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昭和の15戦争史(2)

1928年(1)~(4)

(1)1月25日
「歩兵操典」の改定


 「必勝の信念」
 たとえば、1939年夏のノモンハン事件での大敗に、日本陸軍は何を学んだか。1940年1月に「事件研究委員会」は結論を出した。

「戦闘の実相は、わが軍の必勝の信念および旺盛なる攻撃精神と、ソ連軍の優勢なる飛行機・戦車・砲兵の機械化された各機関および補給の潤沢との、白熱的衝突である。日本軍は伝統の精神威力をよく発揮せり」

 このように、昭和の日本陸軍は「必勝の信念」という無形の精神要素をしきりに強調した。

 この「必勝の信念」が典範令に初めて明記されたのが、昭和1928年1月25日改訂の「歩兵操典」である。綱領のなかにある。

「必勝の信念は主として軍の光輝ある歴史に根源し、周到なる訓練を以てこれを培養し卓抜なる指揮統帥を以てこれを充実す」

 戦争中の日本兵士は、この信念のもとに突撃していった。物力の不足をカバーするために、やむなく強調されたことも知らないままに……。

 このように精神を鼓舞して無謀な戦争で一般へ兵士の死を強い続けていたのが15年戦争の実態である。

 ところで、この兵士たちを徴兵した「徴兵令」は、なんと、1873(明治6)年1月10日に制定されている。そこに至る経緯は次のようである。(山川出版社版の『詳説 日本史 史料集』を用いている。以後『史料集』と略記する。)
 1872年11月28日に出された「全国募兵の詔」の趣旨説明として太政官が「徴兵告諭」という布告を発布した。それに基づいて、徴兵令が1873年1月10日に制定される。その徴兵令では17歳から40歳の者を兵籍にのせ、20歳に達した者を徴兵した。

 1927年4月1日に公布された昭和の「兵役法」は「徴兵令」を改題・改正して成立したもので「帝国臣民たる男子」に兵役に服すことを命じた法律である。徴兵令では20歳で徴兵検査を受け、兵役に服すことを義務づけていたが、兵役法は現役期間を1年短縮し、陸軍は2年、海軍は3年とした。その後、戦争が拡大するにつれ、しばしば改正された。当然のことながら、敗戦後の1945年11月17日に廃止された。

(2)3月15日
3・15事件起こる


「床に頭をどしんどしん」

「取調室の天井を渡っている梁(はり)に滑車がついていて、それの両方にロープが下っていた。龍吉はその一端に両足を結びつけられると、逆さにつるし上げられた。それから『どうつき』のように床に頭をどしんどしんと打ちつけた。……彼の頭、顔は文字どおり火の玉になった。目はまっ赤にふくれ上って飛び出した。『助けてくれ!』彼が叫んだ」

 作家小林多喜二の『一九二八年三月十五日』という小説の一節である。これが事実とは思えぬむごさではないか。

 この年、昭和1928年2月の第1回総選挙は投票率80パーセントの「異常なる好成績」を示した。当局の弾圧もひどく、汚れた選挙といわれながらも、再建されたばかりの日本共産党は8名の当選者をだす。そして"天皇制打倒、労働者農民政府の樹立"をスローガンに大胆な活動をはしめた。

 これに脅威を感じた田中義一内閣は、特別議会召集に先立って、治安維持法にもとづき、全国にわたる大検挙を行った。それが3月15日、世に3・15事件という。逮捕されたもの約1000名。小林多喜二も小樽でつかまったが、小説にはそのときの拷問の体験を描いている。

 1933年3月24日に長時間の拷問によって殺される。詳細は1933年の項で取り上げる。

 アベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相が強行採決した「共謀罪法」はこの時猛威を振るった治安維持法に例えられている。戦前の弾圧法・治安維持法に詳しい内田博文(神戸学院大学教授)さんにインタビューした記事『治安維持法の亡霊が導く「戦争国家」と「刑罰国家」』がこの事を詳しく論じている。紹介しておこう。

 さて、ここで問題になっている治安維持法は1923(大正12)年に関東大震災後の緊急勅令として公布された「治安維持令」が基になっている。25年に治安維持法が公布され、28年の改定で処罰範囲が拡大され、法定刑に死刑が追加された(このときの改悪については今回の『残日録』からの最後の引用文が詳論している。まさしく『共謀罪法』である)。そして、41年の改定で処罰範囲と死刑の対象をさらに大幅拡大する。この悪法も敗戦後、45年に連合国軍最高司令部(GHQ)の指令で廃止された。  『共謀罪法』は、アベコベを退場させて、国民の手で廃止させたいものだが、アベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相の本質を理解できずに未だにアベコベを支持している愚民が多い今、残念ながら、『共謀罪法』の廃止は難しい。

 『残日録』からの引用を続けよう。

(3)6月4日
張作霖爆殺事件


「軍紀をとくに厳粛にする」

 昭和史は日本陸軍の陰謀で不幸な幕を開けた。1928年6月4日の張作霖爆殺事件がそれである。満洲(中国東北地方)軍閥の頭目の彼を謀殺することで、混乱をひき起こし軍隊を出動、満洲全土を制圧しようというねらいである。

 計画は関東軍高級参謀の河本大作大佐により練られた。現場には中国人3人の死体を放置することも忘れなかった。そして事件翌日の新聞は、蒋介石の国民革命軍の便衣隊(ゲリラ)のしわざと報道した。

 しかし、息子の張学良の避戦主義で、河本と関東軍が夢みたような武力衝突は起こらず、これを機とした日本陸軍の軍隊の大挙出動もならなかった。そればかりか、中国の新聞や英字紙は、関東軍の陰謀であることを書きたて、そのうわさは日本内地にも広がりだした。

 昭和天皇は、陸軍出身の田中義一首相に「軍紀をとくに厳粛にするように。それによって国際信義をつなぎとめるべし」といい、責任者の厳罰を要望した。しかし、陸軍はそれに従おうとはせず、田中首相はそれに引きずられた。

 下剋上もまたここからはじまる。


 この時から陸軍は天皇の意向も無視し遣りたい放題の道を進むようになったようだ。
(4)6月29日
改悪された治安維持法


「国体の変革には死刑を」

 敗戦まで、昭和の日本人を頭から重苦しく押さえつけ、平穏な生活をかき乱し、生きづらくしていたものに治安維持法がある。この法律のそもそもは1925(大正14)年4月に公布されたものであった。

 しかし、それを真に"悪法"たらしめたのは、1928年6月29日、田中義一内閣がこれを全面的に改悪し、枢密院で可決させると同時に、即日施行した日にはじまる。

 はじめこの改正案は、野党の反対で審議未了となった。それを、政府は天皇の命令「緊急勅令」という形で改正し公布した。また日本全県の警察に特高警察課をおくことも、7月3日の勅令できめたのである。

 「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者ハ……死刑又ハ無期」と重刑になったばかりでなく「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者」も罪に問われることになる。

 つまり官憲がさしたる証拠がなくとも「目的遂行ノ為」と断定すれば、治安維持法の対象となる。

 この日から日本に思想と言論の自由がなくなっていく。

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昭和の15戦争史(1)

今はまさに戦前である

 これまで、あの無謀な戦争を引き起こした時代を「美しい日本」と恋い焦がれるアベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相が強引に引き起こしてきた戦争への道を強く危惧する記事を書き継いできたが、その戦争への道作りを許してきた世相の根底には「美しい日本」の実態を知らない人が意外と多いことが指摘できる。勿論、その人の中に、通り一遍の知識しか持たない私も含まれる。そこで、昭和の15戦争については断片的にいろいろな所で取り上げてきているが、改めて「美しい日本」の歴史を検証し直してみようと思っていた。そんな折、日刊ゲンダイの「注目の人 直撃インタビュー」で丹羽宇一郎さんが『今の日本こそ「戦争の真実」学ぶべき』という提言をしている記事に出会った。記事全体に強く共感し、多くの人に読んでもらいたいと思った。その中から冒頭の文と戦争を知らない人たちへの危惧を述べた一文を転載しておく。

『この国のトップは緊迫する北朝鮮情勢に「対話より圧力」と拳を振り上げ、設立されたばかりの新党の女性党首は「リアルな安保」を入党条件に掲げる。社会全体に開戦前夜のようなムードが漂う中、中国大使を務めた経験を持つ国際ビジネスマンである日中友好協会会長の丹羽宇一郎氏は近著「戦争の大問題」で、こう訴えかけている。今こそ日本人は「戦争の真実」を知らなければいけない。』

『本当の戦争を知る人々は、その体験を自分の子供たちにも話せない。食料を奪ったり、友達の肉を食べたり。いざという時にそこまで残酷な動物となった経験を語れるわけがない。戦争は人を狂わせます。だから体験者は皆「戦争だけはやらないでくれ」と口をそろえるのに、戦争をイメージできない世代には「やろう」と粋がる人が多い。こんな怖いことはない。』

 さて、今回から私が主として用いる教科書は半藤一利さんの著書『昭和史残日録』である。簡潔でしかも学芸や芸術などの事績も含まれている総体的な歴史書であるが、主として戦争に関連した事項をたどっていくことにする。また、手元に半藤さんの編著本『昭和史探索1~6』と辺見庸さんの『★1★9★3★7(イクミナ)』があり、これらをはじめ他にもいろいろな資料を利用することになると思う。

 ではさっそく『昭和史残日録』を読み始めよう。最初の戦争関連記事は1927年3月24日(昭和2年、以下年表記は西暦だけとする)の記事である。

1927年 もう一つの「南京事件」

「洋鬼子、ざまを見ろ」

 昭和二年三月二十四日、中国の国民革命軍(1905年、孫文によって結成された)による北伐は、各地で軍閥を敗走させ、ついに青天白日旗を掲げて南京入城の日を迎えた。戦闘はやみ、市内に静寂が戻ったのも束の間、「洋鬼子、ざまを見ろ」「ここは俺たちの土地だ」などと叫びつつ、一部の兵士の外国領事館への襲撃が開始された。「洋鬼子」とは外国人を罵る言葉である。

 日本領事館へは200名の兵士が突入してきた。死者こそ1名であったが、中国兵による暴行は凄惨をきわめた。とくに婦女子に加えられた暴虐は、正視するに忍びなかった。結果は、それが克明に報道されることによって、中国にたいする日本人の憎悪感を増大させ、以後の日中関係は悪化する一方となる。

 また、救援に赴こうとした海軍陸戦隊長の荒木亀男大尉は、途中で外交上の手違いから武装解除され、空手空拳で惨劇を眺めやるほかなくなった。その責任をとり後日自殺したが、遺書に「帝国海軍の名誉を傷つけられたことを愧(は)じる」の悲壮な一行がある。この報は、いっそう反中国熱をあおることとなった。昭和開幕早々のまことに不幸な、そして不運な事件であった。

 私はこの事件初めて知った。ネットに『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行)の解説があったので補充すると、上の記事では領事館を襲ったのは国民革命軍とされているが、辞典では「国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある」とされている。また、イギリス・アメリカの領事館も襲われているが、これに対して「長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城内に威嚇砲撃を加えた」とかかれている。

 日本ではこの事件後(6月27日~7月7日)「東方会議」が設置された。「東方会議」は田中首相兼外相主宰の下に本省幹部、在支公使、在上海、在漢口、在奉天各総領事並びに陸海軍、大蔵、関東庁、朝鮮総督府各代表者など出席して開かれた。そしてこの会議の最終日に田中首相の訓示という形で「対支政策綱領」が発表された。何の事はない、この綱領が「中国の植民地化」すなわち「昭和の15年戦争」への道を開いていく基(もとい)となったのだ。「対支政策綱領」の全文が『昭和史探索・1』にあるので、それを転載しよう。

 極東の平和を確保し日支共栄の実を挙ぐること、我が対支政策の根幹なりとす。しこうしてこれが実行の方法に至っては、日本の極東における特殊の地位に鑑み、支那本土と満蒙とに付き自ら趣を異にせざるを得ず。今この根本方針に基づく当面の政策綱領を示さんに、
一、
 支那国内における政情の安定と秩序の回復とは現下の急務なりといえども、その実現は支那国民自らこれに当ること、最善の方法なり。
 したがって支那の内乱政争に際し、一党一派に偏せず、もっぱら民心を尊重し、いやしくも各派間の離合集散に干渉するが如きは、厳に避けざるべからず。
二、
 支那における穏健分子の自覚に基づく正当なる国民的要望に対しては、満腔の同情をもってその合理的達成に協力し、努めて列国と共同その実現を期せんとす。
 同時に支那の平和的経済的発達は中外の均しく熱望するところにして、支那国民の努力と相まって列国の友好的協力を要す。
三、
 叙上の目的は、畢竟、鞏固なる中央政府の成立により初めて達成すべきも、現下の政情より察するに、かかる政府の確立容易ならざるべきをもって、当分各地方における穏健なる政権と適宜接洽(せつこう)し、漸次全国統一に進むの気運をまつの外なし。
四、
 したがって政局の推移に伴い南北政権の対立または各種地方政権の連立を見るが如きことあらんか、日本政府の各政権に対する態度は全然同様なるべきは論をまたず。かかる形勢の下に対外関係上共同の政府成立の気運起るにおいては、その所在地の如何を問わず、日本は列国と共にこれを歓迎し、統一政府としての発達を助成するの意図を明らかにすべし。
五、
 この間支那の政情不安に乗じ、往々にして不逞分子の跳梁に因り、治安を紊(みだ)し、不幸なる国際事件を惹起するの虞(おそれ)あるは争うべからざるところなり。帝国政府は、これら不逞分子の鎮圧および秩序の維持は、ともに支那政権の取締り並びに国民の自覚により実行せられんことを期待すといえども、支那における帝国の権利利益並びに在留邦人の生命財産にして不法に侵害せらるる虞あるにおいては、必要に応じて断乎として自衛の措置に出てこれを擁護するの外なし。
 殊に日支関係に付き捏造虚構の流説に基づきみだりに排日排貨の不法運動を起すものに対しては、その疑惑を排除するは勿論、権利擁護のため、進んで機宜の措置を執るを要す。
 (管理人注:この「五」が『もう一つの「南京事件」』を念頭にして書かれている。)
六、
 満蒙、殊に東三省地方に関しては、国防上並びに国民的生存の関係上重大なる利害関係を有するをもって、我が邦として特殊の考量を要するのみならず、同地方の平和維持、経済発展により内外人安住の地たらしむることは、接壌の隣邦として特に責務を感ぜざるを得ず。しかりしこうして、満蒙南北を通じて均しく門戸開放、機会均等の主義により内外人の経済的活動を促すこと、同地方の平和的開発を速やかならしむるゆえんにして、我が既得権益の擁護ないし懸案の解決に関してもまた右の方針に則りこれを処理すべし。
 (管理人注:「東三省地方」は中国東北地区の旧称で、黒竜江・吉林・奉天の三省があった。)
七、(本項は公表せざること)
 もしそれ東三省の政情安定に至っては、東三省人自身の努力に待つをもって最善の方策と思考す。
 三省有力者にして、満蒙における我が特殊地位を尊重し、真面目に同地方における政情安定の方途を講ずるにおいては、帝国政府は適宜これを支持すべし。
八、
 万一、動乱満蒙に波及し治安乱れて同地方における我が特殊の地位権益に対する侵害起るの虞あるにおいては、そのいずれの方面より来るを問わずこれを防護し、かつ内外人安住発展の地として保持せらるるよう、機を逸せず適当の措置に出づるの覚悟あるを要す。
 終りに、東方会議は支那南北の注意を喚起したるものの如くなるをもって、この機を利用し、各位帰任の上は、文武各官協力、もって対支諸問題ないし懸案の解決を促進することとし、本会議をしてますます有意義ならしむるに努められたく、はたまた叙上我が対支政策実施の具体的方法に関しては、各位に対し本大臣において別に協議を遂ぐるところあるべし。

歴史隠蔽偽造主義者たち(11)

「慰安婦強制連行」捏造論(4)

 前々回、政治家たちの旧態依然とした「慰安婦強制連行」捏造論を取り上げたが、最近、慰安婦強制連行を巡って「新しさを装った歴史修正の動き」があるという。特集『「南京」と「慰安婦」』の慰安婦関係の第2記事がそれについて論じている。これを取り上げてカテゴリ「歴史隠蔽偽造主義者たち」を終わることにする。

 この論考の筆者は東京外国語大学教授の金富子(キム プジャ)さんである。その表題と枕の文は次の通りである。
根拠なき新説? 朴裕河氏をもてはやしていいのか 金富子

南京大虐殺や日本軍「慰安婦」をめぐり、「歴史修正」という名の偽造を恥ずかしげもなく"外交戦略"にする日本政府と自民党だが、新しい偽造とも言うべき根拠なき主張で日本の"リベラル知識人"をも取り込んでいるのが韓国・世宗(セジョン)大学校日本文学科教授の朴裕河(パク ユハ)氏だ。その主張の何が問題なのか。

 ティル・バステイアン著『アウシヴイッツと〈アウシュヴイッツの嘘〉』(石田勇治ほか編訳、白水社)という本がある。ナチによる大量虐殺の事実と、それを無害化・否定しようとする歴史の偽造について簡潔明瞭にまとめている。欧米では、歴史を偽造する人々を修正派」と呼ぶが、その議論の中心は犠牲者数を少なく疑わせて「大量虐殺」の信用失墜を図ることだ。「証拠」を創り出したりもする。

歴史修正を外交戦略に

 日本でも1990年代後半から「修正派」の台頭が著しい。その特徴は「南京大虐殺」否定、「慰安婦」否定を政府・政治家が率先して行なうことだ。10月に中国がユネスコ(国連教育科学文化機関)に申請した「南京大虐殺文書」が世界記憶遺産に登録されたが、これに対し日本政府はユネスコヘの分担金拠出の見直しに言及した。ここでも犠牲者数が問題にされ、「虐殺」の信用失墜が図られた。

 「慰安婦」否定ではどうか。2014年8月の『朝日新聞』「慰安婦」問題検証記事をきっかけに、安倍晋三首相は国会で同年10月「日本が国ぐるみで性奴隷にしたとの、いわれなき中傷がいま世界で行われている」と述べた。自民党の国際情報検討委員会も同年9月、「慰安婦の『強制連行』の事実は否定され、性的虐待も否定された」「国連をはじめ全ての外交の場、また官民挙げての国際交流の中で、国としての正しい主張を訴え続ける」と決議した。歴史修正は、政府・自民党の外交戦略になっている。

 歴史修正の動きは政府だけでない。最近は "新しさを装う" のが特徴だ。その例が韓国の日本文学研究者・朴裕河『帝国の慰安婦』(韓国語2013年、日本語版2014年)である。韓国では話題にならなかったが、兵士とは「同志的関係」、「協力者」などの記述に対して、昨年6月に「ナヌムの家」の被害女性9人が名誉毀損裁判(民事・刑事)を起こし、一躍知られるようになった。

 他方、日本ではリベラルとされる『朝日新聞』などメディアや一部の日本人(男性)知識人が、彼女の言説を「もてはやす」という構図になっている(同書への詳細な批判は鄭栄桓(チョン ヨンファン・明治学院大学准教授のブログ参照)
 では、どこが新しく見えて、新しくないのか。

少女は「少数例外」?

 まず、「慰安婦」にされた朝鮮人少女は、「少数で例外的」という朴氏の主張を取り上げよう。新しい説である。
 朴氏は同書で、
①韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究所が編んだ証言集(『強制的に連行された朝鮮人軍慰安婦たち』第5集、以下『強制5』、韓国語)の被害女性の証言を使って「わたしが一番幼かった。ほかはみな20歳過ぎ」
 と紹介したり、
②ビルマのミッチナで捕虜になり米軍政府情報局の尋問をうけた朝鮮人「慰安婦」20人の「平均年齢は25歳だった」
 などとして、朝鮮人「慰安婦」=少女は[少数で例外的]、しかも「軍の意思よりは業者の意思」―などと強調する。

 しかし
①について、実際に朴氏が使った証言集『強制5』をみると、証言者の連行時の年齢は皆「20歳以下」であった。
②のミッチナの朝鮮人「慰安婦」20人にしても、捕虜にされた時は「平均23歳」、2年前に徴集された時は「平均21歳」であり、しかも20人のうち未成年(国際法では20歳は未成年)が12人と過半数が少女だった。
 つまり、朴氏の「少女は少数で例外的」という新説は、創り出された「証拠」であり、根拠がない(Fight for Justiceブックレット3『朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』御茶の水書房を参照)

背景に植民地支配と差別

 次に、「性奴隷否定」説だが、朴氏だけでなく、秦郁彦氏、(THE FACTS」(『ワシントン・ポスト』意見広告)、さらに安倍首相も先述のように主張してきた。

 朴氏の特徴は、朝鮮人「慰安婦」を、未成年ではない、〈愛国〉的役割や兵士との恋愛があったとか、慰安所での日本人兵士/朝鮮人「慰安婦」の関係を「同じ日本人としての〈同志的な関係〉」を強調することだ。
 なぜか。そうした特徴をもつ日本人「慰安婦」に限りなく近い「帝国の慰安婦」=新しい朝鮮人「慰安婦」像を主張するためと思われる。ここでは、民族の支配・被支配の関係が消える。しかし、その前提には、公娼出身の日本人「慰安婦」は性奴隷ではないという認識がある。

 問題は日本人「慰安婦」への認識不足を露呈していることである。2000年「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」や、最近刊行されたVAWW RAC編『日本人「慰安婦」』(現代書館)で解明されたように、日本人「慰安婦」は公娼制度下だけでなく、慰安所でも性奴隷であった。心情的交流や恋愛があったとしても同様である。問題の核心は、偶発的な個人関係ではなく、制度にあるからだ。

 朝鮮人「慰安婦」に少女が多かったのは、政策的裏付けがある。吉見義明氏が『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)で明らかにしたように、第一に、日本政府による「慰安婦」徴集(選別)に関する民族差別である。日本人女性の徴集は「満21歳以上で、性病のない、売春女性」(内務省警保局長通牒、1938年2月23日)に制限されたので、植民地から「未成年で、性病のない、非売春女性」が徴集された。第二に、「婦女売買に関する国際条約」など国際法の抜け道として植民地が適用除外された。第三に、日本軍将兵の性病対策として、植民地の性経験のない未婚女性がターゲットにされた(麻生徹男軍医の意見書など)。

 つまり、徴集には朴氏のいう業者ではなく「軍・政府の意思」が作用した。もちろん朝鮮人女性で未成年がターゲットにされた最大の理由は、日本による朝鮮植民地支配と民族差別・性差別にある。

秦氏が太鼓判押す

 興味深いのは、日本の歴史修正主義のマエストロともいうべき秦郁彦氏による朴氏への評価である。「慰安婦」制度を「公娼制の戦地版」と位置づける秦氏は、朴氏を次のように評価する(「慰安婦事実を見据えるために」『週刊文春』2015年5月7・14日号、鄭栄桓氏のご教示による)

 〈筆者(=秦郁彦)と似た理解を示したのは、韓国世宗大学校の朴裕河教授である。/しかし強制連行や性奴隷説を否定し、「韓国軍、在韓米軍の慰安婦の存在を無視するのは偽善」と指摘した彼女は、慰安婦の支援組織から「親日的」だとして提訴された。〉(抜粋)

 秦氏は、朴氏が「強制連行や性奴隷説を否定し」たと理解し、それを秦氏と「似た理解」と太鼓判を押したのである(ただし朴氏を提訴したのは「ナヌムの家」被害女性9人であり、先述の挺対協は韓国軍や在韓米軍の「慰安婦」被害者を支援しているので、誤解がある)。

 一見新しく見える朴氏の「慰安婦」理解は「修正派」であり、連行や慰安所での軍の関与と強制性を否定する点でも「河野談話」の破壊に行き着く。しかしもっとも問題なのは、秦氏の「慰安婦」理解を敬遠し「河野談話」を支持するのに、秦氏と「似た理解」を述べる朴氏を「もてはやす」日本のリベラル派なのは言うまでもない。

 ネット検索で、「誰のための和解なのかー『帝国の慰安婦』の反歴史性」(鄭栄桓イム・ギョンファ訳/青い歴史)の翻訳出版記念講演会の詳細を伝える『東アジアの永遠平和のために 朴裕河対鄭栄桓「慰安婦」評価巡り激突(ハンギョル新聞)という記事に出会った。紹介しておこう。
歴史隠蔽偽造主義者たち(11)

「慰安婦強制連行」捏造論(4)

 前回の引用文中に次の一文があった。
『日本軍の占領地で直接的な暴力や脅迫による、安倍首相の言う「人さらい」のような「強制連行」があった事実も明らかになっている。』

 私たちは強制的に慰安婦にされた人たちが朝鮮や日本の女性たちだけではないこと知り記憶に止める必要がある。特集『「南京」と「慰安婦」』の「慰安婦」関連の記事の中に、成澤宗男さんがヒフレデ・ヤンセン(Hilde Janssen オランダ在住文化人類学者)という方にインタビューした記事がある。ヒフレデ・ヤンセンさんはインドネシアで「慰安婦」の調査をした方で『恥辱と潔白 インドネシアの「慰安婦」の抑圧された戦争の過去』などの著書がある。今回はこの記事を読むことにする。表題と枕の文は次の通りである。
日本軍はインドネシアで何をしたのか

自民党政権は、日本軍「慰安婦」を「強制連行していない」と主張する。だが、インドネシアの数々の実例はこれがウソだと示している。

 本文を読んでみよう。

――ヤンセンさんは20年近くインドネシアにお住まいで、2007年から日本占領時代のインドネシアで日本軍「慰安婦」にされた女性たちの聞き取り調査を手がけられました。これまで繰り返されてきた戦時性暴力の歴史において、日本軍「慰安婦」の特徴は何であるとお考えですか。

 第二次世界大戦中の戦時性暴力は、突発的、かつ短期間に発生しているのが特徴です。しかしこれほど長期にわたり、かつこれほど多くの女性たちを軍隊が暴行した例は、日本のほかにありません。しかも軍隊が「慰安所」を設置し、管理・運営するという組織性についても、際だった特徴でしょう。

――これは日本だけのシステムだと。

 インドネシアには、1941年12月の真珠湾攻撃前に日本人の医師がスパイとして送り込まれています。彼は現地の売春施設にいる女性たちの健康状態を調べ、その報告書が残っています。多くの女性たちが性病にかかって健康ではないとして、「村の協力を得て女性たちを選び、『仕事がある』という名目で『慰安所』に送る」というシステムを提案しています。実際にこの通りにしたのですが、きわめて計画的、組織的です。

「強制連行」された「性奴隷」

――日本の菅義偉官房長官は昨年の9月5日の記者会見で、インドネシアでは「(『慰安婦』の)強制連行を示しているものは見当たらなかった」と発言していますが。

 まったくのウソですね。私の調査では、「慰安所」は軍の命令で設直されたもののほか、数が足りなかったため、現地の司令官が工場等を利用し私的に「慰安所」にした例もあるのですが、いずれにせよ女性をそこに強制的に連行し、監禁してレイプし、あるいは売春を強要するというやり方は変わりません。中には映画館にいたら、兵士に無理矢理「慰安所」に連れて行かれた例もあります。さらには兵舎で日中は料理や洗濯をさせ、夜間に集団レイプするという例もありました。調査で会ったうち、「慰安婦」にされた最年少の女性は実に11歳でしたが、銃を待った兵士に対し何も抵抗できない状況のまま、「慰安所」に入れられたのです。なぜこうした例が、「強制連行」ではないのでしょう。

――外務省は、日本軍「慰安婦」は性奴隷ではないとも他国に主張しています。

 これも、明らかにウソです。「奴隷」という定義にもよりますが、「慰安婦」にされた女性たちは、入れられた「慰安所」から出ることを許されませんでした。日曜日に外出できる例もありましたが、兵士の監視付きでした。抵抗できなくされた上で監禁され、売春を強制されたのなら、明らかに性奴隷と見なしうるはずです。

 07年11月にオランダ下院は全会一致で採択した決議で、
「旧日本軍が戦時中、アジア諸国や西欧出身の女性を『性的奴隷』として働かせた」
と非難し、日本政府に元「慰安婦」への謝罪と賠償を求める決議を採択しています。こうした声に、耳を傾けるべきです。

――このような愚かな日本政府の言動に対し、どのように思われますか。

 おそらく安倍晋三首相を始めとした日本政府は、特定の国が「日本を貶め、恥ずかしい思いをさせようとしている」と考えているようですが、そうした姿勢こそ日本にとって国際社会での「恥」ではないでしょうか。二度と誤りを繰り返さないためにも、自国の歴史を直視すべきでしょう。そして何よりも、「自分たちを被害者として認めてほしい」という元「慰安婦」の声に耳を傾け、彼女たちの証言が事実であると認めるべきです。そうしない限り、彼女たちの尊厳は決して回復しません。彼女たちに残された時間が少なくなっている以上、日本政府は早く姿勢を改めるべきでしょう。

 知れば知るほど恥の上塗りを繰り返している日本の極右政治家・学者・評論家の存在が同じ国に生きている一人として穴があったら入りたいほど恥ずかしくなってくる。

(追記)
 『週間金曜日』最新号(1155号 10月6日刊)に「慰安婦」被害者を記録し続けている写真家・安世鴻(アン セホン)さんへのインタビュー記事が掲載されている。その記事にはインドネシアの他に海南島(中国)や東チモール・フィリピンでの日本軍による女性拉致事件が取り上げられている。どの例も読むに堪えないようなおぞましい事件である。

 安さんは5年前に慰安婦の写真展を計画したが、中止に追い込まれていた。その事件を裁判で争って勝訴している。今回、『重重 消せない痕跡Ⅱ アジアの日本軍性奴隷被害女性たち」』という2回目の写真展を開催していた(10月9日終了)。その写真展への思いを次のように語っている。
「周りの冷たい視線、差別、目をそむける加害国と被害国……。こうした苦痛が被害者の中に幾重にも積もっている。彼女たちと共に泣き、笑って過ごしながら、その人生の内側をレンズに収めることが、私にできる最大限のことなのです。」
 このように被害女性たちに優しく寄り添う人がいることを知り、私の心はほんのりと温かくなっている。

 この記事をまとめた「おかもと ゆか」さん(多分 岡本有佳さん)は最後を次のように締めくくっている。

まなざしに向き合う

「日本では2015年12月の"日韓合意"で、問題が解決したかのような報道が続き、日韓の市民意識のギャップは広がるばかり」
と言う安さんは今回、インターネットでのクラウドファンディングで日韓の市民に直接、資金援助と参加を求め、写真展を実現した。

 安さんは言う。
「被害者の意見を無視した『合意』であり、彼女たちの苦痛は解かれるどころか、積もっていくばかり。しかも、韓国以外の被害者たちはまるで存在しないかのようです」

 12年に起きた東京、大阪のニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件で明らかになったように、日本社会は「慰安婦」問題をタブー化し、覆い隠そうとした。しかし、安さんはニコンの中止決定に抗し、裁判で闘いながら性奴隷被害者の取材・発表を続けてきた。今回が勝訴判決後初の写具展。写真を通して被害者のまなざしに向き合うのは私たちの番だ。

歴史隠蔽偽造主義者たち(10)

「慰安婦強制連行」捏造論(3)

 前2回の今田さんの論考によれば「慰安婦強制連行」捏造論など全く無知にして無恥な者たちにしか為し得ない妄言であることは明白だ。だが哀しいかな、そうした無知にして無恥な連中が政界にはびこっている。『週間金曜日1014号』(2014年10月31日刊)が「歴史修正主義 日本の政治家に蔓延する病」という特集を組んでいる。その特集の巻頭論考を書かれているのは、このブログに何度も登場して戴いている能川元一さんである。その論考を取り上げよう。その論考の表題と枕の文は次の通りである。
なぜかくも愚かで低次元な議論がまかり通るのか
国会内外の妄言に見る「自民党・右派の醜態」

自民党や右派は、『朝日』バッシングによって自分たちの「慰安婦」をめぐる主張が正当化されたとでも思っているのか。その言動を検証すると、あまりに見当外れの暴論ばかりだ。こうした結果、世界での日本の評価を決定的に貶めている現実を彼らは理解できないのか。

 では本文を読んでいこう。無知にして無恥な政治家が続々登場する。

 安倍内閣は、『朝日新聞』が8月5日付朝刊で故吉田清治氏の「証言」を取り上げた過去の記事を撤回したのを最大限利用し、「慰安婦」問題を歪曲する試みを今日も続けている。

 自民党の石破茂幹事長(当時)は早くも8月5日当日、「検証を議会の場で行うことが必要かもしれない」と発言、『朝日』関係者を国会招致する可能性を示唆した。その後10月に、『産経新聞』の前ソウル支局長が朴槿恵(ぱくうね)大統領への名誉毀損容疑で起訴されるとメディアに強権的に介入しようとする韓国政府への批判が強まったが、自民党前幹事長がメディア関係者への恫喝ともとれる発言をしていたことも記憶されるべきだろう。

 またこの日の石破発言についてもう一つ指摘しておきたいのは、「国民の苦しみや悲しみをどう解消するか」などという転倒した課題を設定してみせている点である。これは、安倍晋三首相のお気に入りのフレーズともなった。『夕刊フジ』9月5日付の単独インタビューで、
「(「誤報」で)多くの人が悲しみ、苦しみ、国際社会において日本の名誉が傷つけられている」
と発言している。

 10月3日には、衆院予算委員会で自民党政調会長の稲田朋美議員が「吉田証言をもとに日本の名誉は地に落ちている」とし、党内に吉田「証言」の影響を検証する特別委員会を設置すると表明。これに対し首相は、
「多くの人々が傷つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメージは大きく傷ついた」
「いわれなき中傷がいま世界で行われている。誤報によって作り出された」
と答弁した。

 しかし『朝日』の「誤報」は日本軍「慰安婦」問題の全体を認識するうえでは些末なものにすぎず、国際社会に与えた影響が微々たるものであることは本誌が再三指摘してきたとおりだ。

「強制連行」はあった

 野党側からも、いち早く『朝日』の検証記事に反応した一人が、大阪市の橋下徹市長だったことは驚くにあたらない。日本軍「慰安婦」について「必要だった」などとした発言が、当人が代表をしていた旧「日本維新の会」の党勢衰退につながったと見られていたからだ。

 8月8日の登庁時の会見では、
「少しでも僕が発言したことが(『朝日』の訂正の)きっかけとなったんであれば、それはもう僕は政治家冥利に尽きます」
と自画自賛した。さらに「挺身隊」との混同や、吉田「証言」の紹介は他紙にもあったとする『朝日』の反論について、橋下市長は
「読んでいて不快に思った。自分を正当化している」
と激しく非難している。しかし橋下市長は、同じように他国にも「慰安婦」のような女性はいたとして、日本軍を「正当化」しようとしたのではなかったのか。

 この旧「日本維新の会」から分かれた「次世代の党」幹事長の山田宏衆院議員も、以前から「河野談話」の取り消しを要求しているが、今度は「談話」発表時の河野洋平官房長官(当時)の記者会見での発言が、「強制連行」に言及していことが問題だと主張し始めた(『産経』10月20日ほか)。これについては、菅義偉官房長官も10月21日の参院内閣委員会での答弁で、
「私どもはそこ(注=河野元官房長官の「強制連行」発言)は否定し、政府として日本の名誉、信頼を回復すべく、しっかり訴えている」
と同調。政府の公式な意思として、「強制連行」を否定する結果となった。翌22日付の『朝鮮日報』電子版は「菅長官が河野元長官の発言を明確に否定したのは今回が初めて」と報じており、今後反響が国外で拡大する可能性は高い。

 しかし、これまで国内の研究者、被害者の支援団体の間だけではなく国際的にも、吉田「証言」には依拠せずに就業詐欺や甘言、人身売買により、本人の意に反して「慰安所」に送られたことが「強制連行」と認識されている。また、日本軍の占領地で直接的な暴力や脅迫による、安倍首相の言う「人さらい」のような「強制連行」があった事実も明らかになっている。

 こうした前提を無視し、「強制連行」の否定にこだわればこだわるほど、首相や右派の「慰安婦」問題理解の歪みは国際社会での孤立を招いている。

 安倍首相は9月14日にNHKの番組に出演した際、『朝日』の「誤報」により「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にした」ことを国際社会が「事実」だと受けとめたため、各地で「慰安婦」碑ができているなどと語った。

被害者への「二次加害」

 だが米国パリセイズ・パーク市で最初に「慰安婦」碑が設置されたのは、吉田「証言」が報じられたはるか後の2010年10月で、そのきっかけは皮肉にも第一次安倍内閣時代の07年、首相の「狭義の意味での強制性を裏付ける資料はなかった」という発言が米国で批判を浴びたためだ。事実、碑文などに用いられている「abduct」という語は、被害者を騙して誘拐する行為も指す動詞だ。

 なおこの07年には、訪米した安倍首相はブッシュ大統領(当時)の共同記者会見で「慰安婦」問題を追及された挙げ句、
「元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである」
などと発言。今になって「慰安婦」問題は「言われなき中傷」などと口にする安倍首相は、7年前と同じ発言をできるのか。

 一方で政府は、すでに「強制連行」否定への具体的な一歩を踏み出している。外務省のホームページから、「アジア女性基金」への「拠金呼びかけ文」が削除されていたことが翌10月11日に明らかとなった。菅官房長官は10月15日の会見で「政府作成の文書とそうでない文書が混在」していたため「整理」したと説明。だが、削除のきっかけとなったのは、前出の山田議員が同月6日の衆院予算委員会で、呼びかけ文の「十代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」という表現を問題視する質問をしたことであり政府の意図は明白だ。

 現に韓国外務省報道官は12日、「河野洋平官房長官談話を継承するという日本政府の発言が信じられるのか疑問だ」と、呼びかけ文の削除を批判している。

 自民党の動きはさらに露骨だ。同党の外交・経済連携本部国際情報検討委員会(原田義昭委員長)は9月19日、「慰安婦」問題に関する決議を採択したが、そこでは「いわゆる慰安婦の『強制連行』の事実は否定され、性的虐待(、、、、)も否定された」(傍点引用者)と、日本軍の責任はもとより、何と「慰安所」における人権侵害そのものを否認している。すべてを吉田「証言」の「誤報」に還元する、暴論の極地というべき主張だろう。

 さらに同党の萩生田光一総裁特別補佐は10月6日に出演したテレビ番組で、「河野談話」について「見直しはしないが、新たな談話を出すことで結果として骨抜きになる」などと発言した。しかし内容面で後退した新談話を出せば事実上「河野談話」を否定したものと受けとられるのは確実で、こうした姑息な方法で内外の批判をかわすことは到底不可能だろう。

 このような政府・与党の動きは日韓関係の改善を妨げるのみならず、いまだ世界各地に生存している日本軍による戦時性暴力被害者に対する悪質な二次加害であることを、決して忘れてはなるまい。
広目天の怒り
広目天

怒りは静に深く沈潜させ
より遠くまで射抜く眼差しとなせ。
その眼差しをもって
自由と民主を食い荒らす邪鬼どもの
あさましい心底を射抜き
踏みしだくまで反逆せよ
邪鬼