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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
473 「良心の自由」とは何か(6)
魔女裁判(3)
2006年4月14日(金)


 以上の2つの見地からは、なぜ「魔男」ではなく圧倒的に「魔女」だったのか、という疑問には答えられない。第3の見地が必須である。
 私(たち)が「魔女」という言葉から喚起されるイメージは、例えばシェークスピアの「マクベス」の冒頭に登場するあの薄気味悪い、大釜で得体の知れない麻薬らしいものを煮立てている老女だ。だが魔女裁判で魔女とされた女性たちはそれとは似つかない。上品なご婦人もいれば、いたいけな少女もいる。これはどうしたことだろうか。

 古田さんは古代ゲルマン族の宗教とその歴史から、「魔女」の本質的意味を次のように読み解いている。「良心の自由」あるいは「信仰の自由」の意味を読み解くための重要な手がかりになる部分なので、少し長いがそのまま引用する。


 古代ゲルマン諸族のブルグンドの説話にもとづく「ニーベルンゲンの歌」において、魔法・魔術が決して薄気味悪い、怪奇をものでなく、古代的種族の宝物の守護者の役割を果たしていること、つまり古代的種族の精神的中枢としてあらわされていることを思い起こします。
 このように、キリスト教から見た魔法はゲルマン諸族の民族宗教的所産そのものであったことが示唆されています。
 「彼らは、女には神聖にして予言者なる或るものが内在していると考え、而してそれゆえに、女の言を斥け、或はその答を軽んずることをしない。我々は大ウエスパスィアーヌス帝の当時、〔ゲルマーニアの〕多くの人々から永い間神と崇められたウェレダを見たことがある。しかし彼らはその以前にも、アウリーニア、およびその他、おおくの女を崇拝したのである」

 これはタキトウスの『ゲルマーニア』(八)(岩波文庫)にしるすところです。田中秀央・泉井久之助氏の註するところによれば、ウェレダはゲルマンのバターウィー族で神として尊崇せられた女予言者で、常にリッぺ河(ライン河の一支流〉畔の塔上に棲み、ここより予言を伝え、対ローマ抗戦の命令を下していたとせられます。彼女はローマに生け捕りにされ、さらし者としてローマに送られたとあります。
 が、ストラポーン(前1~後1世紀、ローマ時代のギリシア人歴史家・地誌家)の『地理書』にもキンブリー族の女予言者の話が伝えられているところを見ても、幾度ローマに送られ、さらし者にされ見せしめにされても、彼女等は次々とゲルマン社会の中から産出せられていたと思われます。

 事実、ウェレダ(Velaeda)の「Vel-」はゲルマン語でもケルト語でも「見る」を意味し、前者のアングロサクソン語Wlitan「見る」、後者のコーンウル語gweled「見る」の基本となっています。つまりウェレタとはSeher-S eer「予見者・予言者」(女性)の意味の普通名詞なのです。

 当時のゲルマン社会は「その(姦通の)処罰は立ちどころに執行せられ、その夫に一任されている。夫は妻の髪を切り去って、これを裸にし、その近親の目前においてこれを家より逐い出し、鞭を揮って村中を追いまわす」(『ゲルマーニア』岩波文庫)というように、もはや完全に男子専制社会を呈していますが、女子尊重という母系制の遺風は血縁意識、民族宗教的風習の中に根強く根をおろしていたようです。また、宗教信仰の面で、ゲルマーニア神話の神々 ― ヘルクレース、マールスなど ― やエジプト神話の神々 ― イースィスなど ― 等、異国より流入した信仰が多神教的に混在していますが、それらと融合して、それらを背景として古来の女予言者達が活躍していたものと思われます。

 諸宗教の混合宗教として有名なマニ教異端の一派カタリ派への弾圧を通して宗教裁判の正統性が確立した(11~12世紀)という史実が興味深く思い起こされます。
 そしてヨーロッパにおける宗教裁判の中に魔女裁判が特異の位置を占めることが理解せられます。そしてそのいわゆる魔女裁判で九割を魔女が占める ―  10%は魔男でした ― という女性優位(?)も理解せられます。

 福音書(共観福音書)の中のマリアはわが子イエスの仕事の意義も理解できず、おろおろと心配する、無知の女(イエスも母親に対し、冷淡なつっぱなした態度で対しています)として描かれているのに、段々崇高な光をあてられはじめ、ことにヨーロッパ・ゲルマン諸族の中において聖母としての未曾有の位置を獲得していった事情と表裏をなすのが魔女だったわけです。

 15世紀未、スペインの国家的組織の中に設けられた宗教裁判所長官はユダヤ人、イスラム教徒迫害を任務とした(16世紀以降は新教徒迫害)ことでわかるように、回教圏の三面包囲をうけたヨーロッパ・キリスト教社会は外に対しては回教徒の恐怖に対抗してキリスト教を守ると同時に、自己の内部粛清としてヨーロッパ内の異教・異端へのヒステリックな迫害、粛清裁判を幾世紀にもわたってつづけ、内には純粋な、キリスト教権力への絶対服従に満たされ、外に対しては戦闘的なキリスト教専制社会を形成し得たのです。

 つまりヨーロッパ内部ではもはや「キリストの神」以外の神々はすべて形式的にも質的にも駆逐され、憎悪で焼かれてしまったのです(サンタクロースのようにキリストへの忠実無害な従僕に変身転向した民族神のみがわずかに生きのびることを許されています)。

474 「良心の自由」とは何か(7)
キリスト教単性社会
2006年4月15日(土)


 一般に宗教裁判とは異端審問という名目で行われたもの全てを指す。すぐに思いつく事例にガリレオ・ガリレイ等の科学者に対する裁判がある。聖書の説く世界観(天動説)と異なる研究成果(地動説)が糾問されている。ガリレオに対する第1回目の裁判は1616年であった。なお、ガリレオ以前に、ジョルダノ・ブルーノ(イタリアの宗教家、哲学者)がその無限宇宙論を異端とされ、1600年に火あぶりの刑に処せられている。
 また、カトリックとプロテスタントとの抗争(宗教改革)の過程で行われた凄惨な異端審問がある。「魔女裁判」がキリスト教に先行する土着の宗教に対する弾圧なのに対して、これはキリスト教の中での異端(分派)狩りということになる。中でも1562年から始まったフランスでの宗教戦争では、15 72年にカトリック側がプロテスタント側のおよそ4000人を大量虐殺したという事件(セント・バーソロミューの大虐殺)があった。この宗教戦争は1598年のナントの勅令(アンリ四世)によって終結している。そのナントの勅令に次の条項がある。

第6条
 余が臣民の間に騒乱、紛議のいかなる動機も残きぬため、余は改革派信徒が、余に服する王国のすべての都市において、なんら審問・誅求・迫害されることなく、生活し、居住することを認める。
 彼らは、事、宗教に関してその信仰に反する行為を強いられることなく、また本勅令の規定に従う限り、彼らの住まわんと欲する住居、居住地内において、その信仰のゆえに追求せられることもない。

 「信仰の自由」の宣言であるが、あくまでもキリスト教内のことである。「魔女」やキリスト教以外の自由には何も触れていない。「宗教の自由」ではなく「宗派の自由」である。

 さて、「信仰の自由」の古典的典拠となっている「寛容についての書簡」をロックが発表したのは1689年だった。大がかりな魔女狩りの最後の時期(1660年~1680年)が終わり、異教はすっかり狩りつくされていた。古田さんは『異教が狩り尽くされ、異教的な臭気すら殺されたキリスト教』の神のみを唯一の神とする社会を『キリスト教単性社会』と呼んでいる。

 その書簡の中でロックは「信仰の基本事項に関する異端や公共の秩序を乱すもの」だから「許すべきではない」として「寛容の対象から除外すべきもの」を4項目あげている。

l 国家に危害を加えるもの
2 他の宗教に対して不寛容なもの
3 外国の権力への服従を主張するもの
4 神の存在を否定するもの

 「1」でいう「国家」は「イギリス教会の首長たるイギリス国王にひきいられる国家」である。
 「2」はピューリタン(プロテスタント)派の傾向への戒めであり、
 「3」は英国に圧力を加えつづけて来たローマ・カトリック教会への牽制である。
 「4」の「神」とは「キリスト教の神」である。ここで否定しているのはキリスト教以外の異教である。(もちろん無神論者をも含んでいよう。)

 つまりロックが言う「寛容」とは「イギリス教会の首長の支配下における各派の容認」という意味である。ロックの「信仰の自由」はキリスト教単性社会内のそれであり、やはり「宗教の自由」ではなく「宗派の自由」にすぎなかった。

 『異教・異端の徹底的粛清によって合一されたキリスト教単性社会』という暗黙の前提は、1949年に制定されたドイツ連邦共和国基本法にまでも真直ぐに貫流していると、古田さんは指摘している。


 神および人間にたいする責任を自覚し、その国民的・国家的統一を維持し、かつ合一されたヨーロッパにおける同権の一員として、……ドイツ国民は、過渡期について国家生活に新秩序をあたえるために、その憲法制定権力にもとづき、このドイツ連邦共和国基本法を決定した。(前文の冒頭)

 日本などの非西欧世界では「諸宗教の自由」の明々白々の侵害でしかあり得ない、この表現が、ここでは 「信教の自由=神の中の宗派の自由」の明々白々の根拠とされているのです。

476 「良心の自由」とは何か(8)
欧米の憲法における「信仰の自由」
2006年4月17日(月)


 「自由について(1)(2)」(第138回-2005年12月30日~第139回-12月31日)で私は、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」から欧米各国の宣言や憲法における「自由」について条項を取り上げた。古田さんもそれを取り上げている。それらを今回は「キリスト教単性社会」という視点で読むことになる。

 「ペンシルヴァニア州憲法」第9条、第3項
「すべての人間は、その良心のすすめに従って全能の神を崇拝する不滅の権利を自然から受けとったのである。そして何びとといえども、その意に反して何らかの祭祀または勤行に従ったり、それらを創始したり、それらを支持したりすることを、法律によって強制されることはできない。人間的権威は、それがいかなるもの、いかなる場合でも、良心の問題に干渉したり、精神の力を支配してはならない。」

 ヴァージニア権利章典(1776年)、第16条
「宗教、あるいは創造主に対する礼拝およびその様式は、武力や暴力によってではなく、ただ理性と信念によってのみ指示されうるものである。それ故、すべて人は良心の命ずるところにしたがって、自由に宗教を信仰する平等の権利を有する。お互いに、他に対してはキリスト教的忍耐、愛情および慈悲をはたすことはすべての人の義務である。」

 合衆国憲法修正10ヵ条の修正第1条(1791年、現在も有効)
「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは宗教の自由な礼拝を禁止する法律を制定してはならない。」

 (マルクスは)こういう北アメリカの自由諸州で「宗教の国家にたいする関係は、その特質をもって純粋にあらわれることができる」と言い、「政治的解放が十分におこなわれた国でさえも、宗教が存在しているばかりでなく、はつらつとして力強く存在していることがわかる」としているのです(「ユダヤ人問題によせて」)が、ここに「純粋にあらわれ」ているのは、マルクスが考えたように「信教の自由」そのものではなくして、実はあくまでキリスト教単性国家内の〝信教の自由″に他ならないのです。

 さらに言えば、「信仰の自由」とはキリスト教内での「礼拝(の仕方)の自由」に他ならない。
 こうしたキリスト教単性社会内の思考から一歩踏み出した、というより踏み出 さざるを得なかったのはフランスだった。

 「1946年第4共和国憲法」の前文
「フランスは、海外の人民と種族、宗教の差別なしに権利および義務の平等に基礎を置く連合を形成する。

「1958年フランス共和国憲法」第2条
「フランスは、不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。
フランスは出生、人種または宗教の差別なくすべての市民に対し法律の前の平等を保障する。
フランスはすべての信条を尊重する。」

しかしこの場合も『真の必要にして十分な〝信教の自由″』というわけではなかった。


 ここでは「神の面前で」という、フランス代々の憲法、宣言のきまり文句は消えて、代りに「非宗教的」という言葉があざやかに表われます。
 これはこの憲法がド・ゴール氏によって「共和国に結合する意思を表明する海外領土に対し、その民主的進化を目的として案出され」た(前文)ことにもとづきます。つまり、フランスは「国内であるアルジェリア」にもっぱら回教徒であるアルジェリア現住民を有しているという事情に他なりません。

 ですから、「非宗教的」となったのはド・ゴール氏の頭脳ではなく、フランス固有の領土たるヨーロッパ内のフランスでもなく、もっぱらアルジェリアとの関連において言われているのです。

 この場合、形式的には、多宗教間の〝信教の自由″が当然ゆきつくべき「非宗教性」が定義されながら、実質は、地理的、人種的の相互不侵触性によって従前と何等の変更を見ていない点が特徴的です。



 キリスト教単性社会にとって、もう一つの厄介な問題がある。
 1848年のフランス革命では「神を信ずる者も信じない者も」一致して闘った。その革命後に成立した1848年憲法の前文には

「神の面前で、およびフランス人民の名において、国民議会は、つぎのように声明する」

という文言がある。「神の面前で」という決まり文句に続いて置かれた「フランス人民の名において」には「神を信ずる者も信じない者も」とのニュアンスを読み取れる。
 「キリスト教単性社会にとって、もう一つの厄介な問題がある。」とは「無神論」の問題である。



477 「良心の自由」とは何か(9)
戦闘的反神論(1)アイスキュロスからゲーテへ
2006年4月18日(火)


 マルクスの哲学における「無神論」はただ単に「神は無い」ということに留まらない。生き生きとした現実的・地上的な「真の人間」からの神(権力・権威)への挑戦という意義を持つ。その意味で「無神論」ではなく「反神論」というのがふさわしい。古田さんはマルクスの「無神論」を「戦闘的反神論」と呼んでいる。
 一般に西洋哲学史ではマルクスは「ヘーゲル→フォイエルバッハ→マルクス」という系譜で解説されている。これに対して古田さんは『マルクスの哲学の根底が「非哲学的」なゲーテ的人間観にあり、そのみずみずしさこそが真にドイツ観念論への批判となりえたこと』が重要だとし、『西洋哲学史内的マルクス理解ではなく、西洋思想史(精神史)内的マルクス理解』を提唱している。その観点からするマルクスの系譜は「アイスキュロス→ゲーテ→マルクス」であるという。とても斬新な視点で私には大変興味深い。
 さらに古田さんが結ぶ「アイスキュロス→ゲーテ」の道筋をニーチェも論じていたのを思い出して私の興味はさらに深まった。「シュトゥルム・ウント・ドゥランク」(Sturm und Drang 疾風怒涛)と呼ばれる時代の真っ只中にあった若き日のゲーテ(28歳)の詩作品「プロメートイスの歌」が、これもまた若き日の古田さん(32歳)・ニーチェ(28歳)・マルクス(27歳)を引き寄せている。本筋からは余分ごとになるが、古田さんとニーチェとの対比も面白い。チョッと寄り道してみる。

 まず、古田さんがまとめた解説でプロメテウス(「プロメートイス」はドイツ語読み)の悲劇をおさらいしておこう。


 このアイスキュロスの悲劇(「縛られたプロメテウス」)の中で、プロメテウスは大地(女神テミス)の子として描かれています。

 第一に至高神ゼウスの没落の日を知っていること、第二に人間に知慧の火を与えたこと、第三に人間たちに自分の末期を待ち設けるのをやめさせてやったこと、第四に(人間の)目に見えぬ希望を与えてやったこと、によってゼウスの怒りを買い、その配下たる「権力と暴力」の神によって、スキユティアの荒野の岩の上に鎖でつながれるわけです。しかし不屈の精神を以て神々のおどしに恐怖せず、やがてまきおこる天地の震動、崩壊の中に奈落に沈んでゆくという壮大な悲劇です。



 ギリシャ神話(オリンポス)の神々に迫害されていた巨人神話の神々は先住民の神々である。アイスキュロスの壮大な悲劇「縛られたプロメテウス」の主人公は巨人族の一人であり、その伝説は迫害者であるオリンポスの神々への反逆の物語である。ニーチェは「プロメテウス伝説は、アリアン系民族全体の根源的財産」(「世界の名著ニーチェ」・中央公論社所収・西尾幹ニ訳「悲劇の誕生」)だと言っている。
 ニーチェが描く「アイスキュロス→ゲーテ」の道筋は次のようだ。
 ソフォクレスが描いた「オイディプスの悲劇」の「受動性の栄光」に対して、アイスキュロスが描く「プロメテウスの悲劇」を「能動性の栄光」と、ニーチェは呼んでいる。そして続けて言う。


 「この作品(「縛られたプロメテウス」)で思想家アイスキュロスが語らなければならなかったこと、しかしながら詩人としてのアイスキュロスが比喩的な形象でわずかにわれわれに予感させるにとどめていること、これを若き日のゲーテは、彼の作品『プロメートイス』の大胆不敵なことばによって、あらわにわれわれに開いて見せる。
いな、われはここに坐し
わが像にかたどりて
人間を創る、
苦しむも 泣くも
たのしむも 喜ぶも
なんじを顧みざることも
われにひとしき種族、
わがともがらの人間を。

 巨人の域へと高まって行く人間は、みずから自分の文化を戦い取り、神々を強制して、自分と同盟を結ばせる。このような人間はおのれ独自の英知によって、神々の存在と条件とをおのれの手中に握っているからである。
 あのプロメテウスの詩は根本思想からみてまざれもなく不敬の讃歌であるが、しかし、あの詩の中でもっとも驚嘆すべき点は、正義を求めてやまないアイスキュロス的な深い衝動であろう。一方には、勇猛果敢な「単独者」のはかりしれない苦悩がある。他方には、神々の危難があり、神々の黄昏を予感させずにはおかない。これら二つの苦悩の世界を和解させ、形而上的融合へと押しやる力―これが、アイスキュロスの世界観の焦点と主題とをきわめて強力に示唆するものである。アイスキュロスは、神々や人間という二つの世界のさらにその上に、永遠の正義として運命女神(モイラ) が君臨するのを見ていたのだ。



 最後の一文はいかにもニーチェらしい。やがてニーチェ思想のキーワードの一つとして登場する「運命愛」を示唆している。

 引用文中の詩はゲーテの詩『プロメートイスの歌』の最後の一連である。世界古典文学全集50「ゲーテ」大山定一訳(筑摩書房)からその全編を掲載しておこう。(「ツォイス」は「ゼウス」のドイツ語読み)



プロメートイスの歌

おまえの空を
灰いろの雲でおおえ
ツォイスよ
あざみの花をむしる子どものように
山嶺や樫の木に
おまえの飄風(ひょうふう)をなげつけるがよい
しかし おれの大地に
おれの作った小屋に
おれの竈(かまど)に
一切おまえは手をふれてはならぬ
おまえはおれの竈の火を
妬んでいるのだ

太陽のもとに 神々よ
おれはおまえほどあわれな存在を知らぬ
おまえはおまえの権威を
祈祷の吐息や
生けにえの捧げものによって
わずかに支えているにすぎぬ
不憫な子どもや乞食どもがなければ
その日から おまえは飢えて死なねばならぬのだ

がんぜない子どものころ
おれはおれのあわれな眼を
遥かな空におくった
天上にはおれの真実な訴えをきく耳があり
苦しむものにいつも味方する
おれのような高貴な心があると思っていた

暴力者の恣意から そもそも
おれを救ったのは誰か
死と奴隷から そもそも
おれを解放したのは誰か
聖なる火にもえる心よ
すべてはおのれ自身の行為にほかならぬのだ
だのに おれは
たわいなくだまされて
いつまでも切ない感謝を
天上のねむれる神々にささげていた

おれがおまえを崇める? 何のために?
おまえは打ちくだかれた人間の苦しみを
癒やしたことがあるか
悲しみなげく人間の涙を
かつて一度すら拭ったことがあるか
おれを一匹の男にしあげたのは
おれの主 そしておまえの主―
およそ一切の生きものの主である
全能の「時」と
永遠の「運命」のちからではなかったか

はかなく理想の夢がやぶれたからといって
おれが人生を呪い
砂漠に去らねばならぬと
強いておまえは妄想するのか

おれはここにいる
おれのすがたに似せて
人間をつくる
おれとおなじ種族をつくる
なやむことも 泣くことも
たのしむことも 歓喜することも
おまえを崇めぬことも
すべてがおれと同様の人間をつくる



478 「良心の自由」とは何か(10)
戦闘的反神論(2)ゲーテからマルクスへ
2006年4月19日(水)


 ゲーテがアイスキュロスから『正義を求めてやまない深い衝動』『勇猛果敢な「単独者」のはかりしれない苦悩』を読み取ってそれを詩的結晶として定着した。
 その結晶から今度はマルクスが、そこに『内在している論理を抽き出し、強固な形を与え、見事に哲学化』する。その原型を、古田さんは「ヘーゲル法哲学批判序説」から読み取っていく。

 古田さんは「ヘーゲル法哲学批判序説」から要所々々を引用しながら論述を進めているが、マルクスのこの有名な論文の冒頭部分(とその関連部分)を丸ごと書き出しておこう。(何よりも自分のための作業です。)

 なお、古田さんは日高晋訳の「マルクス・エンゲルス選集第1巻」(新潮社)を用いているが、私はその本を持ちあわせていないので岩波文庫版(城塚登訳)を利用する。また原文は強調を表す傍点がたくさん付けられている。それは「強調文字」で表すことで代える。また読み易いように段落間に空行を入れた。


 ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果されているのであり、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである。

 誤謬の天国的な祭壇とかまどのための祈りが論破されたからには、その巻添えをくって誤謬の現世的な存在も危くされている。天国という空想的現実のなかに超人を探し求めて、ただ自分自身の反映だけしか見いださなかった人間は、自分の真の現実性を探求する場合、また探究せざるをえない場合に、ただ自分自身の仮象だけを、ただ非人間だけを見いだそうなどという気にはもはやなれないであろう。

 反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない、ということにある。しかも宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし人間というものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生みだすのである。宗教は、この世界の一般的理論であり、それの百科全書的要綱であり、それの通俗的なかたちをとった論理学であり、それの唯心論的な、体面にかかわる問題であり、それの熱狂で
あり、それの道徳的承認であり、それの儀式ぱった補完であり、それの慰めと正当化との一般的根拠である。宗教は、人間的本質が真の現実性をもたないがために、人間的本質を空想的に実現したものである。それゆえ、宗教に対する闘争は、間接的には、宗教という精神的芳香をただよわせているこの世界に対する闘争なのである。

宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨にたいする抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。

 民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷〔現世〕への批判の萌しをはらんでいる。

 批判は鎖にまつわりついていた想像上の花々をむしりとってしまったが、それは人間が夢も慰めもない鎖を身にになうためではなく、むしろ鎖を振り捨てて活きた花を摘むためであった。宗教への批判は人間の迷夢を破るが、それは人間が迷夢から醒めた分別をもった人間らしく思考し行動し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身を中心として、したがってまた自分の現実の太陽を中心として動くためである。宗教は、人間が自分自身を中心として動くことをしないあいだ、人間のまわりを動くところの幻想的太陽にすぎない。

 それゆえ、真理の彼岸が消えうせた以上、さらに此岸の真理を確立することが、歴史の課題である。人間の自己疎外の聖像が仮面をはがされた以上、さらに聖ならざる形姿における自己疎外の仮面をはぐことが、何よりまず、歴史に奉仕する哲学の課題である。こうして、天国の批判は地上の批判と化し、宗教への批判法への批判に、神学への批判政治への批判に変化する。

(中略)

 現在のドイツの体制は一つの時代錯誤であり、一般に認められた諸原則にたいする明白な矛盾であり、衆目にさらされた旧体制の空しさなのであるが、それでもなお自分では、みずからが信頼にたると思いこみ、そして世間に対し同じように思いこむことを要求している。

 もしもドイツの現体制が自分固有の本質を信頼しているのならば、その本質を別の本質の外観のもとに包み隠そうとしたり、偽善や詭弁に救いを求めたりするであろうか? 近代の旧体制は、もはや、本物の主役たちがすでに死んでしまっている世界秩序の道化役者でしかない。歴史というものは徹底的であって、古い形
態を墓へと運んでいくときに、多くの段階を通過していく。一つの世界史的形態の最後の段階は、それの喜劇である。ギリシアの神々は、アイスキュロスの「縛られたプロメテ」のなかですでに一度傷つき悲劇的に死んだのであったが、ルキアノスの「対話篇」のなかでもう一度喜劇的に死なねばならなかった。なぜ歴史はこのように進行するのか? それは人類が明るく朗らかにその過去と訣別するためである。このような明るく朗らかな歴史的解決を、われわれはドイツの政治的諸勢力にも要求する。

(中略)

 批判の武器はもちろん武器の批判にとって代わることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒されねばならぬ。しかし理論もまた.それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる。理論は、それが人間に即して論証をおこなうやいなや、大衆をつかみうるものとなるのであり、理論がラディカル〔根本的〕になるやいなや、それは人間に即しての論証となる。

 ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが、人間にとっての根本は、人間自身である。ドイツの理論がラディカリズムである明白な証明、したがってその理論の実践的エネルギーの明白な証明は、その理論が宗教の決定的な、積極的な揚棄から出発したところにある。宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという教えでもって終る。したがって、人間が貶しめられ、隷属させられ、見捨てられ、蔑視された存在となっているような一切の諸関係 ― 畜犬税の提案にさいして、或るフランス人が「あわれな犬よ、おまえたちを人間並みにしようというのだ!」と叫んだ言葉でもっともみごとに描きだされているような諸関係 ― をくつがえせという無条件的命令をもって終わるのである。


 力強く美しい思想であり、言葉である。書き写しながら、改めて深い感動が湧き上がってくる。ロシア・マルクス主義は死んでもマルクスは健在である。