2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(54)

糞バエ(5)

 前回の小原紘さんの論考に「去年だけで北朝鮮は2回も核実験を行い、35発のミサイルを発射していた」という指摘があったが、これに対して日本政府はどのような反応をしたのだろうか。この事について「週間金曜日1146号(2017年7月28日刊)に軍事問題に詳しい田岡俊次(たおか しゅんじ ジャーナリスト)さんが『またもや登場した「敵基地攻撃能力 技術上できないことを言う「平和ボケタカ派」』という表題で論考を掲載している。このような科学的根拠を踏まえた詳細な論考は他には見られないのではないか。これを転載しよう。

 北朝鮮の弾道ミサイルの発射実験が活発化し、その性能が顕著に高まるのに対し、自民党の安全保障調査会は次の中期防衛力整備計画(2019年~23年度)に「敵基地攻撃能力」の保有を入れるため、政府に迅速な検討を求めている。次期中期防は来年末に正式に決定するが、その約1年前から計 画が練られるから、今年中には方向が決まりそうだ。

 攻撃兵器としては護衛艦、潜水艦から発射する巡航ミサイル「トマホーク」(射程距離1650キロ)や、ステルス戦闘機F35が登載するノルウェー・米国開発の空対地ミサイル「JSM」(同300キロ)のほか、空自の戦闘攻撃機F2用に、国内開発中の超音波の空対地ミサイルも考えられている。

 日本政府は国民福祉の予算を削る一方で、北朝鮮のグアム攻撃の脅しに踊らされて、またしても軍産複合体に巨額の税金を貢ぐことを決めた。東京新聞の記事の冒頭部分の文とその購入武器の写真を転載する。「日本政府は17日に米・ワシントンで開かれた外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、北朝鮮による弾道ミサイル発射への対応策として、米国から新たな高額武器を購入する方針を米側に伝えた。」
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(追記)
 今日(8月23日)の東京新聞第一面のトップ記事を紹介しておこう。『<増額傾向止らず> 防衛省5.2兆円要求へ 来年度予算 北に対応、過去最大』

 田岡さんの論考に戻ろう。
 
 だが相手の弾道ミサイルを破壊するためには、事前に目標の詳しい位置を知る必要がある。米軍の偵察衛星で北朝鮮を常時監視し、弾道ミサイルの位置がわかるように思う人も少なくないが、実際にはこれは不可能だ。偵察衛星は地球をほぼ南北方向に、1周約90分で周回し、地球は東西方向に自転するから、各地の上空を1日約1回、時速約2万7000キロで通過する。北朝鮮の上空を通るのは1日に1分間程だ。米国が運用中の画像偵察衛星は5基、レーダー偵察衛星(夜間用)は2基と見られ、日本の画像衛星とレーダー衛星各2基を合わせても11基だから、1日に計10分ないし20分程しか見張れない。

 偵察衛星は飛行場や原子力発電所など固定目標は撮影できるが、移動目標の位置を常時つかむのは無理だ。弾道ミサイルは自走発射機やトレーラーで移動し、山間部のトンネルなどに隠れ、新型はそこから出てミサイルを発射するのに約10分、とされる。

 日本独自の早期警戒衛星の保有も、自民党の安全保障調査会は求めている。これは赤道上空約3万6000キロを周回し、その高度で回ると地球の自転の速度と釣り合うから、地上からは静止しているように見える。だがこの距離は偵察衛星の約100倍だから、弾道ミサイルは見えず、発射の際に出る赤外線を感知できるだけで、攻撃目標を探す役には立たない。

ミサイルの発見は至難

 ジェットエンジン付きの大型グライダーにカメラ、レーダーなどを付けた無人偵察機「グローバルホーク」(航空自衛隊が地上機材を含み約1300億円で3機発注)は最高約2万メートルの高度を時速600キロで、約30時間飛行できる。北朝鮮とその周囲の公海上で常に3、4機を旋回させておけば弾道ミサイルも見えそうに思えるが、そのためには相当多数の偵察機が必要だし、谷間の目標は斜めからでは撮影できない。北朝鮮の真上を飛べば、旧式のソ連製対空ミサイルでも射高は3万メートルはあるから簡単に撃墜される。

 1991年の湾岸戦争では、完全な制空権を握った米空軍はイラクの弾道ミサイルを発射前に破壊するため、同国東西の発射地域2ヵ所の上空に常に8機を空中待機させ、1日平均64機を「スカッド・ハント」に出撃させた。だが、「発射された」と聞いて駆けつけ、発射機やカラのミサイルのコンテナを叩くのがせいぜいで、これを「攻撃成功」と報告していた。発射前に壊せたのはただ1回。特殊部隊を潜入させるため夜間に低空飛行していたヘリコプターが、偶然弾道ミサイル発射の炎を目撃そちらに向かったところ、付近でもう1機のミサイルが発射準備中だったのを発見。機関銃で処理したと米国で報じられた。

 敵の位置を知ることは、すべての戦闘の第一歩である。北朝鮮の弾道ミサイルの緯度、経度を常にリアルタイムで確実に把握できる手段がなければ、攻撃能力を備えても何の役にも立たない。自民党の安全保障調査会も戦争を現実的、具体的に考える能力を欠いた「平和ボケタカ派」の集団であることを「敵基地攻撃能力」保有論は示しているように思われる。

 日本政府は、北朝鮮のグアムへのミサイル攻撃にうろたえて、グアムに向かうミサイルを迎撃するために中国・四国地方に対空ミサイルPAC-3とイージス艦を配置した。これも「平和ボケタカ」的な戦略のようだ。これについては高野孟(ジャーナリスト)さんが日刊ゲンダイに『米本土に向かうミサイルを日本が打ち落とすという錯誤』という記事を掲載している。最後の一文で糞バエの権力への忖度ぶりを指摘している。これも全文転載しよう。

 北朝鮮のミサイルの問題を論じている時に、準レギュラーのコメンテーターである外交評論家の岡本行夫氏が「北のミサイルが日本の上空を飛び越えて米本土に向かうというのに、日本が(何もしないで)行ってらっしゃいと手を振って見送るわけにはいきませんから」と、同盟国としての日本がそれをはたき落とすよう努めるのは当然という趣旨のことを語っていた。

 ところが残念なことに、北朝鮮から米本土に向かう大陸間弾道弾は、日本列島はもちろん日本海の上空すら通らない。ミサイルは最短距離を飛ぶので、北朝鮮からほぼ真北に向かって中国ハルビンの東、露ウラジオストクの西の辺りを通り、北極海、カナダ・ハドソン湾の上空を通ってワシントンに到達する。これを日本海に浮かべたイージス艦で横から撃ち落とすというのは全く不可能なのである。グアムに向かうというのであれば、日本の中国・四国地方の上空を通るし、またハワイに向かうというのであれば東北地方の上空を通る。しかし今の日本の感知システムでは、発射から数分後に通過したことを後になって分かるのが精いっぱいで、せいぜいが誤って部品の一部が落ちてきた場合にそれを空中粉砕できるかどうかである。

 私は岡本さんとは3分の1世紀ほど前、彼が外務省北米局安全保障課長の時からの知り合いで、今もあちこちでご一緒することが多いので、こんなことを言うのはイヤなのだが、北朝鮮や中国の“脅威”を強調する安倍政権の立場に寄り添おうとすると、こんな初歩的な間違いを犯すことになるのだろう。

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永遠の不服従のために(53)

糞バエ(4)

 このところ北朝鮮がグアム島周辺に向けた弾道ミサイルの発射計画が北朝鮮脅威を煽る材料としてマスゴミが騒いでいるが、この北朝鮮の弾道ミサイルの発射計画は米・日による北朝鮮へのさまざまな威嚇に対抗する反応であって、私ははなから北朝鮮にはそれを実行出来るわけがないと考えていた。アメリカのネオコンにとって9・11テロが「新たな真珠湾のような好機だった」(『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』による)ように、北朝鮮のグアム攻撃はアメリカによる北朝鮮侵略戦争の恰好の理由を与えることになるのは自明なことだ。その結果はアフガンやイラクのように北朝鮮は壊滅に至る。金正恩がトランプ・安倍ほどのバカかどうかは知らないが、これくらいのことは承知していると思う。

 北朝鮮の弾道ミサイルの発射計画はどうなったか。直近のニュースをまとめると、
・中国が北朝鮮からの輸入禁止の圧力を打ち出す。これを受けて、北朝鮮はミサイル発射を見送った。
・この金正恩の判断をトランプがTwitterで褒めている。
・米報道官が米朝の話し合いに言及。

 にもかかわらず、糞バエ(主としてNHK)はまだ北朝鮮危機を煽って、安倍政権の対北朝鮮政策を支持している。最近出会った糞バエ批判記事を二つ紹介しよう。


 「リベラル21」に投稿された小原紘(個人新聞「韓国通信」発行人)さんの『2017.08.17 2017年 夏:韓国通信NO532』。全文転載する。
<認知症と記憶喪失と「たわけとうつけ」>

 認知症はかつて痴呆症といわれた。老齢化社会を迎えて国内の推定患者数は今や500万人、予備軍を含めるとざっと1000万人という。自分とは無縁なものと高を括っていたが、最近自信がなくなってきた。とにかく思いだせないことが多すぎる。毎日、暗澹たる気持ちだ。免許証の更新のため認知症のテストを受ける羽目になった。前日の夕食メニューを聞かれるという有力情報を得て、久しぶりにカレーライスを作った。ヤマは見事にはずれたが、テストは合格。
 私たちの認知症への不安をよそに、この夏、「記憶にない」を平然と語る人たちを発見した。抜群の記憶喪失を演じた財務省の佐川理財局長は首相の覚えめでたく国税庁長官に昇格した。憲法違反の「安保法制(戦争法)」を強行して以来、政治家や官僚たちには憲法も国民も見えなくなったようだ。不遜な態度を父親からとがめられ、「たわけもの!」と怒鳴られたことを思いだす。認知症でも痴呆でもない彼らは、意図して記憶を消し去ろうとする「たわけもの」で「うつけもの」だ。

<あなたはどこの国の総理か>

 8月9日、長崎を訪れた安倍首相に被爆者代表が抗議した。「どこの国の総理か」と問われた首相は世界の歴史に名を残すに違いない。言いたくても私は同じことが言えただろうか。

<トランプ・金正恩の場外乱闘>

 核兵器をオモチャ扱いにするふたりの姿はプロレスラーが試合前、場外で口汚なく「ののしりあう」のに似ている。北朝鮮が「アメリカが射程距離に入った」と自慢すれば、トランプ大統領は「核をお見舞いする」と応じ、北も負けずに「グアム攻撃」を言いだす始末だ。子供じみた言い争いに小野寺防衛大臣が加わり、「グアムが攻撃されたら集団的自衛権を行使できる『存立危機事態』だ」と言いだした。核戦争の当事者として名乗りを挙げるなんて、空気が読めない正真正銘の「たわけ」である。これでは自ら「存立の危機」を招くようなものだ。
 北朝鮮はいつも挑発者として悪者扱いされるが、その挑発に乗るのはあまりにも愚かだ。戦争に理屈(大義)をつけるのは過去のこと。核戦争は無条件にやめさせるのが21世紀の大人の振る舞いだ。 グアムに向かうミサイルを迎撃するために中国・四国地方に対空ミサイルPAC-3とイージス艦が配置される。そのさなか、墓参りで山口県入りした安倍首相は「国民の生命と財産を守るため、最善を尽くす」と語った。核弾頭付きのミサイルが日本の上空で撃ち落とされたらどうなるのか。正気の沙汰ではない。それより戦争をさせない努力をすべきだ。今からでも遅くはない。安倍首相は夏休みを返上してトランプ大統領と金正恩委員長と会って争い事は「ツマラナイカラヤメロ」(宮沢賢治)と説得すべきだ。それができないなら、本当に「どこの国の総理か」。「クジラの争いでエビの背が裂ける」(韓国の諺)ように、核保有国の巻き添えで被害を受けるエビになるなんてごめんだ。安倍首相は自分の信条に背くことになるかも知れないが、世界に誇る平和憲法を持つ、また唯一の戦争被爆国の首相として戦争の愚かさを彼らに説いてほしい。

<作られた「戦争前夜」>

 テレビや新聞、特にNHKは「戦争前夜」のような報道ぶりがめだつ。「本当かな」。ほとんどの人たちは疑い、冷静に受けとめている。不安感を抱きながらも、戦争を非現実的だと思っているからだろう。彼らを「平和ボケ」と非難すべきではない。政府も万全の備えをしているとはとても思えないのだ。
 PAC-3とイージス艦配備で「自衛」は可能だろうか。避難訓練も全国で行われている。内閣府の全国瞬時警報システム(Jアラート)は地下道や堅固な建物に避難を呼びかけるだけ。原発が狙われたらひとたまりもないはず。国を守るにはお粗末過ぎはしないか。絶対ではないとしても政府も戦争は起りえないという前提である。にもかかわらずこの騒ぎは何だ。
 2002年の平壌宣言で日本と北朝鮮は国交正常化を約束したが、拉致問題で年を追うごとに日朝関係は悪化を続けた。安倍首相がいつも胸に付けている青いリボンが象徴するように、彼は拉致被害者救出を前面に掲げて北朝鮮批判の旗振りを続けてきた。
 教育基本法の改悪、特定秘密保護法制定、安保法制定、「共謀罪」法の制定までこぎつけた安倍首相にとって究極のゴールは平和憲法の廃止である。支持率が落ちたとはいえ最後のチャンスは目前にある。わが国の存在を脅かす北朝鮮の存在は彼の野望の実現に欠かせない。北朝鮮に対する日本国民の恐怖と憎悪がこのまま続くなら安倍首相の夢は夢でなくなる。北朝鮮情勢を国内の問題としてとらえる冷静な目も必要だ。

<安倍首相の国政の「私物化」とウソ>

 「共謀罪」法制定までの安倍首相の独断専行ぶりは目に余るものがあった。多くの人が非を鳴らしたが政権は揺るがなかった。ところが森友学園、加計学園で国政の「私物化」が明らかになると安部政治に対する批判に火がついた。朴槿恵政権が退陣に追い込まれたのも「私物化」だった。
 加計学園の獣医学部新設を安倍首相が知ったのは今年の1月20日だったと発言したのに驚いた。素晴らしい記憶力だ。前年の3月以降、首相にそんな暇があるのかと思うくらいに加計氏との7回のゴルフと会食が明らかになっている。「頼むよ 晋チャン」と加計氏に云われたかどうか不明だが、「腹心の友」である。「頼まれた記憶はない」と釈明しても通るはずはない。安倍首相は記憶を都合よく使い分けてウソをついた「たわけもの」である。
 首相は支持率低下にあわてて「反省」を口にしたが、何を反省したか具体的に言わない。それを追及しないのは「甘い」という他ないが、この問題に関連してもっと興味深いのは去年だけで北朝鮮は2回も核実験を行い、35発のミサイルを発射していたことだ。安倍首相は国民に向い「断固抗議」「制裁措置」を語り、国民から頼もしがられたが、同じ時期に「腹心の友」とゴルフやフランス料理を楽しんでいた。国民に北朝鮮の恐怖を語り、自分は腹心の友と人生を楽しんでいた。



 糞バエとは全く無縁の「日刊ゲンダイ」。その「日刊ゲンダイ」の記事(8月15日)だから、記事そのものが流布されている糞バエ記事の批判となっている。
『存立危機事態なのは平和主義 安倍政権で暗黒の終戦記念日』
 後半の一部分を転載する。

日米同盟を守るために国土と国民を危険にさらす倒錯

 日本の存立が脅かされるような客観的危険がなくても、米国への攻撃があればミサイルを迎撃できるというのなら、それは、フルスペックの集団的自衛権行使そのものだ。グアム沖にミサイルが発射されたら存立危機という論法でいけば、米国がいさかいを起こせば、いつでもどこでも日本が集団的自衛権を行使することが可能になる。世界中のどこへでも、米国の戦争に付き合うことになってしまう。

「それこそが安保法の狙いなのでしょう。日米軍事同盟を最優先し、米国の戦争に付き合うことができるように憲法解釈を変えて、安保法を成立させた。そういう実態を存立危機などという用語で隠し、法的なウソで国民をだましたのです。存立危機と言えば、『国を守るため』『国民のため』という名目で、世界中に自衛隊を派遣して戦争ができる。そういう国になったということを国民は直視すべきです。安倍政権に安保法や共謀罪を与えたことで、戦後民主主義も平和主義も過去の遺物になろうとしているのです」(九大名誉教授:斎藤文男氏(憲法))

 防衛省の日報隠蔽問題の本質もここにある。戦闘地帯に自衛隊を派遣し、危険な任務を付与できるようにするため、不都合な事実は国民から隠そうとする。日米安保条約を守るために、日本を危険にさらす。そんな倒錯政権に国民は黙って従うのか。防衛相が「存立危機事態」と言えば、唯々諾々と受け入れるのか。

「米朝の挑発合戦を危惧し、主要国の首脳はこぞって米国に自制を求めているのに、米国追従しか頭にない安倍政権は、トランプ大統領をいさめるどころか、一緒になって危機をあおっている。唯一の被爆国であり、平和憲法を持つ日本の首相だからこそ『何があっても武力行使はダメだ』と言う資格があるのに、米国の言いなりです。それだけで首相失格ですが、国を危機にさらす首相など今すぐ引きずり降ろさなくてはいけない。戦争国家の戦争ごっこに加担するような真似をしている防衛相や安倍首相を批判しないメディアもどうかしています。野党も情けない。北朝鮮問題や日米安保を議論するための国会を開けとなぜ要求しないのか。17日に予定されている日米外務・防衛担当閣僚の2プラス2では、北朝鮮に対する軍事行動が具体的に話し合われる可能性がある。米国と一緒になって戦争をやる態勢は着々と整えられています。のっぴきならない状況にあるという現実に対し、政治家も世論もあまりに鈍感です。」(元外交官の天木直人氏)

(中略)

 安倍もトランプも政権運営が行き詰まり、国民の関心を国外に向けたいという思惑があるのだろう。それで、北のカリアゲ独裁者を挑発する。自国の危機をあおる。それに国民が乗せられてしまうポピュリズム政治では、戦争は不可避になる。

「毎年、終戦記念日にはメディアで戦争と平和を考える特集が組まれますが、ただノスタルジーにひたるのではなく、きっちり現状を検証すべきです。戦後、憲法によって守られてきた平和がなぜ脅かされているのか。日本を取り巻く状況が変わったのは、安倍政権の強硬姿勢が原因ではないのか。北朝鮮の危機だけでなく、今こそ政治の責任を追及すべきなのです。」(天木直人氏)

 チキンレースや挑発合戦は、いつしか取り返しのつかない惨禍を招く。戦争の始まりは、得てして偶発的なものだからだ。終戦の日に二度と過ちを繰り返さないと誓うのなら、「国民の命と安全を守る」と言って危機にさらそうとする錯乱政権を総辞職に追い込むしかない。存立危機にあるのは、この国の平和と民主主義なのである。

永遠の不服従のために(52)

糞バエ(3)

 前回の『海峡両岸論 第81号』転載の続きです。

「不作為」の責任は重い

 首相官邸が「真剣」に対応し始めたのは、「対抗措置」を予告した21日の温演説の後からである。国連総会出席のためニューヨーク入りする菅が「何でもたついているんだ」という態度をあらわにした(毎日)。仙谷の発言トーンもこのころから変化する。22日の記者会見で、事態打開に向け「あらゆる可能性を追求する」と、初めて外交の土俵で交渉する姿勢に転換した。

 仙谷は同日、外務省中国課長を那覇地検に急派。そして那覇地検は翌日、突然船長の処分保留と釈放を発表した。処分保留の理由は「わが国国民への影響と今後の日中関係を考えると、これ以上身柄を拘束して捜査を続けることは相当ではない」。処分理由に「日中関係を考えると」との“政治判断”を入れたのは、検察が官邸による「司法介入」に不快感を抱き、それが分かるよう表現したからであった。

 この経過から言えるのは次の2点である。
●菅内閣が04年の上陸事件の前例を踏襲せず、代表選挙に傾注して政治・外交判断を放棄したことが、日中双方の不信感を増幅し中国側の強硬姿勢を招いた。
●当初は「粛々と対応する」としていた政府が、結局は「司法介入」し船長を釈放させた。
 このちぐはぐな対応は「中国の圧力に屈した弱腰」を印象づけた。
 特に石原慎太郎都知事ら対中強硬派は反発を強めた。石原は12年4月、米ヘリテージ財団での講演で、東京都による尖閣購宣言をした。彼は「本当は国が買い上げればいい」と、国有化が筋と述べていた。野田政権は、結果的に石原挑発のワナにはまり「国有化」に道を開くのである。

泥酔暴走船長の偶発事件

 しかし最大の論点は、巡視船に衝突した中国船の意図であろう。外務省も海上保安庁も、船長が拘束当時泥酔状態だったことを認識していた。結論から言えば、酔っぱらい船長による暴走行為という「単純な偶発事件」だったのである。04年事件と比べよう。中国人活動家7人の上陸は「確信犯」である。一方漁船船長の「犯意」は薄く、前原元国交相が言うように「悪質」とは言えない。まして一部メディアによる「尖閣領有を目指す中国政府の意図」を担った「スパイ船」「工作船」という指摘は、脅威論を煽る「ためにする報道」だった。

ビデオ流出

 そこでまず取り上げねばならないのが衝突時のビデオ流出である。冒頭紹介したツイッター氏も「体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じた」と書く。ビデオは11月4日、「sengoku38」の名前で、動画サイト「ユーチューブ」に投稿・公開された。毎日のようにテレビで放映されたから、「軍事侵攻をリアルに感じた」印象を抱く人は少なからずいたかもしれない。ビデオを流出させたのは海上保安官で、守秘義務違反容疑で書類送検された上、懲戒処分を受けて依願退職した。

 ビデオに対し、中国外務省スポークスマンは「日本の巡視船が妨害行為を行って漁船を追い込み、回り込んで衝突に導いた」と反論した。つまり「衝突するように日本側が仕組んだ」とみるのである。これについて映画監督の森達也氏は、自著の中で「映像は、明らかに反中国の世相を加速し熱狂させた。ただしあの映像は、海上保安庁の巡視艇の側から撮られている。もしも漁船の側から撮られた映像を見たのなら、また違う印象が絶対にあるはずだ」と書いた。確かに映像を見ると「みずき」が漁船の行く手を阻み、「衝突に導いた」ようにも見える。ここは「水掛け論」になるから深く立ち入らない。

「スパイ船」「工作船」報道

 中国船の意図について日本メディアはどう報じたか。三例を挙げる。
第一。
 同年9月30日付けの「週刊文春」。「中国衝突漁船は「スパイ船」だった!」というタイトルの「スクープ」。記事は「日本巡視船に『仕組まれた突撃』。船員たちの『自供』は中国大使館員の面会で一変した」などの中見出しで「スパイ船」だったとするのである。
第二。
 「日刊ゲンダイ」(10年10月1日付け)は「中国漁船、実は「工作船」だった?」とする春名幹男氏のコラムを掲載した。コラムは「この船は特殊な任務を帯びて領海内で意図的に巡視船に衝突したのではないか。日本側が毅然と公務執行妨害で船長を逮捕、拘留すると、中国側は計算したかのように事態を段階的に深刻化させた」と書いた。「特殊な任務」とはどのような任務なのか、また船がなぜ「意図的に衝突した」のか、その理由と根拠は明らかにされないまま、主観的観測をおどろおどろしく描写するのである。
 第三
 「産経新聞」( 9月17日付 電子版)。同紙ワシントン電で「米政府は事件は偶発的なものではなく、中国政府黙認の下で起きた『組織的な事件』との見方を強め、中国の動向を警戒している」と書いた。記事は「米政府は、中国政府部内で尖閣諸島の実効支配が機関決定された可能性があり、『漁船を隠れみのに軍と一体となって、この方針を行動に移している』(日米関係筋)との見方を強めている」と結ぶ。この見方をするのは「米政府」なのか、それとも「日米関係筋」なのかはっきりしない欠陥記事である。「中国政府が実効支配を機関決定した」というなら、その後も中国公船は常時「領海侵犯」しなければならないが、2012年9月の国有化までそんな動きはない。これこそ「ためにする記事」の典型だ。

 繰り返すが、日本政府は「泥酔船長の暴走という偶発事件」だったことを当初から認識していた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、数多くの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」との脅威論が作られていったのである。

 次の三点を改めて強調し、筆を置く。
(1)
 偶発事件なのだから、04年の前例を踏まえて刑事手続きをせずに送還すれば、日中関係をこれほどこじらせることはなかった
(2)
 菅政権が党代表選挙に追われ、政治・外交判断を放棄したのが一因
(3)
 メディアの責任は大きい。今も中国船を「スパイ船」と信じる人は多い。根拠なく「スパイ船」と断定した記者や識者は、自分の原稿に責任を負わねばならない。

 いままた、北朝鮮のミサイルをめぐって北朝鮮の脅威を煽る報道が続けられている。次回はこの問題を取り上げよう。
永遠の不服従のために(51)

糞バエ(2)

 政府が垂れ流す情報を検証抜きでそのまま垂れ流す糞バエの脅威を煽る情報を、疑わない圧倒的多数のお目出度い国民が根拠のない脅威論を共有してしまう。その一例として「中国脅威論」を今年の1月に取り上げている。『中国脅威論の信憑性』である。その中の『「尖閣紛争」の検討』は主として岡田充さんの『海峡両岸論 第70号』を用いて論述している。その岡田さんがこの8月11日に『海峡両岸論 第81号』(表題 偶発事件をこじらせた処理:全ては中国漁船衝突に始まる。)を発表していた。「第81号」は「第70号」以後の政治状況を俯瞰しながら「尖閣紛争」問題をまとめ直している。この論説でも糞バエの影響が取り上げられている。今回はこれを読むことにする(1部省略して転載します)。


 尖閣諸島(中国名:釣魚島)3島の「国有化」から9月で丸5年。領土問題は日中関係のトゲとなり国交正常化以来、最悪の状況が続いてきた。ここにきて「一帯一路」構想への協力を糸口に、ようやく改善に向け双方の呼吸が合い始めた。しかし日本人の中国への印象は「良くない」(「どちらかと言えば」を含む)がここ数年、9割を超える。「言論NPO」世論調査によると、その理由は「日本領海を侵犯」(64%)・「国際社会での強引な姿勢」(51%)が1,2位を占めた。安倍政権は、国民に浸透した「中国脅威論」を追い風に、集団的自衛権の行使を認める安保法制を急ぎ、改憲への道筋まで描く。軍事予算を毎年二けた増やして空母を保有、尖閣諸島の領海を侵犯する―。こうしたニュースに毎日接すれば「脅威感」はいやでも増幅する。隣国への感情や認識を形成するベースは、メディア報道であろう。我々が抱く「脅威感」は本当に実相を反映しているのか。

「軍事侵攻リアルに感じた」

 ネットメディア「ビジネスインサイダー」にこの5月、日本の「柔らかなナショナリズム」に関する文章を書いたところ、一読者がツイッターで次のように書いた。
「日本人が良くも悪くもナショナリズムを意識し始めたのは、2010年から。中国船が、尖閣諸島で海上保安庁に対し体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じたとき、国防に意識が行くのは当然だろう」。
 この読者のように「軍事侵攻をリアルに感じた」人が多かったかどうかは分からない。しかし「中国に親しみを感じる」が、内閣府の世論調査でも、38%から20%まで急落したことを考えると、「中国脅威論」を議論する上で事件と報道の検証は不可欠だろう。この事件がなければ、おそらく2012年の「国有化」もなかったし、日中関係が国交正常化以来最悪の状態に陥ることもなかったはずだ。

 一読者さんは「中国船が、尖閣諸島で海上保安庁に対し体当りの攻撃をしかけた」ことを鵜呑みにしているが、実際はどうだったのだろうか。


 結論から言うなら、事件は泥酔船長による暴走という偶発事件だった。筆者は複数の日本政府関係者から確認したが、政府も最初から偶発事件という認識を持っていた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、「漁船はスパイ船」などの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」という脅威論が広がっていく。

 漁船衝突事件が発生した9月7日から、船長釈放(24日)に至る過程を振り返る。主として共同通信の報道を基にした。
 海上保安庁の発表によると、尖閣諸島久場島の領海付近で、巡視船「よなくに」が中国福建省のトロール漁船「?(環境依存文字)晋漁5179」を発見したのは同日午前10時ごろ。退去を命令すると、「よなくに」の船尾に接触し逃走。さらに巡視船「みずき」が停船命令を出したが、無視して逃げ続け11時前「みずき」の右舷に体当りした。巡視船が日本の排他的経済水域(EEZ)内で漁船を停船させ、船長と船員を拘束したのは午後1時前。船長を刑法の公務執行妨害の逮捕状を執行したのは、翌8日の午前2時過ぎ。拘束から13時間後だった。

中国の強硬対応

 外務省アジア大洋州局長は8日、程永華中国大使に電話で抗議した。石垣簡裁は10日、船長の10日間の拘置延長を認めた。これに対し中国の楊潔?外交部長は丹羽宇一郎大使を呼び、船長釈放と漁船返還を要求し抗議。中国は11日、東シナ海ガス田の条約締結交渉延期を発表した。18日は満州事変(柳条湖事件)79周年にあたり、北京、上海で抗議デモが行われた。那覇地検が19日、船長の10日間の拘置再延長を決定すると、中国外交部は「強烈な対抗措置」として
① 閣僚級以上の交流と航空機増便交渉の停止
② 石炭関係会議の延期
③ 民間のイベント中止・延期
を発表した。温家宝首相は21日、ニューヨークで日本の対応次第で「さらなる行動」と警告、23日には中国から日本へのレアアース(希土類)輸出停滞が発覚した。河北省石家荘で軍事管理区域に侵入したとして、建設会社「フジタ」の日本人社員ら4人が拘束されたことが判明した。

 ここで論点を絞ろう。
(1)
 船長の逮捕・送検という処理は、外交の「前例」を踏襲したのかどうか。中国側が日本の対応に意外感を抱き、強硬な対抗措置を引き出したのではないか
(2)
 漁船の体当りは意図的かそれとも偶発的か
の2点である。

前例無視の司法処理

 船長逮捕・送検については、当時の民主党、菅直人政権内に当初から「戸惑い」があった。7日、処理を話し合うため夕と夜の2回、国土、外務、法務など関係省庁会議が開かれた。前原誠司・国土交通相は「悪質。(逮捕の)意見を海上保安庁に伝えた」と述べる。当時ベルリン出張中の岡田克也外相は、「わが国の領海内の出来事。法に基づいて粛々と対応していく」と説明した。「毎日新聞」によれば、岡田は民主党幹事長就任後の9月29日、事件を振り返って「当初この問題が起きた時、私も小泉政権の時のやり方が頭の中に浮かんだ」と述べた。

 小泉のやり方とは何か。2004年3月24日、尖閣諸島に上陸した7人の中国人活動家を日本側が「入管難民法」で拘束した処理のことである。7人を送検せず、2日後に中国に強制送還した。小泉純一郎首相は釈放時の記者会見で「日中関係に悪影響を与えないように大局的に判断した」と述べ、送還が「政治判断」だったことを率直に認めるのである。

 岡田は「事を荒立てないなら、そういうやり方もあっただろう」と、「毎日」に語っている。また仙谷官房長官も7日夜の関係省庁協議でビデオを見た後「発生場所は中国が領有権を主張する尖閣諸島周辺。『逮捕するのか。日中関係に影響が出るなあ』とも漏らした」(共同通信)という。公務執行妨害による逮捕に対し、岡田が(強制送還という)やり方もあったと語ったことは、外交「前例」を認識していたことの傍証である。

 「共同」は04年事件の際、「政府は数年前に魚釣島に中国人が上陸したケースを想定し『対処マニュアル』を作成。マニュアルには原則として、刑事手続きに乗せずに速やかに強制送還する、つまり起訴しないという趣旨の内容が書かれているという」と報じた。
 事件が起きたのは、菅と小沢一郎による民主党代表選挙の最中だった。14日は民主党代表選挙で菅が勝利、17日に内閣改造が行われた。菅をはじめ民主党首脳は連日、選挙運動に追われていた。特に19日の拘留延長という節目に、菅内閣が対中関係を配慮した政治判断をきちんとしたかどうかは疑わしい。これが日中双方の不信感を増幅し、ねじれを決定的にしたのだと思う。当時の政府高官は
「あの時は、海上保安庁が存在を誇示しようとしているように感じた」
と証言していた。海保の“点数稼ぎ”が背景にあるともとれる発言である。

(次回に続く。)
永遠の不服従のために(50)

糞バエ(1)

 私が書いてきた記事を検索したら、私が辺見さんの造語「糞バエ」を初めて用いたのは10年前で、『今日の話題:日韓海底トンネル』でだった。

 「糞バエ」は権力に媚び諂ったジャーナリストへの痛烈な批判語である。日本ではこの糞バエ達の保護と増殖に一役買っているのが「日本記者グラブ」である。その実態と仕組みを分かり易く詳細に論じている記事を一つ紹介しておこう。高橋是清会さんが「阿修羅」に投稿された次の記事である。
『記者クラブ制度は「マスコミ」と「官僚」の癒着の温床』

 ところで参考までに、日本のジャーナリストが糞バエとなっていく歴史的経緯には国家権力による長きにわたる狡猾な脅しと懐柔の取り込み作戦があった。このことは<『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(65):終末論の時代(1):ジャーナリズムの死(1)』~『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(76):終末論の時代(12):ジャーナリズムの死(12):戦後の言論弾圧(6)』>で取り上げている。

 さて、『永遠の不服従のために』に戻り、その第6章を読むことにする。第6章は次の5節が収められている。
① 糞バエ
② チョムスキー
③ 有事法制
④ クーデター
⑤ Kよ

 辺見さんは『年若い死刑囚A君(4)』でサッチー保釈どきに東京拘置所に群がった記者達を「糞バエ」と呼んだ。これに対して「人格まで貶める暴言」という批難を受けた。これに対して辺見さんが再びマスゴミのていたらくぶりを再論した。それが「① 糞バエ」であり、次の文章が枕が置かれている。
ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。
ファシズムは〈ファジー〉な全体主義だったのです。ファシズムは
一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、
矛盾の集合体でした。(ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』から 和田忠彦訳)

 本文を読んでみよう。

 前回、記者のことを「糞バエ」と書いたら、現役の古参記者から、「人格まで貶(おとし)める暴言」ではないかとねじこまれた。私としては「いや、猩々(しょうじょう)バエでもツェツェバエでもなく、糞バエはやはり糞バエだよ」と答えるほかなかった。絞首刑が執行された2001年末のあの日、同じ東京拘置所に蝟集(いしゅう)して、死刑などどこ吹く風とばかりに、保釈されたサッチーにたかりついた連中が、糞バエでないとしたら、いったい、なんだというのであろうか。ただし、糞バエには大別して二種類ある。すなわち、身すぎ世すぎでゴミネタに群がる、いかにも糞バエ然とした糞バエと、はたからはそうは見えず、本人もそうとは自覚していない、いわば上品な糞バエである。メディア・ヒエラルキーからいうと、前者は低位、後者は高位に属するとされ、その幻想もあって、上品な糞バエは糞バエ然とした糞バエをしばしば軽蔑しがちだが、なに、同じ糞バエであることに変わりないどころか、傲然としている分だけ、糞バエ然とした糞バエよりもよっぽど質(たち)がわるく、また危害の程度も大きいということを付言しなければならない。いいかえれば、労働条件の劣悪なフリーランスや契約記者がもっぱらたずき(ヽヽヽ)のためにサッチーのたぐいを追いかけてぶんぶん飛びまわるのにはいささかの哀愁も漂わぬではないが、賢しげにジャーナリズム論などをうんぬんする一方で、そのじつ、のべつことの軽重をとりちがえ、権力を下支えしている大新聞の政治部、社会部記者のほうが、言葉のもっとも正しい意味において、糞バエの名に値するということだ。そのことを紙幅の関係で前回は書けなかった。

 代議士の公設秘書給与の流用疑惑って、いったいなんなのだろうか。マスメディアはどうしてあんなにいきりたっているのだろうか。現下の内外情勢にあって、あれほど大がかりな特別企画や特別番組を組んで対処すべきほどの歴史的大事件なのであろうか。これ、よく見ていると、どこか不審船騒ぎというやつに似ていないか。つまり、政府権力にとってじつに都合のいいタイミングで、事件”が出来(しゅったい)し、マスコミがわいわい騒ぐなかで、人々が本来全力で指弾すべきことがらに煙幕が張られ、いつの間にか権力が専横をきわめていくという、危険な時代にはいくどとなく行使された手法であり、なりゆきなのではあるまいか。1931年の柳条湖事件はこの国を中国との15年戦争に誘導していった。後の歴史は、事件が関東束車の謀略であり、民衆の意思に逆らい、戦争へと導いていったのは、あたかもひとり軍部であったかのように教えている。だが、軍部のお先棒をかついで戦争を大いに煽りたてたのはマスコミなのであり、盛んに踊りを踊ったのは民衆なのであった。こうした動きに異を唱える者らには隠然たる国家テロがなされたが、これに対してもメディアはたんに無力だっただけでなくおおむね無批判でもあったのであり、権力によって次から次へと屠(ほふ)られる異議申し立て者について、民衆は一般に無知か無関心か冷淡であった。かくして、この国は権力・マスコミ・民衆が自然に三位一体となった、ナチスドイツもうらやむほどの協調的全体主義を形成していったのであった。じつのところ、この国では全体主義の実現のために強権の発動は必要なかったのである。なんとならば、戦前も戦中も、メディアにはおびただしい糞バエたちが棲息し、もっともらしい顔をして、権力と民衆のよき仲介役をこれ努めていたからだ。

 それといまがまったく同じだなどといいたいのではない。タレント気取りでテレビ・メディアとじゃれあったり、ネオリベラル派といちゃついてみたり、実際の話、一部自民党議員からなぜか一目置かれてもいたツジモトという前国会議員が、不抜の異議申し立て者だなんてさらさら思わない。ツジモトを内心疎(うと)みつつ、ツジモトのお力にすがり、かつ一部党員が彼女にとって不利なネタを内部から流しもしたといわれる社民党が、あの安保容認のムラヤマの例を見るまでもなく、権力と戦闘的にわたりあってでも平和憲法を守り抜こうという底力を備えた政党とも、正直、思えない。だがしかし、こうした不信とはまったく別に、このたびのツジモト追放劇および党首ドイヘの攻撃、さらには共産党への非難の本質的背景が、ただに秘書給与の流用やその指南にかかわることだけにあるかのように伝えている報道は根本的なまちがいであるといわざるをえない。政府自民党にとってはまことに時宜にかなったこれは、実相としてはある種の国家テロではないのか。メディアの糞バエたちを最大限に動員した、戦後ではまれにみる政治的テロ行為ではないのか。報道はそれを見とおす視力を欠き、明らかに事態の肯綮(こうけい)をはずして、もちだそうとするならいつでもそうできるであろう秘書給与流用疑惑ごときをことさらに騒ぎたて、問題の軽重をひっくり返すことにより権力に協調している。糞バエの末裔はやっぱり糞バエであるということだ。朝日も毎日も読売も、まさに見渡すかぎり大小の糞バエだらけである。

 それみたことか、見事に機先を制せられて、肝心要の有事法制論議がすっかり霞んでしまったではないか。秘書給与流用疑惑という入り組んだ罠の肯綮は、こちらにこそあったのだ。個人情報保護法に反対する動きの足を引っぱっているのも、主として大新聞の傲岸な糞バエたちである。私の糞バエ発言を暴言というのなら、権力の意を体してゴミネタにたかりつくのでなく、有事法制をなんとしても通そうとする者たちにこそぶんぶんと群がって、欺罔(ぎもう)のひとつでもいい、奇怪な意図のほんのひとかけらでもいい、死ぬ気で暴いてみてはどうか。もっとも、その呆けた頭と視力では、風景の多様なコラージュからファシズムの輪郭を見抜くなど、とてもではないが、できない相談であろう。エーコのいうファジーな全体主義の借景には、常に「私」のいないマスメディアがたんに権力的な集団としてひかえている。だから、この国のファシストにはファシズムを誇示する集会も行進も必要でない。マスコミが毎日、その紙面、その番組でやってくれているのだから。しかも、ときおり大いに民主的で平和的な顔をしてみせながら。

広目天の怒り
広目天

怒りは静に深く沈潜させ
より遠くまで射抜く眼差しとなせ。
その眼差しをもって
自由と民主を食い荒らす邪鬼どもの
あさましい心底を射抜き
踏みしだくまで反逆せよ
邪鬼