2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

孔だらけにしてしまえ
 2004年8月23日


 「ペン部隊はもっと厳しく指弾されていい。私たちは私たちの心の内と外にいるペン部隊的なるものをこそ攻撃すべきである。だが、新しいペン部隊には、司令部も顔も人格も場所的中心もない。鵺のようなものなのだ。撃つべき急所というものがない。じつにうまくできているのだ。ならば、成員に内部からの反乱を呼びかけるしかない 。おおかたの成員はペン部隊成員である自覚もないから、いかにも心許ないけれど、
部隊からの脱走ないし反乱を、「私性」をまだ完全には摩滅させていない少数の部隊員に呼びかけるべきである。これは無駄な情熱というものかもしれない。でも、言うべきであろう。
 顔を取り戻せ、言葉を取り戻せ、文体を取り戻せ、恥を取り戻せ。反乱の勇気がないのなら、その場で静かに穿孔せよ。情報市場に細かな孔を開けてしまえ。帰属する組織にたくさんの私的な孔を穿て。深く密やかに穿孔せよ。まっとうな知の孔を開けよ。孔だらけにしてしまえ。そのように呼びかけるべきである。ひょっとしたら、呼応する者が幾人かいるかもしれない。」
(辺見庸×高橋哲哉「私たちはどのような時代に生きているのか」より)

 「ペン部隊」とは1938年に、国民の戦意高揚をはかるために戦地に派遣された作家・ジャーナリストを構成員とする大日本帝国の戦争遂行のための宣伝マンたちである。1942年には「皇国ノ伝統卜理想トヲ顕現スル日本ジャーナリズムヲ確立シ、皇道文化ノ宣揚二翼賛ス ル」ために「日本文学報国会」が創立され、ほとんどの文学者・ジャーナリストが
「尽忠報国」のための活動を極めて積極的に真面目に遂行するようになる。

 辺見氏は、絶望的な状況の中で真正面から権力と向きい、孤立無援の闘いを闘っている数少ないジャーナリストの一人である。
 現在のジャーナリズムの状況を、氏は「ペン部隊」と同じだと言う。
ジャーナリスト本来の役割を捨ててしまって、「尽忠報国」に奔走する姿勢が大勢となっている。とりわけマスコミの状況がひどい。
 孤立無援の闘いを闘っているもう一人のジャーナリスト・斎藤貴男氏
も著書「『非国民』のすすめ」で一章を割いている。政治評論家・森田実氏もそのホームページで再三再四その危険性を指摘している。

 辺見氏の憤りは激しく絶望は深い。それでも「ひょっとしたら、呼応する者が幾人かいるかもしれない」とわずかな希望を託して、上記のような呼びかけをしている。私には血を絞るような悲痛な叫びに聞こえる。
 
 「ペン部隊」を「権力に従順な教師や生徒たち」と置き換えて読んでみる。そこに「保護者たち」も入れていい。 もちろん、ジャーナリズムや教育の部外者でも、自分に引き就けて、自分への呼びかけと読めるはずだ。

 ボルテージの最も高い部分を教育現場への呼びかけに言い換えてみる。

  
顔を取り戻せ
言葉を取り戻せ
誇りを取り戻せ
恥を取り戻せ
反乱の勇気がないのなら
その場で静かに穿孔せよ
教育現場に細かな孔を開けてしまえ
帰属する学校にたくさんの私的な孔を穿て
深く密やかに穿孔せよ
まっとうな知の孔を開けよ  
孔だらけにしてしまえ


 抑圧者らへの批判や反論をしたり怒りをあらわにしているだけでは、
飲み屋での愚痴の言い合い,傷のなめ合いと何ら変わらない。教育現場を孔だらけにしてしまうための議論をしよう。

 ただこの種の議論では、現場の先生たちにとっては不愉快な意見も
多々述べる事になる。批判・反論を期待したい。

 
 私の生活圏が狭いために私の耳目に届かないだけで、すでに各職場でいろいろな試みが行われているのかもしれないが、教育現場で何事かがいろいろと始まってしかるべきだろう。

 まずは各職場で、不服従を貫いて闘っている人たちを孤立させない取り組みをすべきだろう。事あるごとに連帯を表明したり激励したりするだけでもよい。さらにそれぞれの職場の事情に応じて、連帯の仕方を創意工夫できるといい。

 一番有効なのは不服従の闘いに加わる教員が増えることだ。もし私が現役の教員だったとして、不服従を貫けるかどうか確信がないので、くちはばったい物言いになってしまうし、あまり現実的ではないことを承知で、先生たちがんばれ、と言いたい。

 不服従を貫き、処分され、いま訴訟で戦っている人は200名ほどという。200名も、と言う人もいるが、私はその数を知ったとき桁が違うと思って、少しがっかりした。

 こんな想像をしていた。
 「教員時代を思い起こすと、どこの職場にも不服従を貫きそうな人は
数名ぐらいはいたように思う。いま都立高校の数は約200校ぐらいか。
一校に五人の不服従者がいれば、計1000人になる。一人一人が自分の意思で決断した1000人。これは迫力がある。都教委には「たかが教員などに何が出来るか。」と教員を見くびっている節がある。1000人の抵抗という都教委にとってはおそらく予想外の事態に出会ったら、都教委はさぞかし慌てふためくだろう。どんな対処が出来るのか、見ものだ。」と。

 次回から、直接抵抗以外の「孔の穿ち方」をいろいろ考えてみる 


スポンサーサイト

10. 教育現場での「孔の穿ち方」・その1

 2004年8月24日





 「でも風雨強かりし中で私は思い直します。
 時代の追風がある時だけ私たちは理想を語ってきたのでしょぅか。
日本国憲法の理想が日本社会で開花しているとでも考えてきたのでしようか。「日の丸・君が代」で処分された夥しい教師たち、あるいは思想信条上の理由で差別され、抑圧されてきた多数の人びとの存在を想起するだけでも、私たちは決して物言わぬ教師になってはいけないと思うのです。 今こそ無力感や敗北主義を克服し、ピンチをチャンスに変えたいと思うのです。」

(「世界」2004年4月号所収・戸坂真「『日の丸・君が代』を生徒と学ぶ」より)


 この文の執筆者は埼玉県の社会科の先生のようだ。「孔の穿ち方」を次のように提案している。


 「「日の丸・君が代」の強制を凌駕するような卒業式づくりをめざし、授業で「日の丸・君が代」を生徒とともに学び、保護者や地域の人々と連携していきたいと思います。私自身もこのプランを実現する途上に立っているに過ぎませんが、この議論と実践積み重ねていけば、少しでも現状を変えていけるだろうと期待します。」(下線、仁平)


 他府県の学校では、東京都でも小学校・中学校では、もうずいぶん以前から「君が代日の丸強制」の嵐に見舞われ、既にその定着を許していることに改めて思いいたる。もしかすると都立高校が「自由と民主」の最後の牙城なのかも知れない。石原のなりふりかまわぬえげつない蛮行は、それゆえのあせりの表れなのだろう。

 戸坂氏のように地道な戦いを続けている教師たちが全国にたくさんいるだろうし、そうした教師たちの実践から学ぶことが多々あるに違いない。特に「保護者や地域の人々と連携する」ことが重要だが、これが最も難しい。私には何をどうしたらよいのか、さっぱりわからない。有効な実践があるのなら知りたいと思う。
 私には、そのことを自己目的化するのではなく、よりよい教育活動を目指す営みを通して信頼関係を築くほかないように思われる。登坂氏の主張もそのように理解したい。


  ただ私は「「日の丸・君が代」の強制を凌駕するような卒業式づくり」には異論がある。
 だいだい私は、結婚式や葬式も含めて儀式が大嫌いなのである。儀式はうそっぽく、うさんくさい。大きな儀式になればなるほどその感がいよいよ強い。国家が主催する儀式や、国家間の儀礼は、もう「欺式」と言うほかない。見るのもおぞましい。
担任をしていた生徒の卒業式では不覚にも涙を流したことがあるが、それでも嫌いだ。

 「君が代日の丸」のある儀式など、感動的なものにしてくれるな、と言いたい。「君が代日の丸」を拒否できないのなら、むしろ逆に、抑圧者以外は参列したくなくなるような、強圧的で貧相でばかばかしい卒業式にしてしまえ、と思う。内容を削りに削って、極端に言うと「日の丸」を敬虔な振りをして仰ぎ見ながら、「君が代」をもぞもぞと斉唱するだけの式。いやいや参列しているものが「君が代日の丸の強制」に対する抵抗の意思を新たに胸に刻むための式にしてしまえ。
 生徒の入学や卒業を心から祝う会は別にやればよい。その祝う会の方は、生徒と一緒に大いに創意工夫して、のびのびと楽しく感動的な会にしょう。

 「君が代日の丸」のある式を感動的な式にするのは、「君が代日の丸」があって当たり前というよう情況を作るだけだ。「君が代日の丸」があるから感動も大きいのだとなっていく。まさにオリンピックでのように。

 オリンピックで人は何に感動するのか。選手たちが持てる力を出し切って記録や勝負に挑む姿、その過程で見せてくれる見事な技、限界に挑戦する精神力。総じてたゆみない日ごろの厳しい修練の結実に感動する。 それがいつのまにか「君が代日の丸」に感動してるように錯覚している。
 表彰台上の選手自身も、目的を見事に成し遂げた達成感と、そこに到るまでの苦楽のすべてを反芻しての感動のはずなのに、「君が代日の丸」に感動してるように錯覚して、実際にそんな感想を述べたりする。ばかばかしい。国家権力の思う壺にはまっている。

 「素朴な愛国心」育成のために権力者はスポーツも利用する。スポーツの利用はもしかすると教育利用以上に効果的かもしれない。対象が子供だけでなく圧倒的に大人が多い。成人してからの意識の変革はむずかしいが、たいした反対に出っくわすこともなく、当人にそれと気取られることもなく、いつのまにか「素朴な愛国心」の「刷り込み」が出来てしまう。利用しない手はない。

 最近、サッカーのアジアカップで中国の観衆が「君が代」演奏にブーイングしたのはけしからん、スポーツに政治を持ちこむな、とマスコミ挙げての大合唱があったが、何をバカを言ってるんだと思う。スポーツでの国歌演奏そのものが、国家権力の意を受けての政治介入だ。スポーツに政治を持ち込むなと言うなら、スポーツでの国歌演奏はやめろ言うべきだ。

 「オリンピックやサッカーや甲子園では当たり前なのに、どうして学校では駄目なのか」と言う論理を、学校に対する「君が代日の丸強制」に賛成の人がよく使う。
 ちっとも当たり前じゃないのだ。学校の儀式のときと同様、サッカーの競技場で国家への忠誠と天皇への帰順を胸に熱くたぎらせて立っているものが何人いると言うのだ。大方は苦痛を感じながらイヤイヤ立っているに違いないのだ。
 みんな自分の感情にしたがって、本当のことを言うといい。あれはいやだと。あんなものが当たり前になっていると勘違いしているのは、すっかり「素朴な愛国心」を刷り込まれ育成されてしまっている者だけだ。
15. 銀行型教育
 2004年8月29日


(以下引用文はすべて、パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」から。)


 一方的語りかけ(それはつねに語りかける人である教師によるものであるが)は、生徒を語りかけられる内容の機械的な暗記者にする。さらに悪いことに、かれらはそれによって容器、つまり、教師によって満たされるべき入れ物に変えられてしまう。入れ物をいっぱいに満たせば満たすほど、それだけかれは良い教師である。入れ物の方は従順に満たされていればいるほど、それだけかれらは良い生徒である。
教育はこうして、預金行為となる。そこでは、生徒が金庫で教師が預金者である。


 フレイレはこういう教育を「銀行型教育」と呼んでいる。「銀行型教育」で教師が日々行っている行為や態度は、抑圧社会を全面的に反映し、その矛盾を維持しているものであると言い、次のように列挙している。


「1 教師が教え、生徒は教えられる。
 2 教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
 3 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
 4 教師が語り、生徒は耳を傾ける---おとなしく。
 5 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
 6 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう。
 7 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。
 8 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。
 9 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を圧迫する立場に立つ。
 10 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体にすぎない。


 この項目を読んだとき、「おれがやってきたことそのものじゃないか。もしかすると、おれは、無自覚にとんでもないことをやってきたのかもしれない」と思った。 フレイレは厳しく指摘する。


 銀行型教育方法のヒューマニズムの裏には、人間をロボットに変えようとする意図が隠されている。それはまさに、より豊かな人間になるという存在論的使命 の否定である。このことを知ってか知らずにか、当人は善意のつもりでも、自分のやっていることが非人間化にしか役立っていないことに気がつかない銀行員教師bank-clerk-teachersが無数にいる。そして、この銀行型の方法を用いる人びとは、預金それ自体のなかに現実の矛盾が含まれているのを知ることができない。


 そしてさらに、「銀行型教育」は抑圧者の利益に仕えるものだと言う。


 銀行型教育概念が、人間を順応的で管理しやすい存在とみなしても驚くにほあたらない。
 生徒が自分たちに託される預金を貯えようと一生懸命に勉強すればするほど、 世界の変革者として世界に介在することから生まれるかれらの批判意識は、ますます衰えていく。押しつけられる受動的な役割を完全に受け入れれば受け入れるほど、かれらはますます完全にあるがままの世界に順応し、かれらに預け入れられる現実についての断片的な見方を受け入れるようになる。
 生徒の創造力を最小限に抑え、摘み取り、かれらの軽信をあおりたてる銀行型教育の機能は、世界を解明したいとも思わなければ、それが変革されるのを見たいとも思わない抑圧者の利益に仕えるものである。


  いわば「銀行型教育」は「抑圧者の抑圧者による抑圧者のための教育」に他ならないと言う。
 ならば「銀行型教育」を棄揚して、真に「被抑圧者の被抑圧者による被抑圧者のための教育」を創り出せれば、これは教育現場にたいへんな「孔を穿つ」ことになる。
 しかし、そのような教育に対して、抑圧者側は拱手傍観はすまい。
 都立高校の教師たちは「銀行型教育」にかなりの穴を穿っていたと思う。石原の教育現場への攻撃は「銀行型教育」の補修・強化という観点から捉えることもできる。


 抑圧者は、批判能力を喚起し、現実についての断片的見解には満足せず、点と点、問題と問題を相互につなぐ絆をつねに探究しょうとする教育の、どのようなこころみにもほとんど本能的に反対する。
 実際、抑圧者の関心は、『抑圧する状況をではなく、被抑圧者の意識を変えること」』(シモーヌ・ド・ボーヴォワール『右翼の政治思想』)にある。なぜなら、被抑圧者はその状況に順応するように導かれれば導かれるほど、それだけ容易にかれらは支配されるようになるからである。


 石原の腰ぎんちゃく・都教育委員らや三浦や江崎や大方の高級官僚や、「知的エリート」の多くが抑圧者や抑圧者の下僕に成り下がっていくのは「銀行型教育」の成果だといったら、牽強付会に過ぎるだろうか。
 また、「問題児」と呼ばれ、教師たちに厄介者扱いされている生徒たちは、無意識ながら、「銀行型教育」への反抗者・反逆者なのではないか。
17. 課題提起型教育
 2004年8月31日


 「銀行型教育」が排除し、疎外しようとしているものを知れば、どんな教育が「よい教育」なのか、自ずと見えてくるだろう。前回の引用で下線を付した部分を再度抜き出してみる。

 「より豊かな人間になるという存在論的使命」
 「世界の変革者として世界に介在することから生まれるかれらの批判意識」
 「批判能力を喚起し、現実についての断片的見解には満足せず、点と点、問題と問題を相互につなぐ絆をつねに探究しょうとする教育」

 教育の目的は、「国家・社会の従順な成員」の育成ではなく、教師と生徒がともどもに、より豊かな人間になることである。
 そのための教育方針は、出来るだけ多く貯金を蓄えることではなく、世界の変革者として世界に介在するため批判能力を涵養することである。
 そしてその教育方法は、現実についての断片的見解や事実の一方的伝達ではなく、点と点、問題と問題を相互につなぐ絆を、 教師と生徒との対話によって探究していくようなものでなければならない。


 このような「銀行型教育」と対立する教育を、フレイレは「課題提起教育」と呼んでいる。
 「銀行型教育」と「課題提起教育」とを対比しながら、「課題提起教育」の本質を浮かび上がらせている部分を引用する。


 銀行型概念は、何もかも二分する傾向をもっているが、教育者の行動についても二段階に区別する。第一段階では、かれは自分の研究室や実験室で授業の準備をしながら、認識対象を認識する。第二段階では、その対象を生徒に逐一説明する。生徒はそれを知ることを求められるのではなく、教師によって一方的に語りかけられる内容を暗記することを要求される。生徒は認識行為といえるようなことは、何ひとつ行ってはいない。なぜなら、その行為が向けられるべき対象は、教師の私有物であって、教師と生徒の両方に批判的省察をうながす媒体ではないからである。
だから私たちは、文化と知識の保存の名目のもとに、実は私たちが真の知識にも文化にも到達できないシステムをもっているということになる。
 課題提起の方法は、教師-生徒の活動を二分することはない。つまり、かれがある時点では認識し、別の時点では一方的に語りかけるということはない。教育計画を準備していようと生徒との対話に取り組んでいようと、かれはつねに認識している。
 かれは認識対象を自分の私有物とはみなさないで、自分自身と生徒による省察の対象と考えるのである。

 課題提起型教育者の任務は、臆見doxaのレヴェルにある知識が、理性logos のレヴェルにある真の知識によってとってかえられるための条件を、生徒とともに創造することにある。銀行型教育が創造力を麻痺させ抑制するのにたいして、課題提起教育は現実のヴェ-ルをたえずはぎとるはたらきをもっている。

 銀行型教育は意識を埋没状態におこうとし、課題提起教育は意識の出現と現実への批判的介在に向かって努力する。

 自由の実践としての教育は、支配の実践としての教育とは反対に、人間が抽象的存在で、世界から孤立し、独立し、切り離されているという考えを認めない。それはまた、世界が人間とはかけ離れた実在であるという考えも拒否する。
 真の省察が認めるのは、抽象的人間や人間不在の世界ではなく、世界との関係にある人間だけである。この関係のなかで、意識と世界は同時に存在する。意識は世界に先行するのでもなければ、そのあとにしたがうものでもない。
18. 私が穿ってきたささやかな孔---授業編
 2004年9月1日


 私の教師生活は、始めの十数年は無自覚な銀行員教師のノホホン世界であり、その後は銀行員教師から抜け出ようと悪戦苦闘する冷や汗生活だった。そして結局は、情けないけど、自覚しながらも中途半端な半銀行員教師で終わったといったところだろうか。
 後半分は、銀行型教育からの脱却という方向性をもって言ったりやったりしてきたので、たいていの問題で銀行員教師とのぶつかり合いになった。成果はあんまりなく、いつも「ごく少数派」ときには「ひとり派」だった。
 他者に受け入れられないのは過激にすぎたためだろうか。最後の赴任校では、いくぶん親しみと揶揄を込めてのレッテルだと思うが、私のことを「中年過激派」と呼んでいる人がいた。

 教師時代、私は自分がやっていることを、たびたび同僚たちに公開(いわゆる実践報告)してきた。あえて恥をさらすのは、一人でも同行者が得られればと願えばこそなのだが、あるとき「自慢したがっている。」という評をされ、がっかりしたことがある。自慢するほどのものではないことを、本人が一番よく知っているいるのにね。
  そんな実績?をもった代物だけど、何らかの参考にでもなればと、再び恥をかくことにした。退職時にまとめた文に加筆訂正を加えて掲載する。
 

 教師になって2年目、初めて担任をしたクラスで生徒を一人亡くした。大変なショックだった。そして自問した。この生徒にとって私の授業は何だったのだろうか。
 ごたぶんにもれず私には学校や授業については深く考えたこともなく、私の授業はなによりもまずよりよい進学やよりよい就職のためのものだった。だとすると、進学や就職の機会を持たなかったこの生徒にとって私の授業は無駄なものだったといえないか。授業はこの生徒にも意義があるようなものでなくてはいけないのではないか。

 教師になって11年目、都会から離れたくなって、三宅島の高校に転勤した。島で唯一の高校だから、中学卒業生のほとんど全員が入学してくる。中には分数の計算ができない生徒がいた。九九が全部言えない生徒がいた。ときには繰り上がり繰り下がりの足し算引き算ができない生徒もいた。
 選別された生徒を相手に上手にやってきたつもりの私の授業は、この生徒たちには通用しなかった。一体この生徒たちにとって私の授業は何だったのだろうか。

 学校教育にかかわることを考えるとき、私はいつもこの二つの体験を反芻する。授業についても、この生徒たちにとっても意義のあるような授業を目指して工夫してきた。



授業書(授業用自作テキスト)

 三宅高校でぶつかった壁が越えられず数年悶々とした日々を送った。その頃、パウロ・フレイレの著書と出会い、自分が銀行員教師に過ぎないことを自覚した。そして同時に目指すべき方向を学んだ。

 同じ頃、フレイレとの出会いに続いて、救いの手が、見計らったように、重ねて差し伸べられてきた。
 学校宛てに数学教育協議会(以下、数教協と略称)夏期大会の案内書が送られてきた。数教協の学校宛の案内は後にも先にもこれっきりだったから、まるで誰かが私のために手を差し伸べてくれたみたいだ。研究発表の題目を見ただけで、おれが求めていたものはこれだ、と直観した。その種の研究会についぞ出たことのない私が飛んでいった。
 そこにまたうれしい偶然が待っていた。

 まだ新米教師の頃、官製の数学教育研究会の下働きに狩り出された事がある。官製の研究会では文部省や都からの役人や校長などの所謂お偉方は別待遇で、もちろん部屋は別にあつらえられる。発表される研究内容も銀行型教育の枠内にとどまり、何の新味も無くつまらない。それ以来、一度も参加したことがない。

 数教協が官製のお仕着せ研究会と違うすごい点の一つは、すべての幹部・役員を含めて、部屋割りは申し込み順なのだ。なんと、私は故・遠山啓委員長と同室だった。遠山先生の部屋にはつわものたちがたくさん出入りして、ほとんど徹夜で示唆に富むお話を伺った。
 「その教室の中で最もできない生徒にとって楽しい授業は、もっともできる生徒にとっても本質的なよい授業である。」と遠山さんはいう。障害者教育の実践を通して得た見識である。これも授業作りをするときの大事な指針となった。

 研究発表の内容も官製のそれとはまるで質が違う。数教協で発表される研究内容は銀行型教育のその枠を大きくはみ出でいる。
 数教協では、具体物(現実の世界)と抽象物(数学の世界)を仲立ちをする半具体物(教具・教材)を「シェーマ」と呼んでいる。数教協の諸実践の中で特にこのシェーマの研究に私はびっくりした。抽象度の高い高校の数学でも有効な教具が可能なのだ。

 課題提起教育というとすぐに思い出すのは理科の仮説実験授業だが、その大会でその授業にも出会った。仮説実験授業もすごい。誰がどこでやってもよい授業になるような「授業書」と呼ばれる授業用プリント教材が開発されている。

 チョークだけを持って教室に臨んでいた私の授業が一変した。
 私は仮説実験授業の授業書をまねて、すべての授業をプリントでやることにした。ほんの真似事に過ぎないが、やはり「授業書」と呼ぶことにした。できるだけ黒板を使わないための方便でもあり、教師のほうを見る暇もないほどせっせと黒板を写す苦行から生徒を解放する意味もある。
 授業書には、導入部分や最後のまとめの問題で、できるだけ現実の世界に関連したものを取り入れた。数学の歴史の話も盛り込んだ。また、不器用な私にも簡単に作れるような教具はそれを用意した。これらは数教協の研究成果を大いに利用した。
 授業の最後には必ず授業についての感想文を、生徒全員に書いてもらい、授業書の改良に資した。
 よくテストのときに感想文を要求する教師がいるが、あれはダメだ。役に立つ感想文を書いてもらうには、無記名で、十分な時間を与えなければいけない。

 さて、授業書による授業を生徒はどう受け止めたか。授業の評価は生徒にしてもらうにしくはない。

 「とてもよい授業方法だと思った。ただ問題の解説だけをし、それをノートに写すだけという予備校のような授業方法が多い昨今、ノートを取るという作業から解放し、プリント形式にして書き込みながら理解し、そして演習し、それから教科書の問題を解く。こういう流れは作業というよりも学習という授業本来のあり方の一つではないかと思う。」

 「先生の授業は数学の苦手な人、嫌いな人にとっては大いに感激すべきものだったと思う。結局先生はできる人のための授業よりも、できない人のための授業を中心にしてくれていたと思う。とっても面白く役に立つ授業でした。先生の授業がいつまでもできる人よりできない人のためにあってほしいと願っています。」

 「はっきり言って最初はびっくりしました。一番最初の授業が足の水虫の問題から始まったからです。でもこのようなみんなの気を引くような問題文になっていたのでとてもやりやすかったです。1週間に5時間も数学の授業があるなんて、と思ったけれど、授業中に笑いがあったので、とても楽しかったです。」

 「問題の文も楽しくて印象深かったです。あと、問題ではなくて、歴史と言うか読み物的な文章が好きでした。」

 「他のクラスの子の話を聞いたりすると、なぜこうなるのかがわからない(例えばlogとかは解き方はわかるけど一体なんなのか?)という人がよくいるけど、そういうことも、実際日常のことなどをつかって教えてもらったのですんなりと理解できて本当に良かった。」