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534 新新宗教批判(1)
宗教は花盛り
2006年6月25日(日)


 「現代日本の宗教社会学」(井上順孝編 世界思想社 2001年刊)は新宗教に ついて次のように述べている。
 「新宗教」という言い方は最近ようやく定着してきたが、一般には、「新興宗 教」という言い方のほうが通りがよい。実際問題として、意味の違いはさほど 大きくはないが、若干のニュアンスの差がある。マスコミ・ジヤーナリズムで は、新興宗教という表現のほうが一般的である。この場合、「新興宗教」は、 「既成の宗教に比べてやや価値的に低い宗教」という意味合いが込められること がある。次々に出現する新しい運動を、もっぱらその新奇さに注目して扱って きた、という経緯が関係している。
 これに対し、研究者は概して「新宗教」という言い方をするようになってき ている。新宗教という、近代以降に出現した新しいタイプの宗教を学術的な対 象として扱っていこうというのが、その場合の基本的立場である。したがって、 どのような運動・教団が新宗教といえるかについても、おおよその了解がある。

 では、どのような運動・教団が新宗教に含められているのであろうか。<表1>に 掲げたのは、組織の大きな新宗教、あるいは注目されることの多い新宗教であ る。これらは、数ある新宗教のうちのごく一部にすぎない。『新宗教事典』に は、300余りの新宗教教団がリスト・アップされているが、これもある程度研 究がなされつつある教団の数であり、存在さえほとんと知られていない運動や 教団がまだ数多くある。


 <表1>は教団名の「あいうえお」順で作成されているが、それを設立年代 順位並べ替えたものを掲載する。(さしあたっては不要な項目を除外した)


 <表1> 主な新宗教教団一覧      
   設立年  教団名      公称    教祖名
             信者数  
(1)1815  黒住教       30万   黒住宗忠
(2)1838  天理教       186万   中山みき
(3)1840  禊 教       10万   井上正鉄
(4)1857  本門仏立宗     53万   長松日扇
(5)1859  金光教       44万   金光大神
(6)1892  大 本       17万   出口なお
                      王仁三郎
(7)1912  中山身語正宗    38万   八坂覚恵
(8)1914  大乗教       30万   杉山辰子
(9)1919  円応教       43万   深田千代子
(10)1919  松緑神道大和山    6万   田沢清四郎
(11)1925  ほんみち      32万   大西愛治郎
(12)1928  念法真教      76万   小倉霊現
(13)1928  霊友会       321万   久保角太郎
                      小谷喜美
(14)1929  解脱会       23万   岡野聖憲
(15)1930  生長の家      85万   谷口雅春
(16)1930  創価学会    ※ 500万   牧口常三郎
(17)1935  世界救世教     84万   岡田茂吉
(18)1936  真如苑       70万   伊藤奥乗
                        友司
(19)1938  立正佼成会     647万   慮野日敬
                      長沼妙佼
(20)1945  紫光学苑     ※ 3万   川上盛山
(21)1945  天照皇大神宮教   44万   北村サヨ
(22)1946  パーフェクト
        バティー教団  125万   御木徳近
(23)1947  善隣教       51万   力久辰斎
(24)1949  霊法会      ※20万   吉岡元治部
(25)1950  仏所護念会     223万   開口嘉一
(26)1950  妙智会       99万   宮本ミツ
(27)1951  白光真宏会    ※10万   五井昌久
(28)1951  妙道会       22万   佐原忠次郎
(29)1952  弁天宗       30万   大森智弁
(30)1953  大山祇命
        神示教会     84万   稲飯定雄
(31)1954  阿含宗      ※26万   桐山靖雄
(32)1956  霊波之光教会    74万   波瀬善雄
(33)1958  天道総天壇    ※ 3万    (陳庚金)
(34)1959  世界真光文明教団  10万   岡田光玉
(35)1960  イエスの方舟   ※ 26   千石剛贅
(36)1970  神慈秀明会     44万   小山美秀子
(37)1972  いじゆん      ※1万   高安龍泉
(38)1978  崇教真光      47万   岡田光玉
(39)1984  オウム真理教     ―   麻原彰晃
(40)1986  幸福の科学  ※20~30万   大川降法

 (注)※は面談,教団資料,その他による推測であることを示す。
 それ以外の数値は「宗教年鑑」(1992年版)による。「―」は「不明」
 を表わす。

 この他に「外来の新宗教」の主なものとして以下のものをあげている。

(41)エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会) 創始者チャールズ・フッセル(1852-1916)
(42)末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教) 創始者ジョセフ・スミス(1805-1844)
(43)世界基督教統一神霊協会(統一教会) 教祖・文鮮明(1920-)
(44)ラジニーシの運動 創始者バグワン・シュリ・ラジニーシ(1931-1990)

 (41)と(42)はどちらも19世紀にアメリカで創始されたキリスト教系の宗教である。 (43)は第二次世界大戦後に韓国で創始されたキリスト教系の宗教である。 また(44)は瞑想的宗教運動で、ヒンドゥー教系の宗教で、やはり戦後に創始さた。

 ほとんどの教団が信者数を水増ししていることは容易に推察できる。上程書では 表に書かれた数の3分の1から5分の1ほどと推定、教団によっては10分の1以 下の場合もあると言っている。

 水増し信者数を割り引いても百花繚乱、宗教の花盛りという観である。
 <表1>の教団数は40だが、そのうち江戸時代末期に生まれたものが5教団、 明治から敗戦前までに生まれたものが14教団、敗戦後のものが21教団となる。 特に敗戦前後30年間に約半数の教団が誕生している。「『新宗教事典』には、 300余りの新宗教教団がリスト・アップされている」そうだが、たぶんその半数 以上は敗戦前後に創設されたものではないだろうか。
 実生活ではもちろん文化面でも精神面でも混迷を深めていく時代状況の中で、 立ちながら枯死している既成宗教にはもうすがれなくなった人たちを新宗教が 吸引していった。

 ところで「宗教社会学」では教祖の精神構造や教義内容の分析・解明まではた ち入らない。社会的な現象面だけで宗教を扱っているので、「新興宗教=新宗教」 と十把一絡げでくくってしまっている。
 古田さんの分類(「第530回」参照)は既成宗教との系列関係を基準にしてい た。それに対して同じ「第530回」で少し触れた吉本さんの分類は、さらにつっこ んで教祖の精神構造や教義内容の分析・解明を通して得たものであり、論理的 然性をもった分類だと私は思う。そこでは真の宗教批判がくりひろげられてい る。次回から吉本さんの論考を読んでいくことにする。

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535 新新宗教批判(2)
新興宗教と新新宗教
2006年6月26日(月)


 これまでの私の貧しい読書範囲で知った限りでは、宗教を止揚するための 徹底的な批判をしている著作者が3人いる。田川健三さんのキリスト教研究、 吉本さんと古田さんの親鸞研究がそれである。
 また、新新宗教を真正面から本格的に論じている人は吉本さん意外に知ら ない。手元にある著書から教団の教義内容の分析・解明をしている論考を 拾い出してみた。年月日は初稿発表時である。

1970年1月30日「新興宗教について」(国文社「詩的乾坤」所収)
1991年2月~1996年4月(ロッキング・オン「消費のなかの芸」所収)
    「大川隆法『太陽の法』論」
    「『原理講論』の世界」
    「『生死を超える』は面白い」
    「麻原彰晃『亡国日本の悲しみ』『日い出づる国、災い近し』」
1993年6月17日「講演録『新新宗教は明日を生き延びられるか』」
     (春秋社「親鸞復興」所収)
 オーム真理教によるサリン事件以来、オウム真理教のことばかりでなく宗教 一般についても、対談や講演で多くの発言をしている。それらも適時参考に する。

 まず「新興宗教について」を読もう。ちなみにこの論文は「オーム真理教」や「幸福 の科学」が創設される十数年前に書かれている。

 この論文では吉本さんは「新興(土俗)宗教」と「土俗」という言葉を付け 加えている。ここでいう新興(土俗)宗教の特徴を二つ挙げている。
 一つは教祖が<女性>であり、教団の管理面での実質的な長はその<女性>の夫 か兄弟か父親か親族である。
 二つ目は、宗教の普遍性は地域的にしか成立しなく、その観念的な水準も時代の 最高の水準からではなく、文化的により低い水準から教義が発生している。

 「天理教」がこのような条件を満たす典型的な新興宗教といえる。前回の <表1>で女性が教祖となっているものは、教団名だけからの推測になるが、 そのほとんどは神仏混合の土俗信仰を基盤にしているようだ。

 上記の第一の条件を持たない新興宗教は本質的には「古い宗教の再興」とい える。こういう意味で鎌倉時代の新興の諸教団は「新宗教」である。「生長 の家」や「創価学会」や「立正佼成会」なども「古い宗教の再興」と考えられ るので「新新宗教」と呼ぶのがふさわしい。

(あらあためて上記の諸論文を確認したら、吉本さんは常に「新興宗教」「新宗教」 「新新宗教」を厳密に使い分けしてはいない。しかしここでは使い分けていくこと にする。)

 新興宗教は、あまり知的ではない<女性>が更年期になって神憑りの症候に なってつくりだした教義を根本原典としている。『教祖である<女性>が神憑りになったはてに、精神病理学上の症例となり、ついに人格的な崩壊に達して荒廃し てしまった』事例もあるという。
 「神憑りの症候」という要件から考えれば、新興宗教の教祖は理論的には男性 がこの<女性>の代同物となりえる。

 ところが、しばしば更年期に達しないうら<若い>女性が神憑りになり、その 神憑りの<神>が神仏混合の土俗信仰の対象であるといった事例ある。このば あいの<女性>はおおく宗教者とならずに、予知者・占い師・人生相談役に なっている。

 この種の<女性>は宗教者とおなじように信仰対象をもっているし、常人よ り過敏な<超心理学的>な能力をもっているのは確からしくおもわれるが、信 仰宗教の教祖である<女性>のように<超心理学>的な症候を、人間はいかに 生くべきかという倫理と結びつけることを知らず、<超心理学>的な能力を、 そのまま商品として売りに出す結果になっている。そして当人はいっこう自覚 していないのだが、この種の<超心理学>的な能力が、他者の心的な状態に、 容易に共鳴しうるいわば原始的心性ににた心性を、常人よりもおおく保存して いるにすぎないことは申すまでもない。つまり、他者のつきあたっている心的 な世界の内容を、あたかも、じぶんが察知しえているかのように振舞いうる能 力をさしているといっていい。

 私は見たことがないが、テレビで細木数子という女性占い師がもてはやされ ているようだ。この人などはこの事例の一つだろうか。
 吉本さんは、田中佐和という<超心理学>的な能力を商品として売っている 若い<女性>を取り上げている。
536 新新宗教批判(3)
宗教的な心的体験の例・夢と入眠幻覚
2006年6月27日(火)


 吉本さんは、田中佐和という<女性>の著書『夢の事典』から、「じぶんの超能力の由来につ いて」のべている個所を引用している。新興宗教や新新宗教の教祖たちの心的体験を 読み解くための練習問題として、吉本さんの解説とともにそのまま引用する。

(夢の記述)
『 私は六歳の頃、生涯を通じて忘れることのできない夢を見ました。

 私は近くの神社の境内で、友だちと遊んでいました。
 そこへ、鼻の高い異様な服装をした人がやってきて、木の葉でつくったウチワ で私をさし招くのです。友だちはこわがって皆逃げだし、私一人がとり残されて しまいました。
 すると、その異様な人物は、つかつかと私に近づくと、『神様が呼んでいる』 というがはやいか、私を背負って、たいへんな勢いで走りだしました。
 気がつくと私は、深い山の中の大木の下に坐らせられていました。私をそこに 連れてきた怪人の姿はすでになく、大木の茂みの間に高い石段がみえます。その 石段の上には、白い衣をまとった女の人が、にこやかな笑みを浮べてたたずみ、 私を手招きしておられます。
 私がこわごわ立って、その女の人のそばへいきますと、その人は『よくきた ね』と私の頭を撫でられ、『これから五回、このお山に登ってくるのですよ』と いわれると、私の手に、金色に輝く珠をのせてくださいました。

 そこで私は目がさめたのです。さめてから後も、しばらくは自分の掌をひろげ てみつめるほど、その金色の珠の感触が、ありありと残っているのでした。

 その朝、私が父や母にその夢の話をしたところ、女の神様をお祀りしてある高い山といえば、京都の愛宕山に違 いないということになりました。
 愛宕神社の御祭神は伊邪那美命で、道案内をしてくれた怪人は、天狗さんだと いうことです。』

(入眠幻覚あるいは白日夢の記述)
『 その後、私は夢の神様の仰せに従って、小学校一年の夏休みを利用し、ある ときは父と、あるときは母と、海抜1000メートルの愛宕山へお参りしました。
 それはまったく夢でみたとおりに、大木の茂みのなかに高い石段があり、その うえに、神様がお祀りしてあるお社(やしろ)でした。  その昔、和気清麻呂が、京都御所鎮護のために造営したお宮で、火の神様とし て名高い霊場です。

 いよいよ得望の五回目の参詣のときです。母といっしょに愛宕山の麓に立った 私は、目の前に一頭の猪がいるのに気づきました。母にそのことを告げました が、その姿は母の肉眼には見えません。
 〝私だけに視える″これが私の霊視のはじまりです。
 そして、私が山を登りかけますと、猪は私のうしろにまわって、キバでぐんぐ ん押しあげてくれるのです。私は、いつもなら三時間もかかるけわしい山道を、 一と息で登ってしまいました。

 あとで聞いたことですが、その猪は、愛宕の神様のお使いでした。伊勢の神様 は鶏、春日の神様は鹿、稲荷の神様は狐というように、神々にはそれぞれのお 使いがあります。あの猪は、愛宕の神様のおいいつけによって、私の満願の日の 参詣をたすけてくれたのでしょう。
 その日を境に、私には霊能が開け、透視、霊視、霊聴などの心霊現象が始まり、 神様のお告げを受けることができるようになりました。』

 この記述について、吉本さんは次のようにコメントしている。

 これは幼なくかなり素直な記述であるが、かくべつ本人が嘘をついているわけ ではないといっていい。

 前半のこの夢の話は、巫女譚として民話や口承のなかにしきりに記録されてい るものとおなじで、かくべつ変ったところはない。そして夢にみた神社の光景が、あと でじっさいに参詣した愛宕神社の「大木の茂みのなかに高い石段があり、そのう えに、神様がお祀りしてあるお社でした」という光景と一致していたことにもか くべつの神秘性はない。もちろんこの<女性>は、両親にこの神社のことについ て知らされていたか、あるいはじぶんでは知らずに幼時に、じっさいに連れてい かれた光景を、意識せずに知っていたのである。

 後半の記述は、この女性の入眠幻覚あるいは白日夢の記述である。目の前に 一頭の猪があらわれ、その猪が山道を登るのを背後からキバで押しあげてたす けてくれる。この猪は愛宕神社の祭神の使いである。しかし、この猪は一緒 にいた母親には視えないとかいている。このとき、この女性は入眠状態あるい は白日夢の状態にあった。もちろん、そんな猪が実在しているわけではなく、 この女性の入眠幻覚のなかに形像としてあらわれたものにすぎない。そして この女性は猪を愛宕信仰の宗教的な共同幻想の表象とみなしている。

 この<女性>は、この人眠体験を契機として一種の精神病理学上の幻想や幻聴 をひんばんに獲得しうるようになった。じぶんでは「その日を境に、私には霊能 が開け、透視・霊視・霊聴」がはじまったとかいっているが、もちろんそんなこ とにはなんの意味もない。ただ、手易く病理学上の幻視や幻聴を体験するように なったというにすぎない。

 この人眠幻覚の状態は、分裂病患者の体験する症候とすこしもかわりないが、 病者としてかんがえ難いのは、この<女性>が入眠幻覚の状態で、他者の心的 状態に容易に移入しうるため、この他者体験が入眠幻覚にある客観性(普遍性) を与えることになりえているからである。それとともに、最初の入眠幻覚が、 土俗的な宗教体験としてやってきたため、自身にとってはこの心的な状態が一種 の優越感(常人以上の能力をもっているという自負)によって統御されていて、 人格的な崩壊をきたさないための支えになっていることによっている。


 新興宗教や新新宗教の教祖たちの心的状況もほとんどは分裂病患者あるいは パラノイアと同じ症候と思われる。にもかかわらず人格的崩壊にまで至らないの は『この心的な状態が一種の優越感(常人以上の能力をもっているという自負) によって統御』されているからだと指摘している。

 では同じような心的体験をしていて、それを教義化して宗教の教祖となる者と 「予知者・占い師・人生相談役」になっていく者との違いはどこにあるのだろう か。
 田中佐和という<女性>と天理教の教祖中山みきとを対比して、吉本さんは次 のように言っている。

 わたしには理由はただひとつのようにおもわれる。この<女性>は、若いため とるに足るほどの生活思想もなければ、現実的な労苦にたえて獲得した人生観も 世界観もない。この意味ではさんざん現実的な生活苦をなめて生きてきた貧農の 主婦が、更年期になってから突然入眠幻覚に没入しうる能力を獲得し、<貧困の 惨苦から逃れる>という願望を、自己の入眠幻覚とむすびつけて理念化したばあ いと異っているといっていい。こういう主婦のばあいには、現実の生活的な惨苦 から逃亡しようという機制が、病理学的な入眠幻覚の体験とある必然的な結びつ きかたをしている。彼女はじぶんの入眠幻覚の体験によって母権制時代の太古の 巫女とおなじ位相で、神から告知をうけるものとして択ばれたという優越性の意 識に保証される。また、じぶんの現実的な生活の苦しい体験を、貧困な村落人の 共同の課題に結びつけることができる。つまり、人間はいかにして現実的な生活 の惨苦から逃亡し、これを克服しうるかという課題を、じぶんの生理的な異常体 験と結合させ、これを一種の教義の形で理念化することができるといっていい。 したがって彼女は必然的に土俗宗教(新興宗教)の教祖でありうるはずである。

 しかし、すべての新興宗教のうち、あるものはとるにたらぬ蒙味な奇怪な宗教 となり、あるものはかなり優れた宗教でありうるというのはなぜであろうか?
その理由は、おそらく、あらゆる思想の優劣を問う場合とあまりちがっていな い。彼女の生活体験から獲得した思想が、体験に裏うちされて血肉化した迫真性 をもっているとすれば、彼女が農家の無智な主婦であっても、その生活思想は、 宗教体験としての入眠幻覚とむすびつけられて、かなりの普遍的な真理をもちう るはずである。


 続いて吉本さんは、分裂病的症候を宗教へと結び付けていった典型として、 天理教の教義の分析を行う。
537 新新宗教批判(4)
天理教の教義
2006年6月28日(水)


 天理教の教祖中山みきが神憑りになったのは天保9年41歳のときであった。 そのときの入眠幻聴は教義書の記載では「我は元の神、実の神である。この 屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みき を神のやしろに貰い受けたい。」というものであった。もちろん、これはとと のえられた表現で、じつさいは土俗宗教に特有な<女性>の降神体験の幻聴の、 しどろもどろな表現であったにちがいない。
中山みきの入眠体験から演繹された宗教的な本質とその段階は、みきが<親神> とした天理神の性格づけと、天地創造神話によってとらえることができる。

 まず第1点目の『天理神の性格づけ』をしている教義は教団では「人間を生か し育てる10の守護」と呼んでいる。教団はその意義を次のように述べている。

「この世は、親神の身体であつて、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に 充ちています。そして、その恵は、有りとあらゆるものの生命の源であり、すべ ての現象の元なのです。つまり、私たちの命はいうに及ばず、天地自然の間に行 われる法則、人間社会における秩序など、ことごとく、親神の守護によるので す。その守護の理は、これに、神名を配して、説きわけられています。」

 そして親神=天理神(天理王命)の成り立ちを次のように説明している。

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[十全の守護]

くにとこたちのみこと
  北・人間身の内の目うるおい、世界では水の守護の理

をもたりのみこと
  南・人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理

くにさづちのみこと
  南東・人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理

つきよみのみこと
  北西・人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の 理

くもよみのみこと
  東・人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理

かしこねのみこと
  南西・人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理

たいしょくてんのみこと
  北東・出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では 切ること一切の守護の理

をふとのべのみこと   西・出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の 理

いざなぎのみこと
  中南・男雛形―種の理

いざなみのみこと
  中北・女雛形―苗代の理
----------------------------------------

 これに対する吉本さんの分析を要約する

 「空間的方位概念―人間の身体性―世界の総和概念」という対応づけをしている 点は「垂加的な神道理念の影響」であるが、その点を除くと、天理神の概念は、 <性神>の概念と<農耕神>の概念とを結びつけたものである。そしてここで 示されている時間性は、農耕社会の起源の時期まで遡行できるもので、この段階 では制度的には国家以前の<国家>、いわば血族の共同性を基盤とする集落国家 しか想定することはできない。

 大和王権(天皇制)の宗教的な教義書として『古事記』を読んで比べると、 古事記には<農耕神>の概念はあるが<性神>信仰の概念は想定することがで きない。つまり時間性としては、中山みきがしめしている天理神の方が時間性と しては古い段階にある。
 従って天理教をはじめ、あらゆる新興宗教(土俗宗教の教義的な本質は大和王 権(天皇制)のもつ宗教的本質と同質であるが、ぎりぎりのところでは根本的に 対立するほかはない。一方は一方を否定することによってしか存立しえない本質 をもっているといえる。

 当然、天理教の天地創造神話は『古事記』に記載された天地創造神話と異って いる。天理教の天地創造神話はつぎのようである。

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 この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気 なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと 思いつかれた。

 そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混じっ ている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄 ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある 元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受け られた。

 続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさ せて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、 及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々を うをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。
 いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の 理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、 この道具の理に授けられた神名である。

 更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、 艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、 食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き 出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと、を ふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。

  かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなっ た。 そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、こ れを人間のたねとされた。 そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様 は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の 間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込ま れた。

 それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日 かかって、子数のすべてを産みおろされた。
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、 九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみこと も、身を隠された。
 しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を 宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、 九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。
 そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十 九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これま でに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑う て身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。

 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆 出直し、最後にめざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの 人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護に よって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日 月も、漸く区別 出来るように、かたまりかけてきた。

 そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人 ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようにな った。
 次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活を するようになった。
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年 は文字の仕込みと仰せられる 。
----------------------------------------

 バカバカしくて読んでいられないぜ、と言いたくなるが、信者にとっては 「真理」以外のなにものでもないのだろう。教団はこれを「この世の元初まりの真実 話」と御託宣している。
 記紀の天地創造説には縄文国家から弥生国家への歴史的推移の反映を抽出 できるという史料的意味がある。しかし史料的意味を離れれば、その天地創造 説のバカバカしさは中山みきの天地創造説となんら変わりがない。いや、どの 宗教の天地創造説も私にはバカバカしい。

538 新新宗教批判(5)
天地創造説の比較・天理教と記紀
2006年6月29日(木)


 古事記を原文(古語)で読むとなにやら神秘めいた雰囲気になるが、口語に 翻訳すれば天理教の教義と同じレベルで見比べられる。と思ったからかどうか 分からないが、吉本さんは古事記の天地創造説を武田祐吉訳から引用している。

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 皆、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、お名をアメノミ ナカヌシの神といいました。次の神様はヌカミムスビの神、次の神様はカムムス ビの神、この御三方は皆お独で御出現になって、やがて形をお隠しなさいまし た。

 次に国ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわ漂って いる時に、沢の中から葦が芽を出して来るような勢いの物によって御出現になっ た神様は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいま した。この方々も皆お独で御出現になって形をお隠しになりました。

 以上の五神は、特別の天の神様です。

(中略)

 そこで天の神様の仰せで、イザナギの命、イザナミの命御二方に、「この漂っ ている国を整えてしっかりと作り固めよ」とて、りっばな矛をお授けになって仰 せつけられました。そこでこの御二方の神様は天からの階段にお立ちになって、 その矛をさしおろして下の世界をかき廻され、海水を音を立ててかき過して引き あげられた時に、矛の先から滴る海水が、積って島となりました。これがオノコ ロ島です。その島にお降りになって、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てにな りました。
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 チョッと横道に入る。前回、「記紀の天地創造説から縄文国家から弥生国家への 歴史的推移の反映を抽出できる」と書いた。これは古田武彦さんの神話読解を念 頭に置いたことだった。そのあらましは次のようである。

出雲風土記の「国引き神話」
『童女(おとめ)の胸すき取らして、大魚のきだ衝き別けて、はたすすき穂振り 別けて、三身(みつみ)の綱うち挂(か)けて、霜黒葛(しもつづら)くるやく るやに、河船のもそろもそろに、国来々々(くにこくにこ)と引き来(き)縫へ る国は……』(「すき」は「金+且」という漢字)

 記紀の「矛」(金属製)を用いた「国生み神話」と出雲風土記の「すき(木製) と綱」を用いた「国引き神話」を比べると、後者は縄文時代の神話で前者は弥生 時代の新作神話であることは明らかだ。この二つの国生み神話を結びつける神話が 「国ゆずり」神話である。ただし実際は「譲渡」ではなく「強奪」だったことを 論証した上で古田さんは次のように述べる。

 最初の記紀神話の聴衆、それは筑紫の弥生期中葉の人々だったであろう。彼等 にとっての常識は、〝出雲大神中心の神話″だった。これに対して〝天照大神 は、配下の一神″これもまた常識だったのである(もちろん、当時これを 「神話」と呼んではいなかったであろう。叙事詩であり、「語り」であったであ ろう)。

 この常識に対して、「新作」の神話が説かれた。―記紀神話だ。
 〝今まではそうだった。しかし、これからはちがう。これまで家来だった天照 大神は、主人になったのだ。最高神の位置にとって代ったのだ。その証拠に「国 ゆずり」を大国主たちは承知した。そして現に「天孫」の子孫たるわたしたち が、お前たちを支配しているではないか″と。

 武力による権力奪取という既成事実を、「神話」(語りごと)の形で合理化し、 民衆説得の用具とする。然り、神話は筑紫の弥生権力者たちにとって、〝権力 正統化のために不可欠なP・Rの手段″として、まさに創作されたのであった。 (「風土記にいた卑弥呼」より)


 以上は「372 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(26)「神代紀」の解 読(3) ― 「大八州」はどこか 2005年8月25日(木)」の補足でした。

 さて、中山みきの「天地創造説」と古事記の「天地創造説」を比べて吉本さ んは次のように論述している。

 もっとも興味深いこの二つの創造神話の差異は、天理教の創造神話が<人間 創造>神話であるのに、大和教(天皇制)の創造神話が<国土創造>神話であ ることである。またもうひとつの差異は、天理教の創造神話が、なぜか中山み きによって魚類(水棲類)の比喩によって貫徹されていることである。もちろ ん、天理教の神話から後世の垂加的な神道の影響と、『古事記』のような制度 的な支配の行為がなされていないという点を捨象することを前提としたうえの ことである。

 「どぢよ」という中山みきの比喩は、田圃に生棲し、おそらく古くから食用 に供されたにちがいないことから、その必然性を了解することができるが、そ れからあと芋づる式に魚類(水棲類)の比喩ばかりがやってくるのは、天理 教の発生が奈良盆地の山辺郡というもともと海にそれほどかかわりない大和王 朝の地盤にあることをかんがえると不可解な気がする。中山みきには個人とし て特殊にそういう嗜向があったのかもしれない。これを天理教神話が<性神> 信仰の段階にあることとかんがえあわせると、教義的な時間性がしめしている ものは、大和教(天皇制)よりも古く、また土俗的であることが了解される。

 そして、また、天理教にとって<国生み>の神話は無意味であった。かれら にはもともと国土支配の現実的な意企はなく、<性>信仰に基盤をおいて、農 耕社会の貧困な人間の心的な世界を救済しようとする意企しかなかったからで ある。中山みきにとってもっとも重要な緊急な問題(急き込み)は、天理神の 概念に包摂され、現実的な無一物の状態でもなお成立する<陽気ぐらし>、い いかえれば宗教的な解放天国(法悦)の生活であった。そのための条件として 宗教的な奉仕と一定の勤行が要求される。信仰の対象となる神は人間の<性> (生殖)そのものであり、この<性>(生殖)の意味は農耕とも結びつけられ、 また、つねに宗教的対象(神)とそれを具体的に実現するものとしての人間と のあいだの<架橋>物としての宗教的な意味があたえられる。

 大和教(天皇制)が現実的な勢力をもちえたのは、それが制度的なものと結 びつけられ、政治的な権力への<架橋>がいつもかなり具体的にかんがえられ たためである。しかし天理教が現実に大きな宗教として発展した理由はまった くちがっている。この宗教には本質的な意味での政治的権力への志向はないと いっていい。ただ教祖中山みきには、かなり高度で深刻な生活思想があり、そ の発言(おふでさき)に普遍的な思想体験としての一般的な真理が、かなり高 度に存在している。いいかえれば、中山みきの発言は無智な農家の主婦によく あるよたよたした方言と神憑り的な韻文によってなされてはいるが、生活思想 としてはかなり高度なものがあり、しかも、その発言が、常人ではとても及ば ない無鉄砲な徹底した自己放棄と生活放棄に実践的に裏付けられているため、 おおきな影響力をもっているといっていい。


 数日前に我が家の郵便受けに天理教の「教祖120年祭 こどもおじばがえり」 というチラシが入っていた。幼児が喜びそうなかわいいイラスト入りのきれい なチラシだ。「こどもおじばがえり」という行事は毎年行われており、対象は 幼児から中学生までで、毎回約30万人の子どもが参加しているという。正面切った 宗教教育をしているわけではなさそうだが、幼児期から宗教を身近なものに して、物心つく頃に違和なく宗教に入っていける素地を作っておこうというわ けだろう。
 幼稚園から大学まで宗教団体を母体とする教育施設は相当の数になる。 教育基本法改悪を目論む連中が宗教教育の項目を盛り込むことも企てているが、 もう十分宗教教育は盛んじゃないか。
 いや、公立学校では天皇教教育をしようというのが連中の意図なのだった。 しかしそのもくろみが私立校に及ばない保証はない。そのとき各宗教は「天皇教」 にどう対処するだろうか。折り合うのか、抵抗するのか。大日本帝国時代と同 じ問題がむしかえされることになる。ここでも「2度目は喜劇」という悲劇が 演ぜられることが危惧される。