2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
65. 私も非国民です。
2004年10月18日


 4年ほど前に、俳優の天本英世さんが「日本人への遺言」(徳間書店)という本を 出しました。(天本さんは昨年3月に亡くなられました。合掌)
 たいへん分かりやすい文章で、反権力・反権威の真骨頂を示すような主張が 単純明快(時には単純すぎて、これはチョッと思う見解もありますが)に述べられていて 小気味よい本です。その中の「非国民について」という文章を

 『私は常々、「私は非国民である」と公言している。
 「非国民」。
 これは戦争中の言葉である。
 愛国者という言葉の反対の意味に使われる言葉である。
 今の日本で、非国民という言葉を使っているのは私だけかもしれない。
「非国民」=「国民に非ず」
 私は、日本国民をやめたいとさえ思っているのである。日本国民であることが恥ずかし いからである。』


と書き始めています。

 今年の4月、本屋の店頭で立て続けに「非国民」を表題に含む本に2冊出会いました。

   斎藤貴男著『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)
 「噂の真相」のコラム「撃」をまとめた『「非国民」手帖』(情報センター出版部)

の2冊です。即購入しました。どうやら私は「非国民」に大変共感しているようです。 国家権力の支配・抑圧を保護と勘違いし、その奴隷状況を甘受するものを国民と呼ぶなら、 私も非国民のひとりと自認しようと思います。

 我が内なる「非国民」を再確認・強化するために、まず天本英世著「日本人への遺言」の中の「第4章  非国民と愛国者」を再読することにします。お付き合いください。
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66. 今はどういう時代なのか。
2004年10月19日


 改めて今はどういう時代なのか、確認します。
 このページで私も書いてきましたが、1930年代の時代状況との類似から今は緊迫した戦前だと 多くの人が指摘しています。いや、イラクに自衛隊が派遣されたときからもう戦中であると言う 人もいます。いずれも杞憂に過ぎなければそれにこしたことはないのですが、状況はますますお かしくなっています。昨日触れた「共謀罪」などは大日本帝国時代の「治安維持法」よりすさま じい人民弾圧法です。マスコミは全く知らん顔を決め込んでいます。

 天本さんも現在の状況を強く懸念しておいででした。今回は、天本さんの自己紹介を兼ねて、 略歴、基本的な時代認識、この本を執筆するに至った動機などを述べている序文を読みます。

 『想えば、1926年、ガウディがパルセローナで路面電車と接触事故を起こして死んで いったその年(大正15年)に私は生まれ、少年時代・青年時代を送ったのは、天皇を頂点に 戴く日本国家が超国家主義的な狂気の思想に依ってアジア征服・世界征服へと突き進む破壊の 道のちょうど真っ只中となった。私にとっては、尋常小学校時代・旧制中学校時代・旧制高校 時代にあたった。
 その旧制高校、鹿児島の七高造士館(現在の鹿児島大学)の文科乙類(ドイツ語)二年生の5月 (昭和20年)に、動員先の熊本健軍の三菱重工業熊本航空機製作所で赤紙の電報を受けて、本籍地 ・佐賀県鳥栖に近い久留米の野砲隊に私が入隊させられたのは、ちょうど20歳。この国の文部省が 軍部に媚びて、もうこの国に文科の学生など要らぬと私たちを軍部に売り渡した結果の最後の学徒 兵であった。

 狂気の国家の下では、人間の運命などは木の葉の如くに風に舞い、その生と死との差は まさに紙一重となる。
 その断末魔の戦争末期を生き延びた私も、敗戦後も色々のことどもが尾を引き、学生・ 学問の徒としては東大法学部政治学科なるものに入学したそこまで。その後空白の数年間 を経て、人生を捨てたつもりで、まさに乞食になるのと同じで俳優になった。そして、俳 優になったことに悔いはなく、その後、数十年を経て私は今や74歳となる。実に紀元2000年 を迎えることになった。

 私は世界数十ヵ国を歩いた。船で地球一周をして、パナマ運河もスエズ運河も抜け、イ ースター島やキューバやモロッコやエルサレムなど、地の果てまでも行った。とりわけス ペインにはそのフラメンコと栄光の「スペイン市民戦争」に魅せられて1973年以来、 実にちょうど二十回も行ってしまった。そのスペインの地からこの自分の国、日本国家と いうものを見つめてきたのである。
 かつて、私はこの自分の国、日本が好きであった。この国の美しい山や河も、この国の 人々のやさしさや人懐っこさも、はじらいやはかなさも、私は好きであった。だが、今の この国の人々はどうであろうか? あのやさしさや人懐っこさやはじらいやはかなさは、 一体どうなったのであろうか?
 私は74歳となるが、今やあの怖ろしい戦争中のこの国を知っている数少ない日本人 となり、かつ、この国の俳優としても戦争を知る数少ない俳優(私より年上の俳優は本当 に男優10人ぐらい、女優10人ぐらいではあるまいか?)のひとりとなった。
 というわけで、すでにいつ死んでもおかしくない私は、随分と前々から、かつては好き であったこの国の人たちへの遺書みたいなものを綴ってみたいと考えてきた。私が20回 も訪れたスペインという国のそのスペイン人たちの生き方と比較し、日本人たちがどうし てこういう風になってしまったかを考えながら、およそ戦争と平和とか、愛国者と非国民 とか、呆けと鋭さとか、長生きとはかなさとか、職業上の麻痺とか……そんなことどもを 書き残したかった。』


 私は1938年生まれで、敗戦の年にはまだ国民学校(小学校)二年生でした。戦中がどんな 時代だったのか、語るほどの記憶はほとんどありません。「あの怖ろしい戦争中のこの国を 知っている」日本人はますます少なくなっていきます。天本さん世代が書き残してくれるこ とどもが最後の貴重な証言でしょうか。
 大日本帝国時代をよく知る天本さんが、現在の状況を、私たちと同様に、次のように認識 しています。

   『それが、最近になって何を血迷ったか、あの自自公の政治家たちが一緒になって、突然、 「ガイドライン法案」、「盗聴法案」、そして「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案」を 国民の同意なしに勝手に決めてしまった。
 およそ、ひとつの国が危険な方向に、恐怖政治の方向に走り出そうとする時には必ずそ の直前に慌てていくつもの危険な法案を可決してしまうものである。それは、私の生い立 った大正末期から昭和の初期に「治安維持法」などの怖ろしい法案をいくつも決めてしま ったのと酷似する。
 私は、こういう本を何年も前から出したいと計画していたのだが、本当に出そうと決心 したのは99年8月9日、それは七高の理科同級生15人を影も形もなく消した長崎の原爆の日で あり、私が出演したTBSの終戦特別ドラマ「あさき夢見し・・・」(向田邦子原作、久世光彦 演出)が放映された日であり、「日の丸・君が代法案」が可決されたその日であった。  これはかつて私が好きであったこの国、この国の人たちへの、つまり「日本人への遺書」 である。』
67. 「非国民について」(1)
2004年10月20日


 今回から上の表題は天本さんの本の中での表題をそのまま使っています。

 前々回に引用した文の続きです。

 『戦争中の日本人は、「天皇陛下のために死ね」といわれ、「皇国不滅」とか、「鬼畜米英 に負けるな」などといって戦っていた。「一億一心」という言葉も生まれた。日本国民一 丸となって、天皇陛下のために戦えという意味である。
 この皇国の人々は、天皇は神であるから、絶対に戦争には負けるはずがないと思ってい た。神風が吹き、奇跡が起こり、日本は世界を制覇すると思っていたのだ。恐ろしいこと である。今の子供でもそんなことは考えない。
 この時、きちんと戦局を見抜き、正常な判断力を持っていた人たちは、非国民と呼ばれ た。日本国民ではないといわれたのだ。
 この戦争は間違っていると考えたり、この戦争には反対だと発言した人たちは、非国民 と呼ばれ、監獄に入れられた。監獄の中で特高警察に拷問され、たくさんの人たちが拷問 によって殺された。
 戦争中は、愛国者たちが非国民を警察に密告していたのである。ウチの隣の家の男が、 この戦争は負けるといっている、彼は非国民です、と、警察に密告する。すぐに警察が来 て、男は連れていかれ、監獄に入れられた。  日本人が、日本人を売り、殺していたのだ。』


 大日本帝国時代に最も猛威を奮ったのは「不敬罪」でしょう。山中恒さんの 『ボクラ少国民』に「特高月報」に記録されている「不敬罪」の事例が三例挙げられています。 次の事例は明らかに密告によるものでしょう。

庁府県名 石川
種  別 不敬不穏言辞
氏 名 金沢市池田町一番地二、荒木勇次郎・六二
概 要 被疑者は昭和十七年四月以来居町会庶務部長として現在に及びたるが本年八月末頃同町会の席上に於て町会役員数名に対し
 天皇陛下は宮殿下に羽二重を御下賜になったと新聞に出て居るが天皇陛下からになると羽二重が自由に手に這入るから結構なものや、衣料切符はどんなになって居るのかな云々
 と不敬の言辞を弄したる外七、八月頃の役員会席上に於ても時局に関し人心を惑乱すべき言辞を弄す。
措 置 九月三十日検挙取調の上本月十二日不敬罪及言論出版集会結社臨時取締法違反として送局


 密告だけではありません。電車や映画館には、不敬罪を摘発すべく虎視眈々と獲物を狙う私服刑事 (移動警官と言うらしい)がうろちょろしていたのです。次の二事例は移動警官による摘発です。

庁府県名 長崎
種  別 不敬言辞
氏名年齢 横須賀海軍工員宿舎・志佐甚平・三二、同・井上七太郎・二七
       (前)
概  要 上記両名は四月十三日公休日を利用し郷里に赴き其の帰途列車中に於て
 志佐/オイ皇太子殿下に会って来たか(子どもの意)
 井上/皇太子殿下には会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)
 志佐/やって来たか、シゲ(シテの意)帰ったっじゃもん
 と不敬会話を為し居たるを同乗の移動警官に於て検挙す
措  置 本件は徴用工員の事犯なるを以て憲兵隊に引継き取調中

庁府県名 徳島
種  別 不敬言辞
行為者 本籍・徳島県美馬郡脇町字猪尻二二七、住所・徳島市中佐古町一四、郵便集配人・高 木幸盛・当二十年
概 要 六月二十七日徳島市内東宝両国館に於て映画(日本ニュース)観覧中
 皇后陛下別嬪デナイデナイカ云々
 と不敬言辞を弄す
措  置 不敬罪として検挙


 たわいのない日常会話まで監視されていたのです。全く狂気の沙汰としか言いようがありません。 石原のイデオロギー(虚偽意識)など、この狂気と五十歩百歩でしょう。しかし、狂気だから怖いのです。
 前回に触れた「共謀罪」が成立すると、喫茶店や飲み屋に移動警官が出没することになるのでしょうか。
68. 「非国民について」(2)
2004年10月21日


 『天皇を神とは思わないという、いたって普通のことを考えていた人たちが、天皇を神だ と信じていた狂気の日本人たちによって殺された。これはどこかオウム真理教の事件と似 ていないか。
 私は、戦争中に非国民だといわれていた人々こそが、本当の日本人であったと思ってい る。
(中略)
 ものを見抜いていた人間と、洗脳されていた人間、どっちが本当の愛国者であったとい うのか?
 日本人は非常に怖い民族である。洗脳されやすいのだ。
 今の日本人の内面は、戦争中の日本人とほとんど変わっていないと私は見ている。また 何かのきっかけで、うわ一っと団体で走っていく可能性のある民族だと思っている。絶え ず狂気を抱えているのだ。
 非国民であると公言することは、非常に勇気のいることである。
(中略)
 私の住んでいる国では、戦後半世紀以上経った今でも、人と違う意見を持つものは非国 民と見なされる。物事を自分だけの目で見抜こうとするものは排除される。これは、戦争 中の日本と何ら変わらない。
 このような国の中で、正常な感覚を保っていくには、非国民として生きるしかない。  非国民でいなければ、真実を見抜く目を持ち続けることは不可能なのである。』


 天皇教に最も洗脳されやすいのは教師ではないかと、私は思っています。そして洗脳された教師が 最も忠実な布教者になります。『良心的・・・』に次のような文があります。

 『 数年前、「国歌斉唱」時にはいつも大声で歌う同年代の教頭が、「私は誤った戦後民主 主義教育を受けてきたことを悔やんでいる」と言ったことにショックを受けた記憶があ りますが、戦後半世紀以上経ってこんなことになろうとは……』(筆者・伊藤千恵さん)

 こういう手合いの教師は、いまは大真面目で天皇教の布教という使命感に燃えているのでしょう。 そして情勢が変われば、都教委の命令で仕方なかった言い訳をして、またころっと民主的教員面を して恥じません。敗戦時の多くの教師がそうでした。
 生徒より多少知識が余分にあるだけなのに教師面する教師、それを切り売りしてきただけの教師、 いつも上ばかりを見ているヒラメ教師、読むものと言ったらスポーツ新聞だけの教師、つまりは 「真実を見抜く目」を培うための営為(「自己の内部の世界を現実とぶつけ、検討し、理論化してゆ く過程」-吉本隆明)など全く無縁の教師たち・・・

 42回で、( )内の吉本隆明の文を引用して、私は次のように書きました。
 「優性遺伝を引きずったままの庶民的内部世界をそのまま放置していては、どんな進歩的・革新的思想 をつぎ木しても、その思想は、ラジカルな問題に出会ったとき簡単に転向し、無効となります。」
 教師たちはいま、今までの自らの生き方とその思想が試されるような「ラジカルな問題」を突きつけ られているのです。(勿論、教師だけの問題ではありません。私も問題を共有しています。)
 引用文中の教頭のような転向者が多数派になっていくのではないかと危惧しています。誤っていたのは 「民主主義教育」ではなく、それまでの自分自身の生き方なのですが、彼らがそのことに気づくことはまず ないでしょう。情けないことです。
71. 『君が代問題について』(1)
2004年10月24日


『 九九年夏、君が代をパンクで歌った忌野清志郎という歌手のCDが、発売前に急遽、発 売中止になった。これがニュースになった途端、なんと、小渕首相と野中官房長官が揃っ て、そのCDは発売しても大丈夫だと保証した。一体、何が大丈夫なのか。
 戦争が終わって半世紀以上経ったというのに、だんだん世の中の雲行きがおかしくなっ てきている。
 ところで、君が代の変形バージョンの先駈けをやったのは、実は私の母校である北九州 の若松高校 (旧制若松中学校) なのである。
 今から二十年ほど前に、ここで有名な事件が起こった。
 若松高校の音楽の先生が、卒業式で君が代をジャズに編曲してピアノ伴奏したのだ。  先生も生徒も、まさかこれが大事件になるとは思っていなかった。
 しかし、まず、右翼が、「君が代をジャズにするなど国家への冒涜だ」といって学校へ 押し掛けてきた。スピーカーでガンガンがなり立てる右翼に対して、今度は、「君が代を ジャズにしたっていいじゃないか」と、左翼が押し掛けてきた。
 右翼がビラを撒く、左翼がビラを撒く。スピーカーでがなりたてる、マスコミもやって くる。若松高校の周辺は、大変な騒ぎになってしまったのである。
 その当時の若松高校の同窓会の会長が、東京の同窓会に来た時にこういっていた。
「いやあ、左翼がいっぱいきてビラを撒いて大変だったよ。でも私たち同窓会の幹部が、 左翼の連中を追っ払ったんだけどね」
 彼は得意気に話していた。私たち東京の仲間は、君が代をジャズにしたっていいじゃな いか、それが何なのと笑っていたのだが……。』


 私には団体や組織に対する深い不信感がある。小さいものではPTAとか同窓会とか町内会。 大きなものでは「国民・・・会議」とか「日本・・・会議」のように「国民」や「日本」を 騙る団体。教育関係ではいわゆる「官製」の研究会。大多数の労働組合にも不信感を持って いる。
 「国民・・・」や「日本・・・」という団体は、支配階級の肝いりの団体か揉み手をしながら 支配階級にすり寄る団体と見てまず間違いがない。とても分かりやすくて見まがうことがない。
 PTAとか同窓会とか町内会とか官製研究会とかは、「まあまあと、みなさん仲良くやりま しょう」団体と私は呼んでいる。こういう種類の団体が一番始末が悪い。ラジカルな問題に直面す るとその本性を表す。必ずといってよいぐらい大勢に順応し権力べったりになる。「左翼を追っ払 って」自慢する同窓会長はいても、右翼を追っ払える同窓会はない。
 もっとも、若松高校の事件への反応の仕方では、右翼と左翼は同じメダルの裏表で、私はどちらも まったくダメだと思う。

ここまで書いて、

『「日の丸・君が代」強制と処分を許さない10・24討論集会』

に参加するため中断した。

 その集会で数年ぶりに、むかしM高校で親しくしていたSさんにであった。まだ現役の教師で、 予防訴訟の原告団にも参加しているという。
 集会の後、久しぶりに一杯やりながら、都立高校の現状などいろいろお話を伺った。その中で、上記の 若松高校のことを私が話題に出すと、Sさんはその時の当事者の小弥さんを支援する会に加入していて、 その会はいまだに活動しているということを伺った。『小弥「君が代」処分を考える会』というそうだ。 その長い闘いに胸を打たれると同時に、今始まったばかりの私たちの闘いも長期戦を覚悟し、不退転の決 意をすべきと、思いを新たにした。

 集会に出かける前は、団体や組織のいかがわしさと、参加した集会の報告を書くつもりだったが、 一杯やってしまった。明日から、少しずつ、責めを埋めよう。お休みなさい。