2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
企業経営の社会主義化(12)
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(3)
カジノホテルの経営側と労働組合キュリナリーが協同して築いてきた組合員(従業員)への福利厚生事業を列挙してみよう。
キュリナリーの医療保険
組合員の保険料負担はない。ただし組合員は、処方箋、受診、通院の費用の一部負担金として、年間数百ドル(数千円弱)を支払う。また歯科医療も、組合員の基本検診と詰め物は通常無料で、もっと複雑な治療にのみ10ドル(900円)から40ドル(3600円)を支払う。組合未加盟のホテルの従業員の場合、200ドル(18000円)以上かかることも少なくない。
労働形態
キュリナリーの労働協約により、清掃員の監督は週40時間の勤務が保証されている。
ほかの都市では、週25時間から30時間しか勤務の割当がないところが多いし、多くのホテルが従業員をパートタイムで雇って、福利厚生の手当をしない。また、勤務のスケジュ一ルにゆとりを持たせて、客が多いときに就労時間を増やしても週40時間を超えることがなく、したがって通常の5割増しの賃金も支払う必要がないようにしようとしている。
賃金の例
組合に加入しているラスヴェガズの清掃員監督は、週給548ドル(約50000円)、年収だと29000ドル(260万円)がふつう。
ほかの都市の組合に入っていない清掃員監督はその5分の3以下で平均年収16000ドル(144万円)。これは貧困ラィンをはるかに下る低賃金である。
研修制度
前回紹介したトレーニングアカデミーは、キュリナリーの組合員ならすべての科目を無料で履修できるのすることができるが、その経費はどうまかなっているのか。
アカデミーの年間予算は300万ドル(27000万円)。これは組合加盟のホテル二十数社の拠出金(組合員の勤務1時間につき3.5セントを拠出)と、州や国の教育補助金でまかなわれている。失業中の労働者も無料で学ぶことができる。キュリナリ一の財務担当書記D・ティラーは次のように語っている。
「組合の目標も、トレ一二ングアカデミーの目標も同じです。英語がしゃべれない労働者でも、厨房で働く下級労働者でも入ることができて、本人が望めば、グルメの給仕にも、副料理長やマスターソムリエにもなれるというのが目標なんです。すべては本人の野心次第、という状況をつくりたいですね」
さて最後に、グラシエラ夫妻のその後を追ってラスヴェガスからお別れしよう。
そう言う夫マヌエルの仕事の方はどうなっただろうか。
その後(2002年)、グラシエラとマヌエルは215000ドル(1935万円)をはたいて、ダウンタウンの北十数キロの砂漠に建設されたサダークリ一クというゲーテッドコミュニティにマイホームを取得した。愛娘セシリアは8歳になっている。愛娘の成長とその将来を期待しながら、生き生きと働きかつ生活を楽しんでいる。
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(3)
カジノホテルの経営側と労働組合キュリナリーが協同して築いてきた組合員(従業員)への福利厚生事業を列挙してみよう。
キュリナリーの医療保険
組合員の保険料負担はない。ただし組合員は、処方箋、受診、通院の費用の一部負担金として、年間数百ドル(数千円弱)を支払う。また歯科医療も、組合員の基本検診と詰め物は通常無料で、もっと複雑な治療にのみ10ドル(900円)から40ドル(3600円)を支払う。組合未加盟のホテルの従業員の場合、200ドル(18000円)以上かかることも少なくない。
労働形態
キュリナリーの労働協約により、清掃員の監督は週40時間の勤務が保証されている。
ほかの都市では、週25時間から30時間しか勤務の割当がないところが多いし、多くのホテルが従業員をパートタイムで雇って、福利厚生の手当をしない。また、勤務のスケジュ一ルにゆとりを持たせて、客が多いときに就労時間を増やしても週40時間を超えることがなく、したがって通常の5割増しの賃金も支払う必要がないようにしようとしている。
賃金の例
組合に加入しているラスヴェガズの清掃員監督は、週給548ドル(約50000円)、年収だと29000ドル(260万円)がふつう。
ほかの都市の組合に入っていない清掃員監督はその5分の3以下で平均年収16000ドル(144万円)。これは貧困ラィンをはるかに下る低賃金である。
研修制度
前回紹介したトレーニングアカデミーは、キュリナリーの組合員ならすべての科目を無料で履修できるのすることができるが、その経費はどうまかなっているのか。
アカデミーの年間予算は300万ドル(27000万円)。これは組合加盟のホテル二十数社の拠出金(組合員の勤務1時間につき3.5セントを拠出)と、州や国の教育補助金でまかなわれている。失業中の労働者も無料で学ぶことができる。キュリナリ一の財務担当書記D・ティラーは次のように語っている。
「組合の目標も、トレ一二ングアカデミーの目標も同じです。英語がしゃべれない労働者でも、厨房で働く下級労働者でも入ることができて、本人が望めば、グルメの給仕にも、副料理長やマスターソムリエにもなれるというのが目標なんです。すべては本人の野心次第、という状況をつくりたいですね」
さて最後に、グラシエラ夫妻のその後を追ってラスヴェガスからお別れしよう。
野心に燃えるグラシエラは、ラ・サルサのウェイタ一助手として働きはじめてから3年後に、アカデミーでウェイトレスになるための科目を受講し始めた。彼女の休日である水曜と木曜に、ウェイトレスを目指す1日6時間のコースをとった。
「もっと上に行きたかった。家族がもっと豊かになれるように。家族にはどんな不自由もさせたくないです」
グラシエラは5カ月間、給仕の仕事について研修を受けた。研修は、ショートスタックとはパンケ一キ何校のことかとか、パフタのフェットナーネとファルファッレの違いは何かとか、細かいことにまで及ぶ。
ある水曜の午後、グラシエラと8人の生徒仲間 ― 皿洗い、ホテルのメィド、ウェイター助手、失業者などさまざまな職種の人たち ― が、7台のテーブルが据えられた食堂兼教室に座っていた。生徒の出身地も、ロシア、ボスニア、タイ、フィリピン、メキシコ、それにモンタナ州と、実にさまざまだった。
講師のナタリー・ロドリゲスが、強い緊張を強いられるような状況で客のオーダーをとる模擬演技をして見せた。機関銃のような早口で、本日のスペシャル料理と添え料理、さらにどんなサラダドレッシングの用意があるかをまくしたてる。それから、今度は自分が客になって生徒一人一人にオーダーし、数分後には何をオーダーしたか確認していく。
英語の覚束ない一人の生徒が「フレンチフライ」でつまずいて、失敗した。突然、講師がグラシエラのほうを振り向き、本日のスペシャルを三種言ってみなさいと言った。黒いパンツに黒いエプロン姿のグラシエラは、一瞬ためらったのち、すぐに立ち直って小さな声で答えた。
「チキンヴェズヴィオと、バーベキューチキンと、シーフードサラダです」
講師はそのとおりとうれしそうだったが、
「グラシエラ、もっと大きな声を出さなきゃだめ」
と注意した。
アカデミーのコースが終了するとすぐ、グラシエラはラ・サルサのウェイトレスに昇進した。メキシコ大歌手の低い歌声が流れる、この黄褐色を基調としたレストランで、グラシエラは今6つのテーブルを担当している。多少おずおずした英語ながら、満面の笑みで客を迎え、自分の好きなファヒータサラダを勧めたりしている。ラ・サルサの看板には、マルガリータを巨大なビール用フラスコのヤードオブエールで出すと誇らしげに書いてある。グラシエラも、このレストランのトレードマークの飲み物を勧めなければと思っている。
グラシエラの仕事は順調で、夫のマヌエルも冗談めかして友達に言うほどだ。
「グラシエラの稼ぎがいいから、そのうちこっちは仕事を辞めて、家事に専念するかな。大黒柱様が帰ってきたときには、テ一ブルで料理が湯気を上げて待ってるようにさ」
そう言う夫マヌエルの仕事の方はどうなっただろうか。
マヌエルは、ベラジオの建設作業に携わったあと、初めのうちは重い建設用資材を運ぶ重労働に従事していた。腕や胸の筋肉の盛り上がりが、どれほどの肉体労働だったかを物語っている。
その後、スティーヴ・ウィンの夢のプロジェクトに加わることになった。ベラジオをしのぐ豪華絢爛なカジノホテル、ウィンラスヴェガスの建設である。そこでは肉体より頭を使った。鉛管工や電気技師がパイプやワイヤーを埋設するための土地を、選別する作業だった。時給は23ドル66セント(約2130円)、時間外手当も含め、総収入が6万ドル(540万円)を超える年もある。
「メキシコにいるころの20倍くらいもらってます」
とマスエルは言った。成功した移民であることに、いささか後ろめたさを覚えているような口ぶりだった。
「僕らは誰も羨んだりしない。せっかくこっちで生まれても、与えられたチャンスのありがたみを知らないから、努力しない人がほんとに多い。なにしろ、国境を越えるとか、僕らが耐えなくちゃならなかった苦労なんて、初めからないんだから」
その後(2002年)、グラシエラとマヌエルは215000ドル(1935万円)をはたいて、ダウンタウンの北十数キロの砂漠に建設されたサダークリ一クというゲーテッドコミュニティにマイホームを取得した。愛娘セシリアは8歳になっている。愛娘の成長とその将来を期待しながら、生き生きと働きかつ生活を楽しんでいる。
企業経営の社会主義化(11)
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(2)
記憶が定かではないが、もう30年ほども昔になるだろうか。日本で組合の御用組合化という警鐘がさかんに論じられ、組合役員は労働貴族とかダラ幹とは揶揄されていたのは。以来、日本の労働組合の組織率は年々低くなってきた。
アメリカの労働組合はもっと悲惨な状況にあるようだ。『大搾取!』目次の第十章を再掲載すると
「第十章 瀕死の労働組合
労働者にとって必要なのは、労働組合なのだ。しかしアメリカの労働組合は腐敗しきっており、組織率は一割にも満たない。蘇る道はあるのか?」
である。こんなアメリカでも労働者の生活向上のために果敢に闘っている組合もある。前回紹介した「ラスヴェガス料理関連職トレ一二ングアカデミー」が生まれた背景には、この街が誇る二つの最強組織がある、とグリーンハウスさんは書いている。
しかし、キュリナリーがこのような成功した組合になるには次のような経緯があった。
1984年の賃上げ闘争で、ホテル経営側は賃上げ交渉に対して強硬策を貫いた。それが組合をストライキに追い込んだ。ストライキ参加者は団結し、大規模なデモを敢行して、デモ隊とピケラインが通りを埋めた。この闘いで、900人が逮捕された。また、テレビカメラが入って、騒乱の逮捕劇が放映されてしまった。
一方のキュリナリーもこの騒乱に大きな衝撃を受けた。協約にサインすることを拒んだ六つのホテルで組合が排除されてしまったのだ。キュリナリーは闘いの次のステップへの準備を開始した。
まず、ベテランのオルガナイザーを招き入れ、各ホテルに活発な一般組合員の委員会を立ち上げた。
また、ホテル側の対立意欲を殺ぐために、若い大学卒業者のチームを雇い、業界にとって不利な情報を探る調査を始めた。そして彼らは、「いくつかのカジノは高額な負債を抱え、ストライキが起きれば持ちこたえられないかもしれない」とウォール街に訴えた。これはカジノホテル会社を慌てさせた。
このような組合の手ごわい攻勢を受けて、ホテル側は戦術変更をして、組合と友好的な態度とることにした。1989年、ミラ一ジュをオープンさせたとき、その責任者スティーヴ・ウィンは、キュリナリ一と画期的な協定を結んだ。
ミラ一ジュ側
ミラージュの従業員の過半数が組合加入賛成を表明するカ一ドにサィンした時点で、キュリナリ一を認めると言明。
これに対してキュリナリー側は二つの見返りを用意した。
キュリナリー側
従来の協約を書き直して、134に区分されていた職種を30に減らし、柔軟性と効率を上げること。
キュリナリ一の親組合である全米ホテル・レストラン従業員組合の政治的圧力によって、「外国から来たギャンブラーが大勝するたびに税金を源泉徴収する」という法案が議会を通過しないよう働きかけること。(そんな法律ができたら外国人のギャンブラーに逃げられてしまうと、ホテル側は恐れていたのだ。)
このキュリナリ一とミラージュの協定に刺激され、シーザ一ズパレス、バリーズ、サーカスサーカスなど、ほかのホテルも同じような協定を結ぶことになった。組合の存在を認めさせて、キュリナリ一は組合員の生活向上のための活動を再開する。
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(2)
記憶が定かではないが、もう30年ほども昔になるだろうか。日本で組合の御用組合化という警鐘がさかんに論じられ、組合役員は労働貴族とかダラ幹とは揶揄されていたのは。以来、日本の労働組合の組織率は年々低くなってきた。
アメリカの労働組合はもっと悲惨な状況にあるようだ。『大搾取!』目次の第十章を再掲載すると
「第十章 瀕死の労働組合
労働者にとって必要なのは、労働組合なのだ。しかしアメリカの労働組合は腐敗しきっており、組織率は一割にも満たない。蘇る道はあるのか?」
である。こんなアメリカでも労働者の生活向上のために果敢に闘っている組合もある。前回紹介した「ラスヴェガス料理関連職トレ一二ングアカデミー」が生まれた背景には、この街が誇る二つの最強組織がある、とグリーンハウスさんは書いている。
一つは、ラスヴェガスで急成長し、熟練労働者を飽くことなく求め続けるカジノホテル業界。もう一つは、並外れた先見の明を持つ労働組合、キュリナリーワ一カーズ(料理関連職従事者連盟〉第226支部である。
キュリナリーと呼ばれるこの組合支部は、いろいろな点で、国内で最も成功した支部と言える。労働運動が全体的に衰退している今、組合員数を1980年代末の18000人から三倍以上の60000人へと増やしているのだ。キュリナリーが勢力を拡大した結果、今やラスヴェガスの住民の10人に1人が、この組合の医療保険に加入している計算だ。
ベラジオ、MGMグランド、パリスなど、巨大カジノホテルが立ち並ぶ大通りに画したホテルの従業員は、90%以上がこの組合に加入している。キュリナリーはまさに「虹の連合」だ。65%が有色人種で、58%が女性、また、中央アメリカの農民や旧ユーゴスラヴィアの難民を含む移民と、最南部のアフリカ系アメリカ人が55%を占めている。
大通りの労働者をこれだけ高い率で組織化することで、キュリナリ一はカジノホテルがいやでも無視できない一大勢力になった。
しかし、キュリナリーがこのような成功した組合になるには次のような経緯があった。
1984年の賃上げ闘争で、ホテル経営側は賃上げ交渉に対して強硬策を貫いた。それが組合をストライキに追い込んだ。ストライキ参加者は団結し、大規模なデモを敢行して、デモ隊とピケラインが通りを埋めた。この闘いで、900人が逮捕された。また、テレビカメラが入って、騒乱の逮捕劇が放映されてしまった。
ラスヴェガスは不名誉な過去を清算して安全な(少なくともかなり安全な)リゾートになったと、大枚かけて宣伝してきたのに、それが台無しとなった。さらに街のサービス業者たちは、労働者にはむっつりしていられるより機嫌よくしてもらったほうが得策だと気づいた。
「遊びに来る人たちに、ピケだの、怒った労働者が通りをふさぐ光景だのを見せるなんて、いちばんあってほしくないことですからね。こんなことは二度とふたたび起こさないと、あのとき誓いました」
「サービス業では、お客様が最初に触れ合うのは客室係であり、食事や飲み物を給仕する人間であるわけでして、もしその人たちが気分よく働いていなければ、それはすぐにお客様に伝わってしまいます」
とJ・テレンズ・ラニは言った。客室数5035、従業員数8200を誇る世界最大のホテル、MGMグランドのオーナー、MGMミラージュの会長である。
一方のキュリナリーもこの騒乱に大きな衝撃を受けた。協約にサインすることを拒んだ六つのホテルで組合が排除されてしまったのだ。キュリナリーは闘いの次のステップへの準備を開始した。
まず、ベテランのオルガナイザーを招き入れ、各ホテルに活発な一般組合員の委員会を立ち上げた。
また、ホテル側の対立意欲を殺ぐために、若い大学卒業者のチームを雇い、業界にとって不利な情報を探る調査を始めた。そして彼らは、「いくつかのカジノは高額な負債を抱え、ストライキが起きれば持ちこたえられないかもしれない」とウォール街に訴えた。これはカジノホテル会社を慌てさせた。
このような組合の手ごわい攻勢を受けて、ホテル側は戦術変更をして、組合と友好的な態度とることにした。1989年、ミラ一ジュをオープンさせたとき、その責任者スティーヴ・ウィンは、キュリナリ一と画期的な協定を結んだ。
ミラ一ジュ側
ミラージュの従業員の過半数が組合加入賛成を表明するカ一ドにサィンした時点で、キュリナリ一を認めると言明。
これに対してキュリナリー側は二つの見返りを用意した。
キュリナリー側
従来の協約を書き直して、134に区分されていた職種を30に減らし、柔軟性と効率を上げること。
キュリナリ一の親組合である全米ホテル・レストラン従業員組合の政治的圧力によって、「外国から来たギャンブラーが大勝するたびに税金を源泉徴収する」という法案が議会を通過しないよう働きかけること。(そんな法律ができたら外国人のギャンブラーに逃げられてしまうと、ホテル側は恐れていたのだ。)
このキュリナリ一とミラージュの協定に刺激され、シーザ一ズパレス、バリーズ、サーカスサーカスなど、ほかのホテルも同じような協定を結ぶことになった。組合の存在を認めさせて、キュリナリ一は組合員の生活向上のための活動を再開する。
企業経営の社会主義化(10)
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(1)
ギャンブルで名高い沙漠の中の観光都市ラスヴェガス。グリーンハウスさんはこの特異な都市の情景描写から書き始めている。
グラシエラは、ロサンゼルスに住む兄を頼って、メキシコからアメリカ合州国に密入国した女性だ。アメリカに流入し続ける単純労働者群の代表として、このグラシエラさんの半生を縦糸にしながら、ラスヴェガスの労働組合の活躍ぶりが紹介されていく。まずグラシエラの半生を、かいつまんで追ってみる。
ロサンゼルスでグラシエラはアパレル工場で服にアイロンをかける仕事に就く。そこは、仕事は単調な上に、監督する上司は金切り声を上げて怒鳴り散らす典型的な搾取工場だった。グラシエラはやがて裁縫係にとり立てられたが、それでも賃金は、1日10時間の労働に対してたったの30ドル(2700円)だった。
しかし、グラシエラはここで、やはりメキシコからの移民のマヌエルという男性と出会う幸運を得た。二人は結婚し、マヌエルの小さなアパートメントで暮らし始めた。梱包係のマヌエルの賃金もまた1日30ドル、年にして7500ドル(67500円)の収入しかなかった。やがてグラシエラは妊娠したが、その喜びは不安に変わっていった。
「お金はないし、家賃は高いし。ご飯を食べるともう家賃が払えないということが何度もあって。私たちはなんとかしようと話し合いました。だってもう二人だけじゃない、赤ん坊が生まれるんだからって。なんとかしなければ、何か別の仕事を見つけなければ、と思いました」
ラスヴェガスのホテルで清掃員の監督をしているマヌエルの姉が、ホテルのカジノにいい仕事があると紹介してくれた。二人はラスヴェガスに向かい、マヌエルの姉夫婦の厄介になった。
グラシエラはモーテルチェーンのベストウエスタンでベッドメイクとバスルーム清掃の仕事に就く。しかし仕事は単調で、福利厚生などいっさいない低賃金の仕事だった。
マヌエルの方は、トラックショップで18輪トラックを洗う仕事。こちらも給料は安く、仕事は心弾まない。しかもアスベストを扱っていて、アスベストは危険だと友人たちに忠告されていた。まもなくマスエルは、義理の兄から建設労働者募集の話を聞いて、建設の仕事に転職した。初めての仕事は、ラスヴェガスの豪奢を極めつくした新しい巨大カジノホテル・ベラジオの建設現場だった。マヌエルは、やがて労働組合に入り、満足のいく賃金にも福利厚生にも恵まれることとなる。
グラシエラの方は、はじめの3年間は、ホテルの後は裁縫仕事(ナイトクラブのショーに出演する人の衣装を縫う仕事)・カジノでの清掃員の監督と、次々に仕事を替わり、そのたびに落胆していた。
マヌエルが働いている作業現場の監督の奥さんから、ピラミッド形のホテル・ルクソールのレストランに欠員があると聞いて、グラシエラはすぐに飛びついた。ルクソール内のメキシコ料理店(ラ・サルサ)に応募し、雇れることになった。ウェイターの助手という下級職だが、組合に加入できる職種だった。
グラシエラの仕事は、料理を運び空の皿を下げるという単純なものだったが、賃金は時給10ドル14セント(913円 ラスヴェガスのウェイター・ウェイタ一助手に支給される基本給)で、国内では最高のレベルのものであった。ちなみに、ニューヨーク市では1時間当たり4ドル60セント(414円)だという。
この基本給のほかに、1時間平均5ドル(450円)のチップが加算される(ウェイターとウェイター助手はチップを分け合う)。1日7時間のペースで働くと、年27000ドル(243万円)の収入になる。実に、ホテルの清掃員監督時代の約2倍、搾取工場時代の3.5倍になる。
さらにグラシエラは、多くの不法移民に恩赦を施す1986年の連邦法の施行によって永住権を取得し、晴れてアメリカ市民となった。
ラスヴェガスには、ホテルやレストランの従業員が学ぶ国内随一の研修センタ一(ラスヴェガス料理関連職トレ一二ングアカデミー)がある。ルクソ一ルに雇われたグラシエラはこの研修センターで好きな科目を無料で履修できることになったのだ。つまり、努力次第でより高度な職業に就くための足がかりを得たということだった。
この研修センタ一にはさまざまな科目が揃っていて、毎年3000人の労働者が受講している。年収27000ドル(243万円)のウェイター助手を、年収50000ドル(450万円)のウェイターに、さらに頑張って勉強を続ければ年収75000ドル(675万円)のバーテンダ一やソムリエにさえなれる。なかには年収10万ドル(900万円)を超えるような、副料理長やマスターソムリエになるための科目をとる人たちもいる。
以上のように、ラスヴェガスのホテル従業員が賃金の面でも福利厚生の面でも優遇されるようになるまでには、経営側と労働組合との激しい攻防があった。次回はその経緯を追ってみよう。
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(1)
ギャンブルで名高い沙漠の中の観光都市ラスヴェガス。グリーンハウスさんはこの特異な都市の情景描写から書き始めている。
ラスヴェガスの有名な大通りを歩くと、そこでしか見られない数々の驚異を目にすることになる。まがい物のエッフェル塔、ミニチュアのブルックリンブリッジ、ヴェニスの宮殿もどき、そして暗い砂漠の空に一条の光を放つエジプトのピラミッド風建物。
もう一つの驚異が、漆黒の髪をポニーテールにし、ドッジラムの白いピックアップトラックを駆って、ウェイトレスとして働くピラミッド内の戦場に通う小柄な女性、グラシエラ・ディアスだ。
グラシエラは、ロサンゼルスに住む兄を頼って、メキシコからアメリカ合州国に密入国した女性だ。アメリカに流入し続ける単純労働者群の代表として、このグラシエラさんの半生を縦糸にしながら、ラスヴェガスの労働組合の活躍ぶりが紹介されていく。まずグラシエラの半生を、かいつまんで追ってみる。
ロサンゼルスでグラシエラはアパレル工場で服にアイロンをかける仕事に就く。そこは、仕事は単調な上に、監督する上司は金切り声を上げて怒鳴り散らす典型的な搾取工場だった。グラシエラはやがて裁縫係にとり立てられたが、それでも賃金は、1日10時間の労働に対してたったの30ドル(2700円)だった。
しかし、グラシエラはここで、やはりメキシコからの移民のマヌエルという男性と出会う幸運を得た。二人は結婚し、マヌエルの小さなアパートメントで暮らし始めた。梱包係のマヌエルの賃金もまた1日30ドル、年にして7500ドル(67500円)の収入しかなかった。やがてグラシエラは妊娠したが、その喜びは不安に変わっていった。
「お金はないし、家賃は高いし。ご飯を食べるともう家賃が払えないということが何度もあって。私たちはなんとかしようと話し合いました。だってもう二人だけじゃない、赤ん坊が生まれるんだからって。なんとかしなければ、何か別の仕事を見つけなければ、と思いました」
ラスヴェガスのホテルで清掃員の監督をしているマヌエルの姉が、ホテルのカジノにいい仕事があると紹介してくれた。二人はラスヴェガスに向かい、マヌエルの姉夫婦の厄介になった。
グラシエラはモーテルチェーンのベストウエスタンでベッドメイクとバスルーム清掃の仕事に就く。しかし仕事は単調で、福利厚生などいっさいない低賃金の仕事だった。
マヌエルの方は、トラックショップで18輪トラックを洗う仕事。こちらも給料は安く、仕事は心弾まない。しかもアスベストを扱っていて、アスベストは危険だと友人たちに忠告されていた。まもなくマスエルは、義理の兄から建設労働者募集の話を聞いて、建設の仕事に転職した。初めての仕事は、ラスヴェガスの豪奢を極めつくした新しい巨大カジノホテル・ベラジオの建設現場だった。マヌエルは、やがて労働組合に入り、満足のいく賃金にも福利厚生にも恵まれることとなる。
グラシエラの方は、はじめの3年間は、ホテルの後は裁縫仕事(ナイトクラブのショーに出演する人の衣装を縫う仕事)・カジノでの清掃員の監督と、次々に仕事を替わり、そのたびに落胆していた。
マヌエルが働いている作業現場の監督の奥さんから、ピラミッド形のホテル・ルクソールのレストランに欠員があると聞いて、グラシエラはすぐに飛びついた。ルクソール内のメキシコ料理店(ラ・サルサ)に応募し、雇れることになった。ウェイターの助手という下級職だが、組合に加入できる職種だった。
グラシエラの仕事は、料理を運び空の皿を下げるという単純なものだったが、賃金は時給10ドル14セント(913円 ラスヴェガスのウェイター・ウェイタ一助手に支給される基本給)で、国内では最高のレベルのものであった。ちなみに、ニューヨーク市では1時間当たり4ドル60セント(414円)だという。
この基本給のほかに、1時間平均5ドル(450円)のチップが加算される(ウェイターとウェイター助手はチップを分け合う)。1日7時間のペースで働くと、年27000ドル(243万円)の収入になる。実に、ホテルの清掃員監督時代の約2倍、搾取工場時代の3.5倍になる。
さらにグラシエラは、多くの不法移民に恩赦を施す1986年の連邦法の施行によって永住権を取得し、晴れてアメリカ市民となった。
ラスヴェガスには、ホテルやレストランの従業員が学ぶ国内随一の研修センタ一(ラスヴェガス料理関連職トレ一二ングアカデミー)がある。ルクソ一ルに雇われたグラシエラはこの研修センターで好きな科目を無料で履修できることになったのだ。つまり、努力次第でより高度な職業に就くための足がかりを得たということだった。
この研修センタ一にはさまざまな科目が揃っていて、毎年3000人の労働者が受講している。年収27000ドル(243万円)のウェイター助手を、年収50000ドル(450万円)のウェイターに、さらに頑張って勉強を続ければ年収75000ドル(675万円)のバーテンダ一やソムリエにさえなれる。なかには年収10万ドル(900万円)を超えるような、副料理長やマスターソムリエになるための科目をとる人たちもいる。
以上のように、ラスヴェガスのホテル従業員が賃金の面でも福利厚生の面でも優遇されるようになるまでには、経営側と労働組合との激しい攻防があった。次回はその経緯を追ってみよう。
企業経営の社会主義化(9)
介護会社コーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツの場合(2)
従業員がオ一ナーという介護サービス業界では珍しいこの会社は、多くの職場研究の専門家や介護のプロたちから、全国の低賃金労働者のモデルとして注目を浴びている。
コーポラティヴの取締役会の役員12名のうち8名が従業員である。つまり従業員がみずからの賃金や福利厚生やボ一ナスを決定する最終的な発言権を持っているというわけだ。このことについて、会長のサーピンは次のように述べている。
「経済関係の資料などを読むと、労働者は本来愚かで利己的だという説があるようですが、ここではそんなことはまったくありませんでした。彼らが下してきた決定を見れば、彼らが一貫して、会社が生き残れるよう、今後もよりよい賃金と福利厚生を提供できる力を蓄えるようにと気遣っていることがよくわかります」
コーポラティヴの代表取締役マイケル・エルサスも次のように会社の経営哲学を述べている。
「従業員はわれわれのあらゆる活動の中心です。ほかのことはすべてそのまわりを回っているだけです」
コーポラティヴでは従業員が取締役会の実権を握っているので、従業員の福祉についても最善の策が考えられている。
コ一ポラティヴが営利事業者より高い賃金が出せる理由が三つある。一つは、一般の営利企業では、総収入の5%から8%がオーナーの利益となっている。コーポラティヴの場合は、その分をほとんど賃金につぎ込むことができる。
二つ目。これはコストコの場合もそうであったが、患者(顧客)も従業員も大事にする経営方針がコーポラティヴの移動率をほかより断然低くしている。これは研修予算を低く抑えるのに役立っている。
三つ目。コーポラティヴに所属している訪問介護ヘルパーは1100人で、そのうちの99%が女性である。そして、そのほぼ全員がヒスパニック系かアフリカ系アメリカ人で、70%が福祉の援助を受けた過去を持っているという。福祉の援助から抜け出す従業員が非常に多いため、研修費としてさまざまな政府補助を受けることができ、賃金に回す資金をさらに増やすことが可能になっている。
この会社は企業というよりむしろ共生・相互扶助を旨とするコンミューン型の共同体のようではないか。
介護会社コーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツの場合(2)
コ一ポラティヴの会長サーピンがこの会社を興したのは1985年、ナーシングホームに代わるものについて論文を書いたあとだった。70年代にニューヨーク市のナーシングホームがひどい状況にあることが次々とあきらかになり、それに発奮して書いた論文だった。
スペインのバスク地方で従業員がオーナーの協同組合が成功しているという話に刺激を受けたサーピンは、従来の営利または非営利の訪問介護サービス組織とは違う、従業員がオーナーでもある訪問介護サービス協同組合をつくることを思いついた。
「営利でも非営利でも、従業員の扱いがよくないことに変わりはないことに気づいたんですよ。営利事業者は利益を上げるために、また非営利組織の場合は、彼らにとって労働が問題ではなく、利用者やプロのスタッフのほうがずっと大事だから、従業員の待遇が悪かったんですね」
従業員がオ一ナーという介護サービス業界では珍しいこの会社は、多くの職場研究の専門家や介護のプロたちから、全国の低賃金労働者のモデルとして注目を浴びている。
コーポラティヴの取締役会の役員12名のうち8名が従業員である。つまり従業員がみずからの賃金や福利厚生やボ一ナスを決定する最終的な発言権を持っているというわけだ。このことについて、会長のサーピンは次のように述べている。
「経済関係の資料などを読むと、労働者は本来愚かで利己的だという説があるようですが、ここではそんなことはまったくありませんでした。彼らが下してきた決定を見れば、彼らが一貫して、会社が生き残れるよう、今後もよりよい賃金と福利厚生を提供できる力を蓄えるようにと気遣っていることがよくわかります」
コーポラティヴの代表取締役マイケル・エルサスも次のように会社の経営哲学を述べている。
「従業員はわれわれのあらゆる活動の中心です。ほかのことはすべてそのまわりを回っているだけです」
コーポラティヴでは従業員が取締役会の実権を握っているので、従業員の福祉についても最善の策が考えられている。
コーポラティヴでは、低金利のローンや一部給付奨学金を提供して、ヘルパーたちがたとえば看護師や呼吸療法士になるための教育を受けられるようにしている。
幼い子供を抱えたヘルパーが、託児のトラブルのため約束の時間に利用者の家に到着できなかったような場合でも、会社はほかの業者のようにすぐに解雇したりはしない。また同じことが起こらないように、カウンセラーがいっしょになって子供を預かってくれるところを探すのだ。
またコーポラティヴが頻繁に実施するちょっとしたプログラムも、従業員にとってはありがたい。従業員だけではなく、従業員と子供のためのクリスマスパーティもある。職場の仲間意識を育て、会社を単なる働く場所以上のものにするために、毎年船遊びや、何十人ものヘルパーたちが集まって映画やビンゴやダンスや工芸を楽しむ「ファンフライデー」も催される。
「前に働いていた会社では、連帯感なんて感じたことはなかったし、自分はお給料をもらって利用者のところへ出向くただの従業員としか思ったことがなかった。でも、ここでは、みんな家族みたいなんです。気分よく過ごせるいろいろな仕組みがある。悩み事があっても、いつでも相談できる相手もいるし」
とコーポラティヴに勤めて4年のザブリナ・ホリーは言った。
コーポラティヴでは、従業員の話を聞くことも経営者の責任の一つだ。もう13年コーポラティヴに勤めているヴィヴィアン・キャリオンは言う。
「ここでは怖いものがないから、言いたいことが言える。誰も賛成してくれないようなことを言っても、そのことで非難されたりはしません。発言権があるって、そういうことでしょ? ちゃんと尊重してくれるんです。ここに来るまでいろいろなところで働いたけど、経営側はあちら、従業員はこちらって、はっきり分かれているところが多かった。間に壁をつくってしまうことが多かったけど、ここでは行き来は自由。壁なんてありません」
コ一ポラティヴが営利事業者より高い賃金が出せる理由が三つある。一つは、一般の営利企業では、総収入の5%から8%がオーナーの利益となっている。コーポラティヴの場合は、その分をほとんど賃金につぎ込むことができる。
二つ目。これはコストコの場合もそうであったが、患者(顧客)も従業員も大事にする経営方針がコーポラティヴの移動率をほかより断然低くしている。これは研修予算を低く抑えるのに役立っている。
三つ目。コーポラティヴに所属している訪問介護ヘルパーは1100人で、そのうちの99%が女性である。そして、そのほぼ全員がヒスパニック系かアフリカ系アメリカ人で、70%が福祉の援助を受けた過去を持っているという。福祉の援助から抜け出す従業員が非常に多いため、研修費としてさまざまな政府補助を受けることができ、賃金に回す資金をさらに増やすことが可能になっている。
コーポラティヴもすべてが完璧ではないと初めて声を上げたのは、マルガリータ・ピロットだろう。自分たちで選んだ取締役ではあるけれど、昇給や年末ボーナスに関して、あまりに財布の紐が固すぎるとこぼす従業員は多い。
「もっとお給料を上げてもらいたいって切実に思います。アパートメントの家賃に700ドル(63000円)払わなきゃならないから、ほんとに苦しいんですよ」
と時給8ドル25セント(約740円)のマルガリ一夕は言う。
州政府からの払戻率が据え置かれて、特に厳しい運営を余儀なくされた5年間、取締役会は賃上げゼロの決定を下した。このゼロ回答に従業員の怒りは爆発したが、その怒りが鎮まるきっかけになったのは、取締役会の従業員オーナーも昇給ゼロだとわかったことだった。
もう長く取締役をやっているジョアン・ポーは言う。
「従業員オーナーになったら、従業員オーナーとはどういうものかを理解しないといけない。いいことも、よくないことも、みんなで分かち合うってことですから」
この会社は企業というよりむしろ共生・相互扶助を旨とするコンミューン型の共同体のようではないか。
企業経営の社会主義化(8)
介護会社コーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツの場合(1)
グリーンハウスさんは従業員を優遇する企業のその動機に三つのケースがあること指摘した。これから取り上げる三例は、それぞれその三つのケースに対応する例だが、さらに驚くべき斬新にして大胆な経営方針を貫いている。今回取り上げる例は取締役に従業員が参加している。労働者による自主管理に限りなく近づいたという意味で、非常に社会主義的である。
グリーンハウスさんはコーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツ(以下コーポラティヴと略す)の紹介を、銃弾を受けて両足が麻痺し自力ではほとんど何もできない被介護者(ウィルフレド・グラウロー)と、その人の訪問介護ヘルパーを務めている介護者(マルガリータ・ピロット)とのエピソードの紹介から始めている。
マルガリータは明るくきびきびと介護をしながら、ウィルフレドにどんな話題で話しかければウィルフレドの気持ちを引き立てることができるかということにまで細かく配慮して、心の交流を確かなものにし、信頼関係を築いている。ウィルフレドは言う。
「もうどこにも出かけることはないのに、いまだに6時半になると日が覚めるんです。そして10時半か2時ころには気分が落ち込んで、どこかに行かなくちゃと考えるようになる。そんなときにマルガリータがやってきて、話しかけてくれる。すると気分がよくなってくるんです。彼女は僕を元気にしてくれます。何かしようという前向きな気持ちにさせてくれるんですよ」
ウィルフレドはマルガリータを寄越してくれるコーポラティヴに感謝している。コーポラティヴではカウンセラーが長い時間患者にインタヴユ一し、どのヘルパーがその患者にいちばん合うかを考えた上で、担当の介護ヘルパーを選んだでいるのだ。
そのマルガリータは10年以上もあちこちの訪問介護サ一ビス会社を渡り歩いてきた。そして、どこでも同じ問題に突き当たった。
低賃金と、福利厚生の貧弱さと、ヘルパ一を名前のない、取り替えのきく部品か何かのように扱う無神経な上司たち。
私の縁戚に介護ヘルパーを勤めている女性がいて日本の介護サービス会社の様子を知る機会があるが、全く同じ状況である。周知のようにいま雇用拡大問題とも絡んで、介護ヘルパーの待遇改善が重要な政治課題となっている。
さて、マルガリータはその会社がどんな会社かも知らぬまま、友人に紹介されて、コーポラティヴに応募し入社した。マルガリータは入ってすぐその会社がそれまでの訪問介護サービス会社とは違うことを知る。
介護会社コーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツの場合(1)
グリーンハウスさんは従業員を優遇する企業のその動機に三つのケースがあること指摘した。これから取り上げる三例は、それぞれその三つのケースに対応する例だが、さらに驚くべき斬新にして大胆な経営方針を貫いている。今回取り上げる例は取締役に従業員が参加している。労働者による自主管理に限りなく近づいたという意味で、非常に社会主義的である。
グリーンハウスさんはコーポラティヴ・ホームケア・アソーシエイツ(以下コーポラティヴと略す)の紹介を、銃弾を受けて両足が麻痺し自力ではほとんど何もできない被介護者(ウィルフレド・グラウロー)と、その人の訪問介護ヘルパーを務めている介護者(マルガリータ・ピロット)とのエピソードの紹介から始めている。
マルガリータは明るくきびきびと介護をしながら、ウィルフレドにどんな話題で話しかければウィルフレドの気持ちを引き立てることができるかということにまで細かく配慮して、心の交流を確かなものにし、信頼関係を築いている。ウィルフレドは言う。
「もうどこにも出かけることはないのに、いまだに6時半になると日が覚めるんです。そして10時半か2時ころには気分が落ち込んで、どこかに行かなくちゃと考えるようになる。そんなときにマルガリータがやってきて、話しかけてくれる。すると気分がよくなってくるんです。彼女は僕を元気にしてくれます。何かしようという前向きな気持ちにさせてくれるんですよ」
ウィルフレドはマルガリータを寄越してくれるコーポラティヴに感謝している。コーポラティヴではカウンセラーが長い時間患者にインタヴユ一し、どのヘルパーがその患者にいちばん合うかを考えた上で、担当の介護ヘルパーを選んだでいるのだ。
そのマルガリータは10年以上もあちこちの訪問介護サ一ビス会社を渡り歩いてきた。そして、どこでも同じ問題に突き当たった。
低賃金と、福利厚生の貧弱さと、ヘルパ一を名前のない、取り替えのきく部品か何かのように扱う無神経な上司たち。
私の縁戚に介護ヘルパーを勤めている女性がいて日本の介護サービス会社の様子を知る機会があるが、全く同じ状況である。周知のようにいま雇用拡大問題とも絡んで、介護ヘルパーの待遇改善が重要な政治課題となっている。
さて、マルガリータはその会社がどんな会社かも知らぬまま、友人に紹介されて、コーポラティヴに応募し入社した。マルガリータは入ってすぐその会社がそれまでの訪問介護サービス会社とは違うことを知る。
ほかの会社のように、研修費として300ドルを請求されることはなかった。健康診断の費用50ドルも請求されなかった。
マルガリータはすでに介護の研修を受けていたが、無料で新たに研修を受けてほしいと言われた。コーポラティヴの研修プログラムは実に念入りに組まれていて、期間も大半の介護サ一ビス会社の倍の4週間だった。
ほかの会社では2週間の研修の大半が、当然とは言え、家事のやり方とか、患者を受診に連れていくヴァンの手配のし方など、実際的な要請に応えることに重きを置いていた。コーポラティヴでは、あとの2週間で、心臓発作の症状の見分け方や、急病になったときの対処のしかたや、鬱状態の患者の心を動かすにはどうしたらいいかなど、健康上の問題に注意を向ける時間がたっぷりとってあるのだった。
「コーポラティヴのほうがいいと思う。患者さんにとってどうするのがいいか、そこを中心に考えているから」とマルカリータは言った。
コーポラティヴは、患者ばかりではなく従業員にとってどうするのがいいかも、ほかのところより考えている。マルガリータが働いていたほかの会社では、医療保険もなければ、有給の病気休暇制度もなかった。息子が喘息の発作を起こしたので欠勤したいと電話すると、クビだと脅されたことも一度や二度ではなかった。
15時間や20時間しか勤務を割り当てられない週も多く、3人の子供を抱えるマルガリータは家計のやりくりに苦しんだ。コーポラティヴでは、三年以上在職した従業員には、たとえ勤務の割当が少なくても、週最低30時間分の給与が保証される。
「前の職場では福利厚生なんて、いっさいなかったわ。会社は従業員のことなんて何一つ考えてくれなかった。でもコ一ポラティヴでは、従業員同士みんな知っているし、家庭の問題を抱えていたら、カウンセラーが相談にのってくれる」





