくくった。

 筆者(『「非国民」手帳』の)は「政治的表現の方法はもっと豊かだ。」と言っている。 次回はその方法を探ることにもなるはずだ。

 問題を「政治的表現の方法」を「支配権力と対峙する方法」と読みかえると、まさしく「非暴力 直接行動」がその唯一有効な方法ではないだろうか。
 「日の丸・君が代の強制」に応ぜず、ピアノ伴奏や起立を拒んだ人たちの闘いはまさに 「非暴力直接行動」ではないか。「非暴力直接行動」の思想的内実を知ることは、私たちのこれから の闘いに何か資するところがあるのではないだろうか。

 「非暴力直接行動」を取り上げるのなら、向井さんの「現代暴力論ノート」を読んでからにす べきだが、とりあえずいま容易に入手できる資料を頼りにおおよそのところを知ろうと思う。

 日本において「直接行動」をはっきりと打ち出したのは幸徳秋水(1817~1944) をもって嚆矢とする。
 秋水は普通選挙実現を目指す「普通選挙期成同盟会」(1899)の幹部をやったり、社会民主党を結成(1901) したり(即日結社禁止の処分を受ける)している。理想の実現を議会を通しての活動に託していた。

 1905年に新聞紙条例違反で禁固5か月の刑を受け入獄し、獄中での読書でクロポトキンに出会いの 無政府主義思想に傾倒するようになる。

 出獄後渡米。サンフランシスコでロシア社会革命党のアナーキストのフリッチ夫人の影響を受ける。
 1906年帰国。日本社会党の歓迎会で「世界革命運動の潮流」と題する演説を行う。 それは政党活動の否定であった。政治活動を共にしていた同志たちにとっては青天の霹靂だった ことだろう。

 「世界革命運動の潮流《錦輝館に於ける演説の大要》」という文章が残っている。それから抜粋する。

 三百五十万の投票を有せる独逸社会党、九十人の議員を有せる独逸社会党、果して何事を為し たりや、依然として武断専制の国家に非ずや、依然として堕落罪悪の社会に非ずや、投票なる者 甚だ恃むに足らざるに非ずや、代議士なる者の効果何ぞ甚だ尠なきや、労働者の利益は労働者自 ら掴取(くわくしゆ)せざる可らず、労働者の革命は労働者自ら遂行せ ざる可らず、是れ近時欧米同志の叫声也。

(中略)

 選挙権は民政の屋根也、多数労働者自から進んで民政の基礎を建設し、其の結果として得たる 所の者にして、初めて効果あることを得可し、独逸の如きは然らず、唯だ足れ皇帝宰相の恩賜慈 恵に依て得たるのみ、民政の基礎の上に置かれずして、王冠の下に吊下れるのみ、専制の大風一 たび至らば、直ちに吹払ひ去られるのみ。
 所謂立憲的、平和的、合法的運動、投票の多数、議席の多数なる者は、今の王侯、 紳士閥が頤使(いし) せる金力、兵力、警察力の前には、何等の価値を有する能はず、是れ近時欧米同志の痛切に感ずる所也。


 もちろん、ドイツを引き合いに出して欽定憲法下の大日本帝国での「恩賜慈恵」の選挙権の無効性を 指摘している。
 そして日本人民は、戦争遂行のために「専制の大風一たび至」り、議会の機能など「直ちに吹払ひ去 られ」た過去を持っている。
 (「紳士閥」という用語は大杉榮も用いているが、ブルジョア階級という意だろう。)

 於是乎(こゝにおいてか)、欧米の同志は、 所謂議会政策以外に於て、社会的革命の手段方策を求めざる可らず、 而して此方策や、能く王侯、紳士閥の金力、兵力、警察力に抵抗し得る者ならざる可らず、少く も其鎮圧を免がれ得る者ならざる可らず、而して彼等は能く之を発見せり、何ぞや、爆弾か、匕首か、 竹槍か、蓆旗か。
 否な
是等は皆な十九世紀前半の遺物のみ、将来革命の手段として欧米同志の執らんとする所は、 (しか)く乱暴の物に非る也、唯だ労働者全体が手を拱して何事をも 為さゞること、数日若くば数週、若くば数月なれば即ち足れり、而して社会一切の生産交通機関の運転を停止せば 即ち足れり、換言すれば所謂総同盟罷工(ゼネラルストライキ) を行ふに在るのみ。

 秋水が提唱する「直接行動」は「ゼネスト」であり、暴力は「王侯、紳士閥の金力、兵力、警察力に抵抗し 得る者」ではないと否定している。すでに「非暴力(、、、) 直接行動」と言ってよいだろう。

 彼等欧米の同志は信ずらく、紳士閥は労働階級の為に、(たまた) ま少許の恩恵を施こすことあり、少許の慈善を行ふことあり、而も是等は遂に労働階級を 瞞着籠蓋(まんちゃくろうがい)するが為めに用ゆる一種の香餌に 過ぎず、両者の利害は到底一致し調和し得べき者に非ず、彼等の甘言に欺かるゝ勿れ、彼等の好 意を恃む勿れ、政府、議会、議員、投票を信ずること勿れ、労働者の革命は労働者自ら遂行せざ る可らずと。


 私たち被支配者に与えられた(獲得したとは言いがたいと思うのでこう言う)諸権利は 私たちを「瞞着籠蓋するが為めに用ゆる一種の香餌に過ぎ」ないのは今での同じだと、私は思う。
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156. 非暴力直接行動(2)
大杉榮の「直接行動論」
2005年1月17日(月)

 大杉榮が労働者向けの小雑誌に匿名で書いたという「僕等の主義」という小文がある。 まずそれを読んでみる。
 自分の事は自分でする。
 これが僕等の主義だ。僕等労働者の、日常生活の上から自然に出來た、處世學だ。
 僕等には、それで食つて行くと云ふ、親の財産はない。又齧るべき親の脛もない。僕等は小學 校を終へるか終へないうちから、自分で働いて自分で食つて來た。自分の身の廻りの一切の世話 も、親や兄姉の忙しい僕等の家庭では、子供の時から總て自分でやつて來た。
 自分で自分の事をするのはいい氣持だ。何事にでも我がままがきく。勝手でいい。威張られる 事もなし、恩に着る事もなし、餘計なおせつかいを云はれる事もない。
 少し大きくなつて、世間とのいろいろな交渉が出來始めてからも、やはり自分の事は大概自分 でしなければならなかつた。そして、やはり自分でやるのがいつも一番氣持がよかつた。自分の 事は自分が一番よく知つてゐる。自分の事は自分が一番熱心にやる。失敗すれば失敗するであきらめ もよくつき、又新しい方法の見當も直ぐにつく。人にやつて貰つたんでは、不足があつても、有 難うとお禮を云つて満足してゐなければならない。よし又うまくやつてくれたところで、自分で しなかつた事が僕等には不足になる。
 世間は益々複雑に且つ益々面倒になつた。敵と味方の區別すらもちょつとは分らない。人に頼 んでは馬鹿ばかり見る。殊に何か甘さうな事をやつてやらうと云ふ先生等にたのむと、いつも必 ず大馬鹿を見る。
  自分の事は人を頼る前にまず自分で行動を起こせ、特に「何か甘さうな事をやつてやらうと 云ふ先生等」は頼るなという。ここで言う先生とはもちろん「代議士先生」だ。

 アナーキズムとは何か。
 「自分の事は自分でする」。これまでの私の理解ではこれが第一のキーワードだと思う。

 大杉の論文に、ずばり「直接行動論」という題のものがある。こんどはこれを読んでみる。

 ことしはたちになる某と云ふ女が、茨城縣下の宿屋五六軒に奉公して、どこででも淫賣を強ひ られるつらさに堪えられなくなつて、とうたう府下大久保の慈愛館に泣きすがつて來た。慈愛館 と云ふのは、多くはさう云つたたちの女を救ふ、キリスト教の一設備である。
 此の慈愛館と多少の關係のある、矢島揖子女史を會長とする婦人矯風會では、此の事實を某と 云ふ女一人の問題ではなく、すべての職業婦人に關する問題だと見た。そして、これを機會に、 主人が女中を、上役が女工を手籠めにすると云ふやうな行爲に対する制裁の記録を、法律の上に 求めようとした。
 が、此の事件は、昨年の五月以來、水戸の地方裁判所から東京地方裁判所、次いで控訴訴院、 大審院へまでも訴へ出たのだが、どこででも遂に「軽微な問題として」取れあはれなかつた。そし て最近、矯風會本部では、おもなる會員が集まリ、「日本には處女の貞操を保護する法律がない」 ものと認めて、此の事実を全國の婦人に公表して輿論を喚起する事にきめた。同會幹事久布白落實 女史は、此の問題に就いて、新聞記者に語つて云ふ。
 「今までは裁判所にすがつて出來るだけ闘つて見た。が、其の結果は無効だつた。そして私達は 判然と自覺した。日本の幾百萬かの處女は,貞操に就いて法律の保護を受ける事が出來ない。自 分の貞操は自分で保護しなければならない。で、私達は此の事を社會に訴へて、女性の自覺を促 さうと思ふ。」

婦人矯風會が、果して此の直接行動論に徹底する事が出來るかは、疑はしい。現に彼等は、こ んどはそれを議會の問題にしょうとして、騒ぎ廻つてゐるらしい。が僕等は、ヤソの、お嬢さん やお婆さんたちにそれを責めるやうな野暮ではない。そこまで動いて、そしてうはベだけでも、 とにかくそこまで悟つて來たのは彼女等にしてはもう大出來なんだ。

 裁判が現在でも当てに出来ないしろものであることはもうたびたび思い知らされている。

ピアノ伴奏拒否事件(日野市立南平小学校)人事委審査→棄却裁決→東京地裁提訴→棄 却判決→東京高裁控訴→控訴棄却→最高裁に上告中

国立二小リボン着用事件 審査請求→棄却裁決→東京地方裁判所へ提訴

国立二小・強制移動事件 人事委審査請求→棄却裁決→東京地裁提訴

 良心の自由も表現の自由もまるで無視されているような裁決が続いている。 憲法が保障しても支配者どもは憲法を無視する。裁判官まで憲法を無視する。まともな裁判官いないのか。

 ところで、ここで大杉は労働者のゼネストに限定せず、「自分の貞操は自分で保護」するために当事者が立ち上がる ことも、「直接行動」と呼んでいる。

 けれども、僕が今特に此の問題をかかげてここまで書いて來たのは、それに就いて吾々労働者 がお互ひにもう少し考へて見たいと思ふ事があるからだ。
 矯風會のお嬢さんやお婆さんたちは、別に法律で保護されなくても、其の貞操を守る事が出來 る。彼女等は、結婚と云ふ一種の淫賣の外には、滅多に淫賣を強ひられる事はない。滅多に手籠 めに會ふ事はない。又そんな事があつた日にや大變だ。世間は忽ちに大騒ぎになる。女中や女工 の、勞働者の場合とはまるで違ふ。
 手籠めと云へば強姦だ。そして此の強姦には、確かに、それを制裁する法律がある筈だ。けれ ども、女中や女工の勞働者の場合には、恥しいとか世間ていとか云ふ事以外の理由から、それを 訴へ出る事の出來ないのが、どんなに多いだらう。法律があつたつて何んにもならないんだ。

 なぜだらう。
 一言で云へば、彼等には力があつて、吾々にはそれがないからだ。そして法律は此のカの味方 であるからだ。
 女中や女工だつて、淫賣を強ひられたり手籠めに會つたりする時には、直ちに其の本人たちが 騒ぎ出すがいい。大ぜいで騒ぎ出すと云ふ事は、弱いものの持つてゐるただ一つの力である。五 人でも六人でも、其の宿屋なり工場なりにゐる者が、皆んなして騒ぎ出せば、いくら主人でも上役 でも滅多に手を出せるものでない。
 斯うして、何によりも先づ本人が、自分で自分の力を確かめて行く。そして其の力で自分を守 り且つ育てて行く。それを、どこまでも自分が勝手に推しすすめて行ったのが彼等なんだ。  どこまでも自分勝手に推しすすめて行くんでは困る。僕等は彼等の其の眞似はしたくない。け れども、彼等のやうに法律があらうとあるまいと、勝手に自分を守り且つ育てて行く事が出來る やうになる爲めには、やはり彼等を眞似て、自分で自分の力を確めて行く外はあるまい。  そして、さうするには、前にも云つた僕等に残されたただ一つの力を、養ひあげて行く外に仕 方はない。 法律があつても、警察があつても、又裁判所があつても、力で處女の貞操を侵さうとするもの がある時には、やはり其の女自身の力のほかにはそれを防ぐ何ものもない。
 彼等(大杉の用語で言えば「紳士閥」)のように「自分勝手」なものではいけないが 「やはり彼等を眞似て、自分で自分の力を確めて行く外はあるまい。そして、さうするには、 前にも云つた僕等に残されたただ一つの力を、養ひあげて行く外に仕方はない。」という。
 「僕等に残されたただ一つの力」とは、言うまでもなく「自分のことは自分 でやる」自立した者たちが組むスクラムである。
157. 非暴力直接行動(3)
向井孝の「非暴力直接行動」論&三宅島の闘い
2005年1月18日(火)

 「第154回」(1月15日)の水田さんの文章の中の『(向井さんは)直接行動の本来的意味として、 生産・創造・遊戯・そのよろこびとおもしろさを挙げてる。それはまさに、人民のみがもつ 「暴ニ非ザル力」』という部分に注目したが、大杉榮がいう「僕等に残されたただ一つの力」が、この 「暴ニ非ザル力」に継承されていると思う。この「暴ニ非ザル力」をもう少し詳述している 文を紹介する。

向井さんへの追悼文の中で、水田さんは次のように書いている。

 「非暴力直接行動いうのは、なにも特別なことやない。それは生きるということと同じ意味や。 生きるために必要な食べ物を手に入れたり、そのためのいろんな創意工夫、人とのいろんな共同作業や 遊び。モノを創ったりする楽しみ。誰でもしてることや。その誰でもしてる、その誰でもがもってるそ の本来の力を自覚することや。そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、 邪魔したりしたら、どないする? 目にゴミが飛んできたら思わず手で払いのけるやろ。それと同じや。 自分らのくらしを妨害するものや邪魔するものがあったら抵抗するし闘うのが当然や。それが生きてる いうこっちゃ。それが非暴力直接行動や……」

 この日のどの場面だったかさだかではないけど、もうだいぶお酒がはいってたと思う。向井さんは、 ソウルの若者の質問に答えてこういったことだけなぜかよくおぼえてる。


 しごく真っ当なことが言われている。
 「そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、邪魔したりしたら、 どないする?」

 「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」=支配者階級に媚びたり慈悲を乞うたりするのが 奴隷根性である。奴隷根性は、自らを無力とする諦念の結果でもある。「誰もが持っている本来の力を自覚」 し、「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」には抵抗し闘うことを「非暴力直接行動」といい 、それは「生きる」ことと同義だという。

 選挙は頼りにならない。「非暴力直接行動」こそ最も有効な方法であり、それがまさしく「生きること」 と同義だった闘いの一つを書きとめておこう。

 選挙について(3)で、三宅村に居住していたときの体験を次のように書いた。

 以前三宅島に居住しているとき、アメリカ軍の「夜間発着訓練」の誘致問題が起こった。 そのときの選挙では反対派の村長と村議を応援し投票した。反対派の村長が当選し、議員構成も 逆転も逆転、反対派が圧倒的多数派になった。

 地縁・血縁の選挙で選ばれた各地区のボスが牛耳っていた村議会が一変した。
だが、その後の展開はどうだったのか。

 選挙では反対派が圧勝したわけだが、国家権力は一小村の民意などは眼中にない。

5・28(1986年) 防衛施設庁、阿古に現地連絡事務所を開設。
12・28 防衛予算復活折衝、基地調査費3億2200万円が復活折衝で認められる。
6・?(1987年)防衛施設庁の気象観測鉄柱設置計画を発表。

 と、どんどん既成事実を作っていく。

 村長選・村議選を制しても国家権力の意図を止めることは出来ないのだ。この国家権力の 横暴をとめたのは島のおばあたち(おばあちゃん、かあちゃんたち)の「非暴力直接行動」だった。
 村長を先頭とした村の行政機関の姿勢、村議会の活動、島外からのさまざまな支援など、 おばあたちの闘いの背後にはたくさんの支援があったが、国家権力を最もたじろがせたのは おばあたちの「非暴力直接行動」だった。

 私は昨年の『9/23労働者市民のつどい』の報告で、『「辺野古の闘いのフォト・レポート」の 闘うおばあちゃんについ涙を流してしま」ったことを白状したが、実はこの 三宅島のおばあたちの闘いがダブって私の涙腺は刺激されたのだった。

7・15 防衛施設庁が気象観測鉄柱設置を強行。島民の抵抗で一ヶ所(下錆)を阻止、七月末まで座 り込みが続く。
9・1 政府、機動隊導入により、観測鉄柱設置を強行。
12・25 防衛施設庁、航空測量を実施する。88年度の基地調査予算3億3000万円を計上。
3・8(1988年) 防衛施設庁、予定していた地質調査のためのボーリング計画を延期することを決定。
12・8~12 防衛施設庁高層気象観測通告。上京団、現地各々抗議行動。
12・13防衛施設庁高層気象観測断念を発表。

三宅島の闘い
 圧巻は9月1日の機動隊を導入しての「観測鉄柱設置強行」の阻止行動だった。送られてきた機動隊は8機(8機 が敗退した後「鬼の4機」と呼ばれている精鋭部隊が投入され、ものすごい暴力を振るった)。おばあたちは身体を張って一歩も退かない。
 9月1日の三宅島はまだ酷暑の時期だ。頭をそっくり覆うヘルメットまでかぶった完全装備の機動隊員 が何人も脱水症で倒れた。闘いの最中に、おばあたちは息子や孫のようなその青年隊士たちを介抱 している。

 なお、ついでながらその後のことを。
 雄山大噴火のため全島員が避難を余儀なくされて4年、ようやく帰島が始まろうとしている。島民の 艱難辛苦はまだ続く。なのに、政府はなお島を基地にする計画を断念していない。

 2000年の「防衛白書」より
 政府は、三宅島に代わりの訓練場を設置することが適当と考え、そのための努力を続けている。 しかしながら、三宅村当局を始め地元住民の間に、なお反対の意向が強く、実現 までには相当の期間を要すると見込まれる。
 一方、厚木飛行場周辺の騒音問題をこのまま放置しておくことができないため、日米間の協議によ り、三宅島に訓練場を設置するまでの暫定措置として、硫黄島を利用することとし、89(同元)年か ら艦載機着陸訓練に必要な施設の整備を進め、91(同3)年8月から米軍による訓練が開始された。 本年5月末までに、延べ24回の訓練が実施されている。 政府は、今後とも、暫定措置として硫黄島 での艦載機着陸訓練の実施に努めるとともに、三宅村当局及び地元住民の理解と協力が得られるよう 努力している。
158. 非暴力直接行動(4)
三里塚のこと
2005年1月19日(水)

 30年ほど前に、私は次のような詩のようなものを書いた。

母の沈黙 あるいは ふるさとのありか

地の中に眼がある
拒むこと以外に 死を
死に続けるすべをもたない移しい屍体の。
腐蝕し土と化した肢体の痛みを
一点に凝縮して腐蝕を拒み
あらゆるモニュメントを拒み
歴史へのいかなる記載をも拒み
数であることを拒み
大きく見ひらかれたまま
閉じることを拒み
無駄死を強い続ける卑小な生者のための
奈落への心やさしい道づくり。
数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
ふるさとの墳墓
あるいは忿怒は増殖する。

〈ふるさともとめて 花一匁〉

  〇 〇 〇 〇 〇 〇

戦闘宣言
 みなさま、今度はおらの地所と家がかかるで、
おらは一生けん命がんばります。公団や政府の
犬らが来たら、おらは墓所とともにブルドーザの
下になってでも、クソぶくろと亡夫が残して行った
刀で戦います。
 この前、北富士の人たちは、たった二十人でタ
イマツとガソリンぶっかけて戦っただから、ここで
三里塚反対同盟ががん張れねえってことはない。
ここでがん張らにゃ、飛行機が飛んじやつてしま
うだから。
 おら七つのとき、子守りにだされて、なにやるた
って、ひとりでやるには、ムガムチューだった。おも
しろいこと、ほがらかに暮したってことなかったね。
だから闘争が一番楽しかっただ。もう、おらの身は
おらの身であって、おらの身でねえだから、おら反
対同盟さ身預けてあるだから、六年間も同盟や支
援の人達と反対闘争やってきただから、だれが何
といっても、こぎつけるまでがん張ります。みなさ
んもー緒に最後まで戦いましょう。


一九七一年。小泉よね。六十三歳。
 よねさんは最下層の貧農に生れて、七つの時に
年貢代りに地主の家へ子守りに出され、年ごろに
なると料亭づとめに出た。だからほとんど字が読め
ない。敗戦直後、夫を病で失う。子供はいない。二
アールほどの田を耕し、近所の農家の手伝いをし
てほそぼそと暮してきた。おかずがなく、ご飯に塩
をかけて食べたこともあったという。
 成田空港反対闘争を通して、よねさんは得がたい
ものを得た。「貧者」へのあわれみと軽蔑でしか接し
てくれなかったこれまでの周囲の者にくらべ、新しい
仲間はまともにつき合ってくれた。六十余年の人生
でそれはおそらく初めての経験だった。九月初め、
よねさんの「戦闘宣言」が垣根の上に立てられた。
 人民の虐殺と共同幻想の操作とをセットにした巧
みな戦術が国家権力がその延命をはかるための常
套手段である。成田の第二強制執行は警察官三名
死亡、学生一名瀕死の重傷という犠牲を強いて完
遂された。日常を覆っている平和という幻想のべー
ルがひととき破れて、日常的なジェノサイドの進行が
露呈する。昭和の十五年戦争を中心とする〈自らの
ものでない死〉の列は今なお連綿と続いている。
 第二強制執行で残されたよねさんの家は、流血を
さけるためという名目で、予定を繰り上げて抜き打ち
的にとりこわされた。よねさんの家は土間と六畳一
間、押入れだけの掘立小屋のような母屋であった。
借地に住んでいたよねさんの補償金は八十万円た
らずだという。これはかけがえのない一人の全生涯
の掠奪である。欺瞞にみちた言葉しか持たない支配
者らの口もとに卑しいうすら笑いがうかんでいるのを、
そのときぼくは確かに見た。
(後略)

 水田ふうさんの文章を読んでいたら、小泉よねさんの養子になった方の消息を伝える文に出会った。 それで30年ほど前に書いた自分の文を思い出した次第だ。
 この文を書いた頃は、もちろん、「非暴力直接行動」という言葉もその理念も知らなかったが、 よねさんの闘いは文字通り「非暴力直接行動」なのだった。

「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない 水田ふう

 三里塚の小泉くんとみよちゃんが野菜を毎月送ってくれる。  「循環農場」いうて、農薬や科学肥料やビニールや輸入の種やをいっさい使わず、天の恵みの うちに土やいきものの循環する生命力でものをつくろうとしている現代まれなる百姓や。

 今月の野菜といっしょに入ってた「循環だより」に「ぼくたちの生活の本拠である東峰地区は 成田空港の暫定滑走路(2002年4月開港の予定)の真下にあたります。わが家の上空40mを、飛行 テストの飛行機が金属音をたてて襲来します。これは音の暴力です。力づくで空港をつくってきた ことを、深く反省したはずの政府のやることとは思えません。……」とあった。

 みよちゃんと小泉くんは、70年頃から三里塚にはいって、強制代執行でブルトーザーで土地を奪わ れた小泉よねさんの夫婦養子になってもう30年。ずっと百姓を続けてる。その「循環農場」は最後数 軒残った空港予定地や。

 2人にとって政治的な取り決めや、政府との談合や買収は無用な介在物や。妨害があろうとなかろ うと、世間から忘れさられようと、厳然と自分自身の手で自分のつくりたいものをつくる。それがそ のままで、くらしと密着した闘い――直接行動――なんや。
 そして最後の1軒になっても、再び機動隊やブルトーザーが襲いかかってきても、もくもくと耕作 の手を止めないやろう。

小泉くんの30年まえの詩にこんなのがある

すわりこむことは
ごみのひくさにちかづくことだ

(中略)

 三里塚で騒音やはりめぐらされた鉄条網や、機動隊の検問やらのなかで、30年も百姓を続けてきた 小泉くんたちの、そのやわらかなしかも不屈な意志と実力は非暴力直接行動の自覚こそにある、 とわたしは思ってるんや。(2人はこんな角張ったことばからはほど遠く、もっとふつうで、淡々 としてるんやけど)
 養子の小泉さんは、よねさんが貫いた「非暴力直接行動」をも引き継いでしなやかに生きている。 生きていることそのものが「非暴力直接行動」となっている。
159. 非暴力直接行動(5)
「非暴力直接行動」と「テロ」
2005年1月20日(木)

 前回「中略」した水田ふうさんの文章に戻る。

 表題は『「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない』だった。
 「非暴力直接行動」を旨とするアナーキズムは「テロ」をどう考えるのか。

 くる日もくる日も、アフガン空爆のニュースをただただテレビで見させられるだけという情けない 状態のなかで、ほんまにひとびとの歴史は大昔からこんなふうにじっさい塵のようにあつかわれて きたんや、とつくづく思いしらされる。なにが進歩や。なにが民主主義や。いまも昔もちっとも 変わらん。いつだって「正義」や「大儀」を口にして、権力者のやりたい放題やんか。得意げな ブッシュの顔を見るたびにおもわず「おまえら地獄に落ちろ」と呪いをかけたくなる。

 神戸「救援ニュース」に暫定滑走路敷地内・天神峰で百姓している市東孝雄さんの話がのっていた。

 「ほんとうに歯がゆい気持で一杯です。くやしくてしょうがない。事情が許すなら、空港に突入して 思う存分暴れて、開港できなくさせてやりたい。」「……暫定滑走路建設のひどさについて、まだ まだ世の中に明らかになっていない。マスコミは公団の宣伝機関だし、公団も、自分たちがどれほ どの暴力をふるっているか自覚していない。ニューヨークの反米テロではないが、率直な気持を 言えば、公団にここまで一方的にやられるのなら旅客機の一機ぐらい撃ち落してやりたいくらいで すよ……」

 これと同じことをむかし戸村一作さんから聞いたことがある。

 「飛んでる旅客機をみると、機関銃で撃ち落してやりたい……」

 こういう思いを抱く人はこの国でもあちこちにいると思う。東北、北海道を奪われたアテルイの 子孫たち、占領米軍に貢物として差し出された沖縄のひとびと、ダム建設で村ごと家や土地をうば われたひとびと、原発で村を二分され追い出されたひとびと、海を埋めたてられ、くらしを奪われ たひとびと……そのやり方のえげつなさにどんな思いを胸にしまっているか……そして物言えぬどれ だけの鳥や虫や動物や魚や木や森や山やいきものたちが殺されていってるか……

 いま冤罪で刑務所にいれられてるOさんという人がおるんやけど、そのOさんが手紙に書いてきてた。 「ニュースの時間」にニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突っ込むのをみて、そのニュースを 見てた全員が「おーッ」と歓声を挙げた、というんや。

 塵のように扱われてきたひとたちの、これは本心や。
 至極真っ当な感性だと思う。

   私は第3回(8月17日)で「私は被支配者の一人であり、 被支配者の側に立ち続ける」と書いた。これが揺るがすことのできない 「私の立場」である。

 上述のような事例は、私の立場からは犯罪が野放しで行われている ことになる。私の中にも抑圧者どもへの呪詛の言葉が渦巻いているし、被抑圧者の名において 「おとしまえ」をつけさせたいという強い思いを禁じえない。

 そやけど、この日本という国でわたしは屋根のある家に住み、電気もガスもあってパソコンも使い、 三食昼寝つきの安閑としたくらしをしている。テロのまきぞえをくったとしても、決して自分を 「無辜の民」というわけにはいかん。それどころか、核爆弾とみまごうばかりの新型爆弾を毎日 アフガンのひとびとの上に落とすことを「毅然と支持」して「参戦」した小泉を大多数が支持して る国の住人やからな、「無辜の民」どころかいな。

 そうだ。私たちの手も真っ黒にあるいは真っ赤に汚れている。「無辜の民」という言葉を私もよく 使うが、もちろん、その中に自分が入るなどと意識したことは一度もない。

 12月11日の朝日新聞に、「9月11日のハイジャック犯に共感を覚えるか」――こうした質問をテロ 発生後、FBIは全米各地の警察にたいし、5,000人のイスラム教徒の外国人にするように求めた、 という記事がのってた。「共感を覚える」といったら逮捕、拘留されるんや。日本では逮捕・拘留 まではまだされへんのに、まず、「テロには反対です」いうことをいってからでないと、次が云わ れへんいうたいがいの論調や。

 で、日本の反戦運動は「テロにも戦争にも反対」ゆうてデモをした。そう云わんと人が集らん?

 こういう「時」と「場所」と「状況」やから、「おまえは『アメリカにつくかテロにつくか』 どっちや、はっきりせえ」と聞かれたら、わたしは「テロにつく」と答える。それがわたしの立場や。 わたしは、非暴力直接行動の立場から、テロを否定せえへん。やむにやまれぬものとして否定しない。 肯定する。
 これにも私は同感する。ましてや、今のイラクでの戦いでは、明らかにアメリカとその同調国家の 軍隊は「侵略軍」であり、イラク人の抵抗は正当な「レジスタンス」である。

 そのわたしの非暴力直接行動の立場をごく原理的にいうと――

 どんな手段であれ、抑圧と闘うことに対しては肯定する。やられてるものがやりかえすのは、 当り前や。
 やりかえす手段として、せっぱつまった、他に余地のないものとして出てきている暴力的手段 (テロも)は、第三者的立場にあるものにとって、よい、わるいとかの評価や批判をこえた、 どうしようもないもんや。

 暴力は結果として強い装備のものが勝ち、弱い者が負ける。勝った者は、その勝利を守るために、 いよいよ暴力的構造的にならざるをえない。革命の歴史はこの悪循環が、暴力によって断ち切れ ないことをおしえている。

 「弱者」にとって、自分が支持した強者の勝利は、決して自分の勝利とはならない。それは歴史 が充分おしえている。

 わたしが、たとえば今回のテロの側にたつ、という時、あくまで非暴力直接行動の立場からである。 非暴力を力とする以外に闘いはない。

 テロを支持するか、せえへんのかの前に、自分は権力の側に立つのか、 それと闘う側にたつのかの問題としてあると思う。
 そやから、抑圧と闘うものであるかぎり、それが暴力闘争であろうとなかろうと支持するのがわた しの「非暴力直接行動」の立場や。
 「支持」というのは、自分もいっしょになって爆弾なげる(そんなことは決心だけでは簡単にできる ことやないけど)とか、いうこととはちがう。
 「支持」とは、自分の立場はどこにあるかいうことをはっきりさして、それをうちだしていく ことや。


 それにしても、今回の「テロ」はすごかった。これほど世界中を震撼させた「テロ」はいままでの 「テロの歴史」のなかではなかったことや。それはたぶんに現代都市建築の構造上の問題 (東アジア反日武装戦線の三菱爆破で死傷者が出たのもビルのガラスというガラスが壊れて地上に 降注いだことが大きい。)やらが重なっての偶然やけど、アメリカとそれにつながる世界の体制、 経済そのものを揺るがすほどのものやった。そして世界中のひとびとがいままで知らんかったこと に目を向けさせられた。

 復讐としてのテロは成功してもそれで体制を転覆したりすることはでけへん。むしろ失敗のほうが 圧倒的におおいんや。難波大助にしても、和田久太郎にしても、伊藤博文を狙った安重根は成功し たけど、それで日本政府が揺らいだいうことはない。
 それに反して、その反動の方は確実に何十倍何百倍にもなってかえってくる。パレスチナの人々が どんなに歯軋りしても、抵抗としてのテロをやればやるほど、イスラエルはそれを口実にミサイル を打ち込む。戦車をくりだす。

 報復は報復を生む。憎みあう者は似る。テロでは実際どうにも収拾がつかんいうことをわたしらは、 以前にもまして思い知らされたことになった。
 それでも抑圧されるひとびとがおる限り、テロはなくならんやろ。この悪 循環を断ち切るのは、「非暴力直接行動」の「力」を力として見出す以外にない。

 遠いアフガンのひとたちが、まいにちまいにち、ミサイルや新型爆弾で塵のようにふきとばされて いるのをテレビで見ながら、結局ひとびとは塵のように死んでいくほかないものなんか、いうこと をつくづく思わされた。それでもなおひとびとは営々と生き続けている。その「力」はいったい 何や。

 それは、やっぱり、大昔からひとびとが共同してきた、そのくらし方そのものがもっている、非暴 力直接行動――生産、創造、遊戯、そのよろこびとおもしろさ――以外にはないんや。その「力」 を自覚すること、わたしらにはそれしかないんや、いうことをいままでにまして、強く思った。

 「第151回」(1月12日)で私は次のようになことを書いた。
 「日常の生活とは国家意思の反映であり、規範意識の馴致過程の謂いで」あり、私たちの意 識深く馴致され埋め込まれている規範意識は「我が内なる保守・反動」に他ならない、と。
 「内なる保守・反動」を抱えたままでは私は「私の立場」を堅持できないだろう。

 私たちは物心ついたときから、親兄弟・学校・マスコミなどを通して「支配者の思想」を 身につけさせられてきた。どんな進歩的なイデオロギーを持っているかなど、何の指標にも ならない。「内なる保守・反動」こそ問題だ。それを一枚ずつ引き剥がしていくことが自己 教育であり、たゆみない自己教育の結果はじめて「内なる保守・反動」を真に棄揚し得るだろう。

 そのとき、私はもっとアナーキズムに接近するように思われる。