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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

<『影』より(2)>

<>詩文編(18)

 『影』の第一部「二二歳― 私の買いものは早すぎた」の残りの四作品と、第二部「二七歳― 私の買いものは遅すぎた」の〈「流れ星」「墨田川異影」「私のための賛歌」「雨の墨田川」「秋 空気のような歌」「冬 波の歌」は最終詩集に掲載しましたので、ここでは残りの〉八作品を転載します。

<二二歳― 私の買いものは早すぎた>


通過すべからざる隧道

誰もが入ることを拒むところだ
しかし そこを通過しなければ
ぼくは存在し得ないのだ

一歩足を踏み入れれば
もはや四囲は真の闇
自分の手さえ見えないのだ

見えないながらも目をみはり
音のない時空に耳すまし
ぶつかリつまずき遅々と進む

天井からは水が滴り
闇はじめじめと押し迫り
心がぶよぶよむくむのだ

もうどの位来ただろうか
疲れた しかし進まねば
ここには光は少しもないのだ

やがてはるかの彼方に
どの位の向こうかわからぬが
光が 絹糸のような光が

だが心せよ 先はまだ長いのだ
ぼくがやってきた行程は
もう入口も見えぬほど深いのだが

それでもいつかは絹糸も滝となり
鋭い光を一杯身にあびて
ぼくは目の痛さをこらえているだろう


蜃 気 楼

その時 俺の肉体は病み疲れていた
その時 俺は荒涼とした砂漠にいた
その時 俺は水に渇いていた
その時 俺はあえぎあえぎ、一かき一かき
     はいすすむことしかできなかった
その時 俺は血迷っていた
その時 俺の精神は乾きしなびていた
だからこそ俺の理性は
しなびた精神の命令に従って
すべての歯車を敢えて停止した
そしてしなびた精神は
無様な感情の支配下にあった
こんな時 俺は蜃気楼を見た
  (当然のことではなかったか)
こんな時に見た幻は
それが幻であることが判っていても
幻を真実と思い込んで
否 そう思わずにはいられず
あえぎあえぎ 幻つかもうと
一生一代の力振りしぼって追いすがり
ふと幻であることを思ってためらいもするが
俺は完全に止まることができず
すぐ忘れ
再び這いすすみ 追いすがり
やっと幻をつかもうとした時
幻は消えた
残る荒涼とした砂漠
裏切られたとか
  (当然のことではなかったか)
さて
俺は砂漠に蜃気楼を見てから
もはやオアシスのあることを信じなくなった
真のオアシスをも幻であることを恐れ
目を閉じて通過するであろう
俺は砂漠に行き倒れようとも
そこにオアシスを信じない!


恋の時空について

今初めての恋に身も心も浸り切れる若者達よ
心せよ!
恋の時空は歪んでいる。

          さて それから一歩を踏み出す前に
          まず変分法を学ぶべし
          そこでは性急であってはならないのだ
          直線が最短距離とは限らない
          君と彼女の 彼と君の
          測地線を焦らず確かに積分よ

     若者達よ
     もうひとつ この時空での
     命題証明の原理を教えておこう
     まず否定的事実を探すこと
     たとえ些細なものであっても
     それがふと思う疑惑であっても構わない
     否定的気配が瞬時でもあったなら
     まずその命題は真ならずと言えるのだ
     真理の肯定的証明法はありはせぬ
     肯定的証明は永遠になされない
     永遠に謎なのだ。

今初めての恋に身も心も浸り切れる若者達よ
心せよ!
恋の時空は歪んでいる。


豪 雨 の 夜

真に暗い夜であった
雨が激しく降り
ぼくらはずぶ濡れの肩を寄せあい
安らかな心の通いを感じながら
僕らの黎明を求めて歩いた

と 突然君は走り出し
ぼくから遁れて行くように
一寸先の闇に消えた
ぼくは呼び叫び
君の後を追ったのだが……

君は何処へ消えたのか
闇に溶けたのか
窪みに足を取られたのか
或は水に流されたのか
どこかで氾濫を告げる鐘

いつかぼくのまわりを
師と友と君の身よりが取り囲み
ぼくの腑甲斐なをなじり
ぼくに多大の責任を果せようとした
雨はあがった

ぼくは疼く胸に君をえがき
泣きながら街中をかけた
うっすらと明けていく
東の空を雲が走っていた
道を雨が轟々と流れていた



                 <二七歳― 私の買いものは遅すぎた>


私の悲喜劇

私の暦は
いつでもくるっている
それが私の喜劇だった

私の暦は
遅過ぎたり早すぎたりした
それが私の悲劇だった

たとば
草の芽がふくらみ初める頃の野に
真夏の太陽を持ちこんだり
未練もなく去ろうとする病葉のかげに
春の花を咲かせようとしたり

その度に 私は
苦い想いにうちひしがれた
私の暦を正そうと焦った

その度に 私は
正された暦に 安息を覚えた
私はその時私ではなくなっていたのに

昨夜
酒を酌みつつ華やかに笑ったものは
気がつくと一年前の花であった

一年前
私の心に咲き続けるものと思って
私の心が摘んだ花だった

今朝
自らの迂闊さに腹が立ち
後もどりした暦をちぎっていったら
一年先まで進んでしまった
私の暦はまだくるっている


秋の蛾

脳髄の振動には
歪められた波形しかない
と思っていると
胃も腸もうなだれてしまう
のがよく分かる。
生々しい創造の
ない心が堪えられないのだ
偉大でないのは屈辱だ
心は存在しなければ
一等よかったと思うのだ。
秋の日暮れがせまると
ヘパイストスのように
滅入ってしまう。
酒は
終結定理の先を考えて飲んでいると
にがい。

眠れない時に
夜空を眺めていると
歴史の教科書が
からから笑うのだ。
「自由」はすべて「必然」と
結婚してしまえばよい
確かによいのだ。
おれはふと気狂いに
郷愁を覚える
「あじさいの紫で
 髪をかざってくれ」
といって人は自殺するのだ。
「死ぬのはむずかしいので
 人は生きようと意欲するのだ」
と昨日弟に言ってやった。

さっぱりわけのわからな
自分の心に
脳髄の歪んだ波動を
正させるのはむずかしい。
おれはあと十年以上は
結局生きのびるのだ
と思っていると
電燈にぶつかって落ちた蛾
のもだえが
おれの眉毛にひびいた。
静かな人生もたくさんあるが
溌剌とした創造の
ない心が堪えられない
強くないのは屈辱だ。
女の心よりは
教員室の方が
中世の教会に近いと思うのだ。


秋の夜の哀歌

生成の貧しさはつらく
友らの無視のまなざしのようにつらく
そのつらさを耐え忍ぶため
 (何故堪えようとするのか)
かえって極限のつらさにまで追いつめようと
生活のあらゆる習慣にさからって
心はあてどもなくさすらおうとするのだ

ごみ箱を鼻のあたまであさる
野良犬の期待のないどん欲さで
雨戸をかたくとざしたまま
一日中床にくるまって本をむさぼり読んだり
出来るだけ人並みに着かざって
人ごみの中にうずもれようとしたり
お金をばからしい仕方で使いきるため
真夜中まで酒を飲み歩き
バァの女とたわむれたり

結局自分の貧しさに圧倒されて
もうそれ以上にはなり得ぬほどのつらさに
真夜中の車道を
一文ももたず
友情と孤独の本を宝物のように胸にだいて
鼻をすすりながら
涙をくしゃくしゃにしながら
同じ歌をくり返しくり返しうたい

――赤イクツハイテタ女ノ子――

足が枯れ草のようになって倒れたのだ

晩秋の夜の冷たさが
内臓の機能を狂わせ
道をよろめきながら
ふるえて
激しく嘔吐し
ふと凍死の誘惑を聞いた

無能のものには無能の悩み
出来損ないには出来損ないの死
未熟児のように哀れにちぢかんで
眠れ眠れ
朝は小春日のまぶしさに
見えない目をまばたかせ
お前を取りまく無縁の人たちにこそ恥よ
無能のものには無能の思想
出来損ないには出来損ないの忘却

正常な時間の動きを
再び迎えることがどんなにつらくとも
死のみを思っていられるわけではない
極限のみじめさをおどおどふりかえれば
涙のかれた歌がくすぶるようにうたわれていた

――赤イクツハイテタ女ノ子――

貧しいものには貧しいものを
何をもってしてもうめるすべがないのだ
この理不尽な宇宙の掟に
生命(いのち)はいたしかたなく従おうとする


北 風 に

北風よ
もっと強くもっと冷たく
吹きなさい
暗うつな雲は散って
夜空は深く澄み
星たちは賢くきらめく
あれはあなたの業(わざ)ですか

北風よ
もっと強くもっと冷たく
吹きなさい
私の心の燃えたつ炎を
吹き消しなさい
私の心のくもりをぬぐいなさい
 (この苦しみより
  むしろ
  私はこごえて死のうか)

あゝ 北風よ
あなたの力が衰えぬうちに
せめて
もとの私を戻してはくれまいか


人よ

人よ
ひとりさかずきを傾けてつつ
身にしみて感覚せよ
あてどもなく
質量のない汝の孤独を
胸つまるほどに感覚せよ

人よ
透明なさかずきの底に
映るものを冷やかに見つめよ
汝が生の光のいとわしき漂い
影となり得ぬものの刹那の影を
涙にじむほど見つめよ

あゝ人よ
たまさかのその影が
さかずきの底に消え入りつつ冷やかに
語ることばに耳傾けよ
 「汝よりもより光たるもの
  汝に行きずりの一瞥を投げかけるのみ。」




空の青さと雪の白さの
秒速三十万キロメートルの
絶え間のない光の乱反射の往復は
天と地に
さだかならぬ
漠々たる曲面をまばゆかせ
冷下二十度の青と白の
ここ広大な希薄の天地で
私たち 人の
激深の孤独さえ何であろう。
いかに生々しく激しく
溢れ溢れても
それは冷ややかに吸収され
拡散し
漲る風さえ吸収され
宵時の激風は拡散し
海抜三千メートルの
ここ非常の
光の天地に
もはや形はない。
ただ
稜線を疾走する氷風巻きくれば
青と白との入り乱れ
青と白との雪乱舞。


春 タンポポの歌

ふとわたる風にも
こそばゆい息吹き
あらゆるものの生命(いのち)の
幸福のさざめき



たんぽぽ たんぽぽ
春の妖精よ
おまえの幸福は
それではなかったのか
白くやわらかくふくらんで
高くたんたんと風にのり
遠くにかすむ山より高く舞い
たんぽぽ たんぽぽ
純白の踊り子よ おまえは何処へ流れるのか
何処へ流れる

私がかつて憧れた
重みのないかろやかな
第二の幸福の妖精よ
それはまだあるか
私にそれを教えよ


夏 夕焼けの歌

山岳の夕べ色は透明だ。
一日の行程を終えた山の男に
悔いない疲労の影ばかりが黒い。
尾根道に頭(こうべ)をたれてくっきりと黒い。

入り日に向かうあの敬虔な影が
街ではどんな愛憎に悩むのだろうか。
憧れた死のような静かな夕映えに
愛憎を溶かしこめよ、黒い影。
山は無言の母のかいなだ。

男がまもってきた一つの矜持。
は 町ではあまりにもろくはないか。
女の心のうちには通らない。
街でためらった涙を今流せ、黒い影。
街には顔をうずめるふくよかな胸がない。

山岳の夕べの色がうすやみにとければ
一日の行程を終えた山の男の
悔いのない疲労の影は一層静かだ。
明日(あす)愛憎の町に帰るにはあまりに静かだ。


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恥を忍んで、自作品の公開

<『影』より(1)>

<>詩文編(17)

  前回で自費出版詩集『蜥蜴』の紹介が終わりました。今回から次の自費出版詩集『影』の紹介をすることにします。この詩集についてはいろいろと付記したいことがあります。すこし長くなるかもしれませんが、そこから始めます。

 『影』は三色の孔版印刷の詩集です。最初の勤務校の同僚で私の詩を大変高く評価してくれた方がいました。その方が多大な労力と時間を掛けて編纂してくださいました。もう52年前(1966年、私28歳)の事です。
 その方はその後どのように活躍しておられたのか、調べてみましたら、なんと今はある大学の名誉教授になっていました。
 連絡が取れれば『影』を一般公開することを告げたいと思ったのですが、連絡をする術がありません。私の独断で公開に踏み切ることにしました。前書きや後書きも転載することにしましたが、その方名前は匿名でM・Kさんと記すことにします。

 青春時代の大きなひとこまとして、M・Kさんとの出会いと関りは私の心の奥にひそかに生きいます。これもやはり記録しておきたいと思いました。まず『影』の「前書き」と「後書き」を転載しておきましょう。

 詩集はカラーのガリ版刷りなのでソフト「読んで?ここ」が使えません。かなり時間がかかりそうですが、のんびりと転載していくことにします。

  次の文は、私が書いた前書きです。

 五年ほど前 胸を病んで約八ヵ月ほど入院生活を送ったことがあります。その折のつれづれに詩の何たるかを知らぬまま、詩のようなものを書き始めました。前半の九編はその頃のものです。
 一年ほど前より、もとより詩の何たるかを知らぬまま、再び詩を書くようになりました。しかし、今度は生活のつれづれを慰めるためではなく、偉大な詩人たちのことばの魔術に魅せられ、詩の何たるかを知りたく、でき得れば、自分にも詩心があるならば、それを表現してみたいと、おおそれた考えを起こしてのことです。後半は前詩集『蜥蜴』につづく、ごく最近のものです。
 五年前と今と、さしたる進歩もなく、未だに児戯に等しいことを痛感しながら、『蜥蜴』の時の悔恨にもかかわらず、親しい人だけなら恥にもなるまい、再び詩集を編む誘惑に屈しました。

 ぼくの拙い詩を見限ることなく、始終助言・批評を惜しまず、ぼくを激励しつづけてくれたばかりか、今度は貴重な時間と労力をさいて、詩集をこんなにも美しく楽しいものにしてくれたM・K兄に心からの感謝の意を表します。
 Kちゃん、ありがとう。
           一九六六年 二月          仁平忠彦
    

 次はM・Kさんがしたためてくれた後書きです。

 おとなの絵本のような詩集を創りたい。これが仁平さんとの最初の夢でした。素人で あるわたくしの孔版印刷の技術を駆使して、多色刷りの楽しい詩集にしたかったのです。 作品の雰囲気を伝えるカットをたくさん添えて――

 ところが、鉄筆をにぎって製販をはじめますと、これらの愛すべき作品は、文字以外のものは 一本の線すら、その紙面に存在することを許さないのです。わたしは絵を添えることを諦めました。 また同じページにいくつもの色を使うことも諦めたのです。そうすることが、この詩集を手にする方への、 ほんとうの親切だと信じて――

 わたしは仁平さんが好きです。虚無の深淵をのぞき込んでいながら、救いを求めず、錯覚もせず、 しかも悲愴にもならず、あたたかく人間を生きようとしている仁平さんが。そしてまた、そんな仁平さん の裸で表現されている作品が好きです。売文業者はいても詩人のいなくなった今日、わたしは心から 兄の作品を愛読したいと思っています。

タッちゃん、がんばれ!
            一九六六年 二月          M・K

 さて、本文(詩文)の方は二部に分かれていてそれぞれ「二二歳ー 私の買いものは早すぎた」・「二七歳ー 私の買いものは遅すぎた」という表題がついて、それぞれに掲載されている詩文の数はそれぞれ九編・十四編(うち六編は最終詩集に転載)です。第一部の九編と第二部の残りの八編を転載していくことにします。今回は第一部の初めの五編を転載しておきます。

<二二歳ー 私の買いものは早すぎた>


ささぶね

   ささぶねさらさらかぜうけて
   ささぶねゆらゆらゆれていく
   ささぶねおうこのせがあかい
   さらさらゆうやけみずにさす


りんご

   今まさに我に食われんとする
   汝 りんごよ
   汝 生きることの悲しみ知るや
   汝 如何なれば
   かくも赤く熟れたるぞ


柿の木

   柿の実落ちて
   柿の木哀れ
   枝もたわわな秋の日は
   通る人ごと見上げてた
   はなたれ小僧もねらってた
   枯野に一本
   柿の木一本
   木枯し吹いて
   柿の木哀れ
   せめて冬の日やわらかく
   柿の木つつんで慰めよ
   また来る秋にも実れよと


春 花 去 来

  春も去る はや夏ぞ

  病室のベランダの片隅に
  胸病む我はうずくまり
  千々に乱れて想いに耽ける

   目の下の平たい屋根は
   窓の開かない手術室
   今日も誰かの胸が割かれる

   屋根の上 子すずめ三羽
   見よう見まねで羽ばたくが
   一尺飛んではかわらを滑る

   ズタズタに想いは飛び散り
   サクサクメス振る音もする
   あわれ 子すずめ早く飛び立て

   春も去る はや夏ぞ


墓 標 に

   私が何もなし得ず
   この世に何も残さずに滅びた時
   私のはかなく小さな墓標が
   私の師や友や恋人や同胞(はらから)の心に
   細やかながら立てられたとしたら
   すぐにも朽ち果てるべき私の墓標よ
   彼等にこう伝えてくれ

 私は気の弱い非常な照れやだったので
 私があなたたちに対して示した
 尊敬や友情や愛や感謝が
 あなたたちが私に与えてくれた
 この世の生の歓喜に比べて
 実に微々たるたるものであったとしても
 私の心の中では
 あなたたちに対するそれらの情念が
 上手に現れいずることのできぬ焦燥で
 熱く燃え立っていたのです。

 私が何もなし得ず
 この世に何も残さずに滅びた時
 私の小さな墓標を
 私の師や友や恋人や同胞の心に
 細やかながら立ち得たなら
 せめて
 私のこの心残りを
 彼らに伝えてくれ
恥を忍んで、自作品の公開

<『蜥蜴』より(3)>

<>詩文編(16)

『蜥蜴』より残りの九編を転載します。


みちを掘り起こす力はあるか

ひょうびょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり
この暗く単調のみちにありて
この冷たく平坦のみちにありて
あゝ 汝が心よ
何故(なにゆえ)にそうも頑なに黙(もだ)すか
何故にそうも忍び堪えんとはするか
汝が心のままに
何故にかくは叫ばざるか
     あなた あたたかきものよ
     我とともに歩きてたもれ と

ひょうびょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり

あゝ 我が心の叫び得ぬは
我が稚屈のみちに
我が安逸のみちに
あなた あたたかきものの
いかにもふさわしからねばなり
我がみちのあまりに稚屈なれば
我がみちのあまりに安逸なれば
我が心 恥じ入り
いよいよ頑なに
いよいよ苦々しく
かくも忍び かくも黙すなり
しかしてむしろ
我が心はかく畏怖(おそれ)をつぶやく
   あなた あたたかきものよ
   我を蔑まざること能うか と

ひょうひょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり
あゝ 汝が心よ
汝が単調のみちにありて
汝が平坦のみちにありて
汝は自らをいよいよ低うし
自らをいよいよ空虚(うつろ)にする
何故にそのこごえたる手をふるい
その冷たくこうばしりしほゝをほてらせ
汝がみちを堀り起こさんとはぜざるや
何故に汝がみちを
高く盛り上げんとはぜざるや
しかして
何故にかくは叫ばざるか
     あなた あたたかきものよ
     我とともに鋤をとりてたもれ と

なおも北風の吹くなり
心にあたたかさもの かすかにあれど
ひょうびょうと北風の吹くなり





桜木の陰の
白いうなじの
                                                         はじらいまぶし 春の河原


古都

しっとりとあまだるい
朝明けである
うす青い東山の峰々の
底に沈む
かみさびた都の
古へ人の
憂愁の
あゝ 一千年のかなたより
ぼくのさまよう生命(いのち)を
しめつける
朝明けである



宿命(さだめ)

ここが寂しい岬の突端です
さあ あなた
このレースのような草の上にすわりなさい
そして私たちは
こうして肩をよせあって
お互の体温を感じながら
このものかなしい海の景色をながめていよう

海の色は 灰色ににぶく
波の音は 遠い愁いの彼方から
霧のように
汐風に運ばれてくるようです
こんな 雪でも降りそうな曇りの空では
沖には 帆影一つなく
遠く視界の消えいるあたりは
空と海の区別さえつきません

このものかなしい景色の中で
あゝ あなた
あなたは明日(あす)を語ってはいけない
あなたの明白へのためいきが
私の嘆きを幾倍にもひろげます
私たちは
ただこうして 静かに座っていて
時のそとでためらいながら
私たちのみはてぬ夢を夢みていよう



生命(いのち)

冷い眠りを覚めて 突如
一気に凛立(りんりつ)する巨大な岩々
それらは はたまた
嚇怒(かくど)として崩れ落ち 陥没し
そこここに激しく
まっすぐなる黒煙 湧出し
山をえぐり 爆発し
迸ばしり流れる灼熱の熔岩 赤い爆風
それに呼応して天は
雲を重ね 稲妻は張り裂くはがねの豪雨
あゝ 暗黒の大宇宙に
陣痛に身悶える一つの点
大いなる一つの点 地球

      乾坤開闢のその力をひめて
      いかなる人智も及びつかぬ
      神秘なるものは誕生した

天地創造の成就よりこのかた
幾億年 また幾億年か
この岩壁は粛畳(しゅくじょう)と聳え
衰え知らぬ力は止むことなく
憤然として押し寄せ続けた 波 波 波
その隆々たる怒濤は大きく岩壁に砕け
無限の飛沫となって飛び散れば
太陽(ひかり)にきらめき 生命(いのち)を孕み
太陽にきらめき 嬉戯(きぎ)として海原に沈み
あゝ 大海原は
あたたかき生命を孕み
大いなる無限の生命を孕み





 真新たらしく塗装されたオモチャのような白い漁船の並ぶ浜に、春
はかすかにけむり、その景色の中でぼくの幼い心がかげろうのように
萌えた。ぼくは一つの記憶をまさぐり求めた。むなしく………

 そのさだかならぬ記憶は、あるいは、ぼくのではなく、母のそのまた
母の秘めていた記憶だったかもしれない。
 ぼくは、そのけむる想い出の中を、あてどもなくさまよい時を忘れた

 旅は続けなければならないと思いをがら…………




テニスコートはひかりあふれ
テニスコートはエーテルの踊り

乙女らの白い姿はまぶしくひかり
乙女らの息ずく肢体は軽やかにはね

テニスコートに春の息吹き
テニスコートにかがやく笑い



断層

おれの目は充血して
おれは朝日の中を歩む

昨夜からの雨は降りきった
街はからっぽの青い陶器だ

もはや「昨日(きのう)」は門を固く閉ざした
すべての過去をおれから奪って

すでにかび臭くなった 「昨日」の中へ
おれは帰りたいと思っているか

視点の遠い 充血したおれの目を
行き交うた人が嘲笑(わら)った



降雹

遠く低く
這いつくばう太い雷鳴
今までの底も知れぬ紺碧の空に
どこから湧いたか
泥くさい雲がぎしぎし詰めこまれ
真昼というのになんという暗さだ
なんという不気味さだ

泥くさい雲に吐気は漲り
漲り切った激しい吐気は
無数の氷塊と変り
不安と苛立たしさとにもう耐えられぬとばかり
どっと迸り出て
狭隘(きょうあい)な灰色の空間に
時をらぬ矢襖を張りつめる

絶えまなく落下する鋭い矢
その矢先は屋根に硝子戸に砕け散り
とび散った氷塊は妖しい霧となり
もうもうと立ちのぼり
矢に押し戻されてさらに妖しく
縺れ渦巻きつつ
再び地上に覆いかぶさる
 あゝ!蛟龍が昇天する。

やがて電光一閃
時を移さず耳をつんざく激しい雷鳴
..................
自然の嘔吐は終った
世は紺碧の空のもと
湿潤と静寂とを取り戻す。
 (シカシ、生命(イノチ)ヘノ苛立タシサハ吐キ切レヌ。)

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<『蜥蜴』より(2)>

詩文編(15)

 『蜥蜴』より前回の続きの六編を転載します。


背中あわせの無骨な男

その連中ときたからは
背中あわせを思っただけで
とたんににがいへドがでる
そいつらも 存在してると考えると
無性に腹が立ってくる
そんな連中がいるけれど
相手も同じ思いだろうから
いっそう徹底的に冷淡に
底の底から戦って
おれがそいつを打ちのめし
あるいは
そいつがおれを打ちのめす
そんなことも思うけど
それはとってもできないよ

   良いも悪いも何んにもできない
   本心からの善人たちも
   地獄の底に落ちるというが
   それはきっとほんとだろう

虫の好かないお前たち
いやおうなしの
虫ずのはしる仲間たち
お前たちは知らぬだろう
人間の背中のおくの
おくのおくを知らぬだろう
背中のおくのおくのおくには
数万年もの昔からの
祖々代々の昔ながらの
しぶとく強い筋(すじ)があり
背中のおくから背中のおくへと
どいつもこいつも一緒くたの
三十億人をじゅずつなぎの
まことに長い筋があり
りんと一本通っていて
おまえのきたないあかだらけの
無骨の背中とおれの背中も
どうしようもない血縁だ

   今この岩壁にくだけて散った
   その波は つい近頃までは
   はるばる遠い地中海の
   底の闇で滞っていた
   こんなこともあるだろうか

人類の栄光とかの現代では
みみずのようなその筋は
あんまり背中にめりこんたので
誰にもそれが見えないよ
だけど実際 みみずの奴は
砂漠の白い熱さでも
地のはての 言葉もこごえる寒さでも
そんなものはへいちゃらで
しかめっつらの身動きならぬ
数千年の文化の中も
それはしぶとく生きのびて
とてもまともじゃ死なないよ
今でもぐにゃぐにゃくねていて
太平洋九千カイリを漂って
ヒマラヤ九千メートルのぎざぎざに
ごろごろねちねちへばりつき
立派に一本通っている

   昔のことだ
   神々の月夜の宴で 一人の神が
   他の神々を指さしながら泣きだした
   身悶え 雲の上をころがって
   雲に溶けて
   うす紫の夕べの雲になったという

いまいましい血縁の仲間たち
お前たちを 忘れて思い出すまいと
お前たちへは背を向けて
まったく見事に無視すること
これが せめて 残された
いまわしいみみずへの
悲しいけれど反抗だ
我ながら
まったくなさけない仕方だと
いやになるけど あゝあゝあゝ
おれが欲しいは力だが
なんとも力がないんだよ
おれも泣いて身悶えて
雲の上をころがれば
うす紫の
夕べの雲になれるかな



死ぬのはまだ早いか

大晦日の夜だとて
なんということもないのだが
こうして ひとり
酒をのんでいると

ゆく年のうすく鋭い
刃物のような悔いが
おれの心をさっとかすめて
ひりりと痛い一筋の疵をのこした

そのほそい疵を割って 透明の
赤いけむりがむんむんふきだし
心になまぬるい紅色が充満し
疵の痛みがすっぱくなった

その紅色は 来る年への
希望でもない希望のような
力でもない力のような
あゝなまじっかの若さだよ



泣 き た い 夜

一年前に 父が死んで
母よ
今あなたが死んで
おれの心はくちゃくちゃだ

手をにぎったのに
固く冷たく応えないから
おれは窓辺に寄って
夜の街に目を凝らし
涙をこらえた

街のあかりは明るいし
車も電車も動いている
この小さな白い部屋の出来事は
あなただけの嘆きだから
残ったおれには泣くなというのか

人の気配にふりむくと
戸口に弟が
茫然として立っていた
母よ
あなたに一番あまえた奴だ

こらえた涙が このとき
あふれて落ちた
母よ
どうにもこらえようがない

無言のあなたに
いかなる涙で語りかけても
これはもうどうしようもない現実だけど
誰も他人(ひと)がいなければ
大声たてて泣いてもみたい

一年前に 父が死んで
母よ
今あなたが死んで
おれの心はくちゃくちゃだ



夜 の 歌

ほそい月だ
えぐられた地はだをしみでて
したたる滴はつららになった
冷い月だ
日の中はたしかに流れていたんだが
このどぶ川も 今は白く動かない
真夜中だ

    こたつの中で酒をのみ
    テレビでも見ていれば
    それはもう
    暖かで豊かそうだけど
    わけの分らぬ衝動が
    おれをここまでかりたてた

白い月だ
蝋のようなうすあかりが
おれの心を苛立たせる
うすい月だ
求めるものはあれでもないこれでもない
めしいた手につかむべき闇さえない
今は真夜中だ



早 春

朝の野の
若いみどりの
清楚をしめりに
雲は切れ
澄んだ青さの
春のひかりの
惜しみなき賛歌(ほめうた)に
露はゆらゆら昇天する

かける乙女の
流れる髪の
うねりをなでて
そよぐ風の
伝える香りの
思いのほかに
女らしく
後追う我は
とまどい 立ち止まる

澄んだ青さに
春のひかりに
そよぐ風の
我に伝えるさざめきは
なおもかける
白い姿の
はずむ胸の
無垢のひびきの
ふともらしたためいきか



内臓をひきずって歩く人

花粉のようななまぬるいもの
腋臭のようににおうもの
それがむせかえる
ここは都会です

うすっぺらな顔をして
まばたき一つするでなく
倦怠にとろけたような
これらは都会の人たちです

それらの人がこの街に
歩まするのは生命(いにち)でなく
皮膚の中はからっぽで
あゝ 着かざった影なのです

それらの影はひょうひょうと
長いひもをひきずって
重たそうにひきずって
ふらふら酔っぱらっているようです

ひもの先のあかちゃけた
みにくい内臓は重たいから
臓が小石にぶつかれば
黄色い液さえふきでます

ひきずられる内臓の
むくんだようを青い筋が
ときにはひくひく動くから
生命(いのち)があるのは内臓です

臓はたしかに生きてます
苦悩し 呻吟し
恋をすれば
あゝ 臓はあんなにも悶えます

だが ほこりだらけの内臓は
ひきずられて すりきれて
そこらじゅうくびれていて
だらだら黄色い液を流します

花粉のようななまぬるいもの
腋臭のように臭うもの
それに長くさらされて
内臓はもう半分くさっています

無表情の影たちも
ときには すえた臭いの内臓に
わけも分らずむせかえり
乾いた涙を流します
恥を忍んで、自作品の公開

<『蜥蜴』より(1)>

詩文編(14)

 前回の『詩文編13』で、「自作品の公開」を終わりとするつもりでしたが、次のような理由でなお続けることにしました。

  『詩文編1』
で最終詩集『母の沈黙 あるいは ふるさとのありか』(書肆山田出版)以前に自費出版してきた『蜥蜴』『影』『日ごとの葬送』という詩集があることを告げながら
「読み直してみると自費出版の詩集は大半が自ら駄作だと思ってしまう詩が多く、これを直接取り上げることは止めることにしました。」
と述べています。恥ずかしながら、本当に読み直していないくせにこのような断定をしていました。
 ところが、最終詩集の公開を終えて、改めて自費出版詩集を読み直してみましたら、結構楽しく読める詩が多く、このまま反故にしてしまうのが惜しくなりました。
 実はその自費出版詩集の中から最終詩集の転載した詩文がいくつかあります。そこで、〈興味ないよ〉という方が多いかもしれませんが、それらを除いた残りの詩文を全て公開することにしました。まだ青臭く未熟な青年の作品ですが、お付き合いくだされば幸いです。

では『蜥蜴』(27歳の時に纏めたものです。)から始めます。
 まず、表紙裏に次の序詞が記されています。

おれには三つの顔がある。
いまだに混沌としている。
なんとか一つの顔を 持ちたいと思う。


 以下、作品が17編ありますが、まず、最初の5編を転載します。



蜥蜴

いぼだらけの大きな蜥蜴が
青い蜥蜴が
ざくろのような目をむいて
ふるえをこらえて
長い尾のふるえをこらえて
 (あゝ この尾はいくら切っても はえてくるのだ)
ときには 涎のように涙を流す

うしろは絡みあった山なみで
はるかにつづく山なみで
ここに小さな岩があり
眼下は浪の
大海原の気まぐれの浪の
 (あゝ 山や海はあまりにも とりすましている)
岩の蜥蜴の 青いふるえを揶揄する

だから蜥蜴は動けず
もう三十年も動けず
ざくろのような目をむいて
それでも死んで いるでもなく
どうにも 死ねるわけでもなく
 (あゝ 今日の入り日も 美しい)
ときには かすかに笑おうとする



あ こ が れ

地のはての
あかねの
雲の向うの
はてのはてへ

馬を駆ける
我は
草の原の
はるかに

求めるものを
知らずに
とこしえに
はるかに

日は沈む
いざ我も
地のはての
雲の向うへ

   やがて日は
   再びめぐって
   我が背に
   せまるだろう

   日が沈むは
   再びのぼる
   ためであった
   一つの軌道を

限りなく
酷く
寂しき
永遠よ

ただ徒労ばかりの
永遠?
馬を駆けるは
酷き陶酔?

地のはての
はてのはてへ
いたしかたなく
ふるえつつ



夜 の 港

闇の中に黒い船がつながれて
海の水は動かなかった
透いたうでが岩壁をすがって
ぬれた頭をもたげ
あざやかに 女が現れた
夜には一人で 泳ぐのか
今宵は月夜。



水 溜 り

例えば

 太陽がまったく顔を出さない陰うつな日々を過ごしながら、ぼくは
太陽はもう永久に現れないのではないかと心配する。再び太陽を見る
ことを半ば断念している。雨空ををがめては、この世の終りを想像して、
小さを心を痛めるのだった。
 何日も降り続いた雨が、ある日いきなり止んで、青空一杯に太陽の
光があふれる。ぼくにとってはまったくの奇跡だった。落ち着いた大気と
暢気な光が織りなす太古からの旋律が街中を覆い、大地はぬくまり、
かげろうがゆらゆら踊りだす。

 ぼくはそうした雨上りの一時が小さい頃から好きだった。幼い頃には、
大きな長靴をはき、胸をはり、手を大きくふり、足を思いっきり高くあげ、
心をはずませ、暢気に快活に近隣の道を歩き回って、雨上りの一時を過ごした。
とりわけ水溜まりが好きだった。水溜りを見つけては、泥水を頭の上まではねあげて、
ジャボジャボと突進していった。
              (ぼくのそうした冒険を、母は深くとがめはしなかった。)

 ある雨上りの日、ぼくは例によって近隣の道を歩き回っているうちに、
いつになく大きな水溜りに出くわした。雨上りの彩やかな青空を写して静かに
澄んだ水溜まりだった。どこかとりすましているようで、 あるいはとてつもない
深みがあるようで、すばらしく美しい水溜りだった。ぼくは目を光らせ、
胸を異様に高鳴らせ、そのすばらし相手に突進しょうとした。しかし、
目前に相手を見をがら、ぼくは突進をやめてしまった。水端に佇み、水溜まりを
凝視していた。ある種の高揚感と、不安と、希望と緊張と、期待と恐れと、幼い心に
そうした感情が激しい波となって目まぐるしく起伏し、世界がその水溜りに収縮していった。
………どのくらたっただろうか。結局ぼくは、その水溜りを迂回して、再び勝気に快活に
歩き初めていた。

 ーーあの水溜りのように、今、君はぼくの前に現われた。



夕 べ の う た

淡いオレンジの空に ひとはけ
透いた紫が溶けるように流れきて
上の方から しみるように濃くなって
やがて山ぎわまで灰色が迫る ひととき

おれはたしかに見た 幻ではなく
おまえの軽ろやかな翔りを
おまえのつばさが音もなく地を覆うのを
たそがれの空に ひととき ………

だが北風がかなでる絃の
かすかなひびきに和して ひっそりと
野や山のうすやみの影は うたっていた
……たそがれはほろびのいろ……と

広目天の怒り
広目天

怒りは静に深く沈潜させ
より遠くまで射抜く眼差しとなせ。
その眼差しをもって
自由と民主を食い荒らす邪鬼どもの
あさましい心底を射抜き
踏みしだくまで反逆せよ
邪鬼