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468 「良心の自由」とは何か(1)
宗教の壁を越えるために
2006年4月8日(土)

 古田さんの公正で誠意にあふれた知的姿勢と、その理論の緻密で強固な論理性にすっかり魅せられてしまった。古田さんをもっと早く知るべきだった。最近そのことをつくづく悔やんでいる。
 いま新刊書店で手に入る古田さんの著書は朝日文庫の5冊(古代は輝いていた三部作・盗まれた神話・「邪馬台国」はなかった)だけのようだ。私はそれ以外の本を古書店で探し出している。その中に毛色の変わった一冊がある。

『神の運命―歴史の導くところへ』(明石書店、1996年刊)

 中心の論文は「近代法の論理と宗教の運命」で「三十代のはじめ、一気に物した小篇」だという。1964年に発表されている。これに出版時に書き下ろした序説「宗教の壁と人間の未来」と終章「古代の倫理と神話の未来」を加えて一冊としている。

 通読して、私が自らの課題の一つとしていた「宗教の明暗」を考える上で格好の一冊であると思った。改めて精読しようと思う。内容が豊かなので、私の読み方もいろいろな枝道に分け入ったり戻ったりしながらの長い道のりになることが予想される。たぶん、今追いかけている他のテーマにも立ち寄ることになると思う。煩をいとわず気長にやっていこう。

 序説や終章も興味深い話題に満ちているが、まずは本体の論文を読んでいく。この論文のテーマを古田さんは序説の最後のところで次のように述べている。


 かって、イエスを「マリアの不義による私生児」とののしり、バイブルの中のイエスの事績を「架空」化して笑いものとする。そのような所業が流行したこともありました。18~19世紀の「啓蒙主義」の時代です。
 否、最近まで、ソ連時代には、その種の「反宗教宣伝」が公の機関で行われていました。
 しかし、こんなものは「児戯」です。幼稚です。だからこそ「ソ連邦の解体」と共に、消滅し去ったのです。
 このような一種幼稚な「宗教批判」とは全く別の場所で、わたしは「宗教が人類に対しもった役割」の分析と批判が重要だと考えています。
 宗教は、人類の生んだ至宝です。魂の痕跡です。限りなく貴重なものです。
(中略)

 けれども反面、宗教は人類に対し、多大の損害をもたらしつつあります。
 最近の、日本における某新興教団のことはいわずもがな、イスラエルでも、ユーゴでも、英国とアイルランドでも、宗教の「恵み」より「害」を痛感する。それは地球上の多くの人々のもつこころではないでしょうか。
 「ベルリンの壁」は崩壊したけれど、このような「宗教の壁」を人類は乗り越えられるか。「克日」ならぬ、このような「克教」に成功するかどうか、これこそ21世紀の人類にとって、不可避の課題ではないでしょうか。



 古田さんは、この問題意識は「わたしの人生を一貫してきた」ものであり、「この問題に正面から深く鎮静したい」と述べている。古田さんの専門の研究テーマは「親鸞」だという。
 ところで、ブッシュのイラク侵略も宗教の「害」の一つだ。ブッシュを操っているのはキリスト教原理主義だという。

田中宇の国際ニュース解説(http://tanakanews.com/)

によると

「聖書には、イスラエルと反キリスト勢力との最終戦争(ハルマゲドン)が起きるとき、ローマ時代に昇天したキリストが再び地上に降臨し、至福の時代をもたらしてくれるという預言が書かれているが、この預言を早く実現するため、イスラエルの拡大や、中東での最終戦争を誘発しているキリスト教原理主義の勢力が、アメリカ政界で強い力を持ち、ブッシュ政権を動かしている」

という。
 ブッシュはキリスト教原理主義の熱心な信者だそうだし、ブッシュの背後にキリスト教原理主義の勢力があることは確かだろう。しかし、ハルマゲドンを早く実現するために政治政策が決定されているという点にはチョッと首を傾げたくなる。もし本当にこのようなばかげた思い込みを軸に人類の現代史が紡がれているとしたら、全くやりきれない話だ。世界最強のならずもの国家がオウム真理教と同じ妄想にとり憑かれている?!

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469 「良心の自由」とは何か(2)
憲法第19条
2006年4月9日(日)


 北海道の美唄市立中央小学校の卒業式では教員に「不起立」をさせないために、教員には椅子を用意せずに立たせたまま式を行ったという。こんな事を得々として行って権力に阿諛追従する校長のなんという醜悪さ!、滑稽さ!
 しかしこんなことがまかり通ってしまうほどこの国の民主主義は瀕死の状態にある。自分で自分の首を絞めている権力への阿諛追従者が多数派を占めている。
 本題に入る。(以下断りがない限り引用文は『神の運命』からのものである。また傍点を振って強調をしている語は太字で替えた。)

 古田さんの議論は憲法19条の吟味から始まる。

 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 この条文の内の「良心の自由」という言葉は『一般の日本国民にとって決して熟した表現ではありませんし、むしろ、よく考えてみればますますはっきりしなくなるような、単語のつらなり方です。』と指摘している。
 「良心」を広辞苑は次のように解説している。

『何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪を退ける個人の道徳意識。』

 そして「良心の自由」という項を置いて次のように言う。

『自分の良心に反する信念や行動を強制されないこと。多くの国の憲法で保障されている。』

 「多くの国の憲法で保障されている」はずの「良心の自由」がなぜ日本国憲法ではしっくりしないのだろうか。裁判の判例や憲法学説はこの「良心の自由」どう解釈しているのか、見てみる。主に三通りの解釈がある。

第1 最も一般的な判例上の解釈。
 条文の「思想及び良心の自由」は「<思想の自由>と<良心の自由>」と二つの事項が並立としたもの読むのが文法的には正しい。しかしこれを「<思想及び良心>の自由」と読み、「良心」は「思想」の一部分で、思想と良心は程度の差異に過ぎず、<思想及び良心>は「思想」と同じ意味になるとしている。
例 東京高等裁判所判決昭和24・12・5第4特別部
 「良心の自由とは思想の自由のうちその遺徳的判断に属する部分を指していうのであって広い意味での思想の自由の中に含まれる」

 すっきりしない部分を「見てみぬ振り」をしたことになる。これですっきりはしたが、「それなら、初めから<思想の自由>と簡潔に言えばよいではないか」という疑問が残る。

 この第1の解釈は『実際的な適用の場としての判例』には利便さを提供するが、一字一句を厳密に解釈する憲法学者には納得できないだろう。


第2 憲法学者の解釈
 条文を常識どおり「<思想の自由>と<良心の自由>」と読んで、その違いを次のように解釈する。
「思想とは人があることを思うこと」「良心とは人が是非辧別をなす本性により特定の事実について右の判断をなすこと」をいう。
 これに対して古田さんは次のようにコメントしている。


 「思うこと」が思想で「判断する」ことが良心、そういった良心の意味は少なくとも現在までの日本国民の辞書にはない語意ですが、その上、そういう「良心」の「自由」となると、世界法制史上に類を見ない珍奇な立法となり…



 古田さんは、佐々木惣一著『日本国憲法論』(有斐閣)から引用している。私の手元にある佐藤功著「日本国憲法概説」(学陽書房)は第1の解釈と第2の解釈のどちらをも立てようとした苦心惨憺たる解釈をしている。

 「思想」の自由と「良心」の自由との区別については、思想の自由はいわば論理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であり、良心の自由はいわば倫理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であるということができる。また良心の自由は、思想のうちその道徳的判断に属する部分であり、さらに根底的な部分であるともいえるであろう。しかし、両者の関係は密接不可分であって、その境界はつけ難く、特に両者を厳密に区別する必要はないというべきであろう。


 「思想」は「論理的判断」であり、「良心」は「倫理的判断」で「思想のうちその道徳的判断に属する部分」だという。ますます混迷を深めていると言わざるを得ない。


第3 英語の‘conscience'の訳語として解釈する。
 ヨーロッパ・アメリカの近代立法に見られる'conscience'はもっぱら 'liberty of conscience and worship'という表現で用いられている。この表現はロックを嚆矢とする。(1690年"Letters concerning toleration")
 ここでは、『良心〈conscience〉というのは外形的な宗教行為たる「礼拝」〈worship〉に対立する「内心の信仰」という意味』になる。田中耕太郎はこの立場で「良心の自由」を解釈しようとしている。
 この伝統的な用法で「良心の自由」を解釈すると、むしろそれは「信仰の自由」と言った方がぴったりということになる。これなら世界的用例に従った解釈であり、意味はすっきりとするが、日本国憲法内の整合性からは全くすっきりしない。なぜならそれは次の第20条と重複することになってはなはだ奇妙なことになる。

第20条 ①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

470 「良心の自由」とは何か(3)
二つの「不可侵性」
2006年4月9日(日)


 前述のような迷路は現行の憲法内のみでの理解・註釈をする必然的な帰結であり、『いったん巨視的見地に立てば一目瞭然の理解を一挙に獲得することが出来る』と古田さんは『日本国憲法作製の思想の分析的理解』を試みる。

 その立場の大前提は次の2点である。

第一
 日本国憲法は英文の方が原文的意義をもった点が少なくないこと。
第二
 この第19条、第20条は当時の占領軍政部G・H・Qにとって特に力点の置
かれた部分の一つであると思われること。
 これは新憲法成立の政治的歴史的背景であるポツダム宣言に明言されている。

第10条 言論・宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。

 第一の項からは「良心」はやはり'conscience'の原語から世界史的に
理解すべきだということになる。
 第二の項からは、「良心(conscience)の自由」は当然第20条に含まれるにかかわらず、特に第19条にも書かれた理由を考察することができるとし、古田さんは第19条と第20条の述語の違いに注目する。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

「侵してはならない」
 ここに大きな意味がある。旧欽定憲法の屋台骨の第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」と対応する。新憲法では、まず第2条で「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として」とあり、第2条、第19条以外では次の三カ所で使われている。

第15条 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
第21条 通信の秘密は、これを侵してはならない。
第29九条 財産権は、これを侵してはならない。


 ここで注意すべきは、世界立法史上、基本的人権、つまり自然法としての人間の自由権は、その立法史上の淵源の位置に「良心の自由」を見出すということです。
 だから、第19条の「良心の自由……侵してはならない」は「思想の自由……侵してはならない」の一部として独自の意義を解消してしまうべきものでなく(昭和24・12・5第4特別部の東京高裁判例のように単なる「道徳的判断」を指すような位置に矮小化することは、とりもなおさず独自の意義を解消することです)、むしろ新憲法中の「不可侵」性をになう基本的人権中の淵源的中核として、旧憲法の天皇の不可侵性、言いかえれば、天皇信仰(天皇統治の神聖国家帰依)の不可侵性に対決する重大な意義をになっているもので、新憲法の中核的生命と言わねばなりません。

 ここには法的には米英的近代法体系の基本概念よりする、天皇神権的明治憲法体系への批判が横たわっています。とすれば、この新憲法の第19条の「不可侵」性は決して偶然でなく、むしろこれなくしては新憲法の意義の中心的部分が失われるものと、米英的近代法体系の上に立つ者(占領軍側)からは見えたに相違ありません。

 この点、明治憲法に一応「信教の自由」が認められつつも、〝安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル″限りであったこと、そしてその「臣民タルノ義務」の核心が天皇の神聖「不可侵」信仰にあったことを想起し、そのため、旧憲法条文上の「信教の自由承認」が本質的に潰滅に帰した歴史的事実に思い至れば、新憲法が第20条での「信教の自由の保障」のみに安心できず、第19条に「良心の自由」の「不可侵」を置いたことの歴史的、心理的理由とその意義はあまりに明瞭であると言わねばなりません。


 この欽定憲法と新憲法との「不可侵性」の対比の必然性を、古田さんは当時のアメリカにおける日本研究の様相から論証している。

 次に古田さんは「憲法内部から見ると不透明だが外から見ると透明に見えるという『魔術鏡的性格』は、一体何にもとづくのだろうか。」と問う。


 「良心の自由」という言葉がまだ熟していないような ― そういう近代化の伝統をもたない、現代日本の基底的非近代性がその原図だ、と言うのが一番通りのいい説明かもしれませんが、それならば日本が基底的に近代化すればするほど、この言葉 ― 「良心の自由」は日本国民にとってわかりやすくなってゆくでしょうか。
 そういう見地を保証するような論証を求めても、残念ながらそれが未来への楽天的予想にもとづく他、何の論証ももたぬことは到底おおいかくすことはできません。

 しかし、わたし達はこの魔術鏡の表裏の姿を注意深く観察し、分析することによって、事柄の思いもかけぬ真相に気づくようになるでしょう。その手がかりはアメリカとヨーロッパにおける'Leberty of conscience'の素性を刻明に客観的に批判的に洗い上げてみることです。
471 「良心の自由」とは何か(4)
魔女裁判(1)
2006年4月12日(水)


「魔女の秤」
 あらかじめ被疑者の体重を予想する。実際にはかってみて予想体重と一致するか、それ以上の場合は潔白が承認され、それより下の場合は、魔女と認定される。
「水審判」
 女を縛って水に入れ、水中に沈んだら潔白、浮かんだならば魔女として判定される。

 日本の古代には盟神探湯(くがたち)という正邪判定法があった。それと同種であり、どちらかというと古代的観念の所産だ。私たちにはまったくの迷妄としか思えないが、『一般的な「権威ある」魔女判定法とされ、実際の法廷で使用せられていたもの』だという。

 古田さんはもう一つ、つぎのような判定法を紹介している。

「魔女刺し」
 みんなの見ている前で衣服を頭の上にまくしあげて腰まで裸にし、からだに針を刺さすという拷問。
 こした拷問で自己を魔女と認める自白を強要し、しかも自白しないことがまた魔女の証拠であるとする。
 あるいは、拷問で糾問されても「泣かないこと」が魔女の証拠であると同時に「泣くこと」も魔女が自己を魔女でないかのように見せる詐術とした。

 結局は一度「魔女」という嫌疑をかけられたら「魔女」と判定される以外にない。古田さんは『魔女であるかどうかよりも、魔女というレッテルをはられた犠牲者の存在がいかに社会的必要物だったかを示しています。』と指摘している。

 魔女裁判による犠牲者はどのくらいいたのだろうか。

 ドイツの一地方に任命された審問官はさして長くない、自分の任期のうちに、数百人の魔女を発見し、審問し、処刑したことを刻明に冷静に報告してる。

 『魔神崇拝論』の著者ニコラ・レミ(1530~1563年)も大審院で15年の在任中に約900人の魔女に処刑を宣告したと報告している(平均一週間に一人以上)。

 『これらは決して異例ではなく、全ヨーロッパ各地の通例の状況の一例に過ぎない』という。

 ではなぜかくも不条理で残酷な宗教裁判が行われねばならなかったのか。その現実的社会的意義は何だったのか。
 まず第一に考えられるのは『ローマ法王を頂点とする中世的封建的ヒエラルヒーの強制的圧力』『人民を恐怖心でしめつけることによって階級社会を強力に維持する裁判』というとらえ方であろう。この見地は欠くことのできぬ必要な要件であるが、この裁判の歴史的性格を理解するにはこの見地からだけの説明では十分ではない、と古田さんは言い、この見地だけからは説明しきれない魔女裁判の歴史的な経緯を指摘している。

(1)この裁判が中世ヨーロッパ内で地域的に濃淡の存すること、特にスカンジナビア半島ではほとんど皆無に近かった。逆に近世的先進地域イベリア半島で最も盛んであった。
(2)魔女裁判が猖獗を極めたのは、8世紀以前の封建制度形成期や、9~13 世紀の封建制度完成期(10~13世紀が法王極盛期)でなく、13世紀を起点として17世紀に至る近世期にあたっている。
 中で最も大規模な魔女狩りが行われたのは17世紀全期間。1590~1610年、 1625~1635年、1660~1680年の三期にわたり、約10万人の魔女が焼き殺されている。
 魔女裁判による最後の処刑は1781年、完全消滅は1834年。

 このような蒙昧な裁判がつい百数十年前まで行われていたとは、驚きだ。私(たち)は「中世は暗黒時代」という間違った歴史観を刷り込まれている。その先入観が根強いので、魔女裁判のような極悪非道な人権無視の権力行使は中世の出来事だと、つい思いがちだ。中世が一般に言われるような暗黒時代ではなかったことは、たとえば網野善彦さんの諸研究がそれを証明している。

 さらに次のような事実も第一の立場だけでは不十分であることを示している。

 「魔女」に擬せられたのはどのような階層の女性かというと


ヴュルツブルクの司教管区にある被処刑人名簿によると、火刑になった者の身分は「小刀研ぎ師」や「橋門の見張番の女」といった、貧しい階級の者と共に、「洋服屋の太った妻」「パン屋の妻」「収税吏の妻」から「シュルツ博士の幼女」「太った貴族の女」に至るまで各階級に対しはなはだ「博愛的」な一面を有するのも、階級主義的見地のみからは尽くせぬ要素を感じさせます。



 「ところで、魔男」(?)というのはいなかったのか。いたそうだ。ただし全体の10%ぐらいだという。
472 「良心の自由」とは何か(5)
魔女裁判(2)
2006年4月13日(木)

魔女裁判の現実的社会的意義は何だったのか。『サラセン世界の三面包囲下にあるヨーロッパ』というイスラム教対キリスト教という問題がその第二の見地である。

(1)
 1270年の十字軍の敗北的終結の5年後、トゥールーズで最初の魔女焚殺が行われている。以後、宗教裁判・魔女裁判が確立していく。
(2)
 スレイマン一世の中欧侵入後の十六世紀末から一世紀間に最も大がかりな魔女狩りが行われている。
(3)
 最も宗教裁判の盛んだったイベリア半島がヨーロッパで最もながらく回教世界であった地域だった。逆に、宗教裁判がほとんど全く行われなかったスカンジナビア半島が回教世界の三面包囲から最も遠い地点にあった。
(4)
 711年にイスラム教徒がジブラルタルを占領して以来、イスラム教世界とキリスト教世界との長い攻防が続く。その間、キリスト教世界が回教世界に勝利したとされる事件もあるが、それはイスラム世界の脅威の決定的打破でなかった。(肝心のキリスト教の聖地イエルサレムが1917年まで結局キリスト教世界の手に奪還せられなかった。)
(5)
 イスラム教世界は中世・近世初頭のヨーロッパに対して文化的にも優越していた。ヨーロッパ近世・近代のギリシャ復帰、自然科学の発展は直接の古代復帰でなく、サラセン文化内のギリシャ、自然科学発展を媒介して継承したものである。
(6)
 宗教の自由に関しても、イスラム教世界は一種の政策的寛容に達していた。キリスト教世界のような野蛮酷烈な宗教裁判でなく、異教徒に対して寛容をもって臨んでいる。例えば、北アフリカではその慣例の中でキリスト教への勝利が達成せられていった。

 以上のように、あらゆる面で優越していて強力であったイスラム教世界にとりまかれた、文化的にも軍事的にもより劣ったキリスト教世界の支配者たち(ローマ法王や諸国王など)の深刻な恐怖心の生んだヒステリー現象、それが魔女裁判だった。

 続いて、古田さんは次のように述べている。


 この点、わたし達は近い経験を見ています。それはロシア革命後のソヴェト体制内部のスターリン独裁と苛烈な粛清裁判です。それを解く一つの鍵が全世界の帝国主義諸国――少なくともこの段階では文化的・軍事的に圧倒的により強大であった国々――の包囲下の社会主義国という情勢から来たことは今ではよく知られています。絶えずねらわれ、三面を包囲されている、いつ帝国主義武力の侵入があるかもしれぬ、という恐怖心は、スターリンの個人的独裁下の強力軍事体制、そのための思想統一、スターリニズムという戦闘的「精神の核」の形成の要請を生み、そのために苛烈な異端への粛清がヒステリカルに連鎖的に遂行されたのです。