2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
領土領海ナショナリズム(6)

 前回に出てきた「地域的な超国家組織」を「両岸論76号」では「共同の庭」という「地域住民たちの自己管理」という理念にピッタリの言葉で表現している。この言葉は岡田さんが来日中の中国南海研究院の呉士存院長に「中国が目指す南シナ海政策」を尋ねた時の呉氏の答えの中で使われていた。岡田さんはその時の答えを次のようにまとめているる。

『呉氏は、米中衝突を回避するため米国に頻繁な自由航行作戦を控えるよう求める一方、中国側も過剰な軍事拠点化を抑制すべきと主張。南シナ海での防空識別圏(ADIZ)設定を支持しないとも語った。将来展望については、資源・環境保護を沿岸国と協力して進め、「共同の庭」にしたいと提唱した。中国にも自制を求める踏み込んだ発言は、北京指導部と同氏のパイプから見て、中国が政策を見直したのではないかとの観測も出ている。』

「共同の庭」への道

 「共同の庭」を志向する動きは中国の尖閣諸島をめぐる動きの中で芽生えていた。

 2013年7月、習近平(共産党総書記)は、領有権紛争を処理する基本方針として次の3点を主張した

 主権は我々にある

紛争の棚上げ

 共同開発
 岡田さんは呉氏に「この方針に変化はないか」と質問。これに対して呉氏次のように表明した。

『これは1980年代に鄧小平が釣魚島(日本名 尖閣諸島)問題について提起したもので、新しい提案ではないものの、中国はこの方針に基づき紛争を処理している。紛争の「落としどころ」は共同開発にある。』

 次いで呉氏は、「共同の庭」構想について、2014年11月に李克強首相がミャンマーのネピドーでの中国・ASEAN首脳会議で行なった演説からヒントを得たと述べた。その演説は

 領有権紛争は二国間協議で解決

 安全保障と平和の枠組みは、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)全体で構築
という基本方針に基づき
「南シナ海の平和と安定は、中国とASEANの間で決める。これが最大の沿岸国の中国の責任だ」
とした。さらに、
 「共同の庭」における具体的な協力について、国連海洋法第123条(閉鎖海又は半閉鎖海に面した国の間の協力規定)に基づき、海洋環境の保護と生物資源の持続可能な利用のため「南シナ海沿岸国協力メカニズム」を策定。サンゴ礁の修復、漁業資源の保護と生物多様性などの分野で協力を進めるとしている。

 この演説を受けて呉氏は
「相互信頼関係を増強するだけでなく衝突の危険性を薄め、南シナ海を関係国の『共同の庭』という運命共同体の形成に役立つ」と強調した。

 こうした「共同の庭」構想に対する周辺国の反応はどうだったのだろうか。
 シンガポールの英字メディアが「(共同の庭構想を)報道すると、ベトナム、インドネシア、ブルネイなど各国学者から歓迎された」と述べている。

 呉氏は昨年8月、フィリピンのラモス元大統領が香港を訪問し中国全人代外事委員会の傅瑩主任委員と行なった会談にも参加している。呉氏は
『会談では、フィリピンが提訴した仲裁裁判所の決定を受けた二国間関係のほか、ラモスが北京に行った場合の議題について意見交換した。共同の庭の話はしなかった。』
と述べている。しかし、ラモス会談を受け、フィリピンのドゥテルテ大統領が10月末訪中し、中国の経済支援を引き出すとともに、事実上紛争を棚上げする方針を表明している。

 呉氏が「共同の庭」構想を打ち出してからまだ2年ほどしか経っていない。その後の中国と南シナ海周辺諸国との外交交渉がどうなっているのか、私には分からないが、「共同の庭」創りに向かって手を携えていくことを願ってやまない。

(これで「中国脅威論の信憑性」を終わります。)
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領土領海ナショナリズム(5)

 本道に戻ろう。
(「両岸論」74号と76号を用います。)

 これまで、「アベコベ軽薄姑息うそつきカルト」政権が数々の悪政にもかかわらず、支持され続ける要因は、中国脅威論に代表される「排外主義」と、その裏表の関係にある「日本ホメ」であることを明らかにしてきた。では、前回の「本音のコラム」で山口さんが「世の中をますます息苦しいものにしようとする動きと戦う時である」と言っていたが、この閉塞状況を克服する道はどこにあるのだろうか。これが今回のテーマである。

閉塞状況を克服する道

 中国脅威論をさらに補強する手立てとして、中国の軍事費の伸びが取り上げられる。中国の軍事費が毎年約10%増の高い伸びを示していることからマスゴミは「膨張する国防費の透明性を求める声が国際社会から改めて高まるのは必至」と、軍事予算発表のたびに書く。記事を繰り返し読まされれば、読者の頭に中国脅威のイメージが刷り込まれるのは容易に想像できる。

 岡田さんは軍事費膨張の問題は「GDP成長率など中国の国力全体の発展と併せて考察すべき」と主張する村田忠禧(横浜国立大名誉教授)さんの論考「データに基づく『中国脅威論』批判」を取り上げている。村田さんはストックホルム国際平和研究所のデータを用いて論を進めているが、次のようなデータを示して、「軍事費膨張」を脅威の根拠にするのを戒めている。


 中国の軍事費は1990年から2014年までに21倍になったが、同時期のGDP増加は26倍で、軍事費だけが突出しているわけではない

 一人当たりの軍事費でみると、2014年の米国は1.891ドル、日本は360ドルなのに、中国は155ドルに過ぎない。

 こうした事実を無視して、中国の軍事費膨張の「意図」については、米国を中心に
「中国が南シナ海を2030年までに中国の湖にしようとしている」(米戦略国際問題研究所)
という見立てが幅をきかせている。

(注:「米戦略国際問題研究所(CSIS)」は日本をアメリカの属国にし続けるためのとんでもない謀略機関である。要点を分かり易くまとめているブログ記事を紹介しておきます。『米戦略国際問題研究所は対日謀略の指令塔』

 これに対して、岡田さんは次のように批判している。

『では現在は、米国の「湖」と言うのだろうか。南シナ海は「米国の湖」でも「中国の湖」でもない。主としてそこを生活圏にする人々の共有財産である。冷戦時に構築した東アジアの勢力地図は既得権益かもしれないが、「永遠の正義」ではない。正義と見做すからこそ、中国に「勢力圏を奪われる」という被害者的な発想が生まれる。』

 私は上の岡田さんの主張と同意のことを書いていた。《『羽仁五郎の大予言』を読む》(7)で、「国家を開く」という吉本隆明さんの論説を読んで、私は次のように書いた。
『吉本さんが北方領土について述べていることは尖閣諸島についても敷衍できる。それは国家のものではなく、地域住民のものである。その周辺を漁場としている地域住民たちの自己管理に任せればよい。これまでの「棚上げ」という暗黙の合意をそこまで深めることが最も重要な課題だと思う。』

 基本的理念としてはこの方向にこそ閉塞状況を克服する道があると思う。岡田さんの論考を読んでみよう。

 閉塞状況を嘆いているばかりでは、埒はあかない。日本の近代化と歴史認識を踏まえながら東アジアの未来像を展望し、領土紛争からの出口を摸索する講演を紹介したい。

 西原春夫・元早稲田大学総長(アジア平和貢献センター理事長)が、「北東アジア研究交流ネットワーク」(NEASE-Net)主催の国際シンポジウム(2016年10月1日)で行った「“未来”の中にしか解決の道は見つからない」と題した講演である。

 彼の専門は刑法だが、法哲学的思考から論じる国際政治の分析は定評がある。西原はまず、南沙諸島の領有をめぐる7月の仲裁裁判所裁定について「仲裁とはうまく物事を解決して戦争にならないようにするためだが、むしろ問題を悪化させた」とし、国際司法制度には欠陥が多いと批判した。

 興味深いのは、紛争処理が成功しない理由を「現状を前提にした」ことに求める視点である。領有権紛争で、対立する主張(現状)を並べ正義争い(「どちらのものか」という問題設定)をしても紛争の解決にはならない。だから「解決の前提を現状から未来へ移すほかはない」と提言する。ここがミソだ。今は見えない将来を現在に引き寄せる想像力と言ってもよいだろう。具体的に言えば、領有権の主張を「棚上げ」して、東アジアの「将来的な秩序」(「アジア共同体」や「アジア合衆国」)の中に解決策を見出そうというのである。

 さらに彼は「歴史には法則性がある」と指摘しつつ、法則的な出来事すべてが歴史の「本流」ではなく、「逆流」もあることを見極める必要を強調する。そして、世界的なナショナリズムの潮流を「行き過ぎたグローバリズムへの一時的抵抗」と分析する一方で、国境の壁が低くなる潮流は科学技術の発展に伴う必然とみる。トッドの言う「国家への回帰」ではなく、グローバル化は不可逆的な「本流」と見做す。浜矩子・同志社大教授は「ヒト、モノ、カネが国境を超えることが、それ自体として、一義的に格差と貧困の拡大をもたらすとはいえない。問題は、そうした経済活動の越境的拡散に対して、国々の政策がどう対処するかということだ」(「AERA」10月3日号)という指摘は、「本流」と「逆流」の関係をうまく説明している。

(注:)

 (<トッドの言う「国家への回帰」>以降が分かりにくいが、「両岸論 71号で論じていた次の議論を引き継いで書かれている。)

 排外主義的なナショナリズムの背景はなんだろうか。フランスの歴史学者エマニュエル・トッドは、米国が推し進めてきたグローバル化の下での新自由主義が、経済格差と社会の階層化を加速させたことに、人々が耐えられなくなったからだと説く。そして「グローバル化の終焉が近づいている。~中略~国家への回帰だ」(「朝日」10月4日朝刊)と断じる。

 新自由主義とは「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に拡大し「米国主導の資本主義を押し広げようとする動き」(丹羽宇一郎「財界だって格差社会はノー」文芸春秋07年3月号)であり、それが人と社会を窒息させる背景だ。典型が環太平洋パートナーシップ(TPP)である。TPPに賛成したヒラリー・クリントンが、米大統領選が始まると反対の姿勢に転じたのは、新自由主義に対する有権者の視線が厳しいからに他ならない。

 しかしトッドの主張には肯けない部分がある。新自由主義を推し進めるのは「グローバリズム」というイデオロギーである。新自由主義が終わっても「ヒト、モノ、カネ」が国境を超えて移動するグローバル化(グローバリゼーション)が止まるわけではない。不可逆的な「グローバル化」(中国語で「全球化」)と国家を、二択的な対立概念として据えるのは正しくない。「終焉が近づいている」のは「グローバリズム」と言い換えるべきではないか。

 西原は最後に、地域的な超国家組織の形成を「歴史の本流」と見做し、「東アジア共同体」はいずれ「東アジア合衆国」へと発展していき、「合衆国になれば現在の領土問題はなくなる」と展望する。尖閣紛争について筆者は以前から、日本、台湾、中国の3地方自治体による「平和特区」が「共同管理・開発」することによって、国家主権を相対化すべきと説いてきた。これもまた「地域的な超国家組織」のひとつである。いまほどナショナリズムを自覚し、乗り越える道を摸索する必要な時代はない。

 「地域的な超国家組織」については、岡田さんは最新の「両岸論 76号」(2017.03.06)で詳しく再論している。次回はそれを読むことにする。
領土領海ナショナリズム(4)

前回取り上げた経産省による「日本ホメ」がPDFファイルで公開されている。紹介しておきます。
『世界が驚くニッポン!』


 ちょっと横道へ。

「世界が驚くニッポン」の内実
本道に戻れなかったのであわてて表題をつけました。

 東京新聞の「本音のコラム」(1月28日)で、師岡(もろおか)カリーマさんの「少子化には多様化」と題した記事が、「日本ホメ」の跋扈を憂えてそれへの本質を突いた批判をしている記事だったので記録しておいた。紹介しよう。

 友人が手術のため入院した。夫婦共に留学生として来日した外国人で、今は幼い子が二人いる。夫は日本の一流企業で理系専門職に就くエリートだ。難しい手術ではないが全身麻酔を伴うため、彼は妻にこう言った。
「僕に万一のことかあっても、絶対に帰国しないでくれ。子供は日本で育ってほしい。あらゆる手を尽くして、ここに残ってくれ」
「そんな心細いことを言わないで。私は非常勤だから在留許可は下りないし」。
そう言って妻は泣いたが、彼は念を押した。
「日本で育てると約束してくれ」

 高学歴で三カ国語を話し、行こうと思えば欧米のどこへでも行けるのに子供は日本の価値観で育てたいと、日本を選んでくれた。でもその子供は「外国人」のままだ。もったいないではないか。少子化を嘆くなら、日本に生活基盤がある親のもとに生まれた子は、自動的に国籍を取得できる制度を考える時が来ているのではないだろうか。

 勤勉、清潔、誠意、とことんやるプロ精神。こういった日本的美徳の行く末を危惧する人の不安も分かる。だがこれらの美徳を、環境や教育の賜物ではなく人種的特性と定義すると、逆に過去の侵略行為に鑑み、日本人は凶暴な人種だとへ理屈を言われても反論できなくなってしまう。日本が育てれば日本人。グローバル化の荒波の中、人種的多様性は財産になるはずだ。

 「日本的美徳を…環境や教育の賜物ではなく人種的特性と定義する」ような「日本ホメ」が排外主義と裏表の関係にあることを鋭く突いていると思う。

 続いて、「本音のコラム」からもう一つ。山口二郎さんの「アメリカ的、日本的」という記事(2月5日)。

 トランプ大統領が排外主義、差別主義の政策を次々と打ち出すのを見ると、暗たんたる気分になる。しかし、司法長官代理から一般市民に至るまで、さまざまな人々が大統領の暴挙に対して異を唱えていることに、希望を感じる。

 アメリカという国では、マッカーシズムによる赤狩りや9・11直後の愛国主義の高まりなど、画一主義が猛威を振るうことかあった。そうした時代には、アメリカ的でないものを排斥する声が高まった。

 真にアメリカ的なるものとは、何か。愛国主義に名を借りて自由や多様性を抑圧することではない。最高権力者に対しても、憲法や独立宣言に照らして非があるなら、臆せず批判し、それを行動に表すことこそアメリカ的なのだと市民の動きは教えている。

 翻って日本ではどうだろうか。

 現政権は日本的なるものがことのほか好きなようであり、教育や文化の世界でもこれを称揚しようとしている。権力者の非違を批判すれば、反日というレッテルを張りたがる連中もいる。その種の人々がありがたがる伝統なるものは、たかだか明治維新の後に政府が国民を統合するためにこしらえた「伝統」にすぎない。

 日本的という名のもとに世の中をますます息苦しいものにしようとする動きと戦う時である。

 安倍が得意になって掲げるフレーズ「戦後レジームからの脱却」とか「美しい日本を取り戻す」とかの中身は良識ある人たちにはとうに明らかなことだが、最近の森友学園騒動によって誰にもハッキリ分かってしまった。彼らの恋い焦がれるレジームとは「教育勅語」で洗脳された愚民たちが狂信的に支持するレジームのことなのだ。

 と、ここで本道に戻ろうと思っていたが、山口さんが一週間後(3月12日)の「本音のコラム」で「教育勅語」を取り上げていたことを思い出した。続けよう。

 森友学園問題を契機に、あの幼稚園で教え込んでいた教育勅語の評価が政治問題となった。稲田防衛相が国会質疑で
「日本は道義国家を目すという教育勅語の精神は、今も取り戻すべきだと考えている」
と述べたことにはあきれた。

 友達は信じ合いといった個々の教えだけを取り出して、勅語は現代にも通用すると主張するのは、勅語の評価を根本的に誤っている。教育勅語の本質は、戦前の日本において天皇こそあらゆる道徳の源泉であることを宣明している点にあり、一般国民、あるいは臣民には天皇のために命を投げ出すことが美徳だと押し付けている。

 聖書や論語にも人倫が書いてあるのだから、同様の人倫を謳っている教育勅語も尊いという議論も、見当違いである。キリスト教や儒教を信じるかどうかは個人の自由である。しかし、戦前の日本では勅語を否定する者は非国民として排斥されたのである。

 安倍首相は同盟国を訪問するたび、民主主義、基本的人権などの価値観を共有すると言う。これらの価値観と教育勅語は絶対に相いれない。防衛相が教育勅語を復活させたいというなら、それは安倍首相の価値観に対する挑戦である。深刻な閣内不一致であり、首相は防衛相を罷免すべきである。あの戦争の甚大な犠牲の上に確立したはずの国民主権はいったい何なのだ。

 なんと、山口さんは続けて今日(3月19日)の「本音のコたラム」では政治家官僚の最近の言動や不祥事を題材に彼らの立派な愛国者ぶりを見事に揶揄していた。これも紹介しておきたくなった。

 文科省は学校の道徳で愛国心の教育をするそう。我が国の最高指導者の行状から愛国の作法を導き出せば、こんなことになろうか。


 自分は愛国者であることを目いっぱい大声で叫びましょう。愛国心の証しは日の丸を振りかざし君が代を歌うことです。教育勅語を暗唱できれば愛国心は優等です。


 自分が純粋で過激な愛国者であることを示せば、周りの人間はその愛国心に感動し、あなたの望みを聞いてくれるかもしれません。何しろ国有地をただ同然でもらった愛国者もいるくらい。


 愛国者は機を見るに敏でなければなりません。同じ愛国仲間でも、ヤバそうなやつが愛国をネタに変なことをしていると気づいたら、さっさと裏切り、知らん顔をしましょう。愛国者に節操は不要です。あいつは真の愛国心がわかっていないとうそぶくのも、保身には効果的です。


 愛国者はなにより自分を愛する人です。愛国教育に熱心な文科省の高級官僚も、法を無視して、退職後の天下りを確保するために組織的に動いていたくらいですから。自分の私利私欲を追求するときにも、愛国だと言えばだれも邪魔しません。


 愛国者は強い者の心中を忖度し、気に入られるよう行動します。政治家の無理難題を実現した財務省の官僚こそ、愛国者の鑑です。

 ちょと横道のつもりが、思い掛けず長くなってしまった。次回は本道の戻ります。
領土領海ナショナリズム(3)

 前回参考資料として用いた「日中共同世論調査」は「言論NPO」というサイトで全文を読むことが出来ます。紹介しておきます。
『「第12回日中共同世論調査」結果』


領土領海ナショナリズムを煽るメディアへの批判

 尖閣諸島問題をめぐって領土領海ナショナリズムを煽るメディアの報道姿勢については、「両岸論 第70号」を参考書として、すでに詳しく取り上げているので省略するが、岡田さんは「両岸論 第71号」ではその一例として北方領土をめぐる報道を取り上げて、次のように批判している。

 北方領土をめぐる日ロ交渉について、TV朝日の「ニュースステーション」のキャスターが「4島が日本固有の領土であることは言うまでもないことですが」(10月4日)と説明するのを聞き唖然とした。幕末から1945年に至るロシア(ソ連)との歴史的経過を無視し「固有の領土」と断じる乱暴さ。領土ナショナリズムの助長にメディアが「貢献」している一例である。

 領土問題を含む外交問題になると、メディアは政府発表を検証することなくオウム返しに伝える。政府が掲げる旗を「国益」と無自覚に認識し、言論空間が体制翼賛化する。特に尖閣紛争では「翼賛化」が加速度的に進む。メディアは本来、テーマ(争点)設定権を持たなければならないが、「国益」が絡むと設定権を政府に握られる。設定されたテーマの正当性(例えば、大量の漁船の侵入騒ぎ)を疑わず、自縄自縛の報道を重ねている。中国と北朝鮮については、政府もメディアも「言い得」「書き得」状態。安倍政権にとっては改憲を一気に実現させるまたとない好機というべき「空気」である。

 岡田さんはこうした「排外主義的なナショナリズム」の背景はなんだろうか。」と問い、フランスの歴史学者エマニュエル・トッドの
「米国が推し進めてきたグローバル化の下での新自由主義が、経済格差と社会の階層化を加速させたことに、人々が耐えられなくなったからだ」
という説を受けて、日本における経済格差と国際的なグローバル化(均質化)の現状を次のように指摘している

 大学の教壇に立つと、貧困が学生たちの身に忍び寄っているのを実感する。授業などそっちのけで、机の上で爆睡する学生がかなりいる。夜勤アルバイト明けでほとんど寝ていないからだ。年間百万円を超える学費に加え、生活費を丸抱えしてくれる家庭などごくわずかだ。アルバイトをしないと生活できない。さらに奨学金を借りて学費に充てる学生も多い。ある1年の女子学生は「奨学金の4年後の返済額は350万円」と平然と言う。就職しても非正規雇用なら年収は200万円。いったいどうやって返済するのだろう。

 9月に神戸と鹿児島それに上海に出張した。繁華街で「コウベ・シューズ」「神戸ファッション」の店は見当たらず、世界的ブランド名を付けた店ばかりだ。鹿児島でも、全国的なチェーン店が目抜き通りを支配して、「さつまあげ」「黒豚料理」など地場の飲食店は隅に追いやられている。北から南までどこまでも同じ風景― 上海もコンビニからカフェ、カジュアル衣料店、家具量販店まで銀座と同じロゴに席巻されている。これがグローバリズムのもたらす均一化風景である。

  そして、この経済格差と均一化が排外主義的なナショナリズムを生み出したと言う。

 マネー資本主義(新自由主義)がもたらした経済格差と均一化は、排外主義的な色彩の濃いナショナリズムを世界中に生み出した。ヘイトスピーチ参加者は、非正規労働者など社会的弱者がかなりいる。普段は他者から顧みられることが少ない彼らは、国旗や旭日旗を掲げることで、「国家の大義」を背負っている幻想に浸り、自分よりさらに弱い人々に罵声を浴びせてうさ晴らしをする。相模原の障害者殺人事件の容疑者は衆院議長に「日本国の指示」を求めて犯行に及んだとされる。この事件が秋葉原通り魔事件(2008年)と通底するのは、「社会的不公正」への復讐を、国家権力にではなく弱者に向けたことにある。欧米の排外主義も「移民」や「難民」という弱者に向けられている点で同じ構造だ。

不安定な雇用と下がり続ける賃金、少子高齢化にともなう世代間矛盾と福祉への将来不安は先進国共通の現象であり、右か左かの冷戦型イデオロギーを超える。

 こうした排外主義的なナショナリズムが、改憲を目論む「アベコベ軽薄姑息うそつきカルト」政権を応援する結果になっている。しかし、岡田さんは
『この政権を支えているのは「ヘイトスピーチ」や「ネトウヨ」だけではない。多くの「善良な日本人」の意識を覆う柔らかいナショナリズム「日本ホメ」もまた安倍政治を支えているのではないか。』
と言う。

排外主義と裏表の関係にある「日本ホメ」

 ヘイトスピーチが外向きの攻撃型ナショナリズムだとすれば、内向きの柔らかいナショナリズムである。高度成長時代の「経済信仰ナショナリズム」が崩壊し、経済大国の地位を中国に脅かされる。歴史問題や領土問題で隣国から繰り返し非難される中、「日本ホメ」がかま首をもたげている。海外で活躍する日本人や「和の匠」の職人芸を取り上げ、日本を礼賛するTV番組がそれにあたる。オリンピックでの日本選手のメダルラッシュや日本人のノーベル賞受賞をほめちぎる報道もそうだ。

 「日本をほめてなにが悪い」と反論が聞こえそうだ。確かに攻撃的ではない。しかしそれは、排外主義の裏返しの表現であることに気付く。その典型が、2年前のノーベル物理学賞の報道である。多くのメディアは「日本人3人が受賞」と誤報するのである。3人のうち1人は米国籍にもかかわらず。「週刊現代」は「それに比べ、お隣韓国、中国の受賞者の少ないこと」と、勝ち誇ったように書いた。排外主義の裏返しとはこういうことだ。

 もう一つは中国人観光客による「爆買い」報道。TVリポーターは、家電量販店の便座売り場の中国人観光客をみながら「中国製はすぐ壊れるので、品質のよい日本製を土産にするそうです」。透けて見えるのは、”成金中国人”への蔑みと、優れた日本製品への「日本ホメ」である。脅威論と表裏の関係にある。

 今日(3月15日)の「こちら特報部」(東京新聞)が経産省が全室を施錠密室化している問題を取り上げている。その密室で何をやっているのか。その成果の一つが「世界が驚くニッポン!」と題する「官製日本ホメ本」である。それをデータ配信したほか、二千部を製本して各国の在日大使館に配布(その事業費は約千四百万円)したという。特報部は
『その自画自賛ぶりに、ネットなどでは「恥ずかしい」「こっちが驚いた」と不詳を買っていた」』
と報じている。また、その関西弁版もつくったという。こちらは「センス悪い」と批判が殺到し、「不適切だった」と世耕経産相が撤回している。

 御用知識人・メディア・官僚が総出で「日本ホメ」に浮かれている。呆れるね。
領土領海ナショナリズム(2)

 支配者のナショナリズムは、事実に背を向け恣意的で根拠の無い主張を繰り広げるイデオロギー(虚偽意識)、つまり虚妄な理念の一つと言ってよいであろう。こうした知的傾向を表す用語として、一時は「反知性主義」(歴史認識の場合は「歴史修正主義」)という言葉が流行したが、今は「ポスト真実」が使われるようになっている。

「ポスト真実」という反面教師

 東京新聞に「論説委員のワールド観望」というコラムがあるが、そこに論説委員の熊倉逸男さんが書いた『「わが闘争」のポスト真実』(2月28日)という記事が私の目を引いた。「わが闘争」はこれまでドイツではタブーだった著作だが、それがドイツで出版されたこと取り上げていた(日本では早くから出版されていて、私は角川文庫の2008年版を購入している)。ご承知のように「わが闘争」は人種差別を正当化し、ユダヤ人排斥を主張する著作である。この著作の「ポスト真実」的主張を厳しく批判するため、出版に当たっては3500以上の注釈が付けられたという。熊倉さんはその注釈のいくつかを取り上げながら、次のように解説を進めている。

注釈で注意喚起

 「民族が、自然から与えられた血統に根付く存在の特徴に注目しようとしないなら、この世での存在を失うことに、文句は言えない」
との原文には、
『「ソ連への電撃侵攻失敗し軍事内的危機に陥った時、ヒトラーは「“ドイツ民族が自己保存を貫く用意がないのなら、滅びるべきだ”といった」と、自らの価値観を、ドイツ人の命よりも優先する考え方だった』
と注釈し、注意を喚起した。

「失われた血統の純血性は内なる幸福を破壊し、人間を永遠におとしめる」
の表現には、
『異民族間の混血についてのこのような主張に対し、科学者は当時から間違いと指摘していた』
と、科学的根拠がないことを指摘した。

 ヒトラーの言い分をうのみにしないよう編集し、「わが闘争」の主張が、根拠のないものだらけだったことを明らかにしている。

 ベルリンの日刊紙ターゲス・シュピーゲル(電子版)は『「わが闘争」は歴史になったが、過去にあった(ヒトラーによる)扇動に対してだけでなく、ヒトラー的価値観との戦いは常に進めていかなければならない』
指摘する。

現代の反面教師

 「根拠のない主張はヒトラーで終わったわけではない。今や、「ポスト真実」として流行語になるほど、さかんになっている。

 英国のEU離脱の是非を問うた国民投票で、離脱派は
「EUに毎週3億5千万ポンド(約476億円)を払っている」
「移民が職を奪い、社会保障費を食い物にしている。」
などの虚説を垂れ流した。

 トランプ米大統領は、選挙中にデマを連発、就任後はテロ対策にイスラム圏7カ国からの入国を禁じる大統領令に署名した。7カ国出身者によるテロは近年、起きていない、にもかかわらずである。

 根拠のない差別や憎しみを蔓延させた果てが、ホロコーストと、大戦による世界の荒廃だった。今こそ、「わが闘争」を学ぼう。ポスト真実の恐怖を、反面教師とするために。」

 さて、「両岸論 71号」を読んでみよう。

 「言論NPO」が毎年実施している日中共同世論調査によると、2016年度では中国に対して「良くない印象を持っている(どちらかというとを含む)」は91.6%で、「良い印象を持っている(どちらかというとを含む)」は8.0%だった。岡田さんはこの世論調査について、週刊誌「AERA」(10月3日号)にコメントを寄せたそうだ。このコメント対して、「2ちゃんねる」のネトウヨがかみついて、次のような罵詈雑言浴びせて炎上したという。
「気印間違いなし」
「中共の犬」
「もう日本を出て、中国にでも行けば?」
 岡田さんのコメントの中でネトウヨが一番問題にしたのが、
「中国の脅威をあおる安倍政権が、安保法制の実行を急ぐため公船侵入を政治利用した」というコメントだったという。岡田さんは
『筆者が言いたかったのは正にこの点だったから「我が意」を得たと言うべきだろう。炎上は勲章だ。』
と応じている。そして、「両岸論 71号」では
①「中国脅威論」は広く浸透しメディアはそれを助長し体制翼賛化
②日本と世界を覆う「ナショナリズム」は新自由主義の反作用
③「日本ホメ」という内向きナショナリズムが安倍政治を支える
などについて論じたいと述べ、論説を始めている。まず、「ナショナリズムとは?」という問いを立てて、次のように論じている。

 「2ちゃん」に書き込まれた彼らの情緒は、中国や韓国ないし特定の民族を敵対視して排除を求める「敵対型ナショナリズム」と言ってよいだろう。民族差別を煽る「ヘイトスピーチ」はその典型だ。英国の欧州連合(EU)離脱決定や「トランプ現象」の背景には世界を覆う排外主義情緒が横たわる。

 この情緒を「ナショナリズム」と呼ぶことには異論があるかもしれない。まずナショナリズムの定義が必要だ。哲学者のアーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する政治的原理」と定義した。この原理が侵害されると「怒り」が生まれ、実現されれば「満足感」を抱く。これがナショナリスティックな感情である。

 「2ちゃん」の書き込みにこの定義を当てはめてみよう。
「公船侵入されて脅威になってるじゃん。対策とるのは国家主権の発動として当然の行為だろ。この記者頭おかしいんじゃないか」。
 「公船侵入=脅威」を無条件の前提として「日本人(民族的単位)なら、反対する(政治的単位)のが当然なのに、安倍政権のせいにする(原理の被侵害)」ことに「怒る」のである。これは広い意味で「ナショナリスティックな感情」と言っていいのではないか。

 10人のうち9人が「中国によくない印象」をもつ異常な数字は、「中国脅威論」がいかに広く浸透しているかを示している。10年前の小泉政権時代には、わずか35%だったとは信じられないほどだ。流れを見ると、歴史教科書問題と日本の国連安保理常任理事国入りをめぐる「反日デモ」(2005年)と、2010年の尖閣諸島(中国名 釣魚島)の中国漁船衝突事件の発生が、悪化の節目になっている。

 この後、岡田さんは領土領海ナショナリズムを助長するメディアの問題点を取り上げている(次回で)。
広目天の怒り
広目天

怒りは静に深く沈潜させ
より遠くまで射抜く眼差しとなせ。
その眼差しをもって
自由と民主を食い荒らす邪鬼どもの
あさましい心底を射抜き
踏みしだくまで反逆せよ
邪鬼