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148. 選挙について(1)
2005年1月9日(日)


 朝日新聞(朝刊)が1月6日から「新年 日本の皆さま」と題するインタビュー記事の連載を始めた。 2006年を政治決戦の年と捉え「次の時代の政治に何が必要なのか。私たち はどこに目を凝らせばいいのか。」をテーマに、いわゆる識者に聞くという趣向だ。

 トップバッターが塩野七生さん。塩野さんの著書の基調にある人間に対する価値観は、「みずから おかれた状況を冷静に把握し、果たすべき役割を完璧に遂行」できる英雄的な人物が最も価値ある人 間というものだ。上記のインタビューでも「ストラテジー」を キーワードに次のように論じている。
 
 この英語の語源は、ギリシャ語でもラテン語でも「ストラテジア」ですが、この言葉は元々、 「困難な状況に直面した時に求められる能力」を意味していました。つまり「ストラテジア」とは、 軍事面に限った言語ではないということです。
(中略)
 これからの日本を決めるのは、今までのように「ストラテジー」を戦争用語と思いこんで拒否し 続けるか、それとも困難な状況を前にそれへの打開策と考えて重要視するかではないでしょうか。
 高度成長など夢になった今、これまでのように無駄をまき散らすことは、もはや我々には許されま せん。ならば、持てる力のすべてを活用するしかない。「ストラテジー」とは、現実を直視した冷 徹な考えとその実行でもあるのですから。

 この見解については、言うように「現実を直視した冷徹な考えとその実行」が軍事行動を意味する のではないのなら、異論はない。しかし「現実を直視した冷徹な考えとその実行」というときの 肝心の「現実」を見誤っていては話にならない。ブッシュの蛮行もコイズミの失政も「現実」を読み そこなったための愚行だろう。

 インタビューの応答は、この後政治のファクターを政治家とメディアと有権者の三者に分けて、 それぞれに対して注文をつけている。そのうちの有権者への注文はこうだ。

 -最後に有権者への注文を。
 政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることです ね。それよりも、民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識すべきです。政治の担当者を生か すも殺すも有権者しだいと思い、その権利を活用すべきです。
 そのための手段は何かと言うと、選挙、そしてスキャンダル。選挙については説明するまでもな いでしょうが、スキャンダルも有効な手段であることに変わりはありません。(後略)

 私には現実が見えていない者の虚妄の言論の見本のように思える。
 「民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識」すればするほど、現実の「民主政治や主権在民」が 虚妄である現実がいよいよ明らかになる。有権者に「政治の担当者」の生殺与奪の力などありはしない。 「選挙」そのものが虚妄なのだ。

 マッチョな人物への傾倒が塩野さんの目線を支配者の側に偏らせている。弱者への視線が乏しい。 「ストラテジー」も弱者への確かな目配りを欠けば単なる英雄崇拝主義でしかなく、危険極まりな い。イシハラのような時代錯誤の愚劣なヤツを担ぎ出してしまう。
 塩野さんが見ている現実は支配階層が企図し流布している虚構でしかない。なぜなら、私たちが 現在手にしている「民主主義」は社会的不平等の上に成立する政治的平等の制度でしかないのだから。

 昨日、「新年 日本の皆さま」の第三回が掲載された。矢作俊彦さん。
 矢作さんの次のような現実認識の方が、私には「冷徹な考え」だと思える。

  ただ最近、案外この国では個人も国家も自立してない方が心地よいのかも知れないと思うことが あるんです。自己責任なんて言葉もそうですが、あれは「非国民」や「売国奴」のような、今使う に使えない禁句の代用として国と国民、双方から選びとられたんですね。
 民主主義も、象徴天皇制なんて言葉も、何かの「お見立て」なんです。この国の近代では、すべ ての言葉が、何かの代用品だったのではないか。
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149. 選挙について(2)=『「非国民」手帖』を読む(31)
投票率を憂う
2005年1月10日(月)

 選挙についての「冷徹な考え」の見本がやはり「撃」の中にあった。私は次のような 現実認識の方に大いに共感を覚える。



俎上の鯉:選挙の投票率についての政府官房長官の談話
料理人 :歪
料理記録日:96年12月号


 ちぇ。何だい。この衆院選投票率は。どうなってんだか、この国は。せっかく、参院選で は五割を切ったのに、また六割も行くか。
 もっとも、テレビや新聞では投票率の低さを嘆き、無関心層の増加を憂いている。その尻 馬にのっかって調子づく政治家もいる。
「投票に参加してくれた人が主役であり、投票をサボタージュした人を私は正当に評価した くない。」 (梶山静六官房長官 10/22朝日新聞)
 こちとら、個人の利害や欲望を国家を媒介して成就させようとする、投票者のいじましさ こそ、《正当》に評価したくないがね。
 政治評論屋や政治屋は、《政治》が《生活》を支えていると思っている。これは全く転倒し た発想である。なるほど彼らは政治を飯のタネにしているだろうが、それはてめえの方の都 合だ。《生活》があってはじめて《政治》が存在する。《生活》の方が《政治》よりも幅が広い のだ。《政治》なんぞに無関心でいても、投票に行かなくても、とやかく言われるいわれはな い。政権は、選挙こそが正当性の証しであるから、国民に投票を要求する。たとえ反対党に 投票したとしても、投票とは政権を認証する行為である。
 選挙を通じて国政に民意が反映する、という神話は、あるフィクションを前提としている。 それは、個々人が一票というかたちで平等な権利を有している、ということだ。
 しかし、政治的平等は市民社会における不平等に裏打ちされている。
対等な個々人の主体 的な判断によって、政治の動向が決せられるなんて全くのうそっばちだ。政治を左右してい るのは、企業献金の多寡であり、労組や宗教組織の動員数であることは明白だ。組織票より 浮動票の方が多いはずだ、てか。カネもヒトもなくてどうやって票を獲得するのか。社会的 不平等の中にこそ、《政治》の決定要因があるのだ。
 投票しなければ、《政治》に参加できないなんて、強制された錯誤に過ぎない。
政治的表現の方法はもっと豊かだ。

 筆者は「政治的表現の方法はもっと豊かだ。」と言っている。次回はその方法を探ることにもなる はずだ。
152. 選挙について(3)
2005年1月13日(木)

 ときどき大杉榮の論文を拾い読みしている。
 すごい人だ。90年ほども前に書かれてたものだが、今の状況の中にひきつけて読んでたくさんの 示唆を受ける。いまだ賞味期限は切れていない。私の思想・感性ととてもよくフィットする。
 より陰湿で巧妙になってきているが「支配ー被支配」の構造は90年前と変わらない。大杉栄の 論文が今なお示唆に富むのは当然と言うべきか。
 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸!   その他一切の社会的諸制度!!
 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代の彼の智 識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組織的暴力と瞞着との協力 者となり補助者となっている。
 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会 の根本事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何物も、正当に 理解する事ほ許されない。
(大杉栄「征服の事実」より)

 がぜん、私のアナーキズムへの関心興味が高まった。現在のアナーキズム・アナーキストたちは その思想をどのように継承し、今どんな活動をしているのか知りたくなった。
とりあえずインターネット。こういうとき、インターネット、便利だなあ。

 【黒 La Nigreco】というサイト

【黒 La Nigreco】


にぶつかり、そこで次のような「選挙」についての 論文に出会った。関西弁のしゃべり言葉で、軽妙なタッチで論じている。しかし中身は 濃い。私はなんだか説得されてしまいそうだ。ちょっと長い論文だが全文を掲載しよう。



あーあ、「選挙」 水田 ふう<BR>

 二十歳になったとき、「選挙」のことでちょっと悩んだ。誰にいれてよいかわかれへん。 次善の人を選べというけど、「何」が次善かもわからん。で、投票にはいかんかった。

 そのあとは田舎をはなれてあちこち住所不定みたいやったから、選挙があっても無関係やし、 まるで関心がなかった。

 ひとつおぼえているのは、都知事選。労組や市民運動してるひとたちがずいぶん応援して、 美濃部さんが当選したんやけど、「革新派」の知事いうことになってるから、いままでより 文句をつけにくなって、かえってやりにくなったと都庁で組合に勤めてた友人がこぼしとった。

 これ、この「組合の友人」がおかしいんだ。「革新派」の知事であろうがイシハラであろうがつける 文句があるのなら、文句を言わなければならない。それが出来ないのなら、その労働組合の存在 理由がなくなったのだ。その人は失業することになるけど、労働組合は解散すればよい。


 ようするに、何でもかんでもすべてお任せしますいうて、そんなこと頼むつもりもないのにわ たしらの代表やいう議員を選ばされるのが選挙なんや。そんなんで(大阪に住むようになって から投票用紙がくるようになったけど)ついに一回も選挙にいったことがない。

 そやけど、市民運動のなかから立候補をたてたり、それを応援する運動がすぐそばにあったりした 時は、「反選挙」なんてよういわんかったし、なんやぐわい悪いここちでだまってた。
 六ヶ所村の村長選には、これは、落選まちがいなしやけど「核燃白紙撤回一本槍」いうんで一週間 泊まりがけで応援にいった。選挙にかかわった唯一の例外。



 私は「次善」が捨てきれず、時には三善四善のこともあるが、たぶん一度も棄権したことはない。 しかし私が選ぶ「・・善」はきまって落選する。
 私の選んだ候補が当選したのは次の二件ぐらいかな。

 以前三宅村に居住しているとき、アメリカ軍の「夜間発着訓練」の誘致問題が起こった。 そのときの選挙で、反対派の村長と村議を応援し、投票した。反対派の村長が当選し、議員構成も 逆転も逆転、反対派が圧倒的多数派になった。

 もう一つは最近の話。
 区議会議員の選挙で、友人の紹介で知った無党派の候補者に投票した。その方は当選し、今区 議会で孤軍奮闘している。

 都議選、国選と舞台が大きくなるに従って、私の支持する候補者はきまって落選する。<
153. 選挙について(4)
2005年1月14日(金)

(水田ふうさんの論文の続き)
 七、八年も前やったか、全国の「反原発」の市民グループが地方ブロックをつくって選挙にうって 出た時、何かの集まりで、ついうっかり「わたしは投票にはいかへんねん」というたら、「そういう のは非国民や」と、はげしい感情的反発が会場から出て、びっくりしたことがある。


 そのような場で「非国民」などという言葉が飛び出るとは、さぞびっくりしたことだろう。 自分(たち)は健全な国民という意識があるから「非国民」という非難が出てくる。この種の 市民運動の限界だな。真摯に本質的に闘うものを「過激派」と非難する心性と同じだろう。ともあれ 期せずして選挙の本質を暴露したことにもなると言うべきか。


 「あれはアナキストやから」という声も聞こえて「投票に反対するなら爆弾でもなげるんやな」とも 云われた。ほんまに爆弾でも投げたいわい。でもそれはいっとき、自分のきもちの解消にはなっても 事態はひとつも変わらん。もっとワルなるやろ。

 いま思ったら、たしかにその時は、一票でもほしかった反原発の運動仲間にとっては、「非国民」 よばわりしたいくらいに切羽詰った気持ちやったんやろ。

 それにしても、選挙のカラクリなんてミエミエやと思うのに、本気で自分たちの「代表」が選べるな んて必死になったり、そうかと思えば、あきらめながら、「次善」?にいれて、歯止めをかけようとす る真面目な人がおるから、みんなで選んだ国会とか政府なんてことにされるんや。わたしにはどうした って、選挙制度というのが諸悪の根源に思える。(*註・1)
 絶対反対してるのに、道路やダムや橋やゴルフ場や堤防や原発や飛行場や……みいんな選挙 のたんびにできてきたんとちがうか。



 そうだよなあ。選挙をやる度に状況は悪くなる。支配者どもは「民意を得た」などとほざいて、意のまま に事を運ぶ。私、いままでとっても「真面目な人」を演じてきたが、これからは心を入れかえて不真面目に なろうかな。

 以下、選挙制度の変遷とその問題点を論じている。選挙制度とアナーキズムの歴史の学習のつもりで読んでみる。 アナーキズムとは何なのかも分かってくるように思う。




*註・1「普選まで」
イ・明治22年の憲法発布、23年の国会開設で、明治専制政府は、
 一応近代国家の形をととのえる第一歩を踏み出す。とはいうも
 のの「年15円以上の国税を払う25才以上の男子のみ」が有権者
 で、つまり絶対多数の貧乏人は、「政治」のカヤの外で何も文
 句が云えんというかたちやから「貧乏人に参政権を!」という
 のは、自由党以後、明治社会主義に共通するスローガンやった
 ともいえる。

ロ・明治39年、出獄した幸徳秋水は、身動きもできぬ閉塞した状
 況のまま、むしろ脱出のおもいで海外の旅へと出た。しかし半
 年ほどの滞米だけで帰国、早々「帰国演説会」を開いた。それ
 が「世界革命運動の潮流」と題して運動の大転換をといて、内
 外へ大衝撃を与えた――「経済的同盟大罷工を主張する直接行
 動論」――やった。

それについて吉川守圀は、

「この演説にしばしば引用されたのは、350万の投票を有する独
逸社会党に始まる議会政策への批判であり、果然社会党としては
それこそ寝耳に水とも称すべき、全然予期せぬ一大波浪に見舞わ
れた形であった」―荊逆星霜史―

とかきのこしている。

ハ・この幸徳が主張する直接行動論に対し、堺・山川らは、幸徳
 寄りのやゝあいまいな中間的立場をとる一方、田添鉄二、片山
 潜らは専ら「普選」を掲げて、社会主義運動内に二つの流れが
 顕著にでてくる。

ニ・それが大正の中期になると「大杉らアナ派サンジカ派」と
「一応アナ寄りの中間派」それと「普選派・のちそれにまぎれ込
 んだボル派の政治運動派」という三区分になる。あっさりいう
 たら、「反選挙派」と「普選派」。


 2
 そして、長い間のすったもんだの運動のあげく、1915(大正14)年、3月~4月にかけて、 いわゆる「アメ」と「ムチ」の抱き合わせといわれて「普通選挙法」と「治安維持法」(以下 普選法と治維法と略)が公布実施されたんやった。(*註・2)

 「アメ」と「ムチ」というのは、第二次山本権兵衛内閣法相・平沼騏一郎(こいつ、幸徳秋水 大逆事件を指揮した検事上がりの曰く付のワルや)が、――犬養毅の要求する「普選」にたいし、 「それに同意してやるが、共産党などの結社を禁ずる法律を出すが賛成するか」ともちかけ、 同意を得た、――と近刊の岩波新書『思想検事』(萩野富士夫著)にも書いてある。

 冶維法はそんな経過で、「国体ヲ変革シ、マタハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結 社ヲ組織シ、マタハ情ヲ知ッテコレニ加入シタモノハ十年ノ懲役(これ、三年後には勅令で 「死刑」にかわる)、マタハ禁錮ニ処ス」という第一条だけでもあきらかなように、戦前昭和の 大狂気時代を現出する法律や。としたらそれと抱きあわせの普選法は、よっぽど甘いオイシイもん でなければならんワケになる。


*註2 「治維法第一号」 
 ちょっと脱線。「冶維法」の第一号適用は、大正15年1月の京
大学連事件とよばれる「社研」の活動禁止に始まるといわれてる。
ところが、岩波の『近代日本総合年表』には、冶維法施行まだ
一ヶ月そこそこの大正14年欄に「6月17日・警視庁、大阪の秘密結
社〈黒社〉(ブラック社)の幹部二人を、最初の治安維持法で検挙。」
と載ってるんや。これ多分、戦後の『平民新聞』編集をやってた
久保譲さんのことやろ。

 久保譲さんは、大正12年3月、明大を卒業して、実家の大阪に帰り、
『黒社』をつくって活動をはじめるんやけど、もちろん秘密結社とか、
幹部なんていうようなたいした組織やない。年表の出典や資料がわか
らんのでなんともいえんけど、大正12年12月16日、大阪でひらいた
大杉栄の追悼集会に、久保さんは発起人の一人になってる。開会の辞
を述べ、さらに『黒社』の代表として弔辞を読んだと記録されている。

 その時の弔辞が激越で、秩序を乱すとして岡部よし子、矢野準三郎
その他二人と共に中止を命じられてる。そんなことでずっと目をつけ
られて、無政府主義者やから、私有財産否定やろ、いうて早々まず狙
われた――のとちがうか。



 さて、その普選法の公布によって、三年のちにはいよいよ選挙が実施されるというんで (女子、小人、朝鮮人、台湾人をのぞいて)、貧乏人も投票できることになった、とい うんやから、アナ派以外の無産派の殆どの運動体は、普選派はもとより、どっちつかず の中間派も、皆にわかに政党をつくって選挙運動へといっせいに流れていった。つまり 猫も杓子も選挙に打って出て、世の中を変えよういうて、アメ?にとびついたわけや。 (平沼らのしかけにひっかかった。これ、ほんまはフセンやのうて冶維法を通すための 「伏線」やったんやな。)

 そして昭和3年2月に行われた第一回普通選挙の結果は?というたら、全国に「無産政党」 がいっぱいできて、数百人が立候補したあげく、当選したのはたったの八人!
 やっぱりそれまでどうりに、民政党・政友会が絶対多数をとって、政治はちっともなにも かわらんどころか、冶維法ばかりが横行するようになった。

 そんなら、当時のアナは何してたんか。

 わたしはこのところ向井さんの手伝いで「運動史」 をちょこっとかじってるんやけど、 そんな普選へ普選へとなびいていく流れに対して、例えば昭和2年6月「反政党運動」いう 新聞を江西一三、山本忠平(陀田勘助)らがつくったり、政党集会などへぶっこわしの殴 り込みをしかけたり演説会を開いたりするんや。(そこで云うてる中身はあたりまえのこ となんやで。自分らのことを、人にたのんだり、お願いしたりなんて、ひちめんどくさい ことせんと、自分らのことは、自分らで直接にやろういうことを云うてるんや。)(*註・3)

 それはすぐつぶされて、そのあとは冶維法の弾圧と軍国化の下で、力を殆ど失っていく。

*

 1967年に、アナキスト松村潔さん「無告窓」が、「棄権」を呼びかける五万枚のハガキを東京 都内にくばった。朝日新聞の命名では、「棄権勧誘事件」というのやけど、松村さんにしてみたら、 バクダンなげるような思いやったやろ。この頃ハガキ一枚なんぼやったか。一枚10円にしても50万円や。 (わたし、この年高校を卒業して就職して、月給1万2千円やった。)50万なんてごっつい金やで。 でも、こんな大金つこても、マスコミをちょっと騒がしただけで、運動としてはぜんぜんひろがらん かった。むしろバカにされたぐらいや。


*註3 「反政党運動」など 
 普選反対のためアナ派は、たとえば大正14年12月のボル系農民
労働者党の結党式にいっせいにおしかけ、会場占拠する。その共
同行動を契機に全国組織「黒色青年連盟」(黒連)が結成され、
さらに、15年5月に「全国労働組合自由連合会」(自連)がつくら
れる。

 その機関紙「黒色青年」や「自由連合」をみると、組織の中心
として印刷工組合は当然としても、アナならではの分野として
「関東自由労働者組合連合」「東京新聞労働連盟」(配達人)な
どの活動が目立つ。

 なかでも、関東自由の中心、江東自由労組の動きはめざましい。
「自連」紙十号までにあげられている人名だけでも、大沼、山本、
歌川、斎藤、高田、守下、時永、古江、横山、田中(玄)、宮崎、
鈴木、滝沢、窪田、武森、荒井、安西、平尾、牧野、大野、久保、
武田、彦坂、らと二十数名に及び、たまたまひらいた六号には
(復刻版60頁)「横死労働者鎖供養―検束20余名―」とか
「北海道、監獄部屋打破のための調査に派遣していた宮崎、
十月末帰京」の記事がみられる。

 そして昭和2年6月、この「江東自由―(アナ活動をする時は
「黒旗社」を名乗った)」の有志が中心となって刊行されたのが
「反政党運動」で、新聞型2頁、大衆啓蒙・宣伝紙として発刊された。

 執筆者は、山本忠平、横山煤太郎、難波正雄、江西一三(署名人)。
(江西さんは、70年ごろ、サルートンのアジトへきはった時、何度か
見かけた。たしかその時は、総評の中小企業争議対策部長で、そやか
ら生涯、労働運動ひとすじの人や。)

 「反政党運動」の発刊の趣意を一部抄出すると、

「…闘争手段として採用されつゝあるものに二様の手段がある。一つは
政治運動に依る…共産主義者及び改良主義諸政党であり、一つは非政治
的結束に依る…自主自治的…闘争手段とである。…

 代議政体は政党に原動力を置く。政党とは中央集権的絶対制組織である。
少数幹部の政権獲得闘争の集団である。…無産階級の国家、労働者独裁…
を宣伝している「ソビエト・ロシア」も実質的には、共産党の少数幹部
の絶対専制独裁である。…

 「労働者の解放は、労働者自らに依ってのみ達成される」われらはこの
自からの力を信ずる。…

 われらは現下の政治闘争による力の分散より、経済的分野における戦闘
力の集中をはからなくてはならぬ。分裂と攪乱以外に何もない政党運動を
廃し、経済的共同戦線による全国的総連合こそわれらは望む。それは反政
党的結束になる直接的経済行動によってのみ達成される。…」

 その第二号紙上に発表した支局は、東京十一、大阪六、その他茨城、
福岡、水戸、名古屋、横浜、静岡、旭川、等にあり、大阪では新世界、
東京では新宿、渋谷、銀座の街頭で辻売りが行われた。 その他東京帝
大仏教青年会館で演説会も開かれた。…(「反政党運動」なんて、
今ではちょっと考えられん積極的な提起やないか。)
(つづく)
154. 選挙について(5)
2005年1月15日(土)

(水田ふうさんの論文の続き)

 普選施行以後、投票の意味をもっとはっきりさせてる例が敗戦後のアメリカ占領軍によって改正 された選挙法や。

 こんどは普選法以上にもっとひろげられて、国民の半分にあたる女が有権者になった。それで女 たちは一体どういうことになったんか。それから50年ほどたったけど、女たちはどれだけ自分らの 世界を獲得できたんやろ。「リブ」の五年十年の方がもっと大きいものを生み出したとわたしは思う。


 ちなみに、戦後の第一回衆議院選挙は1946年4月10日に行われた。女性当選者は全464名中39名(進歩党6、自由党5、 社会党8、共産党1、協同党0、諸会派10、無所属9)だった。


 そして無告窓の棄権ハガキ運動以来、反政党はもとより反選挙の声もきかん。それはもはや運動 にはならんのや。なにしろ投票を拒否するもんは非国民やもん。

*

 辺見庸さんが、「1999年問題」いうことをしきりに云うてはる。こんな事態になってんのに、 景気の心配ばかりでなんも運動がおこらん。自分もまわりの人もだんだんと年とって、運動する のにくたびれてしもた、ということもあるけど、これは、やっぱり、選挙制度にみんなからめと られてしまったせいやと私は思う。制度の枠の外に出ることなんか、てんから考えられんように されてるんや。

 そして「ガイドライン関連法」たら、「盗聴法」たら、「国旗・国歌法」たら、「改正住民基本 台帳」たらいうエライもんが、あれよあれよというまにわたしらの選んだという代表によって通って しまった。こんなもん、実際、だれが賛成しとるんや。

 つくづく選挙制度いうのは、国民という名のわたしらが責任をとらされるという制度や。

 無関心のおまえが悪い、投票したのはおまえたちやないかいうて。そやけど、投票しても何も変 らへん。たまたま一人とおってもどうにもならんという仕組みになってる。

 つまり投票は国民の権利というけど、ちょうど「刀狩」みたいなもんや。一枚の紙で全権委任さ せられ、国はそれを逆手にとって、なんでもしよる。文句言う奴は、合法的暴力――法律――で取 り締る。国民の権利どころか、権利を取り上げ、文句いわさん制度が選挙制度なんや。(*註4)

 まじめで、こころざしある人ほど、「みんな政治に無関心や」ゆうてなげく。そして、投票に行け、 と説教する。左翼も、筑紫哲也も、加藤典洋も同じや。誰ひとり、投票するな棄権せよいう人はおれ へん。

 けど、わたしは、投票率が低いのかて、もっともっと低くなったらええ。10%切ったらおもろいで、 と思ってるんや。

 私は選挙では「真面目人間」やっているが、内心バカバカしく思ってはいた。 時々友人たちに「投票率が 低ければ、政権の正当性があやしくなり面白いのでは」というようなことを言うが当然のこと 歯牙にもかけてくれない。でも投票率が10%をきるほど低くなれば、こりゃ、面白いなあ。

 今イラクで傀儡政権の正当性を虚構するための選挙が準備されているが、選挙の欺瞞性が露骨に 表れているいい見本だ。選挙の実行が難しい状況のようだが、行われたとして、投票率が極端に低け れば面白い。傀儡政権はどう対処するだろうか。注視したい。


*註4 「擬似非暴力体制」  「現代暴力論ノート――非暴力直接行動とは何か」(向井孝) に疑似非暴力体制ということがしきりに出てくる。

 今の体制は、改めて云うまでもなく専制国家ではない、軍事国家でもない、民主主義国民国家ということになってる。とは云うても、国家の本質である暴力性はなんも解消されていない。たしかに国の政治は選挙―投票によって、選ばれたわたしらの代表と呼ばれる人達によって行われている。そして、その人たちがとりきめた法律によって、裁判所も監獄も警察も軍隊も暴力装置にちがいないのに、いかにも非暴力の顔つきをして、合法的にわたしらを支配してる。

 けっして暴力による支配ではなく、自縄自縛のこの疑似非暴力体制。これが現代社会の国家の特質や。その疑似非暴力体制をなにより保証しているのが選挙制度なんや。



 かって革命とは、暴動・反乱・一揆にはじまるもんで、「暴力革命」の謂やった。暴力的でない「平和革命」は、空想的・非科学的社会主義としておとしめられるものやった。

 そのことにおいて、幸徳秋水が提起した、非政治的な「直接行動」の現代史的な意味は大きい。

 向井さんは、その「現代暴力論ノート」で直接行動の本来的意味 として、生産・創造・遊戯・そのよろこびとおもしろさを挙げてる。それはまさに、人民のみがもつ「暴ニ非ザル力」なんやけど、その直接の享受を妨げ疑似化して収奪するシステムが、現代の選挙投票に外ならんのや。
 ここで登場する向井(孝)さんは水田さんたちのグループの理論的支柱だったようだ。その著書 「現代暴力論ノート」は、戦後日本のアナーキズム運動における最高の理論的達成と評価されているとい う。がぜん興味をかきたてられた。いずれ読んでみようと思っている。なお向井さんは2003年8月6日に亡くなられている。

 選挙に対峙する行動として「直接行動」が挙げられている。水田さんたちは詳しくは「非暴力直接行動」 と言っている。項を改めて取り上げようと思う。




 アナなんてもんは、もうずっと時代おくれになって、バカにされ、ほんの一部のものずきの人にめず らしがられてるだけやけど、いまわたしらが手も足も出されんようなことになってるそのおおもとは、 直接行動というもんをそもそも「普選」にからめとられてしまったことにはじまるんやと、運動史を みてつくづく思う。

 アメと思ったものが実は、自分の首をやわらかく、じわじわと、自分で絞めるしびれ薬を染み込ませ た真綿やったんや。そのしびれ心地をアメと思いこんで、アナ以外の社会主義はそのはじめから運動し てきたんやった。

 先号で中島君が言ってる「過去からやってくる未来」ということでいえば、いまから百年のむかし、 自分らのことは自分らで決めようというあたりまえのことをあたりまえに云って普選と闘ったアナキ ストと呼ばれる普通の労働者たちがいた。
 そのことはまさに過去からやってきた未来――いまの問題ではないんか。

 人々の意識は、むかしは遅れてて、今のほうがずっと進んでるなんて思ってるけど、とんでもない。 直接行動という言葉の意味をはっきりと自覚して自分たちのもんにしてたのは、百年もむかしのひと やった。

 この後百年たってもまだ選挙制度なんてもんが残ってるかどうかしらんけど、まず政党という政党と 選挙制度をつぶさんかぎり、どうにもならん、と、わたしはいいたい。